はてなキーワード: 仕舞とは
未だに人様の目前で未熟に性的欲求を満たしている彼らの目の前で,使いまわされたコピペの文章読んでニヤついたんだよ.
デュフwみたいな気持ち悪い声でさ,ニチャァって.彼らに聞こえるように.
そしたらさ,今までイチャコラに夢中でこっちを見向きもしなかったのに,彼らは同時に俺の方をチラ,と見て,それから今度こそ見間違いではなくコソコソ耳元で囁きあうわけだ.
彼らは笑っていたよ.嘲笑に近い.馬鹿にしたような笑いだった.
ひとしきり俺を視線で侮蔑した後,彼らはパソコンを仕舞い,上着を羽織り,椅子から立ち上がり,さっきの調子を取り戻してイチャコラ腕を組みながら店を出ていった.
俺はさ,独身中年じゃなく,大学生なわけ.コピペで登場するのと同じ男子大学生.
本来ならイチャコラするあちら側にいるべきはずなのに,俺はコピペの中の独身中年を演じてしまったんだ.
次の瞬間,俺は年齢=彼女いない歴,年齢さえ考えなければ独身中年のそれなんだと気付いた.
日陰者の定義とはなんだ?
教えてくれ.
有名な観光地である豫園(よえん)近くを歩いていると、後ろを歩く友達が誰かに話しかけれれたようで、立ち止まっている。
横には20代と思しき中国人の女性。スマホを渡しながら「写真を撮ってくれ」と頼んでいるようだった。
話しかけられた友達のことを「若い女性に頼まれたんだから撮ってやれよ(笑」とからかいながら様子を見ていると、写真を撮られ終わった女性が「あなたたちの写真も取りましょうか?」と聞いてきた。それも英語で。
シャイな友達は「いいです、いいです。ノーサンキュー」と断ってしまったが、自分は(まぁこういうときはお互い様だ)と思いながら、自分のスマホを渡して写真を撮ってもらった。
あとになって考えれば、これがすべての始まりだった。
「写真撮って」をきっかけにして、相手の中国人女性が英語で色々話しかけてくる。
聞けば職業は幼稚園の先生で、2年前から上海に住んでいるという。日本語はちょっとだけ勉強したことがあり、この前の夏にはクルーズ船で福岡に行ってきたとか。
今度はこちらに質問してきて、いつから上海にいるのか、何日間いるのか、今日はどこに行くのか、どこどこ(上海の有名スポット)には行ったのか、などなど色々聞いてくる。
私のほうが英語が得意なので(そう、中国人女性との会話は英語で行われている)、相手の質問に答えつつ、友達との間に入って通訳っぽいこともしながら、5分ぐらいは路上で立ち止まって話していただろうか、さり気なく女性が「お茶は好きですか」と聞いてきた。
「ええ、お茶は好きです」
そう、私は中国茶&台湾茶が好きだ。大学生のころには、毎月のように横浜中華街の馴染みの台湾系茶屋に通っては、いろいろなお茶を買いつつお店のご主人の講義(?)を聞いたりもした。今でも台湾に行けば、台湾茶を大量に買ってしまう。そんなお茶好きと知ってか知らずか、相手がお茶の話を振ってきたので、私はすっかり警戒心が薄れてしまった。
「この近くで、年に一度の茶道(ティー・セレモニー)をやっているのですが、一緒に見に行きませんか?」
うん、見てみたい。それが、その時の正直な気持ち&答えだった。
ティー・セレモニーとは、なんだか仰々しい動きをしながら中国茶を淹れるパフォーマンスで、いわゆる「ザ・観光客向け」のショーなのだが、実は一度も見たことがなかった。それは、私自身がひねくれた性格(あんなもんは観光客向けの見世物だ!)だからわざわざ見ようとは思わなかったし、今までに日本や台湾で行ったお茶屋さんが本気の真面目な(?)お店でそういうショーをやっていなかったこともある。
しかし、この時ばかりは、どういうわけか、暇つぶしというか見世物として、そういうのを見てみるのも悪くないなと思ってしまったのだった。
「じゃぁ、一緒に行きましょう」というわけで、女性に連れられて(今思えば”釣られて”だ)上海の街中を歩いて行く。
歩きながらも女性は、こちらの年齢やら職業やらホテルの場所やら、なんやらいろいろと聞いてくる。私は他人からプライベートなことを根掘り葉掘り聞かれるのが嫌な性格なので、多少は誤魔化しながら適当に答えていると、今度は干支やら星座なんか聞いてくる。てか、干支はともかく星座の英語名なんて知らんがな!このお姉さん、英語力はかなりのものだった。
まぁそんな訳で、移動中もずっとしゃべりながら5分ほど歩いただろか、着いたのは(連れてこられたのは)裏通りにある間口の狭い古道具屋?お茶屋?のようなお店。
お姉さんは、店頭に立っていた赤い民族衣装を着た老女に「ティー・セレモニーはやっていますか」と話しかけ(いま思い出したが、英語で話しかけていた。老女は英語はチンプンカンプンのはずなのに)、そのまま我々を店内へと導く。
店の奥には、壁にやいかにも中国っぽい書や絵が飾ってあり、一通りの茶道の道具(茶葉やらお椀やら急須やら薬缶やら)が小さめのテーブルの上に置かれ、その周りを囲むように椅子が5脚ほど並んでいる。
ここでもまた世間話のようなものが交わされ、茶屋の赤い民族衣装を着た老女は「ティー・マスターの先生」だと紹介される。
ティーマスターの老女が中国語で話し、それをお姉さんが英語に訳し、我々がそれを拝聴するという翻訳リレーのティーセレモニーが始まった。
最初は茶道の歴史やらウンチクやらを語っていたのだが、おもむろに老女が”メニュー表”を出してきた。
内心で「あーやっぱり金とるのか」と思った。ここまで一切お金の話は出ていないが、こちらはなんとなくタダで見れるものだと思い込んでいた節がある。
しかしまぁ向こうも商売なわけだし、中国人がタダでわざわざショーを見せてくれるとも思えない。まぁそれ相応の金額であれば払っても仕方ないかと気を取り直して、メニュー表を見てみる。
メニュー表といっても、白黒印刷のちゃっちいものではない。それなりの厚紙にカラー印刷され、製本されている。背景には、茶器や茶葉の写真が印刷されており、まるでどこか高級料理店のメニューのようだ。おまけに、すべて英語表記。
老女がメニューの1&2ページ目を開き、お姉さんがメニューの一部を指して話しかけてくる。「この料金だけどいいですか?」
お姉さんの指の先、2ページ目の中ほどには「RMB48 / kind / person」とある。(RMBは人民元の英語表記)
一人48元。日本円だと約1,000円だ。高いとも言えず、かといって納得もできない、絶妙な値段だ。
普段はお金にうるさい私も、この時ばかりは、納得はしていないけどこの値段なら仕方ないという感じで「ああ、構いません。OK」と受けてしまった。
しかし、はて、見開きページの左下には”ルームチャージが20元”やら”テーブルチャージが30元”やら、なんやら書いてあるのだが、この説明はなし。
すっかり警戒心が薄れていた私は、(取り立てて説明しないということは、きっとこの表記は関係ないのだろう)と思い込んでしまった。
また、2ページ目のタイトルが「1.高麗人参茶」で、2番以降の続きがあることを思わせる表記だったが、メニュー表は老女が持ったままページをめくるでもなく閉じてしまったので、その先は見ていない。
そんなこんなで、ティーセレモニーが始まった。が、茶道の詳細は割愛する。
パフォーマンス自体は面白かった。合計で6種類のお茶を飲んで、それぞれの茶葉の解説。その間に、金運を呼び寄せる(?)ガマガエルの置物を撫でたり、お茶の淹れ方を教わったり、内容自体は悪くなかったともう。
パフォーマンスが終わると、老女が、先ほどとは別のメニュー表を出してきて、茶葉のお土産はいかが?と売り込んできた。
値段を見て、私は「むむむ、、、これはボッタクリやな」と思った。
ジャスミン茶やら鉄観音やら10種類ほどの茶葉が載っており、それぞれ大・中・小と3種類のサイズが有るようだが、小サイズの一番安いやつでも380元、なんと7,600円もする!
普段から飲む中国茶は100g 1000円もあれば十分、と思っている私の味覚&金銭感覚からすれば、これは完全に予算オーバーだ。
いや、もちろん超一級品の茶葉には驚くほどの高値がつくこともあるだろうが、私の感覚ではナシだ。それに、いま飲んだやつにそこまでの価値があるとも思えない。
「わー、美味しいお茶だった。私はお土産に少し買っていくわ」というお姉さんに影響されたのか、財布を取り出して買おうかどうか迷っている友達に小声て「買うのやめとけ、高すぎ」と耳打ちする。
お姉さん、こちらの戸惑う様子に気づいたのか「ああ、いいのよ、買う買わないは自由だから。私は買うわ。んで、あなたはどうする?」とあくまで買う雰囲気を作り出そうとする。
なんか嫌な流れになってきなたなぁーと思いつつ、「悪いけど、やめとくよ。最近は紅茶にハマっててねぇ、まだまだ在庫がいっぱいあるから」と半分本当・半分ハッタリの話をしてお土産購入は断った。
なんか早く帰りたいなぁと思っていると、店の老女、もといババアが勘定書を持ってきた。
おい、1,280元って、日本円でざっくり2万5千円だぞ。本気か、こいつら。
一瞬にして頭に血が上った私は、思わず「これちょっと高すぎない?」と文句を垂れる。
いわく、お茶1種類1人あたり48元で、3人で6種類飲んだから
48元 × 3人 × 6種類 = 900元 だという。(実際には48元より高いお茶もあったので、大雑把な計算で)
そこに、客引き女のお土産代が加算されて、締めて1,280元だという。
金額にピンときていないのか、財布を取り出して札を数えようとしている友達の動きを慌てて止めて、スマホの電卓アプリで日本円に換算した結果を見せて「高すぎだろ、こりゃ」とキレ気味にいう俺。
敵に向き直って「最初のメニュー表をもう一度見せてくれ」という俺。
奥から取り出されたメニューには、確かに”それぞれの茶葉のページに”「RMB48 / kind / person」、つまり「茶葉1種類当たり お一人様48元」とある。
あーそういうことね、このおちょこ口一杯にも満たないお茶一つに約1,000円を課金し、それが6種類だから6,000円だと。
あーそうですか、確かに書いてありますね、はい、そうですか、って納得できる訳がない。
「こんなの高すぎだろ」
「いや、ティーマスターの先生がこれだけやってくれたんだから、決して高くはない」
「日本でもこんな高くねぇぞ」
「茶道のパフォーマンスを受けたのは認めるが、この価格には納得できん」
「お茶一杯の値段は高いかもしれないが、ここ上海では、急須にお湯を継ぎ足しながら何倍もお茶を飲んで、何時間もおしゃべりできるシステムなのです。ほら、メニュー表のここにも書いてあるでしょ」(確かに英語でそう書いてある)
「そんなこと言ったって、こちとら、メニュー表の1&2ページ目しか見せられてないし、そこにある『一人48元』だけ払えばいいのかと思っていた」
とかなんとか、英語で喚き散らして少し興奮が収まった俺は、勘定書を手に取って冷静に考えてみる。
合計金額は2万5千円だが、そこには客引き女のお茶代とお土産代も含まれている。純粋に我々が払うべきは、相手の言い値では1万2千円、一人あたり6千円だ。
さて、この茶道パフォーマンスにそれだけの価値があるだろうか?いや、ない。払いたくない。だからといって、払わなくて済むわけでもない。
俺は手を顎に当て、少し考えながら、黙り込む。
客引き女が何か話しかけてきたようだが、怒りのあまり全然気づかなかった。
しばらくすると、敵も「面倒くせえ客だな」と思ったのか「じゃあ、いくなら払うのか」と態度を軟化させた。
なーんだ、やっぱりボッタクってる意識があるんじゃねぇか(笑
ここはあくまで、当初の理解どおり「一人48元」で押し通そうと、「3人分で150元なら払う」と言ったつもりが、相手は「1人あたり150元」と誤解したようで、「ならそれで構わない」ということになった。
横でポカーンとしていた友達に、小声で「悪いけど100元払ってくんない?」と言って、財布から100元札を取り出してもらう。
この時、財布の中に、100元札が2〜3枚と、日本円で1万円札が2枚、さらにパスポートまで入っているのが丸見えだったので、財布をさっさと仕舞わせる。
「んじゃ2人分で100元ね」
「え、いや、1人150元でしょ」
「いやいや、だから、最初から言っているとおり、1人48元だと思っていたの。だから、細かい端数は無視して、2人で100元!」
これには、さすがの店のババアも客引き女も怒ったらしく「そんなの少なすぎよ!」とかなんとか言っている。
「そんなのってあり?もう、まったく。せめて部屋代としてもう100元出しなさいよ」
(あーあ、面倒くせえなぁ。でも、あと100元でケリがつくなら)と思ってもう100元を出した。締めて200元のお支払だ。
この期に及んでも、客引き女は演技(?)を止めないらしく、
「あなた達が200元しか払わないなら、残りの分は私が全部払うわ」といって、本当に財布から100元札を取り出して払っている。
疑い深い私は、この光景を黙ってボーっと見ながら、頭の中は「なんだ見せ金か。払うふりして、あとで取り戻すんだろうな。わざわざこんな演技しなくても。」と冷めていた。
でも、この見せ金に釣られて、やっぱりお金を払ってしまう人もいるんだろうなと思った。
まぁ、兎にも角にも、支払いを終えて、そそくさと店を後にする。
客引き女は相変わらず話しかけてきたが、もう俺は怒りと情けなさとで、会話する気力もなかった。
「この後はどうするの?豫園を観光?」とかうるさいので、とにかく客引き女と離れたかった俺は「いや、ホテルに戻るよ。だから地下鉄の駅まで。」と言った。
本当は歩いて帰れる距離のホテルだったのだが、一緒に歩く友達に「余計なこと言うなよ!」と目配せしながら、「地下鉄でホテルまで戻る」と言い、客引き女とは駅前で別れた。
さて、結果的に2人で200元。1人あたり2000円弱の被害額(?)で済みましたが、百歩譲っても適正価値は半分の1000円ぐらいだろうと思っています。
ネットで検索すると、同様の被害例がこれでもかと出てきます。引っ掛けのパターンとしては、典型的な手口なのでしょう。
それは、相手が片言の日本語ではなく、英語でベラベラ話しかけてきたことも大きく影響していると思います。
ネイティブ日本人の私達にとって、片言の日本語にはとても違和感や警戒心を覚えることでしょう。しかし、相手が流暢な英語を話すとなると、日頃の英語コンプレックスも相まって、相手が対等もしくは上等の立場にすら覚えてしまいます。
もしかしたら、このボッタクリ集団の元締めは、そういった日本人の英語コンプレックスを付け入るために、あえて日本語を使わず、英語で商売をしているのかもしれません。
・英語が完全に理解できなくても、とりあえず「OK」と言ってしまう日本人(なまじっか少しは分かる言葉だけに、タチが悪い)
・英語で書かれたメニュー表をよくよく見てみれば確かにそう書いてあるので、仕方ないかと思ってしまう
・もし不満があったとしても、英語では言いたいことも言えずに、泣き寝入りするしかない
日本の振り込め詐欺のように、ある程度マニュアル化&パッケージ化されているのかも。
写真を撮ってくれと頼まれること、また旅行者同士で世間話や情報交換をする、それ自体はとても楽しいことです。
また、善意の現地民がおすすめの観光地に連れて行ってくれることも、本当にあるのかもしれません。(滅多にないからこそ、メディアが美談として取り上げる?)
・お茶屋に連れてこられた時点で「このお店は大丈夫なのか?」と、自分で立ち止まって考えなかったこと
・メニュー表を見せられた時点で、「総額はいくらなのか?」と相手に確認しなかったこと
要するに、自分自身でよく考えて、納得してから行動する、という基本原則を疎かにしてしまったことが、今回の失敗につながってしまったのでしょう。
がとっさにできなかったことです。
私の場合、スマートフォンをネックストラップで首からぶら下げていたのに、いざパニックになっていまうとスマホのことなどすっかり忘れてしましました。
今回の場合は、まぁしょうがねぇかーという感じで、いい勉強になったと思っています。
これが下手にマッサージ店とかに連れていかれたら、それこそ身ぐるみ剥がされていたかもしれませんし、被害額も少なく済んだと思って諦めつつあります。
同様に被害にあう方が一人でも減ることを願うばかりです。
ここ最近、酒を飲み過ぎていて(ウイスキー700mlをだいたい2日間で飲み切る)、寝起きが悪いし、日中はだるくて頭が回っていない気がするし、飲み始めるとだらだらと時間を消費して無駄にしている感があったので、思い切って断酒をしてみた。まだ3日間しか経っていないが、その結果を報告する。
寝起きのだるい感じはなくなった。もともと寝起きは非常に悪いが、酒を飲んでいた頃と比べるとすんなり起きられるようになった。
少なくとも日中に具合が悪い感じは減少した。しかし、下記に述べるが寝付きが非常に悪くなったので睡眠時間は短くなり、今は眠気と戦っている。酒を飲むかやめるかという問題は、だるさと眠気とどちらを取るかという問題であるのかもしれない。
思い描いていたイメージとしては、だるい感じが雲散霧消したついでにやる気も湧いてきて、仕事をバリバリこなせるようになるかと思ったが、そんなことはなかった。だらだらしてしまっている。私のそもそもの人間性の問題かもしれないが。それに加えて眠い。しかも「あー酒飲みたいなー」とか雑念が発動されて集中力を欠く。これについては断酒を続けていけばなんとかなるかもしれない。
私はかつてからずっと痩せ型で、ラーメン二郎を週2で食べていた時にも全く太る気配はなかったのだが、加齢とともに体重増が認められるようになった。自分だけは太らない神話は崩壊した。思えば、ここ最近の私は一日中何かを食べていた。空腹の状態で起き、食べても食べても空腹、ツマミは基本的に食べないが、寝る前に腹が減って飲みながらカップラーメンを2杯食べたりしていた。で、酒をやめてから、それがピタリと止んだ。タバコのせいもあるかもしれないけれど、思わぬ副産物だった。
私がそもそも何で酒を浴びるように飲んでしまっていたかというと、寝酒である。寝付きが非常に悪いのである。世の中には横になってすぐに入眠できる超人のような人間もいるけれど、そういった全ての人たちに嫉妬と憎悪を抱くレベルで寝付きが悪い。で、酒をやめてから、案の定寝付けなくなった。これは大打撃である。食べることと寝ることが趣味という人が世の中には存在して、眠るときが一番幸せという人も多く見かけるが、そういった全ての人たちを妬み、嫉み、憎しみを抱くレベルで大打撃である。私の場合、アルコールと睡眠はトレードオフらしい。困った。
「飲みたいなー」とはたまに思うけれど、手が震えたり、渇望したりするほどに飲みたいわけではない。家には自家製の梅酒が仕舞ってあるけれど、それにも手を付けていない。アル中ではなかったこと、断酒もやろうと思えばできることがわかった。
アルコールはうつ病の原因になるという話も聞くので、前述の通り、酒をやめたらもっと生産的になって幸福度も増すかと思ったが、実際そうでもなかった。心に穴が空いたというほどでもないし、酒を飲めば幸福感を得られるとも思わないけれど、少なくとも淡々と日常を生きている感じである。酒をやめたから活力が湧いてハッピーという感じでは全くない。
とは言え、酒をやめたことは健康に良いことには違いない。適量だけ飲むということが出来ないのである。一口飲み始めたら酔いつぶれるまで飲んでしまう。たった3日間だけど、断酒してみて起こった感想・変化を書き記しておいた。またそのうち飲み始めるかもしれないけれど、続けられるだけ続けようと思う。
私は鼻が良い方で、元々柔軟剤を使う習慣もないので、あの強い香料の匂いを嗅ぐとうっとなってしまう。特に『レノア本格消臭スポーツ フレッシュシトラスブルーの香り』っていう、マツコがCMに出ていた青いやつは一段と匂いがキツい。汗の匂いを消すのが目的にしても、いくらなんでも香料キツすぎじゃないかと思う。8×4の匂いが充満した更衣室を思い出して、最初嗅いだ時は少し顔をしかめてしまった。
何故使ってもいない柔軟剤についてここまで反応するのかといえば、身近にいた人が使っていたからだ。地味な見た目をしているくせに、隣にいるとキツめの香料の匂いがするギャップが印象的な人だった。
匂いは記憶に結びつくという。いわゆるプルースト効果。なるほど確かに、青いレノアの匂いを嗅ぐとその人のことを思い出す。匂いが記憶の引き出しの鍵になっているかのように、ひとりでに仕舞っていたものが溢れ出してくる。
少し高めの穏やかで優しい声をしていて、その声を聞くと安心したこと。
大人しそうな性格なのに、鼻の長い真っ黒な車に乗っていて心底驚いたこと。
お酒が大好きで、よく飲むわりに大して強くなくて、いつも飲みすぎて潰れていたこと。
歌がうまかったこと。
ごくありふれた柔軟剤の匂い一つで、生々しい記憶がいくつも蘇るのだ。まるでフラッシュバックのように。本当に厄介で仕方ない。
あまりにも波長があって、一緒にいて一番息がしやすかったこと。
私の見た目や性格のコンプレックスを、明日の天気を語るような気軽さで片っ端から肯定されて、気にしているのが馬鹿らしくなったこと。
酒の勢いで吐き出した、私の腹の底で何年も淀んでいた気持ちに、一番欲しい言葉をくれたこと。その一言で心底救われたこと。
抱きしめられた時、あまり得意ではないはずの匂いに酷く安心したこと。
気がついたらレノアの匂いだけすぐに判別できるようになっていて、思わず笑ってしまった。その上その匂いがあまり嫌いではなくなっているのだから、我ながら単純だ。
青いレノアが廃盤になるまで、この先も私はしょっちゅう彼のことを思い出すのだろう。勘弁してくれと思うけれど、廃盤になるのはもう少し先でもいいかな、と思う自分もいる。
だけど、飼うことはできない。
・嫁が猫アレルギー
・旅行に出かける時は預けなければならない
・家がボロボロになる(爪とぎ)
・家がめちゃくちゃになる(収納していないものの責任は自分に有るが)
・衣類(洗濯物)に猫の毛が付着する
・猫臭、猫のトイレ臭が家の中に滞る
・猫の医療費、食費が嵩む
ま、最後の医療費、食費は何とかなるとしても、それ以外でどうにかなるとしたら
かたずけをしっかりしておく事だろうか。
義理の兄は、姉が猫を欲した時に、居間や廊下、階段の壁のほぼ全てを、
床から1mほどの高さまで板を打ち付けて、爪とぎ対策をしていた。
襖なんかはどうなっていたか分からない(たぶん引っかかれていたと思うが、俺が訪ねる時はいつも仕舞われていた)。
俺はそんな事はしたくないし、めんどくさくてできない。
多頭飼いしている人を知っているが、全ての衣類に毛が付着しているし、臭いが凄い。
バスタオルや毛布なんて、その家でシャワーを浴びたいと思わないし、寝泊りしたくないほど。
ま、一番最初の項目で、飼えないんだからあれこれ考えてもしょうがないね。
こんな事を考えてるだけで、猫を飼う資格が無いのかもしれない。
今年の夏コミで販売されたこの本について感想を述べたいと思う。
私は今年、夏コミには行かなかった。その前週に自ジャンルのオンリーイベントに一般参加していたこと、また個人的に引越しが決まっており、夏コミが
その直後の日程であったため、関東への遠征を躊躇ったためだ。だから私はこの本を夏コミ終了後、通販で購入した。
こういった感想の類はそれを最初から最後まで全て読んでから行うべきだとは思うのだが、如何せん、私はこれを書くまでこの続きを読むことが出来そうにない。
だから読了を待たずに記述を始めしまっていることを、どうかご容赦いただきたい。
さて、本書はすでに読み終えている17ページに至るまでにも、既に様々な恋愛をする女の話が書かれており、各々に大変興味深く、その全員が愛すべき女達であると感じた。
故にそれら全てに言及するのも吝かではないのだが、そうなってはこれを書き終えるのがいつになるのか、何字を費やすか分らなくなってしまう。
それでは困る。
本書の続き、17ページ以降をいつまで経っても読めないではないか。私は続きが読みたい。
しかし、読んでいて、どうしても感想をしたためたくなってしまい、いてもたってもいられなくなった。
ひとまず「夫のちんぽが目覚めない女」について、感想を述べさせてもらいたい。
「夫のちんぽが目覚めない女」と題された本書16~17ページに書かれるのは既婚女性の28歳、初恋の相手が名古屋稚空というチンアナゴさんという方である。
この初恋相手の名前の読み方と、何の漫画に出てきたキャラクターかがすぐに分かった私は、それまでの項と同様に早速読み進めた。
チンアナゴさんにはEDの夫がいて、1年半になる結婚生活の中で一度も本番行為をしたことがないという。
私にとってはそれだけでも、大変共感できるような内容だった。
読めば読むほど、そうだよそうだよと頷ける部分が次から次へと出てきた。
私には5年8ヶ月付き合っていたが、その交際の中で一度も本番行為をしたことがない彼氏がいた。
その彼との関係と共通する内容がこれでもかというくらい多かったのだ。
彼のオタク趣味が鉄道で、自分のオタク趣味がアイドルであること。
それに何より、彼に向ける性欲。それが私のそれとぴったり一致していた。
私もチンアナゴさんと同様、挿入と射精のない性行為に達成感のなさや苛立ちを感じていたし、
今日は立つかもしれないと期待させられてだめだった時のやるせなさを幾度と感じてきたか知れない。
また、私は彼との交際中に彼以外と性行為をしようとしたことはなかったが、チンアナゴさんが
友人男性と実際に行為をして感じた、「好きな彼に挿入されたい」という気持ち。それが痛いほど分った。
痛いほど、というと月並みな比喩表現になってしまう気がして、正確に私の気持ちを伝えられない気がしてあまり使いたくないのだが、本当に心が痛くなった。
私はいくつかの行を泣きながら、時に何か呻き声をあげながら、読んだ。
特に「夫は優しくて、私には過ぎた良い人で、大好きだ」という部分は、涙が止まらなかった。
そして本稿は、「だけどこれからもずっとこの生活が続くかと思うと真っ暗になる感覚がある。」という文で締めくくられる。
そこには、どうにかしたいがどうすることもできない、という悲哀と絶望が満ちているように思った(あくまで私が感じただけだが)。
私もまた、この悲哀と絶望を知っていた。
これまで私はこの悲哀と絶望が自分だけのものであるかのように錯覚していた。
何故なら、私の知る限り、このような感情を抱いている同じような人というのが全くいなかったからだ。
普通は恋人がいて長く付き合っているのであれば、セックスしているということは、当たり前であり、普通なのである。
5年付き合っている恋人がいると話すと、それだけで、性行為を前提としてその関係を捉えられてしまう。
聞かれることに適当に頷いておき、性行為を前提とした普通のカップルであることを装った。
せめて周囲が思い描いている姿くらいは、普通の、当たり前のようにセックスを伴う恋人同士であって欲しかった。
だから私の悲哀と絶望は、誰にも打ち明けられることはなく、私だけのものとして胸の奥に仕舞い込まれていたのだ。
おそらく、ネット上であれば、例えば知恵袋的なもので同様の相談が見つかるとは思った。
しかしそれを探すことはあえてしなかった。
本気で悩んでいたからこそ、インターネットの匿名性が生む、無責任な回答を見る気にはなれなかった。
例えば、誰かがある犯罪について自分の意見を増田か何かに書けば、同時にそれに意見する様々な意見・反論が生まれる。
ネット上に生まれる意見達はそれが賛同であれ反対であれ、切っ先が鋭い物が多いように思えて、恐ろしかった。
(それでは何故今こうしてこんな増田を書いているのか?と、鋭い意見に文字通り切り刻まれてしまいそうだが、
「もう仕舞い込みたくない」というたったそれだけである。この増田の行く末を私は一切見ないつもりだ。)
だからこそ、この「夫のちんぽが目覚めない女」に胸を打たれたのだ。
同じような気持ちを感じている、私とそう年も変わらず、同じオタクでもある彼女に共感せずにはいられなかった。
私は気付いた。
私の胸の内が完全に晴れなくとも、私と似たような経験をしている誰かが存在しているという事実、それがあるだけで、私は救われたような気持ちになれた。
誰かに相談すること、質問すること、それに対して意見をもらうこと、そして解決されること、そのどれもが絶対に必要なものではなかったのだ。
ネット上の掲示板や増田のように投書に対して必ず反論や意見を伴うという媒体ではなく、一つ一つ、一人一人のエピソードを紹介する形式のものだ。
それが、私を救った。感謝した。
きっとこの2000字程度の文章にこのエピソードがまとめられるまでに、チンアナゴさんは多大なエネルギーを要したのではないか。
「だけどこれからもずっとこの生活が続くかと思うと真っ暗になる感覚がある。」という最後の一文からも分るように、彼女の悲哀と絶望はまだ終わっていないのである。
過ぎ去った過去のことを思い出したり、自分の中で決着が着いたことを書くのであれば、そこまで負担は大きくない。
しかし、現在進行形の内容であれば、その主体である自分自身をある程度客観的に眺める必要がある。
それが、現在進行形であればあるほど、難しく、エネルギーが必要なはずだ。
自分主体の勝手な謝辞になって申し訳ないのだが、一先ず、そう言わせてもらいたい。
最後に私の話を少しだけする。
私がチンアナゴさんと決定的に違う点を挙げる。
それは、私がもう彼とは交際していない、という点だ。
先ほど書いた通り、「私には5年8ヶ月付き合っていたが、その交際の中で一度も本番行為をしたことがない彼氏がいた。」のだ。
今まで散々、共感できる、と言い続け、なのにオマエは別れとるんかい!と、自分でも思うし、少し後ろめたいがもう少し続ける。
別れは彼から告げられた。
彼の誕生日にビジネスホテルで1泊し、相変わらず本番行為もなく、プレゼントを渡した後、関東に戻る彼を
見送った後、ラインがきた。
ラインには、
私との付き合いに限界を感じていて、もうそろそろ手放して欲しい、私のことは好きだし
話をするのも楽しい、尊敬もしているが、付き合うという感じではなくなってしまった、
という旨のことが書いてあった。
そこには彼の、その誠実な人柄が表れていて、私はそれを読んで一人、部屋で号泣した。
ラインで良かったと思った。直接言われたり電話なんかだったら、きっと泣いて泣いて、何も言えなかっただろうから。
泣きながらでも、今までありがとう、元気でね、と返事が打てて本当に良かったと思う。
それがちょうど6日前の話だ。もう6日も経ったのかとも、まだ1週間も経っていないのかとも思う。
何はともあれ、彼にとって私は「付き合うという感じではなくなって」しまっていたのだ。
ものすごく平たく言ってしまうと、話すのは楽しいけどセックスは出来なくなってしまった、ということだった。
「付き合う」という言葉に唯一当てはまらなかったのはセックスをしなかったというその一点だけだったので、そう解釈して間違いはないだろう。
付き合っている間にそれを本人に確かめたわけではないが、もしEDであったなら、「付き合うという感じではなくなった」という表現にはならないはずだ。
だから「私が彼にとってセックスをする相手として選ばれなかった」というのが真実だったのだ。
事実、最初の2~3年くらいまでは彼が私に向ける性欲を感じていたし、私を前に立たせているのを何度も見たことがある。
しかし、お互い童貞と処女同士で何となく本番が上手くいかず、時間が経つにつれて、いつしか欲望を抱くのは私だけになっていた。
私は「この悲哀と絶望が自分だけのものであるかのように錯覚していた」と前述したように、それを自分の胸の内だけに押し込めてきた。
彼にそれをぶつけたことはなかった。
ぶつけてしまったら最後、誠実な彼はきっと私に真実を告げるだろうと、私達は一緒にいられなくなってしまうだろうと、そんな予感があったからだと思う。
だから私は性行為について、最後まで彼に自分の気持ちを述べたこともなければ、彼の気持ちを確かめたこともなかった。
もし、この本を夏コミの会場で手にしていたらどうだっただろう。
まだ彼と別れる前の自分が読んでいたら。
「事実」がハッキリと分かる前だったら、今よりももっと共感していたかもしれない。
しかしいずれにしても、「夫のちんぽが目覚めない女」は私を救ってくれた。
5年8ヶ月付き合った彼と別れた直後で、まだそれを全然受け止めきれず、整理のついていない私の心を救ってくれたのだ。
だからもう一度言う。
僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。
正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。
今年で96歳。
あと1年半ほど生きていれば、大正、昭和、平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。
10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。
年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。
これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。
最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。
しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。
だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。
それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。
しかし他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。
1年ほどは普通に過ごしていた。
車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。
僕の顔も名前も覚えていた。
でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしか分からないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。
祖母はしきりに
という旨の話をしていた。
僕は
と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。
僕はバカだった。
足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。
母だって、2人にしか分からない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。
次の帰省で会いに行った時、
残念ながら症状は進行していた。
僕の顔を見て、
正直、親戚の家に移った8年程前からは半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。
車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。
この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると
『タンスにお菓子が仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。
その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。
切なくて涙がこぼれた。
感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。
そして今回。
もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。
顔を合わせると、
『どちらさまですか』と言われた。
娘と孫だ。
前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。
その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。
『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。
中途半端な希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。
すこし話はズレるが、
一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。
でも、自分の娘だということはよく分かっていない。
僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。
そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。
理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので
心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。
こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、
寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。
子供の作文の締めくくりみたいになるけど、
やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。
先日、母親に「あんた、絶対私より先に死ぬよ…」と泣き怒られました。
察しのあまり良くない、気持ちだけで何とかかんとか年金受給できる年までやってきた母に、漸くお察し頂けたこと、努力した甲斐があったというものです。
省みれば、何事も長く続けることは出来ない、堪え性のない人間でしたが、生きることに関しては34年も続けることが出来ました。これは自分としてはなかなかに素晴らしい偉業と思えます。
その次に長く続いたことは、妻との生活であり、娘、息子との困難ながらも愛おしい日々を送ることであろうと思います。その次は学生生活かな。
何れにせよ、長く続けられた物事は何であれ善きこと、尊いこと、美しいことのように思えます。
ことここ10年は、自分にしては、望外の日々を送れました。有り難いことです。
しかし、そうした日々を今後も送り続けて良いものかと思案するに、それはないと思います。何事も終わりがあるものですし、あるべきでしょう。
子供らは恨むことでしょう。あるいは受け止められないかもしれません。さーせん。
妻のメンタルだけが少し心配ですが、まぁ、うまいことやってくれるでしょう。
取り急ぎ、仕舞支度を進めないといけません。一応これでも団信組めるくらいにはなりましたし、組んだ後、三年くらい経ちましたんで、そろそろ権利を執行しても良い頃合ではないでしょうか。
34年、よく頑張った。お疲れ様でした。
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
待ち合わせ場所の駅から外へ出ると雨が降っていたので「私の傘に一緒に入ってもいいですよ」と言うと「折り畳み傘持ってます」と言う。「折り畳み傘は仕舞うのが面倒臭いだろうから、私の傘に一緒に入りませんか?」と尋ねると「仕舞うの慣れてるから大丈夫ですよ」と断られた。若いのに素直に親切を受け取らない態度にもやっとする気持ちを抑えつつファミレスへと向かった。
しばらく会話をしていると、アニメ好きということがわかり、タブレットで彼女が好きだと言ったラブライブのOPを見せると、「あの、音が…ここではちょっと…」と。「ファミレスだから大丈夫。周囲の雑音で消えます」と言うと「え、消えてないと思いますけど。とにかく他のお客さんもいますし、やめときませんか?」と逆らわれ「なぜです?あなたが怒られるのが怖いだけでは?」と言うと「え?怒られるのが怖くなければ何をしてもいいと思ってるんですか?ちょっと配慮しましょうよ」だと。