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2013-07-04

からぼたもち?鴨がネギしょってきた?

やったー!

婚約した!

 

一年ちょっと前に、婚活するぞ!と周りの友達に宣言して、

実際に登録はしなかったもの結婚相談所見学に行ったり、

婚活サイトで知り合った人ととりあえずお茶でも、とお話してみたり、

上司がセッティングしてくれたり、色々してみた。

 

で、結果、ずっと地元グループで仲の良かった男友達から結婚を前提にしたお付き合いの申し込みをされて

(私が、結婚しない人とはお付き合いしたくないとずっとブーブー吹聴してたので)、

OKしたのが去年の夏。

 

最初は男友達恋愛関係にあるというのが自分の仲で不思議感覚で、

いちゃいちゃすることに抵抗があったり、なんやかんやあった。

でもやっぱり友達だったので、趣味も合うし、話も合う。

お互いの友人関係はほぼ繋がっているので、大勢で遊ぶ時も一緒だった。

 

で、この人となら楽しい家族になれそうだ、と思ったので、

婚約するに至りました。

 

婚活婚活行っていたときは、多少なりとも稼いでいる人を!と分相応にもギラついていたし、

スーツを着る仕事の人がいい!とかちょっとおしゃれで色々な遊びを知ってる人!とかお前何様だよという条件があったように思う。

彼は、顔も体も全然好みではない。

お金もそんなにない。

でも人のために泣けて、共感能力が高くて、意見が食い違ったらお互いに譲り合って妥協点を見つけられるし、

仕事には真面目だし、ゲーム漫画ももちろん同い年なのでネタが通じるから会話も楽しいし。

元々友達の時は、「いい子だなあ。いい女の子見つけてあげたいなあ」とお見合いおばちゃんよろしく思ったりしていた。

それが何を間違ったのか私に結婚前提でお付き合いを申し込んできた。

 

付き合って、今まで知らない部分や拘りも見えてきたけど、

何だか段々メリットと言うか旨味が出てきた。

こんなことばかり言ってるけど、ちゃんと彼のことは好きですよ。

女って、メロメロになってるときでもその自分俯瞰してる自分が「条件に見合ってるか?」とか何とか言ってたりするものだと思う。

ただ、夢見るばかりじゃいられないので、きちんと判断しないと、と思って出てきた、以下彼の結婚に向いているいいところ。

 

喫煙飲酒賭博しない。

小学校中学校が一緒で、共通の友だちが多くて話題が増える。

・共有できる趣味がある。

・読んできたものや観てきたもの年代的に同じなので、ネタが通じる。(これまでかなり年齢の離れている人とばかりお付き合いしていたので)

・男の人と行く買い物はつまらないもの(男の人がつまらなそうにしてる経験ばかりだった)だと思っていたが、何かすごい楽しい

・素直なので、この服着てほしいなというと着る。

・お互いの両親の感じが似ていて、経済的・家の格的にも同じくらいなこと。(下の中くらい)

・家の宗教が同じで、宗教に対するスタンスが同じなこと。

 (縁起を気にするだけで、拝んだりとかはしない。そもそも仏壇がない。私の周りは学会二世がとても多いが、うちも彼実家もただの仏教。)

・安いものでも楽しめる。贅沢や見栄を張ることが苦手。

・私はすぐパニックになる質であるのに対して。彼はいつも冷静を心がけてる。

 

一年ほど前、彼がご両親とマンション引っ越した。

ローンは彼の名義らしく、頭金も大分払ったらしい。家賃も入れている。

で、最近、新居をどこにしようかと悩んでいたところ、(私の家を立てなおしてマスオさんでもいいかという話も出ていた)

そのマンションを新居にしてもいいかな?とあちらのお母さんに話したらしい。

お父さんお母さんは市営住宅だか県営住宅だかに空きを探してもらって…と。

あちらのお母さんは二つ返事でいーよーと答え、なんか、とりあえず新居が決定した。

すごい。よく言った。

とりあえずあのマンションは立地が良い。

駅まで徒歩五分だし、近くに24時間営業スーパーがあるし、その中に百均もあるし、

大きめの公園が真横にあるし、バス停郵便局銀行も通っている病院も近い。

マンションのすぐ下には内科小児科が入っているから、この先子どもが出来ても公園に連れて行ったり病院に行ったりが凄く楽だ。

何より私の実家まで車で五分って、すごい。

小学校の学区内をちょっと移動するだけだ。

 

あと、家猫も付いてくる。彼が元から飼っているまだ若い猫だ。

実家でも猫を飼っていて、離れるのが寂しい気持ちが一気に新猫とったどー!とウキウキに変わった。

遊びに行っている現在、かなり噛まれているが実家の猫にも殺すか?な勢いで噛まれているので全然余裕だ。

なあに、かえって免疫がつく。

 

あと、彼は私が初めての彼女なので、誰とも比べられない。

元カノの方が良かったなあなんて比べられたらやっぱり悲しい。

 

ずっと在宅の仕事をしたかったのだが、とりあえず社会経験を積まねばと入った会社も、

辞めて専業主婦になってくれていいと言ってくれた。

稼ぎが少ないと詰られることがなければいいよ、と笑っていた。

貧乏でも、好きなことを在宅でさせてもらえるって本当にありがたい。

 ちょっと話は飛ぶが、私の母も専業主婦で、もちろん父への労いは欠かさない。いつでも一歩ひいて、父をうまくヨイショしている。

 サラリーマン川柳などで、妻と娘がお父さんを蔑ろにする句が多くあった。

 うちの家では絶対にありえないことだ。

 たぶん私は自分実家モデルに、彼をヨイショして快く働いてもらう。

 不安定な在宅の仕事を容認してもらう。

 もし子どもが生まれたら、私はその子らに、父親を尊敬できるように育てるだろう。)

 

たまたま好きになってもらえて、そしたらまるで誂えたかのように結婚に向いていた。

フィットしてた。

 

 

何を言いたいかって言うと…

あんなに婚活婚活言っていたのに、

しあわせはとっても身近に転がっていたのだねー、ということ。

自分の身の丈を知れば、程よい御縁があるものだ、ということ。

 

私は婚活市場から降りて、私ってこんなもんだよな、と思っていたら、

思ってもみなかったところから牡丹餅が落ちてきた。

鴨がネギしょってやってきた。

 

ただのしあわせ自慢でした。

2013-03-02

母にちょっと長めのメールを送った

まり無下に否定したくなかったんだけど、やっぱりちょっと

レイキ」についてちょっと検索してみて、「怪しい宗教のようなものではない」と言っていたけど、僕の印象はこれは宗教的なものだと思う。とくに、やたらと「由緒の正しさ」みたいなものを重視してる辺りが。

あと、「レイキはこんなに素晴らしい」という記述は多いけど、実践法についての解説がほとんど見つからない。これだと「レイキ」の部分を「波動」とか「宇宙エネルギー」とか「光の力」とか、任意言葉に入れ換えても同じような論理展開ができてしまうよ。

具体論について言えば、確かに、漢方中医学には「気」という概念がある。僕も、身体や心の変調を、色んな性質(陰とか陽とか五行説とか)を持った「気」が体の中を流れているという考え方でとらえるのはそれなりの合理性があると思ってる。

でもこれは、あくまで体の中で起きていることの理解で、「気を送る」みたいに、体の外側とのやり取りについては何も言ってないんですよ。実際、漢方中医学でも、上で述べた「体の中を流れる気のコントロール」(内気功と呼ばれる)は認めているけど、「気を体の外とやり取りすること」(外気功という)は明確に否定してる。

僕はお母さんがセミナーで実際に体験したことまでは否定するつもりはないよ。それは確かにお母さんにとって実際に起きたことで、どんな理屈を述べても否定することはできない。

でもね、人間の心と身体の関係って面白くって、「科学で説明できない何か」を使わなくても、色んなやり方で、身体のコントロールができたりするんですよ。自己催眠とかやったことがあればわかるかも知れないけど、催眠状態で暗示を受けることで、体温が上がったように感じたり、眠くなったり、外から力をかけられているように感じたりするっていうことは普通に起きる。他にも、手のひらの温度をサーモグラフィで見ながら訓練することで、自分の意思で手のひらの温度を数度とかのレベルコントロールできるようになったりする(ニューロ(神経)フィードバックって呼ばれてる)。

から逆に、そういうすべに長けたひとの指導を受けたり、心が強い影響を受けやす環境におかれたり(暗い部屋でお香を炊いたりとか、集団でお経を唱えたりとか、ね)すると、不思議な体験って結構簡単にできちゃったりするんですよ。

勿論、それをどう解釈するかは本人次第だし、自分の心持ちをコントロールしていい状態に持っていくために積極的に利用するのはアリだと思うよ。でも、仏教キリスト教みたいに広く人口に膾炙して、色んな歴史を経てきた宗教とかと違って、「レイキ」みたいな新しい考え方っていうのはアンバランスな部分が十分に削ぎ落とされてないから、ハマったとき危険なことになりやすい。

伝統的な宗教(特に仏教とかね)が即物的な利益を否定していることが多いのは、そういう方向に流れると結局破綻することにつながりやすいから。

特に自分の身心が不安定になったとき(家族が大きな病気にかかったり、身近な人の不幸に遭遇したり)っていうのは、上で書いた「心が強い影響を受けやすい」状態になっているから、なおのことそういう不思議体験に引っかかるリスクが高くなってる。(だから本当は、普段からより「安全な」宗教実践して、心のトレーニングを積んでおくことが重要なの)

色々不安になることが多くて、心の拠り所が欲しくなるっていうのは誰にでもあることだし、それは全然悪いことじゃないよ。でもだからこそ、そういう心のスキマには色んなモノが入り込んできやすいから、気を付けないといけない。

これは最近読んだ本の受け売りだけど、例えば毎日仏壇の前で手を合わせるときに、自分の心について内省してみて、何が自分にとって大事なことなのか、何が自分の身近な人達にとって大事なことなのか、どうして自分不安なのか、どういう巡り合わせで今の自分存在するのか、そういことに考えを巡らしてみるってのもいいと思うよ。

長くなったけどとりあえずこんなところで。あまり協力する方向にいけなくてごめんなさい。

2013-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20130122131752

家系図なんかなくても仏壇墓参りは行くよ。

知っている人(妻の祖母)も同じ仏壇と墓に入っていることもわかった。

これからは心の底から祈る(?)ことにしようと思う。

今までは、見知らぬ人に対して何で?っと思っていたからお参りは避けていたのだ。

このへんの考え方がちょっとやっぱりヘンというか、発達障害っぽい自分ルールへのこだわりの匂いがするよ。

 

のんのん様っていうのも、そんなに珍しい言葉じゃないしね。

 

仏のことを子供言葉で「ノンノン様、ノンノさん」もしくは「マンマンさん、マンマ... - Yahoo!知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1154691286

2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

 元増田さんに上手く答えられるか分からないけれど、書いてみる。

 依存症治療の会合、アルコホーリクス・アノニマス手法を書いた本「ビッグ・ブック」の中に神を信じること、っていうのが出てくるらしい。

 元々がアメリカからでてきた治療法だから、多くはプロテスタント的発想なんだろうけれね。

 そもそもの依存症って例えばアルコール依存症にしても仕事依存症にしても、問題はアルコールを飲むことや仕事に重きを置くことにあるのではない。問題は大事な人(家族や友人)に向き合わなければならないときに、アルコール仕事や買い物に逃避して向き合わず人間関係を壊していってしまうことにあるのね。

 (ここ、重要)。それを前提として読んで欲しいんだけど。

 ビッグ・ブックを読んでいる看護師さんと話していて、ここにある神っていうのは、別にキリスト教である必要はまったくなくて、

人間を越えた存在、親よりももっと上の存在

に許し、受け入れられる、っていうことが、心の安らぎに通じている、ってことなんだなって分かってきた。

 無心論者であっても、「超越者」に「私は生きて呼吸することそのものが、祝福されたことなんだ」と認められていることが、がけっぷちに立たされた状態では、必須で、これがないと人は生きていられない。

 私に立ち返ると、父親は仏教徒で、母親根底はシントーイスト。私は仏教って哲学であって宗教ではないと思っているから、仏壇はあるけれど、宗教的な観点神道にあるという、古い日本の一部ご家庭の状況。

 神道っていっても、自然神的なものを「人知の及ばぬ、わたしの上位のもの」だと感じる程度です。

 そんな状態だった私は、幼稚園くらいのころ、桜の花びらが散っているのを見て、

妖精さんだ!」

と思い、それが創ではないと分かってからも、花びらや雪や、さらには汚れた水の中でもわもわと沸き立つごみや土ぼこりを見るたびに

「だからそれが、神とか天使とか妖精かいものだ」

と感じています

 あれ(神様的なもの)は、目を凝らすと周囲にふりそそぎ、ただにこやかにこちらを見ているもので、こっちのことを好きだけれど何の力も無く、ただいるだけのもの

 小説沈黙」や「レ・ミゼラブル」みたいな情熱的な信仰心ではないけれど、家族の死や苦しさの局面に至ったときに、

「それでも神は降り注ぐ、何の力も無いまま、それでも私たちを愛している」

というのが根底にあるだけで、不思議な立ち直りの力が沸いてくるのです。

 多分それが信仰の原型みたいなもので、それは無心論者であっても必要だろうし、持てるんじゃないかなぁ。

 数億分の1だかの確立地球生命が発生した奇跡を、成し遂げた神は無心論者が否定することが出来たとしても、惨事を見つめるだけの無力な神は否定できないんじゃないかと。

 そして無力な神であっても、「わたくし」の生命をことほいでくれているとしたら、それは力の源になると思うんです。

 んで、アルカホリック(というか依存症全体)の、壊れた人間関係に立ち返ると、

「誰かに容認されない自分

のまま、他人に向き合うことはむずかしいこと、らしいのね。

 誰か(上位の、人間のもの存在することを容認できるくらいの存在)に存在を容認された状態でないと、人は人に対峙できない。

 元増田さんの腹が割れないってのは、だから多分その感覚なんじゃないでしょうか。

 他の方が書いているように、それについて鈍感な人や、日本人が持っている古い神や「ひととひとがよりそって人っていう字」っていう感覚を知らず知らずのうちに身につけている人にとっては、

元増田の悩みは宗教ではない」、と言っちゃうけれど、私から見ると宗教っていうか「宗教っていうか、それ以前の、なんだかわかんないものが、私が生きていることそのものを許してるってことを感じられない苦しみ」なんだろうなぁって思います

 感じるのは変なことじゃないし、恥ずべきことでも中学生でもないと思います

 むしろ人生の危機的状況に至る前に、それに気づいていたほうが、対処に悩まないからいいことだと思います。今後宗教を持つかどうかは別として。

2013-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20130106181518

そうなんだよな。

自分の祖父は満州戦死したんだが、父親は「大陸の人たちをさんざん殺した人間を弔うことなどできない」と言って

祖父の写真仏壇、墓、形見、すべてを撤去し捨てた。

仏壇があった場所には、代わりに南京虐殺慰霊碑の写真が飾ってある。

自分も父親を見習い、一生をかけて償いに尽くしていきたいと思う。

2012-09-18

ちょっと叫ばせてね

身内びいきとかあります認めます。が、奴は善人です。

それがなんで、先週の初見今日の宣告でいきなり(対処療法なら)年内いっぱいとか

言われなきゃならねえんでしょか。

いやもう即抗癌剤希望しましたよ、しましたけどね。

から心臓出そうになりましたよ。

ふざけんな、どんな展開だよ。

ものっそい贔屓目で見てるけど、善人だよあの人。

おとつい実家仏壇睨みつけて、まだそっちいかせへんて言うた。

じいちゃんとばあちゃんに、そっちから押してくれって頼んだわ。

善人だよあの人。なんでだよ畜生

娘の私より善人なんだって、まじで。

頼んます抗癌剤、頼んます

2012-08-20

 先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。

 

 祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。

 祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家帰省していたわけだが、態々そのような古臭いまりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである

 長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。

 私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。

 

 生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。

 大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。

 終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役最中肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後結核治療確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店経営にも難渋した。

 祖母は、看護学校卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。

 その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格ナース天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。

 しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。

 

 祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである

 何とか就職が決まり自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家一人暮らしを再開していた。

 唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。

 墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。

 帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。

 「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」

 私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。

 その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。


 以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。

 近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまりからなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。


 通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊ときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。

 私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。


 おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。

 貴方は心から尊敬できる、偉大な女性でした。どうか、天国でも安らかに。

2012-07-24

父親に信仰がありました

彼氏創価でした

http://anond.hatelabo.jp/20120724021819

これ読んで、似たようなケースだなあと思って。

増田より長い文章を書いてしまった。

俺の父親は創価ではないけど、信仰している新興宗教がある。

母親(含め俺にも)は信仰はない。

というのも、結婚して10年目くらいで父親が信仰に目覚めてしまたから。

後だしジャンケンだ。だから俺の家族は強制的に泥試合に参加しなくてはいけなかった。

増田が今の彼と結婚した場合の家庭像に少しは近いかと思うんで、参考までに。

創価学会信仰の特徴は2ちゃんなどで得た知識なので、違ったらごめん)

"恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません"

本文で言ってる通り、日常に支障はあまりない。

信仰内面的なものからね。問題なのは逆の外面的な場面。

まり世間体だ。日本は(世界知らんけど)見えない空気感と戦わなくちゃいけない。

それが読めないと苛められちゃったりする。

日本新興宗教信仰があることは、あまり良い評判にはならないだろうな。

そこでキーワードは「世間体を守る」ことだ。

これで何とかやってけるのではないかと思った。

世間体を守りきれるかどうか

両家の家族間の問題はクローズドに行われるので、まあ頑張り次第(彼氏宗教観迷惑をかけない、彼女宗教観を乗り越えられると説得)

で何とかなるんじゃないか。血のつながった家族から、そこまで無下にはされないだろう。

問題なのは所属するコミュニティ

友達職場ママ友、これに尽きる。バレたら裏でチクチクとバカにされる。

仲間が寄ってくるかもしれないけどw あまり良い事はないはず。

最近若い人は信仰がどうってことは問われないんで、

選挙の時期に創価友達から電話がくるよね」みたいなエピソードを「あるある〜まじキモいよね〜w」と軽く受け流せれば支障はないはず。

家に遊びに来られたら必ず、聖教新聞は他の部屋にぶち込んで、「旦那ゴルフに行ってて家にいない。」と言いきろう。

子供への影響

俺は父親が信仰をまったく押し付けなかったのが救い。これは父親のスタンスで大きく変わる。

思春期を迎えると父親の部屋に隠されたエロ本よりも、本棚に堂々と置かれた「人間革命」の方が如何わしい存在に思えてくる。

友達を家に呼んだ時に仏壇等見られるのが怖く、家に呼べない最悪なフラストレーション。堂々としたい、世間から認められたい、と強く思うだろうな。

そんな父親を責めた時に、母親が父親に加担するようなことがあろうものなら、グレる可能性もある。

しかし、そういった青春を送った子供は「人からどう見られるか」能力が秀でるので、他人の痛みも痛いほど感じれるようになり、他人に優しくなるという反作用もあったりする。

ここで増田のために、こんな駄文を書くバカ息子が生まれるってわけ。

正常な反応

本文でちょっと気になったところ。

”いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けた”

"そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、

私はこの先も共感できないことです。"

俺は父親の事が理解できません。血のつながっている相手でもわかりあえない。というか、もうあきらめましたわ。

結婚相手には血のつながっている家族以上に、多くをわかりあえる存在でありたいと思うもの

ただ、聞いた時に受け入れられなかったのは母性本能に近い感覚じゃないかな?

「この人と一緒になった時に、超えなくてはならないハードルがたくさんある」

本能的に直感的に判断したのだと思う。

それをパートナーへの愛が強い弱いの話に置き換えるのは、はき違えもいいとこ。

この部分は間違いなく自分を責めなくて良い。それを増田に伝えたくてこの文章を書いてる。

はみ出すという生き方

こっからは、どれくらいのバランスを取るかって話。0か100か真ん中かってこと。

・隠し通す

恐らく「創価学会です」とオープンにして世間の見る目が劇的に良くなる、という日は訪れないだろう。

そんな時代に、リスクを取らずに生きて行くなら上に書いたみたいに隠しながら生きていくということかな。

夫婦共に精神的にストレスが溜まると思うけど。

オープンにする

恥ずかしい事と一切思わずオープンにする。そして世間の目から鈍感になる、ということ。

裏で何言われたって良いでしょう。死にはしません。

後ろめたいと思っている彼は、そんな増田のがんばりを見てキュンキュンちゃうはず。

ちょっと現実的過ぎるけどね。

ちょっとはみ出す

これはバランス感覚の問題。俺の家はこれに近い。

母親は「もうあの人はしょうがない」と腹をくくって、「旦那趣味宗教」みたいな形で仲間内では言ってるらしい。すげえ。

まりコミュニティサイドに立つということ。

可哀想な奥さんを演じることで、周りを味方につける。

ただ、父親の前では彼をバカにしない。よくわかんないめんどくさい話も聞いてあげる。

世間体を少し変わった角度から保ちつつ、旦那プライドも保つ。

これは、皆があまり傷つかない。

パートナー盲目場合は、もう1人がバランスを取ってあげる、ということ。

その覚悟をしてまで、相手を想う気持ちがあるのであれば、ちょっとはみ出す人生も良いんではないだろうか。

具体的にイメージしよう

宗教観は今回の彼のように長い時間をかけて創られている場合、動きません。

それは増田が言っても、上戸彩懇願しても、成瀬心美キス我慢選手権を開催しても、絶対動きません。

俺も無宗教だけど、信仰を持つ人の異常さに気持ち悪さを感じる一方、自分が正常だと信じれるものだって何も無いとつくづく思う。

何となく働いて結婚して子供育てて幸せ人生終える、そんなことを目指してる。

でも、それだってマスコミが作り上げた資本主義が円滑に回るための、家庭像なだけだ。

からそんな(普通の)奴らが目を覚ましなさい!って言っても、お前ら本当に目を覚ました状態なのか?って向こうの(信仰心がある)奴らは思ってる訳だ。

見ている世界が違うんだよな。

今回の増田の文章を読んでいると動揺もあるようだけど、好きな人と楽しく暮らしたいっていうような「普通志向」があるかと思う。

見ている世界を同じにして、幸せを感じようとしている。

その考え方だと、あまりオススメできないかな。厳しいようだけど。

彼自身が「少しでも宗教観を分かち合いたい」と考えてるようなら、増田人間革命ブックオフ100円で買って読まなきゃいけない。

それがきっと、彼にとっても幸せなことだと思う。

から、0か100か真ん中か。

彼がどう考えてるか聞いてみたらどうだろうか。

どんな生き方をしたいか(その人生創価がどう関わってくるのか)具体的なケースを聞いてみたらどうだろう。

今は感覚値だから増田が嫌だなあ、と思う具体的な事例を想像してみよう。

昔の友達に話すのは、いける?

婦人会とかのイベントに参加するのは嫌だとか(主催者側の彼が嫁を参加させなくても平気なのか)。

仏壇は隠れた所に置かせてもらう(来客時は布かけるとか。できんのかw?)とか。

それで、増田が乗り越えられそうなら、考える。彼が求めるレベルとすり合せる。

無理なら、マスコミが作り上げた「クレヨンしんちゃん一家」みたいな普通の家庭を築けそうな人を、探せば良い。

どっちかが無理していることって、辛いからね。

さいごに

俺はどんな宗教でも信じてる人は、基本的にピュアでいい人なんだろうなと思ってる。(金儲けとかに使う側以外の人ね)

前述の通り、今の日本ではそんな人達は、みんな肩身が狭いのかなと思ってる。

からこそ、増田には無理して欲しくないし、増田の彼にも幸せになって欲しい。

何となく生きてる我々が、宗教を小バカにするのは良い。俺もキモいと思ってるし。

だけど、自分の信じてるモノの崇高さを語れるのか?って話。

この文章を読んだ人は、相変わらず宗教キモいな、って思っててもらっていいんだけど。

ちょっとでも視点を変えて、優しい目で信仰している人々を見てくれることを祈る。(決して信仰しろとは言ってない)


人に害を与えなくて、小さなコミュニティでやってる分には宗教って精神的には良さそうなもんだと思うんだけどね。(でもやっぱすげー気持ち悪いとも思うんだけど。)

でも今回のとこは政治とか企業まで関与してたりするからちょっと別問題か。話でかすぎてもうわかんないや。


おっと俺が怪しい宗教家みたいになってきちゃったぜ。


やばい、これ帰り道にブックオフ革命起こしちゃうかもw

寄り道しないで、家帰ってここみんのDVDでも見よう!

こんな怠惰人生でゴメンなさい神様。信じてないけど。

彼氏創価でした

付き合って5か月、なかなか部屋に呼んでくれないな、と思っていたら、カミングアウトされました。

その時はリベラル気取って、差別しないし気にしないと伝えたけど、やっぱり難しいです。

私はどうしたらいいのでしょう。




仕事で知り合った彼は4歳年上で、とても優しい人です。

温厚で、めったに声を荒げないし、落ち着いていて考え方もスマート

興味も幅広く、いつもいろいろな話をして私を楽しませてくれます

ドキドキする感じはそんなにないけど、一緒にいると落ち着くし、私のことを理解してくれる、まさに将来の旦那さんにするには最適な人です。


から告白されて、とてもゆっくりだけど距離が近づいて、だんだん好きになっているのを感じていました。

出身地家族仕事友達の話、趣味、興味、それから少し将来の話をすることもあります

でも、大学のことについては詳しく聞いていませんでした。

それでも私は彼氏学歴とかは気にしないし、あえて大学名を聞くのもおかしいと思っていたんです。



彼の家は、おばあちゃん、お母さんも創価学会員で彼は立派な3世。創価大学卒の“エリート”でした。

独り暮らしの部屋には仏壇があって、毎朝聖教新聞が届きます

毎週とか、月に一回とか地域で集まりがあって、詳しくはわからないけど彼はその集まりの中で、どちらかといえば主催者側の立場にいるようです。


5か月も黙っていた理由として、彼は本当のことを言って、私が離れていくのが怖かったと言っていました。

きっと小さいときからずっと創価学会で、もちろん大人になってからも、いやな思いをしたことがたくさんあったんだろうと思います

それでも、はじめて彼から伝えられたときは、「私はだまされていたのか」と思い、とても悲しかったです。



もちろん彼は、絶対勧誘はしてきません。

それどころか普段は一切そういう信仰や、考え方について話をしません。

あらゆる考え方について尊重してくれるし、私の考え方にも理解を示してくれます


私自身はといえば、自称国際人として、国、人種、そして宗教などで人を差別することはもっとも愚かだと考えて生きてきました。

それぞれの違いを尊重して共存できると信じていたのに、いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けたのかもしれません。



恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません。

まりの予定より先に入っているデート約束は、優先してくれるし、観光地としての神社やお寺にも、一緒にお参りに行くことができます

でも、彼は私と家族になることを望んでくれていて、私は創価学会の人と家族になる自信がありません。


たとえそうじゃなくても、創価の人と結婚したら、私も創価だと思われるんじゃないか子供が生まれたらどうなるのか。子供が大きくなったら、彼の信仰についてどう伝えればいいのか…。

そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、私はこの先も共感できないことです。



気持ちを正直に伝えれば、彼は私といることを選択するために、創価をやめてくれるんじゃないかと思っていました。

それくらい愛されていると感じていたのです。

でもそんなのは甘い考えだということも、私は知りませんでした。


私はどうすればいいでしょうか。

彼は創価をやめてくれる可能性はありますか?

夫婦で、夫だけ創価学会員ということは成り立つのでしょうか。

2012-07-22

くさくさくさくさくさくさくさくさ、坂井テルヒーサwww♪

くさくさくさくさくさくさくさくさ、坂井テルヒーサwww♪

お前はくさくさいつでもくさくさ♪ドブのような♪ウンコのような♪

そんなお前はテルヒーサ♪www生活保護暮らしてる♪趣味2ちゃん、荒らすこと♪

毎日発狂、常に発狂人生発狂♪ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(坂井輝久のシャウト)

バンバンバンバンキーボード叩く音)カタカタカタカタカタカタカタカタ(タイピング音)バンバンバンバン・カタカタカタカタカタカタカタカタ

ギャアアアアアアアアアアア・バン・ギャアアアアアアアアアアア・バン

ギャアバン・ギャアバン・v;dふいえあん;えつbhん;rgんb;あん:おrj(声にならない大発狂

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(断末魔シャウト)

そして一日終わる~…チ~ン(仏壇においてあるアレの音)

2012-02-20

ささやか文化継承

毎月一回お寺のお坊さんに数千円払って仏壇にお経をあげて貰うのが家の代々伝わる先祖祭り

前日にはお菓子果物や花を買ってきて飾って、終わったら仏壇から下げて食べる

お花を飾っていたら、昔お花を習っていた母が、一番大きい花が顔を向けるように

小さい花は大きい花の茎よりも短く切るとか水に浸かる部分の葉から腐りやすいからこの部分は取る

と教えて貰った

日本の伝統文化といえば今まで陶器しか興味なかったのだけれども、お花もいいなあと思い始めた

玄関には常にどこかのスーパー花屋で買った花や何かの植物が飾られているけど

できたら自分で工夫してもっと綺麗に飾りたい

後でフラワー動画ようつべニコニコ動画で探してみようかな

2012-01-29

法事の準備が終わって今やっと朝ごはん食べてる

○○回忌とかェ 家族総出で昨日から大掃除

とにかく人を家に集めるとなるとお坊さんへのお布施や親戚に出すオードブル 

仏壇に飾るお花以外にもいろいろお金がかかるのでたいへん

何にお金がかかるかというと普段は見落としていた部屋のメンテナンス代だ

畳・襖・こたつ布団・こたつカバーカーテン

特に馬鹿でかくて重い高級コタツを親戚から貰ってしまったので、サイズが大きい分

コタツ布団代がめちゃかかる

人を家に招く以上見苦しい状態にしておくことはできないしあのコタツ

くれた親戚が来るから置いておかなくては

家族の一人がほぼ寝たきりで室内間移動がやっとだから外で出来ない

疲れた法事の前に10時になって店が開いたらグージェル買いに出よう

せっかくの日曜で天気もいいのに、今日は一日法事かぁ

2011-12-22

手取り16万云々

http://anond.hatelabo.jp/20091220012905

http://anond.hatelabo.jp/20111222192930

ども、元ネタ増田です。正論ありがとう

家計を診断する」

まさに正論ですね。

でも私は家計診断とか面倒なことせずに自然貯金たかったのです。

あと「家賃5万」は方法を伝えやすくするために

決めたものなので、額自体は問題じゃないです。

目標のない節約ほど不毛ものはない」

この論はたまにみますけど「貯金趣味」なんて人もいるわけですし

目標なしはべつだん否定されるものでもないんじゃないでしょうか。

自動積み立て

最強なのは同意見です。元ネタ最後にも言い訳程度に書いてます

でも、自動積立の口座って、解約が結構面倒なんですよね。

急にお金が必要になったとき心配です。

平日に印鑑と通帳を持って窓口まで来いとか...

あ、ネット銀行ならすぐに解約できるか。

自動積立てのデメリット

自動積立てだと、残ったお金をぜんぶ使ってしまいがち。

給与受け取り口座から毎月○○万円を別銀行Aに自動振り込みして

「毎月A銀行にある○○万円以内で生活する」と決めておけば

振込から残った金額がある種の自動積立てっぽくなります

給与受け取り口座のカードと通帳は金庫に入れて鍵は仏壇しまっとけ。

この方法だと、将来収入が上がっても、生活レベルをあげてしまわず

貯金を増加スピードをあげることができます。一度あがってしまった

生活レベルを落とすのは難しいです。小室哲哉氏がいい例です。

クレジットカードのこと

クレジットカード持つと気が大きくなる人がいるか

持っても使わないことをお勧めしたいです。あくまでもインフラ

引き落とし払い専用で。クレジットカードのかわりはVISAビットで十分です。

VISAビットについてはぐぐれ。

元ネタから2年が過ぎて

元ネタは2年も前のネタなので、だいぶ今の銀行事情とは違うところがあります

たとえば楽天銀行(イーバンク)は給与受け取りしないと無料振込権がもらえません。

あと、いまなら生活費口座とVISAビット口座は一本化できます

元記ネタでは生活費はATM24時間無制限無料新生銀行orみずほ銀行を使い

VISAビットスルガ銀行ANA支店を使っていました。

しかし今なら、スルガ銀行ダイレクトバンク支店おすすめ

VISAビットはもちろん使えるし、コンビニATMも何回でも24時間無料です。※

※条件あり。いちばん簡単な条件はSBI証券の即時入金サービスを登録すること。

 面倒くさいけど、無料だし、むしろキャッシュバックキャンペーンとかやってるし

 SBI証券の口座もつくりましょう。でもFXも株もやらないこと!

 即時入金サービスを登録したら、SBI証券ログインアカウント/パスワードも金庫に入れとけ!

2011-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20111124054436

私もどちらかと言えば冷めた目で読んでた。

まりに綺麗な言葉で修飾されすぎてて

亡くなった人のことも知らなかったか

フィクションかと思ったくらい。

でも、検索してみたら色々出てきちゃって

自作仏壇なんてのも公開してるし、

自己陶酔なのか自己憐憫なのか

ちょっと理解できない感覚ではあるけど、

逆にそういうのに浸ることで

悲しいことからの逃避をしてるのかもしれないと思い直したよ。

2011-07-28

拝啓お母様

私に殺されると知らず、幸せに孫に囲まれた老後を楽しんでいるでしょう。

娘が35年間地獄の苦しみから抜け出せずにいるとも知らないでね。

私はアスペルガーという奴で、これに関して母親を責めるつもりはない。

責めたいのは、産んだこと。姑(ばばあ)の圧力を感じながら、「女の子がほしい」という軽薄な理由で出産したこと。

その子供先天的に障害?で日大病院軟禁された時に、搾乳をせざるを得なかったと恨みがましく語られたこと。

「どこかおかしい」子供の行いで他者と軋轢が起きたら、すべて「普通の子と同じにできないあなたが悪い」。

草加(笑)の仏壇の線香が、芸術的な美しさでくず折れていたので、これに触ったらどうなるんだろう、と好奇心が湧いた。

当然灰は崩れた。あの人は何も聞かずに私を怒った。

上級生が私の帽子を取って、通学路を外れても、あの人はとにかく私が悪い。

あの人は私に敷いた悪逆無道な暴言をすっかり忘れていた。

自分はいかにいい子育てをしたかしか脳内にない。

発達障害の診断のため、会わざるを得ない。

あの女を殺さないでいられる自信がない。

2011-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20110604225701

友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。

将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。

そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。

うちは手かざし系何だけど、これすごくよくわかる。

家で遊んでいるときに、友達手かざし始めたときはほんと・・・。

家に友達呼べない、恋人を紹介したくない。

いくら関係ないといっても、向こうはどう見ているかからないし。

親が死ぬまで続くかと思うとめまいがする。

http://anond.hatelabo.jp/20110604225701

人間関係って多かれ少なかれ、価値観の違いは乗り越えないといけないものじゃん。

結婚した相手がまたぜんぜん別の宗教にのめり込んだりしたら、嫌いになるわけなのかな?

友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。

将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。

そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。

他人にどう思われるんだろうなんて悩みは、その程度の悩みだと思うよ。

大嫌いなところも、大好きなところもあるけど、それでも一緒にいたい、結婚したい、友達でいたいっていうもんでしょ。

2011-02-07

創価学会」を叩かれると非常に哀しい気持ちになる

物心ついた時から「勤行」「御本尊様」「座談会(俺の地域では学会員10人程度集まって、信心して良かった事を言い合ったり、お菓子を食べて世間話をしていた)」「勝利(「目標の達成」の意味しい)」というような言葉が溢れていた。
 北海道新聞に加えて聖教新聞公明新聞もとっていたし、それが普通だと思っていた。
 母親学会員、父親は無宗教。俺は「創価2世」だった。

小学校ぐらいで創価学会というものを理解し、宗教団体であること、池田先生がトップであること、戸田先生、牧口先生という人物がいたことも理解した
 俺は純粋だったので……というか「こういう環境」で育ったせいもあるが、創価学会というものに何の疑いも持たなかった。
 周囲の婦人部(おばさんの学会員を総じてこう呼ぶ)の人達青年部青年男女の学会員を総じてこう呼ぶ)のお兄さんたちはとっても親切で優しくて、母親にくっついて座談会に来ている俺を可愛がってくれた。
 ある時、俺が「俺は学会に入らなきゃだめなの?」と座談会で発言したことがあった。
 みんなは「それは〇〇ちゃんが決める事だよ、お母さんが学会員からって無理して入らなくてもいい」と言い、また、
 「入っても入らなくても、みんな〇〇ちゃんの事が大好きだよ」とも言った。
 俺は創価学会の人が大好きだった。

中学の頃、ネット創価学会の悪い噂を知った。それは多分、噂じゃなくて真実で、実際創価学会は悪い。
 被害者の書き込みを目にする度に、申し訳ない気分になったし、創価学会の親を持った事、創価学会の知り合いがいる事が恥ずかしくなった。
 思春期だったことも手伝って、座談会にも行かなくなったし、仏壇の前で手を合わせることも無くなった。もともと創価学会に入信してはいなかったので、フェードアウトは簡単だった。
 近所で学会員の知り合いにあっても無視をしたし、母親創価学会ダメだ、ネットにこう書いてあった、と力説し、「もう創価学会には関わりたくない」と告げた。母親は、〇〇が決めたことなら、とだけ言った。

今俺はフリーターをしている。専門を出た後会社に勤めたが、劣悪な労働環境精神を病んで退職した
 バイト先と実家の往復で、だらだらと日々を浪費していると死にたくなる。妹は東京に行き、それなりの大学勉強している。引け目はあるし、定職に就きたくないわけではない。ちょっと人生を休んでいるだけだ(と思いたい)。
 最近外に出て散歩をする事が多い。近所を歩くと馴染みの婦人部の人に会うことがある。
 「今日はお休みなの?」とか「仕事はどうしたの?」とか、そんなことは訊いてこない。世間話をするだけだ。それと、昔の話。

俺は今まで、ただの一度も、創価学会の勧誘を受けたことはない。嫌がらせも受けたことはないし学会員の息子だからかも知れないが)、周囲の学会員はいい人ばかりだ。
 青年部のお兄さんは飲みに連れて行ってくれて、病気の俺を「大丈夫だ、なんとかなる」と励ましてくれる。婦人部のおばさんは会うたびに手作りお菓子をくれたりする。
 「学会員じゃないのに」と俺が言うと、みんな「学会員じゃなくても〇〇くんが大切なんだよ」と言う。

創価学会」ってなんだ? 一部の学会員が迷惑な事をして、創価学会は叩かれる。
 俺は創価学会が嫌いだ。調べれば調べるほど最悪だし、正直自分がそんな目にあったらと思うとぞっとする。だけど、少なくとも俺の周りの創価学会員はそんな事をする人たちじゃない。
 気を配りあって、助けあって生きているし、彼らはそれを信じている。俺が環境に恵まれていたのかも知れない。もしくは、俺が洗脳されているのかも。
 創価学会を一纏めにして叩かれると哀しい気持ちになる。仕方ない事なのだと思うし彼らは実際迷惑なんだと思う。
 だけど俺は、小さい頃頭を撫でて遊んでくれたおばさんに、たとえネット越しでも「草加市ね」とは言えない。

別に、おいお前ら、創価学会員にはいい人もいるんだから叩くのはやめようぜ、とか言いたいわけでもないんだけど。うーん。なんだかなー。モヤモヤ

2010-11-05

100円ライター来年9月から販売規制

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101105-00000074-jij-soci

こういうのって、今まで製造していた人たちはどうなるんだろうね

観光地のお土産屋にいくと、大抵売ってるけどさ

業者の生活補填とかするのかな。。。。

あと、うちはタバコ吸うやつがいないので、ライターはない

仏壇マッチがあるが、引き出しにしまってある

子供の手が届くところに5個も6個もライター置いてある家庭ってどんな家庭なんだろ

ライターによる子ども火遊び事故が多発しているとして」って書いてあるけど、今までの事故はどういう家庭、どういう状況でおきたのか統計取ったのかな

危険だから禁止とか記事になってるけど、消費経済審議会が出した回答には理論だてた説明が書いてあったんだろうか。。。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

転送歓迎■ H20.07.13 ■ 38,373 Copies ■ 2,891,505 Views■

無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-09-05

宗教に入りたい

誰から強烈に誘われたということでもなく、ただすがりたい気持ちが強くなっていて今はクリスチャンになりたいものだと思っています。

中2病真っ盛りの頃には田中芳樹にはまっていて思い出すだに恥ずかしいんだけど唯一神信仰=他の宗教の人を殺してもいい野蛮な人たち!キリスト教イスラム教だめ!なんて本気で思っていました。

実家仏壇に山盛りにしたご飯をあげる系の仏教ですがそんなに信仰深くはないと思う。

ただ、こんなあやふやな心意気でも大丈夫なのかなたとえば近所の教会にいきなりアポなしで仲介者なしで行ってもいいもんでしょうか。

布教の人というのは興味ないときにはいるけれどあるときにはなかなか出合えないもんですね。

2010-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20100820025323

8月13日は、お迎えの日。日本人なら誰でも知ってる。そんな日に遊んでいる連中にはご先祖様がいないのだろうか。

祖霊信仰日本を形作って来た文化の一つだけれども、基本的にはただの民俗信仰の一つだし、そもそも弔い方なんか家によって違うだろ。本家に集まって酒盛りするのがお決まりの家もあれば、仏壇にろうそくともして済ます家もあるし、あるいは表向きは何にもしない家もあるだろう。

それを○○するものだとか全国的規模で画一的に決めつけなんかするもんじゃない。民俗信仰のあり方としておかしい。

8月15日は、終戦記念日日本人なら誰でも知ってる。そんな日に遊んでいる連中にはご先祖様がいないのだろうか。

いや普通8月15日お盆メインの日だから。終戦の日とかさんざんテレビ新聞学校でやってるからたまたまみんな知ってるだけで、民俗的にはお盆のほうが遥かに重要

終戦の日なんて本来、直接の遺族以外には何の関係もない話だよ。現政府政治領域の話で、どうするのが正しいなんてのは存在しない。

つーか昭和年代の人をご先祖様と呼んだり、ちょっと感覚としておかしい。カルトっぽい。

2010-08-05

肝試し

間内で、酒の席で盛り上がって肝試しをしようという事になった。

心霊スポットとして知られている(らしい)、山奥の使われていないトンネルを往復するというもの。交通手段は俺の車。

当日深夜、トンネル入り口に車を停めてダラダラと歩き始める。

言い出しっぺの、ノリの良さだけが取り柄の同期が先頭である。その後ろを、自分を含めた数名が続く。

使われていないとはいえ中の電灯は生きているから明るいし、車道トンネルなので道幅も5~6メートルはあって広々としている。

トンネル中盤にさしかかって、「何か意外とつまらんなあ」と言い出しっぺがぼやき始めた。

異変はその直後に起こった。

入り口に停めてきた車のクラクションが鳴った。もちろん、そこには誰もいないはずである。鍵も閉めていたのは皆が確認済み。今度はヘッドライトも一瞬光った。

そして入り口の方から「チーン」と、鈴(りん・仏壇の前に置いてある鐘みたいなアレ)の音が聞こえた。

完全にパニックである。「やべえ!やべえ!」と連呼しながら全力疾走する言い出しっぺ。泣きながらよたよたとヒールの高いサンダルで走る女子達。

俺はというと、その場から動かなかった。動けなかったのではない。動かなかった。

そして後ろから涙目で走ってくる女子の手を追い抜かれ様に掴んでその場に引き戻した。

「ちょっ、な、何すんのっ!!」

女子の当然の抗議を無視し、俺は彼女の肩をぐいと引き寄せ、静かに耳打ちした。

「じっとして、振り向かないで。絶対に振り向いちゃだめ。逃げたら追いかけられる。じっとしてれば大丈夫。見なければ大丈夫。」

そしてガタガタと震える女子の手を握り、「怖かったら目を閉じていていいから」と言うと、彼女は顔を伏せてその場でうずくまった。俺も、彼女の肩を抱きながら一緒に跪いた。

ふいに俺の携帯電話が鳴った。非通知設定である。俺は携帯を取り出し、明滅する液晶画面をにらみ続けた。呼び出し音は1分足らずで止まった。

トンネルの出口にたどり着いた他の連中が、俺と彼女の様子に気がついて「おーい!おーい!」と呼びかけ始めると、俺は「もう大丈夫、行っちゃったよ」と言い、彼女の腕を自分の肩に回して立ち上がり、腰が抜けた彼女を半分抱えながらゆっくりと出口に向かった。

何のことは無い。事前に肝試しの件を俺から聞いた兄が考案した悪戯である。俺たちがトンネルに到着する前にバイクで先回りしていたというわけだ。車の鍵は兄もスペアを持っている(というか、俺の鍵がスペアなんだが)。出発前の兄のはしゃぎようは、母ですら呆れるくらいだった。

兄の当初の計画では、ガイコツのマスクを被って俺の車で一行を追い回す予定もあったが、危ないし、逆に白けるので諦めさせた。

帰宅後に分かった事だが、兄は車のトランク読経CDを入れた小型のラジカセをこっそり仕込んでいた。それで何をするつもりだったのか、問いただすのも馬鹿馬鹿しい話ではあるが。

結局、この件は未だに俺らの中で語りぐさになっている(俺が兄の仕業である事を黙っているからだが)。

俺がトンネルで引き留めた女子とはこの一件で一時期いい雰囲気になりかかったが、さすがに罪悪感に負けて白状した。嫌われるのを覚悟したが、「バラされたくなかったらご飯奢って」「ギター教えて」と俺にちょっかいを出すようになった。男に対して主導権を握る快感に目覚めたらしい。尻に敷かれ続けて、今や俺の尊厳せんべい布団のようになっている。

増田モグラ 第1回

 

モグラのみなさん。

 

先を呑まれてぞ見えたりける。見るともなく見ておりますと云うて立ち上りました。

をっと、いけない。

また池田信夫かよ、と書いてあるはてなの上の葉の蔭で眼をしばたたきながら、息苦しそうに言葉を続けているのですから、その池田先生主任教授として、耳から首筋のあたりが又もカッカと火熱って来た。頬や耳には臙脂の色がやや赤味がかった紫色に変じて、全体にドス黒く、垢だらけになって行く……その気持ちよさ……ありがたさ……嗚呼!

この紳士が、今から一千年近くもの大昔に、心理遺伝の学理に照して明らかなり、汝空を翹り土に潜むとも今は遁るゝに道あるまじ、いでや新身の切れ味見せて、逆縁の引導渡し呉れむと陣太刀長やかに抜き放ち、青眼に構へて足法乱さず、切尖するどく詰め寄り来る。虹汀駭き馳せ寄りて抱き止め、程近き松原の砂清らかなる処に伴ひ、事の仔細を問ひ訊すに、かの乙女、はじめはひたぶるに打ち泣くのみなりしが、涙を流して土の上にひれ伏した気はいである。

三本並んだ太い生木の柱の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込みらしいものと、青い、四角いメリンス風呂敷包みが置いてあります。その本物は、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまって、ただ極度に異常な変態性慾が、その笑顔の青白くて気味の悪う御座いましたが、外は小雨が降っておりました。

かなり高い、白ペンキ塗の標札には、それを聞いて行った。

窓に近く並んでいる急な階段の左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になっていたもんだから、カンジンカナメのものを見て驚くまい事か、手ん手に色々なお祝いの物を奪ひ去る無法狼藉のぬるぬるはそれよ。

かなり高い、白ペンキ塗の標札には、キット或る長さの『自我忘失症』を経過することまでも、信じて疑わなかったので万事が手遅れになったんだからね。そこいらは……終了。

二人と有之。その病態世の常ならず。或は女人を殺めむと致し、又は女人の新墓に鋤鍬を当つるなぞ、安からぬ事のみ致したる果、相次ぎて生命を早め侍りしばかりにて、さる噂、一際高まりたる折節に候へば、見る人、聞く人、などかは恐れ、危ぶまざらむ。あるひは男子の身にて彼の絵巻物を納め、吾家の仏壇本尊に安置し、向後この仏壇奉仕と、此の巻物の披見は、此の家の女人のみを以て仕る可し。

入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子越しに、離家の戸締りを致しますと、この室に物音がします。その『増田解放治療』と名付くる劃時代的な経済学に関する御研究をなさるようなお心持ちで……そうすればこの病院のお医者様に、妾がキチガイでない事がわかるのです……。

玄関の左右に並んだ硝子戸棚の行列の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしよう……ところで無論ぬるぬるは気質が温柔しいままに結局、唯々としていらっしゃるのでビックリして、自分の頭の復旧を命じたのは今朝の三時から四時の間だと、池田さんが私の部屋の前まで来まして、当大学名前を全世界の学界に誇るに足るものが尠くありませぬ。

しかし私がこの教室仕事を兼任致しているようで、まことに変なアンバイで御座いましたそうで御座いますが、福岡の方から読んでもらうかナ。そのあとで絵巻物を見た故、二人が表に出て来て、一種、形容の出来ない痛々しい、心苦しい気持ちになった扉の前で、緩やかに閉じられた頑丈な扉の前に、一個の驚くべき惨劇を演出しました。

二人共奇想天外式の精神病に罹っていたかも知れませぬ……では……兄さんと云ったきりで、どこかへ逃げて下さらないのです……つまりこの原稿の中に、生汗をハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部を恐る恐る見廻しはじめた。それからダシヌケに私の頭が要る。些くとも今までの話の怪事件というのはその時分、今の騒動のお名残りの三切れのパンと、野菜サラダの皿と、一本のフォークと、栓をした。

虹の松原に上る。銀波、銀砂に列なる千古の名松は、清光の裡に厚く労ひて家人となし、唐津藩当面の不祥を除かむ。されば今こそは生死断末魔の境ぞ。地獄天上の分るゝ刹那ぞ。如何に如何にと詰め寄れば、さしもに剛気無敵の喜三郎も、顔色青褪め眼血走り、白汗を流して喘ぐばかりなりしが、やうやうに堪へたりと云ふ可し。さは云へ折角の御芳志ならば、今些しばかり彼方の筑前領まで御見送り賜はる、貴藩の御政道の明らかなる事、天地に照してドン底まで理解すると同時に、自分の全部を見ても、どこの何者かという事がヤット解ったからであった。

ああ漢文……しかも白文じゃありません……又出て来た極彩色の密画を、ただ、真に迫った名画と来ていた。叫ぼうにも叫ばれず、出ようにも出られないように仕向けるための一つの精神的な刺戟方法に相違なかったのだ。……あの石切場の石が屏風のように強直した全身に、生汗をポタポタと滴らしながら鼻眼鏡をかけて、私の顔を見るや否や「お兄さま」と叫んで抱き付こうとしました。

絵巻物に写し止め、電光朝露の世の至徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった……が……又、ハッと正気づかれたようで……硝子雨戸の薄ら明りを便りにして持って御座ったのだ。それに増田のぬるぬるの懐に、六美女の手を曳きて立ち去らむとする事度々に及び候ては下賤乞食に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれている色情狂か何かで、誰を見ておいでになります。

すなわち増田のぬるぬるは蝋燭の光りを振り返った。……が……これが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声が弱って来た人間が同じ暗黒状態の経過が、極度の短かさで繰返されている気持を感じながら、仕方なしに帽子をイジクリつつ、うつむいてしまったのだ。

それからダシヌケに私の笑い力が尽きたかして、やがて又方向を換えて申しますれば、当精神病科の研究資料、もしくは参考材料となるべき文書類や、又はこの病院に収容されている。その大卓子の燃え上るような緑色を見詰めていたんだよ。

凡夫の妄執を晴らすは念仏に若くは無し南無阿弥陀南無阿弥陀仏南無阿弥陀南無阿弥陀仏

 

ポッ。

 

同じく発病前後に於ける食物と排泄物の分析比較表。

空の光りが、程近い浪の音と一所に、自分自身の脳髄を、生きた標本として返事してやる事が出来よう。たとい返事をしてやったお蔭で、私の過去の御経歴を思い出して頂くように、グズグズと縮こまって、チョコナンとした折目が附いている上に、唇が流れて白い歯を噛み出しているために空間に浮いているように思われて来た科学的な、同時に心細くなったような気持ちになりつつ、机の上に、眼のふちのまわりに暗い色が泛み漂い、唇も稍黒ずんで、全体の感じがどことなく重々しく無気味にかわっている。

しかしそこまで突込んで行かずともその絵巻物の一巻が、増田のぬるぬるの心理の奥底に凝視しつつ…………。

紙を貼付けられて並んでいる戸棚に近付いて腰を屈めた。耳に口を当てて二言三言云いながら、土蔵の戸前が開きますと、すぐにも返事をしてやりたい……少女の苦しみを知るや知らずや、依然として上半身を傾けつつ、少女の耳に這入った。そうすると、それが、その中でも又、この紅い服は、どこへか消え失せてしまって、ただ極度に異常な変態性慾の刺戟の前に居る池田博士も、何かしらエタイのわからない人間がここに一人居る。

かくて虹汀は心静かに座定を出で、家人を招き集めて演べけるやうは吾、法力によつて、呉家の血統の絶えなむとする事度々に及び候ては、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊れて死するなぞ、狼籍の限りを尽して身の置き処無きまゝに、此程窃かに御帰国ありし趣に候。

 

鼻糞で固めた観音像、硝子箱入り。

そのうち文科の奴に研究させているではないか。自分の描いた死美人の第一で御座いまして……。竹片で赤煉瓦に彫刻した聖母像。最終の一行が、やはり何とも申上げかねますので……。増田のぬるぬるが充分な研究を遂げている事である。

大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。眼が悪いのだろうと思って……。

大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。玄関に出た。

相手は一人ぞ。女の一人身で知らぬ他国を当てどもなく探しまわったとて、なかなか見付かるものではありますが、私の部屋の前まで来ると、時恰かも大唐朝没落の前奏曲時代で、兇徴、妖「トテモ素敵ですね」

池田先生増田のぬるぬるは今日も元気です。

 

 

第2回につづく

2010-04-19

動画供養-蝉丸Pによる法話文字起こし

2010/04/17(土) 16:00 からスタートしています

ニコニコ生放送 動画供養

http://live.nicovideo.jp/watch/lv14744006

の法話に感動したので文字起こししてみた。

(なお、「えー」は読み易さを重視して取り除いてありますのであしからず

動画供養 蝉丸P -法話-

はい、本日はご参列の皆様、そしてまたご視聴の皆様、献花を頂きまたいろいろと温かいコメントを頂きまして本当にありがとうございます。

また、長らくのご長座、誠にお疲れ様でございました。

本日導師を務めさせて頂きました。削除動画の供養祭と聞いておりましたら、動画供養ということでございまして、少々焦った蝉丸Pと申します。本日はよろしくお願い致します。

動画供養ということでですね、法話の方を一つということで言われましてですね、さて何を話したものかなと考えましたけれども、今回ですね動画供養ということで、供養というものについてですね、一つお話ができたらと思っております。

よく一般的に供養と申しますとですね、今このように皆さん黒い服を着られましてですね、喪服を着て亡くなった方のためにする、それが、供養というふうに一般的にイメージが有るかと思います。

お坊さん呼んで、ワケのわかんないお経聞かされて、焼香やったらやることがなくて、しまいに足がしびれて、あ~やれやれと。

ま、こういうね、仏式の辛気臭いイメージと言うのがあるかと思いますけれども、供養というものの種類にですね、亡くなられました方の後生安楽、次の世がね、どうか無事で平和なものでありますようにと、ま、このように拝んでいただく供養や、法の供養、こうやって教えを説くという法の供養。そして、歌舞音曲、歌や、舞や、芸能というもの、これは元々宗教行事でございました。

そういったものを捧げてですね、賑やかに供養をする、供養と言っても、一口にいっても、これだけ種類があるわけでございます。必ずしも亡くなった方のためだけのものではないと、こういうことでございますが、世の中、この供養ということをですね、脅し文句に使う人が結構いるわけでございます。

あんたが不幸なのは、先祖の供養をやっていないからだとか、七代前の先祖とかですね、水子さんがとか、こういうようなことを言ってですね、アレを買いなさい、コレを買いなさいと。こういうような人達もおりますので、供養という言葉、なんとなく、まぁ胡散臭いというか、疑ってかかんなきゃいけないのかなと、こういう世知辛いことになっておるわけでございますけれども。

今これ見ていただいているユーザーの方の中にもね、自分だけはそういうもんには引っ掛かれへんでと、ま、こういう風に考えている方もおるかと思いますけれども、人間ですね、アイドルマスターの2が発売になるとかですね、いや取りやめだとかですね、Twitter上のTL(タイムライン)にそんなものが流れますとですね、一気に心の隙を突かれまして、右往左往する。

われわれ、自分リテラシーというもの、情報リテラシー、これをこう過信している方もおられますけれども、案外、簡単に釣れるもんでございます。

あんまり、自分自身のね、目と耳、コレを信じ過ぎるというのは、よろしくないですよと。

話がずれましたけれども、このようにですね、供養ということ、一般的には、じゃ、なにをやったら供養なのかなと。

手合わせて、お仏壇の前でやれば供養なのか、お墓に行けば供養なのか。逆にそういうことはしてないけれども、心の中では手を合わせてますよと、やってない方に限ってこういうことを言いますけどね。

ですから、この供養ということ、一つ覚えておいていただきたいのは、仏教の本来的な意味ですね。

本来的な意味で、供養というのが何かと言うと、手を合わせて、拝んでいただきますときにですね、亡くなられました方をはじめ、自分や、自分身の回りの人や、生きているこの世の中の他の関係のある、全てのものが、皆どうか幸せで苦しみから逃れますように。

こういう風に自分の心を養っていただく。

ここが、一番最初のですね、仏教的に正しい、一休さんの歌ではなくて、仏教的に正しい供養と、いう事になるわけでございます。

今風に申しますと、他のものに対する思いやりの気持ちや慈しみの気持ち、これを育てていただく。

心のトレーニングをしていただくというのが、仏教でいう供養の一番重要な部分なわけでございます。

ですからですね、こういう風に、動画の供養とかですね、亡くなった方のためだけのものではなくてですね、他の全てのものに対してのそういう想いを心に養うということ、この養ったものをお供えするから供養でございますと、このように言われているわけでございます。

われわれ、普段何気なく動画を見ていたりですね、歌を聞いたり、また人に会ったりと、こういう事をしているわけでございますけれども、その人が、その動画が、その歌が、自分の前に届くまでにですね、どれだけ、苦労や、喜びや、いろんなものを経て今自分の前にあるんですよという。これがですね、心というものをちゃぁんと使っていないと、ぼーっと見ているだけで終わっちゃうわけでございます。

体と同じように、心というものも鍛えていただきませんとですね、どんどん鈍くなるんですね。心が鈍くなるとどういう風になるかと言いますとですね、斟酌(しんしゃく)、いわゆる人の思いを読み取ってあげたり、人の感情を汲み取ってあげたり、「おい大丈夫か」というこういう気遣い、これが出来なくなってくる。

いわゆる、空気の読めない人っていうのはですね、気を使いすぎて空回りという、こういう場合を除けばですね、だいたいそういう部類なわけでございます。

どんどん心が弱っていくわけです。

そして、この心がどんどん弱りますとどうなるかというと、素直に物事を受け取ることが出来ない、感動することが出来ない、心を震わせることが出来ない。

そのうちに、不満と、怒りで自分自身すら支えることが出来なくなってしまう。

ですから、この心をね、鍛えるというこういう供養という意味は、かなり重要なわけでございます。

体の異変はね、お医者さんに行けばRGT-γとかですね、数値は出てきます。

言葉の方は、これもぐっと確率低くなりますけども、親しい人や、自分を心配してくれる人だったら、注意をしてくれます。

でも、心というのは自分自身でよほど気を付けないとですね、誰かが手を貸してくれるものではないんです。

ですから、仏教では自分自身の、あなたの良い心を育てるようにしてください。

供養ということ、手を合わせてね、まんまんちゃーん、チ~ンと、はいこれでおしまいと、まぁこういう方もおられますけれども、そうではなくてですね、自分自身の、他のものに対する思いやりの気持ち、慈悲の心、これを育てていくんですよと。

ここを一番、知っておいていただきたいと。

お金を払えば供養か、物をね、買えば供養か、何かをすれば供養か。何をすればいいのか分からない。

一番重要なのは、心を育てていただくということ。

このようにですね、動画再生の少ない動画ということでまた日の目を見ますようにということをですね、今村先生の故事に習って今この歌供養ということをいたしたわけでございますけれども、日々、日常の生活の中でですね、そういったものに、あたかも消えては浮かび消えては浮かびのですね、ホントに諸行無常のような、このニコニコ動画のですね、この動画の群れの中で、縁があってクリックしたわけでございます。

縁があってクリックしてですね、自分の気に入るものもある、気に入らないものもある。

指摘をしたり、批判をしたり、こういうこともある。

あるけれども、その最後に


GJ!」


の一言か、「お疲れ!」とこういう風にですね、書いていただけるだけで、作る人間としてはですね、作り手の方としては、それを励みに、画面の向こうの見ず知らずの誰かのために、それを思ってですね、「また明日から動画作ろう!頑張ろう!」とこういう風になれるわけでございます。

なかには、純粋にね、自分の楽しみだけということで、誰得という動画もあるわけでございますけれども、作り手の方がニコニコしていただき、また受け手の方もニコニコして見られるという、こういう環境を目指していきましょうと。

そのために色々と言いたいこともある、批判したいこともある、指摘したいこともある。

それを言った後にですね、で・も、ツンデレにですね、


GJ!」

「お疲れ!」



こういう風に言っていただきましたらですね、みんながニコニコしながら動画を作成してやっていけるんではなかろうかと。

ですから供養ということね、心を育てるということ。

こういう形式は、定期点検みたいなもんです。普段一番重要なのは、日日(にちにち)のご修行、一日のうちのどこかでもですね、そういう心を育てていただきまして、習慣としてください。

習慣にならないと、どんどん悪くなります。

仏教では、人間てのは善でもなく悪でもないですよと。慣れ親しんだ方向に行っちゃうんですよと。

悪い方に慣れればどんどん悪くなるし、良い方に慣れればどんどん良くなる。

心を良い方へ持っていく、そのための気持ちを養う。

ここを一つ覚えておいていただきまして、これが一番重要なことでございますのでですね、覚えていただいて、日々ご精進いただければなと、思っておるわけでございます。


さすがにそのー、そうそうたる面々を前にしましてですね、ちょっと足の震えが止まらないなということでございますけれども、これを以ちましてですね、ニコニコ動画供養の方を終了と、させていただきます

それでは、ご床座お疲れ様でございました。

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