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はてなキーワード: 仏壇とは

2016-03-01

こんなこと言ったら非科学的なもの軽蔑するはてなーフルボッコにされそうだけど、毎日仏壇お茶とご飯上げてる…

2016-01-01

センタープリーツ

ある春の日の白昼、幼い子どもたちを置いて母が家を出てからというもの我が家家事一切は祖母が引き受けることになった。

当時ハードロックにかぶれていた自分は「ジーンズは洗ってはいけない」という間違った美意識を持っていたものから、祖母が勝手にそれを洗濯機にかけご丁寧にもキッチリアイロンがけしてセンタープリーツをこしらえた姿をひどく嘆いた。

久しぶりに帰った実家あいかわらず何も変わってないのだけど、広いリビング一角を占拠していた物干し竿が台所の横に移動している。男だらけの兄弟だったから何も疑問に思っていなかったが、姪っ子が年頃になれば確かにそういうわけにも行かないだろう。

そんな彼女センタープリーツ付きジーンズを眺めながら、昔のことを少し思い出していた。

今日は祖母の大好きだったコカ・コーラ仏壇に備えよう。

2015-12-05

絶歌感想

衝撃的な事件だったし、単純に猟奇的事件に興味があったのもあり、

当時、小学生の僕は夢中になってニュースを見ていた。

その後インターネット少年A顔写真を見たり、まとめているサイト事件の詳細を読んだりしていた。

被害者加害者が出した本は読まなかったが、『絶歌』は発売後すぐに買い、読んだ。

読んでから随分と経ってしまったが、感想を書いてみる。

まず、サムの息子法が、とか言っている人もいるが、これに関しては現状の日本法律問題ない以上、文句言っても仕方がないことである

また、世界各国で適応されている法律ならまだしも、一部の国の一部の州でしか実施されていない法律をあげるのは、都合が良すぎる。

文章に関しては、ネットでは批判的な意見が多いが、良く書かれていると思った。少なくとも僕にはこのような文章は書けないなと思ったし、

文章力はどのように身につくのだろうかとも思った。高校大学と出て学んできた身なので、自分が恥ずかしいとも思った。

そういえば、『黒子のバスケ脅迫事件被告人意見陳述も読み応えがあったなぁ。。

中身に関してだが、この本は大きく分けて、少年院に入るまで、出た後の二部構成になっている。

少年院でどういった生活を送っていたのかも気になったので、そこが書かれていないのは残念に思った。

一部と二部では文体が異なる。一部では、少し厨二的というか、見えていた世界が人と異なるような表現が多く、少年の異常さが表されている。

二部では、淡々とした文体で書かれていて、更生されているかのような印象を持った。

しかし、これは意図的文体を変えているものだと感じられた。当時の少年時代日記がそのまま公開された。とかならこのような違いがあることも分かるが、

書いたのは現在少年Aのため、このように文体が変わるのには違和感がある。

少年A犯罪の原因は、自分性癖にあると言っている。親しかった祖母の仏壇の前で、マッサージ器を性器に当て、初めての射精した事から

死と性が関連するようになってしまったとのことだ。

猫を殺した時も、射精したし、被害者の首を自慰行為の道具としても利用したとのことであった。

しかし、同級生に対して暴力行為を振るったことは、性衝動とは一切関係ないので、性癖のみが暴力犯罪の原因とされているわけではなさそうである

また、被害者の首で自慰行為を行ってから、その後射精をしなくなった (少年院時代のみ?)という記述があったが、今現在はどういったもの対象に性を感じる

ようになっているのかが気になる。今でも死と性が関連していると思うなら、今後も事件が起きる可能性がありそう。

家族は悪くない。と書かれているところが多数あるが、客観的に見て異常。同級生暴力を振るった時の母の注意の仕方とかは、軽い喧嘩を注意するレベルで、

おかしいだろうと思った。

成人し、出所してから仕事もちゃんとしているし、生きる力が強いと感じた。また、金に対する執着もあるため、『絶歌』の印税は相当本人としては嬉しかったんじゃないかと思う。

金に困って犯罪するタイプではないと思うが、印税を与えることによって少し大人しくなるのではないかと思った。別に絶歌』を買ったことを正当化している理由ではない。

社会人生活を送っている時、同僚にインスタントカメラ写真を撮られた時、切れてそのインスタントカメラを振り払い、壊したみたいなエピソードがある。

写真に撮られることがナーバスになっているということを表したかったのだろうが、単純にキレやす人間みたいな印象を受け、恐怖を感じた。

その後、ホームページ公開したりしていて、良い体しているなとか、ナメクジ写真ダミアン・ハースト的でもう少し評価されても良いんじゃないかとも思った。

(今久々にアクセスしたらギャラリーから消えてた)

ネット上では絶歌』の批判ばかりだが、読み物としてもそれなりに楽しめるし、超有名犯罪者文章を一度読んでみるのも良いのではないかと思う。

2015-11-18

筋金入り共産党員の娘が創価学会の男と結婚した話

まぁ私の事なんですけど。

父、祖父、曽祖父の代から共産党主義者もっと共産党員なのは祖父と父で、曽祖父は単に支持者だったそうだけど。

祖父が亡くなった時に、志位和夫委員長から弔電が来ていたらしいので、そこそこの党員だったのだろう。あまり良く知らないのだが、祖父宅には宣伝チラシのようなものがおいてあったり、客間におそらく党員が集まって話してるのをよく見た。

父は党員だけど労組活動がメインみたい。むかし、隣の市で共産党系の市長が出そうだった時に開票所に連れて行かれて「不正が無いか見ておかないと行けない。お前たちの未来にも関わることだからな」と言われた。月に2-3は活動して座談会いったり年1くらいデモしたりしているみたい。自分細胞なんだそうだ。

他には政治的なことを言われた記憶はなく、しんぶん赤旗は取ってたものの、私は個人的にずっと朝日小学生新聞朝日新聞を取ってた。個人的にっても親の金ではあったので、親ありがとう

私自身のことについていえば、共産党薫陶は受けたものの、赤旗まつりに行く程度で、しんぶん赤旗現実味のない論調ニュースの速報性のなさにはがっかりだし、オープンキャンパス東京大学をいろいろ見ていたとき法政大学アジ横断幕見てドン引き

一応大学共産党宣言ちょっと見てみたもの・・・ってところです。

あいつら、チベット虐殺について「チベット暴動があり民間人に死者が出た模様」って軽く触れて終わりとか偏り報道ですよ。CNNBCCもNYTも見放題の時代に。

なお、赤旗まつりは完全に地方物産市&芸能人講演会となってて政治要素はかなり薄いので面白いです。各地の特産品とかあるよ。

さて、彼のことについて言う。

彼は別に創価学会企業でもないちょっと名のある企業に勤めていて、友人経由で知り合ってみんなでキャンプバーベキューしたりしてるうちに仲良くなった。1年半くらい半同棲して、そして結婚に至る。

半同棲(週3くらい同居)のときに、彼がクローゼット仏壇をおいてるのは気づいてた。とはい最初仏壇?と思ったものの気にしなかった。でもなんとなく気になって、彼がシャワー浴びてるとき仏壇の中を開けたら変な呪文の紙があって「きもっ!!!!!!!」ってなったね。そりゃもう。鳥肌ゾワゾワ。

その日は彼が求めてきても体調悪いって断ったもんね。

んで、帰って創価学会でググッてビンゴ創価学会呪文の紙だ(板曼荼羅というらしい)。吐き気を抑えつつも、彼のステータスを考える。有名企業法務部。年収650万。顔も悪くない。性格もすごく合う。

でもなー・・・と思いつつ、「あのさー・・・もしかして宗教とかやってるの?仏壇となんか呪文?みたいなの?見ちゃったんだよね」って言ってみた。「あー・・・学会員でさ、親もなんだけど。でも創価学会って別に変な宗教じゃないよ。日蓮宗っていう鎌倉時代からある普通仏教だし、ふつうだよ」って言う。

はいはい、そのへんは全部Wikipediaで調べ済みです。鎌倉時代新興宗教日蓮宗の、更に過激派日蓮正宗の、そこから更に分離独立したんですよねーーー。とは言いつつも黙って「え、それ私も勧誘したりするの???」「えっしねーってww まあお前が興味あるって言うなら少しは教えるけどwww 普通仏教別に勧誘なんて無いでしょww 学会普通宗教からね。勧誘なんてしないよ」とかのたまった。

(なお日蓮系の顕正会現在勧誘がひどいが、創価学会は”現在は”ほとんど勧誘してないらしい。20年前まではひどかったようだ:wiki情報

彼も祖父母の代から学会員らしい。三世ってやつか。私は祖父と父が共産党員だけど私は党員でも支持者でもないからなー。

その後もいろいろありつつ、半同棲も飽きたので結婚しました。

やっぱり彼のことでビックリしたのは、共産党週刊新潮が本当に本当に嫌いなことかな。2chも嫌い。だけど私が元ねらー(というよりははてな村民ツイ廃なんだけど、ゼロ年代ネット住民によくある程度の浅いねらーでもあった)なことを知ってるせいか、あんまりあからさまに悪くは言わないかな。

たとえば電車中吊り週刊新潮記事を見て「へぇ東京五輪の黒い噂なんだ」と学会とか関係ない話をしたときに「は?週刊新潮なんて嘘とデッチアゲしか無いんだよ?ああいデマばっかりの雑誌見てると低俗になるよ」と言い出しまして。あとで調べると、週刊新潮は20年ぐらい前から創価学会キャンペーンをやっていたみたい。共産党支持層が被るのもあって対立してたみたい。

あと、集団的自衛権とかSEALDsとかの話も「共産党が裏で動いてるんだろ?ああいう連中(共産党)こそサッサと内乱罪逮捕すべきだよ」と言い出します。これも共産党とは40年くらい対立してるみたい(すべてWikipedia情報)。

実は、父祖が共産党員なことは彼には言ってないんだけど、大丈夫かなぁ・・・。これはかなりナイーブな事案。っていうか共産党と仲悪いなんて知らなかったんだよね。


普段は本当に温厚な人でバランス感のある人ではあって、パリテロも「テロは当然許されることではないけども、フランスで起こったということはやはり空爆だけでなくフランス移民政策ミスがあったということも遠因だろう」とか言ってた(ネットで見る言説と同じではある)。

こういう彼がいきなり特定のことになると過激な発言をするパターン・・・というので思い出すのは、職場の同僚のネトウヨさんだ。

ネトウヨさんは2児のパパで、とてもいい人で温和な感じでFacebookも娘の写真とかが多いんだけどネトウヨで、中韓最近だと日本共産党あたりの話題になると本当に叩きっぷりがひどい。

ある日「娘と一緒にスイカ割り行ってきました〜〜。まだまだスイカは固くて割れない^^;」みたいなことを言った5分後に「翁長ww売国奴死ねよwww」「テロに遭う前に韓国人という外患を強制退去させないとな(真顔」とか言ったりする。

彼も、ネトウヨ同僚さんも、このメンタリティ理解できない。絶対的に叩いていいモノ扱いするメンタリティ。正直こわい。

選挙は2回ほどあったけど、「お前はそういう女じゃないと思うし、俺もあんまりきじゃないけど一応言っとくとできれば公明党に入れて。まぁそういう女じゃないだろうけど」って言ってきた。どういう女だと思ってるんだ!!

話し合ったことはないけど、日蓮正宗とか阿部日顕とか言い出すとまたすごい批判の言説されそう。そういや彼の本棚の奥の方に(隠すように)も彼の実家にも池田大作の本とか人間革命とかあるけど、あれは面白いのか…?この辺もまだ話し合ってない。なんであんなに池田大作好きなんだろう。ネトウヨさんが天皇日本大好きみたいなもんか?刷り込みなの?


あと彼は創価大学ってとこの卒業生なんだけど、これもキモい。「ふつう大学宗教の授業とかは無いからね」「幸福の科学大学作ろうとしてたけど、あれは授業が宗教的だってことで禁止くらってたけど、ああいうのとは違うんだよ」「司法試験合格率とかも高いし優秀な大学だよ」とは彼の談だけど、ネット創価大の文化祭画像を見たら「父、池田先生ありがとうございます」とか、三色に染めた旗・花・階段・校舎・・・キモイキモイ

あとやっぱり板曼荼羅呪文しか見えなくて気持ち悪い。捨ててほしいし、ガチ同居になってから見えるところに配置してるのでせめてクローゼットにいれてほしい。

聖教新聞気持ち悪いのでやめてほしい。

月に1回くらい、休日接待だと嘘ついて学会活動するのやめてほしい。会社学会員の人といってるようなのでギリ嘘じゃないんだけど、それでも。

「そんなに嫌ならなんで結婚したんだよ」という意見出てきそうだけど、そろそろ私も結婚やばい年齢だし、収入や顔のスペック面も悪くないし、3年ぐらい付き合って本当に本当にこれ以上ないってくらい気が合うし、ほんと創価学会だけなんだよ・・・

変につついて過激な活動家になっても困るので、月1会合聖教新聞だけならいいか、と放置しています。過激活動家になったり、学会の集まりに私も呼ばれたり、学会勧誘されたりするならキレて離婚してもいいんだけど、面白いから観察して増田にまた書いてもいいかな。

しかしたら私が狂ってく過程なっちゃうかもしれないけど、そしたら笑ってください。

2015-10-11

40前に考えたいことがある

20代就職のため地元を離れ10年以上になる。

仕事は惰性でやれるレベルであるが、住環境はとてもいい。

問題は、本家であることと俺が未婚の一人っ子であることか。

両親はもう10年は確実に元気に生きるだろう。しかし、両親が亡くなった時、実家に戻るため自分は今の仕事を辞めなければならないのだろうか。

資格等全くないので地元に帰ったら食える仕事は望めない。

仕事を続けることを選べば両親の葬式はもちろんであるが、本家の主であることから彼らの周忌回忌法要

お盆お彼岸実家で行うのは無理だから仏壇自分ちに引き取って仏事になったら地元に帰って寺やホテル宿泊部屋でやる方式がいいのかなと思う。

両親が亡くなった時は親戚を実家に住まわせ法事になったら戻ってくるのもありかなとも。

後、自分は車の運転が無理と自認するペーパードライバーなので車が無いと生活できない実家には戻りたくはない。

先祖様は大事だが、やっぱり仕事大事と元気な両親を尻目に考えているところである

2015-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20150923094719

そもそも遺族ならちゃんと墓なり仏壇なりがある筈で、献花台なんて必要ない。

遺族でなくても遺族からの信頼がある人であれば墓参りくらい出来るはずで、

献花台はそういう事ができない、遺族と交流がないか信頼されていない人が勝手に置いたんだろうというのが予測される。

置いた動機一般人正義感暴走か、あるいはいじめ加害者への私怨か、陰謀論打つならネタ作って騒ぎたいマスコミか、その辺は知らんけど。

遺族はさぞかし迷惑だろうな。そもそももう引っ越ししまってるかもしれないけどね。最初から騒がれたくないと思ってるわけだし。

2015-08-25

学会に入ると起きる影響

親がその内高い仏壇かって朝夕の勤行をするようになるのはまあ前提として。

まず、月一くらいでその地区学会員母親が入ったのなら恐らく婦人部のおばさん)が家庭訪問に来るようになる。

週一くらいで会合もあるし宗教っていう仲間意識もあって助けになる人間関係が出来るのは確か。

ただ、信者ピンからキリまで居てメンヘラ妄信的で目がイッちゃってる信者も居れば、

朝夕の勤行自体にそんな絶対的能力がある訳じゃなく規則正しく生活して朝晩に発声する。

人として正しい行いを抽象化した物が宗教だってきちんと話が出来る人間も居る。

一人暮らし母親人間関係きっかけになればいいが、結局どうなるかは本人と周りの環境次第だと思う。

まあ一回でかい会館で「南無妙法蓮華経」の大コーラス聞いたらドン引きして帰ってくるかもしれんけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20150825154154

2015-08-14

母帰る

離婚していた母が帰ってきた。

父と別れて5年になるが、毎年お盆の時だけはやってくる。

1年ぶりに再会する父と母はふたりとも嬉しそうで、

会話もはずんでいる。

「元」夫婦水入らずというやつである

「なんでこうなったのかなぁ」と、私はこの幸せそうな風景を見て思う。

「弟が生きていたらなぁ……」とつくづく思う。

弟は6年前に交通事故で死んだ。

農道ミニバイクで走っていたところ、飲酒運転軽トラックにはねられ、

運悪く次の日に亡くなった。

最愛の息子をなくした母は、弟の死をうけいれられず、しばらく自室にひきこもっていた。

父も私も日中仕事があったので、仕方なく母は家におきざりにしていた。

それがよくなかった。

気がついたら母は酒びたりになっていた。

タカシがね、またお金が要るって言うのよ、海外に行きたいとかって。ほんと困った子だわ。」

「そうか、苦労をかけるな、すまない。」父は母の相手を続けていた。

「そうだ、あの子お好み焼きが好物だから晩御飯お好み焼きしましょう。そうしましょう。」

何故か母は仏壇の下をあけ、「お好み焼きをつくる道具」を探し始めた。

「そんなところにしまたかなぁ」と父は天井を見上げて呟いた。

「もう中国のせいで相場がね、もうほんとにめちゃくちゃなのよ。」

私が知らない間に母はトレーダーになっていた。

「そっか、そうだろうな。」父はまだ天井を見上げていた。


月曜日に母は病棟へ帰る。

それまで私も相手をしてあげようと思う。

お盆から、きっとタカシも帰ってきてるんだろうな。

仏壇遺影を見てそう思った。

2015-08-03

いったんCMでーす

おててのしわとしわ

あわせてしあわせ

なーむー

仏壇のー長谷川

2015-07-16

世界に一つだけの花歌詞

「(お仏壇の)浜屋の店先に並んだ~」だと思って

「なんで仏花やねん」と思ってたの思い出した。

2015-06-21

日曜日

父が亡くなって今年で9年になる。

父親と過ごした年数よりもいない年数のほうが多くなってしまった。

兄弟もいないし、母と二人暮らしだし今は母と不仲だし正直なんか周りを見ていると悲しい気分になるときが多い。


最近先輩と話をしていてふと父親の話をかすりかけたとき

自分の父親が亡くなったっていう話はせずに生きている前提というかその場でぼやっとさせてしまった。

なんか嘘をついたようでちょっともわっとするんだけれど、

正直に「父親はいません」っていうのも、自分も相手も嫌だし先輩とも自然にかかわっていきたい。


そういえば一度歯列矯正が何かの補助で安くできるという話を聞いて矯正歯科無料で検診(?)してもらったけれど

その時の歯科衛生士さんが「お父さんは?」って執拗に聞いてくるので最初は「来ていないです」って答えていたんだけれど

だんだん腹が立ってきて「病気で亡くなりました」って言ったら空気が凍りついてしまったことがある。気まずかった。


そういう風に聞かれたときってどういう風に答えれば最善なのかと

矯正歯科未成年は両親そろっていかないといけない場所なのかが気になってしまった記憶がある。

でも、そういう風に自分が言ったのもよくなかった。あまりにもストレートすぎ。

最終的には高いことと矯正した時口が突出するリスクが平均より高いということでやらなかった。


私は仮に誰かに父親が病気で亡くなったと伝えたとしても、

父親がいないからと言って気を遣ったりしないで普通に接してほしいと思う。


今日父の日仏壇に線香をあげて宿題とかを終わらせる日曜日にしたいと思った。

2015-06-09

キリスト教を信じた理由

今でいう旧約聖書はかつて砂漠の民の律法だった。

律法ってのは法律のことだ。

姦淫の罪を犯した女は石で撃ち殺せ。父母を殴る奴は死刑目には目を。歯には歯を。

現代から見るとかなりえげつないよね。

これを新解釈しまくって人々を救った異端律法学者

それがイエスだ。

人が人を裁くな。隣人を愛せ。

解釈ユダヤ教は愛の宗教につくり替えられた。

多くの人がイエスに従った。

ある者達は彼を救い主(=キリスト)と呼び、ある者は彼を預言者と考えた。

なんで人々がイエスを信じたかって?

君はレイプされた少女石打ちの刑で処刑されるニュース映像を見たことがあるかい

あれは厳しいよ。厳しすぎるよ。

人々がイエスを信じたのも不思議じゃないと思うよ。

なぜキリスト教が広まったのか

イエス異端者として処刑された後も

弟子達ががんばったり処刑されたり弾圧されたりしつつも信者を増やして行った。

そんでいろいろあってユダヤ教から分離してキリスト教に。

さらにいろいろあってローマ国教になり布教されていった。(civ4 的な意味で)

たぶんだいたいローマのせいじゃないかな。

なんで現在キリスト教を信じるのか?

なんでお前の家には仏壇があるの?と同じくらい意味のない質問だとおもうな。

うちのばあちゃんが教会に行けとうるさいとか。最近の若者サラートしないとか。うちの親戚がお盆に帰らないと煩いとか。

聞く分にどの宗教も「どうでもいいと思っているけれど習慣とかしがらみとかで」という人達がそれなりの割合を占めているように思える。

一方熱心なクリスチャンについて。

すれ違いが起こる原因は「クリスチャンの家庭ではキリスト教倫理教育を行っていること」ではないかと思う。

たまに聞かれる「なんで日本人無宗教なのに犯罪が少ないの?」なんて質問はこの辺りのすれ違いから来ていると思う。

日本の一般家庭はお父ちゃんお母ちゃんが倫理教育をしているんだよね。

「人に親切にしなさい」「人にして欲しいと思う事を人にしなさい」「差別はいけません」(注1)

だいたい新約聖書に書いてある事と一緒だよ。

クリスチャン無宗教日本人もじつは何も変わらない。

そう偏見を持つものでもないよ。お互いに。

相互理解大事だね。

http://anond.hatelabo.jp/20150607042259

 

(注1)差別はいけません

イエスは罪人達と好んで食事をした。

当時被差別人種だったサマリア人を善いたとえ話に用い、

選ばれし民であるユダヤ人を悪いたとえ話に用いた。

2015-06-07

梅雨が明けたら秋まで関東の勝ちだ

梅雨が明けたらセミが鳴く頃か。

そうなったらもう関東の勝ちだ。

しろあそこにはミンミンゼミがいる。

ミンミンゼミほど夏を演出する動物はいまい。

あれは良いものだ。

照りつける太陽ミンミンゼミ

もうこれだけで勝利だ。

そして黄昏れ時にヒグラシでも鳴けば仏壇感謝の線香でもあげたくなるというものだろう。

とは言えミンミンゼミ関東だけのものではない。

関東ほどではないが日本全国にいるものだ。

http://www.biodic.go.jp/reports/5-2/n018.html

しかし我が京都では毎夏クマゼミが大きな顔をして全然それに気がつかない。

クマゼミは困る。

あのシュワシュワとやかましい音は風情どころではない。

四条あたりのビル街に行くともう頭が痛くなるほどの大合唱だ。

クマゼミは困る。

あぁクマゼミが怖い。

比喩抜きで本当に頭が痛くなるほどなのだ

どうしてミンミンゼミ関東ばかりに集まる。

京都にもおいでやすよ。

ああ関東がうらやましい。

2015-05-29

地元から母が遊びに来て

父の話をした。

父は3年前に癌で他界している。

生前はまぁ仲が悪くて、笑顔で話しているのを見たことがないし何で離婚しなかったんだろっていう夫婦だった。

病気が発覚して、母が毎日お見舞いに行っているのが意外だった。

死んですぐに借金が発覚して母が骨壷を投げたり、謎の愛人だったっぽい女性から花が届いたり色々あった。

飲みながら父の話などをしていたら、母がふと言った。

「こないだね、お仏壇の前で、お父さんが死んで初めて涙出てきたの。ちょっとそこから出てきて飲もうよーって。

あの適当なお父さんと飲みたいなー、って思った。」

聞いた時泣きそうになったし、母といる間中度々思い出されて半泣きになっていた。

うまく言えないが…

母は私たち子供よりも何倍も父に対する思いがあるだろうなーと思って。

それこそ父が死んで3年も泣けないぐらいの怒り、憎しみやうらみつらみを含め、

情とか、好きとか?色々深い思いがあるんだと思う。

その色々が和らぐ程度に時間が経ったんだな、と思った。

えぐられるような激しい悲しみは死後1年ぐらいで薄らいでいったけれど、

その分良い思い出は懐かしくやわらかく思い出されてやっぱり悲しいね

笑っている所が思い出されるなー。適当で、よく酔っ払ってよく笑ってる人だった。

2015-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20150510204231

これ書いたカーチャンです。

仏壇お供えした和菓子父ちゃんが食べるだろうと書きました。

父ちゃん明日から一泊で旅行でいないわ。

和菓子、誰が食べるんだよ。

私あんまりきじゃないよ。

2015-05-10

母の日

仏壇カーチャンには、お気に入りだった和菓子お供え

明日以降にトーチャンが食べるでしょう。

私は昨日、小学生の子からお花のカゴをもらいました。

生活10オーバーだけど初めてだ。

ありがたいわとか思いつつ、鉢植えでなくてホッとしたのは秘密

来年以降はお花以外がいいわなんて思ってるのもまだ秘密

とても嬉しかったけど、おかあさんはお花の世話は面倒くさくて嫌いなの。

2015-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20150331101559

しろ宗教」の定義次第かな。しっかりした教義やそれを実践する場所が決まっている宗教ばかりじゃないよ。というよりそういうもの必要とされたのは、既にある素朴な宗教を塗り替えるための手段だったわけだし。

素朴な宗教ってのは、生まれときから自分も周囲もずっと浸かってて信じてると意識しないくらいのもの。でもそれに反する行動をしようとしたり見たりすることに強い抵抗を覚える。

仏壇先祖供養して教会結婚式」は形式だけみればちゃんぽん特定宗教信仰していないようだけど、「そういうものだと思って疑いもせずやっている」かつ「特に合理的理由は無いからやめてもいいよね、と言われると止めるのに抵抗がある」のなら、それは自分認識ひとつ宗教観に根ざしているということだ。

それが良いとか悪いとかじゃないし、別にそんなこと考えないで生きてたって全然構わない。でも、他の宗教言及するなら、自分が参照している宗教観自覚してからじゃないと、あまり意味のある話にならないと思う。

2015-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20150330214308

仏壇の前で儀式して法事するのは儒教なんだけど、みんな「これは仏教だー」って思ってるから信仰なんておしなべてその程度でいいんだよ

ちなみにこんなの日本特有でもなんでもなく、クリスマスだってミトラ教だけどみんな気にしてない

2015-03-25

近所に長い間病気で寝たきりやったおじいはんがいたんやけど4年前に亡くなりよった。

当初つきっきりで看病をしとったおばあはんはショックで寝込んだり入院したりで、いつ後を追ってもおかしくない位に気落ちしとったんやけど、半年経った位から次第に明るくなり白髪だらけでボサボサやった頭も綺麗に染めてパーマをかけ、すっぴんやった顔もバッチリ化粧をし、地味な色合いやった服装もこやれた華やかな色合いになってすっかり別人のようになり「彼氏でもできたんやないか」と近所で噂になっとった。

ある日、わいと母が犬の散歩をしとると道端でおばあはんに会い「お茶でも飲んでって」と家に呼ばれた。

その時に母が「きょうび明るくなりよったよね」と言うとおばあはんは「そうなの!これ見て!」と旦那はんの遺影が飾られとる仏壇から手紙を取り出して見せてくれた。

それは遺品整理の時に見つけたと言う旦那はんからのケツの手紙との事でどエライ丁寧で柔らかい筆跡で

「僕はあんはんより先に行きまんねん。あんはんにはホンマに迷惑をかけた。

僕はあんはんの明るく溌剌とした笑顔に惹かれ結婚を申し込みたんや。

どうか僕が死んだらあの時のようにいつも明るく元気でいてくれへんかの。

存分にお洒落をして沢山遊んで笑ってくれへんかの。僕はあの世からあんはんの笑顔を見ていまんねんわ」

だいたいこないな内容。

「読んだ時、嬉しくて嬉しくて…やからしょげてられへんって思って月に2回美容院行って、

なるべく綺麗にして外に出るようにしてるの」とニコニコなおばあはん、ほんで涙腺崩壊の母。わいもウルッと来た。

これだけだとしんみりした話なんけど、衝撃やったのはその後。

元々旦那はんは野球をやっていてほんで知り合ったとの事で「夫の好きやった野球を観に行こう」とちょくちょく野球観戦に行くようになり、そこからサッカー観戦、バスケ観戦、バレー観戦ととにかくスポーツ観戦ばかりをするようになりよった。

もう80歳過ぎてるんやけど、出かけとるうちに体力ついたらしく見る度に姿勢が良くなっとった。

兄はサッカー場で2度、わいは野球場で5回くらいユニフォーム着て地元チーム応援してるおばあはんに会った。

しかも「このバッター、去年は盗塁○個やったけど今年この時期でまだ○個や心配ね」とかサラリと詳しい。

ほんで今年、東京ドームで行われたWBC試合の時に青いユニフォーム着て観客席ではしゃいでる姿がTVに映っていて「何ぞ1人で行ってるっぽいぞ!」と近所中で話題になり、「次はイタリアでACミラン試合が観たいの」とどんどんとアクティブになって行くおばあはんに衝撃を受けた。

2015-03-11

藤田「死を贈与した」直哉氏(@naoya_fujita)による3.11追悼式への疑義

かつてある作家をめぐる言説に対する批判への反論で「かの作家は死を贈与した!(ドヤァ」と発言し諸方面から人間性を疑われた藤田直哉氏が、2015年3月11日Twitter上で3.11追悼式に対する疑義を唱えはじめた。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575529749969289217

2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。これは、俺が非人間的な感性からなんだろうか。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575530332390297600

集団の死を、集団慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575531644360204288

親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。これ、脳の容量超える。そして、普段、その辺でやっている知らん人の葬式にもそう感じなきゃならんのか、でも現にそう生きていない。では、日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞやってのが、わからなくなる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575533582023786496

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575534421018804225

別に個々人が死んだタイミングは、この一分ではあるまいに。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575535179709739009

死んだ人間黙祷を捧げるのに、何故、加害者である地震の側のタイミングに皆が合わせなければならないのか。納得ならん。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575538080834318336

ちゃんと書くか。災害や死者を名目に、個別の生を生きていて、それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられるのが、ぼくには不愉快

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575543420544020480

@seiichitsuchiya私は、「何故黙祷罵倒する必要があるのか」に対し、14:46を黙祷時間と定め、一斉に行うという行為に、国家共同体意識形成問題を感じたからだ、と理由を説明しております

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575553783884873728

いや、死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ?それに対する追悼の意図だとすると、地震発生の時間代表させることについてどう考えてるのか、純粋にわかんないのよ。儀式から、決まってるから、という理屈はわかる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575556640000315392

それだったらずっと黙祷するのかという意見が来てるけど、本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの。年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないからなわけでさ。その上で、儀式には有用性があるんだろうけど。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575573893911560192

なぜ、黙祷時間地震発生の14:46からになったのか。説1、誰かが決めた。説2、勝手に決まった。2なら、皆がそれに従いながらも理由を説明してくれないのが、単純に不思議(外国人が、儀式に疑問を素朴に持つ感じを想像してください)

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575584772249931776

で、説1で、合理的に説明がつきそうなのは、「一回で済んで、みんなで一斉にできて、異論が出なさそうな時が地震発生時だから」。これは納得いくんだけど、なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575598071440019456

死者がどう思うか考えろとか、言われるけど、死者は何も思わないし、感じないでしょう。そうではないという宗教観があるのは知っているし、死んでみないと分からないんだけれど、ぼくはその前提で話をしている。その上で「死者」をどう捉えるかがこの社会に及ぼす影響のことを考えてる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599212928241664

死後の生があると信じたい遺族の方の気持ちもわかる。幽霊的な存在感覚を持ってしまう人たちの気持ちもわかる。ぼくの発言が、その人たちを傷つけている、と言われれば、そのこともよくわかる。しかし、死者は、「本当には」傷つかないし、冒涜されたとも思わないだろう。生者がそう感じるだけで。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599516314796032

土屋さんのツイートを見て、不安になってきた。これって、死者が「本当に」感じたり、考えたりする前提の話だったの? そうではなくて、遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意っていう話じゃなくて?

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575600381717180417

から儀式が、生者の世界でどのような機能果たしているのかを考えたうえで、「いるのか?」ってぼくは問うているんだけれど。まぁ、ぼくの儀式嫌いは元々で、まぁ、形式的儀式根拠なく反復することそのもの生理的に嫌ってのはある。なんか、心が籠もってない感じがするし、形式そのもので。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575601520592318464

福田恆存なんかは、例えば葬式は、別に、心なんかなくたって、その形式を演じること自体意味があるんだ、周りが「死を悲しむ演技をする」ことが重要なんだというんだけど(「民衆の生きかた」)。むしろ個人的感情は抑える方がいいなんて書いてあって。その形式こそが「感情真実性」を保証する、と

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602024709910528

俺はそうは思わないが、まぁ、どうも、儀式は「説明できないけど必要」と思っている人が多いようなので、ぼくは少数の、アンチ形式主義の心情主義者として生きて行こうと思いますけど、つまりこれ、「真実感情」が型を必要とすることは、「型」こそが「真実感情」を作るということでもあるよね。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602827705233408

から集団を弔うようなセレモニーがどんな形であるのかには、敏感であってもいいと思うんだけれども。感情セレモニーを生んでるんじゃなくて、セレモニー感情を創り出す効果もあるってわけでしょ? 俺が気に食わないのは、それ。

順番に整理していきたいが、明確に断言できるのは、藤田氏の想像力のなさと狭量さである

藤田氏は、3月11日14時46分に追悼をおこなうことについて、「それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられる」「なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする」ものであり、そこには「国家共同体意識形成問題」が孕んでおり、「遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意」すべきだと疑義を表明している。

……え? 藤田氏って追悼式が政治家政治的に利用するためにおこなうものだと本気で思ってるの? マジで? そう思った根拠ってなんなの?

「追悼式を決まった時間におこなうことで追悼感情統一的に形成される」という仕組みが、国家国民感情を統制するときのそれと同じものであるというのは真っ当な指摘なんだけど、それは理屈しかないでしょ? たとえば、あくまでたとえばだけど「3.11を忘れないために、今後は○○の政策を~」みたいなことを言い出したのなら別だけど、藤田氏はそういう具体例あげてないよね? 追悼という行為儀式性と政治性を混同してない? 

……とまあ、藤田氏の言動からは「追悼式は政治家政治に利用するための欺瞞的なものだ!」という副音声が聞こえてくるのだが、あれこれ言葉を駆使しているようにみえてその根拠は一切ない。藤田氏の完全な妄想である根拠がないという意味で)。

また、14時46分に追悼をおこなうことを「死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ」と批判しているが、そもそも「死者が死んだ時間ぴったりに死者を悼まなければならない」という規範があるわけでもないのだから、14時46分に死者を悼む行為が「本当に思って」いないと判断する根拠がない。その理屈なら、「いつ追悼してもその感情は本物である」という理屈だって成り立つはずだ。

その他、「日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞや」「本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの」「年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないから」「死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い」と言っているが、これもよく読むと藤田自身バイアスが満載である

3.11追悼式で生まれる追悼感情は嘘である」という視点には、「感情には嘘の感情と本当の感情の二つがある」という先入観存在する。感情に嘘も本当もないでしょう、とこの増田を書いている私なんかは思うわけだ。よしんば、それが追悼式がなければ生まれなかったものであったとしても、おこなわれたことで生まれ感情は実際にそのひとのなかにある感情である

ここまではまだよい。藤田氏は元から作家の死を贈与したなんてぬけぬけと言い出すわ、自分が言い出した伊藤計劃以後論に批判が飛んできたら反論を書くのではなく「じゃあお前が考えろよ」とかTwitterでくだを巻き出すわ批評家としては全く能力のない人間であるが、そのことに藤田氏に責任はない。人間能力には限界があるのだ。

だが、上記のようなバイアス藤田氏が無自覚ななか他人攻撃し始めるのなら話は別だ。

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

追悼式が追悼感情を惹起する機能があるとして、そこにある感情が偽物であると断言することの暴力性を藤田氏は考えなかったのだろうか。

そして、その暴力を振るう対象である今日14時46分に追悼の念を掲げる人間のなかに、被災者遺族が、知人や友人、家族を失った人間がいる可能性を想像できなかったのだろうか。

藤田氏は、「今日14時46分に黙祷をした(あるいはツイートした)人間」全員に対して「バカタレ」と言ったのである

これは、生者に対する冒涜である

藤田氏は、藤田氏のなかにあるバイアス無自覚のまま、藤田氏の主観的判断による「偽物の感情」を持った人間を「バカタレ」と罵る、想像力が欠如した狭量な人間である(それ故個人的には絶対に関わりたくないので増田に書かせてもらった次第だ)。

でまあ、もしこれが藤田氏に届いたとしてもあいつは「そんなことは言ってない! 被災者遺族のことを侮辱する意図はなかった!」とか言い出すに決まってるんだけど、意図があろうとなかろうと文言だけ読めばそうなるんだよ。てめえ批評家自称しておきながらそんなこともわかんねえのか。主語大きくすんなって批評家でもない俺だって何かを主張するときの基礎だって知ってるよ。そんなこともわかんねえからてめえは批評家としてクソだって言ってんだ。

いやー、「死を贈与した!」とか言っちゃうひとは本当に他人感情にみじんも興味ないんだなーってのがわかって大変ありがたいです。藤田氏は本当にクソだ。ありがとう藤田氏。おまえは二度と信用しない。

あとさ、地震を「加害者」って言っちゃうのはちょっと……いや、まあ、物事擬人化して理屈づけようとするのは悪い事じゃないか……うん、別にいいと思うよ。ひとそれぞれだしね。

2015-01-17

1月17日日記

5時にラジオが入り、NHK特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイオーストラリア人青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイ青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイ青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。

そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキン場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。

「充分に書く」「気が済むまで書く」ことな最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。

わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。

極度に飽きっぽい自分性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。

それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)

しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書き関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。

起きだしてテレビをつけると、式典をやっていた。その場所に行かずにはいられない人たちを画面で見て、一緒に祈った。

2014-12-29

金持ち分類学 最大派閥相続地主金持ち絶対シンガポールへ行かない

日本金持ちを、

 「相続地主系」「オーナー企業経営者系」「イケイITカタカナ広告系」「しっかり地方公務員2馬力系」「東大系」

 に分類してた記事があって、合点がいった

 昔なら「ライセンサー」、つまり弁護士会計士も金持ち区分に入ってたが、最近ライセンサーワーキングプア化が著しいので、除外

海外の「プライベートバンク」は、金持ち子女スイス留学斡旋を得意とするが、今挙げた日本金持ち区分の中で、

 「子女スイスに送り出したい」という金持ちって、ほとんどいないじゃん。

 オーナー企業経営者にとっては、慶應義塾スイス留学に該当するんだろうなあ。

 日本場合、「たまたま地価上昇エリアに、親が土地持ってた」金持ちが、金持ちの過半数を占めるからなあ。

 スイス何それ美味しいの? な話

フェイスブックは、

 「オーナー企業経営者系」「イケイITカタカナ系」「東大系」にはリーチしてるが、

 「地方公務員2馬力系」そして「相続地主系」にはリーチしてないだろうなあ。

 特に相続地主系の人種は目立つことを極端に恐れる。コミュ力ゼロ(というかマイナス)。フェイスブックとの相性の悪さは異常

★「金持ち優遇しなきゃ、金持ちが皆シンガポールに逃げる」説があるが、逃げるのはオーナー企業経営者系とITカタカナ系位だから

 東大系は一部はシリコンバレーに逃げますが、大半は日本に残る。

 天地がひっくり返っても、金持ちの過半数を占める相続地主系がシンガポール脱出することはない。そもそも英語しゃべれない。

 シンガポールって、国そのものリアルフェイスブックだからITカタカナ系は大好きだろうが、相続地主系の人種は死んでも移住お断りだろうなあ。

★一方、来年引き上げられる相続税対策しゃかりきなのが相続地主系、次はオーナー企業経営者系。

 ITカタカナ系、地方公務員2馬力系、東大系は、さほど相続税対策意識してない気がする

★で、タワマンを実需で買っているのが「ITカタカナ系」「東大系」、相続対策で買っているのが「相続地主系」「オーナー企業経営者系」。

 「地方公務員2馬力系」はタワマンに縁がない

 相続地主系な人々が、

 「あんなおっかない建物自分が住むのはこりごり」とか「どこに仏壇置くの?」とか

 「(タワマン節税第一人者の)沖有人さんがそこまでいうなら、仕方ない買いますか」と言いながら

 しぶしぶタワマン買ってる姿が目に浮かぶ

★人脈は「オーナー企業経営者系」が一番広いんじゃないかと思う。

 「相続地主系」も「ITカタカナ系」も「地方公務員2馬力系」も「東大系」も、オーナー経営者は最低それぞれ一人は知人にいるのでは?

 一方で「ITカタカナ系」な人は、案外世界が狭い。「地方公務員2馬力系」や「相続地主系」の知人がいなかったりする

カタカナ系が集う交流会に出たことがある。

 「当社はお堅い職業公務員向けのビジネスを考えてますが、当社が公務員界隈への人脈がないのが悩みです」と正直に告白していた。

 異業種交流会って、「地方公務員2馬力系」「相続地主系」が参加してない時点で、大して「異業種」じゃない

 逆にいえば、この5類型金持ち全てが出席する集いがあれば、究極の異業種交流会だろうなあ

 ※でも、「相続地主系」と「カタカナIT系」の間で、果たして会話が成立するのか、疑問

★で、コミュ力最悪な相続地主金持ちに一番食い込んでるのは、日本企業の中でも癖のある企業筆頭な大和ハウスだった。

 間違ってもITカタカナソニー不動産ではない

2014-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20141215105147

神棚なんか別に伝統でもなんでもないよ。

仏壇とは違って単なる商品からな。

慣習的に家に祀っているというならともかく、

政治家事務所にある神棚というのはパフォーマンスしかない。

「俺は伝統を守ってますよ」というポーズだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20141215104337

最近減ってるとは言え、仏壇田舎なんだかだと当たり前にある

家が仏教の所は仏壇があるように神道系の家なら神棚は当たり前になる

それだけのこと

代々の伝統、習わしを大切にしてる人、利用している人がまだそれだけ居るってだけの話

神棚w、仏壇

とか言ってるあんたが無知なだけ

2014-10-27

実家仏壇マリア様の銅像が置かれている。まったく意味がわからない。

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