はてなキーワード: 人間とは
アポトーシスとネクローシス(壊死)は違うし、君が国の状態に対してアポトーシスという喩えを使うなら、同じように国の状態に対してネクローシスという喩えを使ってはいけない理由が見当たらない。
追記:むしろ、能登の被災と今後辿るであろう展開はアポトーシスと言うよりネクローシスと言ったほうが喩えとしては的確だ。ここまで言ってもたぶん君は理解しないだろうけど。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
健康な人体にアポトーシスが欠かせないように、元々人間は割のいい仕事や住みやすい土地に集まるし、コスパが悪くなった場所は廃れるということを常に繰り返している。
その不断の流れの一瞬のスナップショットが過密な都市であり過疎の田舎だ。
昭和の一頃に栄えに栄えた林業の町や炭鉱の町が消滅し、たくさんの島が無人島になり、何もなかった丘陵がベッドタウンになり、またそのベッドタウンが過疎化し、そういう動きは別に一方向的なものではない。
能登先端の災害が過疎化に拍車をかけたとして、別にそれは「日本が末端から壊死している」ことを示してない。
どんな田舎にも離島にも大勢の人がへばりつくように第一次産業頼みで暮らしているのが国として健康なことなのでもないし、逆に病気でもない。そういう選択にその時は合理性があるからそうなっていたというだけだ。
合理性が成り立たなくなった場所にリソースを注ぎ込んでにぎわいを維持することは国力と関係ない。国家予算が有り余っている国でもそんなことはしない。
「日本が末端から壊死してる」という俗耳に入りやすいフレーズ/メタファーを与えられて「腑に落ちた」とかいう奴は腑に落ちるも何もそもそも何も考えてないし自分で何かを考える能力もない。何か考えたような気分に浸るのが好きなだけだ。バカは単純に図式化されたら理解した気になるが、お前は人生で何も理解していない。死ねばいいのに。
非常時の保安要員として役に立つとは思えないのだが
消防士がメイクやエステ頑張って業務中もその成果を保持することを求められてるみたいなもんでしょ?普通に怖くね?
たまにCAが「実際の飛行機事故を想定した訓練やってます」みたいな漫画流れてくるけど、「優れた私がこんな困難な仕事をしなきゃいけないなんて!!」みたいな謎のヒロイックさあんねん。
ワイも他の子の両親は若くてスラッとしてるのに自分の両親だけ古い時代の人間、老けてて体系が崩れてても気にしない。醜くて恥ずかしいと思ってた。まあこれで親が尊敬されるような職業だったら違ったのかもな。両親が老けてるのは自尊心が削れる。なんならうちの親を見た同級生も「えっ…」って顔するしな。多分いつも若い親と暮らしてる子はこんな見た目の親っているんだ?みたいなカルチャーショックがあるんやろうな。
ブクマカにイライラしてる人多いが何も得しないしせっかく非表示機能が実装されてるんだからどんどん消していけばいいのに
日本だけで1億人以上いるんだしいちいち変な人間嫌な人間気にしててもしょうがないし、知覚しない環境にできればいないも同然で実害ない
最近VTuberを見始めていて気になるVTuberがいたら、つい「〇〇 VTuber 過去」とか「〇〇 ×× 中の人」とか興味本位で調べちゃう人間なんだけど、SNSだとそういった行動に対して、キャラを詮索するなとか中の人とか関係ないとか同一化きもいとか厳しめの意見多くて、そりゃあ本人からしたらいい気持ちしないし良くないよなーと思うし、リアルの友人でもそういう感じの空気が見てとれるから言えない
けど、VTuberの過去のことは調べるな!関係ない!みたいに言っておきながら、声優や俳優や歌手がよくないことしたら、役降りろとか歌が汚れるとか言ってるのとか見るともやもやする
反転アンチに近いのかな
サイレントの時も感じたことだけど、登場人物のセリフがほとんどウソくさく聞こえてしまった。
何かの伏線を示してたり、こういうセリフは刺さるだろ?みたいな…考え抜かれた用意されたセリフを喋ってるみたいで、生きた人間って感じがしなかった。
まぁドラマだから用意されるセリフではあるんだけど。それでも、なんか言葉選びが気持ち悪かった。
水季、夏に強制的に父にさせたくなかったってことなんだろうけど、夏に選択肢はないの?って初回からずっとモヤモヤ。
堕ろすつもりだったけど産むことにした、夏に隠して一人で育てる、自分が病気になったからやっぱり夏に頼むことにする、その選択自体はしてもおかしくない環境や展開だったし選択したことを否定するつもりはないけど、夏のこと考えてないんだなぁと思ったし、いざ話そうとしたら弥生の存在に気づいて逃げたのに海ちゃん1人でも夏の家に行けるように何度も練習させたとか怖すぎる。
津野や両親に対しても、頼っているようでそれぞれに変な距離取ってたから自分の死後双方に壁が出来たんじゃないかと感じた。
水季が終始自分勝手で好きになれなかった。
人間は「背が高い人は、ほぼすべての種類のがんにかかる確率が高い」んだぞ。
生きてないと「頼りがい」もなにも頼る相手がいなくなっちゃうぞ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/091800507/
同期と学生時代のことをお互いに振り返ったりしてるんだけど、自分には「自分は勉強ができるタイプの人間だ」と自覚したことがないなと気が付いた
大学に入ってからやっと人並み以上に受験勉強を頑張ってきた人間なんだと意識したぐらいだから
高校受験は落ちて大して賢くもない私立に行ったし、大学受験も1度落ちてる
中学でも高校でも成績はそこまで良くなかった 人から頭いいって思われたことは多分ない
大学入学後に地元の知り合いに驚かれたぐらいだ 勉強頑張ったんだねって
あれよあれよと言う間にそこそこの大学に入って、ついでに大学院まで通うことができて
なんだか不思議な感じだ
中学時代、すごく勉強ができて皆から頭が良いと思われていた同級生は何人もいて
やっぱり皆賢い高校に行ってたんだけど 大学は私立の人が多かった
なんで?俺より賢かったじゃんって
私立でも就職には困らないしまあそんなもんか〜って思ったときもあったけど
受験って本当なんなんだろうな
あいつらが毎日塾に通って遊びの用事も全部断って勉強頑張ってたのは私大に行くためだったのか?
そんなに受験って難しいのか
高齢出産アンチなので、40近くなって子供産もうとか考えてるバカは今すぐ去勢して欲しい。
子供が恥ずかしく思うだとか、
障害児だとか、
そんな分かりやすいところじゃなくて、
世間とズレた感覚の子供が出来上がることなんだよね…。(あんまり認識されてないと思うけど)
友達もできないし、
ジジババと話し合わないでしょ?
使う言葉違うでしょ?
そんな親が育てた子供は、大多数の子供と違う感覚を持ってて、それが世間から見たら変な子なわけ。
きついオタクだったり、
話しててなんかン?ってなる子だったり、
なんか変な知恵とか持ってたり、
自慢したがりだったり、
そういう子って大体親が高齢なんですよね。。
寂しい思いとか辛い思いとかしてる。
親ガチャ失敗とか言われるんだろうなぁ〜。
かわいそう。
その年まで子供作らなかったor作れなかったのは
自分本位で子供欲しい〜って老体から世間ズレした子産み落とすの恐怖でしかない。
その世間からのズレを認識しないまま今日まで来てなんか美談にしてるだけ。
絶対どっかで生きづらさを感じてるはず。
普通の若者が経験しない心配事が増える。子供からしたら迷惑でしかない。
しかもその子供も世間ズレしてて他人に迷惑なり不快感を与えてるから最悪。
金があればいいとかじゃないからね??
ボケは金じゃ直せないんだし、
お前が人間関係下手な社不なだけだろ。
「優しすぎる」といえば聞こえは良いが、「逃げられない」「不満を口にしない」「溜め込む」の結果メンタル壊すの馬鹿みたい。
普通の人なら耐えられるような言葉に耐えられず、「あなたの発言の数々で心を病みました」とか、それを言えるなら心を病む前に「嫌だからその言い方はやめてほしい」と言えよ。逃げられなかった、逃げるスキルがなかったお前の社不性にも原因はあるのに、相手が明確に傷付く言葉だけ残していくなよ。
「嫌だからやめてほしい」と言って、やめてもらえなかったら確かにそれは相手が悪い。ただ言ったらやめてくれる人もちゃんといるんだわ。
人間の相性なんて無限にあって、折の合わない人だってたくさんいる。暴言や暴力となると犯罪だし相手が100悪い。ただ「言い方が合わない」人なんて腐る程いる。社会人になったらその中で上手くやっていかないといけないんだよ。それが人間社会だから。
職場がメン弱社不に乱されて苛立ち。
一力遼が世界戦を勝ったが、なんと日本勢としては19年ぶりらしい。 張栩がアジア選手権で勝った以降、井山すらも世界戦では勝てていなかったことになる。 これ自体は、素晴らしいことだとは思う。
しかし同時に、囲碁プロ棋士ってもう意味あるんだろうかという疑問も持っている。
囲碁AIが発達し、人間とは大差の実力を持つようになってしまった。 その結果どうなったかというと、 「AIが示す着手が最善手」という認識がプロにもアマにも定着してしまった。 今、アマがプロの碁を見る時にやってることは、 プロが打った手がAIの示す最善手と一致しているかどうかを確認することだ。 形勢判断についても、今はAIの評価を見ることが一般的だ。
プロも、囲碁の学習ではAI様のおっしゃるに打てるようになることを目指し、 実戦においても、AI様と一致することをよしとする。 今、世界ランキングでダントツのトップを行く韓国の申ジンソは、 AIとの一致率の高さから、「申工智能」と呼ばれている。 決まった答えがあり、それと同じように打つことが求められるのであれば、 もはやそれは人間がやる意味はないと思う。 お笑い番組で、箱の中に隠されたものを手の感触だけで当てるゲームがあるが、 これに近い。
以前は、囲碁のプロ棋士の役目は、最善手の探求そのものにあったように思う。 囲碁の理論(棋理という)自体を生涯をかけて追求した棋士もいた。 囲碁のプロ棋士とは、勝負師であると同時に、囲碁の研究者でもあったわけである。 それが研究の答えはこうですとAIが示すようになり、 人間もそれを受け入れてしまった以上、 囲碁の研究者という人間の仕事はもう失われてしまったわけで、 今残っているのは、AIなりきり選手権だけである。
去年、本因坊戦が縮小されて業界的には大きなニュースになったわけだが、 これは本質的にはAIの発達によってプロ囲碁の価値が失われたからだ。 囲碁新聞なんかもどんどん廃刊になっていっているが、 これも例えば棋譜解説なんかはAIに入力させれば終わりだし、 そもそもプロの打ち碁自体がAIものまね選手権であり、価値を失ってるからだ。
今後も、プロの囲碁はどんどん価値を失っていき、 職業としても危うくなっていくと思う。 芝野虎丸の兄である龍之介は、囲碁の棋士は斜陽であり、 平均年収は300万弱(中央値はもっと下)であるという考察を述べて、 囲碁の普及が足りてないことを問題意識として持っているようだが、 おれの考えでは真の原因はAIの発達と、それによる囲碁棋士のオワコン化にあると思う。
しかしこれは、囲碁自体がオワコンになったことを意味しない。 おれは、囲碁が生き残る方法は、囲碁を知能教育の手段として明確に位置づけることだと思っている。 東大では、全学体験ゼミナール「囲碁で養う考える力」 という講座があるように、碁は考える力を養う。 おれの母校である京大をはじめとして他の大学でも同様の講座をすべきなのはもちろんのこと、 出来れば小学校で囲碁を必修化すべきだ。しょうもない英語なんかやってる場合ではない。 囲碁で地頭を強化すれば、算数だろうが英語だろうが、余裕で出来るようになるから安心しろ。 故長尾健太郎氏は、囲碁で頭を鍛えた結果、四谷大塚で5年生の時に6年生の試験を受けて、一位をとっていたようだ。
元経産官僚の宇佐美典也氏(東大卒)は「僕は小さい頃、地元では1番で、このまま日本一になるのかと思ったこともあった。でも四谷大塚に入ったら、学年は1個下なのに、僕の学年の試験を受けて、ずっと1番を取っている長尾健太郎という男がいた。 https://times.abema.tv/articles/-/8670771?page=1
では、この世界に向かうにあたって、あるいは到達したあと、 囲碁のプロ棋士はどんな意味を持つだろうか。 例えば、スウェーデンでは教員になるためには修士号が必要というし、 大学受験の世界でも数学科出身の人が数学講師をやっていたりするわけだから、 プロ棋士が囲碁の先生になるというのは自然なことだ。
しかし、どんなに囲碁人口が増えようとも、囲碁のプロ棋士になる 人間は増えず、ゼロに収束していくと思う。 それは上に述べたように、囲碁がもうコンピュータによって解き明かされた ゲームであり、人間の探求領域はもう存在しないからである。
むしろ今後は、アマチュアの囲碁が盛り上がっていくのではないだろうか。 AIによって学習の機会は平等になったし、それによって受ける恩恵はプロよりも アマチュアの方が大きい。
囲碁棋士の歴史が終わってしまうことは文化的には大きな損失だとは思うが、 技術革新によってある仕事が失われるというのは他の業界では起こっていることであり、 囲碁についても、プロ棋士ではない別の職業が生まれるのではないかと思っている。 日本棋院は囲碁棋士業界を延命させることに必死だが、 それは無理なので、別の道を模索した方がいいと思う。
こういう論見るとなかなかきついなあと思う。いろんな人がいるんだよ。私も結局のところ働いてるけどね…。
自分は正直性別役割分業の時代のままでよかったと思ってる。まあ性別で分ける必要はないのだけど、女性より男性の方が体力あって色々安定しているのは実体験として、やっぱりわかっちゃうし。男の人はすごいよ。
お互い得意なことやって分業して、お互いに感謝できたらそれが一番いいんじゃないかな。稼ぎ頭の奥さんと、主夫ってパターンにしてもね。
時代の変化で過去のものが段々と切り捨てられていくけど、それに救われていた人間も、感謝していた人間もいる。その制度の裏で嫌な思いをしていた人もやはりいるかもしれない。
常に自分の対岸にいる人について考えるべきだと思う。
精神病と名がついているが、ほとんどの患者は普通だ。ほぼ健常者だ。
一方で社会の基準がどんどん上がっている。膨大な仕事量が待ち受けており、それに適応できないと病む。
それが深くなると精神病とされる。
当たり前だ。社会の方が病んでいる。
社会に存在する仕事の要求量は上がっている。要求されるクオリティも高いし、量も多い。
そんな中で、「あなたのペースでいいんだよ」「休んでいいんだよ」と言っても、仕事が減るわけではない。そいつの仕事は減っても他の人間への仕事はその分増える。
そんなふうに優しく言うと、儲かるから言っているだけだ。
もしくは、強メンタルの人でも一時的に病むことはある。休んだあとは、あとあと頑張ってもらうために言っている。
そして資本主義は容易には変わらない。所有権は資本主義の基本原理であり、富裕層は所有権を絶対に自ら手放さない。
あなたたちも自分の全所有物を「まず手放せ」と言われたら嫌だろう。それに、「誰」に手渡す?
歴史的にも共産主義は否定されている。にもかかわらず資本主義の打倒に命を賭けるべきか?
「いいんだよ今は」
「ゆっくりでいいんだよ」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」
「あなたのペースでいいんだよ」
「無理しないで」
「焦らなくていいんだよ」
「がんばったね今まで」
「気が向いたときでいいよ」
「つらいよね、くるしいよね」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」
なんだこれ。ナメてんのか?
弱いなーーーーー。
弱いんだよ。慰めっていうのは弱いのか?
言う側も同じ人間だろ。どの立場で言っている?テメェは神か何かかよ。
本来は以下のようにならなければならない。
「テメェって、よわいよなあああああああああ!!!!!!!!!!」
「おまえって、ザコだよなあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「おまえさああああああああああ、みじめだよなああああああああああ!!???!!!」
「もう立ち直れないよなあああああ!!!! 可哀想になああああああああ!!!!!」
「お前の人生さあああああああ!!! 一生そのまま固定だよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????」
こういう意味だろ。しっくりこないか?誰もこうやって直接的には言わないんだよ。言うとバッシングされるからな。そいつが物理的に危険にさらされる。
違うだろ。
弱者はそんなに弱くない。もっとしたたかで、強く、ずる賢く、悪辣なんだ。
目の前にクマや虎がいて強烈に飢えているとする。
絶体絶命だ。もう助からない。
そこで病むのか?
誰かあーーーーたすけてぇーーーーーーと叫ぶのか。
クマがたくさんいて、人間もたくさんいるから、クマには「こっち来ないでくれ」と思っているし、人間には「誰かなんとかしろよ」と思っているのだろう。
助けてもらえるうちはまだいい。だが誰も助けてくれないときにも病んでどうする。
クマがまさに目の前まで迫っていて早急に対処しないときに、慰めの言葉は何の武器にもならない。
こうだ。今はそういう社会なんだ。
金を直接は配らないかもしれないが、そいつは持っている金を配る。
そういうやつを待っているのか。そういうやつは忙しい。病んでいる人間にかまっている暇はない。
まあ、病んでいる者の大変さはわかる。いや究極的にはわからないんだが。だが90%ぐらいはわかる。
しかしそうやって病んでいたとして助けてもらえるのは今だけだ。
こう言うと奴らは「うわーー理解してくれないーーー!!死にてぇーーー!こういうやつがいるから生きづらいーー!」とか言う。
ほーーーー?
敵対する元気はまだ残っているようだな。使えるな、コイツ、と俺は思う。
そういうやつは死にてぇ死にてぇって言いながら死ねてないのが現実だ。
なぜなら死は難しい。米食いながら死にたいとか言ううちはまだ甘い。糠でも草でも食っても人間は生き延びられる。
病んで病んで病むのは、そうすれば助けてくれる誰かがいると思っているからだ。わかっていてやっている。
助けが来るうちに病んで病んで病んで、それで他人に迷惑をかけている。そして他人に迷惑をかけることを正当化する。
なぜ自分が病んでいるのか、自分が病むことはどうして正しいのか、徹底的に理由を作り上げる。そこには水も通さない。
病んでいるとき、存外人は冷静だ。病んでるとき、意外と楽しいものだ。その病んでいるという状態は快楽だ。楽だ。それ以外がんばって考えなくていいからだ。
だが助けは来なくなる。奴らはよくわかっている。だが、未来のことを考える必要はない。
奴らにとって、未来の自分は他人だからだ。未来の自分に莫大な希望を託している。
未来のことを考えて奴らが病むときというのは、その未来の自分への負荷が上がったと確信したときだ。
経済的困難もなく不自由がないのなら病む必要はない。将来の見通しがある者は病まない。見通しがないと病む。
あとがなくなれば病んでいる暇はない。
良い方向に自分を放り投げて退路を無くせ。進むしかなければ進むしかない。
戻る道をふさげ。
「いいんだよ今は」→「今こそやるべきときだ」
「ゆっくりでいいんだよ」→「急いで動け」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」→「ようやく腰を上げてがんばろうではないか」
「あなたのペースでいいんだよ」→「お前のペースを上げろ」
「無理しないで」→「無理をすべきときがきた」
「焦らなくていいんだよ」→「焦ってばかりいるが、手足はなぜ動いていない?」
「悩んでることがあるなら相談にのるよ」→「ぐずぐず悩んでる暇があったら動け」
「あなたはそのままでいいんだよ」→「このままじゃダメだってわかってるだろ?」
「がんばったね今まで」→「まだまだこれからも同じように頑張っていけ」
「気が向いたときでいいよ」→「気が向け。今すぐ。今、気が向け」
「つらいよね、くるしいよね」→「こんなつらさやくるしさは、いつだって乗り越えてきただろう?」
「あなたの心がいちばんだいじだよ」→「おまえの心の成長がいちばんだいじだ」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」→「休んだら次!」
これだよ。できなきゃ身の破滅が待っているだけだ。死ぬか行くかだ。
お前も落ちてこい、落ちてこい、地獄はこっちだ、お前を利用してやろう、お前はそのまま搾取されろ、お前はダメなままでいい、お前はカスのままでいい、お前は地獄に堕ち続けて苦しんだ方がいい、お前は成長しなくていい。
そんな言葉や人間であふれている。そしてそれが正義だと思われている。
病んでんじゃねーぞクソガキ。
https://x.com/Annoying_Temm/status/1838197474038567001
今日は音MAD界隈で発生している、よくわかんないレスバについて、知っておこう
双方の意見をまとめていくよ
まず、音MAD作者としての著作者に関する姿勢についての議論として始まる
赤さんの主張
・『Vital怪電波さんが 「水着回とかより机バンッて叩いてくれる方が嬉しい(から、アニメ素材はもっと机をバンって鳴らす素材を提供しろ!)」と主張していた 』と理解している
・音MAD作者はアニメを素材として使っていて、それは著作権違反であり、違法である
・そのため、音MAD作者は著作者に対してそのような指図をするような態度を取るべきではなく不適切である
Vital怪電波さんの主張
・音MAD作者として、「水着回とかより机バンッて叩いてくれる方が嬉しい(アニメの中にそういう場面があると嬉しくなる)」と主張している
・「アニメ制作者はもっと机を鳴らすべき」とまでは主張していない
総評: Vital怪電波さんはアニメ制作者について指図したわけではない。したがって、赤さんの主張は的外れであると思われる。
Vital怪電波さんの主張
・しかし、著作者でない人間がその違法性をやり玉にあげる必要はない
・第三者がそれを過度にやり玉に挙げ、批判するのは単なる攻撃行為であるし、おこがましい
・音MAD作者としては、違法なことを理解して、その上で音MADを作っている
赤さんの主張
・違法なことに対しては自分が被害者であることを関係なしに非難して良い
総評: おおむねVital怪電波さんのほうが正しい。著作権法に則れば、著作者がそれを指摘しないかぎり親告罪であり、問題にはならないと考える。
しかし本件とは別に、違法なことを行なっているという自覚についてはしっかり理解していく必要がある。
黙認状態であるとはいえ、度を過ぎた行為に対しては批判はしかるべきである。