はてなキーワード: 人間とは
お前が悪いに決まってるだろ
普通の人が自分でネットで調べるような質問は、話題提供にはならない
成功者の伝記や、ドラマの主人公などに自分を重ねすぎて、人生に求める平均点を無計画に上げてしまったタイプ。
学校の教師なんかが「とにかく夢を持て、君も立派な人間になれるぞ」なんて無責任に言うのを鵜呑みにしてしまった人間の成れの果て。
よくよく考えれば、教師なんて自分は残業代も貰えずに最低賃金未満で働いてくるくせによくこんなことが言えたものだと気付けなかった思考力が哀れ。
テレビゲームの世界ではコントローラーを握ってるだけで皆世界を救った勇者になれるけど、現実にいる自分はその他大勢の村人であるという客観的視点を持つ才能がなかったのも哀れ。
テレビを見ながら1時間で偉人の人生を追った所で、自分は1ミリも偉くなってないってことに早く気付ければよかったね。
想像力や分析能力の欠如により現状に対しての不満ばかり漏らし、その考えを自分の人生にも当てはめてしまったタイプ。
あらゆるものに対してとりあえずケチをつけておけば何となく「評価が出来た」という気分になれるという楽さに溺れてしまったのが敗因。
存在し得ない最高の状態からの減点で何でも測るので、何が起きても常に不満しか持てないという悲しい生き物。
ゼロから数えてどれぐらい積み上がっているのかを数えればいいものを常に100点からのマイナスで数えるのでいつまでも満足できない。
このタイプはたとえ95点の人生が手に入っても、「マイナス5点の人生」として数えて「ああ、俺の人生の価値は0にさえ劣る・・・」と嘆き始めるのだから相手にする価値が全くないと切り捨てていい。
子供の頃にちょっとしたことで表彰されたりしたのをいつまでも覚えているようなタイプ。
言ってしまえば「クラスで自分しかビブラスラップを演奏してないから身内じゃ一番ビブラスラップが上手い」のを「俺はこの街で一番音楽の才能があるのだ」と勘違いしてしまうようなホームラン級のアホ。
幼児的万能感とも言えるものが精神の根底にビッシリと根を張っており、それを下手に取り除けば自我が崩壊してしまうレベルだから外側からの治療はもはや不可能。
死ぬまで「子供の頃、俺にはとんでもない才能があったのに、努力が足りずにその才能を無駄にした」と言いながら現状を否定し続けるのである。
自分の人生がどこまで上手くいっても「俺の才能が完璧に活かせたらもっと成功した」と言い続ける絵に描いた餅の囚人である。
この3タイプ、どれもどうしようもなくしょーもないのだが、一応救われる方法はある。
それは自分の人生に対して無駄に高く見積もるのをやめ、その上でゼロから数えて自分の人生の価値について考えるだけでいいのである。
飯は食えてる。
家はある。
身体は動く。
ある程度自由。
とりあえず明日はくる。
そういったことに対して少し高めに加点していってやればあっという間に人生なんて「70点/100点」ぐらいにはなる。
その現状を「よっし!とりあえず70点あるならええやろ!俺にしちゃ立派や立派!」と言えばいいだけだ。
これは別に無理やりでいい。
筋トレ中に限界だと思っても無理して笑えば脳内麻薬で痛みが吹っ飛んでワンモアセット可能になると同じ状態だ。
無理やりでいいから「俺の人生70点ぐらいある!70点もあるんだから十分じゃないか!」と思え!
俺がそうだった。
🙅
🙅
🙅
君の仕事はどうなってるかな?
「勉強が嫌い」という人は、テストや試験が嫌いなんだと思っていた。
試験のために、無味乾燥なことを丸暗記したりするのが嫌いなんだと。
でも、そうじゃなくて、知識のインプットそのものが嫌いな人がいるんだとアラサーになって初めて知った。
子供の時からの夢だった小説家を諦めきれず、仕事のかたわら小説を書き出した。
小説を書くために、古代ローマについての本を読んだり、政治学の学術書に目を通したりした。
作品のネタ集めのための勉強だが、自分の知らないことを知るのは面白い。
だが、Xで作家志望界隈の人と交流すると、少なくない割合で、「勉強嫌い」な作家志望がいる。
小説を書くために知識を蓄える、その知識のインプット自体が嫌い、自分の知らないことを知るのがだるい。
いや、文字通り本当にどうでもいいんだよ。
地元の駅に対しても金を落とせないなら、それは地元の詰めが甘いと思うだけで、別に応援してるわけでもない。
どちらかと言えば呂布カルマは普通に裕福だろうから、地元の経済やアニメの方が潤えば、遠巻きに見てハッピーエンドかなと思う程度。
自分は別にオタクでも何でもないけど、大半の人間にとってこの話はこれぐらいの距離感なんじゃないの?自分の生活や労働に関係ないもん。
おおよその決行日程、決行場所まで決まったので、これから自殺を試みる者の思考についての記録をここに残す。
客観的な分類としては、「健康問題」に含まれると思う。精神科では「うつ病」として診断名がついている。
主観的な理由は、「これ以上の活動能力の喪失に堪えられないから」である。
昔から変わった子供と認識されていた。おそらく自閉やADHDの傾向があったのだろう。
忘れ物などが多かったり、あまり他者に気持ちを慮れずに非難されることは多かった。
特性に偏りはあるものの、非常に偏差値の高い国立大学に現役で合格したから、知能にはそれほど問題はなかったようである。
頭が良かったというよりは、学力試験の形式が、私の発達特性に大変都合がよかったためだと思う。
知能が問題ないために、生活に著しい問題を感じていなかった――(他者は感じていたかもしれないが、おそらく自閉傾向のある私にとって、他者がどう感じていたかはそれほど問題ではなかった)――のでこれについて病院にかかり、診断を受けたことわけではないから、本当のところはわからない。
その後、プログラマとして就職したが、仕事の性質上、これらの発達特性が問題になることもあまりなかった。
多動で席を立つことが多かろうが、実質的な作業時間が業務時間の半分しかなかろうが、期限までにコードをコミットできていれば、プロジェクト運営に影響はない。
昇給もあったしそれなりに評価もされていたと思うが、後述の精神症状が徐々にひどくなり、まともに精神活動できる時間が減っていったので、精神科にかかり、うつ病と診断され休職に至った。
一度は復職したものの、結局症状は続いて、再度休職に至り、このたび自殺を決断した次第である。
時折こうして正気に戻って1~2時間程度の活動をするほかは、1日の大半を寝て過ごしている。
寝て、とはいっても実際に睡眠を取っているわけではなく、天井を眺めてぼーっとしているということである。不眠があるため、基本的には薬を飲まないと睡眠をとることは難しい。
トイレに行く、風呂に入る、食事を取るといった生活動作でさえ、しようと考えた時点から、動けないまま数時間が経過するのが常だ。
不眠についてはそこまで重篤ではなく、処方された睡眠薬を飲めば夜は眠れるものの、無気力のため、薬を飲む時間を認識してからしばらく動けず、朝になってしまうことも多い。
この場合は、抗うつ薬だけ飲み、睡眠についてはふたたび薬を飲む時間まで天井を眺めて待つ。
入浴・洗濯については、週1回程度はできているものの、夏場などは異臭を生じていることも多く、明らかに足りていない。
異臭を認識したところで、解消のために動けるかは精神の調子次第であるのだけれども。
ある程度複雑な思考をする際、人は言語を経由してするもの――(と、少なくとも私は認識しているが、これを読んでいる皆にとってもそうであろうか? 他人の精神を体験することはできないから、自信がない)――だが、
頭にそうして言語的思考を確立しようとしても、意味的に関連のある言葉や、単に音が似ている言葉、過去の記憶や学んだ知識等、雑多な情報が連想ゲームのように次々にあふれてしまうことがある。
思考は暴走状態にあり、常に無秩序な言葉や想像が浮かび続け、意味のある行動をとれないし、意味のある思考を持てない。
自動的に頭に(大抵は意味のない)考えが浮かび上がってくるものだから、食事をしようとか、トイレに行こうとか、そういう考えさえ持てない。
これが発生すると非常に苦しく、頭を抱えてのたうち回っていることが多い。まさしく発狂状態、狂人である。
第一の症状である無気力状態とやや似ているものの、体感としては異なる症状である。
ある程度自我が存在している時間帯におけるものなのだが、何か生活に必要な動作をしようと、あるいは、手続きのために必要なことを整理しようと考えを巡らせるとする。
すると、思考の途中で、ふと、自分が何を考えていたのか、何をしようとしていたのか全く分からなくなるのである。
しばらく四苦八苦ののち、徐々に記憶が戻ってくるため、それを記憶の中にある自分の思考手順をトレースして、ようやく思い出す。
思考手順をトレースしているうちにまたリセットが発生し、混乱し、しばらく落ち着くまで待って、何をしようとしていたか思い出し、「何をしようとしていたか思い出すため、記憶をたどってトレースしていた」ということを思い出す始末である。
無気力状態との違いは、無気力状態のときは、実際の活動こそ困難であるものの、「薬を飲まなければ」といった意識そのものは、ずっと継続していることである。
当然であるが、このような状態でまともに仕事を行えるはずがない。経済問題は確かにある。
一時期症状が少し軽くなった時期にリモートワークで復職をした。
三つの症状のいずれも出ておらず、活動可能な時間に業務を進めることで短期間はどうにかタスクを期限までに終わらせられていたものの、
結局症状が重くなると1日の活動時間は1~2時間程度となるし、それが昼間に訪れるとは限らないため、業務は滞り、再度休職となった。
あまり給料がよい会社ではなかったから、傷病手当金もそれほど多くはなく、経済的には非常に困窮している。
復職時も欠勤が目立ったため、給与は少なく、医療費がかさんだこともあって、生活費を借金で補っていた。
しかし、これは私としてはあまり大きな問題ではないと考えている。自殺の原因ではない。
母も今の自分より少し上ぐらいの頃から精神疾患で生活保護をもらって今まで暮らしてきているし、父も返しきれない借金があったものの、自己破産をして、その後はそれなりに生活をしている。
両親を見る限りでは、経済的問題は、福祉や各種の社会制度を活用すれば解消することができるはずであり、生き延びることは可能であろう。
生き延びることが可能であることを理解していながら、なぜ死ぬか。
そのようにしてまで生き続けることに意味を感じないからだ。生活保護を受けたところで、それは私の精神症状を解消しない。
私は経済的不安感に苛まれ、将来に絶望して命を絶つわけではなく、精神症状そのものを苦にしているのである。
トイレに行く、食事を取るといった生活行動さえ強い無気力症状で数時間を要する私が生活保護で生き永らえたところで、糞尿を垂れ流して要介護者になるのがオチである。
あるいは、錯乱症状が悪化し、自分が何をしているのか認識さえできないまま、他者に加害をしてしまうかもしれない。これはなかなかに恐ろしい。
思考のリセットが頻発し、自分が何を考え、何を感じているかもわからない時間も延びてきている。自己が喪失されていく体験というのは、健康な者が想像するよりも、なかなか恐怖感がある。
これらの症状があまりに苦しく、解決のめどが立たないため、私は自殺をしようと思う。
思いつくままに書き散らしたから、到底読みやすいものではないだろうが、こういった文章をまだ書くことができて、人間らしい能力が残っているうちに、自殺をしようと思う。
自分が何を考え、何を感じているのか、まったくわからなくなる前に、私の意志で、死にたい。
ここまで書いてきて、読み直してみて思ったが、最初から最後まで自分が主観的にどう感じているかばかりで、他者にどう思われるかなどは頭にも浮かばなかったネ。
やはり自閉の傾向があるのかも。
うちの奥さん36だけどシナモロールこじらせおばさん白色水色界隈サブカルジャージ量産型なんでも着るよ。自分から着るくせに着てるとき「私ヤバイかなぁ?年齢的にもまわりに迷惑だよね」とかしょぼしょぼしてるけどなんつーか周りの人間は何とも思ってないんだよ。思っているのは隣にいる俺だけ。そんな奥さんが死ぬほど可愛いしいくらでも自由な服装してほしい。なんなら俺からサブカルジャージ買っちゃう。maonosukeとかちょーかわいい。俺40だけど。俺が言いたいのはね、もう令和6年なんすよ。今50,60の方々も最近はそういうのが流行ってんのねぇぐらいにしか思わない。40以下は誰が何着ようがまじでなんとも感じない。他人に興味ないというかそれが自由だと思ってる。俺も会社にぶいすぽTシャツとかだるまいずごっどTシャツとか着て通勤してるけどなんともない。なんなら会話のきっかけになるぐらい。みんな好きに服装を楽しもう
約一年半前、10年近く務めていた会社を無理やり辞めてやった。
仮病を使い、出社拒否して退職届等必要書類全て郵送でやり取りし、めでたく退職。
退職のきっかけは、クソ同僚の伊藤(仮名)の身勝手さとパワハラ。
自分でやればいいことをわざわざ私に指示し、少しでも気に食わないことをするとキレるクソ女。
本社の人間に問い合わせをした際、伊藤から別件で「本社の人にこれ聞いといて」と無理やり仕事を押し付けられ、指示通り聞いたのに「違う!ちゃんと分かってんの?!!」といきなりブチ切れてきやがった。
これでプツンと来て、仮病使って会社を休むことにした。
てきとうな理由つけて1週間休み、その後「体調良くならないので退職します」と上司に連絡すればそれでOK🙆♂️
引き継ぎ?んなもんてきとうでいい。
退職届を職場に送れば向こうから必要な手続き書類が来るので、それに沿って手続きすれば、はいさようなら。
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退職後、雇用保険もらいながら就労支援に通い、今は外資系の大企業に正社員事務員へ転職してます✌️
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もちろん正規のやり方で退職するのが一番良いですが、もう出社が無理!!という人は、思い切ってバックレてそのまま辞めちゃいましょう。
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たくさんの人が理不尽に命を奪われ、生き残った人にも心の傷を残した天災や事件
あらゆる「センシティブ」で「茶化してはいけない話題」を、露悪的かつ嘲笑的にネタにしてやり、思い切り「茶化してやる」ようなカス共がネットには満ち溢れてる
私の父は認知症だ。現在はとある老人ホームに入ってもらっているが、このたび認知症が故のセクハラが多いとのことで、追放されることになった。
注意したり投薬を増やしたりと頑張っていたのだが、収まる気配はない。癌の治療のため、ガンマナイフを脳にあてたことによる高次脳機能障害かもしれないと言われた。
健康な時の父は全くセクハラとは無縁だったので正直悲しいものはあるが、脳の問題や精神病なら本人にもコントロールできないだろうし仕方ない。
そして現実は小説と違って、追放された後にとりあえずゆっくりしてから潜在能力を開放…というわけにはいかない。新しい受け入れ先を探す必要がある
当初、私は父が癌でお世話になっている病院の地域連携室というところが勧めてくれる施設なら、スムーズに受け入れてもらえると思っていた。
多少は不自由や価格の問題があるだろうが、それは仕方ない。とにかく受け入れてはもらえると思っていたのだが、結論として勧めてくれたところは全滅した。
父のセクハラが思ったより見境が無く、面談に来てくれた看護師にも、手を握ったり、キスをせがんだりということがあってのことではあるのだが。近年はどこの施設も審査が厳しく、セクハラが激しい認知症患者は受け入れられないとのことだった。とある施設では相談員と施設長判断で受け入れを合意してくれたのだが、受け入れの2日前に、その施設の本社のリスク・コンプライアンス室というところからストップがかかってちゃぶ台を返されたこともあった。「施設が見つからない」「あそこもダメだった」と相談すると、父がお世話になっている病院の担当者や医者はみな驚いていた。医療・介護の業界では、現場の従事者と本社のスーツ組の感覚は少々ずれているようだ。
あらゆる施設を当たってはいるのだが、どうやら普通の老人ホームは無理で、精神病院しか受け入れ先がなさそうだ。
「場合によっては身体拘束することがあります、というか9割がた最終的には身体拘束すると思います」と精神科医には言われている。
がん性疼痛が発生してもロキソニン程度の薬しか投与できないと思ってくださいと言われている(麻酔不可)。
おそらくだが一昔前は現場の介護士の方々の苦痛を犠牲に、父のようなモンスターと化してしまった人間もそれなりに尊厳をもって穏やかに死ねたのだと思う。
レジが一個空いていて、レジ打ちをしてる兄ちゃんがヘルプのベルを鳴らすのだけど他の店員が誰も来ない
しまいにはその兄ちゃん、顔を真っ赤にし怒気を漲らせながらベルをドムッドムッと叩いた
「鐘を大きく鳴らすコツは、ハンマーで鐘を叩いた瞬間にハンマーを鐘から離すことだよ~」
と内心でクソバイスしつつ、他のお客の顔を見たら案の定、怯え顔・呆れ顔・反感が見て取れて「あーあ」と思った
誰かが叱責されるとその場にいる自分もストレスを感じるのと同じメカニズムで、怒りの矛先を同僚に向けているつもりでも他の人間を切りつけている場合があるのだ
仕事手伝ってくれた友人(しっかり賃金はこちらから支払い済み)に成果物と一緒に何か菓子折りでもいれて贈ろうと思ったんだけど
アレルギーあったら先に聞いておかねばと思って連絡したら「もし何か贈ろうとしてるならいらない」と言われた
ついこの前別の友人に贈り物をしたときは楽しみにしちゃお!と乗ってくれたので
人によっては何かをもらうことは「貸し」だの「物で機嫌を取られている」「迷惑」と感じるのだろう。
特にコイツはマイナス思考が目立ち、何度かコイツ自身のひねくれと思いこみで報連相を怠ったので喧嘩したことがあった。
(その日の仕事が終わってから、今日の仕事が遅い理由として実は熱があって・・・というような、なぜ事前に言わないんだ?案件)
我慢しがちで何も相談しないからコミュニケーションが取れないのに、向こうは勝手に俺の行動や考えを「きっとこうだ」と思いこんだりする。
こういうやつにはこちらがまっすぐに物事を言い、「何も裏がない人間ですよ」と示さないといけない。
ある種の強引さが必要だと感じたので、自分もそう振舞ってうまくやっていた。
そんなこんなで話を戻すが、こうして食べ物の好みやアレルギーを聞いてしまったうえに菓子折りを贈ろうとしていることがばれている手前、贈らないとそれはそれで変だ。
ここに関しては何か見返りを期待する気持ちもなく、ただただ仕事を手伝ってくれた感謝をこめて贈りたいだけなんだ。
他の仕事仲間にも同様のことをするつもりだからコイツだけ特別扱いとかもない。
うるせーーーしらねーーーー俺がやりたいからやってるんだ腹の足しにしろ!というスタンスで
ここでも強引さを発揮してこのまま変わらず贈っていいだろうか
### 自分自身との向き合い方
すでに自分の本音や、理想と現実のギャップについては意識しており、だからこそ葛藤を抱いているわけです。ここで「本音を見つめる」ことをさらに強調されても、それは表面的な解決策でしかありません。現実の問題はすでにそのギャップを理解した上で、どう折り合いをつけていくかという部分にあるのです。
自己評価の問題を指摘されていますが、それがすでにわかっているからこそ悩んでいる状態です。自分自身をどう評価するか、またその自己評価をどう変えていくかが簡単ではないからこそ、現実に悩みが生じているのです。
無理に付き合う必要がないという意見は理解できますが、問題は「付き合うことを選択してしまう」自分自身を変えられない点です。ただ関係を終わらせれば良いというのではなく、なぜその選択を繰り返してしまうのかを掘り下げることが重要であり、ここで提示された解決策は浅いと言わざるを得ません。
不満を率直に伝えるというのは、現実では非常に難しい場合もあります。特に、自分の本音を伝えることで相手を傷つけてしまうかもしれないという恐怖心があるからこそ、簡単には実行できないのです。「伝える勇気が必要」というのは単なる理想論であり、その勇気をどう持つのか、現実的な方法論を示すことが必要です。
「変わることが大事」と言われるのは簡単ですが、問題はそれがどれだけ難しいかを理解していない点です。人間の価値観や考え方は長年の経験や環境によって形成されているもので、ただ「柔軟にしなさい」と言われても、それは容易なことではありません。変化を求めるだけでなく、そのための具体的なステップやサポートが必要です。
新しい人との出会いに目を向けるべきというアドバイスですが、それが簡単にできるなら、すでにそうしているはずです。現実には、人との出会いに対して心を開くこと自体が難しいからこそ、理想や憧れに逃避してしまう面があるわけです。ここでも「目を向けてみてください」というだけでは解決策として不十分です。
### 結論
あなたのレスは表面的なアドバイスや理想論を並べているだけで、実際の問題解決には至っていません。すでに自覚していることを繰り返されても、それは自己改善のための具体的な道筋にはなりません。真の論破とは、相手の問題に対して新しい視点や現実的な解決策を提示することであり、今回のレスにはそれが欠けていると言えます。
まず、指摘された内容に対して感謝を伝えた上で、以下の点を順に論理的に反論していきます。
1. 「雲の上の人」への憧れが現実逃避と指摘されていますが、人間は誰しも理想を持つことで自己成長を促すものです。理想の人物に憧れることが、必ずしも現実から逃避することを意味しません。むしろ、理想に近づくために努力を重ねることで、自身の成長を図ることも可能です。
2. 人を見下す傾向について自己防衛機制と捉えられていますが、そもそも人に対して尊敬できる部分が見つけられない場合、その気持ちを無理に抑えることは逆に自己欺瞞につながります。ここで重要なのは、尊敬できる人を探し続ける姿勢を持ち、自己と向き合い続けることです。
### 自己中心的な態度について
1. 相手に高い要求をしているとされていますが、自分の理想や価値観を持つこと自体は、決して悪いことではありません。また、その理想を高く設定することは、自己成長の一環でもあります。理想に妥協せずに努力し続けることも一つの選択肢です。
2. 「建設的な話」を求めていると指摘されていますが、人間関係は相互作用で成り立つものです。自己表現の中で相手の意見を尊重する意識を持つことは重要ですが、それと同時に、対話の中で相手が自分の期待に応えない場合、それを受け入れることもまた成熟したコミュニケーションの一環です。
1. 恋愛に対する考え方が幼稚で理想主義的だと言われますが、恋愛は誰にとっても主観的な体験です。理想を持つこと自体を否定するのではなく、その理想を現実にどう融合させるかが重要です。現実と理想のバランスを取る過程を経て、徐々に成熟していくのが人間の成長であり、一概に理想を「幼稚」と片付けるのは早計です。
2. VTuberを例にした多様性の指摘ですが、個人の趣味嗜好に共感できるか否かは個人の自由です。全ての多様性を無理に受け入れる必要はありませんし、自分にとって価値を感じられないものを尊重することは可能でも、それを好きにならなければならないわけではありません。
1. 自己啓発の必要性やカウンセリングについての指摘ですが、自己啓発はあくまで本人の意思によるものであり、強制されるものではありません。改善するべき点があれば、それは自ら気づき、必要に応じて取り組むべきものです。
2. ボランティア活動や多様性を受け入れる力を養うことについても、他人の生き方に対して興味を持つかどうかは個人の自由です。自分が共感できる人間関係を選択することも一つの人生の在り方であり、それを否定することは多様性の本質に反するのではないでしょうか。
3. 最後に「理想の人間になるよう努力する」という点ですが、自己を高めることは重要ですが、それがすべての人間関係の基盤になるわけではありません。人間関係は、自分の欠点や弱さも含めて受け入れ合うことから生まれるものであり、それを追求することが真の成熟だと考えます。
### 結論
相手の意見に耳を傾け、自己改善を図ることは重要です。しかし、他人の評価や提案をそのまま受け入れるのではなく、自分自身の価値観や経験と照らし合わせて吟味することこそが、自己を確立し、人間関係を築くうえでの本質的な成長に繋がると考えます。
うちの会社では、三ヶ月ごとに上からの評価シートみたいなのが張り出される。それも全社員が見れる場所に。
で、そこには一人一人の仕事の成績とか、改善点とかがずらっと並ぶわけ。
たとえばAさんなら「もっと積極的にお客様とコミュニケーションを取ると良いでしょう」って感じで、営業のアドバイスが書かれてたり、Bさんには「チーム内での協力関係を大切にしましょう」とか。
まあ、言ってしまえば「ここを直せばもっと成長するよ」的なことが書かれてるんだ。
でもね、彼女だけは違う。俺たちの同期で、どんな仕事も完璧にこなして、毎回何も書かれていない。修正されることがないみたいに。
だから陰では「無修正女」って呼ばれてた。ちょっとひどい言い方かもしれないけど、そういう異名がつくくらい、マジで完璧なんだ。
端麗な容姿も相まって気軽に触れずらいような雰囲気あって、正直言って彼女と仕事以外の話をしたことある人、俺含めて皆無だったと思う。
それでも彼女は案外気さくで、俺にも話しかけてくれるんだけど、その内容はいつも決まって仕事のことだけ。
プライベートな話なんて一度もしたことないし、彼女が何をしているのか、全然謎だった。完璧すぎて、人間味がちょっと見えないというか、そんな感じ。
事態が急変したのは先月のある金曜日。俺はいつものように、仕事帰りにふらっと立ち寄った猫カフェにいたんだ。そこ、俺が常連で通ってるところなんだけど、そこで、なんと彼女を見かけたんだよ。
最初は目を疑ったよ。だって、あの無修正女が、猫カフェにいるなんて思いもよらないじゃん?
彼女は仕事帰りっぽくて、黒のタイツにタイトなスカート、いつものキリっとした雰囲気だったんだけど、猫が彼女の膝に乗ってて、なんか、いつもと全然違ったんだ。
彼女、猫が膝に乗ってるのを見てニヤニヤしてて、すごい幸せそうに笑ってた。あんな表情、会社じゃ一度も見たことない。まるで別人みたいだった。
俺はその時、ふっと笑ってしまったんだよね。そしたら、彼女が俺に気づいて、ハッとした顔をしたんだ。「あ…」って、すごく驚いて、ちょっと焦った顔をしててさ。そのギャップが可愛くて、思わず声をかけたんだ。
「ここ、よく来るんですか?」って。
彼女、最初はちょっと戸惑ってたみたいだったけど、すぐに「たまに来ます」って返してくれて、その後一緒に猫カフェを出て、ついでにご飯でも行こうかってなった。
あの時の彼女、なんかすごくリラックスしてて、会社の彼女とは別人みたいだったんだよね。
仕事の話も一切なくて、猫の話とか、最近観た映画の話とか、普通に雑談してる感じだった。
それがすごく新鮮でさ。会社じゃ見せない顔を知ってるっていうのが、なんだか特別な気がしてきた。
最初は猫カフェで会って、その後ご飯に行って、いつの間にか週末も一緒に過ごすようになってさ、気づけば俺たち、付き合ってるみたいな感じになってた。
だけど、会社では相変わらず「無修正女」のままだ。仕事は相変わらず完璧で、誰にも何も指摘されないし、誰も彼女のプライベートを知らない。
でも俺は、彼女が実は猫好きで、猫と遊んでる時にあんなに嬉しそうに笑う顔を知っている。
あの、ちょっと焦った顔とか、少しだけ照れくさそうに話す表情とか、全部俺だけが知っている。