はてなキーワード: 二階堂とは
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
未完、収まりきらなくなったので分割 anond:20170815223037
今 冷たくなっていく 二度と目を覚まさない 俺は
俺は桜を見ていた 今立っている足元には多くの死と俺と無念と怒りと死と涙とオニギリ、巻き込まれて死んでいった無数の動植物の死骸と黄金の精神 が埋まっている 今 薄桃の春が美しく咲いている この足元から立ち上る命で 春を感じる
https://youngjump.jp/goldenkamuy/
長い。今北産業
・選挙に行け
・ゴールデンカムイを読め
誰しも、それが最後の言葉になる可能性がある。だから今伝えたい。ゴールデンカムイをよめ。
ネタバレなし
以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーはありません。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになりません。
アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。
ゴールデンカムイ最新刊17巻は今日発売されたばっかりだ。ぜんぜん間に合う。買ったか?ゴールデンカムイとは、2016年まんが大賞を受賞し、イギリスの大英博物館の看板になるくらいすごいのだ。
かってないのか?いつお前はチタタプ言えるかな?ってこのアシリパさんに言われなくていいのか?
http://www.kamuy-anime.com/character/asirpa.html
ゴールデンカムイは、まず出てくる登場人物全員の気迫が違う。エンジン音が違う。全力だ。
ボーっと生きてる人などいない。荒れ狂う葛藤をかかえながらも怒らず笑わず表情筋が動かずボーっと生きてる「ように見える人」もいるのだ。
ヒンナヒンナをネタバレなしに説明するなら、アニメ公式のいうhttps://twitter.com/kamuy_anime
冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ギャグ&LOVE和風ラッコ鍋ウエスタンがしっくりくるだろう。
舞台は気高き北の大地・北海道。明治時代後期、日露戦争をくぐり抜けた「不死身の杉元」杉元佐一は、ある目的のために大金を欲っしてた。
一攫千金を目指し 砂金を求めて北海道に渡ってきた杉元を待ち受けていたのは、網走監獄の死刑囚が隠した莫大な埋蔵金への手がかりだった。
圧倒的で、畏怖の念を抱かせるほどの大自然! VS 凶悪、変態で【禁則事項です】な死刑囚! そして、誇り高き変顔の天才アシ(リ)パさんとの出逢い!
404
シライシ@shirasiri 安定のいつめん てかマジ久しぶりやろ海(笑)
#白石#アシリパ#杉元佐一#くりからもんもん#cute#kawaii#pink#二階堂#関節#みんながみんな狂人#f4f#北海道開拓の村
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。
雑多な内容を羅列した節があります。
https://tonarinoyj.jp/episode/13932016480028986524
読んだ?血は戦争が始まったら怖くても否が応でも血を見なきゃいけなくなる。苦手とか言ってられなくなる。
選挙に行こう、我々は無血で政治を決めるやり方を生み出した。我々にできること一番のことは選挙に行くことだ 並ばなくていい期日前投票制度もあるし 投票率上がるから会場で献血みたいにジュースとカップラーメンくれ。
選挙行ってもムダだって?まぁすぐに恩恵はわからんさ。筋トレと一緒だ。 続けるか否か
昔海で遊んだ経験があれば 海で楽しいという思いをしていれば 辺野古を埋め立てようという議員に投票はしない そうニュースで語る人を見た
知らないと、本当にどうでもよくなってしまうのだ。
開拓され消えた樺太のアイヌの村は 消えていった。北海道のアイヌもそうなる 厳ついグルグルピアスが言う。
知ること それが行動の第一歩だ
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
https://anond.hatelabo.jp/20190319222712
・相性ぴったりの政党はどこ?ドキドキ♡えらぼーと占い(追記)
https://mediasapuri.jp/2019/04/24/7565/
政治は、投票率の高い世代の意見を重視する。意見がないと、いないものとして扱われてしまう。
議員に意見を出す方法は、何も投票だけではない。指先や喉から言葉を出力して、それを届けることができる。どこに?「住んでる都道府県」+知っている政党 でググってメールアドレスをゲット。
~について意見を聞きたい、回答を選挙の参考にしたいと伝えれば、民の望む方向へオールを漕ぐだろう。
正直、「あたしこのパイ嫌いなのよね」とニシンのパイを食べなくても、現状それしかないのだ。ニシンの部分を避けてカリカリのところだけ食べる選択肢もある。ニシンはニシンを食べたい人が食べればいい。
・ンチャヌプコロ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54833
心で感謝しているのに、 それを態度で示そうとしないのは、 プレゼントを包んだのに、 渡さないのと同じことだ( ジグ・ジグラー)
キャラに3DCG多用していることについて不満の声もあったけど、個人的にはドロヘドロの主役は背景と設定だと思うので特に問題なかった
背景は最高だったし展開も原作通りだった
サクサク進むので初見は結構戸惑うかもしれないが、ハマればかなりハマる作品
バンバン人が死ぬ割にテイストはギャグ多めという、価値観がぶっ壊される感じが心地良い
悪魔設定が好き
[声]
カイマンの声は爬虫類だしどんな声でも正解かつ不正解な気がする
注目は恵比寿(cv:富田美憂)、作中で多分一番難しい役だと思う
富田さん生き急いでんな
シリーズ構成がふでやすかずゆき氏で笑った(ミルキィホームズ、プリパラなど)
個人的に実はあまりエロは求めて無くて、考え方の違い・多様性あたりに注目してる
モンむすの時みたいに視聴者厳選展開に期待
[声]
富田さん生き急いでんな
そのコアラは2話で早々に出るらしいので期待
[声]
そして違和感がない
EDの気の抜けた可愛さは最高
[スタッフ]
何かしらのオタクなら気持ちがわかるみたいな話が多く面白かった
ところで1話で主人公は推しアイドルに塩対応されているわけだけど
EDはもちろんアイドルが歌う、と思ったら主人公が歌っててワロタ
2話まで視聴
きらら系の、部活ものの、少しキレイめ系の、ガチ百合って感じ?
動画工房です
ごちそうさまです
キレイめ系は結構スルー対象なんだけどこれは行ける(南極は断念した)
[スタッフ]
わたてん視聴済みだと脳が混乱して面白い
2話以降どうなるか次第
今時珍しいMMOモノ
こういうのゲームの設定で突っ込まれがちだけど、個人的にはこういう緩いの大歓迎
こういうので良いんだよこういうので
どうみてもナーブギアみたいな装置を外した時に「ログアウトできるだと!?」でざわつく実況好き
元はエロゲ?
自称萌え豚な割にこういうあからさまな萌えアニメ苦手だったんだけど
これはかなり楽しく見れそうな気がする
見る気無かったけど案外面白かった
殺し合いゲーム系
こういうの嫌いじゃないんだけどいつの間にか視聴が止まってしまいがち(4敗くらい)
どうやらギルドが組めるらしいのでそこら辺の展開に期待
とりあえず4話くらいまで頑張って見よう
6話まで見てしまった
おっふ、照橋さん の回は1個もなかった
これ原作でアニメ化してない部分をチョイスしてる関係で照橋分が減ってるな?
もちろん面白かったけど
あと6話で重要な回飛ばしてるけどこれ自分が見逃してるのかな、後で調べよう
・へやキャン△
・SHOBYROCK
鬼頭明里の演技幅広がっててすごいと思った
・映像研には手を出すな!(独占、どうしよ)
・マギアレコード(評判次第、できればまどマギの思い出をキレイに保っていたい)
・とある科学の超電磁砲(元信者だが一周してどう向き合えばいいかわからない現象)
・宝石商リチャード氏の謎鑑定 (こういう方面も攻めたいけどモチベが沸かなかった)
・へんたつ (最後に一気観する)
というわけで男性キャラクターが多く登場する女性向けコンテンツの身長を調査してみよう。
https://www.sankei.com/life/news/180220/lif1802200005-n2.html
180cm以上185cm未満は5.60%、185cm以上190cm未満は0.90%、190cm以上は0.06%だという。
https://hapilaki.net/wiki/nihonjin-shinchou
参考までに、トリンプ・インターナショナルの調査によれば、女性のバストのカップ数で「Gカップ」は0.8%、「Hカップ」が0.2%、「それ以上」が0.1%だという。
では、まず『ヒプノシスマイク』の主要キャラクターの身長を見てみよう。
195㎝ 神宮寺寂雷
191㎝ 毒島メイソン理鶯
190㎝ 天谷奴零
186㎝ 碧棺左馬刻
185㎝ 山田一郎、四十物十四
174㎝ 白膠木簓
168㎝ 波羅夷空却
155㎝ 飴村乱数
18人中、平均身長を下回るのは2名のみ。平均身長は179cm。現実世界では1%以下にとどまる185cm以上の男性が3分の1を占め、0.06%しか存在しない190cm以上は3人もいる。完全に『閃乱カグラ』ばりの超乳オリンピックである。
次は男性アイドルコンテンツの『アイドリッシュセブン』だ。
190㎝ 十龍之介
185㎝ 八乙女宗助
178㎝ 姉鷺カオル、千
17人中、平均身長を下回るのはわずか1名のみ。しかし170cm台が多く、平均身長では177cm。現実世界では0.06%の190cm以上が1名。
同じくアイドルモノの『あんさんぶるスターズ!』を見てみよう。
180㎝ 紅郎鬼龍紅郎
171㎝ 影片みか
169㎝ 衣更真緒
167㎝ 司朱桜司、天満光、真白友也
165㎝ 紫之創
163㎝ 春川宙
160㎝ 仁兎なずな
159㎝ 仙石忍
152㎝ 姫宮桃李
平均身長171cm。まさかの異様なリアリティ。ただし成人キャラクターを多数含む『アイナナ』と比べて、育ち盛りの年代のキャラクターであることは考慮されるべきである。152cmのキャラクターもいるが、これは現実世界では150cm以上155cm未満の割合は0.29%に過ぎないので、かなりの希少種といえる。
女性向けコンテンツにおける政治的に正しい男性キャラクターの身長のありかたについて、今後より一層の是正に期待したいところである。
09-06 23:00 初出
09-08 19:00 改訂
19話 36:15〜
刑事1「黒島沙和ですが、手塚菜奈の死亡時刻の2時から4時に、大学近くのファミレスで勉強してる姿が、店内防犯カメラに映ってました」
刑事2「一方、尾野幹葉ですが、0時半すぎに終電で帰宅する様子と、その後公園で野良猫と遊んでいる様子が、それぞれ防犯カメラで確認されています」
刑事1「朝4時までネットカフェにいたことは確認されてますね。途中、外出した形跡もありません」
水城「はああー」
このシーンの情報を簡潔にまとめると、「黒島と内山にはアリバイあり、尾野にはアリバイなし」ということである。
いかにも尾野にもアリバイがあるような反応を水城が返しているが、騙されてはいけない。
19話 23:40〜
翔太「このカーテンについて聞きたいんだけど」
尾野「あれは一点物で、日暮里の専門店で・・・(ハッとした顔)・・・ていうか、いま関係あります?」
二階堂「落ち着いてください」
二階堂の尾野を庇うような言動のせいで流されてしまうが、極めて重要なポイント。
わざわざ「一点物」と言わせているのは「内山動画の撮影場所は尾野の部屋で間違いない」という、製作者からのメッセージと考えられる。
内山動画の撮影場所が尾野宅である以上、可能性は次の3パターンに絞られる。
上から順に考えていこう。
(1)の場合は動機が考えづらい。尾野に罪を着せる意図だとすれば、内山に「黒幕は尾野なんです!」と言わせれば済む話だからである。
(2)の場合は、まず内山が黒幕の協力者なので、黒幕グループが3人もいたことになってしまうし、そもそも該当しそうな人物がいない。
そこまで疑うのであれば、まずは(3)の場合、尾野自身が黒幕である可能性を検討した方が、話がシンプルである。
ところで、尾野が黒幕である可能性を考えた場合、大きな問題が一つある。黒島は、書いた紙が「早川教授」、引いた紙が「織田信長」であると申告しており、どちらも存在が確認されていない。このような肝心な情報に関して嘘をついたのではないかという疑惑があるため、黒島が怪しくなっているのである。
しかしここは、「黒幕ではないのに黒島が嘘をつかざるを得なかった理由」を考えるのではなく、逆転の発想で攻めてみると良い。つまり「もし黒島が嘘をついていなかったとしたら?」と仮定して推理を進め、矛盾のない説明が可能かどうかを考えるのである。
19話 32:50〜
久住「浮田さんの書いた、赤池美里を引いた人は・・・黒島さんです」
ここから、黒島らしき服装の人物が「赤池美里」と書いた紙を開くシーンと、黒島が開いた紙を見て目を細め、それを浮田が観察するシーンが続く。
一見、黒島が「赤池美里」を引いたことに疑問の余地はないように見えるが、それでも「黒島は嘘をついていない」とするのであれば、可能性はただ一つ。黒島が引いた紙には、小さい文字で「織田信長」と書かれていたのだ。
19話 19:35〜
翔太「尾野さんさ、303の鍵持ってるよね?」
尾野「何なんですか、いきなり」
翔太「どうしてそう思うの」
尾野「私も菜奈さんみたいに殺されちゃう!!」
少し戻って、このシーンを検討する。「赤池美里の紙を引いたのが黒島である可能性が高い」という情報を知っているのは、翔太たちと久住、そして殺された浮田だけのはずである。ここでの尾野の言動は、そのことを前提に翔太たちの考えを誘導しようとしているように思える。しかし、赤池美里の紙を置いたのが尾野だとすれば、どうやって黒島が引いた紙を入手したのだろうか。
以上2件の情報を合わせると、尾野が書いた紙は「織田信長」であり、引いた紙は「赤池美里」であったという仮説が成立する。浮田と同じトリックを尾野も仕掛けていたのだ。第1話で、尾野は引いた紙をすぐに確認せずに周りを観察している様子だったことも、この仮説を支持する材料である。
黒島が目を細める様子を見た尾野は、まず黒島が「織田信長」を引いたと考える。しかし、後でこっそり自分が引いた紙を確認してみると、そこには自分と同じような小さな文字で「赤池美里」と書いてあった。となれば、尾野はこう考えるだろう。「これは面白いことになった。赤池美里と書いた誰かさんは、黒島がその紙を引いたと思い込んでいる。何かの際には、この紙が利用できるかもしれない」
黒島が書いたはずの「早川教授」はどこへ行ったのか。この紙が実在した前提で考えるならば、引いた可能性が最も高いのは田宮だろう。
田宮の性格ならこう考える。「早川教授という人は知らないが、ゲーム参加者の中に大学生は1人しかいない。この紙のことは誰にも言わないのが、あの子のためだ!!」
尾野が入れた紙が白紙でなかったとするなら、北川が引いた白紙を入れた人物が他にいるはずである。第1話では尾野以外の人物は全員何かを書いている様子が映っているが、その中で唯一、白紙で提出した可能性のある人物が存在する。それは、鉛筆で書いたと思われる文字を消しゴムで消していた床島管理人である。
ところが、床島が白紙を入れたとするならば、石崎が引いた「吉村」を書いた人物がいなくなってしまう。そこで、書いた紙が唯一確定していない赤池美里が「吉村」と書いたと仮定して推理を進める。つまり、「赤池幸子」を引いたとする浮田の証言が嘘であった可能性の検討が必要である。
4話 20:45〜
浮田「あのよー・・・何て書いたかなんて、みんなの前で言うわけねえだろう」
石崎「えっ」
浮田「俺が書いた名前じゃねえぞ。俺が引いた紙に書いてあった名前だ。だから少なくとも、俺はあんたを殺さない。安心したか?」
このシーンの状況を考えると、浮田は石崎を安心させるために言っているので、本当に引いた紙は「石崎洋子」もしくは「すでに殺された人物の名前」だった可能性がある。しかし、「石崎洋子」の紙からは浮田の指紋が検出されていないので、消去法で浮田が引いた紙は「管理人さん」となる。
必然的に、「石崎洋子」は床島が引いたということになる。これは尾野の主張通りである。
- | 書いた紙 | 引いた紙 |
久住 | 袴田吉彦 | 細川朝男 |
田宮 | こうのたかふみ | 早川教授 |
石崎 | 石崎洋子 | 吉村 |
浮田 | 赤池美里 | 管理人さん |
黒島 | 早川教授 | 織田信長 |
シンイー | タナカマサオ | 袴田吉彦 |
尾野 | 織田信長 | 赤池美里 |
菜奈 | 細川朝男 | こうのたかふみ |
北川 | 児嶋佳世 | 白紙 |
榎本 | 管理人さん | 山際祐太郎 |
藤井 | 山際祐太郎 | タナカマサオ |
赤池 | 吉村 | 児嶋佳世 |
床島 | 白紙 | 石崎洋子 |
以上で、「尾野が嘘をついている」「黒島は嘘をついていない」という条件において、書いた紙引いた紙を矛盾なく説明可能である。
それはつまり、尾野が黒幕グループであっても矛盾点がないということであり、アリバイや撮影場所の件と合わせて、黒幕は尾野であることがほぼ確定する。
(L?) 4/? ウエハース 翔太「美味い!」
(L?) 4/? 雷おこし 翔太「雷おこしって手作りできるんだね!」
(L) 5/3 弁当箱 翔太「驚きの方が勝っちゃってるけどねー」赤池美里、吾郎死亡
(L) 5/21 プロテイン 翔太「これで最後にしてもらってもいい?」児嶋死亡
(-) 5/28? 一緒に帰る 翔太「菜奈ちゃん大好き人間だから」
(L) 5/29 浮田死亡
(L) 6/5 オイルマッサージ 翔太、困惑しつつも受け入れる
(-) 6/6 河野死亡(笑顔ではない。ラッキーデーではない)
(L) 6/17 菜奈死亡
赤月ゆにというVTuberがいる。私の観測範囲内では大人気のVTuberだ。東京都文京区にお住まいの美少女吸血鬼である。知らない人は各自ググってみてほしい。
(厳密にはVTuberとは呼べないがここでは便宜上VTuberと表記する。詳しくは『ユリイカ』2018年7月号の記事「バーチャルなバーチャルと、ノット・バーチャルなバーチャル」を参照)
元々、YouTuberやVTuberにあんまり興味は持っていなかった。某シロイルカの動画なんかをちょちょっと見て、なんか肌に合わないなー、と思ってこの界隈には近づいていなかった。友達にハマっている人が何人かいたので、その人経由で有名なVTuberの存在は知ったりと、脇目で見ている感じだった。
けれど、友達のひとりがしょっちゅうRTしてきた赤月ゆにの放送を試しに聞いてみたら、ドハマりした。過去のラジオアーカイブを漁りまくった。
鈴を転がすような声と知性に溢れウィットに富んだ語り口。一気にファンになった。ゆにちゃん様、すこだ……というモードになっていた。ゆに様.mp3が出たら絶対課金しようと思っていたしゆにたん萌え~hshsとつぶやいていた。
でも、その友達と話をしていて、赤月ゆにの「中身」は何人かのスタッフで、あの声の持ち主は渡された原稿を言われたままに読んでいるだけの声優である、ということを聞いてしまった。
ショックだった。
残念だった。
もちろん本気で不老不死の吸血鬼なんてものがいるとは思っていなかったし、色々なテーマを扱っているからリサーチを補助するスタッフのようなものはいるのかもしれないくらいは思っていた。ゆにクリエイトという会社があるのも知っていたけれど、本人が説明しているように「仕事とか事務、営業、あとコミケのスタッフで動いてる」ものだと思っていた(動画の作業とか、一人でできるとは思えないし)。文京区住みというのも,まあ,半分くらいは本当じゃないかもしれないとは想像していた。
でも、声と中身は一致してるんだと思ってた。
あの声とあの知性を兼ね備えた存在が日本のどこかに実在していることまでは流石に疑ってなかった。
だって徹底抗戦してたじゃん、ラジオ第1回で。おっさん疑惑について尋ねられて……あっこれ改めて聞き返してみたら明確に否定してない! おっさん疑惑を明確に否定してない! ちくしょう! なんかこう勝手に「そうだよな女性がこんなものを知ってるわけないみたいなジェンダー的偏見はよくないよな」とか「そうだよな文体や話し方にみられる性差みたいなのも実は創作や翻訳の過程で強化されるものであって実際は男女の話し言葉の間に明確な性差なんてあまりないよな」みたいな感じで納得していた自分が馬鹿みたいだよ!
バ美肉である可能性もちょっとは考慮して、一応声優の卵である知り合いに動画を見てもらって「天然ものの声帯だと思う」というお墨付きをもらって安心していたのだけれど、声帯と中身が一致してないとは思わなかったよ……
おっさんが考えた美少女に声優さんが声をあてているだけ、というのはアニメやエロゲのキャラもそうなんだけど、アニメやエロゲのキャラの殆どはそもそもが架空の人物であることが自明なのに対して、VTuberとかそういうのはある程度「中の人」のキャラが出てるんじゃない? って思ってた。エーリカ・ハルトマンや暁切歌や二階堂サキや時雨亜沙は実在していなくておっさん含む何人かで考えたセリフを声優さんが喋っているだけ、というのはわかってたけど、赤月ゆにの人格と声は一致していると思っていた。
でも一致してなかったなんて。ショックだ。
どのくらいショックかというと『うたわれるものらじお』にはちゃんと台本があって柚木涼香さんの発言は全部それに沿っているものだと知ったときの5倍くらいショックだ。
YouTubeでゆにチャンネルをチャンネル登録してるけど、解除しようかどうか割と真剣に検討している。伝統芸能として知られる円盤割りを披露しようかとも思ったけれど円盤をまだ持っていないのでやめた。でも改めてラジオ聞いてみるとすごいいい声……ゆにちゃん様すこ……って思っちゃうんだよな……でもそれは声優がおっさんの書いた原稿を読んでるだけ……ううう……
未だにこの事実と折り合いがつけられていないので、ひとまずラジオをもう一周くらいしてからチャンネル登録解除の是非を考えようと思う。