はてなキーワード: 乱交とは
まあアレです、漫画村のエロバージョンであるダウンロードのブックスの話です。いろいろな意味で有害サイトなのでボカしましたが、そうとうなアクセス数らしいので知ってる人も多いでしょう。
広告ブロックしないとまともに画面が見えない上有害サイトに飛ばされまくり、トロイの木馬と無許可のマイニングを食らうらしいのでスマホならAdGuard(http://wikiwiki.jp/nanj-adguard/)を導入しときましょう。まあそもそもこんな違法サイト見るなよって話ですが。
先に言うと長い割に凄えくだらない上オチらしいオチもない話です。
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このエロ漫画村(仮名)、名目上は同人誌のアップローダーなんですが実際には管理人が自分で大半のファイルをアップしてるなんて噂もあります。
長年続いてるから運営やユーザーの動向にも様々な変化があります。一時期他のDLサイトの宣伝画像が混ぜられた釣りファイルで埋め尽くされてたけど最近は見なくなりました、運営にアク禁されたんですかね?
近年は商業エロ単行本のUPが増えたけど、それらは割とすぐに削除されます。運営はアップローダーを提供してるだけですよってスタンスなので、作者から削除依頼があれば一応消してるみたいです。
特に闇が深かったのは、援交系エロ漫画の最終ページに一般人と思われる女性の名前や電話番号が書かれた写真が混入されたファイルですかね。個人的な恨みなんでしょうが一時頻繁にUPされてました。
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さて、このサイトではニコニコ動画のようにファイルにタグが付けられます、アップロード者が付けられる変更不可な緑タグと誰でも編集可能な青タグです。
大抵ファイルタイトル自体に作者名や作品名が入ってることもあり、いちいち青タグを編集する人はあまりいません。まあ利用者の大半はおかず探しで忙しいし、掲示板などのコミュニティが形成される機能もないので当たり前ですが。
中には整理マニアのような人もいるらしく、作者名や元ネタのタグを付けて回る人もいます。まあ感覚的に分からなくもありませんし、「よーし、今日は艦これで抜くか!」とか「たまには初心に帰ってクリムゾンでも」みたいなときに便利です。
そんなわけでニコニコのようなタグ文化はないのですが、最近妙な引っかかりを覚えたのが『ハーレム』タグです。
それだけなら普通だし、『ロリ』や『BL』のような性癖やキャラの属性タグは珍しくありません。
異様なのは必ずハーレム・ハーレムSEX・JKハーレム・ハーレム4Pの4つのタグがセットでつけられていることです。(たまにハーレム3Pもつく)
なんせアップされるのはエロ漫画ですから『ハーレムSEX』タグはほぼ無意味です、ハーレムだけどSEXしない漫画なんてないし。
『JKハーレム』タグはギリ理解できなくもないけど(ハーレムと女子高生タグでよくね?)なぜか無差別にセットでつけられてます。JC2人とお母さんでも、OLや大学生が混じってても、東方や艦これやグラブルやFGOなど「JKいねーよ」って原作でもまとめてJKハーレム。雑っていうか、明らかに間違ったタグ付けです。
3Pと4Pタグを使い分けるあたりなにか重要な拘りなのかと思うと、4Pどころじゃない大乱交も4Pで済ませたりします。雑ぅ!
要は『ハーレム』以外のタグは事実上無意味というか機能してなくて、なんとなく他3つのタグを消してみたら数十分後に元に戻されていました。
ここらへんでちょっと妙に思いタグ検索してみたら、この4つのハーレムタグがつけられたファイルが300以上ありました、明らかに同一人物です。試しに適当なファイルのハーレムタグを消して回ると次の日には直されていました。
つまり数百件のエロ漫画に4つの妙な固定タグをつけ、それを巡回監視しメンテナンスしている人が実在するわけです。しかも数年にわたって。
複数端末でのブックマーク代わりにタグをつけてるなどの理由も考えてみたけどそれなら4つも必要ないし、もっと用途のないタグを利用すればいいしなあ。水中SEXタグとか。
なまじコミュニケーション手段がないせいで、PSHOMEのサイレンラウンジで踊り続けた「ぶらきゅー」さんやロシアの謎の短波放送「ザ・ブザー」のような不気味さがあります。
あなたもぜひハーレムタグを消して嫌がらせ(直球)をしてみて下さい。BLAME!の建設者のようなハーレムタグ男が現れて、無言で修復(?)する姿が見られますよ。
今まで読んだエロ漫画の妊娠にまつわる描写で印象に残っているもの
・マワされまくって誰が相手か分からない子どもを妊娠、アヘ顔公開出産ショーを経た後急に母性に目覚めて肉便器から足を洗いその後は母ひとり子ひとり平和で穏やかな暮らしを続けた
・女性数人を監禁して日夜乱交パーティーを開催する男たちの話で 女の人数人がいなくなってるのに警察には一切見つからない、男の射精量は現実の数倍でいかにもエロ漫画ならではのファンタジー世界って感じだったのに 男たちは普段ゴムありでセックスしていてごくまれにゴムを外して中出し「ごっめーんwゴムしてなかったw」「え……?い”や”あ”あああああ!!!!もういや!!もう堕ろしたくない”い”い”!!!!!」
絵はさっぱりした感じでリョナモノって感じじゃなかったからこの台詞は驚いた。そこだけリアルなんだ……。妊娠してもボテ腹セックスサイコー!オラッ精子で赤ちゃんに挨拶してやるよ!みたいなノリのが多いから……びびるわ……
・中出しレイプモノの場合竿役が「きっと○○ちゃんに似た可愛い女の子が生まれるよ!楽しみだなあブヒー(ビュルル~」って言ったり和姦の場合女側が「いっぱい出たね♡双子の女の子が生まれるかも♡」とか男の子が生まれるって可能性を考えてない台詞をよく見かける。実際中年モブおじさんやオークの遺伝子が欠片も入っていないような可愛い女の赤ん坊が生まれ数年後ロリと美人ママの親子丼に移行するパターンもよくあるのだが、生まれてきた赤ん坊が男の子で、きちんと名前をつけられ両親に大切に育てられるエンドの作品があった。物語はそこで終わるのだが、その漫画の作者はおばショタや近親も好きなので親子で3Pの未来を描いていたのかもしれない
ガールズバーで連れ出そうとするも、断られる。朝までガールズバーでおっぱい揉んで終了。チクショウ。
某有名サウナ。秘密のエレベーターから秘密の部屋に通される。感想特になし。
KTV。連れ出そうとするも一度お断りされる。泣く泣く近所の居酒屋で飲んでたら、連絡が来て合流。ホテル直行。
ガールズバーでお持ち帰り。一緒にCLUBに行ってからホテル誘ったら付いてきた。ひたすら可愛かった。
ガールズバーで2人お持ち帰り。同行の日本人男性と4P。バイアグラ使った。ひたすら可愛かった。
有名援交カフェでご指名。ホテル行って自分のiTunesでEDM爆音で鳴らしながら腰を振る。美人でエロかった。たまに連絡来る。
サウナ。何度もチェンジしてやっと希望の女の子にたどり着く。顔良し気立てよし。また行きたいけど用事がない地方都市。
某有名カラオケ。ジャグジーのある部屋で乱交パーティー。モデルの卵で、すげえ可愛かったけど、ひとのチ◯コはもう見たくないかな。
アジア某国でナンパ。CLUBで酒奢って仲良くなってホテルまで付いてきた。翌日昼までSEXした。この世のものとは思えないくらい可愛い。その後もちょくちょく会う。
アジア某国でナンパ。フレンチで飯食って、ルーフトップバーで口説いてホテル。
それではみなさま、良いお年を。
どこも変わりゃしねぇよ
だから精神病みそうな弱者を追い詰めても、憤慨してる正義気取りのクソに文句言っても自由
人が何かを推してるのに対して「それはとてもウンコですね:)」とバカにしても、差別的な事書いても自由だ
お前らが嫌な思いしても俺はしてないもん
まあ一点だけだし、日本美術の西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど(中略)。
法的な意味で”わいせつ物”だった場合、『子どもに』見せる云々ではなく、人に見せることそのものが違法となる。刑法175条案件だ。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
この条文に該当する。条文そのものはともかくとして、大人相手に限定して売るのも違法になるもの(例:裏ビデオ)が存在することは多くの人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。よって、「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」のような訴えは法律上の権利の裏付けあってのものではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
春画はこの条文には該当しない。仮に該当しているのならば仮に未成年に見せていなくとも当該春画を展示している主催者が逮捕されるし、過去に開催された春画展も開催自体が違法ということになったはずだ(が、そうはならなかった)
なお、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠は都道府県の定める『青少年の健全な育成に関する条例』にある(後述)。
今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器をはっきりと描写しているか”これだけである。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」
→警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」
→警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である)
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、それが理由でわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
余談だが、上で例に挙げたドラゴンボールの場合、ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
つまり、元増田のこの文は微妙に違う。”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難であり、悪徳の栄え事件の最高裁判決でも
「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:3Dプリンターのデータはセーフで『でこまん』はアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、女性器がある程度はっきり見えているのがアウトだったんでしょうねえ。
だれか頓珍漢な人が「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。
実は法律上、見たくない権利を保護する規定はほとんど存在しない。というと「公然わいせつ罪は?!」と思うかもしれないが、実は違う。
公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪は露出狂や青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。
だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのも、上述したわいせつ物頒布と同じく、最低限の性道徳である。
だから、公然わいせつ罪になる行為は露出狂や青姦だけではない。『乱交パーティーの参加者を不特定多数相手に募集した』『ストリップ劇場で性器が見えた』『キャンプ場でAVの撮影をした』などが取り締まられた事例がある。
今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。私は真剣に疑問に思う。
もっとも、公然わいせつ罪が保護するものを『見たくない権利』にすることは別の問題があるが、今回は省略する。
学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書の提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。
でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。
今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。
あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。
元増田も含め、ある程度エロいものが18禁として売られていることも99%の人が知っている。
だが、18禁として販売することの法的根拠や、18禁の指定をしているのが誰かというのはまず知られていない。
結論から言うと、18禁表示をしているのは出版社自身、もしくは自主規制団体である。
1.で書いたわいせつ文書図画頒布罪をよくよく見てもらえば分かるのだが、わいせつな文書・図画(や、児童ポルノに関する罪)を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、(たとえ大人相手であっても)販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、過去に何度か『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があったが、そのAVを置いていたツタヤの店員や経営者が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
そして「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で年齢制限をかけた上で売っているか。実はその法的根拠は国の法律ではなく条例にある。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
この手の条例がほぼ全ての都道府県にある。まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
A:春画はわいせつではないし、(性器が見えていなければ)ヌードもわいせつではないけど、春画とヌードを同時に掲載したら取り締まりの対象になるらしいよ。意味わかんない(マジで)。
ゲイの世界はあまり知られていない。ゲイ界隈を知っている人でもほんの表面を撫でただけに過ぎない。
これは当たり前のことだ。例えば一般人普通のセックス界は知っているかもしれないが、SMは知らないかもしれない、スカトロはしらないかもしれない。これと同じことだ。
外から見たら「ゲイ」とひとくくりにされてしまうものであるが、ゲイの中でもカテゴリーはわけられるし、意味不明な性癖の持ち主もいるのだ。
さて、俺はゲイだ。
10代の頃にゲイに目覚め、出会い系サイトで純粋タチ(攻め)の人に会ってそれから4年間ほど徹底的にネコ(受け)に調教された。
10代は大抵ネコ、というのはゲイ界隈では割りと普通な空気だと思う。
俺はそこから進化せず、20代になっても純粋なネコとして活動を続けていた。
これはノンケには意外なことであるかもしれないが、ゲイの割合としてはネコのほうが圧倒的に多い。純粋なタチと言うものは結構少ない。
両方行けてもいざ相手がタチができるならネコになりたい人がかなりの割合でいるのである。
そんな中、俺が20代半ばに付き合っていたのが乱交クラブで出会ったベトナム人グエンである。
彼はそうとうなS気質のタチで、俺はすっかり惚れ込んでいた。
付き合って1ヶ月ほどのことだろうか、グエンが突然こう言った。
まさにショックであった。
するときにはコンドームを欠かさなかったが、フェラなどのときは当たり前のように直でしていた。
結果、感染していない事が判明してホッとした。
家に帰った俺は怒り掴みかかった。まさに勝手に中出しされた女の気分である。
だが、グエンはしょんぼりした様子で言った。
「HIV程度で切れる愛だったんだね」
今思えば完全に詭弁だ。
そもそも真の愛ならばちゃんとHIVキャリアであることを言うし、黙って恋人にリスクを犯させるわけがない。
それどころか「彼と同じHIVに掛かりたい」と思った。
まさに同じウイルスのHIVに掛かることが、二人の子供を作るかのように感じていたのだ。
それを言うとグエンは満足したようだった。
HIVの感染力というものは意外に低い。なので傷口を作ってそこにHIVを入れなくてはならない。
そこで俺達はローションを少なめにした上で中出しすることにした。
これにより尻の中が傷つき、その傷口から感染させるという方法である。
こういうのって一定周期で話題になってて個人的には何を今更だけど
しかし
望まない相手の子供を産まされる「女は子を産む機械」とした風習である事を「西洋と違って日本は性に寛容」で片付けるのも相変わらず地獄日本ですね。
ってブコメを見て思うけど、
昔は確実な避妊手段などない&出産で死亡は日常茶飯事だったわけで、女性にとってはそれこそセックスは死と隣り合わせの行為だっただろうに
当時の女性はこういうのをどう考えていたのかな
まあ嫌がってたとしてもまさしく文字通りの村社会で村を出て行ったら生きていけないという状況で逆らう事など出来なかっただろうし
そもそも生まれた時からそれが当たり前の世界で生きているから疑問を挟む余地もなかったのかもしれないが
勿論女性側にも、沢山子供を産めば将来その子供たちが労働力になって母親に利益を還元してくれる、
というメリットもあっただろうけども
「セックス=出産=死の恐怖」よりそのメリットを得たい願望の方が高かったとは思えないんだよなあ
「出産しないと村で居場所がない=社会的な死の恐怖」の方が勝っていた、ってなら分かるが
自分は、アレが大きい。そして、生まれつきはえっちが下手糞だった。なので、若い頃は女の子に痛い思いをさせる事もあった。
どれぐらい下手だったかというと、触った瞬間、相手の女性が「あ、こいつ下手だ」と感じるのが判ってしまうぐらい下手だった。
セックスの技術を高めるために、色々した。乱交パーティに積極的に参加した。最初は半風俗みたいなサクラの女性が多い場所にも参加してしまったが、幾つかのサークルを経て「本気でえっちしたい女性」が集まるサークルに参加する事ができた。
そこでも最初は自信を打ち砕かれるような事は多々あった。自分とえっちしてる最中に声を全くあげなかった女性が、他の男性とのえっちではイキまくっていたのを目の当たりにしたりした。
素直に、どこが下手か聞いたり、上手い人にやり方を教わったり、えっちが上手な女性に教わったりした。ネットで変態っぽい人がいれば積極的に会いに行き、色々と聞いたり、実践したりした。
もともと、自分に素養自体はあったと思う。相手の女性が「あ、こいつ下手だ」と感じる事が判るというのは、肌を触れ合う相手の気持ちを敏感に感じ取る能力が有るという事だ。なので、上手くなってしまえば、逆に伸びるのは早かった。
そして4年ほど前、僕はある人と出会った。自分自身、経験人数は当時80人前後だったが、その人もそれぐらいだと言っていた。「大体、会って話をすれば、経験人数判るよね」と彼は言っていた。
僕は経験人数は少なくないけれど、乱交パーティ等、もともとえっち目的の女性が集まる場所で身に付けた技術だし、それ以外だとごくごく少ない機会のプライベートなえっちは10人にも満たない。
しかし彼は、主にナンパやオフ会、知り合いなどとえっちに持ち込むのが主だった。彼の、女性をセックスする間柄までに持ち込む技術は並外れたものがあった。
彼は僕にただならぬオーラを感じると言った。実際、僕は「知り合いで一番えっちが上手な人を紹介して欲しい」と言われれば、自分と答えるぐらいの腕前になっていた。乱交パーティには腕自慢が何人もいたけれど、そういった方々に追いつき、追い越した自覚があった。実際、他の男性がものすごく苦労してイカせた女性を、ひと突きごとにイカせて失神させるぐらいで、いつの間にか乱交パーティでもこのひとが一番上手いよね枠に入っていた。
彼は、僕と彼が共に歴戦の戦士とばかりに、過去の様々なえっちな話をした。彼はいかにして他の男と自分が違うのかを語った。自分の技術とタメを張るのは貴方ぐらいだ、という感じの扱いだった。
僕自身は、他人と変態な話をするのが大好きなのと、正直自分が男にどう評価されててもいいという感じだったので、彼に合わせて、色々と興味深い話を聞き、楽しんでいた。
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そんなある日、彼を通じてある女性と知り合った。当然、もう彼のお手付きだ。
その女性は一目で僕を気に入ったそうだ。
プライベートではあまりえっちをしない僕も「ああ、この女性とはえっちするだろうな」と一目見て思った。
連絡先を交換した後、数ヶ月後に、えっちをした。
彼女の感想は「貴方は化物クラス」だった。「今までした男たちは全てザコで、全部合わせても、貴方一人とのえっちには遠く及ばない」と言われた。
「えっ、彼とえっちしたんでしょう?」
「うん、彼もザコの一人よ。貴方に比べたら……いえ、比較するのも貴方に失礼なぐらい」
ここで、僕は、褒められて嬉しかったが、同時に、がっかりした。今までのように、変態話に花を咲かせる事は出来ないだろうな、と思った。今後、彼が僕にそういった話を降ったとしても、前のように楽しく彼の話を聞けないだろう、と思った。
(実際のところは、変態トークどころか、彼とは自然消滅的に縁が切れてしまった。)
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でも。
自分は、そこまでえっちが上手になったからといっても、彼より明らかに数段上のセックスが出来るからとしても、彼には、男としてかなわないと感じてしまっている。
結局、セックスそのものより、セックスに至るまでの経過、そちらの方が大切なのではないかと思うのだ。
いざセックスをすれば自分の方が明らかに上だったとしても、自分はそもそもセックスに持ち込むまでに至らない。逆に彼は、セックスに持ち込む。確実に持ち込む。
時には非合法な相手とさえ、彼はセックス出来る。自分は、あくまで決められたルールがある箱庭の中にいる女性だけしか相手は出来ない。
そう。自分は、女性を「落とした」事が無い。やる気満々の女性としかえっちした事がない。
僕とえっちがしたい、と迫ってくる女性としかえっちした事が無い。
そういう気がない女性を落とす、というのはどれだけの快感なのだろうか。
恐らく、僕は、一生、その快楽を知る事は出来ないだろう。
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今では乱交パーティに参加するのは止めてしまい、ネットにえっちな日記をアップして、それを見て、是非自分ともえっちして欲しいという女性とえっちするだけになってしまった。
もう40半ばだ。中折れだけは防いでいるが(中折れしそうになったら抜いて舌や手でイカせまくって誤魔化している)、中折れが当たり前の年齢に差し掛かっている。そのうちしてしまうだろうと思っている。
そう、セックスそのものは、結局は、加齢と共にどうしても下がっていく。それは防ぎようがない。
彼の口説き落としテクニックは、まだまだ通用するだろう。無防備な15歳ぐらいの少女を落とし込むテクニックは50半ばぐらいまで通用するだろう。そういった技術も、度胸も、自分には無いものだから嫉妬する。
自分は、ないものねだりをしているだけなのだろうか。彼が正しく、自分が間違っていたのだろうか。磨くべきはセックスそのものの技術ではなく、セックスに至るまでの技術だったのではないだろうか。
自分は、結局、この技術を何の役にも立てられない。実はこの年令でニートになってしまった。次の職業のアテは無い。無職ではますますセックスと縁が遠くなる。
逆に彼はニートの時でもセックスしまくって、紐状体になった事もあった。
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それは昼下がりのマクドナルドでのことであった。
わたしがいつものように夏の暑さとセミの音と夏休み乱交合宿の打ち合わせにはしゃいでいるヤリサー学生どもを呪いつつマンゴースムージーをすすりながら次の次の次くらいのどうでもいい会議書類に目を通していると、どこからか甘く懐かしいささやき声がひびいてきた。
そ、その声ーーあなたはうん子!
「よかった。おぼえていてくれたのね。忘れられちゃったかもと思ったけれど……」
忘れるわけはない。
うん子はうんこの精霊である。うんこに関するあらゆる事象を司り、時に歴史の流れを決定づけるほどの暗躍を果たしてきた。
カエサル、ナポレオン、徳川家康、コロコロコミック、ドナルド・トランプ……偉人たちの便意と決断の裏には常に彼女の姿があったといっていい。
わたしの人生においても、常にうん子の助力があった。そう、幼稚園でのお遊戯の時間にうんこを盛大に漏らしてから、小二の給食、小五の運動会、中一の合唱会、高一の塾合宿ーーずっとわたしとうん子はいっしょだった。
唯一の友達だったといってもいい。
心無い同級生から「うんこ」「うんこ漏らし」「下痢便カレー」「うんこに愛されし子」「ザ・うんこ」「進撃のうんこ」「逢うんこ時うんこ園(ジャンプの打ち切りマンガにちなんだあだ名は他にも30ほどあった))「うんこ界の稲尾和久(約三日に一度のペースで漏らしていたため)」などと残酷なあだ名をつけられ、うんこにちなんだいじめを散々受けていたわたしに近づくものなどいなかった。
だが、気にしなかった。彼女と一緒にいたころは、うんこを漏らすことがはずかしいことだなんて微塵も思っていなかった。
パンツを茶一色に染めたことで母親からものすごく叱られて、ひとり部屋で泣きはらしていた夜にも彼女は現れ、
「うんこを漏らすことをできるのは、選ばれた子どもだけなのよ」と、励ましてくれた。
うん子さえいれば、わたしは他に誰もいらなかった。
だが、いつのころからだろう。おとなになるにつれて、わたしには彼女の姿が見えなくなり、彼女の声が聞こえなくなった。
大学生から社会人になる過程で段々と「ほんとうはうんこを人前で漏らすのははずかしいことなんだ」という意識が芽生えるようになり、今の職場の面接を受けるさいの「うんこを漏らしたことはありますか?」というよくある質問にも平然と「ありません」と答えた。
そして、毎月給料をもらい、ちゃんとトイレを便座に座ってやるようになると(ウォシュレットの存在を知ったのもこのころだ)、うんこの精霊うん子の存在も忘れ去ったーー。
「落ち着いてよく聞いて。これから十数秒後にものすごい勢いで貴方はうんこをもらす」
再会の驚きをふっとばすうん子のことばにわたしはことばを失った。
漏らす?
このわたしが?
今ここで漏らしたらどうなる?
隣の席で互いに性的な視線を送りっているヤリサーのブスどもは持ち前の野生の勘で間違いなくうんこのにおいを嗅ぎつけるだろう。そして瞬時にそのにおいの発生源を特定するだろう。
彼らはわたしをゆびさして嘲笑し、周囲の客たちもわたしに汚物を見るような視線を投げるだろう。
うんこ漏らした汚物のニュースはたちまちその日のトップニュースとしてローカル局に報道され、会社にも伝わり、わたしは面接のときについたウソをとがめられ(「おとなになってうんこを漏らすような人間が、以前にもうんこを漏らした経験がないはずがないよな?」)、おりもののついたナプキンがごとき扱いで会社から、そして地域社会から追放される。借りているマンションも追い出されるだろう。実家からも縁は切られる。
それからは宿無し生活だ。行く先々でこどもたちから「いたぞ! うんこだ! マックでうんこをもらした早打ちマックとはあいつのこと!」とはやしたられ、石を投げられる。
額に投石を受けて、地に倒れ込んでも、わたしは「しょうがないんだ」と自分に言い聞かせなければならない。それだけの罪を犯したのだから……と。
「あきらめないで増田ちゃん!」
「わたしがーーこのうん子がどうにかするわ。あなたにうんこなんて漏らさせない。絶対にあなたを助けてみせる」
ほんとうに? と絶望するわたしは疑念を口にしかけるが、できる、ほんとうに彼女なら可能なのだとおもいなおす。
だがーー。
今は声しか聞こえない彼女だけれど、わたしが「実」をこの場で出せば、その姿を現前させられる。
あの愛らしい、あの懐かしい、
わたしのたったひとりの友だち。
会いたい。
眼から涙が溢れ出していた。
会いたい。会いたい。会いたい。
うん子にもう一度会いたい。
この十年間、十五年だっけ?
ほんとうにいろいろあったんだよ。
あなたに話したいこといっぱいあるんだよ。
話したい、お話したい、
三ヶ月溜めた便秘を吐き出すように私の話を聞かせたい。
とうん子は言う。
だったら、漏らしたってわたしはーー
「でも、ダメ。あなたはおとなになったのよ、増田。うんこを漏らすことをできるのは子どものあいだだけ。おとなはうんこをもらしちゃだめなの。わたしと会っちゃ、ダメなの」
わたしはマックの硬いソファの上で恥も外聞もなく駄々をこねた。いやだいやだいやだ私はうんこを漏らすんだ。
うん子の「ふふっ」という笑い声が虚空のかなたから漏れた。戸惑うような、愛情の篭った吐息だった。
ブリブリブリブリブリイジギュルリルリイリブリッブッブッブッブーブリリリリィ!!!
盛大に漏れる音がした。
この感触。
終わった、と思った。
だが、不思議とヤリサーたちが異臭に気づいたようすはない。わたしにもにおいはわからない。自分の便だからだろうか?
うん子の気配もどこかへ失せていた。
便座に座って下を脱ぎ、解脱した僧侶のような心持ちでパンツを見つめる。買ったときには真っ白だった、清純と純潔の象徴のようなパンツ……。
白いままだった。
夏空に浮かぶ背の高い雲、この前観た『メアリと魔女の花』に描かれていた積乱雲のように晴れやかな白だった。
わたしは漏らしていなかったのだ。
だとしたら、あの確実に三リットルはぶちまけたような大きな排便音はいったいーー?
トイレから出て、席に戻ろうして、店内がやたら騒がしいことに気づいた。
「テメーおまえウンコなんか漏らしやがって」「マジふざけんな」「これからおまえの名前はウンコノミクスだ」
わたしはそのまま席に戻らず、店外へと出た。
雲ひとつない、パンツをはいていないお尻のように清潔な空に、純白の肛門にも似た太陽が燦々と輝き、けがれのない世界をつつんでいた。
農村においては、男女は夫婦を形成していたが、夫婦間を越えた乱交は一般的であり百年前ほど前の長野においては夫が妻に昨日は誰とやったのかを特に攻めるわけでもなく尋ねていたようだ。
つまり形式上は夫婦でも実際のところ村における乱婚に近い形だったのである。
こんな関係においてはパートナー獲得にコミュニケーション能力など要らず
現に少し前までこれに近い形式が残っていたブータン人などは人前でのスピーチの方が友達の女にセックスを頼むより緊張するとのことだった。
まず
第一に男女ともいろんなパートナーとsexができて飽きることがすくない。
第二に若い頃からsexができて年を食っても若い相手とsexができる。
第四に村内でパートナー交換をしているため出来てくる子供も赤の他人に託卵される可能性は少ない。最悪ある程度の血の繋がりがある。
第六に性の教育制度が充実しセックス下手が著しく減り、痛いセックスが減る。
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)