はてなキーワード: 中高生とは
タメじゃん
中高生のころから増田みたいなことで悩んでて特にすごい努力とかする気にもなれず解決できずに今に至る
みんなきちんとした格好や崩れないメイクその他身だしなみや所作がきちんとしてるのに自分だけできない
みんなはきっと陰でものすごい努力をしてメイクや服や髪の手入れの勉強してお金もかけていてすごく偉いんだと思うとそんなことできないってなってやる前からくじけて15年
合う化粧品探す金と根性がないし運動しないから太る一方だし顔以前に体型がだめなので似合う服なんてなくておしゃれがんばれない
変わりたいならがんばってくれ 私はここで応援してるよ
反対(東側)にずっといくと青と、新小岩をこえて、葛西につくよ。
インドを流れる悠久なるガンジス(当地では荒川とも呼ばれている)を右手に海岸に出れば、臨海公園がある。
日が沈んだ夏の夜などは、対岸にある黒鼠帝国の花火などが美しいよ。入園しないでも裏側からみえちゃったりして、中高生のお小遣いでも初彼女とちゅーできる(可能性が否定できない)デートスポットなのだ。
私はかれこれ9年ぐらい絵を描いてるオタクだけど、自分にははっきり言ってイラストの才能がほとんど無い。人よりは絵が描ける、というだけ
でも昔よりは上手くなったし、自分の絵に自信はある、自分の絵柄も好きだけど、実際描けてない部分の方が多くあって画力はない、いわゆる底辺絵描きである。
絵を描いてると気になるのはまあ他人からの評価で、好きなジャンルの絵を描いてSNSに投稿したり、中高生の頃は文化祭のポスターとか会報のイラスト、文集のイラストに描いたりしてた(全部投票で決まる)が、どんなに自信があっても自分の絵は万人受けはしないようで、SNSでは雀の涙の評価、学校で出したものは投票で選ばれなかった まあその理由はわかってて、自分より上手い人がゴロゴロいるから、そういう人(万人受けするイラストを描ける人)が評価されるのが当たり前だと思ってた
それでも絵を描くのが好きで、描くのをやめなかったしこんな底辺でも絵を好きって言ってくれるフォロワーや友達が少しでも居るから描いてこれた フォロワー外からも、あなたの絵を見てメッセージを送りました!って人が居て、本当に嬉しかった
さっきも述べたけど画力が無い底辺と感じているなら努力すれば?という話だが、私は性格上負けず嫌いでも何でもない根性なしだから、描く量を沢山増やしたり練習したりとかは全くしてなくて、それでも9年分の積み重ねもあって自信はあるし少しでも自分の絵を気にいる人がいれば評価なんて関係ないやと最近は思ってる...というか妥協してしまってる
絵描き仲間の友人達は、SNSで評価を貰える人が多くて、画力もあって上手い。それは皆努力しているからこそのことでもある。でも皆揃って「ジャンル自体人口が少ないから評価されただけ」または「評価されたけど自分の理想に近づいていない」と日々悪戦苦闘してるようで、私は自分と違って評価されてるんだから素直に喜んで良いと思うのになーと思うが、自分の絵に妥協してしまっている私とは絵との向き合い方が違う、これだから自分は画力も評価も伸びないままなんだろうな止まり
性欲は人より低そうだけどある。
昔から一日一回を越えて射精というものをできたことがなかった。
おそらくオナニー盛りであるだろう中高生の時分でも、全期間を通じて十回もなかったと思う、一日二度も射精したことは。三回は絶対になかった。
今日は溜まってるから二回するぞ! と事前に燃えていても、一度出してしまうとそんな気分は吹き飛んでしまう。
なので二回戦〜みたいな話は想像上の存在だと思っていた。エロマンガの中みたいに。
だけどな〜、実際あるんでしょ? 一晩に数回セックスするようなことが。他人のセックスを見たことがないからわからんけど。そう思うとなんか損してる気分になってしまう。
なので妻とのセックスは前戯多め。楽しんでくれてるとは思うんだけど、本当は二回三回としたいのかもしれない。したいって言われてもできないから聞いてない。
三十代も半ばになってきて、これからさらに性欲が減退していくことがわかっていて、これからどうなるんだろうという漠然とした不安がある。
たくさん射精したいです。
僕は昔から現在にかけて「男性向け・女性向け」ジャンルの作品/コンテンツを両方それなりに摂取している。
しかしその過程で僕は「女性向けコンテンツ」に辛さを感じるようになった。この記事ではその話を綴っていこうかと思う。
体験と気持ちを具体的に述べてくのでちょっと長い。時間が余った暇つぶし程度に読んで欲しい。
僕自身はオタクコンテンツかどうかに関わらずあまり物に男性向け・女性向けをつける必要はないと思っている立場だ。
何故なら、それを好むことに生まれ持った性別など関係無いし、実際(特に最近では)その表記関係なく両方の性別の人間が楽しんでいるコンテンツは多くあるからである。
しかしながら、両方を楽しむオタクをやっていく中で、この表記が必要不可欠かどうかは置いといて、"正しい"ものではあるということをひどく痛感した。
僕は小さい頃からジャンプや特撮や美少女深夜アニメを楽しんできた主に男性向け作品を楽しんできたタイプのオタクだ。
そんな中女性向け作品に初めて触れたのはアニ横・学アリといった人気もクオリティも高い、男性が楽しむにも敷居が低い少女アニメである。
そして本格的に女性向けコンテンツに手を出したのは恋愛シミュレーションゲームにハマっていた中高生の頃だ。
この頃は有名どころのギャルゲはそれなりにプレイしていて、それまで感じたことのなかった二次元キャラと自分との奇妙な関係性に衝撃を受けていた。しかもギャルゲ黄金期とも重なり良質なストーリーの作品にも恵まれ尚のことギャルゲにのめり込んだ。
そんな中ひょんなことから乙女ゲームである「緋色の欠片」というゲームを知る。
そしてこのゲームと会ったことが、僕が自分の首を絞め続けることになった元凶となる。
きっかけはYouTubeに上がっていたMADだ。その頃ハルヒと銀魂にハマってた僕は、杉田さん経由でたまたま緋色のMADを見かけた。初見は正直MADに組み込まれていたセリフで ああ乙女ゲームね(笑)とはなった。しかしギャルゲもやり尽くした感があった頃だった事や、犬夜叉を彷彿とさせる世界観に興味を持った事(結局全然違ったが)、ストーリーも面白そうで公式サイトを見る限りドストライクの女キャラがいた事もあり購入を決意した。
で、やった。
ストーリーの面白さもさることながら、女性向けという感じはあまりしない絵柄やキャラデザ、(描写に賛否あるものの)バトルも多いので馴染み易かった事、女性キャラも結構出てくるので読みやすかった事、美鶴ちゃん、など多くの要因が重なりあまり女性向けゲームという印象を強くは受けず、かなり楽しめた。あと中二病的固有能力設定にどハマりした。家で手に紋章とか書き込んでた。俺も風を操って真空の刃で敵倒すんだ妄想を授業中してた。
さて、ここで僕は「乙女ゲームも意外とイケるじゃん…?」という心境になった。そして他にもないかなと探し始めたのだが、まぁなかなか緋色並みにバチんと第一印象でくるゲームが見つからない。同じ絵師のゲームもあったがこちらはちょっとキャラデザと設定がやろうと思うに至らなかった。結局、探していくうち絵柄と設定があそこまで俺的敷居が低く印象が良いものは稀だったんだなと知った。
乙女ゲームという俺の中では手を伸ばすには異端ジャンルをやる上で、それを乗り越えてでもやりたいと思うほどの第一印象は大事だったのだ。
(あくまで僕の"第一印象"の話なので勿論神ゲーはいくつもある)
緋色がたまたまだったのだ…と思いつつ緋色の面白さを引きずっていた僕は、今までのオタク活動もそのままに緋色の新展開や新作乙女ゲーム情報を細々と追っていた。
さて気付かぬうちに首を絞め始めたのはこの辺りからだ。
この頃展開していた緋色のコンテンツは主に続編ゲーム、ドラマCD、アニメである。
ドラマCDはギャグ展開のものが多く大いに笑っていた。しかしたまに挟み込まれる恋愛要素や女性向け的台詞にうん…みたいな気持ちに僕はなっていた。
今思えば、いや今思わずとも、当たり前に当たり前の要素ではあるのだがなんか違うんだよな〜などと思っていたのだ。そもそもゲームにもそんな要素は当たり前にあった筈なのだが、出来上がったシナリオに必要不可欠な要素の一部として享受していたんだろう僕は、そこを強調されてもみたいな気持ちだったのだろう。
でもまぁこの時の僕はちょっと違和感程度で意識するほどは思ってなかったと思う。
そんな中、「夏空のモノローグ」という乙女ゲームが発売される。
緋色以降結局プレイに至るゲームは緋色の続編である蒼黒しかやってなかった僕だが、このゲームの広告一枚絵に衝撃を受けた。
儚げな少女と普通の男子高校生が佇む、爽やかでありつつどこか俺がのめり込んできた泣きギャルゲを感じさせる絵。
これは良いぞと公式サイトを見た。キャラデザ、ストーリー、沢野井…これは俺でもイケる、絶対面白いとそう思った。
また僕がその公式サイトを見たのは発売直後だったのだが、そこにはシナリオライターが発売に寄せる文章も載っていた。
そして多分これが1番の決め手になったのだが、そのシナリオライターめちゃくちゃ見たことのある名前だったのだ。それは緋色のナンバリングタイトルである翡翠リメイクの公式サイトで見た名前、西村悠さんだった。
翡翠リメイク公式サイトにて西村さんがこのリメイクにかける想いをとても丁寧に具体性を持って綴っていたことはかなり強く印象に残っていて、とても誠実に物作りをする方だなと思ったことを覚えていた。
だから、この夏空のモノローグという作品には信頼を置いていいと強く思い、購入を決意した。
とにかくこれぐらい強く想わない限り女性向けゲームに手を出せなかった僕だが、結局この夏空は神ゲーだった。
シナリオ音楽背景etcが神なのは前提として、この記事的にいうとゴテゴテしてないキャラデザと馴染みやすい絵柄、恋愛を主軸としながらも木野瀬をはじめかなり共感できるキャラクター達の葛藤…など、これもまた女性向けゲームという敷居を低く感じさせる作りで、とてもハマった。
スタッフブログにて登場するディレクターやシナリオの西村さんが男性だったのも馴染み易かった一因かもしれない。
やっぱり女性向け作品でも良いのは良い…!そう想いを強くした僕だったが、ここで衝撃の事実を知る。
夏空のモノローグ、当時めちゃくちゃ売り上げが低かったのだ。
今でこそ根強いファンを抱えるこの神作品だが、恐らく乙女ゲームを求める女性ユーザーには第一印象は良くなかったんだと思う。何故なら僕がうーんと思っていた絵柄や設定こそが求められていたものだったからだ。
よってこれ以降、このブランドから夏空のような素朴な絵柄や雰囲気のゲームはほとんど発売されていない。多分。俺基準かも。あったらすまん。
しかし人間は成功体験を忘れられない生き物で、男性向け作品に染まりきった僕でも楽しめる作品が乙女ゲームにはある…!とかなりこのブランドの新作情報は追っていた。
何より、1人のキャラの格好良さや魅力や葛藤を長編シナリオをかけて描写してくれる乙女ゲームという媒体は他の作品とは違った体験をくれるもので割と唯一だった。
結局僕が夏空以降にプレイした作品は、緋色のナンバリングタイトルである「白華の檻」と「Code:Realise」の2つである。
どちらも同じディレクターとシナリオライターが関わっており信頼のもと購入しそして信頼を上回る作品だった。
世界観やストーリー、作品描写が本当に良く、根強く心に残る作品であり大好きだ。
しかしながら、正直絵柄はどちらも若干苦手で(いや勿論めちゃくちゃ綺麗で素晴らしいとしか言えないのだが)"女性向け!"と思うものだ。
また他媒体展開においても、特にコドリア(Code:Realize)は発売から社をかけて運営されていたのもあってか、女性向けに満足度の高いものが多く展開された。
ドラマCDの内容や商品展開や続編の展開では女性向けのコンテンツなんだという事を意識させられるものが多く、求めてないなぁ…なんて思ったし、リアルイベントなんかはもう完全にそうなのであー…違うんだよな…となった。
こうして夏空からコドリアにかけゲーム内容も展開内容も段々と自分の求めてるものからかけ離れていくと感じていた中で、あぁ俺が求めてる作品はもう出ないんだろうな…どうして変わってしまったんだろう…と思うようになった。
そして割とマジで気がついてなかった、緋色から少しずつ感じていた違和感の原因に、ようやく気がつく。
そうなのだ。
…そうなのだ…。
そうなんだよな…。
いや勿論女性向けコンテンツで乙女ゲームということは分かっていたけれど、自分がマジで対象外だったそうだったという当たり前のことになぜか気がついていなかったのだ。本当に。あれだけ女性向けは食指を伸ばしづらいと思っていたにも関わらず、だ。
なんか求めてないんだよなと思ってはいたけれど。そう…そうなんだよ…俺、対象外なんだよ。
作品がどれだけ僕にとって凄い良くて、取っつきやすい作品性であっても、その後の展開はそりゃ女性向けに振るしそれが求められているのだ。何より夏空から段々とゲーム内容や他媒体展開の女性向け的色が濃くなったコドリアが圧倒的売り上げを誇っているのが何よりの証拠だ。
この事に気がついてから、コドリアをプレイしながら何度「俺はお前達と少年漫画で出会いたかったよ…」と思っただろうか。もしそういう環境下でこの作品が生まれていたらここの描写はもっと違ったんだろうか、とか、俺はもっと楽しめていたんだろうか、とか、と。
まぁでも
恋愛要素抜きにしても少年漫画じゃ絶対こんなの通らないし俺も読まんと思う。
それが答えだ。
このゲーム達は乙女ゲームという環境下でこそ生まれた神作品だ。
物語の終わりが保障されていて、信頼のおけるシナリオライターが書いていて、キャラクター1人1人の良さをじっくり知れて、様々な男性キャラクターが主軸になりいろんな視点から物語を進めていけ、最高の背景や音楽の下、快適なプレイ環境でやれるのは乙女ゲームでありこのブランドならではなのだ。
俺は本当にやるせない気持ちになった。
好きな作品のマーケティング対象外である事はよくある事だと思う。例えば僕は東映特撮も好きだがあれは対象は子供だし、プリキュアおじさんなんて言葉は正にその象徴たるものだ。
こんなに良い作品でこんなに好きなのに、だ。
僕自身はゲームの内容に満足しつつもその後の展開には満足できず、その内女性向け色が強くなったゲーム内容も楽しめなくなってしまったのだ…。
つまり
という
俺が悪い。俺が悪かった…。
今現在ではシナリオライターさんもブランドから離れていることも相極まって全く乙女ゲームには手を出していない。
好きになっちゃいけないのに好きになっちゃうみたいな悲恋エンドだからこんなん。
さて、
最近ではオタクコンテンツはアプリゲームが主流になりつつある。
女性キャラクターが際どい衣装を着て出てくるゲームや男性キャラクター同士がクソデカ感情をぶつけるゲームなど、以前より更に男性向け女性向けという意識が強いコンテンツも多くなった。アプリ課金という性質から単発的娯楽を提供するものも増え、終わりなき物語が量産されている。
しかしながらそれと同時に、アプリという手軽さや物語が終わらないという解釈の自由度が増した事により、男性向け女性向けに関わらずいろんな人が楽しむような時代になっているようにも思う。
また、僕の周りの友人達に割とそういう男性向け女性向けを超越するオタクが多くいた事もあり、やっぱり良いもんは良いんだよな…と改めて思っている。
けれど、(僕の場合は極端なコンテンツだったからというのもあるが) やっぱり男性向け女性向けという表記は商売である以上正しいしある程度は必要なのだとも思う。
僕自身は普段は出会うはずもない完全対象外の作品にハマってしまったが故の苦悩だった。
でも出会っちゃうもんは出会っちゃうし、良いもんは良いし、オタクは理性効かない。
この中途半端な立ち位置に居がちなオタク達はきっと事象は違えどいっぱいいるし内に抱える問題はきっとまだある。
【余談①】
尚僕は現在、男性向けコンテンツに出てきた男性キャラクターに傾倒したりもしている。
でも別にそういうんじゃなく女性キャラクターも普通に好きだし、格好良いものは格好良いな〜ってやりたいだけなんだけれども。
ただこのキャラクター今は女性向け作品に主に登場するようになり「アッ!ン!!違うんだよな!!!」というのをたまにまた繰り返しているところだ。
でもそれを上回る満足度の高いコンテンツなのでやっぱり出会えて良かったなと思っている。
【余談②】
この記事とズレるので余談とするが、前々から好きだった作品に最近別の層が流れ込みそこが消費者の主流になり、作品全体のターゲット層が変わり僕もターゲット層から外れだしたという出来事があった。これもまたオタクが抱えがちな難しい問題である。
最近YouTubeでおすすめに出て来た大学生の団体がやってる動画を見続けてる。
メンバーが入れ替わり立ち替わりでいろいろな企画をして挑戦してというまあよくある若者YouTuber団体って感じ
結構たくさん動画も上がっててランダムに見てたけど面白くなって来たから投稿日順で見直してみたら、
このメンバー同士の動画最近は珍しいけどこの頃はめちゃくちゃ楽しそうにしてんなーとか、
一見いじられキャラのメンバーも自己主張強めのメンバーも天然ボケのメンバーも全員お互いを尊重しあってんだなーとか、
これがいい年の大人がジャニーズとかakbとかの年下アイドルにハマる気持ちなのかな…
顔で売ってるタイプの団体でもないから、年齢的にも弟とその友達がわいわいと楽しそうにしてる雰囲気で、うんうん楽しかったね良かったね若いのにこんなこともできてすごいね…っていう保護者目線が強いんだけど、でもYouTuberも彼らの企画も彼らの能力も、自分にできるようなことではないから尊敬の念もあって、これがいわゆる尊いという感情なのか?
干支一回りしそうなほど年下のジャニーズにハマる同年代を見ても「何が良いんだ…?顔か?年下すぎてもはやショタコンを疑うんだけど?」と思ってたけど、ハマるときはハマるんだな…
ハマったとはいえ、YouTubeの動画を見て時々動画に👍する程度で済んでる。
そもそも彼らの想定ターゲットが中高生や大学生だというのは見ていれば分かるので、コメントしたり、Twitterを追いかけたり、グッズを買ったり、イベントに参加したりも多分しないと思う。
これがガンガン貢がせるタイプの、人気投票とか握手券商法みたいなジャンルの団体じゃなくて良かったなぁ…という幸運に感謝しかない。
増田がいくつかわからないけど、仲の良い姉妹だと中高生くらいで大体そういう経験あるから大丈夫。なにが大丈夫かわからんけどわりとよくある話だからそんなに自分を責めなくていい。
自分も増田ほどじゃないけど姉が初めて彼氏を連れてきたときになんかちょっとショックだったよ。置いてかれた感じがして寂しくてその日の夜はあんま眠れなくて、うわーってなった。でもしばらくしたら、友達が彼氏の話するのと変わらないよなって立ち直れた。
姉と彼氏と3人で遊ぶといいと思うよ。アホかよ絶対嫌って思うかもしれないが、相手と3人で仲良くなっていけば、こいつら自分の知らないところでセックスを...とか自分に関係のないことでモヤモヤしなくなると思う
子供の頃からの習慣だから、もはや意識しないとテレビを消せない。
今時こんな人も珍しいと思うが。
昔大学受験やってた頃もそうだった。
中高生の頃はラジオも好きだった。テレビ付けながらラジオも聴いてた。ラジオ聴きながら勉強。
常にテレビをチェックしながら、平日だけでも野球中継からオールナイトニッポンまで聴いてるんだから救いようが無い。
当時は寝る時まで点いてた。
もはや当時のことは思い出せないが、そんなのでは多分勉強なんて全く身になっていなかっただろう。
今になってやっとテレビを消したほうが、他のことに集中できることに気づく。
テレビが点いていると、集中しようと思い立つことが難しいけどね。
レコーダーは持っているけど、録画しちゃうと案外興味無くなる。オンタイムで見たい。
支配されてるなあ。
キモオタ陰キャだから俺の居場所はTwitter、そこだったんだ。
でもなんだ、最近はやれ政治だの人種差別だのツイフェミだの目にも入れたくねえ問題が渦を巻いてトレンドを独占しやがる。
ここまではみんなが感じてることだろうが俺にはもっと腹立たしいことがある。
バズってるツイート見るとなんだあれ?画像を変に加工して字幕までつけちゃった通称”画像リプ”とかさ、「ここまでテンプレ」だとかさ、気持ち悪いんだよ。
てかそもそも、日本語がしゃべれない日本人とコミュニケーションが取れない人間多すぎな。お前ら何年人間やってんの。
マジでTwitterユーザーのノリがキツイ。いやTLには同志がいるし窮屈じゃねえんだけどさ、見たくなくても入ってくるもんはあるしリプ欄とか見ちゃうわけ。もう地獄以外の何物でもないじゃんあれ。リプ欄閉鎖しろよ。
ていうかさ、「画像リプを批判する方が陰キャだろ」とかどういう神経してんのマジで。言語で喋れ、くっさい画像見せんな。
でもTwitterのノリがキツイったってこちとら陰キャキモオタ廃人だからTwitter辞めることできねえんだよ。どうしろってんだよ。
ブロックとかミュートとかあるけどさ、そういうの目に入った瞬間関わるのも嫌だからブラウザバックしてんの。自分でも馬鹿みたいって思うわ。
あとさ、オタクが批判されたからってイキっちゃうやつ、あれマジ無理。キモすぎ。オタクがキモいのは当たり前なんだから諦めろって。Twitterでイキって何になるんだよ。
似たようなのがさ、京都であったアニメ会社放火事件の犯人な、あれに対して「ぼくのかんがえたさいきょうの拷問」を披露するオタクあれやべえだろ。捕まえた方がいいだろ。
それをさ、インターネット始めたてでクラスに居場所がない系の中高生がやってるならまだ理解できるけどさ、いい歳した大人がやってるのヤバすぎでしょ。「オタクを馬鹿にする人は許せません!みんなで潰しましょう!(アニメのコラ画像)」とかお前何歳だよ。bio見たら大学生ってお前本当に大丈夫かよ。
ここまでただの同族嫌悪だし俺も同じ穴の狢なんだけどさ、マジでTwitterってどうしてこうなっちゃったんだろうな。時代の流れとか一億総インターネット社会になったのもデカいと思うけどさ。
最近だともう匿名でやれる5ちゃんねるの方がまだマシだよ、あっちだと「くっさ死ね」「まとめキッズ死ね」が当たり前だからな。でもコテハンでコミュニケーション取りたいならTwitterなんだよな。
俺の居場所はどこなんだよ。
ガラケーの時代はメールアドレスは何かあると変えたりするものだった。
メールアドレス変えましたというメールを送りその返信からやりとりをすることを期待したり、気になる子がメールアドレス変えたりすると何かあったのかなと思いを巡らせたりしていた。
気になる子とメールのやり取りをしていると返信が待ち遠しくてセンターに問い合わせしてみたり、過去のメールを読み返して積み重なっていくRe:が嬉しかったりした。
そんなことを今の中高生は経験してないのだろうけど、たぶん彼らも気になる子のアイコンが変わっていたりするのをチェックしたり既読がつくのを待ち遠しく眺めたりしているのだろう。
中高生みたいなピュアさあるな、初デートでSEXの機会があったらとりあえずやっとく、女とサシ飲みではワンチャンの可能性があるという心構えで次回から行こう。
「明日予定あるし今日は帰るね」は女からしたら「アタックしたのに君とは付き合えないって断られた」って認識だから、次同じような感じで勇気が出ない場合は当日の予定があるって言って、次の予定を取り付けてから解散にしよう。
昨日、中国国籍の高校2年生がアルバイト先のクレジットカードの番号を暗記しては金を着服して豪遊していたというニュースをやっていた。
移動はすべてタクシー。飛行機はプレミアチケット。ディズニーランドで120万円使っていた等。
彼はきっとなんらかのバツを与えられる。そして家族なども当然巻き込まれて大変なことにはなる。周りに実例がないので推測でしか無いのだが。
たぶん未成年だからそうたいしたことにはならないだろうなと。中国なら死刑なのかもしれないが。
「時が経てばいい思い出だけが残る」
こんな言葉を歌や小説などで見かける。この理屈によると、いくらか大変なこともあったが彼は「ディズニーランドで120万使った」などの楽しい思い出だけが残ることになるんだよなと。その後の大変なことや辛いことがあったとしても楽しかった思い出は上書き更新されることはないから。
それはそこまでの犯罪を犯してはいないDQNも同様だ。かれらはいつまでも中高生のときの楽しかった思い出に浸ってるし、当時の仲間達と「昔はバカやってた」楽しい思い出を反芻したり追想したりしている。よくいう「若い頃は無茶やったもんだよ」だ。
そうすると中国国籍の高校2年生は、この先、どんなしんどい人生であろうと、なかなか通常では味わうことのできない「いい思い」をして、それを財産としてこの先生きていくことができるので幸運なのか?と思った。
だからといって私は同じことをしたいのか?と自問自答するに答えは断然NOだ。 なぜかはよくはわからないのだがする気はしない。
ここからが本題です。
だからこそゲーム、とくにVRが重要になっていくのではないだろうかと思ったのだ。
最近は夢でゲームの風景をよくみかける。みたことのある実在しない場所の景色。
それは映画やなんとなれば小説でもあり得る話ではあるのだがゲームをするようになって架空の風景をみる夢が格段に増えた。
などと思っていたところ、宮城県の大学生が香川県のゲーム規制条例に対して脅迫文を送りつけて逮捕された。
むーん。いろいろとどうなんでしょうか。しまりのない終わりでもうしわけないが、みんないろいろ危ういバランスで生きているなあと。
童貞のまま先日22歳を迎えた。自分を振り返ってみてその理由について考えてみた。
感情とは外部の状況に対する人間の心の動きであると僕は知っている。周りの人を見ていると喜んだり悲しんだり怒ったりごく自然に感情が動いていることがわかる。
しかし僕はそうやって外界に対して素直に反応することができない。もちろん笑ったり泣いたりするけどそれは他の人の目があるからである。
例えば女の子に振られた時
「これは悲しい気持ちになるべきだ、一旦泣こう。」と考えて泣くし、
「一通り泣いて見せたからあとは彼女が気まずくならないようにしよう。」と考えて30%くらいの笑顔で別れる。
小さい頃から少し勉強ができ、少し運動ができ、少し反抗的だった。
「存在しているだけで鼻につくからせめて表面だけでもちゃんとしてくれ」と中学校の先生に言われたことを覚えている。今考えてみるとなかなか大人気ない発言だ。
常に他人から見て適切だと思われる自分が取るべき感情と行動を選択してきた人生であったしそれに違和感を感じてこなかった。
他人が僕に求めている感情の変化を見せて相手を納得させる。自分が人間的な心を持っていることを示す。行動も表情もそのために選択してきた。
怒られている時は神妙そうな顔をする。デートの時は楽しそうな顔をする。進路選択の相談の時は真剣そうな顔をする。
いろんな顔をしていろんな感情があるように振る舞っているけどいつも心の中では
「このシチュエーションではこんな感じで振る舞えばいいんだよね?」って自分で確認しながら生活している。
みんなは本当に自然に怒ったり泣いたりしているのか。その感情を動かすエネルギーはどこからやってくるのか。僕にはわからない。
恋愛とはそれ自体が感情の塊である。好きだって気持ちはもちろん感情であるし恋人になれば喧嘩することもある。喧嘩も感情表現の一つである。
そうやって感情をぶつけ合ってお互いを理解していく。それが恋愛だ。頭ではわかっている。
おそらく今彼女は自分の独占欲を求めていると感じたら僕は自分が嫉妬しているというメッセージを発する。
弱みを見せた方が良さそうな場面だと判断したときには辛そうな顔と泣きそうな声で彼女に縋る。たとえ困っていることがなくてもとりあえず自分の不幸そうな話を嘘にならない範囲ですることもあった。こうして自分の弱みを共有することで絆が深まっているかのように感じて貰うことが恋愛において有利だと考えたからだ。
彼女の悲しい話は同情に満ちた顔で聞くし真剣に考えている顔をする。
これらはこうすることで丸く収まるものだと計算して行動しているからであって自分の心に素直に表情や行動を変えているわけではない。
僕は童貞である。これまでそんな機会がなかったことはない。いい感じの女の子と同じベッドで寝たこともあるし、キスをしたこともある。それ以上のことも。
でもそれに幸福感や快感を感じたことはなかった。一歩手前のような状況までは何度かなったが、最後までしたことがない。
性行為の時も自分の行動で相手がどう思っているのかを計算して動いてしまう。
我を忘れて2人だけの世界に没頭できない。どこか第三者的な目線で考えてしまう。
裏を返せば女の子の求めることは大体できてしまうわけだが自分の気持ちがそれで盛り上がるわけではない。
そうして性行為が大して楽しくないと感じてしまい、ここ2年ほどはたとえ一緒に寝ようともキス以上のことをする気になれない。
世の男はいつも女を抱きたがり、多くの人は体の関係で結ばれている。多分ほとんど事実だ。女性もそれを求めていることが多いことも。
僕はそれがとてもめんどくさい。めんどくさいと感じているからこそあまり価値のあるものだとも思えない。
不貞行為に腹を立てる必要性を感じたこともないし、不特定多数との性的接触を穢らわしいと感じることもない。
ただその連関の中のどこにも自分が入っていないことには少しだけ孤独を感じる。
自分は人間として、生物として劣等個体であるように思えてくる。
大学生ももうすぐ終わり、来年から新しい生活が始まると思う。新しい環境でも孤独以外の感情を感じないまま道化を演じ続けることになるのかな。
私はショッピングモールの中に入っている店のひとつに勤めている。
勤めているといっても1日5、6時間程度しか勤務しないパートだけれど。
大型から地域住民しか来ないような小型まで、いくつかショッピングモールに勤めたことがあるが
大体そういうところの従業員は従業員通用口を通ってバックヤードを通り出退勤しなければならない。
自分の勤めている店の目の前に外へ繋がる出入り口があったとしても。今まさに私はそういう状況。
とはいえ店の商品をのんびり見ながら従業員通用口に向かうのも私は中々好きだった。
化粧品を見ながら帰ったり、贈答用のお菓子を見ながらおいしそうなんて思いながら帰ったり。
しかしここ半月は気が重かった。6月初め頃、もっと前だったかもしれない。母の日が終わったあたりから始まった父の日フェアのせいだ。
私の父は「いい父」だと思う。
よく気が利き、男らしく、力持ちで。
九州男児のような所謂「言わぬが花」のような分かりづらいが気付けばじーんとくるような優しさもある。
こう書くと厳格な父親を想像されてしまうかもしれないが、おどけてみせたり、お茶目な一面もある。
マイルド九州男児?「九州男児」と聞いてイメージするいい所と、現代の若い男性に多い柔らかくて優しいところをどちらも持ち合わせている。
そして背も高く脚が長くて目鼻立ちもはっきりしているし顔もカッコいい。身だしなみのセンスもある。
若くして結婚し、母がすぐに出産。その後から今までずっと家族を責任を持って養っている。
とはいえ、浮気をしたり、多額の借金を作ったりと母にとって「いい夫」であったかは分からないが。
しかし、子供の頃それらのことには気付かなかったし(上記のことは母から聞いたので)
私は兄弟が多く、どちらかといえば貧乏な家庭で育ったが、今日食べるものにも苦労したり
仕事の愚痴を父の口からきいたことはないし、立派な父親だと思う。
渡しに行こうと思えば1時間あれば渡しに行ける距離に住んでいる。
気持ちについては「罪悪感」7割「やってやった」3割といったところだろうか。
3割の「やってやった」についてここまでの父のことを褒めちぎった文章だけだと私は超絶親不孝娘だろう。
虐待というのだろうか。被害はもう私が成人してからの話だから。
実は小学生高学年のあたりから高校生くらいまで兄からも性的な虐待を受けていた。
それが原因となって私は中高生の頃から精神が不安定で、人を心から信頼できず
表面上友人と仲良くすることはできても常に周囲に気を張って生活し、学校に行けば毎朝熱が出た状態で授業を受け
とはいえ、中高生の頃の不安定さについて性虐待が原因だと分かったのはほんのここ数年の話だ。
というより、ここ数年まで自分が性虐待されていたという自覚すらなかった。
それまでは私の個人的な性質や、容姿、性格が暗いから、悪いから、協調性がないから、空気が読めないから、最低な人間だから
そういうのが原因で上手に友人が作れなかったり、本来なら喜ばしいはずの友人付き合いがストレスになるような出来損ないなんだと思っていた。
まあもちろん冷静に考えてそういう原因がゼロではないと言えないのですべてを性虐待のせいにするつもりはないが。
少しでもこういった分野に興味のある人は知っていると思うし、興味があれば調べると思うから
所謂「自己肯定力の低さ」と「性被害」や「虐待」の因果関係については長々とした説明は控える。
私がそういった専門のカウンセラーに言われて一番腑に落ちたことを簡単に説明すると
「性格形成の時期に一番信頼できる身近の存在であるはず(あるべき)家族から酷い扱いを受けたのに外で出会った人間を信頼できるはずがない」
ということらしい。まあ確かに。
大人になった今思うと、家族など偶然で協同生活をしている集団でしかないので
家族なんかよりよっぽど信頼できる存在は外の世界にいるはずなのだが
私は強く家族に執着していたからなおの事家族については「一番信頼できる身近な存在であるべき」だったのだ。
というのも、父と私たち兄弟については生まれた時から親の方針で入信していただけだが。
母は父と結婚のタイミングでその宗教の存在を知り、今では父よりも熱心な信仰者だ。地域の幹部らしい。
「家族は何よりの宝だ」といったような、要は家族を大切にしなさいねというメッセージが
繰り返し、繰り返し出てくる。
特に母親は熱心に宗教活動をしていたため、信仰者の会合に連れていかれたり
母も私が冒頭で書いた文章のように過剰なほど父を褒め、「うちはいい家族だよね」と繰り返す。
今思えばこのとき、父の浮気や借金で苦労し、そう自分に言い聞かせたり子供に悟られない様にしてたためかもしれない。
私は、家族を大切にしなければいけない。家族はなにより大切なものだ。悪く思ってはいけない。そう思っていた。
思っていたというか、そう育った。
それなのに自分は人間としての権利を侵されたこと、そのことに対して怒りや憎しみを覚えることへの罪悪感。怒りや憎しみを抑え込むストレス。
そういったものでどんどんおかしくなっていた。高校生の後半の頃には毎日のように吐いていた。
ただ私は、その時原因が分からないもので学校という環境に自分が適応できないんだと思い大学への進学を希望しなかった。
家庭が貧乏だとか、まあそもそも勉強もそんなに好きじゃないとか色々な理由はあったが
一番は、もう「学校」という場で同年代の人間がたくさんいるところに身を置き、やっていく自信がなかった。
大学で勉強しないと叶えられない夢もあったが、私の夢なんてくだらないものと思ったし、その夢を自分が叶えられる自信もない。
私は幸い就職に力を入れている高校に通っていたので難なく就職できた。
めっちゃくちゃ長くなるので割愛するが、やはり前述した人を信頼できないという部分が大きくストレスになったと思う。
人を信頼できないというのは、具体的に言うと私の場合は
「嫌われているんじゃないか」「使えないやつだと思われている」「いない方がいいと思われている」
と思ってしまう。こういう思いを中学生のころから人と関りを持つたびに感じていた。
学生だったころはまだいいが、仕事となるとこうした不安に支配され
頭が混乱し周囲が気になって仕事に集中できなくなり仕事を続けることが難しくなる。
ちなみに、今でもこれはある。
しかし私はこの時社会生活に適応できず精神を病んだと思っているので、もちろん病院で家庭の話などしない。
この頃は実家暮らしで昼夜逆転生活をしたり、早朝の三時から五時くらいまで近所の公園でぼーっとしたり
突然意味の分からない理由で家族にキレたり、両親に過剰に甘えたり、暴食したり、めちゃくちゃストイックに会社員時代に契約したジムに通ったり
この「過剰に甘えたり」の部分。
リビングで寝転がってテレビを見ている父の隣で寝転んで一緒にテレビを見ている内に寝てしまった。
その時に性的被害を受けた。私が途中で起きたこと、そしてそれを父も気づき何なら乗り気と思いエスカレートした。
成人しているわけだし嫌なら嫌だといえばいいと思う人もいるだろうし、若い女が自分から異性にべたべたするから悪いと思う人もいるかもしれない。
私ですら今でもそう思う時はある。(娘にとって父親は異性ではないのは確かだが)
まあ、この時なぜすぐに拒絶できなかったのかということや、その後の感情については自分でも今明確でないので
悪いのは絶対に100パーセント相手だ。これは私の感情ではなくて事実。
この事実と私の感情はちぐはぐで、だからこその7割の「罪悪感」だ。
体調の問題で一日の勤務時間は制限され、パートという雇用形態だが、何とか社会復帰もできた。
治療については心療内科への通院と、性暴力の被害支援センターでのカウンセリングを受けている。
(ちなみに、初めて病院に行ってから性被害を自覚するまで1年半ほどかかった)
穏やかな日常で少しずつ自分のことを大事に思える様になり始めた。
しかし、母は兄や父の性虐待を知らないし「家族がなによりも大切」「うちっていい家族だよね」と
思っているので、頻繁に交流を求めてくる。
母についてだが、上記のような思想持ち主でヒステリックで自分が一番で負けず嫌い
自分の功績というのは「いい母」であり「いい妻」であったことだ。
口が裂けてもあなたの息子と旦那に性被害に遭いましたなどとは言えない。
私は実家に帰ったり両親と食事をしたりするたびにちぐはぐな気持ちを抱えて家に帰ると何もできない時間がおとずれる。
父の稼ぎや教育で私が育ったのは事実で、今でも車を出してもらったり困った時に父を頼ってしまう自分もいる。
しかしこんなにお世話になっているのに、被害の部分だけで恨むのは都合がいいんじゃないかとか。そういうことだ。