はてなキーワード: 一品とは
最近、産後だというのもあってか無性に沸き立つ夫へのイライラ感が半端なくて先日はとうとう増田にその一部始終を投稿してしまった。
そんで、わかるー無理すんなって共感や心配の優しいコメントからこのままじゃだめだと叱咤激励アドバイスのコメントまで様々な反応があって嬉しかった。
見方や捉え方は違うけど、どこの誰かも知らない相手にお礼もなければ読むかどうかもわからないのに愛のあるコメントが多くて驚いた。
さすが戦禍を潜り抜けてきた先駆者共(子育て経験済みのみなさん)は面構えが違う。言葉に重みがある。
これをプリントアウトして夫に見せるにはまだ心の準備が必要だが、
せやな・・・せやな・・・それ大事やな・・・とつぶやきながら読んだ。(関西人ではない)
確かに夫もまったく何も変わっていないわけでもないかもしれない。
最近ネットで見かけるWeb漫画やコミックエッセイに出てくるような胸糞悪いレベルに悪い夫ではない。
モラハラなわけでも、浮気するわけでも、浪費するわけでもない。
産後でイライラしてちょっと気が利かないぞとこちらの期待度が高いだけでごく普通の夫なのだ。
そうだ。私が産後家に帰ってきてから変わったことや夫の良い所をフォーカスしてみよう。
朝の弁当は自分で用意してもらうようになったし、平日の買い物は仕事帰りにいってくれる。
昼間はちゃんと仕事だってしている。休みの日は掃除・洗濯も自分でやる。たまに洗い物をしてくれる。トイレ掃除はしない。
・・・ん?
ふ、ふつうだーーーーーーーーーーーー!!
よくよく考えたら独身一人暮らし社会人だったら当たり前の範囲だーーーーー!!トイレはいつも私掃除してるーーーー
むしろ弁当の中身とか冷食も多くなっちゃったけどおかず私作ってるーーーーーーー
(とはいっても自炊に関しては金で解決できるが私が好きで節約と家族の健康もかねてやっているので文句を言うつもりはない。でも段々心が折れかけてきた所)
前置きが長くなったが、(この下も長い)ぜひ今日も以下夫へのイライラエピソードを聞いてほしい。
生後1か月の赤ちゃんは授乳が3時間置きと言われるが、それは理想で
よく3時間もたずにおなかが空いて泣き止まないということはよくある。
そのため、ご飯を食べようと思ったけど赤ちゃんが泣くので授乳するという時がある。
自分の食事より赤ちゃん優先するのは戦士(母親)として当然なのかもしれない。
夫が帰ってくるのを待っていたので時間としても20時ごろで、夫を待たせるのも悪いし
「冷蔵庫に作り置き入ってるから、あっためて先食べてていいよー」と夫に言った。
夫は「うんーわかったー」と自分で用意して食べた。
(混合で育てているので母乳をあげた後に追加でミルクを飲ませている)
ごはん前や真夜中・朝方に授乳している時、大抵寝不足で頭の中がほぼ空っぽになっているのだが、片隅に、「腹減った・・・」という思考だけがある。
おっぱいを吸われているとリアルタイムでめちゃくちゃお腹が減ってくるのだ。
「俺食べ終わったし(急いで食べた)、ミルク代わるよ。ごはんも用意しといたから冷めないうち食べなよ。」
と、哺乳瓶を持っていた私の手にそっと夫の手が重なる。
ミルクは人肌まで冷まさないといけないが、二人の愛はいつまでも冷めないのであった。 ~完~ (水戸〇門エンディングBGM)
~現実~
「・・・・・・ ふろ、ふろ、ふろ~♪」 (見向きもせずに自分のことに全集中!Goto風呂場!)
「・・・・・。」 (無言でミルクを作るがイライラするがあまり粉ミルクを今何杯入れたか忘れる) ~BAD END~
なんか、こんなことでイライラするのってすごいめんどくさい女だなって自己嫌悪になりそう。
フツー、妻が育児でご飯食べ損ねてたら、ミルク代ろうかってならないの?ってイライラするんだけど、
それって当事者の自分がいったら価値観・気遣いの強要になるわけで。
だって、婚活とかでも、恋愛コンサルタントの先生とか仲人さんが、
「女性のハートをつかむためにもなるべく初デートのデート代は出しましょうね」とか言うなら
受け入れがたくても「なるほど~ふ~ん。そうか~。」とか思うけど、女性がブログで男性はデート代出すべきとか、
相手の女性が「初デートなんだから普通食事代くらい奢ったりしないの?」とかいったらムッとするじゃんね。
意地はってないで素直に「やって☆」ってお願いすればいいってわかってるけど、
それはそれで能天気にやってあげた感で満足してる夫見たらさらにイライラする自信ある。
お互い感謝の気持ちは大事だけど育児協力してやるの当たり前じゃないのか。
という感じで無意識に当事者意識を試してるというか気づかない夫にイライラ感を募らせて嫌な女だと思う。
あと人生2周半くらいして功徳を積まないと自分から素直になれる気がしない。
話しは戻って、ミルクが終わって部屋から出てきたら夫は皿洗いをしてくれていた。
(いや、これから私メシ食うのに洗う皿でるけど・・・!!!?)
食うなってこと?とはまではいわないがなんだかイライラして食べる気が失せてしまった。
こまけぇこたぁいいんだよ!!!その分は明日洗えばいいだろ!洗い物減ってよかったなあ!って済む話なんだけど、イライラする。
まず、食事の用意じゃないのか。
「わしが今食べたい一品をいますぐ作れ、はずしたらおぬしの首をはねる」とか難しいことを求めているんじゃない。
冷蔵庫からごはんやおかずを出してレンジに突っ込んだり、箸をもってきてくれたら嬉しいってだけなんだけど。
考えてみてほしい。自分が仕事で残業して疲れて「お腹ぺこぺこだ~ただいま~」って家に帰ってきたら、
妻が自分のことはわき目もふらずこれ終わったら録ってたドラマみなきゃみたいな感じで皿洗いや後片付けに集中してたら・・・
ごはん温めるくらい自分でできるけど、途中で仕事増やすことになってやりづらいし、
なんか寂しい気持ちになって、次遅くなる時は外で食べてから帰ろうとならないだろうか・・・。
いまやらないと他にもやることあるし寝るの遅くなって明日の仕事の響くとかならしょうがないけど、
授乳の時間そんな後片付けする時間待てないほど遅くならないだろ。
私にはわかる。
これは共働き夫婦でよく問題になるようなそんな優先順位と時間効率を考えないとやっていけないような難しい話ではない。
さっきの風呂の件といい、皿洗いといい、私のことなど考えていない。
そう思うとますます腹が立ち、明日から口癖が「イライラする」になりそうだ。
すでに日記上ではなっている。
しかし、これは全て私の個人的な憶測なので夫もただ単に家事をして育児をしている妻をサポートしてるつもりの可能性もある思うとそれに対してブチ切れることはできなかった。
自分のことは自分でできるよ。しかしさ、ここはシェアハウスじゃねえんだぞ。
私は夫が遅く帰ってきた時、ご飯の用意してあげてたけど。
寂しいわ。なんで後片付けが先なんだよ感じ悪いだろ!カーッ!ペッ!(※心の声です)
夕方増田はノンストップハイスピードタイピングで書けているのに歯はまだ磨いてないことに気づいて絶望するくらい育児優先になっているのに、夫は変わってないことにイライラする。
今は大変だから家庭を最優先しろと言いたいわけではなく、いままで通り夫は夫で仕事中心の生活でやれることを頑張ってほしい。
私はミルク変わってくれなかったことや人が食う前に片付けていたこと自体にイライラしてるんじゃない。
私のしてほしいこと察しては表面上の話であって、行動から透けて見える意識にイライラが止まらない。
育児でいっぱいいっぱいになってる妻に気づいて、自分も自分のことを1割くらい我慢して妻を思いやる生活に変えてほしい。
それもこういう時はこうして思いやってくださいって指導するものなのか?
歯磨いてくる。
自分のじいちゃんばあちゃんの苗字くらいまではせめてわからないとえらいことになる
わかるっていうのは文字データで知ってるってだけじゃなくてそれを知る環境がある 血縁関係が親を通じてしれる範囲程度は知れたほうがいいって事
これからは核家族からの何世代かこえてもう完全に血縁から孤立してる人がでてくるだろうから関係はないけどメリットとしては近親の結婚とかで血が濃くなるのを防げる
日本は苗字が多いのは男系だから 家を男子が継ぐって形だったから
他の国では血筋の判断をどうしてるかっていうのは男性側の苗字をミドルネームに入れるとか親の名前からその子ってつけて名乗るとかしてる
男性が牛耳って女性を蔑視してるとかそういうことじゃない システム上枝分かれの記録を保持するのにこうじゃないとできない
女性は子供を産むことができるので自分で血脈をつくれるけど男性には無理 じゃあ男性がどこで子づくりに関与したかって情報がなくなる なので産地につけて種類を表記するような生産地表記に沿った文化のところもある
一品ごとに産地名と出荷元を一元化して名称にしている形式の日本は男子の家からの出生で女性が他の家の子供をかけもちで産まない限りまざらない
いま日本に広がった苗字の本家は結びつきを作れないと消滅していくけど女性はその場で個人から本家がつくれる
もうすでにお家制度が核家族に破壊されて半世紀以上は経つので結果として女系で近親交配になって民族的に終わってもいいんじゃないかって気分にはなってくるけど
そういうことわかっていて「女性の権利がどうのこうので女系のなんとかみたいなのとか親より上の血筋もわからない個人がそれぞれ自由な意思で自由に結びついたらいい」みたいなことを民族撲滅する気満々でいいこと風に無知な人に吹き込むのはちょっと残酷かなってきがするよ
思った以上に反響があって戸惑ってます。一部に法務がなんだ心配されていますが、それどころじゃないだろうから大丈夫でしょう。ファミマ最高!
思った以上にセブンが好きな人多いのね。同様にファミマ嫌いな人多い。ローソンはズッ友だよ?
店舗が汚い、店が暗い、喫煙所無くせ、帝京魂ウザい、イートインの三角ポップの教習所邪魔、変な家庭教師の広告嫌い。分かります。SVだってなんかな~って思います。店内放送の質は3大チェーンでは最下位だと自負してます。良くならないでしょうね。あとセブンよりファミマとローソンはオーナーの裁量に自由があるので、よくも悪くもオーナーの色が店に出ます。セブンはそんなもん出させません。指示待ち人間はセブンおすすめ。分厚いメソッドが貴方を物言わぬ奴隷にしてくれます。
飯が不味い。そこら辺はファミマの歴史見てください。西友の弁当美味しい?ローソンも同じ。ダイエーの弁当美味しい?もちろん過去の話で今じゃ伊藤忠と三菱の代理戦争だけど、昔からの付き合いや考え方ってのは変わらないもので、もちろんファミマもお母さん食堂とか言って中食頑張ってるよ。今のコンビニの主力は中食。弁当より儲かるし!オススメはおにぎりと味噌汁と中食でデスクで定食だ!おにぎりが不味い?諦めろ!あれやこれやで開拓や改善は時間がかかる!まぁ、正直なんで香取慎吾に女装させたのか分からないです。あれでおふくろの味とか訴えられる訳無いと思うけどね。
コーヒーの話題もあったので一つ。なんかセブンイレブンがコンビニコーヒーの元祖みたいな面してファミマとローソンが後追いみたいな感じだけど、セブンイレブンが最後だからね。最後尾からやってきて一気に抜き去ったよ。俺ら当て馬?セブンイレブンの凄さはあんなに使いづらいと言われた佐藤可士和のセブンカフェをゴリ押しできる強さだね。味も良いけど。同業他社もあれ見て思ったよ「RとLって右と左か?」「コーヒーとカフェオレしか無いでやんのw」ってね。カップ自動判別機能型が出た時は勝利すら感じたけど結果はご覧の有様。コンビニ店員にクソ面倒な客対応任せて、とにかく使わせて慣らせば良いんです。使いやすさとかどうでも良い。あと考えさせない。ミルク要る?暑いの?冷たいの?これだけ。押せば出る。ラージは2回押してねとか敗北よ。機械が埋まってたら後続の客は買わないから。何故か弊社は種類が豊富になり、ローソンは種類に加え手渡しになった。確かに減らすとサービス改悪に思われるから仕方ないけど、たぶんコーヒーとカフェオレ以上を求める客はスタバ行くよね…手渡しに至ってはクルーの呪詛しか聞こえてこない。
セルフレジがあるからローソン、ファミマ行くって人。ありがとう。王者はいつもの様子見だから、世論がセルフレジ渇望したらきっと対応するよ。アレ現金使えないけど、バイトが適当に性別と年齢押してるデータがSuicaや電子マネーで確実なデータで取れるから王者もやりたいだろうけど、正直人件費減らせないし透明なカーテンで良いよねって考えてそう。セルフレジって大半はスムーズに使うけどやべぇーのが使うとマジで友人の数倍時間とマンパワー取られてぶっちゃけ迷惑。あと万引にも影響出る。アレのおかげで見分けつきにくい。有人レジ最高。
あれやこれや書いたけど、ファミマは今後純度100%の伊藤忠になるので、まぁそのなんだ、期待はあんましないで。もう抵抗は出来ない。無印良品とかほんと何だったんだろうね。無印あれば女子来ると思ってたのかね?そのくせガツ盛とか作るし。ローソンも最近ソッチ方向だし商社内でのブームなのかな?お互い中小のコンビニチェーン吸収したけど、そこの強みを全く活かせずクルーの手間だけ増やして、吸収されたチェーンのファンを怒らせるばかり。他社ながらスリーエフの焼き鳥を死なせたローソンはマジで凄い。結局焼き鳥じゃなくて鶏が欲しかったんだろうな。アレくらいの冷酷さを弊社も持ちたいね。
ちなみにみんなが思っている事はオーナーも思ってて、研修での新商品試食会とかでも意見出るけど何も変わらんわ。SVはなだめつつ這いずり回ってたまにはキャバクラ連れてってオーナーや店長を諦めさせる為に日夜頑張るのです。ぶっちゃけエクレアの成功を今だに懐かしがってるフジテレビってイメージで良いよ。ファミマは。
セブンイレブンだけじゃなくローソンもファミマも今後はより味はそのままに量は減っていく。これは断言できる。それだけ裏はいっぱいいっぱいだ。無理させたらコンビニオーナーのてるてる坊主が全国で発生するからそれは貸付している各社的にも困る。なのでお客様に負担していただく。今の味と量で満足出来ている方もその内もう一品買う事になる。そして文句言いつつコンビニで買うのです。コンビニに来るのは『余裕のない』人です。時間にも、お金にも、心にも。だから我々コンビニは極力考えずに思ったままに簡単にお買い物や生活サービスを出来るように進化していくのです。これからは付加価値だと各社頑張ってます。弊社ですとジムやコインランドリーと併設とかもはじめてます。他社はオフィスに機械置いたりオフィスグリコみたいなのも始めたりしてます。駅ナカは最もたるものです。改札無いは逃げ道が無い。10年以上前から頭打ちだった業界が見つけた最後の楽園。東武はファミマ、東京メトロはローソン。JR西日本はセブンイレブン。目指すは胡座かいてふんぞり返っているNEWDAYS!アイツ倒した時に業界的に一段落つきそう。
ほらほら、どんどん貴方の生活に溶け込もうとしていますよ?嫌でも買うしか無いんです。歩けて選択出来る今は良いけど老いたらどうする?思考力は低下し足腰も弱る。宅配サービス?コンビニもやってます。セブンイレブンもファミマもローソンも、年老いた貴方をお待ちしております。
45分集中して15分休憩を大体2セット。
合間にお米といで、お昼ご飯の下ごしらえ。
納豆と豆腐は必ずどちらかが(セットの時もある)一品料理として登場。
そのまま出せば副菜になるのでとても便利。
ご飯は少なく、その分、野菜とキノコは大量に味噌汁などに入れて
バランスよく。
今日はかぼちゃが安かったので、かぼちゃの煮付けも作った。夜ご飯に。
大根と人参が余ったので、紅白なますにしたけど、ニンジンを多過ぎてほぼ
いってq録画見ながらご飯食べながら洗濯機を回して、食べ終わったら干して。
シャツ類は洗濯ネットに入れてドライ洗濯の短い脱水時間が済んだらすぐに取り出して
干せば、シワにならずに便利。
小物類も洗濯ネットに入れて洗って、干物干しネットの上にばらまき干し。
いちいち洗濯バサミで使うのがめんどくさかったんだよね。これでかなり時短になった。
昼の仕事は終わったので、タンブラーに紅茶入れて近所のショッピングモールの
暇だとなんとなく喫茶店に入ってたけど、特に飲みたくないのに毎回4 、500円払うの
今思えば大損だよね。
最初はフードコートで何も食べないのは気まずかったけど、平日の昼間が持ち込んだお弁当とか
食べながら勉強するや読書、スマホゲームする人たちが結構いて、やってみたら意外に快適で
土日は混んでうるさいけど平日は静かで落ち着く。
カフェだとテラス席はいつもいっぱいだけど、フードコートは大きいから座れるのが嬉しい。
運動不足になりがちだから、ジムに通うのでなく、ショッピングモール内を
お金って使わなければ使わないんだな、と思う。
今の仕事をしながら独立して稼ぐ人もいるけど、そのための集客を考えるとげんなり。
今は稼ぐことよりも、最低限自分と動物たちが暮らせるだけの給与と
給与今とそんなに変わらないのに、1日10時間とか毎日働いてたことを思うと
二度と戻りたくない。
身も心もボロボロになってまで働いて、何が残ったと言うのだ。
同僚で個人での仕事もどんどん広げている人を見ると、すげえなぁと思う。
ただ私にもぐいぐい営業かけてくるので鬱陶しいけど。
私とは違うのでそっとしといてください。
稼ぐことよりも、心の安定を求めたいんです
持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属できれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。
大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)
貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。
種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャのデザインはデカかった。自分の持っている気球デザインは文庫にちょうどよい。
紙に跡が付くのは気になったことがない。
トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。
金属製パート2。土産物屋でよく売っている、長方形のオーソドックス型でなんかステンドグラス風のもの。
地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。
多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。
学生時代、友達からこのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である。
とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。
その後似たようなしおりを自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。
ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。
ひこにゃんと箱根のかまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。
観光地の土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。
私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画やハードカバーに使う。少し大きめサイズの漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。
青森の土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。
私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。
高村光太郎記念館で買った。
革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間の使用や持ち歩きの本には向かない。
光の文字が箔押ししてある。
この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの。
中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり。
紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。
仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ。
いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。
本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。
スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコンや生ハム、スライスチーズなどがある。
https://www.ganso-sample.com/item/
(オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)
面白いし可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品。
主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚にしまう等すると跡がつくと思う。
お土産で生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。
悲しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。
凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。
色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。
自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。
A5のワイドサイズの漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。
ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。
好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし、放置はやめたほうがいい。
旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやすく自分へのお土産によい。
ちなみに文庫本の持ち歩きについて。
布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。
厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙をカバーに差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。
昔CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。
今はCDショップでCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。
10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。
文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなもの。シャカシャカした素材で、生地と生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。
しかし10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバー(Amazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。
味付けが納得いかない。飲める前提で味付けされたスープに全部一緒くたにして煮ているだけなので、何を食べても薄くてのっぺりした同じ味。具材も固茹で卵とか練り物などパッとしない。
食パンの劣化。無駄に硬いせいで顎が疲れるし噛んでるうちに味がわからなくなるし、メリットを感じない。
焼く意味がわからない。パラパラだろうがしっとりだろうが大差はなくて、貧弱な炒り卵だとかネギだとか混ざってるだけのご飯を一品料理として食わせようとしてくる。焼いたことがそんなに偉いのか?
焼いただけで食えるほど魚にはポテンシャルはない。別に魚そのものが嫌いとか骨がダメとかそういうわけではなくて、例えば干物とか煮魚とか酒蒸しとかはいいと思う。一手間入れば魚が美味しい食材なのは認めるけど、それがただ塩まぶして焼いただけとかで食えよって言われても手抜きだと思う。大抵の場合は魚のポテンシャルが追い付いてない。
高校時代の後輩の男子ともうセフレかつヒモみたいな関係性で10年目を迎える。めでたいね!!めでたくねーわ。
数ヶ月ぶりに遊びたいと連絡が来て、夜の相手も込みで遊ぶんだろうなーと思いつつ予定を空けたわけです。
誕生日の次の日に。
いやまあ、これは私がおこがましいのですがちょっと期待しちゃってました。
今日はご飯ワリカンにしますよ!とか今日は遅れずに来ましたよ!とか言ってくれるかなとか思ってたよ。
案の定遅刻、アーンド費用は私持ちでしかも行きたいお店はそっちが決めるのね!爆笑。
その上で、最近彼女できたんですよーって言い始めるし。えっこのあとホテル行くんすよね?
「あ、それはいいんです、彼女そういうのも込みで良いって言って付き合ってくれてるんで」
お前らはいいかもしれないけど私は良くない〜〜〜!!!(でも結局寝る)
倫理観とかどこに行ったのお前。
そのあと一緒に買い物行った時、一品なんか買ってあげようか?と声をかけた瞬間から、待ってましたと言わんばかりに私の持つカゴにどさどさと買いたいものを遠慮なく入れていく君。
なんだか情けないやら悲しいやらで、でもなんだかそれを表に出したら本当に負けのような気がしてぜーんぶ買ってあげてしまう自分ってなんなんだろうね。
人が甘やかしてくれることに対して付け上がるような人になってしまって、先輩は悲しいです。
散々甘やかして、正常な倫理観を育む土台を奪ったのは私なんですけれど。
私が悪いのだ。
というか毎回会うたびにガッカリしてもう会わねえって心に決めてるんだよな。
なのに数週間すればそんなことを忘れて、誘われれば会いたくなってホイホイ予定を空けて金を用意している。
その場の雰囲気に流されている。
冷静に振り返ると、私は一体何なんだろうか。
まとわりつく誘惑を振り解けない私が悪い。
もう当たり前のことを羅列して、もう会わないと今度こそここに誓おう。
当たり前の倫理観である。(それを当たり前のように無視してきてしまった)
・たとえ当人たちが浮気を認めようとも、浮気相手となることは自らの価値を下げることである。
私は、きちんと誕生日を祝ってくれて、幸せを願ってくれている友人知人がいる、ちゃんとした人間なのだから。その願いに応えねばならない。
・そもそも私数年前に振られているのだから未練たらたらに甘い誘惑に負けるな自分。
彼女はあくまでキープしてるだけ、という口ぶりの彼だが逆にいえば私は恋人としてキープする価値もないと過去に言われていたということである。
・正直、26歳の彼をもう「かわいい」と思えない。
後輩として私についてきてくれた可愛らしいあの男の子はもうこの世にはいないのだ。なぜなら私が道を踏み外させてしまったから、増長してつけ上がってこうなってしまった。私のせいだ。
・そんなに体の相性も良くない
今手っ取り早くやれる相手が彼しかいないだけで、正直そんなにやってて楽しい相手では無い。
・話もはずまず、共通の話題もない人間に時間を費やすには人生はあまりに短い。
共通項は高校の同じ部活の先輩後輩というだけの2人。10年経った今もはやその共通項は過去のものである。話しててテンションの上がる人と過ごそう。一緒にいて、安らぐ人に時間を費やそう私。
・ホテル代食事代衣服代総額1日で彼に出した額=1ヶ月の家賃はさすがに私の頭がおかしい。
甘やかすとかのレベルではない。
・そもそもありがとうの言葉が無い方に差し出す金も優しさも、もう持ち合わせていない。
それだけの金銭的、精神的な余裕は私にはもう無い。金銭はまだいいが心がもう空っぽなのだ。時間が経つと自らが空っぽであることすらを忘れる自分へ。私はもう、空なのだ。
・もう2人とも大人なのだから、後輩の道を踏み外させてしまった責任を負わなくてもいいんじゃないか。
これは願望。けれど、もう大人なのだ、私が彼をこんな奴にしてしまったのだとしても、彼がそうなることを選んでもいるのだから、私が全部悪いわけじゃ無いはずだと思いたい。
・もう私が悪いんだと、自分を責めたく無い。
つかれた。
アンチョビオリーブきのこを乗せたピザを食べ、デザートに牛乳とバナナを頂いたあと、湯船にお湯を入れて入浴し、寝室を暗くしながら、髪が乾いたころに入眠し、たっぷり9時間睡眠をとる。9時間眠らなきゃダメというわけではなく、自然に目が覚めるまで時間的余裕を持って眠るということだ。ソシャゲ等の日課は一日お休みだ。眠るまでの時間は心穏やかに過ごすといい。音楽鑑賞などの受動的でリラックスできる娯楽がいい。
ピザが大変と思うかも知れないが、既製品のアレンジで良い。伊藤ハムのチルドピザマルゲリータ(または同一品の西友お墨付きマルゲリータ)が手頃で生地の質がよく、薄くて軽いのもあっておすすめだ。
って自分がすっかり浸かるぐらいなみなみと肉汁が止めどなく出てくるハンバーグって
全部旨味が出てる感じがしてもったいなく思うのは気のせいかしら?
パンと一緒に浸して食べるならまだしも。
ハンバーグの口って言っても本当に口がハンバーグになるんじゃなくて、
噴水みたいに出ちゃうとか、
もうこんなハンバーグは嫌だ!って
でもさ、
ハンバーグを最初に人類で発明した人はよっぽど暇だったと思うのよ。
なんなのそれ!って
ミンチにして固めるなら、
最初からステーキでいいじゃん!ってでもそんな素敵な話しでもないらしいの。
ざっくり言うと
肉が硬いから食べられない婆さんのために孫が開発した新メニューだって、
いい孫じゃん!って
それはそれでいいとして、
頭おかしいんじゃない?って周りの人に思われてたのかも知れないわ。
いまじゃ、
今だとまだ珍しくて高くて私たちの口にはとうていできない人工肉だって、
ピクピクと培養液の浸された試験管の中で育って動いている姿はおぞましいけど、
これも何年も経てば
当たり前の光景になるのかも知れないわね。
当時としてもまだ誰も食べたことの無かった、
肉を!肉をそんなにして!って思って美味しく食べてたのかも知れないわね。
ここまでハンバーグのはなしを散々しておいて
うふふ。
美味しく決まったわ。
というか、
最近サンドイッチのラインナップが私好みではない色に染まっているので、
時間が無かったので
冷たいものを一気にとは
って空高く馬肥ゆる秋だわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200904203318
ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツを精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。
特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事そのものが精神的に不健康である」という意見には唸らされた。
一般に販売されているゲームで、自分がクリアしたことのあるものに該当はなかった。
やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲームは審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。
それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。
なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人が制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。
以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。
見た目はほんわかしているが、中身はエログロ(特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。
プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。
ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。
どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。
特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。
私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。
あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?
違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛や嫉妬や絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。
大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子。旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。
パズルゲームでの得点によって物語が分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズな誕生日パーティーをしたかっただけなのだ。
プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイルや画像データが現れたり消えたりする。
最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。
いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。
以前の作品である「愛と勇気とかしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味でビビらせることに全力を注いでいる。
プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームはプレイヤーを驚かせてくれる。
数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康な作品だ。
ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年は絶対にプレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。
体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。
作者、特に2周目の恐怖演出を担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味な演出だった。
「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷なゲームを作って社会に復讐しようとしたんじゃないか?」
私はそう推測した。
「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的な確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメントと一貫性。
プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームをクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームをクリアできた。俺はチキンじゃない!
終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味な演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームをプレイした時間が無駄だったと認めることはできない。
そんなことをすると自分は愚か者だったことになる。だからこそ、個性的なゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由のひとつだ。
今までにないタイプのゲームだったのは間違いない。ホラーゲームが好きな人にとっては珠玉の一品だったと思う。私も、このドキドキ文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。
名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。
この作品は、上下巻の約700ページ(しかも行間がほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。
①ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする
②騒ぎの最中かその前後のパートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる
③ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る
エログロ小説と世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サドは貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターンで小説を書き始めたタイプの人だ。
この小説が有名になった理由のひとつは、サド自身が社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。
哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説のキャラクターは喋りの量が半端ない。ドストエフスキー並みだ。
※一部のみを抜き出した。この場面の文字数は引用箇所の軽く数倍はある。
「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」
「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者は自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16
今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。
悪徳の栄えで論じられている思想はニーチェやハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。
私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。
今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。
私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ちに気持ちを打ち明けるところだ。
※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。
「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいないからそう言うが……」
「なら全部すっかり話してください!」
「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」
「どうしたと言うんです?」
「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしまう必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」
ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58
ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエットは修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。
その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄えの醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。
物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間は自然に有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者が翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。
年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。
いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。
この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。
アメリカの田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭りの観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。
という言葉が脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。
この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。
メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。
巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。
運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元の警察に相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。
実際、一度はルースの家から脱出に成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。
ルースやその子ども達からの虐待はさらに苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…
この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。
今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックスに映画があるらしい。今度見てみることにする。
作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。
あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界の経営者として成り上がっていくというもの。
昭和の時代の話なので、解放同盟や共産党や右翼にヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。
問題なのは、ノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。
作中では、実際に存在した人物の名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。
作者と新潮社は解放同盟から怒られた。出版元である新潮社はHPで謝罪文を出している。作者である上原氏もnoteで反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。
巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。