はてなキーワード: 一休とは
そんなのでは萎えないか?感情移入できないんじゃないか?」という問題指摘が
>http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1719416.html
>主人公が戦いの中で強くなる、強さを見せるというのはアニメや漫画における
>爽快なシーンですが、その強さの理由に「キャラクターの血統」といった背景が関係することも
>多いかと思います。中国オタクの中には「強い理由が血統」ということについてちょっと
>考えてしまうこともあるらしく、中国のネットで話題になっていました。
>考えてみると日本の作品の主人公の強さって、結局は血統で決まってない?
>強いキャラはみんな「良い血統」という背景がある。主流な少年漫画を見てみれば、
>ルフィもナルトもゴンも一護もリクオもハッキリと血統による強さとなっているし、
>コナンなんかでも同じ分野で優秀な親の才能を受け継いでいる。
>優秀なキャラには、優秀な血統が背景としてあることが多いね。ここまで多いと、
>この設定が日本人の感覚独自の強い説得力を持っているのではないかと考えてしまう。
>血統か……特に印象的なのは「NARUTO」かな。ロック・リーはどうすればいいんだ……
>ジャンプ系だと、「るろうに剣心」が血統による強いキャラってのが出てないね。
>ただ、あれは時代設定的に明治維新というそれまでの封建体制が崩壊した時代と関係するから
>血統重視のキャラが出ていないのかも。(続く)
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
>少年漫画の範疇ではないけど「ベルセルク」のガッツは血統とか全く無いキャラだね。
>言われてみればああいうのは珍しいかも。日本のアニメは昔からそうだぞ。
>お前ら「一休さん」が単なる片親しかいない子供だと思っているのか?
>一休は南朝系天皇の私生児で、出家しなければ大きな問題になっていた。
>それと単なる寡婦だと思われていることの多い母親も藤原氏の血統だから、
>全てが血統によるものではなくても、本人の努力や師匠的存在、育った環境、過去の
>経験と同じかそれ以上に重要なものだったりすることは多いかも。
>それから血統と背景があると話が作り易いのかもね。伏線にもできるし。
>正直、修行で強くなったりはするけど強くなれた理由が結局は血統による能力ってことだと、
>なんとなく冷める時がある。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
成る程、と思ってよくよく考えると、もっと根の深い話が日本の少年コミックには
あるような気がした。
「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミックが少ない」ということもあるのではないか?
30年以上前、自分が小学生の頃の「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」などは、
もうちょっと「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミック」が多かった気がする。
特に学園モノ・ギャグモノとかは、主人公の血統を問わない設定が大半だし
(有閑倶楽部あたりは違うな、少女漫画だが)、スポーツモノも、
なので、自分が小学生の頃は、それなりに少年マンガを読んでいたと思う。
しかしその後、少年マンガを暫く読まないまま大人になり、たまに散髪屋とかで
こういうマンガでは、そりゃ血統の設定が重要視、当然視される。
自分は元々が「オカルト・擬似科学嫌いな理系チック人間」なので、
「主人公が超能力で対決する」という設定のストーリー、と分かった時点で
「次の頁を一切見たくなくなる、興味が萎える」。
ジャンプ辺りで「安心して読める」のは、せいぜい「こち亀」くらいか?
(あれもハチャメチャなマンガではあるが、一応現代科学の法則を逸脱はしていない)
それ以外は全て超能力系だったりして、腰抜かした。
まあ自分が「今の小学生」だったら、これら3誌は絶対買わないなあ。
「ジャンプ・サンデー・マガジンでこんなに非科学的マンガが横行して、
日本の科学リテラシーは大丈夫か?オカルトに嵌る若者を産みだす下地を作ってないか?」と
心配になる反面、
「少年マンガの売れ行きが減少しているのは、オカルト流行りの連載ばかり
厚遇されている誌面作りに、小学生中学生が飽き飽きしているから、
彼等もバカじゃない」という側面もあるのでは?と思うので、少し安心する。
せめて成人コミック程度に、
696 ソーゾー君 [] 2012/01/13(金) 21:55:49 ID:ggxcvtUwO Be:
で…死に付いて説明したがまったく理解してないな…
坊主は仏の名を語り屁理屈を語り金をせびる乞食以下の寄生虫だよアホ…
だから好き勝手やって十分生きたのに「死にたくない」と言うんだよアホ…
お前は無知を演じてる割りにはショーもない事を知ってるよな?
それで毎回屁理屈を言う。
こんなカスを引き合いに出して死を語るな…
「そりゃそう言うわな…坊主だもんな…」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
船を手に入れたら、船で行けれる町で
最強の装備がある街「ハワード城」へ行き
(当然、海周辺や城の周辺の敵は、船入手時のレベルでは、
↓
ポートタウン上のほこらのじいさんに言われた様に
金の鍵を探しに行きましょう。
↓
その前にテレポートの表示順で言えば、
アルバマの街にとりあえず行っておきましょう。
↓
では、金の鍵をゲットしに行きましょう。
船でいける所に一通り行っていれば、
カタの街へは、コマの街から南下し岩山に囲まれた
↓
カタの街のじいさんが金の鍵について
↓
↓
金の鍵をゲットしたら、今までの街や城の
金の鍵の扉を片っ端から開けていきましょう。
すると、ハミルトン城の金の鍵の扉の向こうの老人が
↓
孤島の村「マダカスの村へ」
○○の場所で「真実の石を」ゲット。
↓
↓
岩山に囲まれた場所から、一箇所陸に上がれる場所が。
陸に上がって、道なりに北上して行くと
どうにも橋が直らない様なので、下の岩山の中へ進み
↓
(井戸には何も無いし調べる事も出来ません。スルーで)
したら街の外へ行きましょう。
北東の壊れた橋を見に行きつつ、フィールドを良く見ると
↓
橋直しの名人ハジルが橋を修理中に
「何か」を落としたらしいので、
橋に行って見ると…橋が直ってて…兵士に話すと…
↓
要するに「恩師」になるんだろうなぁ、という人と出かけた話。私の2周り上。
とても乗り気じゃなかったんだけど、まぁお世話になった人だし・・・と誘いを断れなかった。
久しぶりに最悪な一日だったのでここにはき出してみる。
何度か連絡取っていたんだけど、先日ちょっとしたことからまた連絡を取るようになった。
事務的連絡が主だったはずなのに、だんだん、日常の話が混ざってくる。
しかしとても一方的で、句読点や読点があまりない。とても読みづらいメール。
こちらが返信しなくても続々来る。少し恐怖を感じた。
「○月×日はどう?」→「その日はちょっと・・・。予定を調整しないとモゴモゴ」→「○月△日□時、A駅B口で会いましょう」→面倒なのでそれでOKした
私は駅の改札の少しずれたところにいたんだけど、相手は改札真っ正面にいた。
「おはようございます」と挨拶すると、「ヤッハーーーーー!!!増田さん!!!」とハイテンション。
それはまるで田舎に行った時のじーちゃんの反応。死んだじーちゃんを思い出した。
展示会場まで歩く。展示はとてもよくて、まるまる2時間かかってしまった。
あまり興味はなかったけれど、仕事柄行っておいて損はなかった。
「ご飯でもしようか」ということになり、「そうですね~」と、とりあえず歩くことに。
しかし古い町並みを歩くだけで、ご飯の場所を探しているのか心配になる。
15分ほど歩き、古びた喫茶店のようなところで「一休みしよう!」ということに。
ご飯あるんだし、と思い、飲み物だけにするが、相手はがっつりセットもの注文。
前に「仕事する上で参考になる本を教えて欲しい」とチラッと言ったことがあったが
(「悩みがあるの?アドバイス欲しい?」とうるさかったので)
「お薦めの本だけど」と話す内容は、仕事と無関係。それを延々熱弁。
そして家族の話や、仕事の話をする。しかし以前とほぼ同じ内容なのでつまらない。
お腹すいたなーと思った頃、「行こうか」と。
やっとご飯かー と思うもつかの間。「中途半端な時間だね」ときた。え?何に中途半端?と思ったけれど、流す。
実はこの日、体調がよくなかった。なのであまり歩きたくなかった。靴だってパンプスだったし。なので既にフラフラ。
その後1時間歩き回る。どうでもいい話と共に。
「美術館、好き?」ときかれ、「美術館は興味がありません」とハッキリ言った。もう歩きたくない。
しかし、たどり着いた先は美術館。なぜ??しかもヌード系もあった。
結局2時間歩き回った。もうぐったりだ。時間はいつの間にか夕方になっていた。
ビールで乾杯。おしぼりで顔はモチロン禿げ上がった頭も拭き拭き。何かの人形みたいだ。
相手ぐびぐび飲む。私、体調悪くてあまり進まないのに、「なんで飲まないの?なんで??」とせかす。
なんとか1杯飲むと、「俺次これ飲む~♪」と上機嫌に追加オーダー。私にもしきりにお酒を勧めるので、仕方なく飲む。
料理はするのか、とか、休みは何しているのかとか、とにかくプライベートな話題が多かった。
適当に濁したが気分は良くなかった。一体なんでそんなことをきくのか理解できなかった。
食べ終わり、会計になった。生憎丁度良い札をお互い持っておらず、結果的に割り勘。5000円。
「次行かない?」と言われたので、疲れ切っていたこともありお断り。
すると、店の外で解散。駅は見えないし私は土地勘が全くない場所。それは相手も知っているはずなのに。
仕方がないので携帯GPSを使ってどうにか帰宅。駅まで30分近く歩いた。
余りにも勝手すぎる一日に腹が立ち、お礼のメールは送らなかった。
「次は映画行かない?おすすめある?」ときたので「映画館は苦手です。疎いのでおすすめもありません」と適当なことを返信。
すると「では調べるので一寸待ってね」とのこと。
「あーだこーだでしばらく会えません」と返信すると「了解」とたった一言の返信。
その後、メールが来ることはなくなった。
以前、「僕と付き合わない?アハハ」と言われ、冗談だと思っていたけれど、あれは冗談じゃなかったのか。
父親と大して変わらない年齢の人と付き合うなんて私にはありえないこと。
なんだかとてもガッカリした。恩師がこんな人とは思わなかった。
温泉行かない? とか、とにかく色々言われたけれど、冗談だろうな~と思っていたのに。
上手く言えないけれど、この人は一生独身だろうな、と思った。
恩師だけれど、これからの付き合いは少し考えることにする。
それにしても、恋愛経験が少ない(と思う)とか、女慣れしてない(ように思う)人って、
なんで予告なく長時間長距離歩かせるんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
英語圏向けにボーカロイド情報を提供するサイトの中でも古株だといわれているVocaloidism。そこにもミクノポリス、というかアニメ・エキスポのボーカロイド関連イベント全体の感想が掲載されていた。といってもこれまで紹介してきたような堅苦しいものではなく、本当に只のファンによる率直な感想の羅列。率直過ぎると言ってもいいかもしれない。とりあえず、Vocaloidismの中の人がダニー・チュー嫌いなのはよく分かる。
urlは以下の通り。
http://www.vocaloidism.com/2011/07/16/the-vocaloid-experience-at-anime-expo-2011/
+++++以下勝手翻訳+++++
2011年のアニメ・エキスポ[AX]が終わり、僕らの胃袋はスシとポッキーでいっぱいになり、そしてそれぞれが済むタイムゾーンへの帰還までの間に飛行機の遅れにも慣れ、今年の4日間のイベントを自然に振り返ることができるようになった。AX2011は、間違いなくボーカロイドに関するあらゆるものの体験場だったと言わなきゃならない。編集者とblogのフォロワーがイベントについて何を語るべきと考えているのか、一休みした後で目を通してほしい。
自動車だ! トヨタがカローラミク・プロジェクトの公式画像をきらびやかに描いた異なる2台のミクノポリス・カローラを持ち込んでいた。正確に言えば[2台の車を]2組用意し、1組をフロントエントランスに、もう1組をミクノポリス・コンサート会場の外に置いていた(もう1組の画像はカローラ・ミクの記事をご覧あれ)。
http://s557.photobucket.com/albums/ss19/awsplus/?action=view¤t=MikuCarLeft2.jpg
http://www.vocaloidism.com/2011/07/14/corolla-miku-roundup-2/
僕は午前中のほとんどを4日分の入場券をゲットするための行列、それとミクノポリスのチケット用行列に並んで過ごした。幸運にも、そして大いに驚いたことに、コンベンションで購入できるいくつかの座席がまだ残っており、僕ら4人組の中でチケットを持っていなかった最後の一人もそれを手に入れることができた。午前8時から午前11時近くまで時間がかかったけどね。随分疲れたよ。SeyrenLK(有名なミクパ[ママ、感謝祭動画の間違いか?]コンサートをアップした人)も2日目の行列待ちビデオで同じ経験をしたようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=rXslHQ0EdCs
2時半、僕はミク・キーノート会場に向かった。ダニー・チューが奇妙な、そして正直言って子供じみたキャッチフレーズ「Miku-san magi tenshi」つまり「ミクさんマジ天使」をコールし始めた。LAは天使の町だからって理由なんだけど、僕にはその馬鹿馬鹿しさを正当化する理由には思えなかったな。クリプトンの伊藤社長がそこにいて、ボーカロイド史と短いKarenT及びピアプロの概要を含んだ彼らの製品に関するビジネスモデル方法論について、僕らのために短期集中講座を開催した。Itoh-san[伊藤さん]は同日上市したばかりの新しいビジネスモデルの大きな一部、Mikubook.comを公開した。伊藤はそれを、ボーカロイドに関連した新しい作品につながる新たな方法だと説明した。まだ「超初期ベータ版」(アルファ版?)だそうだけど、できるだけ多くの人が参加しデータを追加してほしいと勧めていた。またミク・カンファレンスでミク英語版についていくつかの情報が出るだろうとも言及していた。この告知のせいで僕はラスト・エグザイルのプレミア上映を見逃すことになった。その後で質疑応答が行われたんだけど、僕は次のパネルの行列に間に合わなくなりそうだったので残ることができなかった。その次のパネルってのは……
MikuMikuDanceワークショップだ。行列は正気とは思えないほど長く、会場に入るまで永遠とも思えるほどの時間を要した。そうなったのはミク・キーノートが1時間も時間オーバーしたうえ、彼らが基調講演者のための翻訳者を用意していなかったから。おまけに[ワークショップの]始まった時間が遅かったため、僕はNirgilisコンサート(それ自体はとてもよかった)の為に早く出て行かなきゃならなかった。でも見ただけの価値はあった。主な講演者はこの業界で最良のMMD-P(MMD製作者)2人、せっぺん[ママ、せっけんPの間違いか]とブラザーP。ブラザーがそこに座っていると聞いた時、僕の顎は床まで落っこちた。ブラザーのmelody.exe動画は僕をボーカロイド狂にした最大の理由だ。彼らはソフトに含まれている紹介動画全部(もちろん字幕付き)や第7回MMD杯告知動画を含んだMMDの紹介を行い、英語圏のMMDユーザーに対して誰でも締め切りまでに[MMD杯に]投稿してほしいと促し、そのうえでプログラム自体の基本とどうやって入手するかに話を進めた。そこで僕は席を離れなければならなかったため、ミクのHeart Shooterのためにブラザーが作った新しいMMD-PVを見損ねた。ユーチューブの動画を教えてくれた良き友人たちに感謝。
http://www.youtube.com/watch?v=9wwSpHZk2uY
ZANEEDSがクラブ・ノキアでオール・エイジ・ダンスをやってた時……僕は寝てた。その日のイベントで疲れ切っていたせいでこのダンスは僕の瞼の向こう側を静かに通り過ぎていってしまった。Nirgilisコンサートの際にクラブ・ノキアを見た限りではダンス向きの素晴らしい舞台だったが、撮影及び食べ物に関するナチスのようなルールと3ドルのポップコーン及び8ドルのビールはいくらかムードの邪魔になったんじゃないかな。僕の友人、RemiliaScarletは実際に見に行ってすっかり楽しんできてた。後でZANEEDSが話したところによれば、これはアメリカで行った彼らの最初のDJギグであり、とても楽しかったそうだ。
ミク・カンファレンスはもしかしたら1日目のミク・キーノートより混雑していたかも。またもダニー・チューがあの馬鹿げたキャッチフレーズを唱えていた。Koboyashi-san[ママ、小林さんの間違い]は自分がミクノポリスのスタッフであり、そこで英語版ミクの試作品による歌があることを明かした。新しいKAITOアペンドのデモもあり、オリジナルよりずっと簡単にKaikoの声を作れることも知らされた。KAITOアペンドを米国で売り出すつもりはあるかとの問いに対する回答は、「怖い質問ですねえ」だった。でもKAITO英語版を期待することはできそうだ。なぜなら彼[KAITOの音声データ提供者]はアメリカン・ジャズを学んでおり、英語が流暢だから。悲しいことに前日に起きた失態を避けるためパネルは短時間で打ち切られ、この件に関する質問はできなかった。CV04に関する質問は諦めるしかなかった。
カンファレンス直前に行われたボーカロイド・コスプレ会合はVocaloidism的視点で言えば完全に失敗だった。僕らの一人は……不意打ちを食らい目の前にいるiNSaNiTY[海外PであるDoofusの曲]のKaitoコスプレに全く気づかなかった! ともかく僕はどうにかKAITOコスプレ写真の一部としてそれを撮影することができた。できれば沢山のコスプレ写真をフォーラムにまとめたい。準備できたらすぐリンクするよ。
もちろんこの夜最大の呼び物はミクノポリスだった。僕らが中に入るため半時間ほど行列している時には、少なくとも3台の放送用車両がシアターの外にいた。僕はずっと右側の席、NND[ニコニコ動画}のために撮影するクレーンカメラから1セクションだけ離れたところに座った。クレーンカメラは随分低いところまで下がってきてたよ! ボーカロイド曲のアコースティックおよびジャズ演奏が響いている間に僕らは席につき、そしてあのうっとうしいダニー・チューがまた出てきて人々に「Miku magi tenshi」と3回言わせようと試み、結局会場を暖めるためにDANCEROIDを持ち出すことになった。2人の少女はFirst Kiss! とルカルカ★ナイトフィーバーに合わせいい仕事をしてのけたが、彼女らのステージにおける本当のハイライトはLOL -lots of laugh-にあわせたサプライズ・ダンスと、あ、そうそうダニー・チューが彼女らの新しいDVDを紹介する埋め草もあったな。それから着席が終わるまでいくつかのBGMが続き、ミクはカメラ嫌いだから撮影しないでねっていう公演前の声明があったよ!
あらゆるすげーものが解き放たれる前のキャンペーンを始めたカローラミクのCMから、公演は始まった。Project Diva desuが始まると熱狂は目に見えるようになり、そしてワールドイズマインが続いた。安部潤の隣に座っていた新たな弦楽器部門はバンドへの素晴らしい追加になっていたけど、僕には弦楽器が多すぎるように感じられた。半分に減らしてもそこから必要な力強さを引き出すことはできたんじゃないかな。ケミカルライトはリズムに合わせてはためき、20列目以降と2階席の全員は立ち上がって曲ごとに喝采していた。12種類あった新しいコスチュームごとに歓声はさらに大きくなった。最後は声をそろえてアンコールを叫ぶのにも疲れのどを嗄らしていたにもかかわらず、誰もが自分の意見を述べ、そして実際に彼女は戻ってきて、さらに愛言葉とハジメテノオトを含む3曲を歌った。それは決して忘れられない体験だった。僕の描写がイベント全体をほとんど取り上げていないことには気づいているけど、でも僕は他にも色々話したがっている多くのコンサートに参加したVocaloidism関係者のためにも短くまとめたかったんだ。
ボーカロイド・ファン現象……は酷い落胆をもたらした。あの東方の霊夢コスプレをしたヤツが誰なのか、彼がボーカロイド関連で一般的に何をしたのか僕は知らないんだが、2つの点は明らかだ。1. 誰もがヤツが女の子だと騙されていた。罠王国における罠の中の罠に嵌っている状態だ。2. これは公式パネルじゃなく、一人の人間の見解に過ぎなかった。僕は30秒と残らずに立ち去った。実際にこのパネルに残り、何があったのか僕に話してくれる人はいるかい?
僕はその後でしばしホールを歩き、ミクノポリスのブースを再び通り過ぎた時、ハチとWowakaがサインしているのに気づいた。不幸なことにタイミングが悪く、彼らは仕事を終えて荷物をまとめる2分前だったうえに、僕は彼らのためのペンも持ち合わせていなかった。Vocaloidism関係者の何人かはどうにかサインをもらえたようだ。ラッキーだよな。
それはそれとして、Mirai no Neiro:未来の音色はコンベンションの中で圧倒的に得るところのあったパネルだった。この3時間のパネルは驚くべきことに行列すらほとんどなく、入場するためバッジをスキャンする入り口のところで籤さえ配っていた。Mirai no Neiroがアニメ・エキスポで開催されるのはどうやら2回目。去年はもっと短かったそうで、従って彼らはまず同じことをやった。ミク、リン、及びレンのレイヤーが現れ、キャラたちが「今日ここで開かれている技術会議に挑戦する」場面を演じていた。後に知ったところによれば彼らは実際はその場にいたコンベンション参加者で、キャラとして脚本を演じるように頼まれたのだという。彼らは脚本にかなりたくさんの疑問を持っているように思えた。それはそれとして、そこにいたのは僕が見た中で最も華やかなリンだった
パネルの前半は何人からのアーティストと作曲家による様々なPVの上映、及びアニメ・エキスポのファンに対する彼らのメッセージの紹介だった。中にはインターネットのどこにもまだ投稿されていないワールドプレミア動画、例えばまさたかPのデビュー作であるストロボナイツのMMD-PV[ママ、ストロボラストの間違い]、かごめPの国際的に安全なinnocent girl(社会人が巨大なパンダのぬいぐるみになっている、そう、これなら問題ない)、さらに完成していない悪の娘/召使とワールドイズマインのアニメ版(後者はある意味卑猥だった)などがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=ri-M9O6h1pg
後半はゲストのボカロPたち、PENGUINS PROJECT、すんzりヴぇrP、そしてZANEEDS(piperP[ママ、パイパンPの間違い])が紹介された。皆アメリカ向けに紹介する新しいワールドプレミア動画を持ってきていた。それぞれガラパゴス(リツカ客演)、退屈なボウリング、そして社会主義/社会主義★だーりんっだ。どれも聴衆から大きな反応を引き起こしていた。時には愉快に爆笑しながら、でも誰もが称賛と伴に作品の真価を認めていた。もう一人のサプライズゲストはアーティスト・アレイ[アニメ・エキスポ内の同人誌即売会場]にブースを持っているアーティストでパネルのイントロ動画を描いた女性だが、とても恥ずかしがりやで顔は見せなかったな。最後にボーカロイドエンジンそのものの製作者がサプライズゲストとしてYAMAHAからやって来て、どのようにエンジンが機能するかをその場で実演し、おまけにSweetAnnにハッピーバースデーを歌わせていた。パネルの中でも一番楽しかった場面で、多分もっと多くのボカロPをゲストに招いたうえで来年も見てみたいと思ったよ。僕は自分のインプットカードにSamfreeとDeco*27の名前を入れたから、他の連中も同じことをしていれば彼らは来年招待されるんじゃないかな。わかんないけど。
http://www.youtube.com/watch?v=t4EH535hR8g
http://www.youtube.com/watch?v=jM2d5rW42Mo
全体として素晴らしい体験で、参加したことに満足している。コンベンションにおけるダニー・チューの存在は称賛より損害に値すると思うけど、ボーカロイドファンの関心を惹きつける沢山のものがあって、全部ひっくるめて余分な2日間を過ごすことができた。展示ホールとアーティスト・アレイのばかでかさにも触れなかったな。これらの時間をまた思い出すとしよう。世界中のボーカロイドファンには、僕らの愛する業界がますます盛況を迎えていることを知ってもらい、安眠してほしいね。
+++++勝手翻訳終了+++++
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました。
時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした。
ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、
私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました。
そう、夢の中で。
あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?
とっくに忘れていたつもりだったのに。
その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては
心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます。
学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました。
その後私は
いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、
その時その時を全力で
楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました。
そしてある日、
その代わり、今後は別の人が現れるようになりました。
その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。
その日は普通に会話をし、
気にせず帰ってきました。
その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、
この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、
ただただ、会話するのが楽しくて
それどころかいつも怒られてばかりで
というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのですが
その人が突然夢の中にでてくるようになったことは
本人には口が裂けても言えません。
言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。
また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして
ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ
と、自分で自分を責めてあげたいことをやらかしてしまったのです。
平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず
なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって
目頭が熱くなるようなうれしいことをジャンジャンやらかしていくのです。
夢から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて
定期的に夢の中にはでてきてくれますが、
実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました。
ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです。
ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、
「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」
という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました。
棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります。
ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので
あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく
新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたからです。
揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました。
そして子どもの泣き声が。
2つ先の部屋に住んでいる子でした。
ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。
小学生の女の子がワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。
とりあえず避難だ!
幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました。
一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました。
避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました。
「私まだ、生かされてる」
再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました。
私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました。
真っ先にあの人のことが浮かんできました。
今更連絡なんてできないしなー
なんて思いながら、幸い停電することもなかったので
なんと、あの人からのメッセージが地震直後に入っていたのです。
「だいじょうぶだったか?」
たった一言、
たったその一言だけなのに
まだオンラインっぽかったので、
なんと返事が返ってきました。
2.3年ぶりの会話です。
お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ
最後に
「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」
「絶対やだ」
と帰ってきました。
うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です。
夢の中でいつも助けてもらっていること、
すごくごめんなさいってずっと思っていたこと
言いたいことはたくさんあったけど、
あえて言う必要はありません。
あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。
全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、
というか
ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに
でもだけど
心って結構通じるんじゃね?
って思えたことは事実だし、
「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。
知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。
人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。
今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。
やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。
ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、
今回の大震災で心を病み
あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。
人と人は繋がっていて
自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。
ということを。
で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?
これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので
だけど、俺はそういう自称「女を捨てた」女ほど、女々しく、意思が弱く、自分に甘い、そんな女に見えてならない。
そりゃそうだ。こんなもん、大したこともしてないのに自分をさも高い位置にいるようにいわなきゃいけないから、という理由でベタな「女のイメージ」を踏み台にしてるに過ぎない。アホな男がやってるのと同じだ。本当に結果を出してるやつは踏み台に乗るまでもなく高いところにいる。
作業のために徹夜もする? そんなもの一夜漬けの学生だってやる。
眠たくなったらベッドじゃなくても一休みできる? 学校の授業で居眠りするのと変わらない。できて当たり前だ。
翌日化粧が崩れた状態でも構わない? いったん化粧を落とすこともまともにできないのか。
女を捨ててるから服選びも化粧も結婚もしない、その分の全てを仕事につぎ込んで結果を出しているのだ、見よこの業績を―とかいうのなら話も分かる。それは常人には実行できない難行だからだ。それに引き換え、徹夜だの椅子寝(床寝か?)だの化粧崩れだの。他人がパッとやれないことなんかひとつもない。ただやらなくて済むようにきちんとしているからする必要がない、というものばかり。
この系統の女のバカさ加減は2面性がどうこうという以前のものだろう。そんな複雑なレベルのものじゃない。単純に根っこからバカなだけだ。
「年収は普通のOLの平均くらい」っておっそろしくなんの答えにもなっていないが、
まさか、旅行貯金中心で他はケチケチ。全部彼に金出させます、なんて事ないだろうから、
とまれ、他の内容見ると、金銭的な浪費が問題じゃなさそうだよな。
他の男と自分の目の届かない範囲で交流が発生しうる事
俺のいないところでレイプされたらどうするんだ、とか
これ、まあ、心配性や生真面目な彼氏ならごく普通の心配だよな。
旅行先は民度なんて心配がない場所だし、レイプ、浮気の可能性ゼロの行程だよ!って旅行しかしていないなら
元増田があまりにも信用がない、って事にならないか?
彼氏が単純に「海外旅行嫌い」って勝手を押し付けてる訳じゃないようなんで、
彼氏に一緒に行けとかじゃなく、心配されるような事は何一つない、って説明は十分だったのか?
上の理由を聞いた後だと
「俺が嫌いな海外旅行に行く君とこの先やっていける気がしない」
の重みが全然違うわ。
でも、ま、はっきりいって、元増田の話は、
「…結局わたしより自分が大好きな人なのだろうな」→自分も変わる気ないし別れるわ
生きる意味を定義した時、問題になってくるのは何に意味を見いだすか?その意味を確立させるプロセスはどういうものか?
ここに「産まれたことに意味はない」と考える思想がある。これは宗教的にも科学的にもある意味正しい解釈だ。
科学的に、今この自分が存在するのは親や今まで食べてきたものなどの関係性から、偶然細胞が細胞分裂を繰り返し、今の自分が存在しているにすぎない。
宗教的にも今の自分が絶対なる存在だとして定義できないという考え方がある。(一休さんのいう”この世はあの世にいくまでの一休み”みたいな話し)
しかし、この思想には続きがあって、宗教的にも科学的にも合致する続きの考えがある。
それは「なぜ存在するのか?」という疑問の答えは見いだせないが、「とりあえず存在するものは存在するもの」として、その「存在するもの」をどう解釈するのか?というところが問題になる。
つまりこれは、「なぜあるか?」ではなく「あるものを、どう解釈できるか?」という、その存在の働きを問う、機能の問題だ。
科学でいえば、重力などの「既に存在するもの」のパターンを読み解き、そのパターンが及ぼす影響、機能を”当てる”事が科学だ。つまり「既に存在するもの」を「どういうパターン(機能)で解釈するか?」という事が科学だ。
産まれてきた意味はない、しかし「”既に存在する自分”を、どういうパターン(機能)で解釈するか?」つまり「生きる意味はなんだ?」という問い。
この問いに、限りなく正解に近い答えが「人間は楽しむために生きている」という答えだ。
人間の生きる意味を定義した時、それは「楽しむために生きている」と定義できる。(別にこれはただの快楽主義じゃないですよ~きちんと定義できるんです)
この定義の宗教的な理由をいえば、概念的な自問自答がいくつも重なって、その末にでた結論として上記の定義付けをできる、と説明できるが、それはややこしいので、かなり乱暴に言ってみれば、単純に「そう思える理由(概念の検証)があるからそう思える」としか言えない。
しかし、その「そう思える理由」を、もっと明確に科学的に説明することが可能だ。
それは、自分、つまり人間の構造そのものが、そもそも「楽しむために生きる」作りになっているから、と言える。
重力が「既に存在するもの」として、今実際にペンをもち、それを手放したら、ペンは机に落ちる。重力はそういう機能を持っていると定義付けられる。
同じように、人間の脳や体は「既に存在するもの」として、実際に「気持ちの良い行動」をすると、いろんな脳内物質が出て行動が活性化される。人間の脳とは、気持ちのいいことをすると行動が活性化される機能を持っている、と単純に定義できる
「生きる」事の定義が行動であり、逆の「死ぬ」定義が、まったく行動ができない状態だとしたら、「生きる」事の定義は「活発な行動」そのものだ。
そして、その「生きる意味」つまり「活発な行動をする意味」は、科学的に「人間が既にそういう作り(機能)で出来ている」としか説明しようがない。
つまり、産まれてきた理由は説明できないが、それをどういう機能で解釈するか?という事は、人間がどういう作りになっているか?という解釈であり、それは単純に「楽しむために生きている」意外にありえない。
逆に楽しまず、行動が活発でなくなれば、それはどんどん死に近づくという事だ。
人間は、もっと楽しんでいい。いろいろ他人の目が気になったりするだろうが、それで自分を楽しめないのは損だし、楽しまないという事は人間の機能を逆行している。
じゃあ「何が楽しいか?」という定義は、個人の判断、個体差にゆだねられる。ただ、今が楽しくない人は自分で意識して「楽しさを見つける」事だったり、「楽しさを作る」事だったり「自分を変え」たり「慣れ」たりすることで楽しさを見つけられるようになる機能も人間にはちゃんと備わってる。
人間は機能的に、楽しくないことをずっと続けていると脳が死んでいくようなものなのだ。
生きる意味を定義したとき、単なる快楽主義ではなく、その科学的プロセスから見ても、楽しんで生きることが人間にとって一番の正解になるんじゃないかな
人間の機能の結果が「楽しむこと」を「生きる(活発な行動)」へと結びつける。つまり、生きる為には逆説的に「楽しみさえしていれば、なんでもいい」のだ
そして、制約の多い現代社会でより人間の機能に逆らわず生きるためには、とにかく自分にとって重要な情報を書き換えて、なんでもかんでも節操なく楽しんでしまう事だ。楽しいヤツが一番強い
今日は7時過ぎに起床。
7時半過ぎに朝ごはんを頂く。
毎度のこと東京へは観光に来たわけでは無かったので、とてもブルー。
さすがに今のままお世話になるのはごめんだ。
家に居るのも気まずい。
せっかく田舎から来たのだからいろいろ見て回らねば。
おじさんに、秋葉原に行ってくるといったら
そっちの方に行くなら上野とかアメ横とか雷門とか見てきなさいといわれたのでとりあえず見に行くことにした。
秋葉原は一度入ってみたかったところだったが、やはり一人で行ってもなんか虚しい。
とりあえずヨドバシカメラと近くのファミリーマートと楽器屋とかに行って見た。
楽器屋のドラムとかあるフロアで、小出シンバルの特集がされてたニュース番組かなんかの映像に見入った。
自分はドラムを叩くのだが日本にシンバル職人が居るなんて知らなかった。
DTMのフロアでナノコルグに触って遊んだりした後上野へ向かう。
上野へ行って適当に歩いてたらアメ横についた。すごい賑わいぶりだ。
気持ちの切り替えができていたら何かいろいろ買っていたとこだろうが
すぐに歩いて通り過ぎた。
そして、上野公園へ。
すごい広いかった。とりあえず適当に座ってファミマで買ったタピオカミルクティーとパンを食べたかったので
適当に歩いていたらアコーディオンの音が聞こえたのでそこへ向かうと大道芸人がアコーディオンを弾いていた。
座って聞きながら昼食を食べた。
その後浅草へ向かうものの東京メトロがどこから乗ればいいのか分からず
改札口を通ってしまったのでいったん一駅のって上野に戻ってから浅草へ。
駅から出たら金のうんこみたいなのが見えた。あれってなんなんだっけ?
まぁ、いいや雷門へ向かうもののたどり着くまでちょっと時間がかかった。
雷門をくぐって店が並んでるとおりをまっすぐ行って次の提灯あるところまで突き当たった。
お賽銭を入れて拝んだ、あとおみくじを引いた。なんてこった「凶」だった。
途中で電車を降りるの忘れて焦ったけど、気付いたところで降りたら目的地行きの電車あったのでそれに乗ったら帰れた。
戻ってきたのが17時くらいかな・・・
晩御飯を19時過ぎに頂く。
後は話をいろいろした。明日は下北沢に行ってみようと思うとか。
そのあと、親戚宅の近くを散歩した。
東京で仕事探すとかでかいこといったけど、親戚に迷惑かけるし帰るとか
家出して住み込みで働こうと思ったけどそれこそ心配かけるし迷惑だとか。
友人が、じゃあバンド組もうぜとか。専門学校なのに独学でやってきた自分より下手の人しかいないとか信じられなかったけど。
自分はもうちょっと思ったことを遠慮なしにいったほうがいいとガチで思う。
思ったことを言えない、それなのに裏ではぐちぐちいうめちゃくちゃたちの悪いタイプ
事なかれ主義なんだよなぁ・・・安定を求めるが上に言われるがままって言うか・・・
自己開発セミナーとか行ったら変わるもんなのか?とか考えたりする。
どうすれば誰にも迷惑や心配をかけずにうまく社会的に復帰できるのだろうか
4ヵ月で会社を辞めてしまって次の仕事探すにしても何も無いから資格を取ろうとかバイトしながら音楽やるとか
都合のいいことばかり考えてしまう。
だいたいこういうことは昨日にも増田に投稿していて
なんだ、まだ何もして無いじゃん。
自分の甘さがわかってるなら4択。
1)慰めて欲しい
2)甘さを克服したい
4)EASYモードでお願いします
1か3か4→せっかく生まれてきたけど運が無かったと思え。
というのを見つけた。自分は18歳でこの先まだ長いので覚悟を決めればやり直せる
もともと音楽をやって生きたい。
まだその覚悟ができてない。そこがだめなんだろうな。ちくしょう。
この記事の中でも何回も「とりあえず」がいっぱい出てきてお分かりのことだと思う。
うわー、IT系男子の食い方間違ってるー。
遊びなれてる人が好きなら、クラブにでもいってナンパされてこーい。
5 まともなご飯を食べる場所を知らない
女性が喜ぶ店なんか知らないよー。女性と食事に行く機会なんかめったに無いんだから。
一休.comでも教えてあげたら?
4 草食アピール
女性と遊びなれていないよ、ってだけ。女遊びやってるやつを求めてるの?
3 マナーがひどい
これも遊び慣れてないから-。
外の景色が見えていいかな、とか考えてたら下座だったりー。
女性が喜ぶことなんて、女性が教えてあげるか、マニュアル読まないと知りませんー。
2 割り勘
おごられると気が引けて、次から一緒に食事に行きたく無ーい。
同じ気持ちで、少しだけ払って気持ちよく次回につなげようとしたら、この仕打ちー。
1 公共の場でネットの話題をする
IT系は働きすぎで、時事ねたが増えていかなーい。
仕事中にサボって見つけたネットの話題ぐらいしか、見つからないし。
もうやめて! 彼のライフはもう0よ!
やっぱり結婚相手にIT系は避けたいものです
恋人になら分かるけど、女の子と軽い気持ちで遊んで来なかったIT系男子、全否定!
イケメンで、性格最高な奴らがあぶれてるんだけどね。周りを見渡すと。
12月限や2月限での先物では75ドル以上を瞬間的とはいえつけているので、アブドラ国王の面子は保たれたと考えても良いのかもしれない。75ドルで必要な分だけ売り捌けさえすれば、そこから多少暴落しても先物を買った人が損をするだけで、売り手の利益は確保できる。これは、先物の本来の効用である。
というわけで、市場で値段を吊り上げていた所に、規制が入ったり、資金繰りに圧力が加わったりという展開が予想されるのであった。
先物を高値掴みしたところは、消費者に転嫁する為に価格が維持されないと損をしてしまうことになるが、その手段が難しくなるのである。
原油を輸出しなければ食べていけない国家にとって、価格を吊り上げるには供給量を減らせばよいのだが、供給しなければお金は手に入らない。供給を調整して価格を吊り上げるという手段は、抜け駆けする所がぼろ儲けをするだけとなり、あまり効果が無い。WTIの相場に資金を流し込んで買い上がるという、力ずくで値段を吊り上げるという手段は効果的であるが、目に余ると規制が入り、潰されるのである。
相場は基本的には自由であるべきだが、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人が出てくると、規制が必要となってしまう。本来、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人を規制するべきなのだが、名指しでの規制は犯罪者扱いになってしまうので、市場のルールを変更して規制をかけることになる。
規制やルールは、進歩を促す方向で運用し、変更していくべきなのだが、それに逆行するような変更をしなければならなくなる時に、その弊害をどのようにすれば少なく出来るのかという事を考えなければならない。
知らしむべからず依らしむべしだと、猫の目のようにくるくると変わる規制に、市場の参加者は愛想をつかして、より自由な市場へと逃げ出してしまう。規制をする時に、その背景や事情を、市場の参加者に伝える事が出来ていれば、規制の変更を納得し、規制が一時的なモノであると認識し、一休みするだけという対応を取るようになる。規制当局が、直接情報をリリースする事は出来ないが、市場で起きている事を、規制当局に代わって情報をリリースしてくれる媒体があれば良いという事になる。
つまり、大英帝国時代の情報網とインテリジェンスを使って、まともなメディアが阿吽の呼吸で適切な情報をリリースしたり、あるいは、規制当局と金融機関やファンドといった職場の間で人材の流動性が高く、情報がプライベートなルートで流れ、インナーサークルに居る限り情報に不自由しないという背景がある事が、金融センターとなる為には必要なのである。
日本の場合、取引高の大きさだけで金融センターとなってきたが、取引高の大きさだけで比べるならば、上海やボンベイ(ムンバイ)にその地位を奪われかねない状態になっているのである。
はてなで普通にブログも書いてるんですが、妻もそれを知っているのでこちらに書きます。
夫婦関係も円満そのものだし、学級もまずまず良い雰囲気だったし。
……今年4月までは。
4月に異動があり、現在の勤務校に配属されました。
昨年、結婚後に、お互いの実家の近く(妻の勤務先も近い)に引っ越して、以来かなり通勤時間が長くなっていました。
で、今回の異動は私自身の「引っ越し先の近くへ異動したい」という希望が通った結果、ではあります。
なので、喜ぶべき事ではあるのですが……。
……つらいです。
何がつらいか、というのはまあ本題からそれるので詳述しませんが、学校の規模がずっと大きくなり、学級の人数も増え、その対応にてんてこ舞い……というか対応しきれてないですし(今までが人数少なすぎた、という話ではある)、地域にも対応が大変な保護者が多いし、本校の仕事の流れもよくわからないのに、今までよりだいぶたくさん仕事を任されるようになったし(家は近くなったはずなのに帰宅時間はずっと遅くなりました)……。
まあ、これまでも、時には
「ああ、教室に行きたくないな……」
と思うこともあったのですが、学校に行こうとすると動悸がしたり吐き気がしたり、熱もないのに一日中頭痛がしたり、というのは初体験。
通勤途中でふとバックミラーで自分の顔を見て、自分がすごい苦しげに歪んだ顔をしているのに気づき、このままではこの学校で今年度いっぱい(実際にはたぶん今後何年間も)仕事を続けるのは無理だ、と思い、心療内科に行ってみようと考えました。
万一休職とかしたら、ふとんをかぶって一日泣き暮らすとかしないで、嬉々としてゲーム・ネット三昧の生活を送る自信がありますし。
「授業が苦痛→授業の準備をするのが苦痛→授業がうまくいかない→授業が苦痛」
という悪循環にはまりつつあるので。
(授業がうまくいかない、って、本当につらいんですよ……)
ともあれ、自分は西洋医学万歳の人だし、精神科・心療内科にも偏見はないので、つらいときは医者に相談しよう、とは前々から思っていたのです。
で、近くの(でも校区からは離れた)心療内科の予約をとりました。
受診してみて、仮に
「あなたは病気じゃないです(≒その程度つらい人はいっぱいいます)」
と専門家に言われたら、まあそれだけでも気が楽になるかも知れないし、もしも抗うつ薬でも処方されればもっと楽になるかも知れないし、と思って。
……ただ、うちの奥さんが快く思わないだろうなー、というのはまあ予想していました。
うちの妻、かつて体調がかなりあちこち悪かったとき、いろいろ医者にかかって薬もたくさんもらったもののいっこうに良くならなかった(で、なんかうさんくさい健康食品で治った)、という経緯もあり、医者を信用していません。
(むしろマイナスイオンとか岩盤浴とかを信用してる感じ。「毒素を排出」して「体質を改善」する、と称するジュースを、私も毎日飲まされてます……)
とりわけ、向精神薬には強い拒否感がありますので……。
だから、心療内科のことも、おそるおそる、言葉を選んで話してみたのですが……。
……が、話したとたんにオイオイ泣き出したのは予想外でした。
「あたしが奥さん失格だからなんだ! あたしがダーリンのことちゃんと支えてあげられてないからいけないんだー!」
そんなことないので必死でなだめたのですが泣きやまず。
「ダーリンが病院とか行ったら、あたしショックで引きこもりになっちゃうようわあーん」
そこまで心療内科への偏見が強いのか、と思ったのですが、よく話を聞いてみると違うのでした。
「だって、あたしが昔つらかった時には、ダーリンがいっぱい支えてくれたでしょ?それであたしは元気になれたんだよ?」
もう10年近く前、彼女とつきあい始めた頃(お互い大学生)、彼女は本当に体調が悪く。
全身に発疹ができて、身動きするだけでもあちこちピリピリ痛む、というのが毎日毎日一日中続いたのです。
顔にも発疹が、というのは、女性である彼女には辛かったようで、精神的にもかなり苦しそうでした。
その他にも、いろいろ入院したり手術が必要だったりと、
「行ってない診療科はない」
と本人が言うくらいでした。(精神科は除く、ですが)
その頃は、午前2時ごろ電話がかかってきて、
「なんでこんな体に生まれてきたんだろう……」
「もう死にたい」
「あたしが死んでも誰も悲しまないよ」
みたいな話を延々2時間くらいされて、私が一生懸命なぐさめて、
……みたいなことがしょっちゅうでした。
まあ自分でもがんばったと思う(彼女はもっとがんばった)のですが、別に
「精神科に行くな」
と言ったことはないし(「行け」と勧めてもいないですけど)、行くというなら反対はしなかったと思います。
しかし、
「あたしは病院行かなかったよ!? 今のダーリンより、あの頃のあたしの方がもっとつらかったと思うよ!?」
いやそういう問題では……。
「だから、今度はあたしが支えてあげないといけないんだもん!なのにダーリンが病院に行ったりしたら、あたしパニックになっちゃうと思うよ!?」
もうなってるのかも知れない、と思いました。
呼吸が「はひっ・はひっ」って感じでおかしいのでどうしようかと。
……妻の言うことは筋が通らない、とは思います。
確かに、苦しいときには助け合うのが夫婦だと思いますし、支えてくれようとする気持ちはうれしいです。
パートナーの支えだけで困難を乗り切れれば確かに素晴らしいでしょう。
でも、病院その他専門機関に相談した方が楽になれる見込みがあるなら、躊躇なくそうすべきだ、とも思うのです。
っていうか、必要なら適切な専門機関を探して相手に受診を勧めてあげるのも、望ましい夫婦関係なんじゃないでしょうか。
……でも、どうも彼女はそう感じていないみたいです。
「私が辛いとき、彼の精神的な支えで(それだけで)乗り切れた。
だから彼が辛いときには、私が、私の支えで(それだけで!)乗り切れるようにしてあげなければいけない。
それが対等な2人の関係というものだ……もしそれができなければ、私は彼に支えられるだけの人間になってしまう。
だから、彼を病院に行かせてはならない」
……みたいな。
まあ、
みたいな気持ちが分からないとは言いませんが……。
でも、だからって病院に行かせまいとするのはおかしいですよね……?
気づきました。
「……うちの奥さん、元気になってなかったんだ……」
謎の健康食品のお陰(?)で身体的にはほぼ健康になり、精神面でも朗らかになった妻。
……でも、やっぱり内面的にはかなり危ういバランスだったのかも知れません。
っていうかヤンデレ?
フィクションとしては嫌いじゃないけど、身近にいるとは思わなかった……。
断っておきますが、妻とはもう本当にラブラブだしその意味では超幸せです。
っていうか、もし妻がいなかったら、とっくの昔に引きこもりになってると思いますよ、私。
……ただ……なあ……。
翌朝、
「じゃあねダーリン!いってらっしゃい!気をつけてね!」
とか、いつにも増して朗らかに送り出してくれる彼女を見て、すごく複雑な気持ちになったのでした。
私を支えなきゃ、と思う余り、彼女にストレスがかかってしまっては何にもなりませんし……。
言わなきゃ良かった、のかも知れません。
……ああ、もうすぐ明日が来ますね。
そう思うだけでもなんか胃の辺りがもやもやとするんですが……。
心療内科の予約の日も近づいてきますが、どうしたものか……。
こっそり受診してみるか、やめておくか……。
悩んでいます。
ピーナッツをほおばりながら、扇子を仰ぐ。
非常に暑い。。
気持ちのよい、というより、きもち、気持ちのよい昼下がりである。太陽はすでに存在を夏として同化し、俺の存在を見てくれといわんばかりにムキムキで俺らを悩ませる。
ムキムキの太陽はまるで歌の広場のロゴマークのような形であり、ソフトクリームをなめるそのしぐさに惹かれている((c)ビーズ)。
異様に時間が過ぎるのは遅い。まるで日本代表のパスサッカーのように、何も起こらない時間が続く。
たった今テレビのリモコンを押してみる。
とっても退屈だ。
澱粉のようにお湯で溶かしてドロドロになった暑い夏休みの暑い昼下がり、まったく進まない文章の展開と、まったくアイデアのわかない脳みそ。
それを俺は「夏休み」と名づけた。
「昼休み」でもいいけど、「夏の昼休み」は包含関係的には夏∋昼なので「夏休み」を採用したんだな。これが。
タバコに火をつけて一本の煙が舞い上がる。煙は天井まであがるとで折れて、右曲がりにひろがっていった。まあ、左にも曲がっていったんだけど、右曲がりの煙の方が多かったかもしれない。
煙はぐるぐると→→↓↓と結局部屋を対流しはじめた。
小学校の教科書の「対流」ページの動きだ。なんて想像通りなのだろう。まるで、日本代表のパスコースのように読め読めだ。
リモコンボタンを取り出して、適当に必殺技っぽく←→→→のボタンを押してみる。なんだかよくわからないチャンネルにつながった。今までみたことのないチャンネルだ。