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2019-07-31

anond:20190731142629

最近リハビリ技術進歩してきており、トミー・ジョン手術後でも球速を伸ばす選手も増えてきているようです。

ダルビッシュ有選手は良い方向に向かい球速を上げることに成功しましたが、松坂大輔選手は手術後、完全にフォームを崩してしまい球速が落ちてしましました。その結果メジャーリーグでは通用しなくなり日本球界に復帰し、現在中日ドラゴンズ活躍されています

手術を受けた選手のうち約9割の選手は復帰していますが、手術前の状態に完全に戻ったと考えると数字はもう少し下がる結果になります。できるならメスを入れずに違う治療方法検討してほうが選手生命が伸びますね。

だめじゃん

2019-07-15

なぜかハイカーストな女性に好かれていて戸惑ってる

職場バリキャリハイカースト女性がなぜか仲良くしてくれる。

自分は鬱で仕事やめて、派遣社会生のリハビリしてる身分。対してその人は数カ国語ペラペラだし美人だし、何より立派な仕事をしている職場社員さん。

ふとしたきっかけですごく好意をあらわしてくれるようになった。それがちょっと怖いときもある。アラサー女性同士で、カースト違いすぎる相手と仲良くっt,趣味で繫がったとかでも無い限り、まあないと思うし。

宗教勧誘マルチか、って疑ってたけど、二年たった今でもそういう素振り全然なくて、純粋好意なら怖いと思うときがある。私が欝でぶっ壊れて、そういうのに気づかないだけなんだろうか。

私私増田ちゃんと一緒に遊ぶとほんとに楽しい!って言ってくれて。鬱でボロボロハートに染みるったらない。

2019-06-26

「わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴」記事への抗議文

ダイヤモンドオンライン編集部ならびに鳥居りんこ様。

某県在住の増田(仮名・39歳・男性)といいます

以下の記事を読みました。

わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴

DIAMOND online

https://diamond.jp/articles/-/206234?display=b

結論からします。

子ども部屋おじさん」などという安易レッテル貼り意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。

無自覚に、人を殺します。

私は以前、ソフトウェアエンジニアをやっていまして、開発チームの管理職兼任しておりました。月残業はおおよそ40〜100時間超でした。持ち帰りの仕事を含めると、さら10時間程度増えるでしょうか。

2017年2月ごろから、激しい目眩頭痛嘔吐、不眠により、日常生活を送ることすら困難になりました。医者の診断では、仕事上のストレスによる適応障害とのことでした。

適応障害の症状を、ご存知でしょうか。

人により様々なパターンがあると思いますが、私の場合は、出社することを考えただけで脱水症状を起こすほど嘔吐し、文字識別することすら困難になる無気力状態に苛まれていました。

思い通りにならない自身絶望し、「まとも」でなくなってしまった自分を消してしまいたい衝動と、水を飲む事すら億劫なほどの無気力が繰り返し襲ってきます

夜は寝付けません。仮に寝たとしてしても30分から1時間くらいで目が覚めるのです。そしてまた寝付けない。この繰り返しです。

処方された睡眠導入剤は効かず、強い睡眠薬中途覚醒には効果がなく、意識朦朧としたまま夜が明けるのを、何もできないで待つだけの日々でした。

さらに、唐突に激しい自殺願望が湧き、すんでのところで思い留まることを繰り返します。厄介なことに、SNRIなどの服薬で無気力状態改善すると、希死念慮も強まってしまうようでした。

そして、最悪なことに、これらの症状は、ストレッサーから離れない限り悪化し続けるのです。つまり状況から逃げるしか方法がないということ。

最終的には医者からの「入院か、実家で療養するべき」との指示から休職し、その後に退職となりました。

幸い私は、その後2年間の実家療養で症状をかなり抑えることに成功し、現在社会復帰に向けてリハビリ中の身です。

しかし、現在でも何かの拍子に嘔吐頭痛フラッシュバックが発生するので、いまだ完治というわけではないのでしょう。現に、SmartNewsで流れてきたこ記事をうっかり読んでしまい、朝から嘔吐して最悪な気分です。

外傷がないか当事者以外はなかなか理解されないと思いますが、適応障害は心の負傷です。医者から入院を勧められることもあるほどの重症なんです。さらに、症状が治ったからといっても後遺症がないわけではないんです。

私の場合、暖かく迎えてくれる両親のもとでの実家療養というセーフティネットがあったからこそ、どうにか自死を選ぶことなく症状から復帰できました。

さて、「子ども部屋おじさん」ですか。なんとも酷い言葉ですね。そして、それを疎む親がいるという趣旨記事ですか。反吐が出ますね。

まり考えたくないことですが、もし私の両親が、この記事を読んで「子供部屋おじさん」は恥ずかしい、世間体が悪い、などと考えるような低俗人間だったなら、私はすでに墓の下だった可能性があります

交通事故車椅子生活になり後遺症に苦しむ人に向かって、実家に頼るな、甘えるな、自立しろと言えますか? この記事は似たようなことを述べています

もう一度、言います

子ども部屋おじさん」などという安易レッテル貼り意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。

無自覚に、人を殺します。

以上です。

※この文章ダイヤモンドオンラインの「お問い合わせ」に投稿しようとしましたが、1000文字以内という謎の制限にがあったので、全文を増田に載せてリンクを添えて送信しておきました。

2019-06-25

anond:20190625152109

多めにレスがつくと結構それへのレスもしてる(最近だけかな、2件くらいは見た) 

したところで意味は通じない独り言だけど

元増田よりはマシなことが多いか

リハビリにつきあってあげて増田はえらいな

2019-06-19

精神障害者に「病気で働けないのに遊べるのねw」って言うのやめてく

これはもう単なる愚痴というか、前々から思っていたことで、でも傍から見たら病人開き直りしか見えないだろうから、読まなくて結構なんですけど。少なから不快になるだろうし。書いて発散するタイプなので書くだけです。

結論からですけど、「病気で働けないわりに旅行コンサートは行けるんだね、都合の良い病気だね」 みたいなことを言って病人を追い詰める人は、本当に消えて欲しいですね。せめて黙っててほしい。

私(統合失調症手帳二級、年金受給してます)は幸運ながら言われた事はないですが、これらの言葉ネットはじめ、病気理解のない人からほんとうによく目に耳にします。

でもさあちょっとだけ考えてよ。

・決まった日に決まった時間に決まった場所に行かなくてはならない

・休むと周りに迷惑がかかる

契約して給料を貰うぶん責任がある

……という仕事と、

・急に取りやめにしても途中で帰っても誰になんの迷惑もかからない

雇用主や社会に対して負うべき責任もない

……という遊びじゃ、難易度全然違うでしょ。まずそこが想像できてない人が多すぎるんですよ。

私は今、週に3度病院デイケア(作業療法のことで、心のリハビリみたいなものです)に通いながら、心身に障らない程度にライター仕事イラストレーター仕事をちまちまとやっていますが、それでもそこに行き着くまでには相当時間がかかりました。数年単位入院を繰り返したり、毎日沢山薬を飲んだり。ちなみに今も、今後再入院可能性はじゅうぶんにある、と主治医からハッキリ言われてます

そんなふうに、健康な人の3分の1くらいの時間と労力しか仕事治療に割けないのは、前述したように、仕事は生半可な体調やメンタルではできないからです(治療も同じです、病院主治医担当スタッフと話し合ったり相談して通わせてもらってる身なので)。

そもそもコンサート旅行だって、私らメンタル病みには娯楽であると同時にリハビリであり社会復帰の訓練でもあるんですよね。1人で人混みを歩く練習。1人で満員電車に乗る練習。決まった時間に始まるライブへ、途中で体調を崩すことなく参加するっていうのも訓練ですね。仕事だって途中でダウンしたり職場までたどり着けなかったらアウトなんですから

あと、その「働けないけど遊べる連中」、多分大半が、遊びの途中で具合悪くして無念のなかタクシーで家に帰った、みたいな苦い経験一度はしてると思いますからね。少なくとも私はそうです。皮肉混じりに「都合の良い病気」なんて言われるけど、こちとら都合が良かったことに対して毎日感謝と安堵しながら生きてますから

……というかね、病人からたまのささやかな楽しみを奪わないでくれ。

毎日一年中部屋に閉じこもって布団被ってりゃ満足なんでしょうかね? 同じ働けないでも、楽しみがあるのと無いのとじゃ何もかも全然違いますよ。別に働けない連中を叩きたいなら叩いてくださって私は一向に構わないけど、そうやって叩かれて外に出ることをやめた病人を、間違っても「引きこもり」だなんて言わないでくださいね

もちろん働かなくても遊べる時点で、経済的に恵まれていることは分かっています。親の脛かじりと揶揄されても、お小遣い程度の金しか稼げない私には反論言葉がありません。でも親はいつか死にます。そうなれば障害者年金生活保護でなんとか凌ぐしかない。短期的には恵まれているけど、長期的に見れば腰抜かすほどカッツカツですよ。そもそも厄介な病気抱え込んじまった時点で人生ハードモードなわけで。簡単に「良いご身分」なんて、ちったあ想像しろよ。イマジンだよイマジン

……なんか死ぬほど口悪い上に悪い方向から開き直ってるし被害者意識バリ強な文章になってしまいましたが、実際これが私達の見てる世界の1面でもあるので。ほんとうに書いてストレス発散したかっただけですね。次からチラシの裏に書きます

(あと最後、これも前々から思ってたんだけど、「働いてる」ってそんな尊重されることか? 頑張ってるねエラいねってされるようなことか? 結局自分生活のために働いてるんでしょ? 少なくとも私は徹頭徹尾自分のためだけに働いてる。別に社会奉仕とかじゃないじゃん? 働けない障害者叩かずに居られないほどストレス溜まってんなら会社辞めたら?となりますねまあ)

追記(のような返事のような)

・あの犯人手帳持ちだったんですね。知らずに書いてた。同じく精神疾患持ちの友人がTwitterで都合の良い病気ですねって言われていて怒りのまま書いたんですけど、いや偶然ってあるもんですね。精神病への偏見が深まらないといいが。

・「休んで好きなことしていて申し訳ない」って思ってるってのは精神的に休めてないから、私ほどとはいかなくても開き直るのも大事だと思います人生に休養は必要

2019-06-16

脳卒中の父の見舞いに行って

リハビリ入院中の父。

入院前はあんなにしっかりしてたのに、入院後は妄想混じりのおかしな事ばかり言うんだよ。

今までは適当に話を合わせてたんだけど。

本やネット情報かにもそういう時は否定してはいけないと書いてあったし。

でも今日話してて急に、なんかそれでいいんだろうかという気持ちになって全否定してみた。

「いやそれは無理でしょ」とか「それは夢だよ」とか「でもここ日本から」とか。

からどうってことはない、それで父が良くなるわけでも悪くなるわけでもない。

ただそれだけ。

2019-06-14

[]

朝9時半まで起きてたけど店開く10じまで寝ようと思ったけど吐き気が亡くならず気持ち悪くてそのまま寝たり起きたりでけっきょく夕方になってしまった

薬の効果時間24時間が終わったおかげか、吐き気がほぼなくなった

マジバルプロ酸やべーわ

こんなん10錠以上一気飲みしたらそりゃやべーわな>去年の俺

頭痛はまだ少しするけど単に何も食べてない飲んでないだけが原因のような気もする

どっちにしろ一週間ぶりの外出なのでリハビリがてら今から近くのセブンイレブンにいってくる

2019-06-10

介護嫌で死にたくなってくる

親父が倒れてから20年近くになろうとしてる。

うちの親は昭和時代でいうチンピラだった。ムカついたら人を殴り、家族だろうがおかまいなし。

その短期性格暴力・物を壊すなどやりたい放題。

子供の頃は、窓から外に投げ捨てられたこともある。外は砂利道で尖った石とかあって、体中傷だらけになった。

そういう親だったので、我が家財政事情借金まみれ。俺がバイトできる年齢になった途端に俺に金をたかるようになった。

クレカが作れるようになってからは、俺のカードを満額まで引き出すような親だ。

そんな親が嫌で実家20代になってから早々に出ようと計画していたが、俺がいなくなると矛先は他の家族になる。

出るに出られず、毎日ストレス胃潰瘍になったりしていた。

いつだったか、まだ夏に入る前に家族が「将来があるのにこんな家でごめんね」って謝られた後に一人暮らししなさいと言われた。

出てったら、暴力は一人だけに向けられる。それじゃ救われないけど、結局家を出ていくことになった。

一人暮らしを始めて、1年ちょい経って正月明けの仕事始めの日に家から電話があって、親父が倒れたと連絡があった。

脳梗塞だった。


対応が遅れてリハビリしても、半身は動かないと言われた。

動けない方がいいのかもしれないなと思う自分がそこにいたんだけど。これが甘かった。

ろくに動けない奴が人にあれこれ指図するのだ。

自分の気にいらない事があれば、他人言葉にならない言葉罵倒する。

脳梗塞なので興奮するのはいけないという事でなだめるようにしてきたが、それでもやっぱり腹が立つ。

子供の頃からDVで辛い思いをして、バイトができるようになってからは金を搾取され、挙げ句カード借金まみれ。

支払い義務は俺にあるわけで、俺がずっと払ってきた。

体中に痣を作っても学校では暗い顔もできないし、バイト先でも暗い顔もできないし、

借金があっても支払うために会社には行かないといけない。

そんな状況に、この男はまだ苦しめようとする。

施設にいれてしまえばいいと思ったこともある。

だけど、施設は金がかかる。福祉を通しても金はかかる。うちは貧困底辺家族だ。

それでも一度入れてみたが、結果はワガママ罵倒などで施設としてもお断りをしたいと言ってくる始末。

結局、自宅での生活になった。

テレビを見たくともチャンネル権は親父が管理する。これってかなり笑っちゃう話だが子供の頃からずっとそうだ。

他の家族には権利はない。

別室にテレビを構えたことがある。そうしたら、不機嫌になり暴力的になった。

自分の見えないところで、そういう行動をしているのが気に入らないらしい。

介護必要になっても、ワガママを通す。役所福祉職員も苦笑どころか、嫌がる有様。

この親の子供が自分だと思うと悲しくて辛い。

昨今になって親父の尿意が近くなった。男がなりやす前立腺肥大だ。毎日尋常じゃない回数のトイレを求める。

昼間も夜中もトイレトイレトイレうんざりだ。

介護用のパンツを履けと言ってもトイレは求める。

寝られない日々が続く。

俺の今の仕事は主に夜の仕事がメインになっているので、夜は強いのだが昼間は寝ないとさすがに辛い。

それなのに帰宅すれば眠れないほどの状況だ。俺の睡眠時間は次第に減った。

前は5時間は眠れたのに今は2時間から3時間が良いところ。

この頃は、目の下のクマが酷い。髪の毛も白髪が酷い。

最近はふらついて力が入らないようになってきた。それでも仕事は休めない。

これがまだまだ続くと考えると…子供の頃から縛られ続けて20代で解放されることもなく

結局、40超えても縛られている。結婚は諦めた。いい人はいたけど若いから介護は考えたくないと言われて別れた。

俺はこのまま50、60と年老いていく。

しかしたら50代で死ぬかもしれない。下手したら今年には居ないかもしれない。

人生なんだったのだろうかと思うことが増えた。

今は、若い人なんか年金がもらえそうにない辛い時代だ。自助しろとか言い始める国にくそったれと言いたい。

俺は40超えておっさんから若い人の気持ちは今ひとつわからんけど…正直、なんで年寄りの楽を若者の苦労で補う必要があるんだ?と疑問に思う。

介護20年近くやってきて思うけど、こんなん若者やらせものなのかよと。

姥捨て山が必要時代じゃないのかなと思ってしまうのだ。

俺はこれが続けば、50超えても60超えても介護が待っている。

介護歴30年とか40年とか笑っちゃうよな。なんだそりゃ。仕事歴っていうなら分かるけど、そうじゃないんだもの

本当辛い。

なんだろうな、人生ってなんだろうな。

愚痴ばっかりですまん。

2019-06-01

内向型人間が外向型になろうとしてぽしゃった話

タイトル通りの話

至って平凡で弱い人間がいろいろがんばったけどがんばった方向性が違った話。

前提 : ステータス

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内向型について少し補足したい(最後らへんは定義から離れているかもしれない)

内向型とは下記性質を持っている

  • 1人でいることが休息
  • 人と一緒にいるとどっと疲れる(嫌いなわけじゃない)→フットワーク重い
  • 考えてから話す
  • ぼーっとしてるように見えて頭の中ではよく考えごとをしてる
  • つの物事に対して深く考える、追求しようとする

ぽしゃった話

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凄く無理があった。チャレンジはしたけど結果、無駄時間を費やしてしまった。ただ辛かった。もう体験したくない。

小さい頃から内向型の性質は顕著に出ていて、遊びも外で友人と遊ぶよりも1人でおりがみで遊ぶような子供だった。

大学に入る頃あたりに、ふと自分のこの性質やいままでの行動を省みた。

「このまま内向型で1人でいることを好んで、人とのコミュニケーションが少ないままだと社会人になれない」という考えに至った。

その考えの元は色々あったと思うが大きくは家族の影響が大きかった。

社会人として生きていくには"みんな"と同じような大学生活をしたらこの内向性はましになって

社会適応する力が養えるのではないかと思った。内向型という特質社会では受け入れられないとその当時も思っていた。

内向型は俊敏な判断に欠ける。その場で考え発言することが苦手。チームでの共同作業が苦手。

社会のなかで価値あるものとされていることに関してコミットすることが内向型は難しい。

社会では劣等生だと思った。変わらなければならないと思った。

みんなと同じ大学生活(=社会適応できるようになる行動や在り方)は下に思う

- バイトサークルボランティア積極的に参加する → 共同作業の苦手意識払拭

- リーダー職経験する → 発言する苦手意識払拭、俊敏な判断力向上

- 空気を読む、協調性大事する → 共同作業の苦手意識払拭

自分には上記のうち上二つはやる前から苦手意識があった。自分には向いてないという自覚があった。なんとか変えたいと思った。

大学はいり、上記を全て経験した。

大学に入る前と一転して生活は変わった。

何も予定のないOFFの日は大変な時で2ヶ月に1日位しかいくらい忙しい生活をしていた。充実感を感じてはいた。けど大変な時期を通り過ぎて少し時間が空く期間になったときに徐々に色々なコミュニティに行こうとする度に心の中に黒いもやもやがで始めた。漠然としているけど言語化するなら「嫌」という一言になると思うが、当時は「困難に目をそらしてはいけない、現実をみて立ち向かう、いつかきっと良い結果になる」と思って頑張っていた。

ベッドから起き上がれなくなった。

心療内科にかかり、自律神経失調症と診断された。サークルバイトは行くことが困難になり休みを経て辞めた。まともに学校に行くことができなかった。1週間の授業の半分以上は欠席した。

このときはかなり辛かった。

朝起きようとして、指を動かそうとしてもピクリとも動かなくて、普通のことができなくて、弱い自分が情けなくて、惨めで、泣いた。泣くのはできるのかよ、と思って余計に泣いた。

実家ぐらしのため、家族にも申し訳ない気持ちと、 おそらく家族からみて「つらいことに直面して何もできない、弱い人間」と思われているのだろうと勝手に思い、これまた辛かった。自分自分を追い込んでいた。

ベッドから起きれて学校に行こうと、外にもでて、電車に乗ったところで過呼吸と動悸と漠然とした不安と焦りで半泣きになって引き返したときもあった。

机の前に向かってなにかしようと思ってもなにも考えることができなくて焦って不安時間けが過ぎた。

バイトサークルを辞めてから少しずつ回復はしていって、幸いにも半年くらいで服薬はなくなり、徐々に起き上がることは普通に出来るようになった。ほとんど寝たきりではあったのでリハビリがてら先ずは散歩から始め、徐々になにかに集中しようとして、ちゃんと集中できるようになった。

というのを経てぽしゃってから2年位で立ち直った。

以上が私のぽしゃった話である

振り返る

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私がみて普通の人たちの大学生活は私にとっては苦痛記憶が色濃く残った。

大学生に戻りたい、と社会人になって思ったことは一度もない。

ただこうなったきっかけはもちろん私の「社会で生きるために内向型を外向型にシフトしたい」という判断による、つまり自分せいだ。

きっかけは他者であったり、周りの環境からだが、当たり前ではあるが選んだのは私自身だった。

たかった、社会に溶け込むワザは多少身についた。人当たりよい振る舞いもできるようになったし、

初対面の人でも奥せず話しかけたり、他愛のない話をすることができるようになった。今でも役に立つところはある。

が、それは本当の私が求めているものなのか。

という疑問を、大学生活の終わりごろから抱くようになった。気づくのが遅かった。

思い返すとたびたび大事な友人からは「もっと自由に生きていい」と言葉をくれていたけれど、

ようやくそ意味がわかってきたというところだ。

周りに流されて...周りの人の価値観を自分価値観として生きていくのは、かなりリスキーだとぽしゃって知った。

自分意見意志を周りの人に否定されないか、それで独りにならないかという恐れから

いままでの人生ずっと他人言葉を正として生きてきた。

この生き方だとその場は安心できるし、考える必要もないから楽だ。

でもそれはあとになってから歪がでて自分を蝕む。

外向型社会であるとは今でも思うしそうだと思うが、それでも自分幸せのために

自分の内向型を受け入れて、内向型らしく生きていこうと思うようになった。

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というので、自分と向きあって自分特性を認めるように少しずつしていっている、現在進行系で。前より自信はついてきているが、それでも不安になり立ち戻ることも多い。

人と関わるのが嫌いなわけではないし、色々他のひとの考えを共有したいという思いがあるが、人と一緒にいるだけでどっと疲れるので、誘いは断ることが多い(次の日が仕事だとなおさら)。人付き合い悪いし嫌な奴と思われるかもしれない。が、あのぽっしゃったときには戻りたくないので、交友範囲であったり、人に会う頻度は自分コントロールするようにしている。

なるべく休日は予定を入れないようにしている。

家でじっくり本を読んだり勉強したりして回復をしている。

こんな引きこもりでこれから私生きていく力身につけられるの?というもう一人の自分言葉がでてくることがしょっちゅうだが、なんとかやっていけると信じていくしかない。

今は今で職場オープンさだったり、やっている仕事カラーとして自分に合っていないのだが、それについては...またの機会に書こうかと思う。

内向型らしく生きていきたい。

2019-05-22

今日は久々に仕事がすこーしだけ進んだ

15行ほど書けた

明日は50行くらいを目標リハビリしよう

2019-05-21

仕切るのが好きだった

小学生のころ、特に勉強ができるわけでも、運動神経いいわけでも、見た目がいいわけでもなかったけど、仕切るのが好きだった

喧嘩してる友達同士がいたら、関係ないのにそこに突っ込んで行って、「まぁまぁ」と言いながらお互いの言い分を聞いたり、

活動みたいなものがあれば、みんなの意見を聞いて、模造紙にまとめて発表したり。目立ちたがりやだったのかもしれない

中学校球技大会ときクラス男子を2つのチームに分ける必要があって、

弱いチームと強いチームにはっきり分けるパターンと、両方のチームを同じくらいの強さに分けるパターン

どっちにするかでみんなが揉めていた。前者は優勝の可能性もあるものの、捨てチームに入った人はあまり良い気分でもないし、

かといって後者中途半端だし、なかなか決まらなかった

そこで、自分がしゃしゃり出て、チーム分けを考えようとしたところ、

「なんでお前が仕切ってるんだよ」と野球の得意な男子に言われた

なんでと言われても、自分は仕切るのが得意だから、みんなの意見をまとめようと思っただけなのだけど

彼は「お前、野球下手くそなんだから、お前に仕切られるとイラつくんだよ。黙ってろ」と言った

彼の言葉は当時のお花畑自分の頭にはかなりがつんときて、「え、揉めてる事柄が得意な人じゃないと発言権がないのか」と知ってしまった

それ以降、特に得意な分野があるわけではない僕は仕切るのをやめ、ただ黙ることになった

大学に入ったり、会社に入ったりするとグループワークであったり、コミュニケーション能力のようなもの重要となる

しかし、そのような場面では僕はいつも無言であった。自分無能であることは子供の頃から自覚しているし、

自分意見が間違っているのではないかと怖くなったら、何も言えなくなってしまった

ある部署に配属されたときに、何も意見を言わない僕に対して、かなり時間をかけて話を聞いてくれる先輩がいた

「どうするのがいいと思う?ちょっと考えてみて」「間違ってもいいから、何が必要だと思う?」

いろいろ問いかけてくれるのだが、何を言っても間違いのような気がして、何も言えなかった

先輩は言った。「誰も答えなんて知らないんだよ、ぶっちゃけ。」

「偉そうに喋ってる部長もどっかでみた情報を偉そうに言ってるだけだし、何やったらいいかなんて誰もわかってないんだよ」

「でも、みんなが偉そうに、自信満々で喋ってるのは、そういう役割を誰かが担わないと、方針なんて決まらないでしょ」

「みんながみんな慎重で、自分意見に自信がなくて、それで一緒に働くみんなを説得できる?お客さんを頷かせられる?」

「間違ってもいいんだよ。そんときは謝るか開き直るかしかないし、間違うことを恐れて、意見が出てこなかったり、

本当は気づいてた問題点を指摘できなかったり。そっちの方が損失は大きい」

「何か言われて、馬鹿だって周りに思われてもいいじゃん。いまはまだ自分の後輩なんだし。社長とか部長かになったら、

馬鹿だと思われたくないって気持ちはわからなくもないけど、今の段階なんてみんな馬鹿みたいなもんだよ、自分も含めて」

結局、どの言葉自分に響いたのか自分でもわからないけど

昔は仕切ったりするのが好きでした、でもなんだか怖くなって。と伝えることができた

しかしたら自分自身が逃げてたトラウマ直視できたのかもしれない。

先輩は笑ったりすることなく、「なんだ、じゃあこれからはチーム内のミーティングの司会はお前な」と言って役割を与えてくれた

もちろんいまはリハビリ中で全然うまく会議を回せてない

でも、アジェンダを整理したり、揉めた時に問題点を整理したり、

いくつかのシナリオを立ててみたりするのはできるようになった

小学校ときみたいにできるといいな

2019-05-19

みな障がい者

世の中、だれでも欠陥を持つ、だから、みんな、なんらかの障害を持つ障がい者ということだ。上手くいかない全てが、欠陥であり、全てが病気だ。プレゼンが下手なのも、社交性に欠けているのも、運動神経が悪いことも、絵が下手なことも。

努力と呼ばれているものは、リハビリであり、治療だ。本来あるべき自分から乖離している、それを治癒しようとしているだけだ。

障がい者のための世の中にしてほしい。僕も障がい者だし、みな障がい者から

2019-05-16

そっとしろって本当に思うなら言及するなよ

このツイートバズってトレンドに乗ってんじゃん

2019-05-12

入院中の母にオススメの本を教えて欲しい

元気だった母がくも膜下出血で倒れて入院すれことになった。

まだ先はどうなるかはわからないけど、とりあえず意識ははっきりしていてリハビリも兼ねて本を読みたいと言っている。

オススメがあったら教えて欲しい(漫画も可)。

母は70代後半だが非常に頭の良い人だ。普段は血みどろの海外ミステリなども読むが、できれば今は思わず笑ってしまうような、明るくて希望の持てる本を読ませたい。

最近面白いと言っていたのは「カササギ殺人事件」「大家さんと僕」。面白ければサブカル系もいける。本ではないがpatoさんの「シベリア鉄道に乗って東京一戸建てアピールしてきた」を読んで感動していた。

よろしくお願いします。

追記

沢山のコメントありがとうございます

こんなにコメントがもらえるなんて、母はきっと大丈夫だと勝手に思ってしまった。

まだざっと見ただけなので全部検討しきれてないけど、夜回り猫、ジーブス、スティーブン・キングさくらももこをまず買ってみます

バッタを倒しに...」は既読面白かったと言っていたのでサメのやつや「ガンジス川バタフライ」も好きかも。

伊坂幸太郎は本当に人気あるんだなあ。他にも全然知らなかった本も沢山あって感謝です。

もうじきホットエントリからも消えると思うけど、また何か良いのあれば是非コメントください。

前にあげた以外で母が以前面白いと言っていたのは「心臓を貫かれて」「その女アレックス」「夢の欠片」などです。ミステリーというより犯罪に至るまでの心理に興味があるんだそう。

出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」も面白いと言ってた。

2019-05-11

THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019 GRATEFUL SPOONFUL 静岡 エコパアリーナ

4/27、28の二日間参加してきた。

自分20年来のイエローモンキーファンで、活動休止解散たころはまだ学生だったので当時のライブとかはDVDで観たのみ。

再結成直後のツアー名古屋で観たのだけど、今回のライブはそれ以上に感動したので熱が覚める前に書き残しておきたい。

特に印象深い二日目を中心に書く。

からエコパアリーナへ向かう途中のカフェオープンテラスでは「I don’t know」が流れていて店の粋な演出テンションあがる。

実は初日は消化不良感が残っていて、MCでも吉井さんが「まだうまくできてないところもあったけど・・・」的なことを言ってたこともあって(ANNIEは「初日完璧!」とは言っていたけど)

これからもどんどん良いアルバムを作るとは言ってたけど今回のツアーの出来に満足できなくて、初期のソロ作のような暗めなアルバムを作るくらいのことはやる。

だいたい再結成直後に「二度と解散しない」的なことを言っていたけどそれを鵜呑みにするほど浅いファンじゃない。

ともあれ、

蓋を開けてみれば大大大大満足。聞けるといいなー程度に期待してた曲がほとんど聴けた。

演奏が始まるたびに「ほわああああ」とか「ふぉぉぉまじか・・・」「まじ、まじか・・・」とか変な声が出ていた。

何に驚いたかって吉井さんの声が完全にイエローモンキー仕様に仕上がっていたことだ。

解散前のように妖艶で熱いヴォーカルになっていた。

なんでそこまで感動したかというと、再結成直後にリリースされたセルフカバーアルバムTHE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』」での歌い方が、個人的には気に食わなくて。

なんか再結成後のリハビリ中の演奏を聴いてる感じだったんだよね。

全然勢いが無かったし、妖艶さや熱さや勢いも全く無かった。完コピに近いアレンジのくせに一部の曲にはホーンやストリングスが入って

台無しになってるし。

からそれ以降、「ALRIGHT」以外のシングル曲はいまいち好きになれないな〜ってのが正直なところだった。

2016年のライブも昔の曲の歌い方が当時と違ってて、なんていうかソロの歌い方でイエローモンキーの曲を歌っているような感じがした。

もう年だし20年前の曲なんだから同じように歌えるわけないよな、とその時は思ったんだけど。

それがですよ。もう完璧に当時の曲だった。

偉そうな言い方をさせてもらうと、吉井さんって歌の上手さで勝負するよりはルックスパフォーマンス歌詞等の総合力で魅せるタイプヴォーカリストだと思っていたんだけど(ある時期まではそれも当てはまってたんだろうけど)今は完全に違う。

こんなに違うんだ、齢なんて全然関係ないじゃん、ロックスターかよって思ってしまった。

あとは曲ごとの感想をつらつら書いていく。

こんなことを考えながら聴いていた。青春時代に聴いてたこともありまぁノスタルジックな思い出に浸っていた。

天道虫』

最初聴いたときは「この曲は好きになれないなー」とか思ったんだけど、”雨上がりの〜”からの展開がかっこよくてもう今は大好きですね。

『ALRIGHT』

復活後の曲は最初んん?ってなるのが多いんだけどこの曲については最初から違和感なかった。

リフとかノリが解散前の曲の雰囲気に近い気がする。(熱帯夜とか

LOVE COMMUNICATUION』

これやるんだー!!

Love Homme』

実は最初まりきじゃなくてほとんど飛ばしてた曲。イエローモンキー流のファンクなんだなって気づいた。

楽園

まじかーーー!

楽園といえば木曜の怪談エンディングテーマ

Love Source』

踊りながらベースを弾くヒーセがカッコイイ。

Stars

9999バージョンだとサビのところでハンドプラップが入るようになった。

パール

高校2年の夏を思い出す。

スカパー音楽チャンネルを録画してこの曲を延々と観ていたのだけど、この曲の前のDrason Ashの「Summer Tribe」だったんだけど、

プールに女のコ侍らせて〜って感じのチャラい映像だったのでそれとは真逆メンバー演奏するだけの硬派なPVが印象に残ってる。

『Changes Far Away

確かこの曲だったかな、スクリーン映像にかかるエフェクトが壊れたアナログテレビっぽくて見づらかった。初日に見たときカメラ故障かと思った。

『SO YOUNG』

高校の頃よく一緒に遊んでいた友人のことを思い出す。

1日目が終わった後にたまたまから連絡が来て、奇妙なめぐり合わせを感じてしまった。

So Young は映画transmission」の映像コラージュされたバージョンPVがあったはずなんだけど、今はどこ探しても観られない。

卒業って感じの曲ですよね。

『Balloon Balloon』

特になし。

追憶マーメイド

イエローモンキーで一番好きな曲なので生で見れて感動もいいとこ。

高校2年の5月に付き合い始めて6月に振られたときにずっとこの曲を聴いていた。

『Titta Titta』

特になし。

LOVE LOVE SHOW』

僕はあまり好んで聴かないんだけど、観客席の一体感がすごい。

『SUCK OF LIFE

二日間ともメンバー紹介なくてびっくり。2日目はロビンエマの絡みあり(ロビンエマの絡みについてはデヴィッド・ボウイ&ミック・ロンソン で調べればいいと思う)

『I don’t know』

サビ前の「デン!」でテンション上がる。そうかこの曲はここがカッコいいのか!と気づく。何気なく観てたAVでヌきポイントに気づくような感じ。

『Horizon』

特になし。

バラ色の日々』

歌詞最後に「Are You Believer?」とシャウトするのだけど、今回のライブでも音源同様にシャウトしてたのが良かった。

以前のライブ吉井さんソロとき演奏しているときは「あーゆーびりばぁ〜〜あああ〜〜〜」とシャウトしてないことのほうが多かった。

ロックボーカリストはシャウトしてこそですよね。

『悲しきASIAN BOY』

この曲のときにいつも背後から降りてくる「THE YELLOW MONKEY」の電飾、復活後?からデジタル表示になったっぽい。

普段は、

THE

YELLOW

MOHNKEY

と縦に並んでいるのだけど、初日は横に並んでいた。

『この恋のかけら』

初日は1曲目だったこの曲。今回は最後とは。

あっという間だった。初日と比べると満足感あったけど、JAMとかWelcomeとかで締めてくれたら終わった感あったかもなと思う。

吉井さん、髪が肩までかかってアイシャドウ塗って花柄シャツでPunch Druncardのころを思い出すルックスセクシーすぎる。

メンバー紹介はあっさりしていた。

帰り道にも同じカフェで「追憶マーメイド」が流れていてほんとに気のせいなんだけど、ちょうど「追憶マーメイド」のこと考えていたんだよ。いい余韻に浸れた。

一日明けてあの二日間はとても特別時間だったんだなと終わってから気がつく。

2019-05-10

anond:20190510073607

まずは最寄りの地域包括支援センターへ。

お母さんと出かけるのが大変なら、相談すればケアマネが家まで来てくれるはず。

あと一口介護施設と言っても今はいろいろあって

アミューズメントに力入れてるところもあるから偏見を持たずにぜひ見学するようお母さんに伝えてほしい。(マグロ解体ショーとかやってるところもある)

もしうつ状態がつらくて外出できないようなら、訪問リハビリ介護予防リハビリ)もあるよ。

2019-05-07

今日連休明けのリハビリでいいよね?

めし食ったら眠くなってきた。

2019-05-04

anond:20190504164006

結構わかる。

俺も一時期そんな感じになってたけど

ワンプレイの短い対戦ゲームから徐々にリハビリして今オープンワールドゲームやってるわ。

個人的にはロード時間が長いとそこで気が萎えから、そこそこハイスペのPC買ってSteamでやるのオススメ

2019-04-30

他人リハビリセンターだと思っている人間が多すぎでは? 鬱憤家族配偶者恋人にぶつけてください。いくら近しい人間といえど他人リハビリセンターにするのは完全なハラスメントだけど、フォロワーでやるな。距離感おかし人間が多すぎる。

上司にいえないことは誰にもいうな。玄関にはっつけておけないことは誰にもいうな。だからいい歳して非正規なんだよ。

2019-04-26

虐待犯人気持ちが分かるという人がいるのが怖い

はっきりいって分からない。41歳で無職からどうしたのだろうかと。

なんでそう思ったかというと、俺は29歳の働き盛りの時に神経を痛めてから5年間寝たきりだった。

から見える社会人の姿を見るたびに寝たきりの自分が苦しかった。

リハビリをしても寝ている分、どんどん筋肉は衰えて固くなっていく。

やっとリハビリ効果が出てきても、社会復帰までは遠かったし何よりも一番働ける時間怪我邪魔をされた。

1年以上厳しいリハビリを続けてその後も定期的にリハビリをして、普通に生活がやっとできるようになった頃には

もう40歳の目前だったよ。

当然、そこまで無職だった事と怪我というアクシデントのせいで就活をしても企業から質問されるのは

空白期間」と「今後怪我が再発しないのか」で、これらをなんとか説明して納得してもらおうとしても

まったく信用されなくて不採用で終わってた。

結局、何社も何社も受けて自分にあうワーキングスタイルを探し続けたけど、

働ける時間・学べる時間を無かったことにされた自分には手に職がほとんど無く、免許も失効されていたから車も取り直さないといけなかった。

何も知らない頃の自分に戻ったような感じだったけど、新鮮味もなければ過ぎた時間の分、焦りしかなかった。

そんな状況で自暴自棄になりたくなることもあったけど、だからといって物にあたることもできないし

そんな無様な姿を見せたくなければ見たくもなかったから、ひたすら我慢して就活した。

当然、生き物を虐待なんて非人道的な事も出来ない。やる奴はね、理由をつけてるだけの言い訳野郎だよ。

傷つけるなら自分の体を痛めつけていればいいのに、自分を傷つけることはしないくせに生き物に当たるなんてのは論外だ。

そんな人の気持をわかるなんて言う人が怖い。

からないし、分かりたくもない。

そんな気持ち分かるほうが異常だよ。

2019-04-25

実家がやばくて助けてくれって母親からSOSたかGW早めに貰って実家帰ったら親父が母親と姉のヒモに成り下がってた

ちなみに親父は6年前軽い脳卒中をやってるが2年間のリハビリサボりにサボって右手の薬指と小指が動かないだけでぴんぴんしてる

自営業で卒中になる前は稼いでたんだが稼ぎはフェラーリ買ったりベンツ買ったり自分だけ海外旅行行ったり(どうも女がいたっぽい)

放漫経営取引先につけが100万単位で残ってる

取引先のつけは母親が頭下げて毎月いくらかずつ返すって話をまとめてパートいくつも掛け持ちしてるのと姉が給料のほぼ半分を母親に渡して何とかしているらしい

母親と姉が毎日ダブルワークと支払い日に金策に駆けずり回ってるのを尻目に親父はすっかり悠々自適資産があるジジイみたいなTV視聴生活家事も一切しない

家の女どもが毎日三食作り立ての飯を用意しないとか居間の床を水拭きしないからザラザラして気持ち悪いとかお気に入りの服が洗濯してアイロンかかってないとか

俺を捕まえて3時間愚痴られて思わずキレた

親父を自己破産させるにしても100万は用意しないとならんけどさすがに俺に今すぐ用意できる金額じゃない

実家売るとしてもいくらにもならないだろうし地方で車取られたら膝の悪い母親は動けないから八方塞がり

何でこんなになるまで誰も俺に相談してくれなかったんだ…

2019-04-21

10年ぶりにおばあちゃんに会った

今日10年ぶりくらいにおばあちゃんに会った。

俺が今33歳。最後に会ったのが多分大学卒業した後くらい。

ばあちゃんはもう90近い。

母親離婚した親父とは定期的に飲んでて、その報告によるとしばらく前にばあちゃんはでかい病気をしてもともと耳が遠かったのに加えて脳もバグってしまい、

いとこの子供(中学生)と中学生のころの俺の区別もよくわかんなくなってんじゃねえかと言っていた。

ばあちゃん保育園時代共働きの親のかわりに毎日迎えに来てくれて親が帰ってくるまで面倒を見てくれた。

駄菓子屋に連れてってくれたりスーパーメダルゲーム100円で11メダルが出てくるジャンケンポンのやつとか)で遊ばせてくれたり卵を落としたサッポロ一番らーめん世界一うまいラーメン)を作ってくれたりした。

小学校引っ越して会う頻度が減ったけど、大学に入ってまた家が近くなったので久しぶりに会いに行ったら6歳のころと変わらぬ「ちゃん」付けで俺のことを呼んで「大きくなったねえ」と言っていた。

俺はばあちゃんが好きだったので大学時代はちょくちょく会いに行っていたが、行くたびに小遣いで1万円をくれるので正直たまに小遣い目当てで会いに行くようなこともあった。

大学卒業してまた疎遠になった。その間にばあちゃんはいよいよ耳が2キロくらい遠くなり認知症で誰が誰やらわからなくなったと聞いた。

俺の話をして「中学は行ってるのかい」とか言ってたらしい。親父は「死ぬ前に顔見せとけ」と言った。

そんで今日、会いに行った。一時はちゃんと歩けないレベルだったらしいが最近リハビリを終えて小康状態に入ったらしい。

家に行ったらばあちゃんは寝ていた。

そっと起こして「俺だよ」と言ったらばあちゃん曖昧な顔で「うん」と言った。耳が聞こえないからだ。

親父たちが筆談用に使っているホワイトボードに俺の名前を書いて見せたら、ばあちゃん10年前よりくしゃくしゃになった顔をもっとくしゃくしゃにして「大きくなったねえ」と言った。

昔と変わらず世話焼きのばあちゃんは「いらないよ」と言ってる俺を無視して(聞こえないから)、きびきび立ち上がってお茶を入れてくれた。

歯がなくてやわらかいものしか食えないばあちゃんは、お土産ショートケーキをぺろりと食べた。

俺は買ってきた缶ビールを2本とばあちゃんが入れてくれたお茶を飲みながら適当テレビを見た。

ホワイトボードに「元気?」と書いたら「元気だよ」と言っていた。

「昔はこんなに小さくておぶって駄菓子屋に連れていってね」という10年前にも聞いた昔話を2回くらいしてた。

帰り際、「またおいで」と言われたので「また来るよ」と言った。

多分聞こえていないので肩をポンと叩いた。笑いかけたつもりだけどちゃんと笑えてたかはよくわからない。

10年前、そして30年前と同じようにばあちゃんは家の外に出て手を振りながら見送ってくれた。

また行こうと思う。

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