はてなキーワード: リハビリとは
【追記】
コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。
よく臓器移植でドナーの記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?
推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。
変わった人格でも楽しく生きてるよ。
あと、そもそもオタクを治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。
5年前、ある病気で入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活とリハビリをしているうちに色々なものが自分の中で変わっていったので記録しておく。
まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。
それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪・中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。
Twitterアカウントも変えた。友人からはジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。
術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。
病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。
今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。
入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。
それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。
今では尖ったものも面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いから流行るんだよね…。
嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。
これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?
元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構な金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれた生活は本当に幸せだった。
今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。
ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。
ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。
ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズや坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングはガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである。
アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集やフィギュアは一期一会なので買ってしまうが。
もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来の貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。
だからタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。
今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。
書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?
とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、
その発想は、なかったな…
そのおかげで人生を失敗して、遠ざかった。
最近また小説を書きたくなったので、文章を書くリハビリを始めた。
まず指がついてこない。キーボードの叩きたいキーを指が叩いてくれない。昔はらくらくとクリアしていたタイピングゲームを久しぶりにプレイしてみたら、ステージ1でやられてしまった。
プログラマなのでキーボードは毎日つついているはずなのに、なぜだろう? と自分の勤務態度を自分で観察してみたところ、最初の数文字を打って後はIDEの予測支援に任せるだけで実はタイピング数が多くなかった。
業務連絡もチャットがメインなのでゆるふわな絵文字ばかりである。たまに打つメールですら過去のものをコピペして必要なところだけ置換している。
こいつ実は毎日席に座って遊んでいるだけなのでは? と思った。
こうして増田によしなしごとを書いたり、Qiitaに怪文書を投稿してみたり、と文章そのものを考えるリハビリも必要なのでやっている。
こうやって文章を考えて書くことに苦痛はない。文章として自分が満足できるような言葉選びとなると、微妙。
傑作と感じたセンテンスが一晩置くとゴミに変じているのはよくあることだが、今書いている文章は数分でそうなるので、やはり質が落ちているのだと思う。
話のアイデアは過去の自分が書き留めたものを拾い上げては積み上げて崩している。
また書きたい、と思ったものを書けるようになるまでに素材として使える形になってくれれば供養になるかと思う。
今日の感染者数。クラスター発生。ずさんな感染対策。夜の街。感染経路不明。無症状。医療従事者。経済回復。
これで私のメンタルは崩壊して全てが虚無になったお気持ち表明をしたい。
コロナが本格的に広まり始めた3月。私の自粛期間は半年になろうとしている。
ちょうど一年前、色々あり大きい病気をして半年間の入院生活、半年間のリハビリ生活を経てやっと社会復帰できる。と思った矢先だった。
最初は収束のために、感染を抑えるために、ステイホームを徹底していた。病気をしたばっかりだったし、家にまだ赤ん坊の甥と同居しているし、何よりも家族がすごく心配していたからだ。その気持ちはよく分かる。完治したばかりで、また難しい病気にかかりたくない恐怖は私にもあった。
それなりに楽しく過ごしていた。リングフィットアドベンチャーやYouTubeで運動不足を解消したり、無料配信の舞台をみて新しい沼にどっぷり浸かった。
妹も自宅待機になり会社が休みになったので久しぶりに家族と長い時間、家で過ごすことができた。それはそれで楽しかった。
緊急事態宣言が終わり、みんなが少しずつ日常を取り戻そうと動き始めた。この時点でおそらく第二波は来るだろうと予測はできていた。
ただ、他の国と比べたら死者数も感染者数も少なかった日本だから、そこまで深刻にはならないだろうと甘くて見ていたのかもしれない。
そろそろ東京に出て、友人達とご飯食べたり、推しの舞台に行ったり、おしゃれなお店に行ったり、京都に行って刀巡りしたり。
期待が少しずつ膨らむについて、チケット情報を無意識に追っている自分がいた。
しかし、緊急事態宣言解除から約1ヶ月後、東京からクラスターが出た。それからテレビは東京のコロナ話ばかりするようになった。
毎日更新される感染者数。東京ではなく全国で増えていく感染者数。クラスター。感染経路不明。若い世代の割合。無症状。
少し平和ボケしかけた私の脳に緊張が走った。これは駄目だ…しばらく現場は無理だ……。
何度も仕方ない、我慢するしかない。今を乗り越えなければ。みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせて耐えてきた。
あるニュースが流れた。舞台役者がコロナに感染。次から次へと感染者が発覚。濃厚接触者は800人と発表。
運営側のずさんな対応。観劇者の感染対策に反する行動。嫌でも毎日テレビやSNSから流れてきた。
私は恐ろしくなった。これは他人事ではないのでは?自分もああなってたかもしれない。知人達もあそこにいたかもしれない。推しの舞台だったら。好きな作品だったら。
今思えばこの時から恐怖に近いものを抱き始めたのかもしれない。でも小さな感情の起伏に気づける余裕は無かった。
SNSで繋がっているフォロワーさんが、自分はちゃんと配慮して東京エンジョイするとつぶやいていた。それが正しいのか、間違っているのかはっきりと答えが出なかった。
お願いだからみんな自粛してくれ。ニュース見たでしょ?毎日更新される数字知ってるでしょ?ねえ、みんなこれ以上はやめよ。
届かない声をずっとSNSを見ながら心の中で叫んでいた。
昨日好きな作品の舞台が初日を迎えた。それについて推しがSNSを更新した。普段滅多に呟かない推しだからものすごく嬉しかった。
ゲネプロから初演に参加した人達の感想が流れてきた。楽しそうだった。無事終わったようで安心した。いいな。
……なんで私は自粛しているんだろう。
長らく耐えてきた我慢は限界を迎えて、行き場のない怒りをぶつけることもできず、気持ちが死んで虚無感に襲われた。
この日、友人達に初めて自分のお気持ち表明をした。そこで初めて私は難癖を付けていると言われた。
そうか、そうなのか。確かに暴論を言ってる自覚はあったけどやめられなかった。
どうして行き場のない怒りを持ってしまったのか。それは自分にしかわからない気持ちによる孤独からなのではないか。
2019年4月に入院して8月に退院した。それから約半年、副作用による痛みに悩みながらもリハビリを頑張ってきた。
今年の2月からやっと身体がまともに動けるようになり、痛みからも完全に解放されて普通の日常を送れるようになった。その後、襲ってきたのはコロナウィルスの恐怖だった。
私は去年から一年半近く自粛生活をしている。たまにお買い物行ったり、外食はするけど、ここ半年は電車にすら乗っていない。車で近場を行くことしかできない。
入院生活で自分を慰めるものとしてTODOリストを作っていた。退院したらやりたいこと。たくさん書いた。それを実行することを楽しみに治療を受けていたのもある。
辛いことがあっても耐えて、耐えて、なるべく弱音を吐かずに、耐えて、耐えて、自由を目指して頑張ってきた。
コロナ疲れの話になる時、よくこう言う人がいる。そうね。みんな我慢している。自分だけじゃない。でも私の我慢はきっとあなた達にはわからない。
病気による苦しみは病気になった人にしかわからない。健康が当たり前な日常を送っている人たちはそれが当たり前じゃないことに気づけない。
健康であることは幸せで恵まれている。身体を大事にして、ちゃんと自分を大事にして。悪くしてからじゃ遅いんだよ。
私も身内に発信してきた。その場では同意を得られるけど、当事者意識になれない人が多かった。これが現実なんだろうなと思った。
だから私の自粛疲れは私にしか分からない。これは誰とも共有できない孤独な気持ちなのだ。
友人達に難癖を言ってしまったことを反省して、自分のメンタルケアの為にもニュースとSNSをしばらく断つことにした。
感情をコントロールできないのであれば、情報を視野に入れることを避けるしかないとアドバイスをもらった。
一晩寝て、少しスッキリした状態で冷静に考えてみたら、入院生活に比べたら全然幸せなのでは?と思えてきたので多分大丈夫な気がしてきた。
でもひとつだけ言わせてもらいたい。
あと『パンプキン・シザーズ』の「金は血液だ!」を貼ってる奴ら
あのな、GoToキャンペーンに文句無いの。ただあの手のキャンペーンって水害とか台風とかで被害受けた地域が安全になってからやって効果が出るキャンペーンなの。去年の南房総とか、以前の熊本とか
今回も新型コロナが落ち着いたら大々的にやればいいよ。でも今回は違う。そもそも安全になってない。正式には安全かどうか分からない
「金は血液だ!」で言うなら、その血液運ぶ奴が病原菌で、その箇所を病気にしてしまうかもしれないんだよ。それこそ壊死して終了だよ
GoToキャンペーンに文句あるんじゃない。今やるべきじゃないの。みんな嫌がるけど、ぶっちゃけ国が金を地方にばら撒くしか無い。国民に運ばせるな。悪いこと起きるかも知れないし、足りないかもしれないけど仕方ないんだよ
GoToキャンペーンは病気から回復時の点滴やリハビリであって、いま必要なのは人工心肺装置みたいな延命措置。このままGoToキャンペーンするのは腎臓が死んでるようなもの
ここでの「描けなくなった」というのは中傷されて、とか攻撃されてとかじゃなく、ただただ描けなくなったという話だ。
1か月前ツイッターアカウントを消した。フォロワーは4桁そこそこいるアカウントで、4年そこら二次創作を楽しんでいた。
そこではBLのカップリングの萌え語り、絵をあげることを主にやっていた。たまに同人誌を出したりなんかもしていた。しかし私生活や今のコロナ流行、オタクたちの学級会に疲れ果てて消した。
ただ普通に仲の良いオタクとは別の連絡手段があったし、そのジャンルのことも好きだったから二次創作をやめるつもりはなかった。気持ちが落ち着いたらまたすぐ戻ろう、と思ってたからアカウントでのあいさつなんかも特にしなかった。
しかし3日経っても1週間経っても1か月経っても二次創作はできなかった。
最初の方はROM垢やpixivで他人の二次創作を見て楽しんでいた。でもそこで目に入るジャンルへの不平不満が嫌でその頻度も減っていき、1週間くらいする頃には全く見なくなってしまった。
時間ができたから絵を描こうとした。でも今まで描いてきた推しキャラクターの絵がどうしてもうまく描けない(リハビリと称してほぼ初めて描く創作イラストは、普段よりも力を込めて完成させることができた)。
次にあるかもしれないイベントに向けてあった描きかけの同人誌も、もうどうやって描いたらいいのかわからなかった。
一度書いてみたかった小説も、以前は得意でよく描いていた簡単なデフォルメイラストも、全部だめだった。二次創作ができなくなった。
しかし、こうなってしまっていても原作のことは相変わらず好きで、この期間も原作を追い続けている。ストーリーやキャラクターたちの心情に心揺さぶられる。でも以前よりはフラットに作品を見るようになったと思う。そこから考察を練ったり、空白の間を妄想したりということはしなくなった。
もしかしたらツイッターアカウントがあることでジャンルや推しキャラやCP等に強い感情を向けることを自分に強いてたのかな、と思う。
確かに今でも私はそれらが好きだしその気持ちが軽くなったとは思いたくないけれど、その「好き」を表現してツイッターアカウントという他人に見せるものとして昇華する際に、自分を必要以上に削っていたのかなと思う。
多分、私はとっても疲れていてコンテンツに強い気持ちをぶつけられる体力がなくなってしまった。
昨日、部屋中の推しのグッズ(公式、同人どちらも)と同人誌を段ボールにまとめ、封をした。飾られているこれらを見ることにもなんだか疲れを感じるようになってしまってた。
ここ数日、
「5本の指で足りるほどの知人しかいないツイッターで呟こうとしても、自分の発言に重みが増して、彼らのメンタルに自分の存在が影響を与えてしまうのが怖くて呟けない」
と、防御機制の投影がお手本みたいに分かりやすくはたらいてしまっていた。さっき、そのことに気が付いた。それと一緒に、はてな匿名ダイアリーのことを思い出した。
匿名掲示板では自分のコメントが誰かとのキャッチボールになることではじめて価値があるような気がしてしまう。誰かもわからない人とのコミュニケーションが成り立った時過剰に興奮してしまうし(時代錯誤)、独り言になったときはどうにも喪失感を感じてしまう。しまいにはどうせなんのリターンも得られないのだ、と無意識にふてくされて、ほとんど思考停止でなんの推敲もせず言葉を垂れ流すようなことになってくる。それで余計に独り言になる確率が高まる、負のスパイラル。
ツイッターは、みんなに自分の話を聞いてほしい!というポーズを取らないといけないのが、恥ずかしくてできない。クオリティが必要な気がしてくる。他の人のツイートがいくらくだらなくても、自分のツイートの非は気になって仕方ないのだ(もう半年以上ツイートしてないけど)。
匿名ダイアリーのシステムは、匿名だけど、自分のエントリは保存されてずっと見返せる。
新着エントリのとこで人に見られるところを想像するだけで、自己承認欲求が満たせる。
なによりこうして文章を書くリハビリが、常に必要なんだ。書くことへの恐怖は書くことでしか、考えることへの恐怖は考えることでしか、克服できないのだっていろんな人が言っている。……にしてもひどいけど
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
→理学療法。
身体に障害のある人に、基本的動作能力の回復をするためにいろんなことをする。運動をさせたり、物理的にいろいろと施す。運動としては治療や体操、物理的方法としては電気療法、マッサージ、温熱などがある。 日常の動作などを改善するための指導や、社会的な動作で困らないように、福祉用具の選定や住宅改修・環境調整、在宅ケア等も含む。近年では、障害を防ぐための生活習慣病の予防、コントロール、障害の予防も理学療法の対象となっている。対処療法だけでなく、予防もまた守備範囲になったわけだ。
理学療法士は、障害・後遺症のある部位に注目し、基本動作能力の回復のために行われ、反復運動が多い。一方、作業療法士の行うリハビリである作業療法は、その次の段階である社会復帰に向けて行われるものである。
発達障害とか知的障害の人が、そこまでして自分に合ってない勉強しないといけない環境自体に問題があるんじゃないの?
教え方がどうこうとか授業環境がどうこうじゃなくて、そもそも「学校に行って勉強しなければならない社会システム」に問題があるんじゃないの?
足に先天的に異常があったら、マラソンさせないでしょ?学校での勉強自体無理してさせないのが一番いいんじゃないの?
自分がやりたいなら別だけど。
こんなに苦しいなら、無理してやらないほうがいいんじゃないかな。自尊心が削れる方が問題がある。
先生は生徒の能力を伸ばすんじゃなくて、生徒の自尊心を削らせないために教え方を工夫する。際限なく教える内容を簡単にしていく。
何のための学校なんだろ。学校じゃなくて、必要なのは福祉施設なんじゃないの。