はてなキーワード: リハビリとは
を妄想してみた。
ここ数年、自分が恋愛に全く向いていないという自覚をようやく得つつある一方で、いややっぱ恋愛というか好きな人とイチャイチャしてえよという欲求が押し寄せては捻じ伏せるというサイクルを繰り返している。
不毛極まりない。ので、どうすればこのループから抜け出せるかを考えてみた。ぜひともこのピュアピュアな妄想に存分に突っ込みを入れてほしい。
ネットデブリみたいな見出しの薄さだが、各項目を自分に当てはめて考えてみた。
意外に難しい。自分は22になるまでこの経験が無かった。正直これがないなら悩む必要も無く一人で何も考えず過ごせばいいのに、相手も時期もランダムに発生するように出来ているらしい。手遅れになった矢先に発生するのはタチが悪すぎる。みんなも気を付けよう。
普通に難しい。自分に自信がないと、相手に話しかけることすら申し訳なくてロクにできなくなるし、話しかけられても挙動不審で相手を困らせてしまう。好きな人を困らせ不快な気分にさせてしまうのはもっと申し訳ないのでなんとか改善した。世の中そこまで完璧人間だらけじゃないしくそ野郎もいっぱいだ、相対的に見れば自分はまあまあマシな存在になれるはず。
まあまあ難しい。幸い風呂をサボる癖などは無かったし各部のケアは意外と自己満足でやっていた。食べ方なども普通っぽかった(動画撮影してみた)。ただ後述する清潔感とはまた別の概念らしい。怖い。
難しい。今まで自分の生き方とか見た目など全く気にしたことがなかったので、他人を気にする必要も一切無かった。すれ違う人の服の色もロクに認識していないレベル。ただこれは自分への自信を回復したり服を気にしだしたあたりから徐々に改善されてる気はする。でもまだまだリハビリが必要だろう。
クソ難しい。そもそも服屋の難易度が高い。服屋で自分が良く見える服を選ぶという行為にまず滅茶苦茶抵抗がある。自分の見た目に向き合いたくない。多分自分の顔の傾向的にゆるい服よりもかっちりした服のほうが合うんだろうなと思っても、今まで着ていたゆるゆるの服の着方しか知らない。ユニクロの試着室の中で許してくれと泣きたくなる。街の人間はなぜああもきちんとした身なりができているのか。誰か助けてくれ。
意味不明。いや言いたいことはわかる。髪型をなんかいい感じにしろとか、服をなんかいいかんじにしろとか、背筋をシャキッとしろとか、たぶんそういうことなんだと思う。それにしたって意味ふわふわ言葉すぎる。とりえあず最近はリングフィットをしている。どうだろう、清潔感は向上しているだろうか。
不可能に近い。他人に興味を持ってこなかった奴の話が面白いわけがないし、もちろんキャッチボールは壊滅的にへたくそだし、まして何かに「気付いて」「気の利いた」ことをするなんて出来るわけがない。自分の趣味についてペラペラ一方通行で垂れ流すのはまだマシなほうで、2、3回目に話した時にはそのデッキも尽きて悲惨な沈黙が訪れることは必至である。
まだまだ恋愛への道は遠いらしい。とかなんとか言っていると30代、40代になり自分でも何をやっているのかよくわからない内に死ぬんだろうなと思う。
冒頭で書いた好きになった人は諸事情あってもう会うことはできないが、ともかく何かやろうという気持ちにさせてくれただけでも感謝しかない。ありがとう。どこかで幸せに生きていてください。自分も死なないようにします。
3ヶ月ぐらい前から鬱で休職していて、つい最近までホントにやる気も何も起きなくて毎日ずっと寝ていました。
それでもようやくよくなって、ここ1ヶ月半ぐらい復職のためのリハビリを始めたのですが、まあ起きれない、起きていられない!
睡眠薬も飲んでいるんですが目が冷めるし寝付きも悪い!
睡眠・覚醒リズム表という物をつけて管理しているんですがまあ酷い!日中は起きたいのにほとんど寝てる!夜は寝ようとずっと横になってる!
1回でも生活を逆転させれば治るだろうと、昼間は眠いのを堪えながらいろんなドン・キホーテを巡ってみたり、職業がプログラマーなので言語のリファレンスを読んだりしてみたのですが、
そして翌日の朝になるとドッと眠気が襲ってきてそのまま寝てしまい夕方に起きてしまいます。
最大の問題は3ヶ月経っても復職できない場合には社内規定により強制退職だということ!
私の復職を待っていてくれた同僚、上司の皆様、本当に申し訳ありません。
私はどうすればいいんでしょうか。
このたび縁あって結婚することになって、相手の職業は医師。医師と知らず知り合って(ネトゲ仲間だった)付き合う時初めて職業聞いてマジかよ…となった。
私はというと田舎の野山で産まれ育ったフッツーの庶民。職業はスーパーのパート。
新卒で大手IT企業入って身体壊して辞めてから、母親が勤めてたとこでリハビリがてらパートしてる。
世間じゃこれ玉の輿っていうのかな、と思いつつ、彼も金銭感覚やら価値観やらフツーで違和感ないから、あんまり何も考えてなかったんだけど、相手の家族と顔合わせを前にして、義姉(兄の配偶者)が、
「医師とかの家族だと、スーパーで勤めてるとか言わないほうがいいかも。家事手伝いってことにしておいたら?」
と言い出した。
最初意味がわからなくて、え、なんで??働いてないほうがいいの???と聞いたら、スーパーで働いてるような残念な娘さんだと思われるよりは、無職というか家事手伝いで習い事とかしてるほうが、あの界隈では印象がいいのでは、と言う。
スーパーで働くって残念なのか…?うち母も私もスーパー勤めだけど、義姉は今までずっと私達を見下してきてたのか……
というかハイソな界隈では、実際そうなんだろうか??
なんかいろいろツライ
けど開催四日目にして既に予選敗退して一般観客席から観戦してるだけの気分になっている。上位ランカーのえげつないほどの大賞ポイントの高さよ……。一方私の作品は下位の中途半端な辺りにいて、しかも毎日順位を落としていっていて、もはや生き目はない感じだ。
小説、漫画などを楽しめる総合エンタメサイト「アルファポリス」の主催するコンテスト。詳細は下のURLで。https://www.alphapolis.co.jp/prize/requirements/718000156
応募は先月末日で締め切られているので、エントリー作品が増えることはない。開催期間は11月1日~末日。今回は1,349件もの作品がエントリーしている。すごい数だね!
読者一人につき三回投票ができる。ただし一作品につき投票できるのは一回のみ。投票した人も抽選でなんか貰えるらしい。
別にここに載せることはない気もするけど、載せないなら載せないでただの口先だけの人っぽいので思い切って紹介しますね。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/213353935/325421740
クマともタヌキともつかないぽんぽこりんな見た目のアンドロイド「はな六」はプロ棋士を辞めることにした。
引退と同時にボディも交換するべく、はな六はVRショッピングモールにて中古のボディを探す。その過程で彼は「ボディーショップ斎藤」のクラゲの店主「サイトウ」に出会い、そしてなんか色々あるのだった……。
お前真面目に賞を取る気ねえだろ! と言われたら、すみません好き放題書きましたとしか言いようがない。人生で初めて書いたオリジナル長編小説で、最後まで書けたのが嬉しかったあまりにWeb公開しただけでは飽き足らず、BL小説大賞にまで出品してしまった。本当はfujyossyの小説大賞に応募しようと思っていたのだが、文字数制限に引っかかってエントリーできなかった。
ちなみに何故オリジナル小説を書き始めたのかというと、ある増田記事を書いたところ「金を払いたい文章」というブコメがついたので、調子に乗ったからです。
人気はないけど好きと言ってくれた人も何人かいるので私は満足。アルファポリスからは投稿インセンティブとして200円ぶんのアマギフいただいたし。
出品した本人にはPV数も得票数もわからない。毎晩0時に更新されるランキングで順位と「大賞ポイント」が知れるのみ。
個別通知は来ないので、頑張ってランキングページをスクロールしまくって自分で自分の作品を探さなきゃいけないのだ。今日なんかそれだけに20分もかかった。
なお、11月4日時点の私の作品は909位で、大賞ポイントは9ポイントだった。ランキングは下がったが、ポイントは昨日よりも3ポイント上がった。よかったねー。
募集要項を見たら、作品は完結済みじゃないとダメなのかどうかがわからなかったんだが、いざ開催してみれば、未完の作品もエントリーされていた。私は念のため完結済みでエントリーしてしまった。
開催初日のランキングは、仮の順位として24hポイント順に並べてあったそう。24hポイントとは、更新から24時間以内のPV数やらお気に入り等から算出されるポイント。ということは、完結済み作品を出品するよりは未完成の作品を出品する方が、会期序盤では有利だったのかなぁ。あちゃー、やってもうた。
やっぱり傾向と対策大事なんだなぁ。ランキング上位作品をざっと見てそう思う。傾向と対策……私の苦手分野だ。高校受験は学校配布の問題集を暗記するまでやり込むという力技で乗りきり、大学受験は自力で爆発四散した私には……。
『彦次郎が将軍義尚の子を孕もうとしてこれ以上ないくらい頑張るガチホモ小説』(武蔵守政元)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/244872887/660417353
なんかタイトルがすごい! と思って読み出したら面白くて一気に読んでしまった。こんな作品が埋もれているなんて……と思って寝て起きたら一日で505位くらい順位が上がっていた。さすがです。
もうエントリーした身としては、Twitterで宣伝するくらいしかやれることがないし、会期終了までは可能な限り他の人達の投稿作品を読むくらい。投票件は残りあと二つ。面白い作品に出会えるといいなぁ。
ここ一年ほど、一つの作品だけにかかずらっていたら、短編の書き方がわからなくなってしまったので、最近はリハビリに新作短編連作を書いている。今度の作品は初めてのオメガバースだが、ただオメガバースだというだけで前作よりもずっと読んでもらえているのは、嬉しいけど複雑なきぶんだ……。
わーい!
ランキング上がったーー!
もう下がる一方かと思ったのでうれしい!!!
ネットの誹謗中傷問題で有名な唐澤貴洋弁護士は、日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演した際
最近、企業や有名人がちょっとボヤが出ただけですぐ謝罪リリースを出す光景をよく目にする。これは誤った対処だ。
まず、謝罪したところで火を付けている人たちがおとなしくなることは絶対にない。
少なくとも俺が今までウォッチしてきた中で一度も見たことがない。
むしろ謝罪文をネタに、こいつは反省していない、などと更なる燃料にされてしまうだけだ。
さらに、謝罪によって炎上が既成事実化してしまう。既成事実化すると大手のニュースサイトや新聞社がこぞって記事をアップし始めるので、元々炎上を知らなかった人にまで拡散されてしまう。
炎上しているだけの段階では泡沫トレンドブログやバイラルメディアにしかほとんど取り上げられない。いくら騒がれていてもネット民の意見に乗っかるのは訴訟リスクがあるからだ。
しかし被炎上側が認めたとなればその心配はなくなる。謝罪は自殺行為だ。
大手AVメーカー。2019年3月ごろ、同社が使用していたクラウドストレージから修正前の画像や動画が大量に流出し、ネットの一部で祭りになった。
流出した画像の中には出演女性の面接資料があり、免許証などを含む個人情報が満載だった。
業界の健全化を謳う大手メーカーが、出演女性の人権やプライバシーにかかわる問題を起こしたということで何かリリースがあるだろうと期待されたが、何も発表はなく終わった。
この翌年、別件で同社が顧客情報を流出したことが報道されたが、この件に触れるメディアは皆無だった。
有名AV女優。2019年8月、平均棒(歩くリハビリで使われる棒2本のアレ)で身障者のマネをする動画をTwitterに投稿し批判を受けた。
ツイートは間もなく削除されたが、すぐに転載され拡散される。しかし当人は普段通りTwitterを更新し続け、3日後には非難のリプライは来なくなったのであった。
当時拡散していた彼らはとっくに忘れて彼女で抜いているのではなかろうか。
2018年9月、応募者を募集するポスターに「IT社長と結婚したい人!」「有名人と熱愛したい人!」などと書かれており、
女性が男のために音楽を志していると思っているのか、ということで女性蔑視と批判された。
ロケットニュースやしらべぇなどに取り上げられる程度には拡散されていたが、運営のワーナーミュージックからは特に何も反応はなく無事企画は終了。
この企画で結成されたバンド、コインロッカーズは現在も活動中。
当時怒っていた彼らはまた次から次へと企業広告の粗探しに夢中である。放っとけば消える台風のようなものだ。
そもそも炎上っつーのは被炎上側と炎上させる側の価値観の違いが原因なんだ。
だから被炎上側がどれだけ頭をヒネっても炎上させる側を納得させることなんてできないのよ。
アツギ「ラブタイツ」について謝罪。ほれ見たことか!目も当てられないリプライ欄だ。馬鹿だなあ。
https://twitter.com/ATSUGI_jp/status/1323598533778239489
謝罪の一時間後、待っていたかのように大手メディアに報道される(日テレNEWS24)。
https://news.livedoor.com/article/detail/19164489/
本当に参った。何を書けば良いのか分からない。
何故だろうか。コーヒーを飲んでいないので脳が働いていないのだろうか。
何かを書きたいという気持ちはあった筈なのに、いざ文章としてアウトプットしようとするとそこで固まってしまう。
本当に困った。とりあえず今はリハビリと準備運動を兼ねてこんな文章を書いている。しかしこれもまとまった意味のある文章になっているとは思えない。
書きたい事、書かなくてはならない事はしばらく何もしない内に「もう何もしなくて良いや」という気持ちに向かってしまう。一度積んだ本やゲームに中々触れなくなるような物だ。
人間のやる気は決して無限ではない。簡単に捻りだせるほど体内に溢れている訳でも無い。やる気に満ち溢れていた時期がどれ程幸せだったか、今分かる。
とりあえずその内何かを始めるような気はしている。期待せずに待っていてほしい。誰の目にも止まらないかもしれないけど、きっと日記を書くから。
「息子が交通事故にあって重体」というツイートに対するマウント
@kinkinkikikikin
返信先:
@taikowaka2
さん
私は交通事故で頭を強く打ちました。
その場に医者はいなかったですが通行人が大丈夫か!大丈夫か!あんたは生きてる!!って声が聞こえておきました。
ぜひ大きな声で名前を呼んでください。
戻ってきます。
@Ryo67574670
·
7時間
返信先:
@taikowaka2
さん
悪いのは100%加害者です。お父さんもお母さんもご自身を決して責めないで下さい。
父が交通事故で三途の川を渡ろうとした時、当時4歳だった兄が手を握り父を呼び続けたその声に連れ戻されたと言っていました。
お子様、耳は聞こえています。
0shio
@karimerosetsuko
·
返信先:
@taikowaka2
さん
私も昨年飲酒運転の車に右から轢かれ3日間意識不明の重体でしたが、3ヶ月リハビリしたおかげで今は杖も無く普通に生活しております。
つなぽん
@tunatuna_01
·
2時間
返信先:
@taikowaka2
さん
もう30年近く前になりますが、道路を渡っていたところを車にはねられて3日間意識不明でした。私が8歳の時のことです。左肺はほぼ機能していませんがそれ以外は元気に、何不自由なく生活しています。子供にも恵まれました。きっと私のように事故から生還できると祈っています。頑張れ。
@u6xbUsyDexN72B1
·
6時間
返信先:
@taikowaka2
さん,
@Orange_DrFlower
さん
私はICUで生死を彷徨った時、遠くで聞こえていたのは看護師さんの励ます声イイね意識無くても聞こえています四つ葉のクローバーいっぱいの愛をゆっくりと優しく耳元で語りかけて下さい無表情お子さんは必ず聞いていますm(_ _)m
masako
@NRlDBAB26ba3wFn
·
7時間
返信先:
@taikowaka2
さん,
@yumi0428company
さん
私の息子も手術中の医療ミスにより意識不明になりその時は祈り続けるしかなく朝方突然息を吹き返し意識が戻ってきました。だからきっと息子さんも目を覚ましてくれます
丁寧な説明をありがとうございます。カメラとしての操作系とかファインダーの見やすさなどを考えるなら、今まで使っていたCANONのEOS 80Dの方が良かったような気がします。ただ、山登りとか長期の海外旅行などで首にぶら下げて歩くときの負担感が半端でなかったので、軽いカメラを求めてα6600を買った次第です。
カメラ屋で相談したときは、私の手持ちのレンズと今まで使っていた機種からしてEOS 90Dを推されたのですが、「それじゃ今までと何も変わらない」と思ってソニーにしました。カメラ屋は有無を言わさずマウントコンバーターを付けてきました。その時は高倍率のキットレンズが付いてきただけでそれ以外のEマウントレンズが手元になかったので良い買い物でした。
私は某写真サークルに属していますが、その中でも熱意や腕前やセンスの違いがあり、一所懸命早起きして有名撮影スポットに出かけ、極力人のいない時間帯に撮影に行って写真を撮ってくる人はマイクロフォーサーズ機でも素晴らしい作品を生み出すことができます。
私はそこそこの機材を持っているつもりですが、「アマチュアなのに睡眠時間を犠牲にして撮影に行くのは無駄」程度の熱意しかないので、仮にお金をかけてフルサイズ機を揃えたとしても、そんなに良い写真を撮れる気がしないのです。
むしろ高性能のカメラを追求するより、気楽に持ち歩けるカメラを持つことで、シャッターチャンスを逃さないとか、身近なところで良い被写体を探す努力をした方が良いのではないかと思っています。その写真サークル内にソニーのフルサイズ機ユーザーが何人かおり、その動体撮影性能に感動したのでソニーにしたところはありますが、フルサイズ機を持つことにこだわるあまり機材が重く、持ち歩くのが負担になってしまったら意味がないと思います。
フルサイズ機と大型レンズの組み合わせの方が高画質の写真は撮れると思いますが、小型軽量というのも重要なスペックだと思います。いただいたアドバイスに対するお答えにはなっていないかも知れませんが、とにかく今ある機材を使い倒すことから始めるのが良いと思っています。「やっぱりフルサイズが良い」と思ったらそれから買えば良いのです。水族館のように光の少ないところで撮ると「APS-C機はノイズが多くてイヤだ」と思いますが、光が十分にある屋外で撮るならば、軽くて持ち歩きが苦にならないというのは大きなメリットです。
ソニーからCANONに戻すとか、ソニーのフルサイズ機を買い足すとか選択肢はいろいろありますが、外出自粛期間からのリハビリとしては、とにかく軽いカメラで写真を撮る習慣を取り戻すのが大事だと思っています。自分でも何を言いたいのかだんだん分からなくなってきましたが、画質オタクになるよりも撮りたいものを撮ることを優先したいというのが今の気持ちです。
月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験を所謂「オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。
月経カップはユーザー数自体が国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。
興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップのユーザーはメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザーは何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。
第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的に薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。
誰だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから、自分に合うものかどうか、各メーカーの製品を比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。
「使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報もレビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか。
そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感や不自由を感じていたことだった。
ここで特定の生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。
言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップの使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。
苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。
しかし当然ながら何をより不快、苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。
それぞれ自分が安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観や個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。
加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我のリハビリテーションのようなところがある。
リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなたの身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢を自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか。
そういった性質と、元々ある程度各自でリサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。
そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。
しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップを使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。
私自身初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。
反面、拡散される中で月経カップユーザー側からすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。
ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。
この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである。
そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題がSNSでバズったとする。
紙ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンとかいうやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮系カルトの人が好みそうだよね」と特定の思想や集団と結び付けられたり、「公共のトイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブな意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ちが理解いただけるのではないだろうか。
意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人の領域に踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベートな身体・健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか。
最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手なイメージや想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。
一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまったことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。
使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。
月経カップのメーカーのHPなどには身長体重や出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。
レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズやさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初の月経カップは自分で選んだ方が間違いがないと思う。
また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャーな月経カップメーカーの使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップは区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自で判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。
最後に、処女の場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーのペニスは入る方でも月経カップは最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。
ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。
◆追記
ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。
先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティや属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。
文章内で”マイノリティ”という言葉を使用したことに関しては、単に”少数派”という意味で使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。
そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザーを特定の属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである。
月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記がレポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。
また、「ナプキンのネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキンを使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記のコメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。
元々この日記はレポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴な発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート主個人の気を悪くさせる結果になってしまったことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。
警備員という仕事は望んで始めたわけではない。元々普通の営業マンだったのだが、一昨年に仕事の最中に事故にあい体が不自由になってしまった。
リハビリを必死で頑張ってなんとか元の体まで戻ってきたのだが、会社にはすでに居場所がなく車の事故を起こしたという冤罪を押し付けられた挙げ句に異動するか退社するかを選択しろと上から迫られたので、退社を選んだ。
事故に関しては自分が起こしたのではなく、同僚が私の車に突っ込んできたのが原因だった。にも関わらず、その同僚は私の運転中による不注意で起こった事故と主張し本人の確認もせずに、入院中の私にすべてを押し付けることに成功し、のほほんと仕事をしていた。
何を言っても会社は聞いてくれず、弁護士を通して話をすると伝えると不利になるのはお前だと言い放ったので頭に来て弁護士に頼んで裁判に持ち込むことにした。
結果は、会社からの示談。意味のわからない勝利である。同僚はクビ。示談で少しの金を手に入れただけで終わり、その果てに就職したのが警備業となった。
前置きが長くて申し訳ない。さて、警備員を勤めて半年経ったのだが…。
警備員という仕事は、ネット上で見かけるとあまり良い業種ではない。どこにいっても上手くいかない人が最後に頼る場所のような扱いを受けるのが警備員というものと思われているようだ。
薄給ではあるのだが、コロナ禍で唯一安定している一般の業種に感じた。というのも、コロナで失業が増えても警備は施設がぶっ潰れなければ必要とされるためだ。
特に国・県・市・区などが管理している施設などは安定している。
よっぽど能力が低くなければ継続して仕事が出来るし、ある程度の経験を積めば指導教の資格も取れるので給与の安定化が進む。
指導教の資格を持っていると、警備関係を携わっている会社からは喜ばれるので安定するのだ。
とまあ、そんな感じである程度安定はする職ではあるのだが…問題もあった。
担当する施設によっては睡眠が削られていたりするブラック的な会社も少なくないのだが、うちは多少ブラックに足を浸かっている感がある。
当務での仕事のため24時間の仕事にも関わらず許されている睡眠時間は3時間。業務が重なると2時間あれば良い方になる。
よくよく考えてみると4時間はないとダメだと思うのだが、やっぱりブラックなのだろう。
ま、それは置いておいて。
仕事自体はそれほど難しいものでもなく、分担さえきちんと出来ていれば楽である。定時巡回も楽である。散歩ができると考えればいい運動になる。
問題を起こすような輩もまれにいるが、平和な時はずっと平和な時間を勤務できる。ただ単に長い時間職場にいるという苦痛があるだけで。
就業してから半年経ったが、トラブルに巻き込まれたのはコロナくらいでほかは平和だった。
前述した通り、コロナ禍で失業が増えた中で安定していたのは施設警備だった。
したくもない転職だったが、周りの友人も失業し前職の職場でも大量のクビ切りがあったようなので、仕事を変えて正解だったと思える。
今も一定して求人には警備関係が掲載されているが、私がオススメするのは施設警備だ。
今の時期なら、オススメする。
1日1回、スクラッチくじができる。
1ポイントがたったの0.1円なんだが、最高2000ポイント=200円がでると、めちゃ楽しい。
実際には、1000ポイント=100円の割引券に交換して、コーヒーを飲むんだけど、お得感が半端ない。
コミュ障って言っても、全然喋れない方のやつじゃなくて、第一印象がピークの方のやつだ。
人に嫌われるのが怖くて、最初は明るく好印象なキャラで頑張ってしまい、でも演技が続かないから徐々にフェードアウトするタイプの奴。
長年染み付いたこのコミュ障スキルのせいで、友人学校職場、あらゆる場所からバックレ続けた人生だった。
いよいよ行き詰まり、どうして自分はこうなのか、と藁にもすがる思いで色々な本やら体験記やら読み漁った。
で、出した結論は、
ということらしい。割と納得した。
で、楽に生きるにはどうすればいいか?というと、
ここまではいい。
じゃあ、実際に自分の本心に無理のない対人関係を築くにはどうすればいいのか。
正直、今までの人生が対人関係の躓きで台無しすぎて、トラウマを量産してしまったので、人間が怖くて仕方ない。
ありのままの自分でぶつかるなんて到底無理だ、って思ってしまう。
本心を晒して傷付いたら今度こそ立ち直れない、とか言ってる場合じゃない。
だが、やっぱり傷付くのは怖い。恐ろしい。
もし今ネット上でどこかの趣味コミュニティに近付いたとしても、馴染みの偽社交モードで乗り込んでしまうだろう。
ネット上の人間関係は繋がるのも切るのも手軽すぎて、ちょっとでも変な奴だと思われたら人は離れていくだろうし。
とにかく、コミュニケーションというやつはいきなり実践から始まるのが悩ましい。
SNSには書くな、と上層部が言っているので、増田に書いてみる。書きなぐり。
1〜2ヶ月前から入院してる患者が最初の感染者。高齢で認知症と基礎疾患があって、かなりスタッフの介助が必要。ポータブルトイレへの移乗も手伝いがないといけない状態。
当然、かかわったスタッフも多く、陽性者がどんどんでる。
気がついたら5人越えててクラスター判定(保健所は5人以上をクラスターとして扱う)。
最初の患者さんの家族は陰性。最初の感染者と思っていたけど、その前に退院した別の患者さんが退院後に発症してコロナ陽性だったのが後で判明したので、そこが発端かもしれないけど、入院中は無症状だったし、入院していた患者さんで最初の人とは接触がなかった。
結局の所、どこから持ち込まれたのかわからなかった。無症状のスタッフからかもしれないし、患者さんからスタッフ、スタッフから患者さんかもしれない。
スタッフは当然休む(入院してたかどうかは知らない)ので院内にはいないし、入院患者さんで陽性の人達は、コロナ対応の病院に転院していく。結果、院内に陽性者は0。新規の発症がでるかどうかわからないので、病院の営業はほぼ停止。新患外来中止、再来は電話で再診できる人達は電話再診(新型コロナウイルス対応で、今だけ電話で処方ができる)。新規の入院受け入れ停止。リハビリ停止(リハビリスタッフが伝播するリスクが高いから)。
新規感染者がでなくなり、10〜14日経過して、やっと保健所の指示で通常営業が再開できた。
保健所がしてくれるPCR以外にも病院の負担でPCRせざるを得ず、こちらは病院負担で、かなりの負担。
やってみた感じかなりの無理ゲーなので、通常の予防してても多分どうしようもなくて(常時フル装備は現実的には無理)、医療機関でクラスターが発生した場合は、他のクラスターと同じには考えないで欲しい。
クラスターが発生するかどうかは正直、運だと思う。たすけて
叩かれたいとのことなので、叩こうか?
あるいはそもそも持っていないように見えたなら、
少し腹立たしく感じてしまうかもしれないけれど、
それでも焦らずに頑張ろうって励ましたり、
「君と一緒にこの道を歩きたいんだ」って語りかけるんじゃないかな。
もちろん求めるものは人それぞれだから答えはNOかもしれないけれど。
「そんなんじゃ悪い人に連れ去られるよ」って脅かすようなものだよ。
最後に、
「彼女の脚がすでに失われている」という可能性も覚悟しておくべきだと思う。
治らないもの、改善の余地のないものは受け入れるしかないんだ。
変えられるものと変えられないもの、それを見極めるのはとても難しいよね。
そして受け入れるのはもっと難しい。
当人にとっても、伴侶にとっても。
ついに30歳になった、なってしまった
20代を週3、4日程度のアルバイトやパートばかりで履歴書に書ける職歴は白紙、特技も趣味も志望動機も全部白紙、なんにもない女と、相成ってしまったのだ
18のころだろうか、急激に足腰の悪くなった母の介護で過ごして恋人もいない
まるで親の介護をしていたせいかという言い方だが親のせいだけではない
勿論30歳にして処女だし異性と手を繋いだ経験すら数えるほどしかない
交際経験は、続いたとして3ヶ月、セックスまですらも行かずに終わった物ばかりなので交際経験なしと言った方が早いだろう
おまけにコロナの関係で仕事をクビになって無職の引きこもり、やることといったら炊事洗濯家事くらいの物でなににもならない
とことんまでクズなのだが、せめて私が20代も前半ならよかった、まだ若いから許された
外に出ないから異性との出会いは完全にゼロだし(これは言い訳だ、どんな状況であれ出会う人は出会っている、)、こうなる前から異性に食事に誘われてもなにを話せばいいのか解らず結局どうにもならなかった
相手に不愉快な思いさせてしまったのだと言うことだけは理解できた、次もまたという世辞が恥ずかしくてみっともなかった
親はコロナが落ち着くまで外にでるのも怖いから、と仕事探しはゆっくりしたらいいと甘やかしてくる
家にいてじっくり面倒を見て貰えるのがうれしいと世辞を言ってくれる
暑くても雨でも寒くても足は痛む、リハビリに付き添いながら、関連書籍を読み込んだが
結局年齢によるもので根本的解決はないとばかりがかかれていた、あえていうなら筋肉をつけることだとわかった
私には実兄がいる、忙しく飛び回っているのでなかなか顔を合わせることは出来ない。それでも出来うる限りは安否確認の連絡をくれている
忙しい中で時間をとってくれて大変ではないだろうか、余り無理をしていなければいいがと思っても私に出来ることはなにもないのだ
そんな兄もまた、今は私家にいて母の面倒を見て貰える方が有り難いと世辞をくれる
それがいけない、甘やかされると甘えてしまう、元来甘やかされれば増長して驕る女なのだけれど
流石に今回ばかりはゆっくりしていていい年齢ではないのことは理解できる
自分は別に人間は恋愛をして結婚しない事を否と論じたいわけじゃなくて、
事実として、もしかして自分は所謂人を愛せない女のではないかと調べてみたことがあった
(あまりにも細分化されており本だけでは解らなかったがそういった人たちのいるお店には人生で立ち入ったことがないので少々怖じ気づいてしまい足を踏み入れることが出来ず、結局よく解らなかった)
それならそれで一人でも生きられるように自立して生きる道を見つけないといけないと思っているわけで
というか、だけどそもそも前提として自立すら出来ていない人間が他者と生きるなんてもっと無理があるんじゃ、と余談だが色々と考えてしまう
私も恋人とまでは言わなくとも会話できる異性くらいはほしいと思っている
だけれど恋愛偏差値のあまりにも低い私は異性と話すとイコール恋愛に直結してしまう
これはいけない、相手に迷惑だ、とそこまで思ったがそもそも今は会話する相手すらいないのだった
それに、いざとなるとなにを話せばいいか解らなくて、会話が終われば酷く疲れて気持ち悪くなってしまう
人と話すと疲れるものなのは当たり前だとは思うけれど、これではどうにも恋愛に発展しようにない
友愛は解る、友人と遊びに行くのは大好きだ
それでも終わって帰れば疲れが出てしまう
その上恋愛としてデートという名目がつくとなにもわからず気持ちが悪くなってしまう、比喩ではなく、戻してしまうのだ(汚い表現になってしまい申し訳ありません)
あまりにも相手に迷惑だと気がついてから、誘われても余りに乗らないようにして今となってはお誘いはゼロで
閑話休題、とくとくと私のどうにもならない恋愛に関して吐露してみたが差し当たっての問題は恋愛よりも仕事だ、お金が必要だ
それは少し寂しいかもしれないけれど生きることは出来る
だけどお金は直接的だ
いまは、みっとももなくも貯金と親の金で何とかなっているけれどかこれからどうする
私にはなにもない、才能もなく、なにも特技がなく、性格もよくなく、粗忽でドジで、人に好かれるタイプではなくそれでいて不真面目だ
親は、恐らく余程のことがない限り私よりも先にいなくなる
いっそ順序が逆であればよいのにと言うのは余りにも身勝手な親不孝だろう
一人、初めて自立しなければならなくなるとき、必ず遠くはないいつかやってくるその時
その時に私に残された者は親の遺産の家が一つと、職歴一つなく自分一人で稼ぐことも出来ない女なのだ
兄に頼る? 忙しくも飛び回って、それでも常にこちらに気を配っている兄弟に迷惑をかけられる筈がない
子供の頃から色々とあった我が家のせいで結婚すら出来ていない兄にこれ以上の迷惑をかけるわけには行かない
私には、認めたくないけれど血縁上姉と呼ぶべき女性がいる、ちなみに父とは数年前数十年ぶりに事故にあったとかで緊急治療室で顔を見てから一度も会っていないが生きてはいると思う
姉は、今生活保護を貰って生きている
親を謗り、兄弟を羨み、自分一人で生きていくと行って夜逃げした姉は今どうしようもなくて、行政を頼って、生きている
それは別に悪いことではない、どうしようもないとき行政を頼るのは国民として正しい姿勢だ
だけどどうしようもなく、私は姉と呼ぶべきその女に自分の未来を重ねてならない
これは完全に私が姉への恨みの色眼鏡で見てしまっていることだって理解している
書きたいことを書いて、羅列も言葉もめちゃくちゃできっと読みづらいことこの上なくて申し訳ない
私には文章を書く才能すらないのだ。なにも特技も才能も継続する力すらもないまま、30歳だ、ハッピーバースデートューミーだ
日々、明日も生きているという事に恐怖する
電車に乗りたい、正しくは乗りたくない
電車を見逃して、見逃して、ぼんやりと過ごして誰も自分も見ていない
雑踏の中でただ一人何時間も何時間も過ぎていく電車を眺めたいと思ったのは、恐らく思い出が美化されているからだ
結局あの時は帰路の電車に乗り込んでいつも通りにただいまといった
あのときはそれが正解なんだと思うと、言った