はてなキーワード: リハビリとは
義母は農業を営んでいて、いつもなら絶対家に顔を出す時間に帰ってこなかった。
もしかして、と思い探してみてもいない。
そして、家から離れた畑の、かなり見通しの悪い場所で発見した。本人が言うには、5時のゆうやけこやけが流れた瞬間にガタッときたと言ったから、もう1時間は経っていた。
私は救急車に付き添いで乗り、夫に連絡を取り、病院でおちあった。
今夜が山です、と救急医が言ったので、夫は弟2人と連絡をし、私は車で帰宅した。
眠れない夜を過ごした明け方、意識が戻った、話せる状態ではある、とLINEが入った。
朝一番の新幹線で我が家にきた義弟が、おかあの容態はどうなんだと詰め寄るので、病院に連れて行った。
次男はその場で泣き崩れ、三男は無言で神妙な顔をしていた。
義母も含めた私たちのかかりつけの病院の入院承諾書には、もし患者が入院費が払えなかった場合の、同居家族以外の連帯保証人と保証人の2人が必要だったのだ。
次男は俺が連帯保証人で構わんよ、と二つ返事で署名捺印したが、問題は三男だった。
三男の妻、私から見ると義妹は、中流よりちょっと上というか、わかりづらい例えをすると子供の服を西松屋ではなくアカチャンホンポで買うような人たちである。
それに、私(たち)の名字を使う代わりに、資金とローンを出しあって二世帯住宅に住んでいて、まあ、事実上婿入りなのだ。
なので三男は、義父さんに許可取ってみるわ、と電話をしてみた。すると
と言われる。
三男が言われた通り送ると、それでも納得いかないのか
「娘をそっちに遣るからそれまで何もするな」
と言われたようだった。
私はとても気が短いので、んなことしとる間があったら義弟らをはやいとこ義母に合わせたいんだが、と奥歯をギチギチ言わせていた。
2時間くらいで義妹到着。全員揃ったから病院に行き、夫と義母に会った。
次男はその場にうずくまり、三男は固まって神妙な顔で、義妹は涙を流していた。
そして主治医の説明で、義母は発見が割と遅かったので、後遺症の残る可能性が高いだろう、と言われたと夫が言うと、皆再び同じ反応をした。
さて帰ろう、と病院を後にしようとすると
「まだ待って!」
と義妹が言い、相談員のところに行こうと言う。
義妹は看護師なので、まあ腑に落ちない点でもあるのか、と私は思ったし、何故かまでは知らないが皆義妹について行った。
・義母が完全に治る見込みはあるのか(主治医が難しいって言ってたじゃん)
・治らなかった場合、手帳や社会保障などはおりるのか(後遺症の度合いによらないか?)
と、心の中でツッコミを入れながら
「あ、これは火の粉を払いたいんだな」
とさすがに気がついた。てか全部入院2日目にする質問じゃないだろうが。
で、家に帰ったら、今度は三男が夫婦で
と言ってきた。
これを聞いて2人を引っ叩きたくなったが、夫が私の服の背中を引っ張り
「お前、部屋でジッとしてな」
と言われた。夫はこういう時に私が激昂して何を口走るか、何をしたものだか分からないのを知っていたから。
そして色々な部屋で色々な棚を探す音に耳を塞いでいてどれくらい経っただろうか。夫が
「おぅ、もう出てきて大丈夫だぞ」
と言ったので出てきたら、居間で義祖母のアクセサリーケースを品定めしつつ
「金になりそうなもんはねーな」
と言った三男の頭を後ろから殴って、全然大丈夫じゃない、と夫に平手打ちを喰らわせたくなった。
その家探しも無駄ではなかったのかもしれない。
義母が入院保険に2つ加入してることが判明し、半年間は一定額が保障されるのがわかったから。
そして保証人のことは私が実の弟に頭を下げることで決着がついた。
「うちよりも親類縁者が多いのにどうして僕に飛んでくるのかは知らんが」
そして話は飛んで、年も跨いだ頃、どうしても最後の入院費が10万円足りない計算になった。
長男である夫が、俺が4万払うから、お前ら2人で3万ずつ折半して払ってくれないか?と頼んだ。
三男は嫁が払えない、というから、申し訳ないが払わないと言う。
次男はその頃事業が破産宣告間近とかなんだかで、三男に乗っかり払うのを渋った。
私は怒りに怒ったし、夫もここまでくると堪忍袋の尾が切れたのか、次男は俺が怒ったは逆らえないヤツだから、お前は三男をやれという。
こいつが全ての元凶だろ、と思い、義妹に電話をかけ、私たち長男夫婦は、同居してる身だから見舞いや着替えの交換、リハビリの見学や介護認定も同伴して、あなた方より入院費も多めに払ったというのに、何故そんなにも金銭的なことへは手をださないのか、と。
すると
「あのですね、私たちは3000万のローンが残っていて、福祉に頼っていられる身でもなくて、子供もあと1人欲しいからカツカツなのに、その上3万なんて払ってられないです!あなたたち持ち家持ち土地でしょう?それ、あなたたちが自分のお金で買ったものでもないでしょう?収入だって、今まで義母さんの分があったんでしょう?逆に、なのに何で私たちに払えって言うんです?!」
確かに私障害年金もらってますけど、年間80万くらいでして。一家の服は全員ユニクロでして。持ち家持ち土地とはいえ固定資産税がかからない程度の資産価値しかない場所にありましてね…?
もう何もかも言う気が失せ、わかりました、こちらで払いますので、と電話を切った。
直後に
「お金のことばっかり言ってごめんなさい」
と絵文字付きのLINEが飛んできたけど、払いますって文言は全くなかった。
結局、私たちが7万円負担して入院費を全部出し切り、その後祖母が退院してきて、自宅介護生活が始まった。
そしてその数ヶ月後のお盆に、三男から何かの連絡で私に電話があり、その時、ついでのように
「ああ、娘が幼稚園に入園したから、嫁が休みを取りづらくなったから、これからは俺だけで帰る時は帰省するわ」
と言い、あーもうホントに交流絶たれたわーいやもういいわあそんなんと顔合わせたくもないし、とまた奥歯をギチギチ言わせた。
これを夫に話したらば、深いため息をついたあと、スマホを渡した。
そこには、Facebookで3万円を渡さなかった家族が、あの後の日付でアメリカのディズニーランドで幸せそうな笑顔でピースサインを出している写真。
「お前に見せたら何するかわからんから黙ってたが、俺ら、ことごとく馬鹿にされてるよな」
と、いつもは冷静沈着ではあるものの穏やかな夫の目が、光の代わりに怒りで満たされていた。
〇脚本面
・シンジのリハビリ回である村パート、いうてトウジ・ケンケンに話しかけられてぽつりぽつり返答する程度の描写(ほぼアヤナミの田植えやんけ)から
どこをどう汲み取ると「ゲンドウと対峙できるほど成長した碇シンジ」に対する納得感が得られるのか.
・せめて「村の住人にニアサー張本人であることが露呈したうえで受け入れられる」ならまだしも(それが見たいかというとかなり陳腐だが....)
・前作で大怪我負ったシンジがようやく軽いトレーニング程度できるようになったくらいで、そこから特に進展なくいきなり対ゲンドウ戦に入って
・アヤナミレイ液化がキーとして、いうほど会話してたか????
・ゲンドウ勝利後のアスカ・カヲル・レイ、完全に消化試合のような尺と進行
・旧劇場版ラスト出してきて、「僕も好きだったよ」の一言でケンケン宛に郵送すな
・マリ、どちらかといえば他者というよりかなり都合のいいアニメキャラそのものでは
・村パートで止め画カット(田植えと水量測定)に声だけで進行するやつ出すとは思わなかった。劇場版でやるか?TVでやるならまだしも
・3DCG、これは好みでいいと思うが、やはりネルフ本部から棒立ちMark.07(あるいは冒頭の猫ドローン)が出荷されるシーンで笑う
・マイナス宇宙・ゴルゴダオブジェクト→ウルトラマンからの円谷撮影スタジオ、これ「こういうの好きだよな庵野監督」以外で必然性を説明できる人いるのか?
・特撮スタジオ出してメタ演出(ミサトの部屋にエヴァ二体は笑うが)、のわりにゲンドウ独白パートが比較的すなおな演出になっているの、
ちぐはぐな印象が凄い、そこは普通にやるんだ.
・巨大綾波レイ頭部、あれ演出上ああいった質感と言われたらそうかもしれない、だとしたら首から下は旧劇場版作画を使用している意味がわからん、
どちらかといえば顔だけつくったが身体はどうにも前回のやつ使うしかない+作劇上あとは手は動かせないとまずいよね、の結果が、
あの「頭部と手だけ分離している綾波レイ」なのでは
・どう贔屓目に見てもアニメの表現力が旧TVシリーズより下手したら苦しい感じなの、これカラーの生産能力の問題なのか、
本邦全体としてもうアニメを描ける人が少なくなってきているのかどっちなんですかね。
〇シンエヴァ
過労で半身不随になった夫婦共通の知り合いのお見舞いに、メッセージカードを書かなければならなかった。仕事中の夫と外で落ちあい、スマホのインカメラで笑顔の写真を撮る。スマホからチェキを出すことが出来る小さいプリンターを私は持参していて、それで撮ったばかりの写真を出力し、ポスカでメッセージを添える。
『リハビリがんばってください。みんなまっています。またお会いできる日を楽しみにしています。(夫婦連名)。』
ねえ、こんなカード、もらってもうれしいと思う? 過労で自分を殺した会社からのカードなんか?
私は夫に聞く。さあ。どうだろう。でもこういうのは、もらう側の問題じゃなくて、出したい人がいるんだよ。夫は笑う。
知ってる? ◎◎さんがさ、カード貼るために買ってきた色紙、ハート型なんだよ。
私も笑ってしまう。
なにそれ、ハート型の色紙ベッドに飾るの?
夫は私に言う。
それは、ええと――私が、短歌が好きで。
知ってるよ、それは。
短歌をね、いい感じの写真の上に書いたら気持ちいいかなって思ったの。でもチェキは小さすぎて、57577を書けなかったんだ。
そこで、耐えきれないというふうに夫が吹き出した。
ごめんなに? ねえ、なに? いい感じの写真? なに? もう一回言って。
いやだよ。恥ずかしすぎて言いたくないと私は答える。石碑に彫りたいくらいの迷言だったよと夫は言う。
いい感じの短歌を、美しい写真の上に書くんだよ。と私は諦めて言う。
そういうことが必要なときはあるんだよ。過労になった相手にハート型の色紙を贈りたがる気持ちと、本質的には同じことだね。
『ぼくたちはこのくらい夜を生き延びて回るすし屋で再会をする』
一人で居る時の独り言が増えた気がする。
たぶん、既婚だろうと未婚だろうと変わらず増えただろう。
誰も居ないことを確認しつつ「トイレに誰も居ないといいなぁ~」とか呟き
「やった!ウンチし放題じゃん!」とか呟いてた。
あまり話すことは無い。
おやつの時間に少し話したり、トラブルについて隣の席の人と少し話したりするだけ。
昔と比べてネタが減った。
旦那は今更PS4で私が途中放棄した「ニノ国II」をやり始めた。
旦那は気になってしまうようで需要と供給が成り立ってない……悲しい。
なんだろうなぁ。
ただの雑談ができる友達はいるけど、ふとした瞬間に「話そう!」って言って
電話で話せる人が減ったんだよね。
友達は大体既婚なんだけれど子ども居ないから会話もできると思ったんだけど
まだ二十代なんだけど、最近露骨にゲームする体力の限界を感じていた。
せっかく買ったゲームを、時間はあるのに30分くらいやったらもう今日はいいか〜と投げてしまう。最悪ストーリーの途中で触らなくなる。勿体無いことしてるなと思いながらも、本当にやる気が出なくなる。
魅力があるゲームに出会えてないとかそういう問題じゃない。ソシャゲに慣れすぎたせいで、敵に倒されたときにコンテニューもできずにキャラクターを鍛え直すのがもう面倒で面倒で仕方なくなった。シナリオが売りのゲームだと尚更そうで、この先が知りたいのにレベリングやプレイの試行錯誤するのが面倒!飽きた!で投げてしまう。30分以上そういうことを強いられるともうダメ。Youtubeで実況見ればいいかな〜で終わってしまうようになった。
ストーリーがほぼなく、戦闘が数分で終わるスプラトゥーンや、ストーリーがすぐに終わってあとは好きにやり込みでいいポケモンが続けられているのがその証左で、ストーリーを読む/ゲームを進めるために同じ作業を繰り返すことが本当に楽しくなくなってしまった。もちろんソシャゲでも周回はあるけど、画面を見なくてもながら作業できるくらいには効率化できたりオートがあったり、移動時間にやるからむしろ操作してないと暇だったりするし、最悪強敵にはコンテすれば良いのでぎりっぎり続けられている。でもそれだってギリギリで、好きなキャラのイベントの時とかじゃないとしっかりはやれていない。
だからウマ娘もダメだろうな〜と思っていた。ダメじゃなかった。できた。今日は三時間やっていた。ガチャゲーだから始めたての今は全然カードが揃っていなくて育成キャラと噛み合わなくて上手く勝てないし、コンテには制限があるし、一プレイに一時間前後かかるが、普通に続けられている。すごく楽しい。自分、体力あるじゃ〜〜ん!!ってなっている。
もちろんウマ娘のイラストやキャラの作り込み、モデルの綺麗さが理由なのもひとつだが、それよりも「スマホゲームで育成のやり込み」っていうのがすごく自分に刺さったんだろうなと思う。案の定パワプロとシャニマスも触ってみたらすごく楽しかった。昔の倒せない敵のために何時間も周回したり、動きを考えて試行錯誤する楽しさが一気に甦った。
理由はもう簡単で、移動時間とか待ち時間とかそういうロスタイムだから周回を苦に感じないんだと思う。ゲームは好きでやっていること、やっていることなんだけど、空き時間、何をやってもいい自由な時間を全部それに費やすのがたぶん自分は相当体力を使うというか、飽きやすくなってしまう。家でサブスクで映画を見るとき、他のことはなにもせずに二時間映画に集中するのは難しいが、映画館で映画を見るとき、飽きたな、途中で何かしたいな、とは思わない感覚に近い。他にすることがない環境ならまだ楽しいんだな、こういうゲーム、としみじみしてしまった。まだ試行錯誤しながらゲームをする体力あったんだな。
そういうわけなので、自分みたいな据え置きゲーム投げちゃうマンにはスマホの試行錯誤ゲームが向いてると思います。ソシャゲなので課金して多少ゴリ押せちゃったりするしね。これでリハビリして、またぽちぽち据え置きゲーにも戻れたらいいなと思うし、戻れる予感がする。
でも転職活動は弾を打ち続けるの大事。結局最初の面接こぎつけるまで3ヶ月、仕事決まるまで8ヶ月かかった。
合わなかったら2年で別の会社に転職するつもりでいたし、すげえ安く見積もられると次の転職のときに買い叩かれるから吹いてでもある程度の金額のところな。
あと、ちゃんと転職エージェント使って。それも数社。最初の転職のときは5社通した。
面倒だけど職務経歴書書き方だけで全然書類通る率変わるから、一度ちゃんと指導を受けたほうがいい。
担当者がムカつくところは無視してOK。安い転職しか持ってこないのも価値がわかってないから適当にながしておいてOK
登録しておくだけで別の担当者からアプローチあっていい話につながったりする。
あと、英語だけはなんか資格とっとけ。IT+英語これ最強。どっちも適当でもいま有力人材。
英語苦手ででもTOEIC600位まで頑張っておけばなぜか案件ねじ込まれる。840超えてればたいていイケる。実際働き出すと900超えてても無理な人は無理なんだけど。
転職エージェントはIndeedだけじゃなくて大手と外資専門狙って。あと、怪しげな個人は合うだけ無駄だけど電話でなら話聞いてもいい。電話で説明出来ないのは大した案件持ってない。
ITというか開発の手順わかるだけで外資で日本語環境開発の仕事結構ある。
一番やばいのは自分のメンタル。本当にこれすっごいキツい。けどまあ、妄想逃避とランニングでなんとかした。市のプールで水泳もいいかんじ。
最初の3年引きこもってた後の転職の頃は本も読めないくらい。今全然読める。本当8年前頑張ってよかった。
あと週数回のバイトとか単発もののバイトとかで生活費の足しにして。社会復帰のリハビリにもなるし。
カネがないと転職活動もできないけど、カネを使わないとしんどいのも解消できない。
本当おっさんがんばれ、超がんばれ。
追記:
仕事上の知り合いも増えた。飲みに行ける間柄の人もできた。
立場もそれなりにある。慣れてきたからこそ職場で自由にできることが増えて楽しさもある。
でもそれが本当にやりたい仕事なのかと問われたら違う気もしている。
地元にいたときにしていた仕事が私の中では天職であったと常々思う。
あぁあの時結婚を決めなきゃよかったな、地元に残っていたら、職場に残っていられる道を模索していたら…
この先の人生どう生きようかな、と悩みながらも仕事柄すぐにこの世を去ることもできず、もちろんそんな勇気もなく。
ただ、数年前に若くして自ら死を選んだあの子のことをことあるごとによく思い出す。
最後のその勇気に、その道を選ばざるを得なかった彼女の気持ちに少し共感したりもしながら。
昔の自分じゃなくて今の自分ならもう少し彼女と楽しく酒でも飲めたかなとか思いながらワイン空けてる。
そんな中で、さすがにちゃんと生きようと思いたち、新しく出会いを探しはじめた。
でもなんかもう以前のように人と付き合えない。
関係をどう築いていったらいいのかを、ここ数年ですっかり忘れてしまった。
いつか裏切られるのではないか、この人は去っていく人なのではないか、また傷つく日々が始まるんじゃないか、
なんていう不安を感じて先に進めない。
自分でもそんな不安を感じていて馬鹿だなと思う。あほだと思う。
適当に知り合っては適当に飲んで、ほどほどに泥酔してはその場のノリで持ち帰るかどうか決める
なんていう馬鹿みたいなこと30過ぎたバツイチの女がやっている。
ただの馬鹿だと思う。
だけど今の自分がやれるリハビリの中の最初のステップのようにも感じてる。
人と関わりを持つことへの億劫さが少しずつ克服できるかなと。全くもって良案ではないけど。
あーただやりたいだけなのか私。
女は30過ぎてから性欲増すんだっけ?ほんといらねえな。
そういう関係になるだけなら深い関係がいらないから私にとっては便利なコミュニケーションツールなのかな。
再起できるのか、私。
やっぱ行った事ない店の方がいいか
一月十九日(火)
職場では三割のみの出社を目指しているのだが、自分はペーパーレス化を行う業務を行っているため、必然的に出社せざるを得ない日が多い。とはいえ、何とかパソコンだけでできる業務で一日を埋めて、週に何日かテレワークをしている。
今日はテレワークをしたので一度も家の外に出ていない。だからあまり健康的ではない。ランチを買って済ませる日もあるのだが、今日はたまたま冷凍食品の在庫があったのでそれにした。少しは歩く外食と、カロリーを抑えた自宅での食事と、どっちが健康的なのかはよくわからない。本当のところ、昨年のように毎朝近所を小一時間散歩してから仕事をするのが健康には一番なのだろうが、寒いので面倒だ。日没後はなおさらだ。それに、読書の時間も確保したい。
体力が落ちているのか、それとも単に自分が無精者なのか、帰宅後に家事をする気力がほとんどなく、小説を執筆する気にもなれない。ゲームさえしないことも多い。この日記もリハビリを兼ねているのだが、まとまりがなく、読みやすさをほとんど考慮していない。体力が落ちているのだとすれば電車で席が空いていれば座ってしまうからなのかもしれないが、行きも帰りも座れた日には、家事などをする気力が多少残っているようにも思える。
ところで、日曜日にジョギングの帰り、薬局でTENGAのソフトを買って帰ったのだが、袋をつけてもらえなかった。確かにあちこちで袋を有料化しているのだが、成人しか買えない製品に紙袋さえつけてもらえないのには驚いた。コンドームを買っても紙袋なしなんだろうか。もしかしたら店員さんはいきなり成人男性がTENGAをぬっ差し出したのに慌ててしまったのかもしれない。紙袋もないのか、といくばくか動揺した自分も袋を要求することさえ思いつかず、ジャージのポケットにTENGAをそのまま放り込んだ。白いジャージに白いTENGAはすっぽりと隠れた。
TENGAそのものの使用感だが、ソフトのほうが通常のものよりもきつすぎず気持ちがいい。なんで久しぶりにTENGAを購入したのかといえば、自分が動画のおかずなしできちんと射精に至れるかどうか、ふと不安になったからだ。手の弱いグリップで腰を振りながら自慰をしようとするとかなり不自然な体制を取らなければならず、うまく興奮できない。少なくともソフトでなら、動画なしで射精ができることが確認できたのは良かった。二発抜いた。
あとは「メンズトレーニングカップ フィニッシュトレーニングシリーズ」でどの程度の刺激で射精できるかを確かめておきたいが、01から05までのうちどれがソフトと同じ強さなのか書いていないうえ、通販でしか購入できないのが難点だ。どうしたものだろう、カスタマーセンターに問い合わせてみるべきかもしれない。
(ここまで千百字ほど)
社会適応能力はあるのに今いる環境(職場、学校、家庭など)が悪いせいで心身を病んで本来の能力が発揮できていないタイプ。
こういう人は悪い環境から脱することができればリハビリ期間のようなものを経て徐々にまともな社会生活を歩むようになる。
本人が根っからの社会不適合気質で、せっかく良い環境に恵まれてもそれを活用できず無駄にしてしまうタイプ。
社会不適合な言動を繰り返す内に周囲に「こいつは何をやってあげてもダメだ」「こいつには関わらない方が良い」と愛想を尽かされ、後述のパターン3に移行するケースがある。
本人が根っからの社会不適合気質で、しかも今いる環境が最悪なタイプ。
周囲の態度は冷たく、誰からも助けを得られない。
状況によっては運良くパターン2に浮上するがこともあるがまたすぐパターン3に戻ってしまう。
パターン2や3の人が社会不適合になっている最大の原因は本人の生来の能力の低さだ。
そこから抜け出すのは容易ではなく、大抵以下のようなことになる。
本人にそもそもそうした能力が無いし周囲のサポートも無い(orたとえサポートがあってもそれを本人が生かせない)からだ。
彼らは自身の問題に根本的に立ち向かう努力を避けて都合の良い空想を始める。
「自分が社会不適合者であることには何か特別な意味があるんじゃないか。」
「自分には何か秘められた才能があるのでは?」
「自分は人とは違う崇高な存在だからこそ俗世と折り合いがつかないのでは?」
そうやって考える内に彼らはこの結論に行きつく。
「自分は他者から羨望されるような特別な存在であるべきだ/あるはずだ」
そこで実際に彼らに何かしらの芸術的才能や目標に向かって努力できる素質があればいいが、そうではないケースがほとんどだ。
するとどうなるか。
自分が才能を発揮できないのは生い立ちのせいだと過去を悲観し続ける。
優れた才能を持ち成功している他者を妬んだり「運が良いだけ」と馬鹿にしたりする。あるいは逆に過剰に崇拝してゴマをする。
事あるごとに他人と自分を比較して優劣をつける。彼らの世界には常に自分より上の立場の人間か下の立場の人間しかおらず、誰かと対等な関係を築けない。
そして彼らがこのままでは何も手に入らないことに気づくと、当初あった「自分が社会不適合者であるのは自分が特別な存在だからだ」という考えが「自分が特別な存在でいるには社会不適合者のままであらねば」という考えにすり替わる。
彼らにとって自身が社会不適合者であることは唯一手にしている「人とは違う部分」だ。
「特別な存在になりたい」という願望を手持ちのコマだけでどうにかしようとするのだ。たとえそのコマが本来であれば自慢できるようなものではなくても。
こうなるともう末期だ。
彼らは自分の社会不適合っぷりを勲章のように振りかざし始める。
それらしい診断名をネットで見つけてはそれを自称してステータスかのようにプロフィールに羅列する。
人の人生は苦しみが大きいほど価値があると信じ、幸せそうな他者を見ては自分の大げさな苦労話を持ち出して水を差す。
他者に被害を与えてそれを批判されると、自分は攻撃されたと感じ自分が一番の被害者のように振る舞う。
こうなってしまった人に対して他者がしてやれることはほとんど無い。
誰かの誠意ある諭しも励ましも彼らは求めていない。