はてなキーワード: リハビリとは
妻も母親も会社の上司も、揃いも揃って人の腰痛を過去のものにしようとする。
「今は平気でしょ」とか「以前腰痛だったでしょ」とか。
君たちがコロナの軽症が思ってたよりよっぽど辛いのと一緒で、ヘルニアの軽症もめちゃくちゃ辛いんだよ!
紹介状まで書いてもらって手術する覚悟で大学病院に行ったら半日待たされた挙げ句に5分の診察で手術するべき段階ではないって追い返された気持ちがわかるか?
何をするにも痛みとともにあって、激しい運動はもう諦めるしかなくて、手術したら以前みたく体の柔軟さも取り戻せるんじゃないかって期待してたのに、一度でもヘルニアになったら手術したところでそんな体には絶対にもどらないんだと!
それなのにちょっとでもつらそうにしてたら皆が口を揃えて「医者にいけ」という。
行ったんだよ!散々行って、リハビリも何年も通って、注射も打って、手術するつもりで大学病院まで行ったの!
治らないんだよ!症状を抑えることはできるけど、いつ何のきっかけで悪化するかわからないの!
毎日筋トレしてウォーキングも続けてても、悪化のスピードを遅くしてるだけでどんどん悪くなってるの!
もうさ。「もう治ったんでしょ?」みたいに言われるのが本当に辛くて悲しくなる。
毎日毎日ほっそい吊橋の上を歩いてて、いつ落ちるかわからないような不安の中で生活してるんだよ。
食べるもの一つとっても、ストレスとの向かい合い方一つとっても。
毎日つらそうにしてるとお前らが嫌がるから表に出さないようにしてるのに、勝手に治ったことにするな!!
腰痛はまじで辛い。
もう新しい人生を歩くしかないから考えないようにして前向きに生きてるけど、腰痛で奪われた可能性がどれくらいあるか。
昔は180度開脚できて、空手を習いながらいろいろな格闘技のマネやブレイクダンスの練習とかしてたのに、ある人を堺に全部できなくなった。
それでも無理にやろうとして劇的に悪化させてしまったこともあった。
今は子供に笑われるくらい体が固いけど、お前の父ちゃんは本当はすごいことたくさんできたんだぞ。
立て続けに「治ったでしょ?」扱いされて久々に悲しい気持ちになった。
腰痛の人がいたら別に優しくしなくていいから気持ちに寄り添ってあげてほしい。
たまに出る弱音をいちいち嫌がらずに受け止めてあげてほしい。
この人達が腰痛で苦しんだって絶対にバカにしない。そんだけ辛いこと知ってるからな。
外科的に軽症だとしても腰痛はまじで辛いよ。痛み以上に、できなくなってしまうことの多さが本当に辛い。
皆さんもどうか気をつけて。
引きこもったままでも良いという選択肢があるのは素晴らしい。かじれる親のすねがあるということだ。
ならば例えば、年齢が27歳くらいまでなら、
①今年は今のまま引きこもって英語の勉強をする。同時に、運動したり、人と話したりして、脳みそと人間関係のリハビリをしていく。医者や引きこもりの社会復帰支援センターなども活用する。
②親を口説き落として1~3ヶ月ほどフィリピン留学に行く。英語力のブラッシュアップと転地療法と海外慣れを兼ねる。
③海外へワーキングホリデーしに行き、働きながら金を貯めつつ英語をさらに鍛える。
④学費の安い途上国(フィリピンとか)の大学、あるいはヨーロッパの学費無料や学費の安い国を調べ、そっちの大学で学ぶ。学科はつぶしの効くものを選ぶ。
⑤英語力と、学歴と、あれば何かしらのスキルやポートフォリオと、海外生活アピールで、どこかの会社(日本でもいいし海外のどこかでもいい)に潜り込む
めでたし
とか。
日本は年功序列制と新卒一括採用制が崩れかかっているとはいえ、まだまだ人の意識は切り替わっていない。なので、この「一般的な」ルートから外れた人は醜いアヒルの子扱いだ。一度そのルートから外れた人が普通のやり方で元のルートに乗り直そうとしても無駄に難度が高い。
ならば思い切って海外に飛び出してしまい、海外で視野と活動範囲と能力を広げたらいい。そうして機会を日本の外に見つけ出すか、外から日本に戻ってくることで「色々あったけど海外で学んで帰ってきた人」という新しいポジションを活かして機会を生み出す。万が一、最終的に大してうまく行かなかったとしてもそっちのほうがずっと楽しい。
病院嫌いの人で、少し前から咳をして熱も出てたみたいなんだけど「大丈夫、大丈夫」と病院に行かなかった。
かなりの田舎だから周りにコロナの人も居なくて、楽観視してたんだよね。
心配性の母の懇願でやっと病院にいって「肺炎になってますね、2週間くらい入院しましょう」って言われて、親父も歳なんだな、何て思ってた。
抗生物質でよくなるはずだったんだよ。
でも、週明けたら酸素濃度がめちゃくちゃに下がって自発呼吸はできなくなって麻酔打って人工呼吸器。
地方のちょっとでかい病院じゃ対処できなくなって救急車で医大のICUに運ばれた。
びっくりだよ。
うそだろ?
孫も産まれておじいちゃんになったっていってもまだ60代だぜ?
薬が効いててなんの反応も示さねえの。
コロナ持ってて殺しちゃ悪いからな、なんて悪い冗談いって正月も帰らなかった。
あんなこと言わなければって、俺からも病院行けって言えばって、後悔しか浮かんでこないんだよ。
親父がICUに入って医大の先生の「全力を尽くします」を信じて待って。
いやー、しぶといね、うちの親父は。
5日たったところで病状は安定してきてICUは出てさ、なんとか意識も取り戻して、いまは一般病棟で良い方向に向かってるよ。
脳梗塞にもなった後遺症で麻痺が残ってリハビリ次第だけど脚を引きずるようにはなるかもしれないらしいけど、でも、一緒に話せて一緒に飯を食えるようになるみたいだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200524233706
1年が経った。
"知的障害者"とは書いているものの実際には身体障害1級の認定のみを受けており、知的面では障害認定はしてもらっていない。
ただ、リハビリ施設で発達度合いを診断してもらった結果、測定不能となる程度には知的なことが何も出来ない。
好意的に見て親である我々をうっすら認識しているような気がする、という程度で当然言葉は一言も発することは出来ないしおもちゃで遊ぶなんてことも無い。
病前、ことあるごとに買い揃えたおもちゃはホコリを被っている。
もしかしたら、いつか興味を持って遊び始めるかも知れないと思うと片付けることも出来ない。
そんな状態ではあるものの、大変幸運なことに身体面において回復の兆しが見えている。
なんと歩くことができるようになった。
こうなって初めて気付いたが、この社会において"歩く"ことがどれほど難しいことなのか。
車の危険性や信号の存在は当然認識出来ない。どんなに小さくても段差を認識出来なければ躓く。
手を握りしめて半分引きずるかのようにして歩かないと安全に移動出来ない。
言い聞かせる、なんてことが出来れば良かったのだけど。
2,3歳程度ならベビーカーでもいいのではと思っていたが、どうやら車椅子に乗って明らかに障害がある様子をアピールする方が良いとのこと。
そこそこ大きい子どもがベビーカーに乗っているだけで快く思わない人間がいるらしいと聞いた。
不意に心をえぐられるような体験をする可能性を下げる努力が必要だというのはなんとも言えない気持ちになる。
練習がてらに頑張って歩いていると、子どもとただ遊ぶつもりで話しかけてくれたり手を振ってくれる人達が案外多く、優しさに嬉しくなる一方で子が何も応えられないことにいたたまれなくなる。
車椅子に乗った子どもに対して話しかけて来る人はほぼおらず、それだけで「すみません」と言わなくていいのは気を楽にしてくれる。
実際に子どもが障害者となって知ったのは、意外と行政からのサポートがあり、予想通りサポートが足りないことでもある。
特別児童扶養手当やタクシーチケット、障害者控除等といった経済的なサポートはある。
それ以外は特にない、という感想。保育園に優先して入れてくれる程度はあるのかと思っていたが、普通に落ちた。加配保育士が必要な関係もあり、難しいことは理解している。
お金を貰ったところで息子が回復するわけでもないし、仕事をやめられるほどでもない。このお金で何をしろと言うのだろうか。
さらに両親の所得がある基準を超えると減額、そして停止されるものもある。もしそうなったら何のために税金を納めているのだろうか。
写真を撮ることは格段に減った。以前の写真や動画を繰り返し見続けている。
今も心から可愛いと思っているが、あの可愛かった息子はまだ帰ってきていない。
以前の息子がそのまま成長していたらどうなっていただろうと考えるのをいまだに止められない。
来年も今と変わらず愛し続けられるだろうか。
どうか。
なんか知らんけど人間の顔や年収の価値を低く見積もる人種ほんとなんなん?
性格がいい人が好み、大いに結構だと思う。でも年収が低い男と結婚したくないとか、顔が好みな女性と結婚したいとか、そういう望みを下卑てると批判するのは絶対おかしい
顔は老いれば変わるかもしれない。整形で良くすることも醜くすることもできるだろう
でもそれは性格だって同じことだ。俺の父は脳内出血で半身が動きづらくなり、リハビリも続かなかったことで性格が変わった。もともと父が専業主夫をしていたので家計に影響がなかったのがせめてもの救いだ。
年収だってあって困ることはほとんどないはずで、それを望むのはなにもおかしくないはずだ。年収の高い異性を求めるのは言い換えれば将来を見据えているのだ
お前がたまたま金より顔より性格に重きを置いていただけで自分が正しい人間だと錯覚するな
アイドルのような要望を結婚相手に求める人を「身の程知らずだ」と、年収の低い相手を結婚相手として切る人間を「貧しい人だ」と、人の好みにケチをつけるお前の心根は清らかなのか?それとも自分に無いものを相手に求めているのか?
相手にどんなものを、どの程度求めるかなどというのは好みの差でしかなく、そこに優劣などないし、その望みを満たす人が、同じように自分を好ましく思ってくれるかなど結局運でしかなく、どんなものを好んでいるかでは変わらない
昨日の朝っぱら、オーナーから「今日は15分早く来るように」とLINEがきた。でも、勤務表によれば、私の出勤時間の18時までシフトリーダーが入っていることになっていたので、15分カブってしまう。素直にオーナーの言うことを聞いたらシフトリーダーの稼ぎが減っちゃうけど大丈夫なのか? と疑問に思いつつも15分前に出勤。
わかんないならシフトリーダー本人に聞いてみればいいやぁ、と思い、直接「私15分早く入ったらシフトリーダーの勤務時間短くなっちゃうけど大丈夫ですか?」って聞いた。そしたらシフトリーダーは、
「あぁ、表では私6時まで入ってることになってるけど、あれは暗黙の了解だから。本当は5時までで希望出してるんだけど、オーナーは私が45分までいてくれるだろうと思い込んでるだけだから大丈夫よー。私は増田さんが来てくれたから予定通り45分で帰るわ」
なるほどわからん。勝手に18時まで延長されてるんなら、「17時まででお願いします」ってオーナーにLINEすればいいじゃん。少なくとも私はそうしてるし、だからといってオーナーが怒って私の出勤日減らしてくるとかはないのだが……?
このディスコミュニケーションぶりは一体。と思ったけど、今月私は風邪で2日も休んでしまい収入が8000円以上減ったので、早出させてもらえるんならありがたく早出させてもらう! たかが15分のプラスだが、そのお金で『進撃の巨人』の最終巻が買えると思えば頑張れる。
先週末は若干来客数が少なめだったんだが、昨日はまた客足が戻ってしまった。ごとう日だったからかな。いうて世の中そんなに25日以外がペイデイな人多いのかな? と不思議は不思議。
また皆様混雑を避けようとしてぱらぱら来店なさるので、私ども店員は一息つく暇もない。けれども珍しくAさんが休憩に入ってる間は数人しか来店しなかったので、Aさんは一度も席を立たずに休めたとのこと。私も一人で店番しても忙しくなかったのでよかった。
いつだったか、Aさんに西尾維新の物語シリーズを熱く推されて、私は『化物語』の上下だけは読んだことがあるけど、ビシバシ繰り広げられる登場人物同士の罵り合いと難解言葉遊びの頻発に振り回されて、内容がイマイチ頭に入って来ないので、以降西尾維新は読んでないと答えた。それでも物語シリーズはいいですよ! とAさんは言い続けたのだが、物語シリーズは育児疲労で弱った頭で読むのはきっついわと思って、まずはリハビリのつもりで『掟上今日子の備忘録』を読んだら、思いの外読みやすかったし面白かった。
と話すと、
「僕は掟上今日子は読んでないっすね……」
というハイパー気のない返事をAさんはするので、この人一生掟上今日子読まなさそうと思い、私は「なんか主人公がどうにもこうにも陰キャ非モテでしかないのに、『備忘録』のラストは諸々すっ飛ばしてリア充エンドだったので驚いた。面白かったから続編も後で読もうと思う」と言った。するとAさんは、
「実は物語シリーズもそういう所あるんですよ! 主人公はずっと思いを寄せていた相手がいるというのに、突然ポッと出の女に告白されたらそいつと付き合い始めてですね(以下長いので略)」
と言った。そうだったのか、そんな奴だったのか、阿良々木暦くんは!
特に今まで女性と接点が少ない人は、ソープ行くべきとまでは言わないけど、行ってもいいかなと思った。
今まで風俗ってお金払ってまででしたいかと思っていたし、飲みの会で女性からも言われたりしたので敬遠していた。
今まで、彼女一人だけいたが、セックスやろうとしてできなかったので自信がなくなっていたこともあり、
ちゃんとしたセックスの経験もないまま今まで来てしまっていて知り合いから女性の見方を変えるためにと風俗に誘われソープに行った。
結果としては、快楽としてより経験としてはなくはないかなと思った。
まず、一人でソープに行けるという勇気がつく。(そんな勇気はいらないのかもしれないけど)
意外と裸の女性を見ても興奮しなかったというのがわかったし、セックスのある程度の流れ的なものがわかったり、
将来もし彼女ができてセックスするときにもまた失敗して、さらに自信なくすより経験積んでおいたほうがいいかなと思った。
正直僕にとっては悲しいけど快楽場というより、リハビリに近い。
また、嬢が手際が良かったりすると逆にビジネス感があって萎えてしまうという事がわかった。
今まで、ヤクザがでてきたり怖い場所なんじゃないのかとかボッタクリされるんじゃないかとか、終わったあとに高額請求されるとか思ったりしていた。
一応ガタイがいい店員さんが出てくるときもあるが、一応こちらがお客さんなので対等に話せる感じ。
いわゆる風俗サイトに載ってるところは健全だし、料金も公式サイトは入浴料だけで全額載ってないものの、電話すれば教えてくれるし実際お金払うときに全額教えてくれる。
価格帯や場所によるかもしれないが、うちの地域は総額は入浴料の3倍+αの感じで、また有志が書いたレビューサイトに全額が書いてあったりする。
デメリットとしては、経験としては良いが、やっぱりやや出費が多い。病気を移される可能性が0ではないのがやや怖い。
正常位の挿入がうまく行かなったり、前半に1回抜いたら2回目が勃たなかったりと、2回中2回 嬢を困らせてて更に自信がなくなってる。
行くなら、なるべく悩み事をなくしてから行ったほうがいいと思う。
[B! 医療] 神戸市 施設で25人感染死職員が証言 “見殺しではないか”|NHK 関西のニュース
この記事とぶら下がってるコメントを読んで、ちょっと書きたくなった。
この施設ではないが、自分の親も介護施設にお世話になっている。
先日、地方都市にある入所施設から「職員にコロナ感染が確認された」と連絡があった。
今のところ入所者への感染は確認されていないが、今後のこともあって発覚直後に連絡をくれたようだった。
「遺族からは人殺しのように恨まれると思うとやりきれない 」ってコメントが書いてあったけど、まず、最初に述べたいのは、介護や医療関係者への感謝とお見舞いだ。
私のところは職員の感染までなので、自分の親が感染したり、亡くなっているわけではない。
だが、介護を担う親族としては、介護施設がなければ、自分は今まで通りの生活を送ることはできなかった。下手をすれば共倒れである。
そうならなかったのは、大きな負担となる介護部分を担ってくれたおかげだ。
それでも、人が行き来をし、濃厚接触になりやすい特性がある以上、発生は避けられなかったと思われる。
親族の立場だったとしても、すべてを施設のせいにするのは酷すぎる。
今のところ施設が矢面に立たされているが、本来は、政府や政治家が重く受け止めねばならない事案だ。
責められるべきは、感染が発生しクラスターを起こしてしまった施設や職員ではなく、無為無策な政府や政治家なのだ。
そもそも、政府や政治家は何をやってるんだろうという怒りを感じている。
介護を含め、医療を支える関係者の責任感と献身にいつまでタダ乗りするつもりなのか?
グダグダ政争をするのは勝手だが、国を救うために悪者にもなりきれない人間は「政治家」ではなく、くだらん「政治屋」だ。
しかし、救われるべき人たちが救われるなら納税した価値はある。
今現在、救われるべき人は救われず、自称「政治家」は有権者に味方ズラするだけでなにもしない。
国を救うことができる有効な手段と思えるならば、一時的に悪者になってもよいと考える政治家は日本に存在しないのか?
しょうもない相手に税金が垂れ流されているかと思うと本当に腹が立つ。
自分には、後期高齢者になった父親がいる。数年前に脳梗塞を発症した。
本人がどう思っているか知らないが、私と父親の関係性はよくない。
だが、兄弟親族もなく、どうにかできる人間は自分だけなので、最低限の対応をしている感じだ。
父は脳梗塞から驚異的な回復をしたものの、アタマのネジは数本抜け落ち、契約等重要事項に対する判断ができなくなった。
訪問ヘルパーを利用しても、住まいの周囲にサポートする親族もいないので、元の生活に戻すのは自殺行為だ。
その後、幸運にも特別養護老人ホームへの入所ができたので、施設の職員に助けられながら現在に至る。
父親が入所している特別養護老人ホームは、障害者支援施設、ケアハウスやデイサービスなど複数の福祉事業を行っており、階数によってエリアが分かれている。
昨年の3月以降、デイサービスは中止、対面はシャットアウト、外部との接点を絶たない工夫がされた催し物は内部の人間だけで少人数で行うなど、出来る限り接触の機会を減らしていた。
そして、先日知ったのだが、職員のPCR検査が毎月実施されていた。今回の感染も定期検査で発覚したものと思われる。
唯一、残念と思ったのが、ワクチン接種が間に合わなかったことである。3月に入った頃、ワクチン接種の確認書類が届き、承諾していたからだ。
施設からは、いつから開始になるか分からないので、先に承諾書を欲しいと言われていた。
もし、4月中に施設全体が接種を受けられていたら、コロナの発生を防げたかもしれない。
今後、自分の親が感染者の列に並び、最悪死ぬことになったとしても施設を責める気にはなれない。
自分の生活を守ってくれ、入所した父親にできる限りのことをしてくれた施設や職員に感謝する気持ちの方が強いからだ。
親が介護状態になるまで、老人ホームの種類を知らなかった。世間の多くの人もそうだと思う。
ニュースになっていた「介護老人保健施設(老健)」というところは、いわゆる「終の住処」ではない。
通常の生活に戻るためのリハビリ施設で、3ヶ月に1度行われる会議で継続か退所が決まるのだが、基本的には3ヶ月が上限だ。
ある施設に見学に行った際に伺った話では、継続するにしても最大2年が限度とのことだった。
そのため、入所者の入れ替わりが比較的多い。
規模が大きいし、「認知専門棟」もある。
また、単体施設では運営が難しいので、複数の介護施設があったり、病院が母体になってるのもよく見かける特徴だ。
コロナが収まる様子を見せない現状では、いかに施設が万全の対応をしていたとしても、入・退所者の動きは止められず、感染者を出してしまうのは必然だったとも言える。
この施設は医師や看護師が複数人常勤しているようだが、そもそも病院ではないので対応は難しい。
コロナの対応は病院でさえも難しいのだから、介護施設に対応しろと言うのがそもそもの間違い。
施設の男性職員が実態を知ってほしいと訴えるのも当然だろう。医療が崩壊し、無理をさせられた上でのクラスターなのだから。
そんな状況でも施設や職員の責であると言うなら、医療体制を整えられる可能性のあった時期を無策のまま押し通した政府に責任を問い質さなければならない。
こんな時期に開催したら、日本から海外にコロナを蔓延させることになる。
後世の歴史本に「あの時、日本がばら撒きました」って書かれたい人、どのくらいいるんですかね?
我が国の首相は、そこに名前を連ねたいのかな?悪評でもいいから歴史に残りたいっていうなら、まあお好きにどうぞだけど、我々を道連れにするのはやめて欲しい。
自分はものすごく運が良かったが、介護を担う多くの家族が救われていない現状がある。
仕事内容に比べて給与水準が低いのが一番大きい問題だと思うが、在宅介護を促進しようとする政府には疑問を持っている。
我が家は両親が離婚しているため、最終的に私一人で、二人をそれぞれ看取らなければならない。
一人で老人二人ですよ?
看取ったら今度は自分の番だけど、独身子なし、両親のおかげで親族とは没交渉な自分の後始末はどうすりゃいいのさ?と考えている。
今のところ思いつかないので、自分を始末できるお金を貯めて、相応の互助会に入ろうと計画してるけど、現時点でも積みな家族は多いわけで、正直在宅介護は「金・人・運」がある人じゃないと無理だと思ってる。
さっきの項で「老健(介護老人保健施設)」は「3ヶ月に1度行われる会議で継続か退所が決まる」と説明したが、これは建前だ。
本来の「老健(介護老人保健施設)」は、通常の生活に戻るためのリハビリ施設と位置付けられている。
当然リハビリの効果で症状が改善されれば、それぞれの家に戻っていく。
だが、実際はそうでもない。
父が退院直後に入所した「老健」には、半年、年単位で入所しているらしき方が同室にいた。
間違いなく「訳あり」の入所者なのだ。
「終の住処」たり得る「特養(特別養護老人ホーム)」への入所を希望する人は多いが、入所は非常に難しい。
居室の種類は個室(従来・ユニット)と多床室に分けられるが、比較的費用を抑えることのできる「多床室」の入所ハードルが異常に高い。
父がいる地方都市の場合、多床室は10〜12万円、個室なら14万円以上の月額費用がかかる。
利用料は年金の有無でも変わってくるので、あくまでも父親の場合だが、2〜4万円以上差が出る。
この「多床室」というのは、古い制度下で設置された特養や老健にはあるものの、近年新設された施設にはほとんど存在しない。
プライバシーを優先するため、居室タイプは「個室」が推奨されているからだ。
つまり「多床室」は増えていない。むしろ、このままだと今後減っていく運命にある。
そのため「特養が増えたから入所しやすくなった」というのは、やや正確性に欠ける。
なにせ「個室」は高い。
他の人と比べて年金をもらっている父親でさえ、それだけでは賄えず幾らかの持ち出しが必要になる。
中にはギリギリ賄えそうな施設もあったが、日用品の購入や今後の入院などに備えるためには、施設に年金の全額をブチ込むわけにはいかない。
介護において、絶対にやってはいけないのは「仕事を辞める」「自分のお金を持ち出す」ことである。
そのため、やや古い施設であったとしても「多床室」のある施設に申し込みが殺到するのも当然だろう。
私は「多床室」のある10施設以上に申し込みをしたが、介護度5で優先度が高めな父であっても待機順位は20番以内が多く、待機人数は100人を超えているのがざらだった。
また、部屋は性別で分かれている。女性の方が全体数が多いので割り当てられる部屋数も多く、男性はやや不利になる。
そもそも特養に入所するには、ほとんどの場合、既存入所者の「死」を待たなければならない。なんとも複雑な気持ちになる。
では、自宅で看ることが難しい待機中の人々はどうしているかというと、本来長期滞在ができない「老健」「ロングショートステイ」で待っているのだ。
だが、ひと月ほど退所期間があれば、集中的リハビリが受けられる3ヶ月の権利を再び得ることができる。
そのため、一旦退所した後、空白期間を作って再入所するという技が使われている。
それができない「ワケあり」入所者は、なんだかんだと理由をつけて入所期間を延長するが、集中リハビリは受けられないので、施設内をブラブラすることになるらしい。
自分も「老健」の退所期間が迫った頃、申し込みをしていた別の「特養」から「ロングショートステイ」を提案されたことがある(もう少ししたら枠が空きそうだったからだ)。
「特養」は「ショートステイ」を併設しているところも多い。枠が空きそうで入所できる可能性が出てきた時や、家で看るのが難しい場合に利用され、最大30日連続で利用できる。
そうやって裏技的な方法を使いつつ、なんとか介護を回している現状を見ていると「自宅で介護する」なんて絶対不可能である。
親を施設に入れるなんて…という人もいないわけではない。
でも、現実問題、自分の生活を守りつつ、フルタイムで自宅介護をするのは不可能だ。
介護休暇は年5日付与されるけど、遠距離介護をしている自分は全然足りなかったし、介護休業中は無給になるので、相当の理由がないと使いたくない。
親の年金を利用して家に入ってしまう子供もいるが、親が亡くなった後、相当の資産がない限り100%路頭に迷う。
だから「仕事を辞めてはいけない」し、「親の介護は親のお金でやる」が最低限のルールなのだ。
両親は離婚しているが、母親は介護施設でケアマネージャーをしていた。当然、施設の持つ裏事情、役所や施設間の駆け引きを知っている。
そこから得た知識と自分が調べた情報を使って、施設の本音を聞き出したことがある。相手も「わかっている」と認識するので、下手な対応には出てこず、いろいろな提案をしてくれたり、施設の事情を教えてくれたりもする。
私が申し込みした「特養」に関していえば、親切に応対してくれた相談員が大半で、無茶苦茶だったのは退院直後にお世話になった「老健」の相談員である。
相談員の中には、自分と利害関係を持つ、あまり質の良くない施設に送り込もうとする人もいるので、施設の種類や介護のことを全く知らないと危険なことになる。
悪者になってもいい、多くの人たちを救って見せると言う気概のある政治家はいないのか…。
追記書いたんだが、長すぎるので切れたw
これの件は誤解されちゃってるので、別の日記に書いた。
簡単に言うと「希望する特養への入所を妨害するような真似をして、個人情報ダダ漏れするちょっとアレな施設に送り込もうとした」相談員が「無茶苦茶だった」という話です。
老健自体は良い施設で、介護士さんや療法士さんには大変お世話になった。
それにしても、こんなに長いの初めて書いたよ…。
https://anond.hatelabo.jp/20210510164413
「その後、施設はどうなったの?」って話があるので、それも別のところで書く。
治療とリハビリを頑張ったけど一定以上の筋力は回復しなかった。寝たきりではないけどまともに歩けない。
父は自営業で特に動く必要がないので働けることは働けるけど日常生活は難しい。
親父が介護サービスを受けるのを嫌がったので俺が半年前に介護のために仕事を辞めて実家に帰ってきた。
実家には母親と結婚した妹も居るが二人で店をやっていて日中は店から離れられない。
消去法で俺は独身だし我が家で一番稼ぎが少ないから頼むわということになった。
ずっと付きっきりではなくて朝はコンビニの早朝バイトで日中はウーバーイーツで働いてる。
親父に呼ばれたときだけ家に戻る。
あのさ、
私が人生をかけて打ち込んでいる、
馴染んだキーボード変えてみたのよね。
気分転換で。
本当に気分転換よ。
なかなか最初というか、
エンターだと思って押したキーの箇所がカギ括弧押しちゃったりとさ、
だから、
早く新しいキーボードに慣れるのよ!
と言うか、
早く慣れてしまわないと仕事に支障をきたす感じも嫌じゃないかしら?
慣れないことすると肩が凝りそうだけど、
頑張ってたくさん増田を書いて早くなれるようになりますように!ってお星様にお願いするの。
そうしたら新しいキーボードも慣れてくれて私の手と足となってくれること請け合いよ。
椅子の位置やキーボードの置く位置も調整したいところなんだけど、
そうね、
いかにしてコードから人は文字通り縛られていたかってことが分かるわよね。
突如後から襲われそうになっても、
いままで、
振り向いてぶん殴るときどうしてもコードが邪魔になっていたけど、
即応戦できるわよ!
でもしばらくしても慣れなかったら元のキーボードに戻そうかなってぐらいあんまり慣れないわ。
すぐ3日もすれば慣れると思うからもう少しこのリハビリには付き合って欲しいわ。
慣れるまでのもうちょっとの辛抱よ!
でもさ、
パソコンを触ってる人って、
パソコンを買ったときについてくる500円ぐらいのキーボードでずっと我慢してるの打ちにくくないのかしら?って思うのよ。
みんな我慢して使ってるのかしら?
手が疲れたりしないのかしら?
もうちょっとそこに拘りを持っても良いと思うんだけど、
案外キーボード沼も大変なことになりそうなので、
ほどほどにしないとねとも思うのね。
あんまりキーボードをいかつい変なのにするとまた警戒されたりもするから、
あーでもさ、
光るキーボードあるじゃない、
あれもイキリイルミネーションかと思ってたけど、
真っ暗闇で打つにはめちゃ便利なことに気付いたわ。
手もとを照らす照明があれば、
それでいいと思ってたけど、
あれも使ったら画面に映り込んじゃって、
逆に画面が見にくくなるから、
お家で使う据え置きのキーボードに関しては
光らなくてもいいけど、
夜中にひっそりとノートパソコンを使う人には
便利なのかも知れないわね。
夕べ杉のこずえに明るく光る星一つ見つけました~ってな具合で、
あれはやりすぎだと思うけど
インスタ映えはすると思うので、
あれも一度はやってみたいところでもあるわね。
うふふ。
おのののかさんも困るであろう
あたたたかい自販機やコンビニの温かいゾーンも少なくなってくるから
実際におのののかさんが困ってるのかは知らないけど、
新しい初めて買うほうじ茶パックを試しに味わってみようと思って、
その違いが分からないのかも知れないわね。
まあなにしろ
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元、弱者男性だった
年収250万、非正規雇用、高校中退、ブサイク、コミュ障、中学不登校
もちろん彼女いない歴=年齢
家族仲は最悪で、俺が中学を上がる頃に両親は離婚。母親はパチンカスで、父親は前科持ち。妹は俺が家を出た2年後に失踪した。今も行方知れず
高校を中退してすぐは肉体労働をしていたが、ヒョロガリの虚弱で1年も経たずにバックれ、それから非正規で事務職を点々としてきた
出産でキャリアを断念した系の共働き主婦が多い。奴らは四大卒の元正社員だったりする
条件の良い事務職ははなからそういう女目当てで、俺がありつけるのは人が入ってもすぐやめるような労働環境で給料も周りより一段低い仕事だけ
そんな俺の転機は35の時の交通事故
歩道を歩いていて、はねられた
救急車で病院に運び込まれて、意識が戻って2日後に、身体の自由は戻らないかもしれないと言われた
初めはもちろん絶望した
何もない俺から健常な身体まで奪うのかよと世の中の理不尽を呪った
俺の見舞いに来るやつなんかいなくて、上司が一度来たぐらいだった
そのこともより一層俺を惨めな気持ちにした
隣のベットが、男子高校生(イケメン)と、現場作業中に事故ったDQNだったからなおさらだった
高校生の方には、彼女や同級生や先生がしょっちゅう顔を見せていて、DQNはDQNで上司や同僚や友人や家族が毎日押しかけていた
俺はそいつらよりもよっぽど重症だったのに、親すら見舞いになんか来なかった
入院の差し入れなんかもなかったから、看護師が同情して持ってきてくれた小説を読んで暇を潰した
子供向けじゃない、字の小さい本なんか読んだのはその時が初めてだったと思う
その時の白衣の天使が今の妻ーーなんてことはなくて、看護師は男だったわけだが、そういうふうに雑談をできる関係は自分にとって初めてだった
リハビリも始まって(残念ながら脚は殆ど元通りにはならなかった)、理学療法士とも関わるようになった(このとき初めて女性とまともに話した)
リハビリはとてもキツかったが、理学療法士に褒められるのは悪い気はしなかった
俺が努力してこなかったせいもあるがーーー、「努力して褒められる」という経験を初めてした
「達成感」というのはこれか、と思ったのを覚えている
毎晩朝が来るのを待ち遠しく思いながら眠りについた
多分向こうからしたらなんてことないコミュニケーションだったが、俺にとっては新鮮で、「こんなに人と話せるのだ」と誇らしくすらある出来事だった
少しだが、隣のベットのおじさん(その時にはもう配置が変わっていた)と話したりもした
入院期間が結構長かったのでちょっとしたお見送りまでしてもらった
そのお金で車椅子で暮らせるアパートに引っ越し、2年ぐらいは無職をしていた
役所の福祉課の人やソーシャルワーカーなんかにはかなりお世話になった
公務員なんてやな奴ばっかりだと思っていたが、本当に親身になって貰った
車椅子ユーザーや身体障害者のコミュティにも参加して、月1、2度は外出している
今も彼女は出来ていないし、コミュニティの外で会えるような友達という友達はいない(むしろコミュニティでもちょっと浮いてると思う)
相変わらず社会的には弱者で、むしろ健常者の底辺だった頃よりもずっと困難が多く、給料も低いけれど、生きていてそこそこ幸せだ
でも、自分にとっての不幸は金や彼女が無いことではなく、人と関わることを無闇に恐れていたことだったのだと気づけた
多分事故はきっかけに過ぎなくて、障害を理由に否が応でも人と関わる機会が増えたことが良かったのだと思う
障害者になって、俺は救われた
俺は10年前に鬱が悪化して休職した際に発達障害の診断を受けてリハビリの後復職して今に至るんだけど、
復職時に障害者雇用に切り替えた後、そこそこ理解のある企業や上司に恵まれたおかげで10年やっていけたのは分かってるんだけど
従来の人間の幸福からはどんどん遠ざかっているように思ってしまう。
まず自分のことで精一杯だから結婚なんて考えられないし、当然友達だっていない。
自分と同じような同類を探そうと当事者会を覗いてみたけどそういう場所は大抵社会から一線を退いた人たちがメイン層なので
俺みたいなのは「正規雇用されてるんだからラッキーだねよかったよかった」くらいにしか思われず仲間として受け入れてもらえない。
確かに彼らから見れば俺は社会に出られている分経済的には多少マシなのかもしれないけれど、
俺から見たら彼らは少なくとも俺のように孤独ではなくコミュニティを作れているし、羨ましいとすら思う。
それならと福祉のコミュニティを覗いてみたけれど、福祉の世界というのはより重度な障害者を優先するものなので
相対的に程度の軽い障害者である俺は必然的に重い障害者のサポートをすることになる。それがまた、ひどく疲れる…
普通に働くだけでも土日ぐったりするくらい疲れてしまうのに、なんで余暇の時間にこんなに疲れなきゃいけないんだ!?
結局この10年俺は家と職場以外に居場所を作ることはできなかった…
そして働く発達障害者のロールモデルを見つけることもできなかった。
他人と関わるだけでぐったりしてしまう俺はどうしたら幸せになれるんだろうか?
どうすれば居場所を作ることができるんだろうか??
誰でもいいから教えて欲しい…
b:id:otihateten3510 働く健常者のロールモデルも特にないんだこれが
そうなんですよね、今はもう従来の社会人のロールモデル(30代までに結婚して子どもを産んで家を買って~)が一部の人々にしかできない時代になっているんですよね。
従来のロールモデルを越えて人としての尊厳を保つことのできる生き方を模索していくしかないのかもしれません。
b:id:anatadehanai これ、発達障害に限らない普遍的な問題だと思う。家と職場以外の人間関係をどう作って維持するか。独身男性の孤立の問題なんかもまさにこれ。
はい、自分もそう思っています。金銭的な資本を持たない場合も対策が必要ですが、
それ以上に社会的資本を持たない人々をどうやって社会的に包摂していくか、というのがこれから社会全体で考えなければならないことだと思います。
ただ、自分にはそれを解決する為のアイディアもなく、どう考えどう動けば良いのか分からなくなっています。
つかず離れずの緩いコミュニティを作ることができれば良いのですが、まずそのような場を作ることすら難しいことがこの数年でよく分かりました。
b:id:leeyuu 私も長い期間を経てなんとか働けるようになったけど、似たような思いや経験をした。パイオニアとしてやっていくしかないかもしれない。Facebookで同じ病気の人のグループには入っている。
この記事を書いた者です。
読んでくださって意見をくださってありがとうございます。
ふと書いたことを思い出して見返したら、自分の行動の軽率さにブーメランがぶっ刺さってて笑いました。
確かに色んな方に意見を求めてたのは、自分の正当性を信じ切ってしまった結果であって、色んな方に迷惑をかけてしまう悪行ですね。反省します。
この職場はもう辞めたので、その後、後輩たちがどうなったかは存じ上げませんが、後輩のLINEのアイコンが楽しそうなので別れてはなさそうですね。元職場が元患者に訴えられなさそうでよかったです。
それはさておき、前に投稿した記事を敢えて性別も職業も詳しく書かなかったのですが、勘違いをしてる方がたくさんいたので、ねたばらしをします。
自分たちはリハビリの仕事をしています。後輩は男性です。元患者さんは女性です。がっつり腰を持ったり、脚を触ったりしてたんですね。
だから、なんかこう、性的に好意を持ってそういう風に接してたとしたら気持ち悪いなって思っただけでした。
休憩時間とかに元患者さんに声かけてあげてて、後輩は優しい奴だなって思ってたんだけど、きっとあれは好きだったからなんだろうね。
先輩に、こんなに人を好きになったの初めてなんです、って言ってたもんな。いや、知らんけど。
元患者さんも、自分との治療中、彼氏が連絡してきてくれなくてつらいって話をしてて、その彼氏と別れてすぐに(たぶん一週間くらい?)後輩に乗り換えてたので、誰でもいいのかなって思っちゃったんですよね。
そういう経緯があるからなんか素直に祝えないな、って自分も嫌だったんですね。
うん、忘れたいくせになんで掘り返してんだよ、ってコメントがついてましたがその通りですね。
これ以上は思い出さないようにしたいです。
ともあれ、先輩のようにフラットな感情で、俯瞰的に物事を判断して、落ち着いて行動できる人間になりたいものです。
そういえば前回の締めの言葉が気持ち悪いって言われてて草が生えました。
そうだね、気持ち悪かったですね。
成人式で、乳を揉ませてくれた同級生が地元に戻ってくるらしい。
※トイレで書いてたら興奮のあまり長くなりすぎた。全部読んでも大したことは書いてない、すまない。
彼女は同級生の中でも結構な金持ちの家の子で、長い髪をお嬢様むすび?(アイマスの橘ありすみたいな髪型)にして、授業中はメガネをかけていた。学区は近かったけど俺は野球をやってた上に、彼女はたいていデカい外車に乗ったお母さんが送り迎えをしていたからあまり学校帰りに一緒になることはなかった。
彼女とはただの同級生でしかなかったから、思い出が特にたくさんあるわけではない。俺が外で遊んでいる時、彼女は教室で本を読んでいた。あんまり、関わりはなかったように思う。
4,5年生の時だ。宿題が終わらないで居残りさせられていたら、見かねた彼女が手伝ってくれたことがあった。それから、漢字の書き取りが多すぎると愚痴っている俺に「送り仮名が長い言葉を選べば少し楽じゃない?」と言って、例に挙げられていた「原因」ではなく「因みに」と書けばよいと教えてくれた。「ちなみに」という読み方を、この時知ったのを覚えている。
彼女はいつからか年賀状をくれるようになった。母ちゃんに「あんたにくれるなんて律儀な子だね〜」とからかわれるのが嫌だったけど、流行ってた丸文字じゃなくて大人っぽい字で、俺の名前と何らかのひとことを添えてくれていた年賀状は未だに捨てられない。
中学生になると、男女の溝がくっきりするようになった。彼女は優等生の真面目な女子に、俺は野球部のイジラレ役になって、接点はまた少なくなった。たまに話す機会もあったけど、そのうち俺は彼女に敬語を使うようになった。彼女は授業中も眼鏡をかけるようになって、髪型はポニーテールになっていた。彼女は県外の進学校に進み、俺は地元の工業高校に行った。大学は知らないけど、多分有名なところだと思う。俺は、地元の会社に就職した。
成人式の日、着物の彼女は遠目にしか見られなかった。黒っぽい高そうな着物を着ていたことだけはわかる。乳を揉ませてくれたのはその日の夜だ。俺の地元では、成人式の日の夜に中学校ごとの二次会が開かれる。
彼女はピンク色のドレスみたいなひらひらの服を着てやってきた。小さなブランドバッグを持っていて、やっぱり金持ちは違うな〜といじられていた。俺は誕生日が3月だから、先生がいる2次会で酒は飲ませてもらえない。もう眼鏡をかけてはいない彼女はビールを美味しそうに流し込んでいて、大人になったんだなあと妙な感想を抱いたりした。
先生達が帰って、三次会の居酒屋に移動したあと、彼女と話す機会が訪れた。「久しぶり、変わらないね」という彼女のいかにも育ちが良さそうな喋り方は変わっていなかったし、俺は相変わらず「うっす」くらいしか言えなかった。隣に座った彼女は顔色1つ変えずお酒を飲んでは笑い、俺にお代わりをねだってコップを差し出してくる。こき使われているような状況もちょっと心地よかったのだが、彼女は高校から付き合っているという恋人の話もしていて、ああ、彼女はもう俺の知っている眼鏡の女の子ではないんだなと悲しくなったりした。
そうしているうち、不意に彼女がこう言った。「小学校の時、熱出した私にジャンバー貸してくれたでしょ。あれはときめいた」口ではそう言えばそっすね、なんて言ったけど、彼女が俺との思い出を残していることに驚いた。そう言えばどころではない。俺は、早退する彼女が返してくれた上着を着ずに持ち帰って、抜いた。首にあたっていたあたりからほんのり甘いような、新品の教科書のような匂いがしてしばらく置いておきたかったが、母ちゃんに洗われた。
「なあなあ、おっぱい超でかくなってね?」俺が甘酸っぱい思い出に浸っていたら、野球部のツレに耳打ちされた。
確かに、昔から彼女は巨乳だった。合唱部だった彼女は外で走ったりしないし、学年いちの巨乳だった陸上部の女子(ランニングする時ゆさゆさ揺れていたのでゆさパイと呼ばれていた)に隠れていたけど、多分学年で2,3番目にでかかったと思う。
ドレス姿の彼女の胸はだいぶ破壊的で、谷間は見えない清楚な感じのデザインにもかかわらず、その大きさは十分わかった。
「ひと揉みさせてやってよ!こいつ、こんなでっかいおっぱい触る機会なんてないと思うからさ」ツレが彼女にそんなことを言ったから、顔がボッと熱くなった。真面目な彼女だから、無視するか、不潔!とか言われるだろうと思った。なのに、彼女は笑って「こんなのでよかったらどうぞ?」と言って、胸を差し出してぴったりしたドレスの胸元をぺろんと開けた。
俺は取り敢えずいいっすと断ったけど、耐えきれず触ってしまった。酒に酔ってるはずなのに、彼女の胸はひんやり冷たくて、この世で一番柔らかかったと思う。三次会からは酒を飲んでたし、おっぱいの衝撃でその後の記憶はほとんどないけど、ツレの話だと他の男には揉ませていなかったという。女子は数人もんでいたらしい。
彼女は「明日普通に大学なの、辛い」なんていって、明け方まで飲んでそのまま電車に乗って帰って行った。それっきり、もう10年近く会っていない。そんな彼女が、地元に帰ってくるらしい。在宅勤務が増えたから、骨折してリハビリ中のおばあさんのために月の半分はこっちで暮らすのだとおばあさん本人が言っていた、と母ちゃんづてに聞いた。
俺は、ふうん、そうなん、と言ったけど、ほんの少し浮き足立った。別に、好きとか嫌いとかではない。連絡先も知らないんだし、どうということもない。でも、あのひんやりしてほよんと柔らかいあの乳が、俺の地元にあるということが嬉しくなってしまっただけで。反芻しすぎて食傷気味だったあの柔らかさが、また息を吹き返したみたいだ。今夜は思い出して抜こうと思う。