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2022-08-20

anond:20220820030501

フェミニスト有史歴史的女性が消費されてきた分だけ男性も消費することでトントンにしたいから(ジェンダー平等主義)、杉元、尾形、亀蔵、鈴川、マンスール江戸貝、鶴見牛山、岩息、関谷、二階堂、二瓶、都丹、宇佐美月島、鯉登、キロランケ、菊田、谷垣松田、永倉、熊岸、馬吉、土方、海賊、辺見、有古、門倉、上ヱ地、土井等が消費されることを奨励したいほど望ましい。消費されるならされるほど近づく。

2022-05-06

ゴールデンカムイ民族アイデンティティ対立にさせようと必死な奴に腹立ってきた

あれは和人vsアイヌみたいな型にはまったチンケなエンタメじゃね〜だろ 

アシリパさんもキロランケニシパも、民族アイデンティティという枠を超えて自分の強い意志で動いてて、他方の和人あくまで一個人の強い意志で動いてるんだろうが

アイヌへの差別迫害描写されてる中で、キャラクターたちはそれでもなおただ一人の人間として、互いの意志意志をぶつけあうという様をこれでもかと見せつけてくるのがゴールデンカムイという作品じゃろが

ハリウッド式の紋切り型勧善懲悪ものに収めようとするんじゃねえよ!

日本で作られた作品を下に見て鑑賞してるのが透けて見えてるよ、ホントそういうところキライ!

2022-04-28

カム最終回

・「アイヌ和人迫害した実在少数民族)の財宝を和人勝手に流用して東南アジア和人が実際に侵攻した)に王国を作る」ってオチ、笑えへんやろ。作者にとって、迫害される少数民族武装蜂起して独立するのはダメで、マジョリティ少数民族の富を収奪してよその国に侵攻するのはOKなのか?

侵略される側の人たちの苦悩をキロランケとの交流を通じて学んだのではなかったのか白石は。キロちゃんが草葉の陰で泣いてるやろ

・だいたいアイヌの金塊はアイヌみんなのものであって、子どものアシㇼパがその運命を一人で決めていいわけないやろ

不殺の誓いを立てていたアシㇼパは杉元のために殺人に手を染め(尾形が錯乱したのは毒矢のせいなのだから、彼の死に責任がないわけではないだろう)たわけだが、それはアシㇼパや杉元の心に何の影も落としていないのか? ええんかそれで?

アイヌ文化が「アイヌ和人努力によって後世に伝えられている」←和人による同化政策はなかったことになっているんか? 民具は世界中博物館に収蔵されたが自分たち暮らしマジョリティによる同化政策迫害でズタボロにされましたという民族世界中にいると思うが、収蔵されたらそれでええんか?

・一人の人間に徹底的に依存する体質の月島がその対象鶴見から鯉登に乗り換え、自分生き方反省することもなく思考停止人生をまっとうしたっていうのは、肯定的に描くことちゃうやろ…

 

 

 

自分にとって一番がっかりだったこ

第100話「大雪山」と第188話「生きる」はゴカムという物語の根幹に直結する話で、ゴカムはこの二つのエピソードを回収して終わると思っていて、実際回収はしているのだが、そのやり方があまりにお粗末で期待外れだったということ

何度読み返しても泣けてくるほど好きなエピソードだったのでなおさら失望が大きかった

あーあ…

2022-04-20

「俺は不死身の杉元だ!」

(BGM:最近流行りのバンド楽曲主題歌)

クレジット大人コミック実写化!」

杉元役アップ「北海道に来たのは金儲けのためだ」

アシㇼパ役アップ「私は新しいアイヌの女になると父に約束したのだ」

白石役アップ「脱獄王を舐めるなよ~」

クレジットアイヌの隠した金塊を求めて」

鶴見中尉役「まさしく、ゴールデンカムイ!」

以下第七師団たちアップ(イケメン俳優)

クレジット「壮絶な争奪戦が始まる!」

土方歳三役「刺青のある囚人を探すのだ」

以下土方陣営たちアップ(家永は最初から女性牛山の妹設定)

(刺青人皮設定をやめにして一部に刺青を入れてある設定に改変)

杉元役「こんなことで見つかるのか?」

アシㇼパ役「アチャの言うことを信じるしかない」

白石役「まだ着かないのか、網走監獄

のっぺらぼう役「……………」

クレジット「全てを知る謎の人物とは?」

激しい戦闘シーンのようなカット原作者などのクレジット主題歌のサビ

アシㇼパ役「死ぬな、杉元!」

不敵に笑う尾形役とキロランケ

クレジット「金塊の行方は――――」

劇場版ゴールデンカムイ!(でーん!)

まもなく公開!

アシㇼパ役「ヒグマ脳みそうまいぞ」

一行「チタタプチタタプ」

2022-04-19

北村一輝キロランケの配役希望で並べられてるのを見て似合いすぎて笑ってしまった

2022-04-16

ゴールデンカムイ作者の「単行本で加筆する」宣言について

ゴールデンカムイ作者の「単行本でめちゃくちゃ加筆する」宣言について「本誌派には未完成品を読ませるつもりか」って言われてるようだけど、

そして、それに対して「何が問題なの?」「単行本で加筆があるのは当たり前」って反論されてるようだけど、

反論している人はたぶんゴールデンカムイ単行本21巻が発売された当時(2020年3月)やその前後のいきさつを知らないのだろうと思う。

というわけで、当時~その後に何があったのかということを自分が知っている限りで説明してみようと思う。

自分一人の説明では足りないかもしれないので、補足がある人は遠慮なく補足してほしい。

 

ゴールデンカムイ、完結へ

ゴールデンカムイ」全話無料公開&原作者野田サトルの直筆メッセージ

https://news.livedoor.com/article/detail/21961052/?_clicked=social_reaction

 

ゴールデンカムイがあと3話で完結、しか最終話更新される日まで全話無料公開という企画が発表された。

で、作者が発表した直筆コメントの「単行本でめちゃくちゃ加筆する予定」という文言が物議を醸している。

今までのゴールデンカムイのあれやこれやを知っている人からすれば「またか…」「相変わらず本誌派を馬鹿にしやがって」となり、

最近ゴールデンカムイにハマった人からすれば「単行本で本誌の内容に加筆されるのはよくあることだし、何が悪いの?」

単行本で加筆されたからって本誌版が未完成ってことはないでしょ」となり、両者の間には温度差がある。

 

かに雑誌連載されている漫画単行本化する時に作者が作画台詞などを加筆修正することはよくある。

特に週刊連載なら、本誌掲載時にはどうしても粗くなってしまった絵や多少のミス修正したりするのはある程度仕方ないと思う。

だが、ゴールデンカムイの加筆修正はそんなレベルではないのである。これから説明しよう。

 

単行本21巻発売当時、そしてその後に何が起こったか

ゴールデンカムイ単行本での加筆修正で一番騒動が巻き起こったのは、おそらく単行本21巻だと思う。

ヤンジャンアプリコメント欄やツイッターが大荒れし、離脱する読者も相次いだ。

 

具体的にどこが大きく変わったのかというと、21巻の最後に収録されている211話「怒りのシライシ」だ。

樺太から北海道へ帰ってきたヒロインアシリパ物語ラスボス存在鶴見中尉と初めて正式に対面する重要な話だが、

この話の7~15ページ目の範囲はほぼ全て単行本での加筆修正部分である

単行本を持っている人は確認してみてほしい。

 

まり

鶴見暗号解読必要キーワードを吐かせるために地下にアシリパ幽閉する計画を語るシーン

アシリパ鶴見の会話シーン

鶴見の頭の傷口からドクドクと汁が漏れ出るシーン

などはすべて本誌の時にはなかったものなのだ

 

なぜ作者がこれほど大幅な修正をしたかというと、上記のシーンがなかった本誌掲載時には、

鶴見と会う前のアシリパが「(鶴見が)どんな男かはひと目見ればわかる」と話す

鶴見の顔を一目見たアシリパが、一瞬の隙を突いて突然空に矢を放って逃げ出す

という流れになっており、「せっかくヒロイン鶴見中尉が対面したのに会話なし?」「『ひと目見ればわかる』って何がわかったのか?」

などの批判の声が上がったからだと思われる。

 

それにしても、これほど重要なシーンを単行本で加筆したのはやりすぎだったのではないだろうか。

いくらラスボス存在キャラとは言え鶴見にほぼ一方的に悪を押し付けヒロインアシリパは悪くないことを強調するような加筆にはだいぶ否定的意見も多かった。

 

そもそも、ある漫画ファンが本誌を買う一番の理由単行本派よりもいち早く先の展開を知りたいからだろう。

まり、それだけその漫画を楽しみにしているコアなファンということだ。本誌を読んでそれを元に考察記事を書く人も少なくない。

 

だが単行本でこれほどの加筆が行なわれてしまうと、せっかく本誌を読んで単行本派より早く先のストーリーを知ったとしても無意味になってしまう。

考察記事を書いていた人は、書き直さざるを得なくなる。本誌を買うメリットがあまりなくなってしまうわけだ。

ゴールデンカムイ考察記事が少ないと嘆いている人も見かけたが、単行本での大幅な加筆修正があることも考察勢が減っていってしまった大きな原因の一つだと思う。)

 

しかも、上記のことがあったときゴールデンカムイは当然無料公開中ではなかった。

本誌派の読者は本誌と単行本、それぞれにお金を払って違う展開を読んだことになる。

 

その後の単行本でも21巻レベルでこそなかったものの、やはり本誌で批判された部分を単行本で加筆修正する・

あるいは批判があったわけでもないのになぜか加筆修正するという行為は繰り返され、そのたびに読者の間で論争が起きた。

 

単行本での加筆修正以外の問題

問題単行本での加筆修正だけではない。

21巻以降、もともとエグみのあるネタが多かったこれまでと比べても人を選ぶギャグエピソードが増え、やはり賛否両論が沸き起こった。

 

具体的には、

シマエナガ

(多くの人のトラウマになった話。これまでの動物を食べるシーンと違い、数日を一緒に過ごしたシマエナガを食べようとする際の杉元の表情が恐ろしい)

児童連続殺人犯・上エ地

(様々な殺人犯が登場してきたが、子供ばかりを狙う殺人犯はいなかったため拒否反応を示す人も多かった。

ちなみに本誌では25巻に出てきた少年の飼い犬・タローが惨殺され、上エ地が少年の首を絞めようとするシーンももっと長かったが、

本誌の時点で残虐すぎると批判殺到したためか単行本ではカットされた)

・精〇探偵

(他の人も言っているが、さすがに液体描写はやりすぎだったのではないか

下品すぎると言って脱落した人や、本気でショックを受けていた宇佐美ファンも多かった)

海賊太郎死体ギャグ名前を間違えるギャグ

(これまでもモブキャラ死体を使ったギャグはあったが、登場してからある程度時間が経ち、ファンも付いていた房太郎死体が車から飛び出すギャグには賛否あった。

太郎の死の直後、白石が「大阪太郎(正しくは大沢太郎)」と名前を間違えるギャグにも不謹慎だと非難の声が上がった。このギャグ単行本で削除された)

などだ。

 

「作者が自分漫画で何を描こうと自由じゃないか」という反論もあるだろう。

でも、読者は何も単なるわがまま上記のような描写批判したのではないと思う。

 

ゴールデンカムイは(作者がそれを望もうが望まなかろうが)今やアイヌ文化を扱った代表的漫画としてメディアで取り上げられている作品だ。

せっかくアイヌ文化に興味を持って漫画を読んだ人がエグすぎるネタを拒絶して読むのをやめてしまったら元も子もない。

ただでさえ姉畑やラッコ鍋などの時点で受け付けなかった人もいたのだから、それ以上に過激ネタは控えるべきだったのではないだろうか。

 

「こんなヤバい漫画を展示した大英博物館や、観光客誘致に使っている北海道、心広すぎw」

などとネタにしている人もいるが、そんな場合ではないと思う。

作者と編集部は、アイヌ文化を描いている漫画悪趣味ネタに走ったことを真剣に恥ずかしいと思った方がいい。

 

さらに、謎解きの残念さも読者離れを招いた理由の一つだ。

 

・14巻では七人のアイヌ殺しの謎を知るウイルクが、19巻ではキロランケが死んでしまい、「本当に謎は解けるのか?」と不信感を持った読者が多かった。

結局27巻で鶴見の口から過去真相が明かされたが、この間に離れてしまった読者もいた

暗号解読刺青24必要という設定だったはずが、いつの間にか24枚全部なくても解けるとキャラほぼ全員が知っていたということになる(読者に全く説明はなし)

物語の当初からキャラたちが求め続けていた黄金がようやく見つかったが、黄金の半分が北海道土地権利書の購入に使われてしまっており、読者の感慨も半減してしまった

・謎多きキャラ・尾形が金塊争奪戦に参加している目的は初期から伏せられたままだったが、304話にしてやっと明かされた目的政治的ものではなく、個人的動機に過ぎなかった

鶴見黄金を求める本当の理由が最新話(現時点で312話)になっても曖昧なままになっている。また、部下の月島を騙した事件の詳しい真相不明なまま

 

などが挙げられる。

21巻以降こういう重要な謎がなかなか解決されないまま、いまいち意味があるとも思えない回想シーン

(例えば25巻の「上等兵たち」や28巻の杉元の過去など)をやっていたので、ストーリーが停滞してしまったと思う。

 

数年単位漫画を追っていた身としてはキャラたちの変化も気になる。

良い方への変化なら成長と受け取れるが、どうもキャラが悪い方へばかり向かっている気がする。

 

主人公の杉元は戦闘能力が高いだけではなく、初期にはとっさの機転で危機回避したりとクレバーな面も目立ったが、最近ではほぼ戦闘力(というか暴力)一辺倒のキャラになった。

28巻の回想で士官候補生たちに急に喧嘩を売ったり勇作をビンタしたりするシーンがあったが、初期の杉元はここまで野蛮ではなかった

・以前のアシリパ自分の父が姉畑を脱獄させたのかもしれないと気にしたり、偽アイヌ村でたくさんの敵を殺した杉元のことを地獄に落ちるのではないか心配したりしていたが、

今では父親のしたことや杉元の殺人について気にする描写がなくなった

白石戦闘力こそないもの脱獄脱出侵入)の腕前はピカイチという設定だったが、サッポロビール工場編、五稜郭編、蒸気機関車編のいずれでもその腕前を生かせていない

・尾形は冷徹皮肉屋なスナイパーだったが、だんだんと生い立ちの問題が強調されはじめ、最後には精神錯乱状態に陥って自死という悲惨な結果を迎えた

月島鶴見の忠実な側近として登場したが、徐々に鶴見への不信感を抱えたキャラという設定になり、最終章に入っても鶴見について行くのかどうかはっきりしないキャラになった

鶴見や土方は以前はもっと大物めいたキャラだったが、北海道日本から独立させて新しい国家を作るという壮大な目的に達する気配が少しもないまま、

土方は死亡・鶴見も杉元に倒されるのでは?という展開になっている

 

他にもあるが、ざっとこんなところだろうか。

ゴールデンカムイキャラクター人気も非常に高い作品だ。このようなキャラの変化について行けず、読むのをやめてしまったという人を何人も見かけた。

無料公開で一気読みした人にとっては、上に挙げたようなことはどれも些細なことかもしれない。

だが何年も作品を追いかけ、キャラ応援してきた人にとっては違うのだ。

 

キャラファンキャラに夢を見すぎただけ」という意見もある。確かにそういう面もないわけではないと思う。

でも、ゴールデンカムイキャラグッズを購入していた層はそんな「キャラに夢を見ていた」タイプファンだったのではないだろうか。

ストーリーを壊さない程度に、ファン最後まで応援したくなるようなキャラを描き切ることはできなかったのか。

 

特にそのキャラファンというわけではなくても、どんどん魅力だった面を失いかっこ悪くなっていくキャラたちを見ているのは忍びなかった。

作者が自分で考えたキャラの魅力を把握していないかのような様子には理解に苦しむ。

 

とまあ、思いのほか長くなったが大体このようなことがあって数年来の読者は少しずつ去っていった。

そして、単行本での大幅な加筆修正や癖のあるギャグにも肯定的ファンばかりが目立つようになり、

あまつさえ作品に対するネガティブ感想排除するような攻撃的な読者が増えていった。

 

ゴールデンカムイそもそもそんなに人気なのか

「人が去ったと言ってもそんなに多くないんじゃないの? ネットではこんなに人気だし…」

「読むのをやめた人がいても、無料公開でそれ以上に新規の読者も入ったんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。

でも事実、ここ数巻のゴールデンカムイの初動売り上げは下がり続けているのだ。

 

匿名掲示板・5ちゃんねるに「コミックランキング売り上げ議論スレ」というスレッドがある。

オリコンチャート漫画単行本売り上げランキングに載っている売り上げ部数(電子書籍は除く)を元に、

その単行本が発売後およそ1ヶ月程度でどれほど売れたか(=初動売り上げ)をまとめているスレッドだ。

もちろん発売日から日にちが経ってもその漫画を買う人はいるし、電子書籍で買う人もいる。

でも、「紙の単行本を発売日後すぐに買う」人の数はその漫画にどのくらい根強いファンが付いているかというある程度の目安になる。

 

ゴールデンカムイアニメ化した後の15巻から追える範囲で初動売り上げの推移を見ていくと、

(一番右端の矢印は、前巻から売り上げが上がったか下がったかを表す)

 

アニメ1期2期放送後)

15巻 29万 1580部 ‐

16巻 32万 3995部 ↑

17巻 26万 7279部 ↓

18巻 29万 5117部 ↑

19巻 26万 2729部 ↓

20巻 25万 4168部 ↓

21巻 23万 9891部 ↓

22巻 22万 5296部 ↓

23巻 21万 9403部 ↓

アニメ3期放送後)

24巻 データなし

25巻 22万 3234部 ↑

26巻 20万 8601部 ↓

(全話無料公開後)

27巻 20万 5874部 ↓

28巻 20万 0391部 ↓

 

19巻以降しばらく初動売り上げ部数が下がり続け、3期放送後の25巻で少し上がったが、26巻からはまた下がっている。

注目すべきは、去年の全話無料公開後に発売された27巻は初動売り上げが上がる…かと思いきや下がったことだ。

電子書籍で買った人が多かったともとれるが、それにしても単行本の売り上げが下がるという事態普通なら考えにくい。

 

無料で読んだ結果それで満足してしまい(または思ったよりもつまらないと感じ)、単行本を買うまでもないと判断した人が多かったのでは?」

「何度も無料公開を繰り返したことで、お金を払って読んできたファンとしては馬鹿らしくなって愛想を尽かしてしまったのでは?」

 

そう思ってしまう。

 

ゴールデンカムイの累計発行部数は、28巻までが発売されている現在で1800万部だそうだ。

「そんなものなの? もっと売れてると思ってた」という声を見かけたが、確かにネット上でかなり話題になっている割には発行部数が少ないと感じる。

このくらい話題になっていれば、本来なら発行部数が3000万~5000万部くらいは突破していてもおかしくなさそうである

でも、現実には2000万部にも届いていない。

 

これまでの経緯を見るに、作者や編集部は初期からの読者の意見蔑ろにして、単行本での大幅な加筆修正があることを売りにし、

人を選ぶギャグを増やし、謎解きや伏線回収を疎かにし、多くのファンが付いているキャラたちの整合性をとることにも気を遣わなかった。

それで以前からの読者が離れると、そのたびに無料公開をおこなって新規の読者獲得に躍起になってきた。

正直「マッチポンプだな」と思ってしまう。

 

売り上げを伸ばしたいなら無料公開よりも、以前からの読者の意見漫画ストーリーキャラクター、

そして何よりアイヌ北海道という作品テーマもっと大事にした方がよほど良かったと思う。

 

今回の無料公開で公式は「狂った犬の様に伴走(はし)れっ!」というキャッチコピーを使っている。

ゴールデンカムイが本当にアイヌの人々に寄り添っているなら、このキャッチコピーを選ぶことはなかっただろう。

 

一年ほど前、日本テレビの番組スッキリ」でアイヌと犬をかけたギャグ炎上した時、ゴールデンカムイ公式特に抗議の声を上げなかった。

アイヌ文化漫画ネタとして都合よく消費はしたいが、厄介ごとには首を突っ込みたくない。ざっくり言うとそういうことではないのか、と疑ってしまう。

 

日テレスッキリアイヌ差別表現検証 チェック甘く

https://www.asahi.com/articles/ASP8V575NP8VUCVL00C.html?iref=pc_extlink

 

まとめ

今回の全話無料公開を受けて、「すごい大盤振る舞い!」と喜んでいる人をたくさん見かけるが、一方でこう思っている人もいると思う。

 

「少し前にも全話無料公開したばかりなのに、大丈夫なの? 何かウラがあるのでは?」

 

あなたの勘は正しい。

恐らくは減った分の読者を少しでも取り戻そうとして、または最終回に向けて何となく盛り上がってる感を出したくて、

今回の全話無料公開を打ち出したのだろうと個人的には推測している。

最終回の後には「ゴールデンカムイ展」が開催されるが、そこに1話が本誌に掲載された時からの読者は果たして何人くらいやって来るのだろうか。

 

かく言う私も最初アニメ化後にゴールデンカムイを読み始めた勢で、今の読者の中では古参にあたるのかもしれないが最古参ではない。

概ね樺太編(21巻くらい)までは、多少の疑問がありつつも楽しんでいた。

でもその後の展開は上記に書いたような疑問続きで、どんどん読むのが苦痛になっていき、実際に何度か読むのをやめてしまった。

それでも結局戻ってきたのは、せめて結末がどうなるのかだけでも知りたかたからだ。

(かつての面白さが戻ることはないだろうし、失望するだけだとはわかっているのだが。)

それほど、以前のゴールデンカムイストーリーにもキャラにも魅力があった。

 

ともあれ、ここまで来たからには残りの2話も読むつもりだ。

あれほど素晴らしかった作品がなぜこんなことになってしまったのか、本当に残念でならない。

何か事情があるのなら切実に知りたいと思っている。

 

あくま自分が見てきた範囲で経緯を説明したつもりだが、最初にも書いた通り、補足や訂正のある方は遠慮なくお願いします。

2021-08-03

anond:20210803202656

ファンブックによるとキロランケたちのルーツ大陸なのでアムール川まで行く案もあって、ハバロフスク取材は行ったらしいぞ。

表現センスも大切なんだろうけど、結局集めた情報量による知識の差でぶん殴ってきてんだな。

いやあキモいですなあ。

anond:20210803202656

アチャやキロランケエピソード消化しつつルーツを明かすのも予定のうちだろうし付け足しではないんじゃね

キロランケは登場したこから自分たち他所から来てること普通に話してたし

2021-06-19

ゴールデンカムイ26巻感想

ヤンジャンの最新話を読んでいる人間感想ゆえネタバレ注意

本誌をリアタイで追っていた時から話に違和感を覚え始めた、サッポロビール工場編が本格始動する。

ビール工場編で一番特に何を成し遂げたわけでもやらかししまったわけでもないヴァシリが表紙。

2巻のレタラアシリパツーショット表紙を思い出させる、幻想的な雰囲気を漂わせる良い表紙に思う。

肝心の中身については、当時覚えた違和感と加筆修正部分と最新話までの物語との整合性について感じたことを書く。

ころころ視点が変わるビール工場にのっとり、自分感想しょっちゅう行ったり来たりする。

最新話まで読んでから改めて読むと、ビール洪水とかのギャグがとても懐かしくあの頃には戻れないのか…と思った。

菊田とアシリパの問答が、菊田が死んだ今読んでまた違った気持ちになった。

アシリパの使命感の強さと、身近な人の死を極力減らしてやりたい菊田の違いがよくわかる。

ここの問答の完全上位互換が、教会での鶴見アシリパソフィアだと思うとやはり菊田は価値観普通の人すぎる。

武器もなく縛られアチャを悪し様に言われまくり金塊はアイヌの持つものじゃないとルーツを持ち出して屁理屈を言われても折れなかったアシリパの心を、ソフィア殺害未遂でようやく少し折ることができたと思うと…

土方勢に追い詰められて「どうしヨう」と焦るジャックリッパーは、以前から本誌と単行本で全くキャラが異なる。

もうあまり覚えていないけれど、ヤンジャン連載のジャックアシリパと対面するまでは、娼婦に対するコンバンハと鼻歌くらいしか喋っていなくて何を考えてるのかわからず不気味だったのが、

単行本では、子どものような片言日本語独り言しょっちゅう言い冷や汗も垂らしまくる。

なんでジャックはここまで本誌と単行本キャラが違うんだろう。

この巻の宇佐美の屈強さは非常にいいと思う。パオパオ対決は引いたので、こういう暴力のやりあいを待っていた。

処女懐胎について一人盛り上がっているジャック

急に気づいたけど、だいぶ前の話で杉元と牛山ときめいた「植物を根っこからとろうと失敗したけど成功したら恋人が迎えに来てくれた(うろ覚え)」アイヌ言い伝えの男女のシルエットって、ウイルクとリラッテだったんだね。

ジャックの顎をヒットさせたアシリパコマは、単行本で読むとなんか味気なかった。

本誌の時はもっと勢いがあり面白かったような気がしたんだけどな。あおり文が無いから勢い不足に感じたのかもしれない。

毒矢で殺そうとする自分に恐怖するアシリパを庇うように登場した杉元。

26巻の加筆でおそらく最初の加筆盛シーン。

「誰からまれたかよりも 何のために生きるかだろうが」本誌の時から杉元ってこういうことを言うキャラだっけ?と思ったけど、ここからの加筆には驚いた。

杉元のバーサーカーシーンは今までたくさんあった(偽アイヌ村やら樺太逃走やら)けど

即死させる殺し方ではなく嬲り殺しにしてるシーンはなかったんじゃないだろうか。

辺見があの世でうらやま絶頂してそうなくらいの暴力の嵐だ。

これ見て冷や汗ひとつかかないアシリパ10代半ばにして強い。

尾形は流氷アシリパに右目を射られたからこそ生き残ったんだなと思った。

尾形があそこでアシリパに右目射られずにいたら、多分杉元からジャックに対する攻撃と同じくらいのものを喰らって殺されてたよな。

尾形の悪運の強さを感じる。

ジャック殺人鬼なので殺すなとは全く思わないけど、ここまで嬲り殺しにする必要はあったのだろうか。

単行本作業してるころの連載が動きが無い絵ばかりだったから、作者がここで発散したのだろうかというくらいの熱量だった。

外国人キャラなのに鼻歌以外ずっと日本語だし、作者がジャックリッパーというキャラに興味が無いのが丸出しでもったいなかった。

作者がロシア語アイヌ語には興味があるけど、イギリス英語には興味がないのか。

せっかく現実世界キャラモチーフなんだからただのサンドバッグ扱いでなく、面白くすればよかったのに非常に肩透かしだった。

宇佐美VS尾形のシーンも順序だてて丁寧な描写に加筆修正されていた。

うろ覚えだけど本誌の、衝動的に殴りまくりその勢いで「商売女の子もの分際で誰が一番安いコマ!?から一転「それだけは言いたかった」ウンのテンポが、小気味よくて好きだった。

「取れよ」のコマ宇佐美のチャック前が相手謎の白いものがチロリしてるけど、ここの宇佐美タってるのか…

前日はパオパオで次の日門倉の尻スパンキングで尾形の顔面殴打と、宇佐美性的守備範囲広すぎる。

宇佐美VS尾形といい、馬で逃げる宇佐美狙撃する尾形のシームレスコマといい死に際の鶴見との対話といい、

255話と256話の宇佐美出来事が、映画のように丁寧に仕立てられていると感じた。

宇佐美鶴見に対する想いが読者が思っていたより複雑だったことが前の単行本で判明してたので、どうなることかと思っていたけれど

恐らくはよりよい最期だったんじゃないかと思う。

宇佐美はこじらせているので、ここでも「またみんなの前だからって嘘ついちゃって」と思いながら死んだかもしれないが。

言うても鶴見と他の部下たちや右腕自負の月島との関係は、軍隊に入ってから上司と部下でしかないので、

からの知り合いか自分に対して異常な執着を抱いているのに、死に際になっても敬語を崩さず任務の成果を報告しようとする20歳の子どもを見て、贔屓してしまうのは情けだと思う。

にしても綺麗なシーンになった時だけまつ毛バシバシになる鶴見宇佐美が、まさに劇場舞台俳優たちが『お涙頂戴』な安いシーンを演じてるように見えるのは作者のわざとな魅せ方なのだろうか。

あと改めて読んでなんとなくキロランケの死のシーンと似ていると思った。

そんなに共通点もないんだけどコソコソ話に安堵して死んでいったシーンが被ってそう思った。

キロランケは死の間際に少数民族暮らし子どもや在りし日のウイルクとソフィアを回想し、宇佐美鶴見と見つめあう、

死の間際にそのキャラ人生がよくわかる漫画だと思う。

から問題の上エ地

上エ地もだいぶヤンジャン単行本性格が変わったので、どうなるんだろうかと思ったけど

上エ地の性格が変わっても周りの反応は何も変わらなかったので、上エ地はあの世界の人間にとっていてもいなくてもいい存在なんだなと思った。

犬の首子どもに見せつけ首絞めシーンの丸々差し替え煙突での癇癪と、人となりがわかる加筆は嬉しいけれど前後の繋がりが両方とも急だと思う。

しかし、周りの反応は変わらなくても自分気持ち言語化できる程度には意思があるようになっていて少し安心した。

ヤンジャンでの死にざまが哀れ過ぎたのでどうやってもアレよりはマシになるだろうけどね。

煙突で言ってることもまあ間違っちゃないしな。正直とか美しいとかはよくわからないけど(今後のほかキャラへの布石なのか)

誰もがっかりした顔を見せてくれないか自分がっかりした顔みて笑って死ぬという結末は変わらなかったけども、本人が満足ならヨシ。

でも上エ地頭破裂後のコマナレーションは全く意味が分からない。日本語おかしいと思う。

この物語で明らかにされた~仕掛けって作中のキャラじゃなくて読者のことを指してるのか?

上エ地のお披露目は杉元にも土方にも鶴見にも誰にとっても情報としては±0だよ、とついさっき話してるのにこのナレーション差しまれ意味が全く分からない。

これって結局鶴見と杉元&土方がほぼ同時に暗号解いたか五稜郭の攻防戦が速攻始まるよってことを言ってるだけなの?

にしても3話連続で名有りキャラが一人ずつ死んでるんだな。アニメ化したら下手したら1話で3人死にそうだ。

最新話で土方には「神」「光」「智」などカッコよさげ漢字が入ってるとわかった後で、門倉の刺青見ると漢字が平凡すぎて草。

太郎はここで抜け駆けしようとしたから死んだんだと思うと悲しいな。

徐々に負傷していくのがゆっくり描かれ始めるのがきつい。

というか今の負傷具合で泣き言一つ言わない房太郎が屈強すぎる。

ジャックと上エ地はキャラメイク微妙だったけど房太郎はいキャラだったのに残念だな。

ビール工場編での死人もあとは房太郎と菊田か。

ついにアシリパ鶴見陣営捕獲された。

ここからアシリパが哀れ過ぎて見てられないんだよな。

会話の成り立たない奴に殺されそうになり、火事の煙を吸いまくり、縛って袋詰め状態で馬車に揺られて、精神拷問を受け、房太郎と有古の死体(片方生きてる)を目の当たりにして、寝ずに暗号解読する…ってハードスケジュールすぎる。

読者としても非常にカロリーを消費する巻だった。

次巻は教会鶴見回想・キロランケ手紙が丸々入って終わりかな。

おそらくギャグ的なシーンがほぼなくなる。大阪太郎がそのままならそこだけか。

真面目な話ばかりになり、急激に話が進みつつ矛盾も多々あるので加筆修正が26巻並みかそれ以上になると思われる。

とても楽しみ。

27巻の表紙は久々に鶴見だろうか。

23からは表紙初登場連続だし、ウイルクの表紙を期待しておく。

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2019-03-04

anond:20190304165503

自衛隊コメントもかなりその辺を気を遣ってるんだけど

自衛官政治家などが〇〇でケシカランケシカランだから規制すべきのラインを明言しちゃう

そいつこそが表現の自由の明確な敵に即日ランクアップなんだよね

自衛隊撤回にあたりふわっと「一緒に下校して噂されると嫌だから(意訳)」ぐらいのことしか言ってない

2019-03-02

anond:20190302112006

凝り固まっている反面定まった価値観があるだけケシカランケシカランうるさい昭和保守親父のほうがマシかもな…

2018-10-09

anond:20181009073756

社会学って歴史学とかと比べて理論志向する傾向の強い学問だと思うんだが、それを捕まえてローカル志向一過性出来事とか言っちゃったらニッポンバラタナゴ超新星爆発ローカル一過性出来事普遍性なんかないだろはいおしまい、って話。

歴史学にも理論はあるけど、まあランケ以来の思考法があるので何とも。

2018-10-05

キーボードが分離するタイプタブレットPC買ったんだが

見た目ノートブックなのにタブレットからランケーブル付いてねーのな

ネットできねーぢゃん

2017-06-02

なんでノンケ×ゲイマイナーなの?

なぜこの世はゲイ×ノンケものばっかりなの??

―はじめはゲイを本気で嫌がってるノンケ、それゆえにゲイ冗談交じりなスキンシップを払い除けるんだけど

だんだんゲイに心を許してうっかり同衾してしまい「嫌と言いつつもここは悦んでるぜ……」となぶられる―

みたいな展開になりがちでは?

そんでノンケは「男じゃなくてお前が好きなの!」とか言うやつ。

なんでそういう展開が王道なのよ!!!ノンケがなんかの拍子に男の肉体に目覚めて

「グヘヘ……そういえばお前って俺のこと好きなんだよな?」とか言いつつゲイに襲いかかるやつが少なすぎじゃない?

とにかくBL業界もっといろいろなニーズに応えるべきよね。

その点ゴールデンカムイラッコ鍋は良かったわね。色気むんむんでノンケが男に興奮して相撲(仮)取るのよ!しか一般紙よ!

あたしもう大興奮しちゃったわよ。ちなみにあたし、キロランケネコ派よ。

ノンゲイ派のあたしとしてはもっとあい描写のあるBLが増えて欲しいわね……! という話なわけ。わかった!?

2010-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20101001102616

やべえw

仲間発見www

多分病気なんだろうなと思ってる。

集中して仕事するときは、不便は飲みこんでランケーブル抜いてる。

http://anond.hatelabo.jp/20101001102616

やべえw

仲間発見www

多分病気なんだろうなと思ってる。

集中して仕事するときは、不便は飲みこんでランケーブル抜いてる。

2010-03-16

暗黙の運転ルール

適当に垂れて見る。あくまで適当なんで各地方で異なるカモナー

つーか、かなり微妙表現満載なので信じるかどうかはあなた次第。適当に垂れた内容を鵜呑みにしてパンダカラーリングの車に追いかけられたり、おいでおいでされたりしても俺シラネ。

  • 基本的に道路の流れに乗る

大原則・・・だけど、若葉マーク以外の人で稀にマイペースで走行してる香具師がいるが、道路にはそれぞれ制限速度とは別に「流れ」と言う物が存在して、暗黙のルール的にはその流れの速度を優先します。

片道2車線道路なら遅い車は抜かれるだけで済みますが、地方道路になると片道1車線当たり前、そんなトコで制限速度通りに走ると大渋滞の元になるので流れに乗って走行して下さい。

  • 制限速度は指定速度の+10km/hが原則

40km/hの時は50km/h、50km/hの時は60km/hで走行して下さい。残念な事に制限速度通りに走ると渋滞の元です。中には「速度通り走らずけしからん!」とか思われる人もいるかと思いますが、大原則として道路の流れを乱さない事の方が大切です。

但し、時間帯や場所によっては制限速度+20km/hや70km/h走行が必要とされる場所があるかも知れません・・・が、流石に20km/h超過になるとパンダカラーリングの車においでおいでされる可能性がありますのでご注意下さい。

ゼブラゾーンは『基本的には』走行禁止です。しかし、右折車線が右折車で埋まってしまっている場合はゼブラゾーン内に侵入し、停車する事もあります。で、無ければ本線(直線車線)に支障が出て渋滞になってしまいます。

大原則として、流れを妨げない・・・と言うのがあります。最近テレビCMで「ふんわりアクセル」とか言ってますが、背後に自動車が居る状況ではふんわりアクセルなんて辞めて下さい(だからと言ってフロアに付くまでアクセル踏み込めって訳じゃありません)

ふんわりアクセルは流れを妨げる以外何も利点はありません。あんた1台が地球にやさしくても後続車がどうかは別問題です。自分エゴだけで地球にやさしいとか馬鹿げた事言うのは本当に辞めて頂きたい。

  • 方向指示機は早め早めに

教習所でも言われてる超基本的な事です・・・が、急に指示出すとか、曲がる直前で指示出すのは道路の流れを妨げる一因になります。

早め早めに指示を出せば、後続車はあなたの車を避けて通行するか、あるいは停車してあなたが曲がるのを待つか判断し易くなります。直前に指示を出されると、避けて(安全に横を)通れるかどうかの判断が出来ずに停車する事に(=道路の流れを止める事に)なります。後続車の為にも指示は早め早めにお願いします。

  • 結局何が言いたいかと言うと

流れを止めるな!って事です。その為にはどうすべきかはとりあえず上記内容を参考にして頂ければと思います。

「運転手のエゴ・傲慢この上ない!けしからん!!!11」と脊髄反射的な批判もあるかも知れません。しかし、道路は基本的にみんなで利用するモノです。自己主張をする場ではありません。

もっとも、嘘か誠か怪しい匿名チラシの裏に書かれた内容に従うかどうかは全て閲覧しているあなた次第。

但し、「ケシカランケシカラン」とただこの記事をバッシングするだけの人は、街中で法定速度を1km/hでも超過しているドライバーの方々に喰ってかかって更生させてやって下さい。あなたがその行動を起こす事によって曲がり通ってる暗黙のルールが消えるかも知れませんよ。

2009-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20091210153707

ストライクウィッチーズ5話のはやい・おっきい・やわらかいは、数学基礎論の限界シニカルに描いた作品だよ。

ツェルメロフランケルの公理系では、外延性の公理採用して、内延性による集合は定義しなかった。

シャーリーをはやい・おっきい・やわらかいと表現すること自体が、外延性による定義そのものなんだ。

はやくて、おっきくて、やわらかければ、それはもう、シャーリーなんだ。

 
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