はてなキーワード: ラブプラスとは
ときめきメモリアルに代表される恋愛シュミレーションゲーム、買ってみるものの途中でルーティンに飽きてエンディングまで迎えられたことがない。
会話の選択肢も、自分が思う返答を選択すると好感度が下がるので、「自分は思ってないけど好かれる選択肢」を選ぶのもキツイ。
こんな嘘ついて好かれても…と考えてしまう。
ときメモは藤崎詩織と一度も一緒に帰れないまま1年のクリスマスでコントローラーを置いた。
興味本位でガールズサイドもやってみたが、バレンタインのチョコが納得いく出来にならずにやめた。
恋人になる前にDSを触らなくなった。卒業Ⅱは生徒に「意味ないわよこんな授業!」とキレられるので早々にやめた。センチメンタルグラフティは桃鉄のほうが面白いじゃんと思ってやめた。ジャックジャンヌは絵がすごく綺麗なのに公演が始まると突然ポリゴンリズムゲームなるので萎えてやめた。
でも、恋愛シュミレーションゲームのパッケージやレビューを見ると「やってみたい!」って思うんだよね。
全然クリア出来ないから最近買ってないけど、イマドキの恋愛シュミレーションゲームはもっと面白いのか?オススメあったら教えて欲しい。
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
なんなら『ウマ娘嫌いだけど、KONAMIはもっと嫌いだから敗訴しろ』という直球メッセージまで見る始末
で、こういう人らがKONAMIコンテンツで遊んでいないなら救いがあるのだが、
高確率で『遊戯王』、『パワプロ』、『音ゲー』、『メタルギア』、『ときメモ・ラブプラス』、『幻想水滸』、
『ファミコン時代からのユーザー(ゴエモン、ツインビー、悪魔城ほか)』なんですよね
なんならメタルギアの小島がトレンド入りしていて『小島にメタルギアを返せ』とか出てきます
これ割と真面目に、可及的速やかにブランドイメージを再構築した方がいいんじゃないの?
ネットとリアルは違うとはいえ、自ブランド利用者であること表明した上で、こんなに庇ってもらえないとかないぞ
なお、ワイくんは、サイレントヒルの新作を作るとKONAMIが発表してくれたので許しました
嘘くさい人ならいました → anond:20230518011529
子供の頃からかわいいと言われてきた。雰囲気は神木隆之介や本郷奏多。あだ名は王子だった。
いままではつるんとした顔だったが、最近年相応に凹凸ができてきた。
これまで見た目でおいしい思いをしてきたわけではないので、さして悪影響はないと思う。
(むしろ子供扱いされて浮いた話は無く20代は不本意ながら童貞を貫き通した。ラブプラスで履修したスキルは役立てられなかった)
大人扱いされる世界はどのようなものか?キャラクターを適応させられるか?
肌質はケアできているが形はどうしようもない。整形に躍起になる女優の気持ちはこんな感じなのだろうか。加藤晴彦の顔つき変化は少しショックだった。
かわいいままの見た目でいたい。
NewsWeek日本版によると、インドで新型コロナウイルスの新たな変異株「デルタプラス」が「懸念される変異株」に指定されたそうだ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/post-96559.php
かつてインド株と呼称されていた変異株がデルタ株であることは把握している方も多いであろうが、デルタプラス株とは何かNewsWeekの記事では説明されていない。
調べてみると、インドで2番目に発行部数が多いという地元英字新聞のザ・ヒンドゥーには既に3日前にデルタプラス株の解説記事が出ていたようだ。
ザ・ヒンドゥーによれば、デルタプラスはAY.1またはB.1.617.2.1と呼ばれていたもので、デルタ株(B.1.617.2)の変異株だそうで、これまでに143のゲノムがAY.1としてラベル付けされ、インド以外にもネパール、ポルトガル、スイス、ポーランド、日本、ロシア、トルコ、イギリス、フランス、アメリカ、カナダからも報告されているそうだ。
つまりネーミングから察せられた通り、デルタプラス株はデルタ株の変種であり、既に日本を含む多くの国で確認されていることになる。
(ここまで普通の内容)今後の状況推移が気がかりであるが、既存事例を参考に占ってみよう。(以降、大喜利)
●事例1「ラブプラス」
「ラブプラス」は恋愛ゲームとして異例の20万本を超えるヒット作となり、その後各種シリーズが製作された。
最新作となる「ラブプラス EVERY」は当初は2017年冬の配信を予定していたがクオリティアップを理由に遅延を重ね、2019年10月31日に配信開始された直後、不具合により一か月以上のサービス停止が発生したようだ。そして、配信開始から1年も持たずに、2020年8月5日にサービス終了となった。
この事例に則れば、デルタプラスも20万以上の患者数が発生する可能性がある一方で、1年以内に収束する希望が持てると言えるかもしれない。
●事例2「C++」
C言語の発展形としてオブジェクト指向が導入されたプログラム言語である。
ベースとなったC言語そのものも含め、多くの場面で現在も利用されている。さらにC#のような発展形も存在する一方で、JavaやPythonなども広く利用されており、開発言語として支配的な立場を維持し続けているわけではない。
この事例に則れば、デルタ株もデルタプラス株も長期にわたって相当数の患者を生むことになるだろう。加えて、デルタシャープのようなさらなる変種が一定の猛威を振るうリスクにも備える必要があるだろう。
●事例3「ラプラス」
多くの理系学問の基礎理論を支えるラプラス変換やラプラス方程式の人気はいまいちであるが、ラプラスの悪魔はシュレディンガーの猫と並び中二病患者に人気である。
このような背景を踏まえると、理系出身者は一定程度の抵抗力を有する可能性、または逆に親和性が高い可能性のいずれも否定できない。中二病患者が罹患した場合の重症化リスクも不明である。