「ライフワーク」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ライフワークとは

2013-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20130807120927

勉強だけは出来るタイプと言ってるけど、学部時代の成績はどうだったんだろうか?どの講義でも9割以上手堅く取れるタイプなら、メンタル的に参っていたとしても、また、それが他大だったとしても院試勉強で悩むことなんてないんじゃないかなあ。

あと、メンタル的な部分だけで言わせてもらうと、元増田研究生活はあんまり向いていないと思う。勝手に判断するのは申し訳ないけど、劣等感を持ちやすいという元増田の特性は結構厄介だと思う。それが競争心にうまく転化できればよいのだけど、劣等感の克服自体が研究者になるためのモチベーションになっているのだとしたら、仮に学位が取れるところまで漕ぎ着けても仕事として続けていくのは辛いと思う。もちろん、研究する力はメンタル面だけではないので、論文ゼロから独力で仕上げることができる能力さえあれば研究を続けていくことは可能だがね。劣等感を持ちやすいとかクヨクヨしやすいみたいな性格的な問題点は、研究遂行するための能力である程度はカバーできるから

研究を続けるかどうかについては、定年まであるいは死ぬまでのライフワークとして考えた時に、本当に研究で良いのかどうか考えてみるのが良いと思う。これは、どの仕事にも言えることだけどね。

2013-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20130711091345

ビル・ゲイツに関しては暇なんでしょ。ライフワークの一環で働いているだけで、実質ガツガツはしてないじゃん。世代交代終ってるし。

ソフトバンクに関しては逆に、世代交代できてないだけでしょ。辞めたくてもやめられない。

2013-07-09

兄・兄カノありがとう

ずーっと疎遠だった兄の家に居候して、兄すいませんとここに書いてから早4ヶ月。やりました、やっとこさ内定ゲット。途中うまく行かなくて嫌になりそうだったけど、やっぱり最後も兄のおかげで就職活動を終わることができた。

どうやっても面接に慣れないと嘆くわたしに、「面接って自分を売り込む機会だから、それ相応のやり方をすれば多分受かる」とボソリ。面接官が何を見て評価しているかからないと悩むいうわたしに、「考えるプロセスでしょ、学生社会での実績なんて求められるとは思えないし」とポツリ。面接での質問って何すればいいか迷う自分に「友達会社も、選ばれるためにってだけじゃなく、こっちだって選んでるんだよ、そう考えりゃ質問ひとつやふたつ…ねぇ」とチクリ。いつも答えに飛びつこうとするわたし向けに、答えではなく、優しいヒントをくれた。

兄は自分のことを語ろうとしないから、兄が家を出てからの全てを兄カノに聞いた、もう全部。学生ビザだけ取って、母から手切れ金を手にし一人渡米した兄は、怪しいバイトをしながら向こうで大学卒業大学24時間オープン図書館には、いつも深夜までいたそうな。大学を出て現地で就職祖国日本に「転勤」に。これまで壮絶なんて言葉で片付けられないものだったと思う。50万円だけ持って渡米、仕事がバレたら最悪は強制送還という環境の中で学費を稼ぎ、並行して学業を修める。3年で卒業し、現地人を押しのけ出世ですか。これもまた、ひとつアメリカンドリームなのかも。

兄がまだ家にいた頃、あからさまにおかずが少なかったり、むりやり家に近い公立高校に入れさせられたり、血の繋がらない母に酷い仕打ちを受けてきた兄。こういうことは兄カノも知らなかった。当然、兄カノ爆泣。「これで彼の兄くんの性格や言動、どこかでその生い立ちは想像したけど、これで全てが繋がった」と。「すごくエゴな言い方だけど、私が彼を幸せにすることは、私のライフワークなの」と言い切る薄茶色の眼は本気そのもの。兄の昔を話す過程で、兄カノが兄に寄せる想いは恋愛とかそういうのを超えたものを感じた。兄カノとはそうやって、日本で育った兄と米国で生き抜いた兄の歴史をつなぎ合わせた。目眩がしそうなくらいの洋書に囲まれた兄の書斎、綺麗に片付いた机の上の"Stay Faced"という木彫りの置物。常に現実直視せよ、と解釈してる。多分、兄はこれまでそうせざるを得なかったんだろう、と今やっと理解。

全てを把握したところに帰宅する兄。私も兄カノも目がボンッボンに腫れてて直視できない。板チョコみたいな腹筋をボリボリ掻きながら「さて夕飯でもいただきましょうかねぇ」とお風呂から出てくる兄。畏怖の念さえ覚えてうつむく二人を気にすることもなく、「今日おみやげは…じゃーん、スイス帰りの部下にもらったチーズワインいきますか兄カノさん、ワイン」と。

わたしはもう我慢の限界。「兄カノちゃんから全部聞いたよ、わたしも兄カノちゃんに全部言った」と。「ん?何を?」と兄。「だから、全部」とわたし。少しため息と沈黙の後、兄。「大体何話したか想像つくけどさ…どれも過去の話でしょ、後にも先も生きられないんだからとりあえずいま妹の内定祝いってことで飲もうよ」

「いや、でも、嫌かもしれないけど、お金のことも聞いたし」「それもまた過去」「じゃあ過去の話としてさ、兄はどう思ってんの?」「昔の話だし、どうとも思ってないよ」「母のことも?普通あの扱いはひどいんじゃない?」そんなやりとり。

少しの溜息のしぐさだけして、兄は言い放ちましたよ。「じゃあさ、もし、昔がひどいとか可哀想とか、いまさら何かできる?可哀想といま思われちゃっても、『ああ酷かった辛かった』って言って今が楽しくなる?まぁこの際だからちょっと言うけど、当の本人としては、どうしようもないことをウジウジ思い悩む暇も余力もなかなかないわけよ、そもそも自分は可哀想じゃないとどこかで思ってるから人が可哀想と思えるんでしょ、自分一人だとそういう考えないんだよね、もうね、すぐそこに対処というか対峙しなきゃいけない現実があるんだな、だから、俺が気にしていない、もしくは気にできないことを他の誰かが気にするとかさぁ…とまぁ当の本人は言ってますよ… ハイ昔話おわり、喉かわいた、さ、ワイングラス」

これが唯一過去に関して兄の過去に関しての見解が聞けた機会。触れてほしくないと思わせる言い方というより、兄の中で完全に区切りがついているということだけはわかったので、もうこの話にはならなかった。兄もいつもどおり無口に戻った。

この人は本当に強いと思った。飄々としてるけど、ブレない何かを持ってる。だからこそ、言葉がずっしり重い。寡黙が故にたまの発言が注目を引くからでもなく、大きな身体から発せられる野太い声だからでもないんだ。この人の魅力は上のような経験に裏打ちされた深みから来ている、不思議な引力みたいなものなんだと思う。

もし、人生ゼロサムゲームなのであれば、この兄にしてこの初見ドン引きするくらい美しく、聡明で、慈愛に満ちたカノジョは当然の果報だ。お金にしてもそう。最初成金だと心の中ではちょっと軽蔑していたけど、彼の不遇の時期を考えれば、表参道の家も、3台の車も、3人なのになぜか15万の食事も、すべて兄自身で獲得した富だ。ましてやあんな母に対しても、娘の学費・結婚費用と、その豊かさを分配している。

わたしは、この気持ちに嘘が付けなくなる前に、いまはひっそりと田舎に帰ろうと思う。兄、兄カノありがとう

2013-06-18

気づいたら大学三年生になってしまった。

情報系としての今までの経験です、と言ってアピールできるような成果物も経歴(バイトとか)も無い。

プログラミングできるようになれば面白いんだろうなー面白いwebサービス自分で作れるようになりたいなーと思いつつも

チュートリアルをこなすだけで匙を投げてしまう。

自然言語処理とか機械学習とか面白そうだなーと手を出そうとしたが、いかんせん数学が難しい。これをライフワークとして続けられる自信はない。

ただただアニメを見て、漫画を読んで、ネット上の記事(はてなアニメ批評界隈とか)を読んでいたら二年間が過ぎていた。

インターンも申し込んでない。というか面接に行ったとして自分をどうやってアピールすればいいのかわからない。

これから俺はどこでどうやって生きればいいんだ。

だれかアドバイスをください…。

2013-05-06

鈴木邦男講演会「右から脱原発」に参加して

2013/5/5名古屋市教育館にて鈴木邦男氏の講演会が開催された。

新右翼一水会最高顧問でありながら、現在は思想的にはリベラルであると自他ともに認める鈴木氏。「右から脱原発」をテーマ講演会はこの日14時に始まった。

ゲスト地球上で唯一人封建主義者を自称する評論家、氏の過去の著作名の如く「危険思想家である呉智英氏だ。

彦摩呂似の司会者の合図で先ずは鈴木氏が登壇、呉氏がゲストという事で近著「真実名古屋論」、「吉本隆明という共同幻想」を紹介し話は呉氏との過去逸話や他の作家の話などを織り交ぜ、終盤思い出したかのように脱原発の話をして30分ほどで鈴木氏単独の公演は終了。公演は3部構成、2部は鈴木、呉両氏の対談形式で話が進められ、3部は質疑応答の時間参加者は30~40人程度といったところか。新右翼の代表的人物である鈴木氏の公演であり、過激な発言で知られる人気作家呉智英氏がゲストであれば会場は満員になっても何らおかしくはない。しかし、この公演に関してほとんど告知がなされていないせいか、最大収容人数200人の会場で二人はマイクを置いて地声で話していた。それほどに参加者の数は少なかった。

筆者がこの講演会を知ったきっかけは毎週欠かさずチェックしている鈴木氏のHP鈴木邦男をぶっとばせ!」の今週の主張という毎週月曜に更新される記事によってだった。しかもこの講演に関してはその長~い記事のそれこそ最後まで目を通さねばわからないほど下の方に告知が載っているだけ。筆者は知らないが鈴木氏はTwitterをやっている為、そこでは告知をしていたのかもしれないが…。他にも一水会HP、会場の名古屋市教育館のHPを覗いてみたが、特に告知らしきものは見当たらなかった。因みに筆者はイチ鈴木邦男ファンとして今年2月同じく名古屋日本キリスト教団名古屋教会で催された鈴木氏による講演「いま、“愛国”について考える−排外主義への異論−」に参加したがその時は会場は満員であった。あくまでその教会のいち催し物である為に信者ほとんどであったし、一概に比較出来ないが…。何より福島原発事故から2年以上経てそれは既に風化し、もはや「反原発」というスローガン訴求力がない事の証明であったように思う。20代参加者はおそらく筆者1人であったし周りを見渡すと皆頭に白いものが…、中には自ら朝鮮人を名乗る者もいたし、聴講者の多くが戦後民主主義人権主義思想に凝り固まった、言ってしまえば絶滅危惧種サヨクだったと見える。そうなると呉智英氏の天敵が集まったことになるが…。筆者は思想的には新右翼寄りと勝手に思っている者だが、少なくとも一般聴講者の中に右派保守系の人は見受けられなかった。新右翼の代表的論客鈴木氏の講演である題目は「右からの~」だし、呉氏が来るのだからてっきり右の人がたくさんいるのだろうと思っていたのに意表をつかれた形になった。

今回の講演会テーマ脱原発しかし、おそらく遅れて呉氏がゲストに決まったと思われる為、急遽テーマから脱線は止む無し、むしろ脱原発は公演の一要素に過ぎないといったところだった。2部の両氏による対談形式の講演は1部以上に話題は多岐に渡った。呉史は現在名古屋在住、名の売れた作家であるにも関わらず今は家賃7.9万のマンションに住んでいるとか、ライフワークである儒教についてや思想から政治、氏の私生活までその著作と違わぬ軽妙で鋭い語り口で会場を盛り上げていた。中でも印象的だったのは改憲についてだ。9条戦略的に活用せよというものメモを忘れた為うろ覚えだが、憲法9条が現行のままである限り安全保障は続くのであるから改憲せず、これまで日本がやって来なかった謀略戦に特化しお隣りの2つの国を戦争させて漁夫の利を得よといった内容だった。もちろん危険まりないラディカルな意見ではあるが、常々自衛隊国軍化は必要だと考える凡人右派思考の筆者はそんな考え方もあるのかぁと目からウロコだった。もちろん本旨の脱原発についても忘れていない。呉氏は反原発派でありながら既存脱原発デモを批判し独自の方法論を提示していた。封建主義者の面目躍如とばかりに鈴木氏の出る幕もないほど冗舌に語っていた。筆者にとって2部の二人の対談はとても勉強になったし何より刺激的でとても楽しく拝聴していた。

しかし次の質疑応答でそんな気分も吹っ飛ばされてしまった。

先に述べたとおり、参加者の多くは戦後民主主義人権主義思想に洗脳された方々である。そんな彼等との質疑応答はまぁ無意味で退屈で不快ものだった。二人の質問者が、呉氏が講演の中で何度も口をついた「支那」という言葉を取り上げて「中国を『支那』と呼ぶことは差別でないのか?、石原慎太郎の真似でないのか?」(およそ60代の女性)続いて男が大声で「『支那』は不快!相手が不快に思うのなら中国と言うべきではないのか?」といった質問をぶつけた。呉氏はこれまで民主主義を否定し続け、ソ連解体共産主義崩壊とともに民主主義終焉を迎えたと語る危険思想家である。併せて氏は30年余り「支那」と呼ぶべき理由を、その正当性を、論理的に、何度も何度も口酸っぱく唱えてきた男である石原なんかよりずっと前にだ!!その主張は呉氏の数々の著書に幾度も書かれている為詳細は省くが、中国を「支那」と呼ぶ事が差別であるかはともかく、氏は30年もそれを訴え続けているのである。何を今さら言うか!筆者は考える、参加者は今回の講演会に参加する限りは呉智英という男がどんな危険思想を持つ人間であるか少しでも知っておく、いや参加するには著書の2.3冊読んで予習しておく、それが無理ならさらっとウィキペディアでも覗いておく事が必要ではないのか?もちろんそれを強制するつもりはない。しか知識人である呉氏への無理解、自身の無知を醜くさらけだし、それに気づかずにヒステリックに喚き立てる姿は憐れですらあった。他にも40代と思しき男が「反原発デモで左右連帯というが、グローバリズムを旨とする左翼中国韓国を非難する右翼連帯するのは難しい、それについてどう思うか?」といった事を回りくどく長々と言い、鈴木・呉両氏を論破せんと意気込むも「じゃぁ別々にやれば良い」と冷ややかに返答されていた。当たり前だ。右翼反原発に取り組む動機は、現在進行形福島の大地が放射能に汚染され続けている現状を憂いての事であって最早ナショナリズムがどうとかそんな事は関係がない。サヨクの男は、今後中国韓国を巻き込んでの反原発運動がどうたらこうたら言って、今そこにある危機無視して下劣なイデオロギー次元に落とし込む事を考えている。全く恐ろしい…呆れてものも言えない。右翼を非難し自分論理を展開する事によって連帯意味を履き違えている事を露呈し、さらには逆説的に左右連帯が不可能である事を自らが明らかにしてしまった。右翼最初から反原発に限っては左右は関係ない、むしろ反原発の一点、そこだけ一致すればどんな思想の持ち主だって構わないという姿勢であるのに…。

そして最後質問者の老婆は鈴木氏に対し「ウヨクってなんですかー!?全ッ然わからないんですけどー!!今日来た意味ないです!払った千円返してください!」だって鈴木氏は最初はまともに返答しようとしたがとにかく態度と声のデカイ老婆の勢いに困ってしまい、封建主義者の呉氏がフォローを入れるという事態に。あぁそうそう、なんか8年前ぐらい前だっけ?騒音おばさんっていたじゃない、もうまさにあんな感じ…。両氏はもう顔を見合わせて苦笑い。そこでもう時間切れ、司会者が強引に中断して参加者一同二人に拍手。筆者はこれでもかってぐらい、もうババァ黙らせてやるって気持ちで拍手しまくってやった。それでも老婆は懲りずに怒声を発し続けていたけど。

今回講演会に参加して感じたことが幾つかある。先ずは主催者側の問題点を言いたい。やはり呉氏がゲストからといってテーマは「右から脱原発であるからには、あくまでそこを中心に講演するべきであったように思う。脱原発の講演を期待して来場した人がほとんどのはずだから、その点で考えると参加者ほとんどが満足のいく内容でなかったはずだ。それに告知、今のご時勢ネットを活用すればもっと集客できたに違いないし、単純に参加者もっと増えればより質の高い講演となったと思う。次に参加者について。まぁ誰が参加しても当然問題ないんだけど予備知識くらい入れてから来いよと言いたい。呉智英氏の事を少しでも知っていれば、氏が百万回くらい経験しているであろう不毛な「支那」問答に時間を取られる事も無く、参加者不快な思いをせずに済んだのになぁ…。呉氏の思想を知っていれば来なかった人もいただろうに。まぁ本当に残念な講演会だった。最後の質疑応答さえ無ければ笑顔で帰り道を歩けたのに、あんな事になっちゃって全て台無し参加者には文句言うまいという気持ちがあるにはあるが無知と無理解に無自覚なオソロシイ数人の人を前にして味わった事のない恐怖体験をしてしまたから、つい愚痴ひとつやふたつ言いたくなるよ。

2013-03-30

新大学生の俺へ、今の俺からアドバイス

一般論でなく昔の自分に教えたいなー ぐらいのアドバイスを思いつくままに

履修科目を選ぶとき友達相談しな 実はみんな同じの取っててハブられてたりするぞ

1回目の講義ときに左右か前後(後ろが一番聞きやすい)の人とメアド交換を頼め みんな自分と同じように心細いんだから勇気だしな

初回がすぎると聞きづらくなるぞ。 少人数や外国語講義では絶対に聞けよ

飲み過ぎて吐くときトイレに行けよ

先輩には新入生(一人暮らし女子)とやる事しか考えてないクズいるから気をつけろ

新1年のファッションなんて似たり寄ったりだ あんまりきにするな 清潔にしとけよ

でも、使い古したスニーカーNGだぞ ユニクロチノパンシャツ買っとけ それで始めは大丈夫だ 金もないだろ

きこりが大量発生してるけど真似しなくていいぞ(当時はそりゃもう・・・

ついていけなくなる講義もあるけど、ちゃんと出席してノートとっておけば単位は取れるから諦めるなよ

入試の選抜試験大学試験は別物だから、そんなに緊張しなくていいぞ

専門の教授が何を研究してるか調べるといいよ。興味ある分野や将来の方向、そして講義もっと積極的に取り組めるようになるから

ネットゲームはやめとけ 留年するぞ

月曜日の午前を明けとくとすこし楽だぞ(1年は必修で無理かな

大学でやるTOEICは毎回受けとけ IPなら半額で受けられるだろ

英語ライフワークしろ

落ちた志望校のことは気にするな

大学時代彼女結婚相手だと思って大切にしろ

アルバイト就職を考えてる業種にしとけ 大学時代に何を学ぶ(自習す)べきかもわかる

いっぱい失敗するけど 落ち込まずに失敗し続けけろ 成功も増えてくる 失敗+成功チャレンジした数だ 失敗で水増しするぐらいの気持ちで増やせ

大学教授は意外に気さくだし、ずっと優秀だし、学生思い

相談しろ質問しろ、観察しろ

自分自分マネージャーだと思って生活を組み立てろ 記録しろ、計画しろ、実行しろ、自立しろ

自分投資しろ大学生活で必要以上に貯金する必要は無い、就活乗り切れそうなだけあればいい。 卒業後働けばすぐたまる

人のためにも悩んで時間を使ってみよう

2012-12-21

我慢するとき・逃げるとき

昔某所に書いた文章の転載。今の私はフリーランスwebエンジニアをやってます

「この仕事は合ってません!」と1カ月で辞める新人の“事情

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120508/23...

自分社会人1年目のころ「プログラマーなんてくだらない仕事はやってられないし、そもそも向いてないので早くやめて作家になりたい」とかアッパラパーなことを本気で思っていたので判らないでもないのだけれど、同時に「ジョブホッパーにはなりたくない」という理由で5年我慢したので今フリーで飯が食えている。

我慢する時と逃げるべき時というものがあって、20代のころはそれがよく判っていなかったのだけれど、現時点での所感をまとめるとこんな感じ。

我慢すべき時

始めたばかりの仕事がつまらない時

我慢していればそのうち裁量スキルが増えて面白くなる可能性あり。またスキルとある程度の期間の雇用経験がないと条件のいい転職が出来ないので、まあ最低3年くらいはその職場でやったほうがいいかなと思う。

明確にやりたいことがない時

もっと面白そうな仕事がしたい」とかいぼんやりしたイメージではなく、子供の頃からほっといてもコツコツ自分で取り組んでいるようなライフワークがあったり、キャリアを重ねる中で「次はこっちに行きたい」という明確なイメージがある時、ネクストステージに行くために辞めるというのはあり。ただそういうものがない場合は我慢したほうがよい。そのうちやりたいことが見えてくる。

逃げたほうが良い時

仕事の量が多すぎて心身が破壊されかねない、それが今後も延々と続く時

最悪死に至るので、それまでに逃げたほうが得策。多すぎる仕事ってマネジメント的に問題がある場合が多くて、裁量権のない現場が頑張ってもあんまり学ぶものが多くない。経験則

パワハラモラハラ、それに準ずるモンスター上司(同僚)がいて、心身を破壊されかねない時

これも逃げたほうが無難政治的にモンスター上司を追い詰めても、逆恨みされそうだし。

まあでも

ジョブホッパーになっても餓死するわけじゃないし、心の主向くままに退職届を叩きつけて自分らしく生きるというのもありかとは思う。そのうちいい仕事に巡り逢えるかも。ただそれって丁半博打なので、ギャンブルをしたくない人は上記のような感じで判断して、石橋の上をわたっていくのがいい気がする。

2012-12-02

ブックマークはしても実際に書き込んでいる人は非常に限定されている、

ということに気が付かないおじさんが頑張っている。

夜中の2時、3時、4時に、暗闇の中、液晶画面を覗きこんで書き込んでいる姿を思い浮かべると、なんとも言えない気分になる。

もはやライフワークなんだろう。

2012-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20121007091224

実際に習熟できるスキルひとつか二つなんだよね。

元増田が書いてるのは電子回路プログラミングで二つじゃん。

小中時代現物つくってそこそこ結果出せるほど簡単じゃねーし、せいぜいキットを半田付けして動いたのレベルだろ。

キットを半田付けして動いたのレベルなら、普通に中学技術の授業でみんながやったわ。

独学するような元増田なら、当然もっと上のレベルに行くだろう。

ハードは面倒になるというか手間がかかるから二の次なっちゃてご無沙汰になるのがざらなんだけど。

偏見もいいとこ。

世の中のハード屋は「ソフトを触ったことがない未開人」か「ソフトを触ってもハードに戻ってきた変人」って言ってるのと同義だぞ。

大体そんだけのスキルがあるなら電子プログラミング系の学科うければまず間違いなく受かるだろ。

AO入試でもない限り、スキルなんて面接時の話題になる程度。

肝心なペーパーテストで惨敗じゃ、どんな学科でもダメ

俺が入学したときはそんな奴一人もいなかったけどなぁ。

お前本当に理系かよ。

自分の周りにはそんな奴はいなかった。ゆえにそんな奴は世の中に存在しない」とかアホすぎる。

特定のある意味イタイ教官の半分趣味ライフワークみたいなもんで

すげー悪意に満ちた書き方だな。お前、高専教官に親でも殺された?

どんな人間だってある意味イタイだろうし、行うことには大なり小なり趣味的な要素が含まれるだろうに。

逆に、どんな意味でもイタクない、趣味の要素が皆無っていうもの言ってみろよ。答えられないだろうけど。

なんつーか、書いてる内容的に、元増田よりもお前の高専卒という経歴の方が創作臭いわ。

2012-08-30

ダメコードを見ていて疑問に思うこと

数百行、果ては数千行もある関数メソッドが何故生まれるのか、どうしても理解できない。それ仕様の通りに動かそうと思ったら、テストデバッグライフワークになるよね?それとも未完成でも納品するってこと?もしかしたら「勝手関数/メソッド作るな」司令が出てるのかもしれないけど、だったら「できません」と断ったほうが絶対楽だと思うぞ。あ、楽といえばこういうコードレビューは楽だよ、「長すぎて読めない、書き直し」で終わるから

条件分岐やループを何重にもネストしたコードスクロールさせるとうねって見える。それさ、正常系の処理だとして一番最後の行の直前はどこ通るの?即答できないなら書き直せ。即答できても「こういう複雑なコードを書けるのがプロ」とか誇らしげな表情しちゃう人はただの勘違いバカだから、その姿勢改めるまで可愛がられるかサクッと見捨てられるかでしょう。

ANDやORが入り組みまくった条件式だけどさ、お前一体何がしたいの?それ多分お前しか理解できないから、システムがEOLになるまで面倒見てあげてね。

「1からnまでの総和」とか、公式がありそうなものをロクに調べもせず、n回ループする方法しか思いつきませんでした的に書いたコード。そんなバカ丸出しの実装で恥ずかしくないの?バカはプログラマに向いてません。それは前述の勘違いバカもそうだけど、頭を捻るセンスが無いのも致命的。

閏年を始めとする日付の計算アルゴリズムとか、標準提供されていそうなものまで手で実装したコード。お前それ辛くないか?てかマニュアルヘルプはちゃんと読もう、な?

なんで同じコードコピペするの?共通ルーチン作らなくてもgrepで直して回れば修正漏れも起きないって魂胆?同じ処理が出てくるたびに読んでてうんざりしてくる人も少なからずいることを理解して仕事してください。頼むよ。

DBのテーブルからレコード取得して、必要データか判定して処理するコード。WHERE句って知ってる?データが数億件とかあってもそれでいいと思ってる?

その処理は本当にコードで書かないとダメなの?書かないで済みそうなことまで何故書くの?書かなきゃいけないとして、どうやって短く書くか工夫しないの?コードが増えただけバグも増えることを、もっと深刻に受け止めて欲しい。

最後コードじゃないけど、巨大なディスプレイに高解像度で極小フォントという環境で開発ってどうなのよ。そこまでしてコード全部表示しないと書けないんだ?今まさに書いている部分なんて、変数アルゴリズム自分の頭の中にあるんだから画面に表示する必要なくね?確かに開発用のディスプレイは大きいものが複数あったほうがいいけど、それらはそういう使い方をするためにあるものじゃないと思うぞ。

2012-05-12

2012は便所系女子がクル!!!!!!(※きません)

「~~系女子」という最近流行あやかって、自分も1個考えてみた。

タイトル通り。その名も。ババーン。便所系女子

もちろんのことながら、「便所飯をたしなむぼっち女子大生Grpの総称?」はアウトだ。

そんな人達には今から僕が2時間30分小笠原○子お嬢様たっぷりと肉奴隷調教した過程を、

ますことなくチャプター分割、シーンごとの見所や監督美術演出家からなどそれぞれのコメンタリー

ふんだんに盛り込んだBlu-Ray版とDVD版をたっぷりと見てもらおうか。

(3時間後)

予想通り抱腹絶倒の嵐だった。

完全な脱線だったけど便所系女子っていうのを思いついた経緯は、

ビッチ女子

ずいぶん前になると思うが・・・こんな言葉を僕が目にしたからだ。あ?ビッチ系?

ttp://bipblog.com/archives/1315609.html

リンク先はよくあるまとめ系ブログです。元記事のURLはしんでます

>そして肉食系女子が次に向かう先こそが“ビッチ女子なのだ。我が道を、己の赴くままに突き進み、

>他人もリスクも気にしない。迷惑なのに目が離せない女性たち。そんなビッチ女子が全世界で増殖中とも言われ、

>アメリカではレディー・ガガパリス・ヒルトンがその最たる例である

完全にもう本来の意味であるBitch

http://ja.bab.la/%E8%BE%9E%E6%9B%B8/%E8%8B%B1%E8%AA%9E-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/bitch

からは剥離している!すげえ!

みなさーん!もうGoogleの「日本語版のWebページを検索」なんかしても本当の意味でのBitchがなんなのかなんて、もうわかりませんよー!

どうせ誰もわかんないかもしれないけど。まぁ、言葉言語は生きていて、脱皮を繰り返しているといういい例かも。

ところが。

http://www.menscyzo.com/2012/05/post_3956.html

"私が言うのもなんですが結構イケメンで。この人以上の人は見つからないだろうな~と思って、とりあえず付き合いはじめと同時に妊活もはじめました。コンドームに穴開けたり、『今日安全日なの』『ピル飲んでるからナマでOK』っていうのはひと通りやりましたね。あとはヨガやったり食生活改善したりして妊娠やすい体作りをしたりとか、ナマでヤッてるとき、彼がイキそうになって抜こうとするのに、『このままイッて』ってガッチリ足で押さえたりとか。毎回そんな感じだったんで、半年くらいですぐデキちゃいました。彼も当然『中絶しろ』なんて言うわけないし、すぐ入籍しました。今はまぁ、満足してますよ。念願の専業主婦ですし。…もうちょっと給料が高ければ言うことないかな!"

ビッチーーーー=!!!!!!!!!

ビッチだーー!!!

ビッチいたーーーー=!!!!!!!!!

http://www.youtube.com/watch?v=6_I4Msmq3Lg

※シャベッター!!!みたいな感じで

ああもうここらだろ。

これだろ。この方向性でいこうぜ。

いか?考えろ。

こう想像してみるんだ・・・我々日本人は、日本語圏は、日本語文化圏は、

英語文化圏から「Bitch」という言葉の本来の意味をもぎとってやったのだ!イェー!Tally Hooooooooooo!!

嬉しくねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ

でもこうなりゃヤケなので、この系統から更にもう1個、

やっと最初いった話に立ち返ってこれる・・・「便所系女子」をブームとして巻き起こそうぜ!

んでもどんなもんなのよ、って、あ?また定義づけからか?

便所っていったらもう。そりゃあ。ビッチアップグレード版ですからね。

考えろ!(※非常に強い口調ですが、筆者はここで「例として一つ考えてみてください」、というメッセージをこめています

ビッチ定義は多分だけど

社会通念における貞操観念というモラルレベルが低い、か欠如している

・そのため、男女間交際においてトラブルになる例がある

・服装に関しては、うーん。自分から見たらギャル系の類似・・・のような。

まぁこう見るとね。ビッチっていう言葉もね。ホント多面性ある言葉だこと。ビッチ≠Bitch。うん。

そこで僕が提唱するこの便所系女子・・・どどん。

貞操観念というか、衛生観念がない。なんでも食べるし、なんでも飲む。娘さんはこんなに強い娘に育ちましたよおとうさん!(先述の○笠原祥子奴隷調教ドキュメンタリーマリア様見ちゃダメ! ~アヘ顔WPでいろんな体液がまじったのをがぶ飲みするシーン

・男女間交際に関しては、不特定多数、もしくは特定多数からなる集団によって性的な欲求の対象になっている

・本人は、自分が集団性的暴行事件の被害者になっていることに関して、ライフワーク自分自身の生き甲斐であると信じている。れぞんでーとー。

・「現実にそんな行為できねーだろwww」という人もいると思うが・・・まぁ、なんだったら具体的な考察を後ほど用意してみたい。

便所系女子ファッションについて

まぁギャル系のファッションとか、あー、ビッチ系っていうファッションジャンルもあるんでそ?

VICCIもあるしね!(※意味がちがいます)んじゃー今から僕がですね・・・

女性のみなさんを思わず「私もお便所になりたい!」とか、「ビショったんで近所の公園トイレいってくる」とか、

「まああたしもともとお便所ですけどーvvvてゆーか今も(ry」な女性をひきつけるファッションにしなきゃな・・・

「黒の油性ペン」どどん。

大多数の人は「は?」てか、理解して吹いた人は回れ右して鏡の前へ行け。服をめくってみろ。僕はお前が普段着てるアンダーウェアの下にどんなやんちゃ

落書きをしているか知っているぜ。

あ、すいません暴走しましたね。・・・というわけで、自分の体にメッセージや料金、アートなどを描きます

これを雑誌に載せるときキャッチコピーキャッチコピーキャッチコピー。あー。

キュートなペイントでチン○をがっちりGET☆」

「愛され安心中出し一回¥30価格設定でガテン系おじさま達全員とメルアド交換!?

キュートラブリーシールタトゥーからすぐはがせるキラキラ精子シール&メコマークシール付!

これ見てまだ「何これ」って思ったり吐き気催した方はー・・・あー。すません。

百聞は一見に敷かずでPixivの「身体に落書きタグ

http://www.pixiv.net/tags.php?tag=%E8%BA%AB%E4%BD%93%E3%81%AB%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D

登録してない人はPixortでもどうぞ。

http://www.pixort.net/index.php?word=%E8%BA%AB%E4%BD%93%E3%81%AB%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D&mode=all

ファッションは揃った。

音楽・・・秋元あたりにプロデュースしてもらうか。グループ名は・・・「WC1+47」ていうのはどうだろうか。読み方?ゴロ悪いからまかせる。

意味としては公衆便所志願の便所系女子1人と残り47人は申し訳ないんだけど公衆便所にあんまお金かけたくないかAV男優とかよべませんでした^^;

代々木公園あたりでボランティア融資を募ってツアーバスを出すくらいしないとおっつかないな・・・

(これでどうやってCDを売ったり握手会するのかは聞かないでください!!でもまぁ・・・握手会っつーか・・・うん。ファン交流イベントとしては乱交とか最高のイベントだよねきっと・・・

もうこれは流行る。仕掛けられる。機は熟した。いざ鎌倉。そういえば!!

この前鎌倉いってきましたー!彼女と一緒に鶴岡八幡宮へ。神前式結婚式やってて見てて楽しかったー・・・閑話休題

これは売れる!!便所系女子!!

僕には見える!!便所系ファッション便所系ミュージック

そして町に溢れる大量の公衆便所志願の女性たちが!見える!見えるよ!

日本少子化問題も解決!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ピルの輸入は停止して生産しませんし妊娠中絶はこれを機に禁止!!!!!!

その代わり公衆便所出産した赤ん坊に関しては国が完全にめんどうみようぜ。公衆便女がみんなの物なんだから

の子供もみんなの物だ。当然だろ?どんな敬意で生まれたにせよ、子供子供赤ん坊・・・赤ん坊なんだ・・・

みんな・・・生きてる・・・みんな大切な・・・・命なんだ・・・BGM:僕らはみんな生きている)

というわけで長々とお送りしてみましたが、便所系女子

あ、ちなみにこんな素敵な公衆便所ライフに、もし奇特かつ危篤にも志願したい、してる、なりたい、なってみたい、興味はある、

以前そうだった、友人がそうだった、母がそうだった、ていうか自分はそうやって生まれてきました、というレジェダリーな女性がいたらメールください。電話ください。僕に。ええ、誰にって、僕に。

2012-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20120126192310

同族嫌悪じゃないかな。

ケチを付けるだけで建設的な意見を出すことができないのは、デモとかネトウヨかいう奇妙なキーワードを多用する件のおじさんの特徴。

ニラニラヲチと言いながら、ライフワークになっているのだから、彼のなんとも無残な人生が浮かび上がる。

2011-07-28

エヌ氏の一日

エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンクリックすることから始まる。

「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達日記ひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。

エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。

朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるもの仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。

エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。

本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。

出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。

エヌ氏は、家を出たことを仮想世界上の日記に書き込んだ。

するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。

たからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。

バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。

バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末コロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真仮想世界上の日記として書き上げた。

当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。

食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。

エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。

電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記作成した。

日記作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。

会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。

会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。

プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベート日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。

ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。

タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から喫煙なう」と仮想日記に書き込んだ。

書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。

エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーションアカウントログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。

「いいね!」ボタン操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。

カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要ライフワークとなっている。プリンカウントは89だ。日記タイトルカウント数を入れて、写真を撮って日記作成した。

先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。

この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事であるしか読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。

「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。

食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。

画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。

日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。

エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。

帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車バスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチ薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。

時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706204412

別にしなくてもいいのに自主的に節約ができる人って、節約やりがいを感じてる人だからなあ。

もうライフワーク趣味みたいなもん。

まあつまり、ある程度追い込まれてから節約が頭をよぎるような増田には、どう転んだって自主的な節約は出来るはずないって事だ。

出来ない事を後悔しても仕方がない。

2010-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20100212132124

家の前の道にゴミを投げ捨てる人がいて、それで定期的に掃除しているんです。ポイ捨ての現場を見つけたら、その場で注意することもあります。口論になることもあるけど、ちゃんと話せばわかってくれる人もいるし、見ている子供たちに「ポイ捨てはいけないことなんだな」とわかってもらえたらよいな、と思っています。

ときに、「ゴミがあっても実害がないから放っておけばいい。自分の家の敷地内ならともかく、わざわざ公道掃除するのは正義感からだろう。掃除ライフワークか」などと言われることもあります。掃除ライフワークにできるのなら、そうしたいですが、なかなか難しいです。ゴミも実害がないと思われがちですが、ご高齢の人がつまずいたり、車椅子の人が通りにくかったりします。中には火のついた吸殻を捨てる人だっているのです。

ゴミ掃除をしている人もいろいろで、ポイ捨てする人を必要以上に口汚く罵っている人がいないとは言いません。そういう人がいたら、面と向かって批判すればいいと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20100212132124

ライフワークの如く探し出しては叩きまくっている人達の原動力が謎だ、という話で。

科学に携わる人には、それが当然の義務であるとかライフワークの一つであると考える人も多いでしょう。

2009-11-14

[blog][music]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点

http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650

はてブクマしてほっといたがコメントを後から読んでみた感想増田に書きますよ。

あ、先に断っとくとブログ主じゃないですよ。

主さんの考え方とはおそらく明らかに違うことをざっと書きますので。

さて、センス至上主義の人たちってのはことごとく残念な方が多いですね。

僕も頭は悪いけど、どんなことでも自前で考えることを辞めてはいませんから、

この人たちと比べりゃ少しはマシかなと思っています。

なぜマシかな?と思っているかを書きましょう。

芸術に限らず物事を見るっていう行為には、必ず束縛されるものがあります。

物事を見るヤツの脳みそです。

脳みそ(全身の神経、肉体を含んでもいいです)にはそいつが生きてきたあらゆる経験が蓄積されています。

全部喋るワケにはいかないので、芸術鑑賞に限りますが、

鑑賞するにも当然経験というものが大きなファクターを占めることになります。

生来のセンス、なんてものはここでは殆ど意味を成しません。

というか、芸術における生来のセンスなんてものは人間には備わっていません。

しいて言えば、生まれた環境、育った社会で目にし耳にしてきた事、この蓄積が異なるくらいでしょうか。

ですが、肉体の素質の差というのは、確実にあります。

有名な話ですがピカソは10歳ごろには既にものすごく達者な写実絵を描かれていたそうです。

そんなに幼いころにすばらしい絵を書けたという事はものすごいセンスの持ち主ということじゃないか!と言われるかもしれませんが

残念ながら全くの早とちりから来る誤りです。

写実絵というものは、インプットアウトプットの精度の問題であり、センス云々は全く関係しない分野なのです。

つまるところ、肉体性能…筋力とかじゃないですよ。この場合は目の力、空間把握能力、そして手の器用さです。

これが達者だったからピカソは幼くしてすばらしい絵がかけたんですね。

あ、こういうとまた文句を言うヤツが出ますね。

写実絵というのもセンスは必要ですよ。

構図のとり方、ライティング、描くものの配置など、考えなければならないことはたくさんあります。

ま、これはセンス至上主義者、才能至上主義者信仰するような

生まれ持ってのセンスなどではなく(そもそもそんなものは存在しないといいましたね)、蓄積されたセンスですがね。

ピカソの絵はルールを破っているということを理解できてはじめて意味がある。守破離と言うヤツですね。

ルールが無いヤツは最初から型破りなんて出来ないんです。ルールが先にあってこそ、型破りを実行することが出来る。

美においてルールとは、観察と経験の蓄積と人間の肉体感覚によってのみ規定されるものなのです。

かつては文化圏文明圏ごとに感覚が分かれていましたが、ネットによってある程度統一化されてきているなぁと感じます(脱線)。

精巧な写実絵を幼くして書くことが出来たピカソは、それまでの画法と異なる彼独自の画法で表現を行っていく道を行った。

何故かと言えば、それが彼が伝えたいことを彼が伝えたい人に一番伝わる方法だとピカソが結論したからでしょう。

優秀な表現者というものは、ここでは芸術家のみの例を挙げていますが、文筆家にしろ、技術者にしろ、あるいは一個人でも同じですが、

自分が伝えたいことが自分が伝えたい相手に、どうすれば伝わるのかを常に考えているはずなのです。

純粋芸術なら、当然、芸術家本人が持つ問題意識(単純に環境破壊とかそういうものでなく、

赤ちゃんをどうやって可愛く描くか」のようなライフワーク的なものも考えられますね)からなるテーマがあり、

それに対する回答が作品となるでしょう。受け手は問題意識を理解してほしい鑑賞者であり、作者自身でもあります。

商用芸術では昨今では仔細なマーケティングが行われていることは周知の通りです。

それがたとえアウトサイダーアートだとしても、自覚的に商売としてやるのであれば

自分が何をしているのか、自分はそれをどうしたいのか、どう売り込みたいのか、考えているはずです。

それが理解されるかどうかは別として、自分が伝えたいことを自分で明確に出来ない芸術家は大成するはずがありません。

伝わるアテの無いものを創ることは幼い子供や、本当の趣味人に与えられた特権と言えるでしょう。

「そんなこと一切考えて物を作ったことなんて無いけど芸術で暮らしていけているよ!」という方は

きっとダウンタウン松本氏における浜田氏の様な素晴らしい相方と出会えたのですね。おめでとうございます。

さて、問題は伝わる方です。

自分の見たことの無いものを鑑賞するとき、人はどうするでしょうか?

生来のセンスがあれば、ちゃんとした評価が下せるのでしょうか?

それとも、間違っていてもセンスで感じたことが正しいのだと言い切れるのでしょうか?

順を追って考えれば、殆どがまずそのものをちゃんと見ようとするはずで、

目にした瞬間エレクトリックサンダーが全身に走るような至福の体験を得るなどということはありえないはずです。

人間なんてもんの見た瞬間に出る感情は、自分がそれまでに見てきたものから割り出すように出来ているんです。

人は完全にわからないものと触れる時、評価を下すには多少の時間を要するのです。

生来のセンスなるものがあるなら、そんな時間は必要ないでしょう。何も考えずその場でパッと決めてしまえばいいのです。ゲド戦記はクソ、とか。

ま、ゴッホみたいに死ぬまで放置されてから評価される画家もいますから、そんなヤツはセンス0の大馬鹿者であると断じてしまえるわけですが。

ちょっと古いですが、アイフォーンをはじめてみたとき、

「ああ、ついに完全タッチパネル携帯が発売されるのだな。人類革新だ」って思った人は先に記事を読んでる人だけで、

そうでない人は「キーパッドないの?」「液晶DEKEEEEEEEEE」「なにこの□」のように、

見た目からはこれまでの携帯とは形が違うから、どういうものなのかを判断しようとしたと思います。

芸術だって同じです。見たことが無いような作品、バックグラウンドがわからない作品を理解することは出来ないのです。

ゲルニカを最初に見た時、僕はこの絵が壁画として作成されていることがわかりませんでした。

あと感じたことは、「ちょ先生教科書に微グロ入ってるんですけどこれ」くらいのもんです。

だってなんか変な生き物が人を食んでいるんですから。

戦争の絵って言われても戦争まんがははだしのゲンしか知らない僕からしても大いに差があり(だって人間しか出て無いですからゲンは)、

戦争関係なくね?マジキチ」としか考えられなかったことを思い出します。

今ではこの絵がどういう背景で、どういう意図を持ってかかれたものかわかります。

だから、あの大きな絵に描かれた一つ一つの人物、動物にどんな意図があるのか、

それがピカソという偉大な画家の考えと一致するかはわかりませんが、僕なりに思いをはせることは出来ます。

即断即決で評価を下す必要なんて無いのです。時間がたてばわかることだってあります。それが蓄積されたセンスの成長なのです。

一つの作品を前に、作者とその時代、昔の自分、今の自分、そして作品そのものと触れ合う体験が出来るのが芸術鑑賞なのです。

同じような体験として、聴かなくなった音楽を久々に聴いたときの感覚があるでしょうね。

卑近な例で示したとおり、自分自身というものは変らないように思えて、

仕事学校人間関係を経ることで常に変化しているものなのです。

センスなんて言葉確信的に使ってはいけない理由はこの一点なのです。

使っても問題ないのは人を褒めるときくらいでしょう。それ以外の場面では、使わない方がいい。

人間のセンスはある程度のブレ幅までは抑えられるが、完全に固定できない。

それなのに、センスなどという曖昧模糊なもののみを後ろ盾にし、

他に根拠の無い好き嫌いを強弁するなどという子供じみたマネは

魔術的盲目さすら感じる薄ら寒い行為と断じるほか無いのです。

それとも、共感できれば、自分が根拠なく、しかし好きだ、正しいとは感じることが出来ればそれでいいのでしょうか?

僕はそうは思わない。

勿論経験によるセンスは人それぞれなんで、好き嫌いはあります。

見たものをそのまま感じ取ってそれがよい体験となる芸術作品もたくさんあります。

ですが、感情にそのまま訴えかける芸術というものは、やもすれば危険物にすらなりうる可能性を捨ててかかってはいけないのです。

人類歴史は、いかに肉体欲求をコントロールしてきたかの歴史でもあるわけです。

人間のしくみが生命機械であるとわかっている以上、感情もまた肉体欲求の一つです。つまり、制御出来うるのです。

オカルトなんかじゃありません。

あなたがメディアを通してあなた自身とかかわりの無い人間に対してどれほど多くの感情をもっているかを想像してみれば、わかるはずです。

MMRに書いてあったサブリミナルみたいなヨタなんてメじゃない恐ろしさです。

で、メディア芸術の違いは、僕からみれば非常に曖昧です。

出自や成り立ちは芸術大学なんて出てませんから知りませんし、教養も無いからわかりませんが、

聴覚(場合によっては他の感覚)を通して物事を伝え、感情を伝えるという共通点があります。

もしあなたがメディアになにかしらの違和感を感じ、それが問題であると考えるのであれば、

芸術に触れた違和感を感じたら時にも問題意識を持たないといけません。

あなたの友達がそう訴えてきたら、ちゃんと話を聞いてあげないといけません。

(ま、友達の感じたことも受け入れられないのであれば芸術鑑賞そのものの否定をしていることと同じと言えなくも無いですが)

そんな窮屈な思いはしたくないと言うなら、好き嫌いすら語らないことです。

それならセンスが似たもの同士で集まればいいじゃないかと思われるかもしれません。

それが良くないとは思いませんが、しかしその集団に居続け他の意見を聞かないことは、

徐々に感覚麻痺させ自分たち以外の感覚への無理解をはぐくみ、閉塞へ向かって突っ走ってるだけであり、

スイーツ(笑)」やらなにやら言って喜ぶ人間に成り下がるだけのよろしくない行為と言えましょう。

現に今の社会は閉塞したコミュニティの複号体になってしまっており、

その要因の一つが芸術メディアの受け取り方だとすれば、

表現という形でコミュニケーションを図る物自体の存在意義が変化していることの表れなんでしょうか。

(テレビみねー、ゲームとか興味ねぇ、美術館とかブルジョアか!などいろんな派閥がいるでしょうな)

その変化が感覚や感情のような曖昧でふわふわしていると思われているものに密着しているなら、危惧すべきことだと思います。

なんかとっちらかっちゃいましたが、つまるところ、

センス至上主義者は考え直せ、頭を使え、鑑賞してる時の楽しみ方に文句をつける気は無いから。

と、言いたいわけです。

僕としては、こんなクソ長くクソ面白くもなく他人人を完全に否定するようなシャドーボクシング的文章を最後まで読んでくれたあなたが

自分の考えもオンリーワン世界に一つだから思想修正主義絶対反対とか言いながら

芸術作品に対して自分の考えのみを誇示し続け、異論をことごとく無視し自分と同じセンスの持ち主だけで結託して外に出ない、

あるいは自分と異なるセンスは認めず叩き潰すことに快感を覚えるようなサイコパスでないことを祈るばかりです。

だって、芸術の感じ方なんて、人それぞれでしょう?

2009-10-14

夢を叶えた人たちと向き合うには

高校の頃の友人は次々と夢を叶えた。

装苑賞受賞。伊勢丹バイヤー電通マン。芝居俳優プロダクトデザイナー


私には、語れるような夢はなかった。

別にその事自体は特に恥ずかしいと思っていない。

そんな人もたくさんいるだろう、

夢がなければ、適正のありそうな学部に行き、粛々と仕事をして、

自分を食わせていく事が役目だと思ってきた。

現在、そのまんまの生活を送っている。


これになりたい、と思って決めた仕事ではないが

特に苦痛はない。環境もいい。

このご時世に、給料女性としては十分に頂いている方だ。

暇をもてあまさない程度に楽しめる趣味もある。

なにげなく生きているだけで、幸せを感じられる。


冒頭の友人たちと接する時だけ少しつらい。

私には、彼ら彼女らが活き活きと話す「ライフワーク」を理解できる土台がないことが

年々、しんどくなってきた。

話自体はとても楽しい、ただ返せる言葉が本当につまらなくて

(「すごいなー私そんなに深く考えて仕事してないよー」とか)

何で私ここにいるんだろ?って思うときがある。


もっと夢敗れて、現実に直面するのが世の大多数だと思ってたのに

みんな頑張って頑張って我慢して不安乗り越えて

夢を叶えたんだから、凄いよ。

これさえやればいい、って保険ばかりかけてきた私には向き合い方がわからない。

2009-09-18

敵は記者クラブだけではない(改題)

人民情報を持たず、情報を入手する手段をもたないような人民政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章か、あるいはおそらくその双方への序章であるにすぎない。

知識を持つ者が無知な者を永久に支配する。そしてみずからの支配者であらんとする人民は、知識が与える権力でもってみずからを武装しなければならない。

ジェームズ・マディスン(※1)

昨日我が国では民主党による新政権が発足した。前与党自民党による置き土産の中で最も重要なものに「公文書管理法案」(公文書等の管理に関する法律)というものがある。これは公文書問題をライフワークとしている福田康夫官房長官時代から懇談会を開くなどして(※2)取り組んでいたもので、首相になってからは有識者会議公文書管理担当ポストを新設しトップダウンでこの法案策定を押し進めていたものだ。(※3)

日本における公文書問題とは、国の機関による文書の作成、管理・保存、廃棄が適正に行われず、民主主義国家の運営に支障を来しているという問題である。重要文書が隠されていた薬害エイズ問題、記録が失われた年金記録問題、存在が否定されている沖縄返還交渉における密約などはよく知られた代表的な例である。

民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。

(※4)

日本でも2001年より情報公開法施行されているが、文書の作成、廃棄の権限が行政機関自身にあるためにちゃんと機能していないのが実態である。情報公開法施行直前の官庁による文書大量廃棄や公文書トイレットペーパーという話題などはよく知られているところである。そこで「真実国民の目に触れないのは民主主義にとって問題がある」とこの公文書管理の向上に乗り出したのが前述の福田康夫である。

地元から依頼されて探していた終戦直後群馬写真が、訪米した際にアメリカ国立公文書館で簡単に手に入り驚いたという経験が、福田公文書問題に関心を持つきっかけとなっている。(※5)福田が驚いたというアメリカ国立公文書館Webページにアクセスしてみると「民主主義はここから始まる」という言葉が掲げられている。

Democracy Starts Here.

http://www.archives.gov/

日本国立公文書館の職員42人に対し、アメリカ国立公文書館の職員は約2500人である。韓国約130人、中国約560人、カナダ約 660人)(平成15年時)(※6)かけられているコストが桁違いなのである。

さてこのように民主主義を支えるための重要な手続きに関して大きなコストがかかるという話が出ると、決まってそれを嫌う下記のような意見が出てくる。

(しかし文書管理コストをかけていないため、年金記録問題や質問主意書残業問題などで他の余計なコストがかかっている事、逆に、文書を適切に作成・管理する事で業務の効率が上がる面もあるという事も忘れてはならない。)

これらは全て、住民が行政に対して「もっと正確に」「もっと公平に」「もっと透明に」を求めた結果なのだ。確かに正確も公平も透明も大事だけど、これじゃ「正確な仕事」ではなく「正確“が”仕事」だ。「仕事」の部分はもはやサブである。

ひょっとすると、人件費を減らすためには、住民がガミガミ言うのをやめるのが一番の策なんじゃないだろうか。

来年公務員試験を受けるつもりだったけれど、このままモチベーションが保てるのか、微妙だ。

http://anond.hatelabo.jp/20090916185052

この方は役所でバイトをし、さらには公務員を目指しているらしいが、すでに我が国の行政において正確さ、公平さ、透明さが十分に確保されているとお考えのようだ。

はてなブックマークでの反応の一例。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20090916185052

このような人たちだけではなくマスコミ認識も似たようなレベルである。民主党が政策策定過程などを全面文書化し情報オープンにしていこうと提案した事に対して。

「閣僚の指示すべて文書化します」民主党方針 公文書管理法先取り

民主党が、平成23年施行公文書管理法を先取りし、閣僚や副大臣らの政策判断や指示などを原則として全面文書化し、公開する方針を固めたことが1日、分かった。

(略)

各省庁は文書化や文書管理などにより事務作業が増大し、「行政スリム化」と矛盾が生じる可能性もある。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n2.htm

やはりコストがかかる事を嫌うようだ。はてなブックマークでの反応の一例。

  • roadman2005 politics 人気取りの政策をやりすぎると文書作成のため会議になり、事務機能を無駄に疲弊させる. 2009/08/02

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n1.htm

日本民主主義(この人たちにとっては民主主義(笑)なのかもしれないが)を最低限機能させるためには記者クラブだけではなく、情報公開コストをかける事を極端に嫌うこのような人たちとも根気強く戦っていかなくてはならない。

※1.松井茂記著「情報公開法入門」より孫引き

※2.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/index_k.html

※3.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080229/plc0802291213003-n1.htm

※4.http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/hokoku.pdf

※5.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080302/plc0803021842003-n1.htm

※6.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/kenkyukai/tyousahoukoku/houkokusho0.pdf

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん