はてなキーワード: ユーゴスラビアとは
秋2018
・College Writing
話をしたり作品の分析をしたりは嫌いじゃないんだけどレポートを書くのが死ぬほどしんどい
好きな映画について書き始めたけど見直しすぎてこの映画嫌いになりそう
教授がユーゴスラビア出身の人なのでアクセントが聞いてて気持ちいい
・Intro to Philosophy
哲学(入門)
ソクラテスをベースにデカルトとかミルとか読んだり論法を練習したり
曖昧なことについて考えるのは好きだけど2-3年かけてみっちり勉強したいほどではないと思ったので専攻候補から除外
洞窟壁画とかから始まってピラミッドとかギリシャ彫刻とか仏像とかについて学んでる
美術は好きだけど興味があるのは絵画だから建築と彫刻ばっかりのこのクラスはあんまり面白く感じなかった
でも「アートって何だろうな」みたいなのがちょっと分かってきた気がする
・Multilingualism
この国で使われてる言語、他の言語から受けた影響、方言、文化グループ等について学んでる
正直クソ面白くて入学前には視野にも入ってなかった言語学に興味が湧いてきてる
・Applied Calculus to the Social Sciences
微積分?のクラス 応用問題としてリアルなシチュエーションの文章題とか出てくる
死ぬほどつまらないし教授何言ってっか分かんないしリタイヤしてしまった
冬2019(予定)
・Drawing 1
副専攻として美術やりたいし最近絵書いてなさすぎて画力心配だから基本的なとこから始める
春2019(予定)
・Intro to Cultural Anthropology(民俗学)
・Writing about Performance(レポートの書き方、演劇やダンスが題材)
・Color Theory(色彩理論)かPainting 1(油絵)のどっちか
他に取ろうと思ってる必修(一般教養?)
・理科応用:Data and Society (データと社会)
・数学(再挑戦):Excelかコンピューターサイエンスの入門
そろそろ一般教養を取り尽くしてしまうので専攻を決めないとまずいところだが分からん
法学とか医学とか暗記だらけのエリートルートは無理だしエンジニアリングとかコンピューターサイエンスとかのそこそこ高給安定ルートも興味が持てない
今年の全米オープンは酷暑に見舞われてリタイア続出だったんだけど、
女子決勝が行われた日の外気温は22度だった。
なのにアーサーアッシュスタジアムの屋根は閉じられていたため、
その前の大阪なおみとの試合では、セレナはなおみたんに負けている。
第1セット、序盤からセレナらしくないミスを連発し、なおみたんにリードを許すセレナ。(注1)
セット終了時に、選手席のコーチからアドバイスを受けたとしてセレナがコーチングの警告を受ける。
セレナは「私はそんな卑怯な事は今まで一度もやったことはない」と抗議。
それに対して主審はほぼ何も言わないので、セレナは自分の主張が認められたと考えていた。
普通だったらここで「私もそう思うけど運悪くそう見えざるを得ない状況だったので、仕事柄警告しないわけにはいかない」とでも言っておけば
セレナは矛を収めた筈なのだけど、主審はなんのリアクションもしなかった。(注2)
第2セット、サービスをブレークされセレナがラケットを折って警告(これは妥当な警告)
コーチングの警告とラケット折りで累計二つの警告となり、セレナはポイントペナルティーとなる。
ペナルティーをとられたゲームが終わった後で、コーチングの警告が撤回されたとばかり思っていたセレナは
コーチングの警告に対してまた訴える。
朝日の新聞記事だとポイントペナルティーに怒ったように書いてあるけれど、
セレナは徹頭徹尾「コーチングなどというチートなことを私はしない!」と言って怒っていた。
セレナ「私がそんなことしない人間だと、あなた知ってるでしょ」
主審 無言
主審 無言
主審 無言
ゲームが再開され両選手立ち上がったところで主審はセレナに対してゲームペナルティーを宣告。(注3)
「うそつき」に対しての警告で、累計3回の警告でゲームペナルティーになったらしい。
これで第2セット3-4が5-3になる。既にワンゲームダウンだったセレナは貴重なブレークチャンスを失う。
これには場内騒然。
セレナはレフェリーを呼んで、暫し訴えた後、納得はしていないが従うと述べて試合復帰。
このあとセレナは、この状況から考えればかなり良いプレーをし自分のサービスゲームはきちんと守ったものの、
(注1)
確かにセレナは調子が悪かった。新聞記事にも、ペナルティーがなくてもセレナが負けていたという観客の声が載っている。
でもどんな不調でも、微かな契機を掴んで調子を戻し逆転勝利に持ち込めるのがトップ選手。
もしペナルティーでここまでこじれなかったら、フルセットにもつれ込んで歴史に残る名勝負になった可能性もあった。
(注2)
それに対して主審は何故その判断に至ったかをきちんと説明している。
少なくとも私が観てきた試合ではそうだった。
ごねるけれど、審判は選手を試合に復帰させるべくすかしたり脅したりと、あの手この手で選手を言いくるめている。
(注3)
これが今回最大の争点ではと思う。
更に警告を出すとき、主審はその前に「警告だすよ」と口頭で脅しをかける。
たまに突然警告を出す場合もあるけれど、それはその前に散々言い聞かせ、「警告を出す」といっていたのに
その時は、選手が納得せずとも観客がこれならやむを得ないと納得するのだが、今回この流れで出たゲームペナルティーを納得した観客がいたのだろうか。
私がこの試合をみて思った事。
この試合について直後から差別だという非難があって、私もそう思う。
この試合の障害は主審と選手のコーチングへの認識の相違であり選手そのものではない。
主審は相違の溝を埋めようとしたのだろうか。それをせずいきなり選手の排除に動いたように私にはみえる。
決勝で男子選手にゲームペナルティーを科して試合の結果を決められるのかと。
セレナが大人しく従っていたらよかったのではとは私は思わない。
セレナは過去にも、コートサイドの愚痴を(コート内で言ったわけではない)わざわざマイクで拾われ、
それに対して大々的な批判をされた。
この時も当然ながら「男子はもっとひどい事を言っているのに騒がれないのは何故か?」という声がでた。
命に関わる病気(血栓症)のために着ていたウェアを「品位にそぐわない」として禁止した全仏のキャットスーツ騒動も記憶に新しい
。
何度も何度も、あげつらわれ嘲笑され、人格を否定されてきた経験の積み重ねだったセレナに、そうでなかった人と同じ態度を求めるのはフェアではないと思う。
そしてセレナが騒いできたからこそ、テニス界の差別が少しはよくなって、錦織や大阪が過去の東洋人選手よりは活躍できるようになったとも言える。
忘れてはならないのは、セレナは抗議はしたが最終的にはペナルティーに従い、なおかつ表彰式では鳴り止まないブーイングを制止し
会場をコントロールすることで女王の貫禄をみせつけた。短気で怒ったわけではないのはこれをみてもあきらか。
「自身の立ち居振る舞いが恥ずかしいと気づいたのか」などと書いた新聞記者は恥を知れと言いたい。
ユーゴスラビア紛争の真っ最中に彗星の如く現れた、セルビアのモニカ・セレシュは試合中に出す声が大きいと散々揶揄され、
アメリ・モレスモはレズビアンであったためか、試合に勝つ度に「本当に女なのか」「検査しろ」などなど、デリケートに扱うべき問題をあげつらわれた。
これらに誰も何もいわなかったら、今のテニス界はどうなっていただろう。モレスモはマレーのコーチを務めていただろうか?
抗議することは重要だと思う。
https://digital.asahi.com/articles/ASL9944QGL99UTQP01G.html
ノンアルコール茶葉ペデストリアンノーモア本懐ソフトクリーム堀江貴文ユーゴスラビア南京錠蒲田ノロウイルス白村江の戦い万景峰号ホリデイノーマライゼーションナスカの地上絵丹波凛孫正義リンドバーグリーンの翼ほうとうパッキャオ秋篠宮家サブマリン墾田永年私財法アルソック懐中電灯ソフマップカンタムロボ佐川急便マッキントッシュコードブルーロリコンカンバセーションピース本田圭佑かちどき橋セットポジションミライアカリカーボンナノチューブパリストンコブラキッズノーリターンヤンヨーステンテーブルクロス新海誠テニアン島真珠湾攻撃コンボイガリア戦記タクティカルアームズネメシス号チャンドラボース坂井三郎近親相姦アリストテレスいんきんたむし今敏大友克洋キーエンスソードアートオンラインミリアルドピースクラフト渡辺麻友オイスターソース花魁死海文書ムンバイ。
M井物産「俺もその辺の男には負けないけどエムスリーには歯が立たないかな。」
これは、銀座コリドーのとある飲食店で目の当たりにした知的でくだらない会話である。
脂の乗った丸の内系OLを前にして、清水健太郎風のM井物産社員がこんな話をしていた。
丸の内系OL「エムスリーってあの医療系の?ソニーの子会社だったとこだよね。」
M井物産「エムスリーの1人目は、松山英樹。世界ランク2位だぞ。勝てる気がしない。」
丸の内系OL「ああ、そのMね(笑)野村がスポンサーについたよね。」
M井物産「2人目は、ミルコクロコップ。ユーゴスラビア紛争を生き抜くために格闘技をはじめて警官になった男。立ち技では絶対敵わない。」
M井物産「3人目は、カンパニー松尾。寝技では絶対敵わない。知ってるカンパニー松尾?」
つづく
まず最初に言っておくが、俺は消極的自民支持者だ。(物凄く消極的にな)
様々な点で問題が山積しているが、野党にまかせるよりはマシという立場な。
政治はベストではなくベターという原則で物事を見ると、そうせざるをえないのだ。その事をこれから説明する。
民進党議員が「民主党政権の時の方が数字は良かった」などと寝言をほざく事も、国民の現政権支持志向を加速している。
第一とかぶる事も有るのだが、消費税増税を決めた野田内閣と、消費税増税延期を決めた安倍内閣の対比が厳しい。
でも増税を決めたのは野田で延期したのは安倍って意識は変わらんのよ。世の中そんなもん。
あとさ、保育園落ちた日本死ねは良い所突いてたと思うのだけど、その後がマズいよね。
子供が貧困で可哀想。どうにかしてやれ的な話は日本人大好きだろ?でも特定秘密保護法や共謀罪はどうでも良いんだよ。
これもわかるよ。結構ヤバい法律だ。運用次第では無実の国民を盗聴して逮捕もできちゃうヤバい法律なのわかってる。
でもね、これも前段階で学生運動とか軍靴の響きとかやりすぎたのよ。何回もヤバイヤバイ言いすぎてヤバイが現実感なくしてる。
続いて第三。
これが一番大きいのだが、経済がソコソコうまくいっている事が最大の理由。
増田とかで多い派遣や非正規は悲惨なのだろうな。生活保護者やこどもの貧困も酷いのだろう。
だが、国民の過半数はソコソコ幸せなのだ。そして、幸せなら首相がバカでもウソつきでも気にしないのだ。
まず大多数を占める老人、チビチビと年金を削られてはいるが、元々物価スライドで下がる分を上乗せされてただけ。
TVでは年金減ったと文句言ってる爺さん婆さんばかりだが、頭がシャキッとしてる老人は理解してる。
そしてバブルくぐってるから堅実な人は貯金が凄い。持ち家+ウン千万持ってるのが普通。そこに厚生年金で夫婦月30万とかもらっちゃう。
苦しい老人が居るのは知ってる。体が動かなくなって貧困な老人はそりゃ大変だろう。
でも過半数はヨユーなんだよ。苦しい言ってるジジババの大半、通帳見たらゼロが7つ8つ並んでるわ。
俺らが逃げ切れるなら自民支持オッケーが大半。
ぶっちゃけ景気はソコソコ良い。下請け孫請け泣かしとけば自分は儲かるのだ。
増田では下流のエンジニアとか多いが、元請けはマジ儲かってるし派遣の元締めもクソ儲かってる。
自営業者も仕事はかなり来てる。使えないオッサンオバサンは知らん。
分割して統治せよではないが、安倍首相は泣かす所と良い思いさせる所の調整が上手い。
選挙前に老人へ一時金出して、投票に来ない若者は増税でシネとくる。しかしソコソコの会社に勤めてる人やそれなりの自営業者は収入増えてるから我慢できる。
しわ寄せは貧困者、生活保護受給者、ひとり親世帯、ワープア辺りに全て押し付ける。
下位数割を泣かせて過半数を取りに行く方法だ。小選挙区制を上手いこと利用してるな。中選挙区制だとこうはいかない。
現状を打破するには経済と社会保障を充実させる大きな政府の方向へ舵を切るしかない。
残業は基本給×2、休日出勤は×3、サビ残は発覚で更に倍付け。払わなかったら社長や役員の個人資産まで差し押さえ。
諸説有るけどサービス残業の給料取りはぐれは年20兆くらいとも言われている。2割納税してもらったらいきなり4兆の財源が発生。これは太い。
4兆を財源に教育費無料、子育て支援などに極振り。これは支持される。泣くのはタダ働きさせて貯め込んでる強欲な経営者だけ。
安倍首相は財界に良い顔したいからなのか残業をあまり取り締まるつもりが無い。
野党支持者の方は、とりあえず一般人の身近な課題を片付ける事に注力してはどうか。
ブコメの皆様へ
まず共産党は共産党というだけで民進党以上にNGです。彼らには野党として活躍してもらいましょう。
消費税はマジで5%かできればゼロにした方が良さそう。ゼロの場合は時限もやむを得ないが。
野党が安倍首相のクビ狙いばかりというのはその通りで、積み上げて獲りにいく感覚皆無ですよね。
現に私のNISAは2倍くらい(200万→410万)になりました。
給与も明細見ましたがベースアップとボーナス増額で1.2倍くらいになっています。
暗黒の民主党政権時よりは間違いなく良い。これが私程度の中流の認識です。
憲法とか加計とか森友とか共謀罪とかよりも、自分の財布の中身が大事です。
どうせ政治家なんて、与野党問わずそこら中からお金貰ってるでしょ?
加計学園を追求している玉木雄一郎議員も獣医師会から100万貰ったそうじゃないですか。
なので野党の皆様にはぜひとも一般人の財布が潤う政策をして頂きたいと思います。
憲法とか共謀罪とかどうでも良いです。高尚な政治談義ではなく国民の方を向いて政治をして下さい。
あ、国民の生活が第一はシャレです。小沢一郎はすでに終わった人でしょう、特に興味有りません。
他方、反感も頂いてるみたいで世の中は難しいですね。
反感を抱いている方は要約すると「安倍は無能でアホで汚い手段使うからダメ」って所でよろしいでしょうか?
私、その辺に全く興味無いです。
昭和頃の政治家って汚職しまくり、企業から金貰いまくりだったじゃないですか。
でも国民の懐にも金入ってたんですよね。
ぶっちゃけ、政治家は汚職しても良いので国民を富ませる事が第一だと思います。
安倍首相は憲法改正やりたそうで森友や加計学園で汚職もしてるのかもしれません(してないかもしれない)が、私にとってはどうでも良いのです。
目に余るほどの汚職ならともかく、森友加計学園合わせて100億にもならない金額です。田中角栄が懐に入れた金額の100分の1にもならないでしょう。
その程度のリスクで暗黒の民主党政権に戻したり、総理のクビをすげ替える気にはなれません。
菅直人が太陽光発電の買取価格や原発で国民に与えた損害は軽く兆を超えていますし、鳩山由紀夫が沖縄基地で揉めさせた件でも数千億以上が無駄金で消えています。
彼らと比較したら安倍首相はマシな部類です。疑惑が事実だとしてもたかが100億ですもの。
そして安倍首相は私の懐に金を入れてくれています。政府の動きを見ていれば、定期預金から投資信託や株に資金を移す事を躊躇する理由は皆無でした。
汚職をしようが、国会答弁が不誠実だろうが、共謀罪や憲法改正しようが、経済をそれなりに保ってくれるなら構いません。
ご高説をのたまう方々も、日本の豊かさと安全に守られながらの発言ですよね?ルワンダやユーゴスラビアで同じ事言えますか?
アメリカこそ悪の枢軸。人類の歴史の中で、イラク戦争ほど無意味な戦争はあったでしょうか。フセイン大統領は暴君と思われている方が多いかもしれませんが、独裁者の中では比較的善政を敷いていました。サウジアラビアには言論統制もとんでもなく、反対者は処刑されるというのに、アメリカは何も言いません。アメリカは最初からイラクが兵器を持っていないことも分かっていたようです。
アメリカが潰したカダフィー政権下のリビアもそう。アメリカが『悪』とした、カダフィーは国の富を国民に分配し、国民を思い、国民の幸福のために頑張っていた。
医療費、水道代、電気代はタダ、ガソリンも1リットル10円という格安価格。ローンに利子はなし。全国民に家を持たせ、失業者には家等の生活に欠かせないものを無料で支給。農業を始める人には農地を無料で支給、政府の売り上げの一部を国民に現金で支給、識字率を90%まで上げた。スウェーデン顔負けの高福祉の社会主義国家でした。
アメリカが挙げてる悪態は『カダフィーは独裁者である』以外すべて嘘。反政府勢力もアメリカの犬。カダフィー信者と言われるかもしれませんが、そう言う人たちも大体はアメリカ信者です。今のリビアになって国民幸福度も下がってるし、識字率も下がってる。貧富の差は拡大し、失業率も増えた。アメリカとアメリカの犬になった連中や、リビア人の少数派が多数のリビア国民の生活を破壊したのです。
NATOが攻撃したとき、リビア国民の約1/3に当たる170万人が、反対デモを行っていたといいます。西側諸国のマスゴミはそのデモを報道しませんでした。マスゴミは都合の悪いことはすぐに隠したがります。中立的な立場で、事実を報道しなければならないはずのマスゴミが、事実を報道しないのです。
『民意を踏みにじるな!悪者め!』と叫んでいる西側諸国が民意を踏みにじったのです。最低最悪です。西側諸国が殺した数万人をカダフィが殺したことにし、悪者に仕立て上げる。プーチン大統領も、各国の政治家もこのアメリカを初めとする西側諸国の悪事を批判しています。現地にいた外国人たちも、そのような事実はなかったと主張しています。私も当時リビアに行ったとき、良い国ではないかと思った。国民の1割にも満たない人たちによる反政府デモをいいことに、反アメリカ主義の国を潰そうとしたアメリカ。『民主主義』を口実にいろんな国を潰していくアメリカ。世界で一番悪なのは北朝鮮でも安倍政権でもなく、アメリカです。独裁が必ずしも多くの国民を不幸にするわけではないのです。
しかし、人が変われば政治が変わる。1代目がどんなに良い人でも2代目が恐ろしかったりする。ユーゴスラビアもチトーが死んだら内戦が始まったし、北朝鮮も金日成は庶民の気持ちを良く分かってたが、2代目の金正日は国民を不幸にし始めました。
ソ連は例外的で、レーニンが指導者になっていたが、レーニン本人はスターリンを後継者にする気など全くなく、彼の遺書には『スターリンは決して権力者にしてはならない。私の後継者は民を思い、忍耐強く、思いやりがあり、指導力もある者を指導者に…』と指示があり、後継者を決める選挙もされようとしましたが、この遺書はスターリンの命で封印され、政敵と思われるものを排除し、権力の座に就き、独裁を開始しました。
アメリカは自分の利益になる独裁国家は放置するどころか関係強化!
アメリカはフルシチョフ以来のソ連にもいちいち細かいところまで非難しました。そして、何かしらの行動をしました。
しかし、ソ連と対立していた中国に対しては激甘。毛沢東はスターリンの倍の人数を殺しました。それを認知している人間はどのくらいいるでしょうか。
また、チベット人の虐殺も見て見ぬふり。騒がれると口だけで非難をして、一切制裁無し。残虐な独裁者を許さないのなら、チベット人やウイグル人の支援をすればいいのに...
第二次世界大戦後の戦争は間接的なのも含めて7割アメリカからおこしたものです。戦争をすれば、アメリカ経済が潤うのだからアメリカは戦争を繰り返すのです。人の命より金が大事というアメリカの腐った思考は本当に考えられません。スターリンみたいなものです。
原爆を落としたことをアメリカの大統領は謝罪するべきなのに、一度も日本に謝罪しに来ていません。保守派の方々が言う『日本の誇り』を奪ったのもすべてアメリカ。日本人を沢山殺し、戦後の日本に不平等条約を押し付けたのもアメリカ。
それなのに、日本人がアメリカを恨まないのは、アメリカに洗脳されている証拠。北方領土の領有を主張するくせに、アメリカが武力で日本から奪ったグアム島の領有を主張しないのは、アメリカを贔屓しているってことではないのでしょうか。
ソ連軍が北方の島々に侵攻しようとしたときも、事前に出ていくように警告し、日系住民の命をできるだけ助けようとしました。それに引きかえ、アメリカは事前通告も無しに、罪もない市民を何人も殺害したではないですか。
アメリカはソ連への見せしめの目的(口実:戦争を早く終わらせるため)だけに核爆弾で数万人もの日本人の命を奪った『犯罪国家』です。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
日本代表の長友が所属していることでもおなじみのインテル・ミラノというクラブ(一応断っておくが、半導体屋のインテルとは無関係。インテルナツィオナーレ=英でインターナショナルの意)には2014年1月現在、イタリア人が4人しかいない。
というのを聞いて「えっ、セリエAって外国人選手でもいくらでも獲得して良いの?」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。
『インテルに多いのはEU出身者じゃなくてアルゼンチン人じゃん!』という話は後で触れる。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。インテルにアルゼンチン人が多いのはそういう理由だ。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。クリミア出身のウクライナ代表選手(いるのか?)の扱いはどうするのかな。
今度のブラジルW杯ではウクライナ代表としてしか出られないと思うけど。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
マンUで香川真司からポジションを奪ったヤヌザイはアルバニア、ベルギー、イングランド、トルコ、セルビアの代表になる可能性があるらしく、先日ブックメーカーが賭けの対象にしていた。(※2014年6月追記:その後ベルギー代表を選んだ)
ヤヌザイの系図についてはよく知らないが、そういうこともあり得る。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
あるいは国が抱える民族問題の縮図のようなことが代表チーム内で起こることも今後増えることはあれど減ることはないだろう。
ネット上ではほぼ同義というか、一緒になって叩かれてるように見える。
二言目にはネトウヨネトウヨ言って叩かれてるようにも見えるんだけど
少なくとも国ってものが存在する以上は、自分の国に帰属したい、他国とは区別したいって思うのは当然なんじゃね。
まあ、明日から国境が無くなって、国境がなければ紛争も無くなって
世界中の人と平和に暮らせるならそれはすばらしいとは思うけど。
でも実際にはソ連やユーゴスラビアは細分割したし、なんでもかんでも一緒なればいいってものではないんじゃないか。
文化や価値観を共有する人同士が固まって生活したい、って思う人が多いから、国というものは存在してるんじゃないのか。
この地球上で、違う文化、違う価値観の人々が共存するために国って仕組みがあるんじゃないのか。
国境を作ることで、無駄に衝突するのを防いでるんじゃないのか。
だから、日本人が日本列島で日本の文化や価値観を共有する人で一緒に暮らしていきたいってのは
まあ島国根性とかも言われるけど、一概に批判されるべきものではないと思うんだけど。
それを、何かってえとすぐ差別だ排外主義だって言われてもなあ。
パスポートも国籍も存在するんだからそりゃ区別は必要でしょうよって。
もちろん、外国人留学生を奴隷みたいにしてたりするような問題とかあるけど
そういう諸問題は個別に解決すべき事案であって。
なんでもすぐ攘夷だ開国だ、右だ左だって二者択一迫ったり、罵り合ったりするのはなんだかなあと思う。
少なくとも、日本の領土に不法に居座ってる韓国や条約破棄して占領しっぱなしのロシア、領海侵犯を平気で繰り返す中国とは
今すぐ全面的に仲良くするのは難しいと思うんだけど、そういう考えは悪なの?
自分の国が潰れたら国際貢献も何もあったもんじゃないと思うんだけど。
で、こういう考えの持ち主の俺はやはりネトウヨなのかね?
原発には反対なんだがなあ。
日本が過去に基準値(370 Bq/kg)を超えたからと税関で止めた食品一覧
H1.1.11 きのこ(くろらっぱたけ) フランス 650 Bq/kg
H1.10.23 きのこ(あんずたけ)フランス 532 Bq/kg
H2.2.28 ハーブ茶(ダンデリオン)スイス 1,167 Bq/kg
H2.10.3 ハーブ茶(セイヨウノコギリ草)アルバニア 814 Bq/kg
H3.2.14 乾燥きのこ(ヤマドリタケ)ユーゴスラビア 556 Bq/kg
H3.3.13 ミックススパイス フランス 1,028 Bq/kg
H6.11.8 燻製トナカイ肉 フィンランド 388 Bq/kg
H10.1.21 乾燥ポルチーニ(ヤマドリダケ) イタリア 731 Bq/kg
H13.11.8 乾燥ポルチーニ(ヤマドリダケ) イタリア 418 Bq/kg
戦争と戦闘行為は違うよ。
クラウゼヴィッツがいうには、「つまり戦争とは、敵を自分たちの意思に屈服させるための暴力行為」、軍事的手段は、政治のひとつの手段にすぎない、んだって。逆をいえば、政治や外交は、軍事力を使わない戦争、ということなんだろうね。
そして、戦闘行為は、戦争において実際行われる行為の中の軍事面だけを示していて、「戦闘行為は成功したけれど、戦争は失敗だった」と、いう事もあるそうだよ。
だから、戦争でかならず兵器が使われるわけでもないし、人が死ぬワケでもないけれど、戦闘になると話は別、みたいな?
まあ、私もよくわかってないんだけど、元増田も、ちょっと、ごっちゃにしているね。(上から目線でゴメンね!)戦闘の目的は「敵を倒すこと」「勝つこと」だけど、戦争の目的は、そうでは無いんだね。
そして、意外(?)と、経済的な動機が、戦争の原因になったことは、歴史の上ではあまりないそうだよ。
皮肉なことに、戦争が不可避であるという確信が、戦争を引き起こす主要な要因だったのである。
んで、戦争に負けたらどうなるか。
以下は、スターリンがユーゴスラビアの指導者ミロバン・デュラスにいった言葉。
「この戦争は、過去になかったものだ。ある土地を占領したら、占領側はかならず自分の社会体制を押しつける。その軍隊が強制する力を持つかぎり、かならず自分の社会体制を押し付けるのだ」
お読みいただく前に
これから書き進めていく体験談は、筆者が可能な限り客観的な視点に基づきつつ書き記したものである。フルヴァツカ紛争やスロベニア紛争に端を発した一連の所謂ユーゴスラビア紛争に関して、筆者はどの国家・民族・宗教・勢力に対しても賞賛や批難・中傷を行う旨はないと予め表明しておく。
これから読み進めていく読者の中には、見知らぬ言葉や表現を多々目にすると思われるが、それに対して出来る限りの補足を付け加えていく。この中では、多くの歴史的背景や宗教が絡むが、どうか一つの物語のように読んでいただけると本望である。
なぜなら、これは戦争の悲惨さや愚かさを伝え、平和主義の啓蒙を行う為のものではなく、そこで何が起きたかを一つの体験談として記し、読者の方々に何かしらのものを感じて頂きたいからである。そして、一般的なマスメディアが活字や映像といった媒体を通して語りかけてくる途方もない情報群の中において、絶対というものはないという事を感じていただきたい。
戦争とは悪であるかもしれない。しかし、戦争において絶対的な悪というものは存在し得ないのだ。全ての勢力や人々に、各々が信ずる正義や大義名分というものが存在しており、それがぶつかり合い、折り合うことが不可能になる故に戦争が形となって現れてくるのだ。以上の事を、どうか読み進めていく前に考えて欲しいのである。
はじめに
これから先読み進める前に、読者の方々へは登場する人物がどのような結末を迎えるか先に記しておく。
ソニア…彼女はスルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
サニャ…彼女は爆発に巻き込まれ死亡する。
メルヴィナ…彼女はスルプスカ警察によって強姦された後、連行される。
メフメット・カマル・ミルコの三名は行方不明となり、生存は未だ不明である。
カミーユ…彼もまた、スルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
http://d.hatena.ne.jp/ytoz/20090320
総体として言いたいことは判らんでもないが、
南京が幻になったとき、ヒロシマも幻になるでしょう。そして第二の南京、第二のヒロシマが生み出されることでしょう。いや、すでに朝鮮で、ベトナムで、イラクで、ユーゴスラビアで、第二、第三の南京、ヒロシマが、続々と生まれています。次はどこでしょうか。どうしたら止められるのでしょうか。
は正直笑った。何が「南京が幻になったとき、ヒロシマも幻になるでしょう。そして第二の南京、第二のヒロシマが生み出されることでしょう」だ(笑)。
南京もヒロシマも幻になんかなっちゃいないが、「すでに朝鮮で、ベトナムで、イラクで、ユーゴスラビアで、第二、第三の南京、ヒロシマが、続々と生まれてい」るんだろう?
じゃあ幻になろうがなるまいが「ヒロシマ」はできちゃうんじゃないのか。
だいたいこの文の構造から言えば、「第二、第三の南京、ヒロシマが、続々と生まれてい」るのを止めるためには「ヒロシマも幻になる」のを止めるべきで、
そのためには「南京が幻にな」るのを止めなければならない。つまり「南京」も「ヒロシマ」も存在する必要があるわけだ。ならば「第二、第三の南京、ヒロシマが、続々と生まれてい」るのは
なにも問題あるまい。きっと「南京」を、「ヒロシマ」を、幻でない現実として骨の髄まで覚えるだろう。覚えられなければドリル学習で何度も覚えればよい。
ところで疑問だが、当の南京のほうは南京を幻にしているのか、していないのか。ほれ、チベットの件をみんなも覚えてるだろう? あれはどうなのだ。
ホテル・ルワンダを見た後に感じた憤りはいつのまにか忘れていた。
シティー・オブ・ゴッドを見た時には、自分の送っている生活とはあまりにもかけ離れた環境はあまりにも非現実的に思えた。
イタリア旅行したときに見たアドリア海の向こうにはユーゴスラビアがあって、テレビの中で見た空爆が少し現実味を帯びたけど、それも結局はそれだけ。
雪山を越える人々が狙撃される映像を見たときも僕には何もできなかった。
今回の事も、半年後にはまた忘れるだろう。そしてまたふとしたときに思い出して、無力感を感じるんだろう。
もちろんこれは僕の戦いではなくて、彼らのものだから誰かが、砂漠好きの某超大国のように直接的行動にでるのはお門違いだ。
先日飲みの席で中国人女性になじられた。60年前の祖父の世代の蛮行で。
でも彼女は知っているのだろうか?過去形ではなく現在進行形で彼女の世代がそれを行っていることを。
無知は知でなく、罪だ.
イラクで何人死んで、パレスチナで何人死んで、フォークランドで何人死んで、カシミールでは、スーダンでは、ダルフールでは、アフガニスタンでは、モロッコでは、チェチェンでは、チベットでは、ユーゴスラビアでは、ルワンダでは、コソボでは、北アイルランドでは、カンボジアでは、東ティモールでは…
そんな知識いくら持ち出してきたとしても日本で生まれて日本で生活している限り「失礼じゃなく眠たくない人」なんて一人もいやしないよ。「俺はイラクに行ってきた」なんて自慢げに語ったテレビタレントさんもいるけどさ。
と小学生の自分が反応してみる。
だからもっとお前に身近な臨場感のある例え使った方が説得力あるよ
そもそも「単なる電気信号のやりとりを、さも実弾のやりとりであるかのように例えて本気の殺し合いのように語るのはアレ」という話をしてたんだけどなー。何が「ネット【紛争】」だ固羅と。そう意味では「事故紛争」とか「生活紛争」という言葉にも同じく突っ込みを入れたくてしょうが無くなる。