はてなキーワード: メインストリームとは
俺は自分の思想とは関係なく「燃えそうだなー」と思ったことを増田に投稿してて、ネタに応じて【男/女】の立場から【男/女】を叩くよう切り替えてるんだけどさ
流石に女に甘すぎるブクマカが増えすぎてるわ
こんな性格だから同じような内容で男女反転した投稿を数ヶ月間開けて投稿したりするんだけど、人気ブコメの態度が180度違うのな
男が悪いという話には(「こんな人が全員じゃないけど実際こういう男が多いのが事実だよね」みたいな予防線貼りながら賛同しているのも含め)同意のコメントが高速で星集めてるのに対し
要約すると男女反転しただけの女が悪いという話には「認知の歪み」「男も悪い」「いや男の方が悪い」ってコメントが人気ブコメに並んでるわけよ
何がヤバイかって、そういうコメントしてる人からすると「ブコメが女に甘いという感覚」がそもそも認知の歪みであり、今でも(はてな含めて)インターネットは男たちが女を叩く世論に支配されてると思ってるところなんだよな
2ちゃねるまとめサイト全盛期ならともかく、「女叩き」が「男叩き」よりバズる時代って完全に終わってるのにね
はちまなんかのとにかくPVさえ稼げりゃいいアフィブログは流石にそのへんのことわかってるのか、ここ数年であからさまに「男叩き」のまとめ記事の割合が増えてる
多分この女アゲ男サゲの空気はインターネットのメインストリームとして変わらないとは思うけど、流石に今のインターネットが異常に女に甘いということに自覚はしとかないと、はてなみたいなウジウジした連中が多いところは今におちんぽ騎士団がついていけなくなって「女叩き」が支配するコミュニティに戻りかねないよなーと思う
なんか知らんけど90年代って80年代あたりに醸成されてったアングラがより洗練された形でメインストリームにのし上がっていった時代で
80年代のメインストリームは90年代のカルチャーとは全く方向性が違うことくらいわかるだろ
10年前に投票できるようになってから選挙権を行使しなかったことはないが、毎回投票日の朝に候補者一覧をみて誰に入れるか決めてる。
選挙活動中の発言は耳触りがいいだけで信用できないし、掲げている公約とか所属の党とか応援してる政治家とか、出身や履歴とかしかみてない。
当日の朝に、出身校をみるに弱者への共感が弱そうだとか、福祉によりすぎてて現実的でないとか、ただの街の狂人枠だとかを感じ取って決めてる。
人が誰に多く入れそうだというのも考えるけど、深く考えすぎてもわからないから、基本的にはその場の直感だけが頼りだ。
どの候補もダメそうなのでバランスをとるために対抗馬っぽい人を選ぶこともあるし、
どの候補もダメそうなので比較的マシそうなメインストリームの人に入れることもある。
そんな感じだから、投票した人が誰だったか、夜の20時にNHKが自民党大勝利! のクソデカテロップを表示したらもうどうでもよくなるし、
夜に用事があったときは結果すら見ないでそのまま日常に戻る場合もある。
政治的信念がないまま選挙に行ってるので、単に若年層の投票率を上げる統計の一項目に貢献するだけの行為になっていることは否めない。
政見放送が話題になって知った口ではあるけれども、あれを見たときにこの人は現代アートであるなあと思った。
政治を舞台に芸術活動(?)をするというと、おそらく多くの善良な市民が眉をしかめるだろうが、
自分は芸術という行為が市民という概念よりも先行する場合がありうると思っている、
というか先行できないとすれば芸術というものを想定する必要がないと思う人間であるので、
政治の世界を舞台に芸術活動すること・できることは知的にも社会的にも人間的にも重要な行いのひとつであると思う。
また、後藤輝樹のあれが芸術であるとするのをよく思わない芸術畑の人もいると思うが、それに関しては反論しないけれども、しかし芸術だと感じたのだからしかたない。
マック赤坂とかN国党とかを芸術とは感じなかったが、後藤輝樹には感じたんだからしかたない。
後藤輝樹の活動にたいしてどのように支持することがベストなのかを考えた。
彼が芸術活動を行う場は政見放送であり、それをするのに必要な活動費は供託金なのだから、
供託金が返還されるよう応援の一票を注ぐことが、最良の活動サポートの仕方となるだろう。
果たして前回の後藤輝樹はそこまでの得票を得ずに終わっていたのだが、投票先を覚えている唯一の候補者となった。
今回も、他候補者がどれもパッとせず、後藤輝樹の活動の精彩さが失われておらず、絶対に当選はしないという前提が揺るがなさそうな空気であれば、
というタイトルだけでは主語デカもいいところなので、もう少し具体的に書くと
「Xperia XZsからiPhone SE(第2世代)に乗り換えた感想」
である。
特にAndroidは本当にピンキリで、1万円スマホかハイエンドGalaxyかで色々違ってくるだろうし、iPhoneだって最新のホームボタンが無くなった系のメインストリームのモデルかどうかは結構重要だと思うので。
ちなみに筆者は今回iPhoneを買う数ヶ月前までの数年間はiPadアプリの開発に携わっており、そこで使ったテスト用のiPadと開発用のMacBookが、それまでWindowsとLinuxしか触ってこなかった自分にとって、生まれてはじめてのApple製品だった経緯がある。
なのでAndroid以外のスマホは触ったことがなかった反面、iPhone以外のApple製品を知らないわけではなく、かといって別にマカーというほど入れ込んでいるわけでもない人間だ。
なお筆者のAndroidスマホ時代は結構長く、ガラケーから乗り換えて以降かれこれ10年近く、合計3台のスマホを使ってきた。そのうちの2台はXperiaだったが。
とはいえiPhoneは、あのジョブズの神プレゼンとともに登場した当時からずーっと気になっていた。それなのに、日本語変換辞書の品質ガーとか、ジョブズ死んでからのデザインガーとか、今思えば、かなりみみっちい理由を抱えて乗り換えられないままズルズル来てしまった。
そんな自分がやっとiPhoneに乗り換えたのは、最終的にはSEの代替わりが決定打だったものの、半年ほど前に高齢の両親が揃ってガラケーから型落ちのiPhoneに乗り換え、それをごく自然に使いこなしているのを見てきたことや、職場に1人はいるような、自身のガジェット()にやたらこだわる先輩が、それまで見向きもしなかったiPhoneを使うやいなや「もうAndroidには戻れない」と言い出したことが後押しした。
ちなみに両親のiPhoneは母親の友達が、先輩のiPhoneは奥さんが使っていた流れでの購入だった。
そんなこんなで実際にiPhoneを買って、触ってみて色々驚いた。
最初にびっくりしたのは、触った感覚がMacBookのそれとかなり共通していたこと。
このタイミングでAppleのブランド戦略のヤバさを体感するとは夢にさえ思わなかった。
それから純粋にスマホとして見た場合、もう手にした瞬間から馴染む感じで、これは今までのスマホでは皆無の、全く新しい体験だった。
あと誰かが「Androidは男性的でiPhoneは女性的」と書いていたけど、それに便乗するように下世話な言い方をするなら、手に取るたび
という感覚がリフレインし、手にしているだけでなんとも言えない愉しさを覚えてしまう。
画面を開けば、これまたキビキビさとブレの無さが両立した、ナチュラルでしなやかな動作が、ごく自然な感覚の延長としての快適さをもたらす。
更に、驚きは持っているときだけでなく、単純に机に置いておくだけで妙に絵になる、独特の質感にも感心させられた。
iPhoneが高級機種なのは知っていたというか、そんなん値段を見れば誰でも理解できるが、その上でiPhoneは手に入れないと理解できない高級さがあると言っていい。
さっき日本語変換辞書ガーなんてみみっちい話と書いたのも、モノの体験はトータルパッケージングそのものであることを、iPhoneを触って痛感したからに他ならない。
それこそが、結構な大金を払って購入したことを絶対後悔させない経験というやつなのだろう。
というわけで、今後はiTuneで色々気になる曲を買いまくって、iPod的な使い方も試してみる予定である。
そういえば、「'80年代のギークはラジカセだコンポだウォークマンだビデオデッキだと色々買っちゃう→'10年代はiPhone1台で十分」という写真があったけど、これもAndroidじゃなくiPhoneだから意味があるんだと、今更ながらに思った。
いや未だにそういうので炎上する事はちょくちょくあるし、ツイステの流れもそれの一つに過ぎないだろ
我々は資本主義に愛されたメインストリームでマジョリティでおまけにソーシャルジャスティスなんだよ、っていう驕りしか感じられない
被害妄想強すぎ
てーかあんなん「俺の大好きな○○をしょうもないガチャゲーにしやがって」って、他のIPなら早けりゃ10年代前半ぐらいに経験してきた流れでしかねえと思うんだけどなあ
好きなシリーズの新作が出たと思ったらブラゲかよとか、マイナーな作品にようやく光が当たったと思ったらソシャゲのそれもコラボじゃねえかとか、そういうのをずっと経験してきたわけ
元々アーケードの時点で大概課金ゲーだったアイマス界隈ですら、モバマスの存在を受け入れるまでには一悶着どころじゃなくいろいろあったし
あれだけ流行ったFGOなんかも従来のファンというか老害おじさんからは結構反感買ってて、そこに「所詮同人エロゲ上がりの連中が石の下から出てきやがって」みたいなの、さらにリリース当初のあれやこれやも合わさって、文字通りグダグダのボコボコ状態からのスタートだった
でもいろいろありながらみんな時代の流れを受け入れ、あるいは受け入れられず離れていって今に至るわけ
そういう歴史に対して今の今まで鈍感でいられたっていうのが正直言って腹立っちゃうんだわ
我々は資本主義に愛されたメインストリームでマジョリティでおまけにソーシャルジャスティスなんだよ、っていう驕りしか感じられない
そりゃあツイステ勢の垂れ流す妄想にしたって、俺はわざわざ見たことないから知らないけど気持ち悪いのも普通にあるだろうし、中にはおよそ見るに堪えないものだってあるんだろう
とにかくこんな事を言うやつが嫌いだ。
やれメタブで云々だの、受ける内容だの、受ける絵柄だの、とにかく自分がやりたいことが何かを度外視して売れることだけ注力しているような安っぽい連中。
やれないとか能力がないのではなく、お前なんかが思いついてることは万人が思いついてることなんだよ。
ただ、自分がやりたいことと反目するから、売れるだけの方法なんて採りたくないだけ。
安く売れば安く売っただけの代償もあって、そいつはそんな人間としかみなされなくなる。
エロで売ればエロの人というイメージが払拭できなくなるし、いかがわしいセミナーで売れば詐欺のイメージが抜けなくなる。
エンジニア仲間どうしで年に何回か情報交換を兼ねて飲み会を開催していたのだが、今年はコロナウイルスのせいでZoom呑みに変更した。結果的に、これ以上この会意味あるんだろうかと思うようになってきたので吐き出しておく。
最初のうちは感染の拡大や緊急事態宣言による仕事への影響や、リモートワークの生産性の話をしたり、最近上中里にも店舗ができたらしいオメガラーメンの食レポめいた話題が出たりした(参加者にはラーメン好きが多い)。
雲行きが怪しくなってきたのは、いちばん年上の方のムラタさんが会話を独占し始めてからだ。Visual Basic一筋でもう20年以上やっているフリーランスで、いろいろな知識をシェアしてくれて悪い人ではないのだが、もともと朴訥というか突っかかるような話し方をする人で、酔っぱらうとそれに拍車がかかる。最近やっと住宅ローンを組んで町屋にマンションを買ったのだが、コロナのせいで案件が細ってきて、返済がやばいという話をして場を暗くしていた。
そこまではまだいいとしよう。問題は、ユウダイを絶対に許すなとムラタさんが強硬に主張し出してからだった。
ムラタさんによれば、ユウダイという名前の響きがまずよくない。ユウダイはキラキラネームに属するべきもので、一般に広く普及するべきではない。それなのに、平成の頃にユウダイと名付けられた男児が大きくなって社会のメインストリームに大量に出てくるようになって、テレビなどでもごく普通にユウダイを見かけるようになった。これは非常によくない、ジェネリックな名前なら太郎とか一郎にしておくべきであって、ユウダイは許されない、現状はコロナウイルスよりも危機的状況である。もとはといえば、ユウダイなどという響きの名前がかっこよいと思って名付ける、ゆるゆるの平成ママが悪いのだが(名付けるのは母親だけとは限らないと思うのだが、ムラタさんの頭の中ではユウダイは母親が名付けているらしい)、もはやどうしようもない。残された道は「日本全国のユウダイを許さない会」を結成し、ユウダイの社会侵食を防ぎ、いずれ根絶することである。
画面の向こうではムラタさんの目が据わってきて、ボサボサの髪を振り乱し、他の参加者に向かって、お前らも「日本全国のユウダイを許さない会」に加入しろ、おのれっユウダイ、許さんと叫んでいた(リアルでおのれとかいう人をはじめて見た)。若干コミュ障気味のムラタさんは最近祐大か雄大という名前の人事担当者に干されたのかもしれないが、ユウダイに対する深い怨恨の原因は結局不明である。この状況がしだいにだるくなってきたので、iPadの充電が切れそうだから寝ると言ってWindowsをシャットダウンしてから歯を磨いた。
グループ・ユニット名は「仮面舞踏会」とか「笑わないからスマイル(ペコ)」とか「マスク・ド・アイドル」とか、命名センス無いから考えるのやめた
コスは基本はクール系・ゴシック系とか、そんなかんじ、笑わないからそういうのが似合うかなって、これもセンス無いのでスキップ
「笑わないアイドル」なので、とにかく人前で笑顔を見せないことが絶対、ユニット内の鉄の掟
10代前半の女の子を模した人形(という謎設定)がクールな無表情を貫き歌って踊る様はまさに偶像、畏敬すら覚えるその姿にファンは夢中になるのは必定
しかし、その人形の中身とて実際はどこにでもいる箸がローリングで爆笑な(おおよそ)10代の女子達ですから、絶対に笑わないという保証はない
というか絶対どっかで笑う、確実に笑う、俺ですら笑う
だからといって彼女たちが「笑ってはいけない」という鉄の掟を破ってアウトーでいちいち罰としてお尻を棒で叩くわけにもいかない
なので次のルールを追加
彼女たちに「仮面」を常時持たせ、その仮面を被っているときだけは笑っても良いとする
初期案は仮面ではなくて目の部分だけ開けた麻袋を考えて、ギャップ萌えにしようかと思ったが「流石にダサい」と思い泣く泣く変更
仮面を被ることで逆に、クールな無表情アイドルとしての「仮面を脱ぐ」という意味を持つ
仮面被ったら、爆笑良し、大声良し、下ネタもまあ良し、節度を持って
あくまで「笑わない」というのは「仮面を脱いだ」姿の場合でのみ、仮面をかぶればそこには普通の可愛いカッコした女の子、まさに一度で二度美味しい()
仮面を脱いでいるのに笑顔を許されない、つまり「仮面を被って」本性を隠しているという、本末転倒的な矛盾性もまた一興
バラエティ番組に呼ばれても大丈夫、芸人さんが笑かしに来ても対応できる
でも「仮面」はあくまでも緊急事態における救済であり、なるべく仮面を脱いだ状態をメインにしないと顔商売として流石にマズいわな
仮面の使用は節度を持って、過度な乱用を防ぐため、メンバーは基本笑わない子をメインに据える
普段笑わない子が笑いに耐えてるその姿がギャップ刺さるんじゃない?
できる限り笑うな、笑い顔を見せるな、メディアに見せるな、という強い掟の建前、週刊誌で「激写!未成年飲酒!笑わないアイドルが衝撃の笑顔!」と報じられることも期待しつつ…
上記の仮面をMCに被せればええやん、っておもったが、あくまで緊急事態、なるべくかぶせたくないなあ
ということでグループ内に「ある役職」を作ることで、それが解消されることが期待される
「道化」は他のメンバーとは一線を画し、いつ何時も笑って構わない、明るく振る舞う、という役職である
別にバカを振る舞う必要はないとおもう。スポークスマンや紙芝居師みたいな感じを考えてる
そうやって無口でダウナーで落ち着いてしまいそうなグループを掻き回す役目を担うことで、アイドルとしてのバランスを維持できるのではないか
「道化」はちゃんとアイドルの一員の女の子ではあるのだが、衣装が他のメンバーと異なる、ダンスの振付も他と違う、
(大所帯なら10人につき1人の割合で充てるが、同じ舞台には1人までとかの制約)
サッカーのキーパーやバレーのリベロ的な役割みたいなのをアイドルに、という考えなのだが
この役職、頭良くないとできない、目立ちすぎるとファンから反発食らう、メンバー内からも一目置かれ、「道化推し禁止」ルールできるかかもしれない
その分目立つ。流石にセンターはグループの顔になるので笑わない子のうちから選出したいが、そのグループの裏の顔となるだろう
というか他のアイドルグループも「メインの子」と「裏メインの子」っていうのがおおよそいるような気がする
それを公式にやるってのが、今回提案した新規性なのかもしれない
「笑わないアイドル」というメインストリームの歴史を紡いでいった際に、
「唯一笑うことの許されたアイドル」としての歴史にとても貴重な価値観と重要性が結びつき
語彙がなんかそろそろやばくなったので、妄想はここで終了した。
日本のエンジニア(ソフトウェアエンジニアのことかな…)全員が利用しているとか、どのくらい本気で言っているのだろう。
UU 数 = 実際の人数 ではないし、仕事で調べ物なんかしないし私生活で技術的なことなんかやらない人はいくらでも居ると思うのだけれど。
でも 2005 年くらいまでは、そんなイキり方も普通だった気がする。これから俺らがメインストリームになるんだぜーみたいな空気があったし、それを誰にも咎められることは無かった。
その頃のベンチャーはもう 40 歳過ぎの老人たちがえらそうにしていてもう死んでいくだけだが、新興だった Qiita は当時の雰囲気を残しているのかもしれない。
誰かなんとか言ったれよ…当時に起業して死んでいった人々、周りに多く居るやろ…。