はてなキーワード: マイナスイメージとは
自殺って昔はすごいマイナスイメージだったけど(今でもプラスのイメージはない)
何年も前に少しだけ仲良かった人に、「自殺っていいと思う。だって自分でその日を決められるから」と言われ、
とても驚いた記憶がある。それからは、自殺は自分の都合のいい日を選べて、それまでに準備もできるから、いいのかなーなんて思うようになった。
人に迷惑かけるような自殺方法は良くないと思うけど。
どんな死に方したって、どんな形であれ最低限親族は葬式をあげるんだろうから、
自殺でもいいじゃんなーと思う。ただ、周りはショックだよね。事故よりも。
私の友達や仲の良い人が自殺したら私は絶対自責の念にとらわれ続けると思う。
でも、自分だったら自殺前夜、大好きな友達と会うとか、電話するとか、すると思う。
聴きたいことはただひとつ。
自分のことを好きでいてくれたかどうか。
うそでもなんでもいい。好きだとか大事だとか、そう言われてから死にたい。
二年ほど前の話。某大手小売チェーンの店舗に就職氷河期世代の超イケメンが非正規で入社してきた。キンキの堂本光一似。あれをもうちょっとワイルドにした感じで、堂本光一よりも身長が高かった。街ですれ違う女たちを振り向かせるくらいのオーラがあった。
女連中の間ではすぐに噂になって、あっという間に人気が出た。「かっこ良過ぎて話しかけられない」とか、ちょっとしたアイドル的存在になった。パートにも昇給試験があるような会社なのだが、彼はあっと言う間に昇給を果たし、そろそろ正社員と同等のランクへと上がるんじゃないか、と噂までされていたほどだった。
面白くなかったのは男性正社員たちだった。イケメン君は非常に大人しい性格だったので、DQN系というだけでそこそこ女を食っているような正社員連中がこぞってイジメを開始した。立場を利用したパワハラや無視。スーパーは男と女がはほぼ区分けされているような職場なので、男性正社員たちはまずイケメン君のマイナスイメージになる噂を捏造して店内にばら撒き(物覚えが悪い、言うこと聞かないで勝手なことをやる、など。そもそもの原因は、正社員たちがまともに仕事を教えていないことなのだが)、内部的立場を悪くしておいて、孤立させたところでクビにしていた。
コミュ力を発揮しようにも、既にそういう壁がある場合はどうしようもない。立場が絶対的な人間から勝手に恨まれてしまうとどうにもならない。周囲に相談しようにも、周囲はみな同じ立場なのだから、解決策が見出せない。イケメン君は最終的には鬱病みたいになって辞めていった。彼は今、一体どうしているのだろうか。
http://rikunabi2010.yahoo.co.jp/bin/KDBG08400.cgi?KOKYAKU_ID=2754616001&MESSAGE_ID=15&MAGIC=
<中略>
残念ながら遅刻はかなりの原点となります。
残念w
おまえが減点www
↓を読んで一理あるかもと思った。
http://d.hatena.ne.jp/commentOut/20081206/1228569077
俺も悪い癖があってオフィスでちょっとイライラしているときに椅子に座った状態でつま先を立てて床を「コンコン」とすることがあるんだけど、これ周囲からは「怖い人」「感じが悪い人」に見えるのかもしれない。
おかげで去年の忘年会のときなんか「結構(俺が)機嫌悪いと八つ当たりされそうで怖くて気軽に声かけれないんですよね」なんてことを言われてショックを受けたことがあった。
ブログ主みたいにフォローしてくれるような人がいる場合は別として、対人関係における印象ってそういうところで自分からマイナスイメージを出してるだなと反省。
読んでいるなら読んでいると言えばいい。しかし、その私の問いにこれまで一言も応えていないのだから、こちらとしては判断のしようがない。エスパーでもあるまいし。
著者のインタビューがアブストに当たるとして、ひとまずは読んだことにしておこう。
そして誰が書評をしたのかね?
さて誰が書評すると信用足りえるのか。片方の言語学の専門家とやらになると、学歴経歴がはっきりしないのだから、全く信用にたるとはいえないだろう。海難記の人はわりとはっきりしているし、梅田氏も同じ。となると、元増田が判断を何処に求めているのかさっぱり不明。専門家が常に信用できるなら、世の中こうはならないだろう。
また似非科学の伝道者とて、一応あやしげなところから博士号を取得しているわけなのだから、ひょっとすると学位においては程ほどの信用力を獲得していると見なされるのかもしれず、元増田はこれを信用してもおかしくないのだが。
あの本を引用して書評してるのはいくらでも見つかるし、その引用部分見ただけであの本がトンデモなのはすぐにわかるんだけどね。
そもそも数ある書評の中から、梅田氏の書評もどきのやつだけを否定することが可能なのか、その理由さえ示されていない。どうしてだろう。教祖様が梅田氏を否定しているから??
さらに、引用部分が、著書はいうまでもなく過去の学問においてどのように敷衍されているのかを理解しないといけないのだが、元増田はそれが可能であろうと推定するに十分な学歴や相応のトレーニングを積んできたとも思えない。つまり理解する能力がないにもかかわらず、トンデモと非トンデモを分類していることになるのであるが、これはあまり奇妙で且つ不可解すぎて。
なにより教祖っていうのがすばらしくいいひびきです。元増田の教祖様を教えていただければ幸いですが、その前にこのような発言をしている人は、あまり頭が良くないと見られるんじゃないかと思うのですがいかが?書評の良し悪しにも、たぶん主のオーラが直結しているように推測されるのだけど、そうするとこの元増田も自身でマイナスイメージだけを積み上げているようにしか見えないです。
最後に、総表現社会になれば、本当に権威があるのか不明な権威にすがりつくトンデモクンがイナゴのように大発生する。何しろ自分には権威もなければ、判断する能力も何にもないんだから。このようなプチ教祖様にすがりつく信者様がイナゴ。ネット社会は大変だあ。殺虫剤を作れば一儲けできるね。
まず、中絶の件は置いておいて、元増田は、「中絶を繰り返したことを言ったら、どう思われるか心配」程度には自分で思っているわけだよね?
「中絶を繰り返した」という事実が、自分にとってマイナスイメージになり得ることを知っているわけだ。
それでいて、それを彼氏にも黙っている、と。
まぁ、彼氏の段階ならまだ言う必要はないのかも知れないけれど、結婚・出産といった話になっても黙っているつもりなら、中絶を繰り返したことよりも、「その段階になっても黙ってればバレないからと、隠し通そうとする考え方」の方に引くわ。
逆に、いずれ時期が来れば話すつもりなら、友人としてなら特にそれほど嫌いにはならない。
もし、それでいて出産願望だのがあるようなら、「中絶することのリスクや、中絶は胎児を殺すことだとも考えられない、馬鹿な子だったんだなぁ」と思うくらい。
いずれにせよ、「好きで中絶を繰り返したわけではない」と言っても、10代前半から20代前半に何回もレイプされたとかならともかく、当時の恋人等との関係の結果であれば、妊娠したのも中絶したのも、半分は自己責任。
毅然とした態度で避妊を要求出来なかった時点で、「好きで中絶を繰り返したわけではないが、中絶せざるを得なくなるような行為を行っていた」ということになるのだから。
個人的見解でおこがましいが。
http://anond.hatelabo.jp/20081025124842
(爆)って、爆発とか、爆弾とか、マイナスイメージのほうが先に来るので(爆笑)とまで書いてもらわないと、逆にいやーな感じがする。
メールで笑っていることを表現するときはこんな感じ。
(大笑い中)○○すごいですね。
チャットとかだとこんな感じ。
はははは。いいねえ。
wは使いたくないな。ハロウィーンのかぼちゃの口みたいで、お化けの笑いを連想する。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20081025132829
結局、俺が一番モテなかった(爆)
(爆笑)じゃなくて、(爆発)かもなー。
失礼。
これは指摘の通り違うと思う
チェック自体は昔からのベーシックな柄だし、他のものと合わせるのもそんなには難しくない
で、自分なりに脱オタ初心者にチェックシャツを勧められない理由を考えてみた。
他の要素(サイジングや他のアイテム等)との取り合わせでどう見えるかが変わる。
オタっぽく着ればオタクに見えるし、センス良く着こなせばセンスよく見える。
最近は復権してるけど、ちょっと前までは「新鮮みのない」ってマイナスイメージもあったんで、
たとえセンス良く着こなしても旧来のイメージに引きずられる可能性がある。
ベーシックなチェック柄と言ってもいろんなパターンがあって、中には扱いづらいものもある。
で、何がアウトなのかはケースバイケースなのでいちいち説明しきれない。
男でも女でも「女同士の『カワイイー』は、本当は可愛くないのに言ってる」っていうけど、別にそんなことはない。
割りと本気でカワイイと思ってるから言ってるのだよ。
そもそもそういう人がなぜ「女同士のカワイイは嘘!」って思うかっていうと、それはその人本人が、かわいいと言われてる人を「は?どこが可愛いんだよブスじゃん」って思ったからなわけだよね。だからこそあのカワイイは嘘と思うわけで。
A子がB美に「え、髪切ったの?カワイイじゃん!」って言った場面があったとする。それをCは「嘘」だと思ったとすると、それは何故嘘かと思ったかといえばまさしくそう思ったC本人が、「B美は可愛くない。ブスだ」と感じたからっしょ?
「女同士のカワイイなんて、嘘だ、陰湿だ」みたいにマイナスイメージで言われることが多いけど、失礼なのはどっちなんだか。と思う。実際、「B美かわいいじゃん!」って言ってるときに「そうやって言うのやめろよ!B美がかわいいなんて嘘つくの、失礼だと思わないのか」とかいった奴がいた(書いててもびっくりするが、マジ)。おいおい、失礼なのはどっちだよと。B美泣いちゃったっつーの。
別に「かわいい」てのは顔面の純粋な美しさに対して言ってるわけじゃない。B美は確かにアイドルになれる顔じゃないかもしれないが、実際切った髪は似合っていたのだよ。それに対して「かわいい」と言ったんであって。それを「全然こいつ可愛くなんかないのにそういうこというな」ってどんだけ失礼な話か。
多分「『かわいい』は本当は可愛くないのに嘘を言い合ってる」とする男女たちは、「かわいい」という形容詞は芸能人のダレダレがかわいいといったような、純粋に顔面の美しさに対してしか用いないからそういう発想が出るのだろうが、使っている我々からすれば必ずしもそうじゃない。いわば「をかし」みたいなもの。私は枕草子が好きなんだけど、あの「をかし」の感覚は今の女子高生を初めとした若い女性の「かわいい!」と似ていると思う。現代版をかし=かわいいであると考える。
「かわいい」を、「顔面の美しさ」に対してのみ用いるような人からすると、「キモかわいい」だの「コワかわいい」だの、一体何なんだ、キモいのか、かわいいのか、どっちだよ、と混乱するらしいが、それも感覚としては「リボンやハートなどといった典型的な可愛いモチーフではないが、そこから少し外れたこのちょっとした気持ち悪さと、従来の可愛いモチーフとの組み合わせがちょうどいい割合で、いとをかし」的な感じなんだよ。そういうのを「キモかわいい」と言っている。「従来可愛いモチーフであるクマが、それとは一見相反する殺人を行っているというこのギャップがいとをかし」を「グロかわいい」といったりさ。顔的な事で言えばどうかんがえても可愛さとはかけ離れたオッサンをも「カワイイ」といったりするのは、別にからかってるわけじゃなくて、例えば「オッサンがケーキバイキングで貪るようにケーキ食べてる」のを「甘いものなど好きそうにない渋いオジサンが、甘い物を女性に囲まれ一人一心不乱に食しているというそのギャップがかわいい」だったり「オジサンという外面はさておき甘い物がすきっていうメンタル自体がかわいい」だったりするわけで。
なんでもかんでも「カワイイ」で済ませるなんて、って思うかもしれないがそんなのは「かわいい」に限った話じゃなく、他にもなんでもかんでも凄い人はとにかく「神」の一言で済ませるとか、「萌え」で全部済ませるとか、ちょっと落ち込んだだけでも深い悲しみもなんでも「鬱」であらわすとか、キミタチだって色々やってるじゃんよ。「かわいい」だけ「一つの言葉で意味を拡大させすぎだ」と言うのは変だろー。
http://anond.hatelabo.jp/20080716014058 のブックマークにある
喋り好きと非コミュが並立しうるんだろうか。
というコメントに対して反射的に思ったことを書きます。
私は喋り好きです。そして多分非コミュと呼ばれてもおかしくないタイプです。ですので、「ソースは俺」話で恐縮ですが、私としては並立し得るのではないかと思っています。
ただ、元増田の話から察するに、この場では「喋る」という言葉は「会話をする」という意味として使われているようです。そうだとすると、私を実例として挙げて「並立し得る」なんてとてもじゃありませんが言えません。
つまり、私が「前後の関係を無視して言葉を字面通りに捉える」というミスリードをして、その結果、「喋り好きと非コミュは並立し得るよ!」「しうるよ!」というシャウトが私の脳内に響き渡った、ということを書きたくて書きました。
以下はそのミスリードを維持したまま脳内でちらついた具体混じり話です。人によっては本文とも蛇足とも捉えられると思いますが、私はそのどちらかであると定義する気は特にありません。
大きくなってから知ったのですが、私は喋ることが大好きです。しかし、その好き成分を悉く潰してしまうほど会話が下手で、そして苦手です。何故大きくなってから知ったかと言うと、独り言に対してずっと持っていた恥ずかしさや嫌悪感が、独り言の実践とともに薄れたためです。
きっかけはネットラジオでした。はじめは「自分の音声がリアルタイムで隔たったどこかに届く」ということにボトルメールのようなロマンを感じて手を出しました。しかし、そのうちどこかに届くことはかなりどうでも良くなって、ネットラジオという建前の下にひたすら音声を発するということに惹かれるようになりました。お茶を飲み飲み十時間くらい楽しく喋り続けるなんてこともしょっちゅうありました。リスナーさん用のメッセージボードもお義理で用意していましたが、リスナーさんが期待する反応というのをほぼ全く考えずに喋るため、時が経つにつれて殆ど使われることはなくなりました。
そのうち声を向ける相手がマイクでも壁でもあまり変わりはないということに気付き、無意識ではない独り言も発するようになりました。ちなみに無意識の独り言は昔から発しています。ウェブ日記のようにその時々に自分が思っていたことを、建前上であれ誰かにアクセスされる可能性のある形で記録するのは面白いことだという意識があるので、ネットラジオやそれに準ずる録音自体は今もある程度続けています。ただ、外部から干渉される可能性が「ほぼゼロ」から「ゼロ」になるという壁のメリットはとても魅力的なので、時間の占有率は壁の方が高くなっていっています。
約四年の間にそういう環境や意識の変化を経験し、私は「喋る」ということ自体は好きなんだなあと認識するようになりました。その一方で「会話」への苦手意識はますます強くなりました。人と話す時にとちったりどもったり、相手の話の内容を聞き返したり聞き間違えたりする頻度も増しました。幸運にも無理に人と話さなければいけない環境にはいないので、自分から人(というかスムーズな会話ができないと不快感を露にする人)と接点を持たないようにすることで現状は安寧を維持しています。今のところそこで問題は生じていませんし、問題を感じてもいません。問題を感じたらまた意識改革があると思うので、その時その時で対処していけばいいやと楽観的に考えています。
そんな感じで現在は殆ど家族の人としか話をしていません。それにつれて、音声を介する話だけでなく、介さない話も減りました。ネットで文章による対話が何日かに一回の割合で成立したりもしますが、殆どはここのように話題そのものを主軸とした一期一会のような対話です。会話になると成立する頻度はぐっと落ちますが、音声の会話より成立し易い感じがします。どちらにせよ人と交わりたくてそこに参加した訳ではなく、むしろそれはリスクとして捉えつつ参加したり参加するのを断念したりしています。
そういう生活をしているので、友達もネット友達もいません。知り合いはそこそこいますが、積極的に会話なり何なりを持ちかけることはまずありません。持ちかけられるのも自称変わり者さんからのみです。こんな自分に関わっていただけるのは大変ありがたいと思いながら反応を返しますが、持ちかけられて嬉しいとはあまり思えません。
自分を非コミュであると称したことはまだ無いのですが、誰かから(主になじる意味合いで)非コミュと称されてもおかしくない人格だとは思っています。自称しないのは、口下手な私がこんなホットな言葉を口にしたら、うまく扱えなくて「私ってば今流行りの非コミュなんだよ、かっこいいでしょ!」というような誤読をされるのではないかと恐れているからです。人と交わりたがらない性格を恥じる気持ちはあまりありませんが、胸を張って主張する気もありません。しかし、読む側が分かり易いつっこみ用のキャラクターに飢えている時は、まず口下手な人をそういうキャラクターに仕立て上げる傾向があるので、そして私はそんなピエロ役に仕立て上げるための悪意ある誤読を快く受容できるほど心が広くはないので、そのきっかけになる可能性のある非コミュと言う表現は避けるようにしています。
ただ、今延々と述べた内容も、「自分ではフツーだと思ってるんですけどー、人からはよくちょっと変わってる子だねって言われますー」というようなありがちかつ下手くそな自分アピール手法と捉えられて、本来抱かれなくて済むマイナスイメージをむやみに付加している可能性もあるので、場合によってはあえてすっぱり「非コミュである」と言い切った方が良いのかもしれません。迷ったのでこうして思いのたけを併記することにしました。
長々と書きましたが、要するに私は一方的に喋るだけ喋って、そのくせそれに見合った分の人の話を聞きたがらないタイプなのです。口の上手い人、エンターテイメント性を意識している人なら「喋りたがり - 聞きたがり」のような関係を結ぶことも可能かもしれませんが、そんなことを要求されるくらいなら私は無口な人のふりをして過ごします。そういう人は容認されるかどうかはともかくとして、あちこちに存在していると思います。「並立」が容認レベルなら並立は難しいと思いますが、存在するだけでいいなら並立はし得りまくってると思います。
オチは考えてみましたがこれといって適切なものが思いつかなかったのでそのまま終わります。
全然問題無いよ。つーかよくあることだよ。セックスを「しなければいけない」と考えすぎるのイクナイ。
動物見てみろよ。誰に教わる必要もなく「やりたいことやる」だけのこと。猫だって犬だって「やらなければ恥ずかしい」とか「恋人だったらセックスして当然だよね」とか考えてない。単に
好きな相手といちゃいちゃしてたら楽しいんで、なんかいちゃいちゃしてたら、肌と肌がすれてなんか気持ちよくて、服脱いでいちゃいちゃしてたらなんか入っちゃいました。
…ってノリだろ。それでいいんだよ。
だから、次は「気持ちよくいちゃいちゃ」を目指しましょう。とりあえず彼女も傷ついてるってことを忘れずに、次は頭なでなででもぎゅーでもいいから、触れあうこと。触れ合いにマイナスイメージをひきずらないこと。
http://anond.hatelabo.jp/20080521225143
とりあえずタブーから書くと、
・政治(話題として堅い、つまらない、結論・オチがない)
・性(まあ普通しないわな)
・学歴(「東京の大学行ってた」「八王子の大学行ってた」などボカすなら、後述の地域ネタとしてアリ)
・話を否定しない(他の項目と比較してちょっと毛色が変わるが、マイナスイメージの言葉は、会話では使わないほうがいい)
まず「話す」ってことは
1:こっちの話をひたすらして盛り上げる(攻撃的会話)
2:共通点を見つけてお互いが盛り上がる(積極的会話)
3:相手が話したいことを話させて、盛り上げる(消極的会話)
の3つがある。
1はまず奥手な増田には無理で、話術が巧み、話題が豊富なやつじゃなければ、KYだったり自慢話、オレ話の痛い奴になりかねない。失敗談をジョークを交えつつ話して笑いが取れればいいが、滑ればただのグチになる。
2と3をうまく使い分けるのがいい。
緊張してるのはこっちだけじゃない。「初対面ならお互い緊張してる」ってのを覚えておくと、多少気持ちが楽になる。
相手が話したそうだったら、まず最後まで聞いてあげて、質問がきたら答えにプラスアルファで話が広がるようなネタを入れてから、同じ質問を返す(あいてがプラスアルファに食いついてきたら、そっちの話を優先したほうがいい)。
相手「増田さんってどこからきたの?」
で、相手がラーメン屋で食いついてきたら、「どこそこのラーメン屋は行った?」「どこのラーメン屋が好き」などと、話を広げていく。
スルーされたら、同じ質問を返す。行ったことのある場所なら、そのときの印象を話したり、乗り換える駅なんかの話をすると喜ばれる。言ったことのない場所でも、「○○が近くにある所?」と近くの名所や名物などの話をする(自分の地元やその近くを知っているとなると、親近感が沸きやすい。)
ある程度話好きな相手なら、知らない話でも「教えてもらう」というスタンスで話を聞いていけば、相手は好きなことを話せるので話が盛り上がる。もちろんこの時に話の途中途中で、続きを促すツッコミ・相槌をしなくてはならない。
相槌としては、
・「いいなぁ」(羨望)
・「すごいね!」(羨望)
・「え、そうなの!」(尊敬)
・「詳しいね??」(尊敬)
・「そうだよね」(同意)
・「俺もある!」(同意)
基本は否定せずに、相手に対して同意したり、持ち上げたりすることで、「僕はあなたの話に興味を持ってますよ、楽しんでますよ」というアピールをする。
ツッコミとしては、
・質問をする(「Perlって俺挫折したんだけど、難しくない?」)
※的はずれな質問をすると目も当てられない。(「Perlって誰が作ったの?」→知るかヴォケ)
・類似のものを聞く(Perlやったことあるんだ、じゃあPHPは?)
※自分の話せる話題への前フリである点に注意。
・話題を深める(PHPやったんだけど、xxxxがxxxxxxで云々)
※プログラムはかじった程度なんてよくわかりませんすみません。
あああここまで書いたら疲れたよ。
あとは趣味を聴いて共通点を見つけることかな。
・地域ネタ(過去に同じような地域で生活してると、けっこう盛り上がる。誰でも話しやすい。)
・趣味ネタ(いきなりディープなネタは振らずに、好きな人なら知ってる範囲から掘り下げていく)
・職業ネタ(誰でも話しやすい。ただしつまらないグチにならないよう注意)
てなとこか。
えらそうに?書いてみたけどどうなんだろうね。俺も教えてほしい。
で、夜も更けてきた21時頃、その日もボクは当然のように仕事しておりましたところ、そのコからケータイに着信が。
その時は作業中だった事もあって、電話にはでなかったのですが、仕事が一区切りついた所で折り返しの電話をした(30分後くらい)ところ、
話の流れの中、表題のような事を言われたってわけです。
ここ最近は、二人ともお付き合いしている人はいなくて、ともにフリー。付き合う事に制約はないのだけど、ボク個人としては、いろいろ問題もあって彼女とかを大事にする自信が無い。
手っ取り早く「彼女が欲しいから付き合う」とかって心境でもないし。
そのコと知り合ったのはずいぶん昔。お互いの彼氏や彼女の相談もしたり、愚痴って飲んだり、その中には身体の関係もあった。
「遊びで付き合ってたんじゃねーの?オメー」と言われればそうなのかな?最近よく悩む。
で、そのコからは、なんとなくアプローチされている感じはずっとしていたんだけど、自分の気持ちや状態などを告げ、恋愛という形の関係を築くのは難しいと話ました。
それはそれとして、今後とも時々は遊びましょ?って感じで今に至るんですが・・・。
電話では、休みができたら遊びに行こうという予定をいつにするか?って話になり、「今月ならいつ?」「○○日は?」という質問に対し、「自分のスケジュールをその場では把握できていないので、後で確認して連絡するよ。一応○○日を仮で予定しておきます。」との旨を伝えましたところ、
友「どうして?なんでアタシをそうやって避けるの?アタシは逢いたいだけなのに・・・」という返事。
ボク「今すぐ決めないとダメなの?仕事も含めて決まっている予定が今はわからないんだけど?それでも今決めないと納得しないのかな?」
友「もういいよ。どうせ逢いたくないんでしょ。わかった。(ちょっとだけ間)ツーツー」
「え?おれ断ってないよね?」と思いつつ、「なんだかなー」という脱力感にも似た感覚が・・・
すぐに電話をかけ直す気力もなくなってしまいました。フォローすべきだったのかな?
自分の事を他の何よりも優先して貰える事はすごくうれしい事だけど、他人に押し付けたり期待したり、ましてや要求したりするような事じゃないと思ってて、表題のような事言われたら、ちょっと引くというか、耐えきれないプレッシャーを感じてしまう。
こういう言葉を言う女子(というかお付き合いした彼女)はこれまでも結構いました。どういう心理なんだろう?
それこそ10代や20代の前半とかの恋愛なら許容することもできるし、乗っかって行くくらいの事はできたと思うのですが、既にもういい年なんだよね。二人とも。
恋愛関係を作りたいから単純なアプローチだとすれば、かなりマイナスイメージになるのはわかっているはずなんだけど。
ボクに逢いたいと思ってくれる人が現実の世界にいるってことは、スゲーありがたいことだし、素直にうれしいです。
でもさ、他のすべて(仕事や家族や友人やイベントなど)彼女以外が構成するボクの要素を全てないがしろにして逢いに行ってうれしいかな?
そんな人とずっと恋愛関係を築けるはずないよ。だって痛々しいじゃん。一緒にいても楽しくなくなる。アタシだけの特別がだんだん日常になるんだよね。
ボクもこれから先、そういう依存関係にも似た生活はしたくないです。
なんか自己弁護だな。と書き終わってから思う。
女性には共感っていうか基本的に人間の話は共感が基本原則だよ、仕事上の話合いとかでもなければ
というか「共感」って言うからよくないんだろうな
共感というより、受け止める事が大事。たとえ意見賛成じゃなくても、受け止める事がね。
相手の意見に賛成じゃなくても相手の言い分をとりあえず受け止めると言う事が大事
それが「共感が大事」っていう言い方で伝えられているけど、共感が大事というとまるで反対なのにいつだって相手が何かを言えば賛成しなきゃいけないみたいなマイナスイメージがつきかねない。そういうことじゃなく、賛成か否かはさておき、相手の意見・感情・意思を受け取ってやる、ということが大事なわけでね。
それはお互い様だから「なんだよ共感してやったじゃないか」ていうのはちょっとな。多分君だってそう言う意味ではたくさん共感してもらって生きているんだと思うよ。人間である以上。ていうか現に今その増田に受け止めてもらっているでしょ。そもそも増田に吐露した時点で誰かに受け取って欲しい、この想い分かってほしい、ということの表れなのだから。別にそれは恥じることでもなんでもないしね。主張というのは概してそういうもの。分かってほしい、受け止めて欲しいから発するもの。そういう気持ちがないなら、そもそも誰も何も発しないし発する必要は無い。
うーんとそれは元増田の言わんとしていることでは無いような。
個人的に思うのは、今回の件で反応しまくりな両陣営とも(自分の立場をわきまえず)過激な言い回しが多すぎて、ウェブプログラミング初心者(PHPユーザーっていうわけではなく、PHPを入口にウェブプログラミングを覚えようという人たち)を敵に回したり、変に壁を作ったりしてるような気がする。で、各々がはてブなんかにクリップされちゃってるから、マイナスイメージが加速度的に広まるわけじゃないですか。
んー。俺、友達で二人高校中退した奴いるんだけどさ。
中退っていうとなんてーか、マイナスイメージっつーか、暗い奴だとか引きこもりチックだとかそういうイメージが漠然とあったんだけど、その二人、全然そういう風じゃなくてさ。普通に明るいし。中退したけど何か?くらいの勢いでさ。
俺も実は、色々あって、もう学校辞めたい、と思ったりもして、でもまあ根が臆病だもんで、一応卒業はしとかないとってことでなんとか切り抜けたんだけどさ。中退して、すぐ大検とって(そいつらも2年くらいはいたもんだから、ほとんどの単位はとれてて、大検も楽勝だったらしい。そもそも、とれてなかったとしても大検の問題はかなり楽勝だったらしいが)、普通に俺らと同じく大学受験(か、専門)やってたよ。中退した後も、時たま学校きたりして、全然なんていうの、正直中退したらあんまり学校いってるやつらと顔合わせたくないと思うんだがそういうのも全然ないみたいで、普通に学校ふらっと寄ったりしてさ。大検は簡単すぎて勉強する必要もないからってんで、専門の試験あるまで1日単位のバイトしては、その金で遊んでたり、なんか普通に楽しそうでさ。結局そいつら、普通に一人はゲーム系の専門行って、一人は一年浪人して大学行ったんだ。
寧ろ、「あと一年だから、頑張って卒業だけでもしよう」とかいって、卒業した俺がバカみたいなくらいでさ。いやほんとに。ていうか今となっちゃ、俺もさっさと辞めとくんだったって後悔してるくらい。だって、別に卒業したって大検とっちゃえばあんまり関係ないんだよな。俺も浪人したんだけど、そのとき卒業証明書とか、そういうの学校にもらいにいかなくっちゃならなくって、でも浪人でそういうのもらいにいくのすげー恥ずかしくてさ。いくら向こうが気にしてないっつってもどうしてもさ。んでも大検組だと、それもないし。一体、俺がなんとか頑張って卒業した(ま、卒業した程度で何が頑張っただよ、ってな話なんだけどね、一般的には。でも鬱になって病院通いつつだったりで、俺的には結構頑張ったもんでさ。三年生時は死にたいとかずっと思ってたし)のは何だったんだろ、一年無駄にしただけだったんじゃないのかって感じで。まあ俺が情けないだけなんだけど。そいつら、普通に、三年間いた俺より、高校時の友達多いし、なんてーか、あんまりいろいろな事気にしないタイプだから、同窓会とかも普通に来てるし(俺だったら来れない…色々考えすぎて)。かたや俺は、浪人時にほとんどの友達と自然消滅しちゃってさ。本当、俺が頑張ったのって何だったんだろ、頑張って卒業したのって何の役にも立たなかったな……って愕然としちゃってさ……
んだもんで中退して絶望感を感じるかどうかってマジ人それぞれだと思う。あいつらの場合まったく気にしてなかったし。専門や大学いったあともフツーに友達作ってたし。俺?……いまだ大学の友達2人だよ……本当これかいてて泣きたくなってきた。俺みたいに無理してガンバって卒業するよか、さっさとやめちまった方が寧ろ得って事もあるってことさ。