はてなキーワード: マイナスイメージとは
■画像はなるべく貼る
昨今、面白いニュースはネットに多く溢れている。それを広く伝えたいと思うのは誰だって同じだ。
面白いニュース記事を紹介すれば、もちろんRT数だって増える。
その為にてっとり早いのは、ソースとなるURLの他、キャッチーな画像も添付すること。
例えば最近面白いと感じたのは、キティちゃんとタートルズのコラボ商品のニュース。
これだけではピンとこなくとも、実際に全身緑色にペイントされたキティちゃんの画像が回って来れば
事態は一目瞭然であるしインパクトも強い。思わず友人達にも見せたくてRTする人も増えるだろう。
また、女性に人気の可愛い新商品やお洒落なスイーツ、コラボ商品やアニメの新グッズなども、
twitterクライアントの多くでサムネが表示される昨今、面白いニュースを見つけたらURLだけでなく、
【NGな例】
不特定多数に向ける物であるのだから、わいせつな画像やグロは避けるべきだろう。
下ネタツイートをしているうちにそっとブロックされていても自業自得だ。
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■「あ、これ、私に当てはまるかも」と思わせるネタ
星座占いや血液型あるある等がそうだ。「長女あるある」「女子校あるある」「名古屋人あるある」等、
よりターゲットを絞ったディープなネタで、かつ、なかなかに的を射ていればそれなりに回ること間違いない。
また、派生として「この食べ物、うちの地域では大判焼きって言うんだけど、関西では通じなかった~」
「この中であなた好みのカレシの髪型はどれ?」など、会話の糸口になるような、つい答えたくなるようなツイートも有効だ。
【NGな例】
「共感したらふぁぼ☆」「感動したらRT!」など、こちらの行動を強要してくるものは
どうしてもRT数を稼ぎたいなら文末に「#元セガ社員の人はRT」というハッシュタグでも付けろ。
おっさん達がもりもり釣れる。
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これは、どのツイートに対しても言えることだが、要点は140字でまとめるべきである。
ここから先は、出版・ゲーム・アニメ業界の人間および同人作家が宣伝ツイートする時に有効な方法をまとめていく。
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★その1・140字でまとめること
語りたいことが沢山ある、伝えたいことがまとまりきらない、その気持ちはわからなくもないが
RTする側の身になってみて欲しい。好きな作家が新刊の宣伝をした。よし支援しようとRTする。
しかし直後に、その続きのツイートが投下される。それでは、とそのツイートもRTする。
ところがまたまた追記がある。どうしようか悩みつつ、一応RTしておく。
それなのにまたしても追加情報がやって来る。この辺りでいくらファンでもこう言いたくなる。
いい加減にしろ、と。
そもそもファンはRTしたくてやまやまなのだが、その人のフォロワー全員がその記事に興味を持つとは限らない。
山程似た様な内容をRTして、フォロワーのTLを埋め尽くしてしまっては、RTした人のアカウント自体がうざがられ、
リムられる危険性があるのだ。いくらファンでも、そんなリスクを冒す人は少ないだろう。
どうしても書き切れないのならば、サッと要点のみ伝えたら公式サイトやブログやAmazonのURLを貼って、
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★その2・大事なことを書く
時折あるのが、「新刊のお知らせ」の一言だけで、あとはブログのURLが貼ってあるだけの宣伝ツイート。
これでは、よっぽどのファンはURLを踏んでくれたとしても、ファンでも何でも無い人間は全くスルーするだろう。
クリックを一回強要するだけで、相当数のネットユーザーはその記事からの興味を失う。
自分の好みかどうかもわからない情報にわざわざ飛んでくれる人間などいない。
ツイート主にとって大切な情報であっても、通りすがりの誰かにとってはどうでもいい話であることを忘れてはならない。
少なくとも、例えば漫画の新刊であったなら、「タイトル/著者名/発売日/作品の概要あるいはPR」は必須だろう。
そこに書影のURLや出版社の特設ページのURL、あるいはAmazonのリンク等があればモアベターだ。
そして忘れて欲しくないのは「必ず著者名を入れる」という点だ。
twitterクライアントによってはRTされたツイートは発言主のアカウント名が表示されないものも多い。
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★その3・リプやRTはほどほどに
これはよく見かけることなのだが、作者やスタッフが自作の感想を呟いてくれたツイートをRTするというもの。
一見有効に見えるが、実はこういった引用を快く思わないファンも多い。
まず、「オフィシャルが何をはしゃいでいるんだ……」という興ざめ。
更に致命的なのは「公式の中の人が見てるとなると、言いたいことも言いづらいな……」と怖気づいてしまい、
誰でも気軽に言いたいことを言えるのが利点のTwitter、しかしそれを該当者本人から「見てますよ」アピールをされて
ギクリとする人は少なくない。見られているなら苦言やマイナスの感想は勿論言いづらくなるし、
たとえ好意的な感想でも恥ずかしかったり恐縮したり、はたまた萎縮したりして、何も言えなくなってしまう人も世の中にはいるのだ。
twitterというツールを使っている以上、どこの誰にどう見られようと文句は言えない。
それは当然のルールであるが、これらのデメリットが発生する可能性を考慮して尚、貴方はRTをしたいだろうか?
勿論、「作者にRTされた! 嬉しい!」というファンも多い。それは間違いない。
けれどその陰で、背筋をひやりとさせているファンもいるであろうことを忘れないでほしい。
また、著名人からの推薦コメントならいざ知らず、全くの一般人の「〇〇面白かった!」という呟きに
こういった「取るに足らない呟き」までもつぶさにRTしてTLを埋め尽くしている作品は、小物感を際立たせるだけだ。
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★その4・定期ツイートはなるべくしない
これは同人作家に多いのだが、定期ツイートを流してくれるツールを利用しての自動定期ツイート。
実際にやってみればわかると思うが、最初の一回目こそRTしてもらえても、その後回を重ねるごとにRT数は減っていく。
当然である、同じ内容を何回も流したい人間が、当人意外にいったい何人いるというのだ。
とりあえず人付き合いとしてRTしてくれている人たちも、あまりに何回も同じ内容だとそっと「見てみぬふり」をするようになる。
ツイート主との人付き合いがあるのと同様に、彼らにも彼らのフォロワーとの人付き合いがあるのだから当然だ。
そしていつしか彼らは見慣れたアイコンをTL上に見かけただけで、「ああ、いつもの宣伝ね」、と、
中身すら確認せずスクロールバーを回すようになる。
そうなると、例え新しい情報を流したとしても、「いつもの」として流されてしまう。
皆に有益と思って欲しいのであれば、宣伝は常に垂れ流すのでなく、要所要所で新鮮なものを流すべきだろう。
また、同人作家に限らず、ラノベ作家や漫画家でも時折こういったツイートで新刊を宣伝しているのを見かける。
が、待って欲しい。
しょっちゅう本が出ている売れっ子は、そんなにいつまでも同じ本を宣伝し続けているだろうか?
繰り返し何か月も一冊の本を宣伝し続けているということは、それしか商品の無い零細ですと自己紹介しているようなもので、
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ワロスbotなどのパクツイアカウントに腹を立てている人は多いだろう。
けれど、こういったアカウントを「人気ツイートの収集ツール」として利用している人も少なくない。
それは個人としての楽しみだけでなく、まとめブログやネットニュースの記事を書く人たちの、効率のよいネタ収集である場合も多い。
ニッポンの「物語を売れ」のいやらしいところは物凄くマイナス寄りの物語でモノを売ろうとするところ。
・絶対不可能と言われた完全無農薬無肥料栽培のりんごを8年間の極貧生活を乗り越えてつくりました
・最初の劇場公演からブレイクして、東京ドームでコンサートをするまでの苦労・挫折・喜びを「物語」として顧客に提供
と、物凄い勢いでマイナスイメージの物語が押しつけられ、そしてその昇華に「広告を受けた消費者による購入」が位置付けられているって構図。
ホントうんざり来るわー。強迫的なんだよね話の持って行き方が。
「これを買うとこんな風に消費者を利しますよ」じゃなくて、「これを買うとこんな風に作り手の苦労が報われますよ感傷が共有されますよ」だもん。既にベクトルが憧れですらない、同情混じりの共感めざす方向に行ってんだもん。
「物語を売れ」とまで言うんだったら物語単体で消費出来るようにしとけ。海外の面白CMや意表を突かれた広告ポスターのたぐいを見習えよ。最低限フリスク目指せや。
http://anond.hatelabo.jp/20130219012159
読んでみての感想を書きたくなったので少し
迷惑だったらごめんなさい
親離れしていないと情けないって意識そのものがそもそも高度成長期の夢なように思う
これからどんどん貧しくなるこの国で、自分と両親のそれぞれ別の生活基盤を用意するのは万人向けの手法とは言いがたいし
実家から独立してない状態に社会がマイナスイメージを持ち続けると、それこそ男女がそれぞれ相手の生活状況を観察して
と、そんな前提のもとに考えたのだけれど。
親との関係が悪いと日常会話の端々でそういう態度がにじみ出て、親子関係を大事にする人間には嫌われるし
話のネタとして良好な親子関係を維持しているって証拠を提示できる要素は持っていて損がないように思う。
よって親子関係を一応保っておくと社会で生きていく上で多少有利
そして上で言ったように経済的に厳しいならば両親に頼るのもむしろ賢い選択となるし、一時的に社会から低い評価を受けたとしても
実家暮らしの間に蓄財して見せかけの「貧困な独立」なんてシークレットブーツみたいなもの履かなくても済む分最終利益は増えるきがする。
さらに子育てや事業の展開によっては両親や祖父母という存在が強い力になることもあるし
何十年も生きてきた人間であるから知見やコネなど手助けになる要素も多い
そういう観点から独立も共存も一長一短であるということは否定出来ないと思う。
結局親子関係なんて利害関係から計算して取捨選択すればいいだけのものなんじゃないかなーって
と、まぁ、そういう共存はもう増田さんはしなくてもいい立場っぽいしあんまり関係ないのかもしれないけど
逆に言えば独立することもまた同じくらい立場的に関係ないとも言えると思うんですよ。
それなのに「自我の枷が外れない」ってあるのがなんとなく面白いなって思いました。
思うんですけど老いた母親の意識を変えるってそれこそヘタしたら貴方の人生をかけて凄いリソースを消費しないとできないことで
そんな大事業をしなきゃいけないほど母上の価値観や態度を改めさせることに価値はない気がするんです。
たぶん、可能な限り消費するエネルギーが少なくなるよう実家との関係を最適化する方法を考えるのが大事なんじゃないかな
もしそれができないとしたらどうして自分の気持に踏ん切りつけるのが大事だと思うのか考えて
その要素と母親との関係清算にかかるリソースと今自分が一番したいことを見比べて大事な方を選ぶといいんだと思います。
以上、無駄な長文ごめんなさい。
ミスコンの運営とか昔やったことあるんだけど、ミスコンって結局はプロダクションから女の子連れてくるので、ブログ書かせるのにも金が掛かる。
記事1本ウン千円とか。
もちろん、金払って書いてもらってるから、それなりのクオリティは求めるし、書いた内容もチェックした上で掲載してる。
芸能プロダクションとかモデル事務所に所属してる子の公式ブログなんかもそうで、もちろんお金までは発生しないだろうけど、当然公式アカウントなんだから書ける内容も制限されてて、事務所がチェックしてるのが当たり前。
最近はツイッターやってる子も多いと思うけど、大抵こんな感じで運営されてると思う。
ひるがえって、昨今の秋葉界隈の、萌え店なんかで働いてるお店の子のツイッターとかなんだけど、
この辺の線引き、あまりに適当なんだよね。ものすごく危なっかしい。
普通、店に所属してる店員のツイッターアカウントだって明確にするなら、
たとえばリフレ店マーメイドのミサキちゃんだったら@mermaid_misaki だったりするのが普通だし、そういうのを店が用意するのが普通だし、店のサイトからリンクされているのが普通。
それが公式アカウントだよね。
でも、萌え店で働いてる子のアカウントってこうじゃないのが多い。個人に作らせて個人に勝手につぶやかせてるのに、お店の名前をプロフィールに書かせて客とやりとりさせてる。
彼女らにとっては、店からもらったアカウントじゃなく、自分で作ったアカウントなんだから、そりゃプライベートなこと、ギリギリのラインまで書きたくなるのは当然だわな。
迷惑な客に傷ついたらそう書くだろうし、店の中で凹む事があったら、思わず書いてしまう子だっていてもしょうがないと思う。だってその子が自分で作ったアカウントなんだもん。
要は制服の支給と同じようなもんでしょ?仕事垢は仕事と割り切らせてそっちで無難につぶやかせて客とやり取りさせればいいんだし、個人のプライベートな垢は、客とは交換しないってのを最低減の約束事にする。んで店側は一切関知しないってスタンスで運用すればいいのに、おかしな話だわな。
まるで何書いても構わない、って言われてるかのような感じで、フリーダムに書いてる子もいたりするよね。
まず、店の名前を出してツイッターさせてるなら、当たり前の話だけど、その子らのつぶやきは、毎朝毎晩、店側がチェックすべきだよね。
所属の店員のアカウントをリスト化して定期的にプリントアウトでもすれば済むだけの話なんだし。
この辺の線引きをおろそかにしてると、例えばA子を前々からよく思ってないB子なんかが、A子がつぶやいたお店のマイナスイメージなツイートを抽出したりして、マネージャーに出したりして、『A子ちゃんって店の名前出してこんなことばっかりつぶやいてますけど大丈夫なんですか?』とかね、言っちゃったりしかねない。んで店側は普段から彼女らのツイートをチェックもしてないから、一方的にB子の言うことを信じちゃったりしてA子が罰せられちゃったりする。ちょっと待てよと。それってそもそもルールもなく野放しにしてた店側の問題じゃね?って話。これでA子が辞めでもした日にはね、自分の店は店員同士が足の引っ張り合いをしてるマヌケな店ですよー、なんて、自分から言っちゃってるようなものだよね。
しまいには、"お互いのつぶやきをお互いがチェックして、おかしいなとおもったのはマネージャーまで報告してください"とかさ、まさかとは思うけどそんなルールで運営してる店とかないよな?どこの小学生の帰りの会だよって話だぞ?そんなもんはマネージャーが自分でチェックしろやって話だ。
これはネットの力が大きいと思われる。
代表的なのが
”「ドラエもん」でしずかちゃんのシャワーシーン”
過剰な表現規制に対する反応だ。
当初こそこれは分かりやすい、ショッキングな例だっただろう。
だが、都側はこれに対して冷静に「青少年の環境の整備」を主張してきた。
常識的な感覚ならば、条例の目的がこうした過剰な例を目的とする物ではない事は
あまりに明らかだ。
本来は、もっとグレーゾーンの作品を例として出す検証作業に移行すべきだったのだが、そうした議論は積極的に行われなかった。
(”性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発”に対し
作品の性質上、ある程度のリアリティを持って描写、表現する事が必要な作品とそうではない作品)
また、このドラエもんの例を今だに取り上げる輩は後を絶たず、
当初こそショッキングだった例も都側の対応姿勢を充分に聞く期間を経て
「下らない極論をいつまでも挙げるしか反対の理由を持たない」代表となってしまった。
くり返す輩が後を絶たない事で、反対派の主張は議論に値する内容ではない、という印象を裏付ける結果をもたらしたのだ。
・「非実在青少年」の削除
2月の提出案に尤も大きく反対されたのは
被害を受ける存在など実際には居ない、という事だった。
被害も存在しない、という論だ。
今だにBLを代表に被害者も犯罪者も存在しない、という論を持ち出す人間が後を絶たない。
都側は既にそれは焦点ではない事を明確にしているにも関わらず
規制反対理由としてあげる声が残った。
これは反対派の反対理由が2月の提出案から全く進歩していないことの裏づけでもある。
こうした声の繰り返しは、反対派は規制の本質(目的)を正確に捉えていない、とみなされる結果となった。
自分が振りかざした武器のダメージがまさしく自分に返ってきた例である。
今回の規制は、既存の法律でも禁止されている部分を補完する物である。
逆に言うならば、これまでの規制でも充分にグレーゾーンの作品、雑誌も存在したという事だ。
青少年への購読・購買に自助努力をする時間は充分にあったのだ。
2月の提出案の反対の声を反映し、一般社会の興味も格段に上がった。
これまで漫画に興味のなかった層も
と目を向けるようになったのだ。
当然そうなると、前例の「ドラエもん」や「BL」の反対論のような
全体から見た場合に、問題がある雑誌、作品がごく一部だったとしても
取り上げられる問題のある雑誌、作品が極端に目立ち、認識されるのだ。
戦略としては、こうした世間の目に対して、出版社側は過度な守りの姿勢をアピールとして用いるべきだった。
特に目立つセックス描写の多い、有害図書認定されるような作品、雑誌のハードルを上げ
あるいは18禁という明記を行うなど、販売・購入時の防止策を用意しつつ
同時に、年齢規制を行うべきではないが、グレーゾーンの表現が必要な作品とは違う、とするアピールだ。
一部の成人向け同様の作品を載せた青年誌であり
自分達が読みたい作品、雑誌を奪うな、という利己的な購買層に主張であり
あまりに利己的な自己都合の主張はマイナスイメージの植え付けにしかならなかった。
これらによって一部の「規制の目的に該当しない作品である」という冷静な分析・主張が覆い隠され
「販売・購読したいから規制に反対である」という反対派の構図が出来上がってしまった。
「販売の規制対象にする事で表現を守りたい」という意見などもあったが
それを急に大きくあげつらうこと自体が、”ヲタク”というカテゴリの人々が
また、目的を踏まえた上で条例の内容の是非を論議するのではなく
そうした個人の姿勢を大きく上げる行動こそが、確たる反論が尽きた場合に行われる行為だ。
大雑把に分けたが、これらの行為で反対派は2月から、
長く条例を賛成に導く手助けをしてきた事になる。
おそらく2月当初は反対だった一般の人間が賛成に回った理由も
こうした反対派の行動が原因だろう。
都知事の問題行動があってて尚、都側の完全な勝利だ。
こうした敗因に加担した反対派には、本当に必要な表現の自由の為に
表現の自由の息の根を止めようとしているのは誰なのかを。
http://anond.hatelabo.jp/20101018204446
双方向になって相手が本当にきもかったららきもいと思うけど
そうじゃなければ、高いお金払って大変だなあという感情はあるけど
特にマイナスイメージは持ってない。
たとえの意味が良くわからないから、とりあえずどのへんでニートが虐げられているのかについてだけ。
ニートってマイナスイメージしかないだろとりあえず。メディアのニート特集(最近はやらなくなったが)や、その他様々なニートという単語を混ぜた話をしようとすると必ずニートは甘えで、ニートはダメみたいなことになるだろ。
それ。
ニートみたいな人、いてもいいじゃん。って大多数の人が思うようになればそれでいいんじゃないの?
別にむずかしいことなんか全く言ってないんだけどな。人間なんだからどういう生き方しようが勝手なはずなのにそう思えない人がいるようで。
離脱したようだけど疑問だけ残しておくよ。
1. なぜ「2次元"児童"ポルノ嗜好"だけ"変態性癖である」とするのか?
しかしもっと言ってしまえば実写の写真に欲情するのもおかしくないか?
恋愛至上主義に則ったら好きな人以外で欲情するのも変態性癖とされるかもしれん。
ここが無根拠ではっきりしないのに2次元"児童"ポルノだけが標的にされると違和感がある。
無論児童ポルノ自体は規制されるべきだが、これは被害者がいるから規制されるべきとなっているんだ。
決して変態性癖だから規制されるべきとなっているわけではない。
そうであったとしたらスカトロやSM等も児童ポルノ並に厳しくなってないと話がおかしいだろう。
流通段階で表紙が直球でゾーニングもされずに平積みされてることを言っているの?
それならばゾーニングをしっかりするべきだとは思う。
表紙くらいは人目につくものだから自粛するべきだろうとは思う。
3. "コンテンツ業界は「2次元児童ポルノ」を自主規制しろ。"と"どんな変態趣味のエロ作品も(犯罪性の無い限り)存在していい"が相反している
自主規制求めるのは自由だけども、そうじゃないと規制するよとか規制されるよとか脅して自主規制を迫るのは法規制と何が違うのか。
存在を認めるならば自主規制は不要。存在を認めないのならば根拠を出すべき。不安だとかは根拠にならない。
4. "マイナスイメージを払しょくするような方法"ってそれこそゾーニング撤廃しか無くね?
影でこそこそ隠れて何やってるかわからないから異常だとかに思われるわけで普通に流通していて誰でも購入できて気軽に話題にできるようになれば、世間に認知されてマイナスイメージは消えるよね。
"自分の変態趣味を人前で御開帳"はある意味マイナスイメージ払しょくの一手段なわけだ。誰がやってるかしらないけど。
こんな感じ。個人的にはゾーニングで十分だと思う。現段階のゾーニングが適切かと言われれば多分適切じゃないけど、流通規制とか表現規制はされるべきじゃない。せっかく成年向け指定があるんだからそれを利用して青少年の目になんとかつかないような方法をとれば良いだろう。
一般人とかいうくくりは嫌い。一般人と変態なんて区別は無い。青少年を脱して大人になったらどんなコンテンツにだってアクセスできる自由があるのが平和ってものだろう。
色々と同意。
まず俺は、この規制論の根っこには感情論があると思ってる。(他の全ての政治も経済活動も、基本的に人のやる事は感情がベースだと思ってるが)
こういう事を書くとすぐに、「感情論で人を裁くのか!」などと言いだす奴がいるが、個人的には全く否定しないし「その通りだが、違うと思ってんの?」と聞き返したい。
そもそも、法できっちり決められているはずの裁判でも、量刑判断は裁判官の心証(感情)によるところが大きい訳だし、感情論を否定するなら情状酌量なんてのが制度に組み込まれていることを問題視すべきだろと。
日本で死刑制度が無くならないのは、日本人の感情に根差していると思ってるしね。
だから、オタクに対する、「なんかキモい」から始まって、萌え→ロリコン→性犯罪者では? という、主観的なイメージのコンボを変えるような動きが無ければ、この問題はいつまでたっても変わらないと思っている。
非実在青少年問題に対する俺の主張をまとめておく。
自分の考えは下の2エントリに書いてあるし、他の意見を読んだ今でもさほど変わる事はない。
http://anond.hatelabo.jp/20100317121826
■なんでオタクは自分達の安全性をアピールしないの?馬鹿なの?死ぬの?
http://anond.hatelabo.jp/20100319134237
また、これは昨日俺にIDコールでDisってくれた人への返答でもある。コメント100文字じゃ書ききれないので増田に書く。
id:ruletheworld id:Thsc id:bbk0524
そして俺は、この不毛な議論からは離脱(遁走)する事を宣言する。疲れた。
勝利宣言したい奴は、どうぞお好きに。
立花隆が緊急寄稿(2)
ttp://g2.kodansha.co.jp/?p=3545
いまから予言してもよいが、小沢はもう終りなのである。小沢が不起訴で枕を高くして寝られるようになったと思ったら大間違いである。
逆にこれから一歩一歩逮捕の日に向けて詰めの動きが着実にはじまったのである。
それが水谷建設の一件でくるか、税金の問題でくるか、あるいは政党交付金の問題でくるか入り口はまだ定かでないし、多分幾つかの「合わせ技」でくるのだろうがどれとどれを合わせてくるかなど、まだまだ定かでない点が多い。逮捕の日も予算があがる日か、別の重要法案があがるのを待つのか、あるいは別の重要政治スケジュールがあがるのを待つのか、その辺もまだわからない。しかし、事件は、金丸事件になぞらえていえば、「黄色いペンキ事件の日」から「突然の金丸逮捕の日」の間の「いつ何が起こるかわからない危険地帯」に入ったのである。
そして、小沢にもそれがわかっているのだろうから、そして小沢もバカではないから、おそらく予算があがる直前など、いよいよヤバイことがわかった時点で、あるいは自分のマイナスイメージが民主党支持率をどんどん下げだすのが明きらかになるなどの時点で、小沢は幹事長を辞任するだろう。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/091101/osk0911010237002-n1.htm
それに代わる呼称を一般公募しようという話のようです。
私は脊椎に先天障害がある、いわゆる障害者です。症状は排尿障害。
障害者になじみがない方の参考になればいいかなと、少し意見を書いてみます。
小学校のころ、学校で知らない女の子二人組に、こう話しかけられたことがあります。
「○○くんって、障害者なの?」
まだ素直だった私はその女の子たちに、自分が二分脊椎という先天障害であること、
どのような症状があるかなど、わかる範囲で丁寧に説明したつもりでした。
しかし、説明を聞いた後の女の子の一言は、私の予想外のものでした。
「じゃあ、やっぱり○○くんは障害者なんだ」
自分という個人ではなく、「障害者」というラベルで見られること、
これはとてもつらい体験だったので、30を過ぎた今でもはっきり思い出せます。
(数多あったいじめや何やより、よっぽどはっきり覚えています)
だから吹田市が「障害者と呼ぶのはやめよう」ということ自体は、理解できる面もあります。
例に挙げて悪いですが、本記事のブックマークコメントでid:A-xtuという方が、
b:id:A-xtu 身内に障害者がいる身としては、ちっともありがたくないどころかむしろ大迷惑。どうせ行政上の諸手続名称もいろいろ変更されるのかと思うとウンザリする。こういう当事者不在の施策はいいかげんにせよと申し上げる 2009/11/01
とまでおっしゃってますが、正直、身内の方の気持ちをほんとにわかってらっしゃるのか、
他人事ながら少し悲しい気持ちになりました。
(ただ言葉が足りないだけと信じたいですが)
追記:ブコメにご指摘あり、上記内容は重度障害者の身内としての立場を表明されたものとのこと。「当事者」という言葉が「障害者本人」を指すと勝手に誤読しておりました。大変失礼しました。
「障害者と呼ぶのをやめる」ことは結構ですが、
「それに代わる呼称を」というのは無意味なことだと思います。
「○○くんって障害者なんだ」が仮に「○○くんって元希者(げんきもん)なんだ」に代わっても、
ちっとも救われないどころか、むしろバカにされてる感がプラスです。
障害者だの障がい者だの元希者(これは高齢者のことですが)だの、字面の問題ではないんです。
何らかの総称で呼ぼうとすること自体が、障害者/健常者という二分論を産み、
総称を全くやめてしまうと行政上の不都合も生じる(障害者手帳とか)場合があるでしょうから、
そこは、個別により適切な単語に置き換えてもらえばいいと思いますが、
「イメージがよくてキャッチーな単語で総称しよう」というのは、
発想の方向が違うのではないでしょうか。
『障害』は個人ではなく社会の仕組みや街のあり方に存在する
については、心より賛意と感謝を送りたいと思います。
吹田市には、このスタンスを大事にしてあまり変な方向に流れないように、
と願いたいと思います。
b:id:quix_que 障害者, 言葉 一応障害者の端くれとして言えば、属性を示すラベルが必要な以上、カテゴライズからは逃れられない、と思っている。2009/11/01
b:id:tatsujik 障害者の親ですが、障害者というカテゴリーは必要だということは自覚されていると思います。カテゴリーはいるが、障害者とは言わないでほしいというと現実的にどう対応したらいいのかわかりません。2009/11/01
確かに行政上カテゴライズが必要なことは理解しているつもりですが、そのことと、
カテゴリに名前が必要かということは別問題ではないかと思っています。
以下に私見、というか、「こうだったら私は嬉しい」を書きます。
例えば、「障害者」という広いくくりではなく、なるべく各病名や症例名で呼ぶようにするだけでもいい。
病気したことない人はほとんどいない、つまり、ほとんどの人は何らかの病名や症例名を持っているので、
これだけでもある程度対等な立場で話をすることができるようになります。
その上で、一部の症例に関しては「障害者手帳」ではなく「障害明細手帳」を交付する。
いや手帳の名前はセンスある人が考えてくれればいいですが、言いたいことは、
と、ここまで書いて思ったのですが…。
私は四肢障害が出なかったので、見た目でラベリングされることはまずありません。
自分もそのテの者です。単に陣痛やら会陰切開やらが痛みが嫌だ+十月十日を無事故で健康に過ごすのがタイヘンだろーなー、仕事もきついしさー、とか言う理由だったんだけどもそれに加えて昨年、子供の産まれた友人宅に行ってさらに理由が増えた。
友人はまだ20代の、結構オシャレな美人さんなのだけれど、頭は白髪が伸び放題、花粉症なのに鼻をすすりながらも「甜茶飲んだけどきかないんだよね〜」と文字通りお茶を濁していた。そっか・・・母乳で育ててるっつーことは、産まれた後も髪染めたり薬飲んだり(+酒タバコ類も)できないんだな、と、同性ながらその時初めて気付いて、子を産み育てることに対するマイナスイメージしか持てなくなった。
まあ、酒飲んだり妊娠期間中から髪染めたりオシャレ優先な格好するというのはいまどき割と許容(?)されてきてるし、案ずるより〜とか言うように、実際出産して子供に会えたらそういう耐性スイッチ入っちゃうんだろうけどさ。しっかし生死をかけて妊娠・出産したかわいい我が子のためとはいえ、前後2〜3年近くそういうことができるのかと言われると・・・。そっから先も親業は続くしねぇ。