はてなキーワード: ベルギーとは
その話だよ。
原案は、ヤン・チヒョルトのものかは知らないが、他の商標に似ていて変えたんだから、探せば似たものが見つかるのは当然だろう。
被ったから変えたものを「被ってる!」と非難するのはおかしい。
で、それとは別に、原案と現行案(もう取り下げられたが)の繋がりは明白だけど、
ベルギーのどこかからパクったという話はイチャモンだったということでいいの?
あらぬ疑いをかけてしまい申し訳ありませんでしたってことになったの?
って質問。
「ゼロ」を何を持って言ってるか知らないけど、逆に「ゼロ」から生成してる職業って何?何も無いってこと?
小保方の方は結果自体が偽造。論外。
佐野の場合は物自体、デザイン自体はそこにある。そしてそれに対する「評価」は全く別の話。それの新規性とか優れてるかどうかは今回問題視されてるもとは一切関係ない。
問題はそれがパクリだとか実はコンペで勝ち取った物は全然別のものだった、ということ。
ん?これってそもそもベルギーのデザイナーが、「これ、似てるやん?」って言い出したんじゃなかったでしたっけ?
何か時系列違う?
もし、この「似てるやん」が無かったら別に、ああ、こんなのがエンブレムね、程度で終わってたと思うけど?
誰かが血なまこになって偽造を探したりはしなかったと思うけど?
それを小保方の件で言うなら、他の研究者が行ってた事を密かにパクって結果を出して、その先行研究者の引用も一切せずに
paperにすることと同じだ。
勿論、この場合はすぐにその研究者からケチが付くし、普通は査読の段階で調べが付くだろうが。
大衆が気に入る、気に入らない、ではなくて、単純にこれだけ情報が多く出回っている時代、
何か大きな事を成した時、そこにわずかでもほころびがあったらそこから何か他に出てくるものがないか?と探しているのは常に有ること。
小保方、佐野に関してはここまで大きくなったが、他にも全ての有名人達に対して同じ事が行われてる。
芸能人や政治家に対して過去にまで遡って色々詮索されてるなんて日常茶飯事だろ?
もし仮に、このまま裁判とかまでやって勝ったとしても納得行かない雰囲気は続くし、
海外からもケチが付くし誰も得をしない。(佐野やその周りの利権者以外。)
「デザイン業界がパクリの巣だ」という断罪をする人もいるだろうが、そのパクリの一番の被害者はパクられたデザイナーなのだから、その決着は業界内でどうにかするしかない。いずれにせよ、デザイナーは当分、戦々恐々として怯えながら仕事するしかないのだろう。
ちげーよちげーよアホ
「佐野デザインだ!」って言って買ったのが、そもそもただの監修だったり、それを「業界の常識」とかドヤ顔で言ったり、
まあ、金出してるのもクズみたいな会社側だったりするからホントの被害者はその場合その会社の物を買ってる消費者なんだけどな。
は?なんでだよ?正しい仕事してるなら何も怯える必要ないだろ。
科学者とかは実績がものとして出来上がるからわかりやすじゃん。
デザイナーとか言い方次第みたいなところがある気がする。
そういうのは違うところは違うかもって思う。
小保方さんとこは実績が物を言うのに加えて期待されてたから期待の分だけ持ち上げと落差が激しかったみたいだし。
なにかの菌でガンが治るとかだれも期待してないし科学的根拠を示せとか面倒だから放置してる。
芸術系は似てるとかパクリとかいうのは感性だからイメージが実績になるものかなって。
東京タワーはエッフェル塔のとかキャラクタ名がバンド名の漫画やストーリーそのまま自分の絵にした作品は著作権侵害してるのかとか。
オマージュとかいう類のものとか経緯が説明不要で理解される率が高い物とかデザインが似ている場合でも受け入れられてるものはいろいろあるとおもう。
状況の説明方法や収益の回収方法もデザインに含まれているような気がする。
どうしたら引っ込まずに済んだかを考えると小保方さんは実績が物を言う世界なので実績として方法はすべて無視してもSTAP細胞さえあれば生き残ったかもしれない。
言い換えるとSTAP細胞に賭けていたんだから共に滅したと言えるかもしれない。
佐野氏のデザインは形はどうあれ支持される状況をデザインできていれば擁護されたかもしれない。
オマージュのつもりがパクリといわれたりパクってみたのを黙っていたらリスペクトしてるといわれたりすることはあるんじゃない?
それがどうしてそういう結果になるのか素人にはわからないけど心理的にとか状況的にとか研究して学習してきた人がすることにはそれなりに意味があると思う。
出来ていなかったら結果はそれなりに出てくる物ではないかなと。出てきた結果がこれではないかと。
すでにそれぞれの分野で失敗している今でも、指にSTAP細胞ついてましたすみませんといえば復帰も支持もされるのではないかと思う。
パクリデザインも今だからぶっちゃけるけどベルギーのデザイナーとも旧知の仲だしタイポグラフィーは先生に師事してたんすよ、っていえばそうでしたかごめんなさいって言われると思う。
その短文だけで形勢逆転の「パクリはオマージュでした」って認識に変わるんじゃないかな。
そう考えると細胞が出てこない限り小保方さんは出てこれないと思うしデザインの説明を自分たちの説明抜きに理解しろ受け入れろの繰り返しでは出てきようがないんじゃない?
狂ってるとか一度ついた「穢れ」とかそういう曖昧なものではなく、はっきりした戦略ミスじゃないかな。
巨大チェーンが不正を行っていたとして文句を言われるのは真面目に働いている店員だったりするみたいな所について、業界全体がと言ってあげるのはちょっとかわいそうとは思う。
悪があるとするならそれらの当人に「やれ」と言った人GOを出した人、または勝手にGOする管理不足だった人かもしれないね。
そういう意味では「才能の芽を摘むな」と批判に対して噛みつきたく気持ちもあるだろうなってことは理解できる。
彼や彼女がどういう状況にあったか、状況そのものに生産の価値があるという聖域があるというのは一理有ると思う。
聖域を一般開放するとか人々に歩み寄り理解を求めるというギャップの埋め方という解決方法もあるかもしれない。
他に権威を守りつつ、聖域として残して置きつつ、切り捨てず生かす方法もあるかもしれない。
経歴や背景の捏造といった酷い物になる可能性もあるけど成果を守るのか人を守るのか組織を守るのかで方法は変わるんじゃないかな。
やれることはAとBという複数の概念を組み合わせてCという新しい概念を作り出すこと。
小保方氏の場合は、その作り出したはずの新しい概念自体が偽り(詐欺)なのが明白だった。
仮に詐欺でなかったのなら有用であることは確かだったから、あれほどの大騒ぎになった。
一方、佐野氏は作り出した概念が偽りであるかどうかは見る人によって判断が異なる。
色を変えたり位置を変えたりしただけでも新しい要素を加えたという見方もできるし、そうでない見方もできる。
シンプルな構造である場合は特に、真似るつもりがなくても何らかの先行事例に似てしまう可能性が否定できない。
仮に詐欺的な行為がされていたとしても、それが明白とまではいえないということだ。
しかし、元々の発端を思い出してみれば分かることだが、佐野氏のオリンピックロゴのデザインは誰もが満足して受け入れるものではなかった。
つまり、佐野氏の生み出したデザインのについては元々、新規性が問題でなのではなく、それが優れていてるかどうかが疑われていたのだ。
ただ、優れているか否かの評価よりも新規性があるかないかという判断のほうが簡単にできる。で、あら探しが加速した結果が現在の状況なのだろう。
ベルギーの美術館の件から蟻の一穴のように噴き出したというのも否定できないが、あれを探し出したきっかけは「オリンピックロゴが気に入らなかった」からであって、逆ではない。
ただ、事がここまで暴露されてしまうと、どういう形で落ち着くのか想像できない。
少なくてもオリンピックロゴは撤回されるまで騒動は続くだろうし、佐野氏は…下手な事にならなければいいけど。
「デザイン業界がパクリの巣だ」という断罪をする人もいるだろうが、そのパクリの一番の被害者はパクられたデザイナーなのだから、その決着は業界内でどうにかするしかない。いずれにせよ、デザイナーは当分、戦々恐々として怯えながら仕事するしかないのだろう。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
【NHK】東京オリンピックエンブレム発表実況 [転載禁止]©2ch.net
http://orpheus.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1437733199/
東京2020大会エンブレムを発表 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1437734077/
ダサい、地味、暗いなど、ネガティブな第一印象が多く見られる。発表会で期待を煽り過ぎた反動かも。
ベルギーのリエージュ劇場と、スペインのhey studeioの作品が酷似しているらしい
その後トートバックにパクリ疑惑がもたれ、佐野氏は13日に一部を取り下げる。15日に「部下が第三者の作品をトレース」したと釈明。
素人「やっぱりパクりじゃないか(憤怒)」
コネについては、佐野氏が博報堂出身で審査委員に知り合いがいたって事らしい。
でも贔屓というより、コンペで選んだならこんな地味でダサい奴が選ばれるわけがないという素人的偏見が根本にある。
デザインがダサいという第一印象、デザイナーがパクリに関わっていたという事実から素人はこのエンブレムに偏見を抱き、オリジナルであると証明できても汚名返上は不可能。
素人=大衆に受け入れられればパクリだろーが地味だろーが許された。オリジナル性が証明されても素人からの支持は得られず、パクリとわかっていても撤回はできない。
2020東京五輪は、グダグダな経緯で白紙化された国立球技場で、パクリ疑惑のエンブレムを掲げて開催される。でもそのころには大衆もグダグダな経緯は忘れてると思うので、頑張って盛り上げていきましょう
その後、大会組織委員会が佐野さんの案を商標登録するために、世界中の商標を確認。永井さんは「(原案と)似たようなものがほかにあったようだ。そのため佐野さんの案は、元のイメージを崩さない範囲でパーツを一部動かすなど、組織委の依頼で何度か微修正された」とした上で、「最初の案は(類似性が指摘されている)ベルギーの劇場ロゴとは似ていなかった。盗作ではない」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASH8T5VXCH8TPLZU005.html
原案段階で似たような意匠がすでに商標登録されてて、それを回避しようと微調整したら商標登録されてない劇場ロゴに似てしまった、と。
佐野氏、常識で考えればあの程度にてる程度でベルギーのパクってるとかいいがかりもいいところだろということになりますが、ちょっと常識が通用しない御仁のようですね。まあそれはいいです。
これまで仕事で広告代理店の人とかかわる機会がそれなりにあり(基本発注する側)、博報堂の案件でだいたいひどい目にあってきた。
で、なんでそうなるかということについてなのだが。あいつらって「広告で面白いことしよう」っていうのがどうやら第一にあるんだな。
他の会社はもちろん違う。「広告で金を儲けよう」というのが当然頭にある。
するとどうなるか。金とはようするに信用なので、ちゃんと顧客の信用を得ようとする。バカどもが「~~は電通利権」みたいなことを言ったりするがそうじゃない、顧客との信用の積み重ねだ。
ところが博報堂の連中ってのは金じゃなくて面白さを追求しようとするから、信用を求めようとしない。つまり信義がない。倫理観が無い。顧客はえらい目にあう。
佐野っちもそういう精神性の組織の中で、仕事人間としての人格を完成させたからああなってんじゃないのかね。面白いデザイン適当にパクってきて面白いものその場で提供できりゃまあそれでいいだろって。
ベルギーオリンピックでベルギーのアートディレクターがデザインしたロゴがあった。
・
一方、遠く離れた日本のとある劇場のロゴをデザインした人が「パクリだ」とfacebookで指摘。
画像共有サイトのpinterestで自分の作品を見た可能性があるとしている。
・
ところが、そもそもの発端となったベルギーオリンピックのロゴのパクリ問題については、日本の劇場は商標権登録もしておらず、商標法上問題ないということが明らかになっている。
また、判例から著作権法上、問題ないというのが法律家の意見の大半を占めており、アートディレクター本人も「日本の劇場のデザインは見たことも聞いたこともない」と述べている。
・
こうした事態の中、日本のとある劇場ロゴのデザイナーはついに法的措置をとると決定。
このまま裁判となった場合、「パクリなのか」の立証責任は日本のデザイナー側にあるため、その現実味が議論されているが、立証は非常に難しいとの見方が強まっている。
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こんな状況だったら日本人はどんな反応を示すのだろうか?
トートバッグの件はそりゃ批判されるし、だから佐野氏も盗用を認めてるんじゃないの?
それ以外では発端のベルギーの奴だけじゃない?
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。
そんなに言うなら、過去のオリンピックのロゴマークについてもをパパッと元ネタなり何なり出してみせればいいじゃん?
とりあえず過去30年分の夏冬の五輪エンブレム置いとくから。
別に全部網羅しろとは言わんから、ここ最近の分をいくつか「第xx回大会のロゴは△△のデザインの影響を受けてます」とか「第yy回大会のロゴは○○の流れを取り入れてます」みたいな感じで説明してくれ。
それで今回の問題のロゴと同レベルで似てるケースがゴロゴロ出てきたなら納得する奴も出てくるだろ。
例の件であのデザイナーに同情的な一線級のプロ達がそれをしない理由は何なんだろうな。
俺には不思議で仕方がない。
http://anond.hatelabo.jp/20150821213540
「あんたらはデザインの素人だから知らないだろうが、ああいうデザインは偶然似てしまうなんてのはよくあることなんだから、あんまりガタガタぬかすなよ」ってさ。
あるお寺の住職の話「汚いですが、コップにおしっこをしてからそのコップをきれいになるまでよく洗います。その後そのコップにお茶を注ぎ、飲む。この時に感じてしまう心理的抵抗が『穢れ』の本質なんです。おしっこがコップに残ってなくても感じてしまう。」
もう、佐野さんが何を主張しデザインしようとも、誰も認めてくれない。
私もエンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものと思いますし、
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
〜〜
ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
ちなみに私は佐野さんとは全く関わりがないし、デザイナーでもない。
前者に関して、たぶん明確な要件などなくて、そこをクリアに明文化するだけでも正直相当骨がおれる作業だと思うのでパス。誰か書いてくれ。
後者に関して、基本的にこういうほとんど金のでない仕事は自分のためにやるものだ。
「作品として」というのは、デザインの歴史に対する作業だ、ということだ。
今現在の視点から歴史を丁寧に編んで、なんらかの判断を加えたものを形にしたのが作品だ。
なのでデザインの歴史を知らないやつが文句を言っても意味がないし、
未だ言語化されていない違和感を感覚して指摘する訓練を積んでいないやつが文句を言っても意味がない。
グラフィックデザインとしてのポテンシャルや位置づけに関する議論は審査委員会である程度尽くされているはずだ。
一般的に、プロは素人が考えるようなことは大抵全部考えてきてるので、おとなしくプロに任せよう。
長くなったのでこの上に書いてあることを要約すると、この件に関して素人の趣味判断には価値がない。
あれは当たり屋みたいなものなので、気にするだけで無駄な気がする。
これはアートディレクターとしては監督不行き届きでアウトだけど、今回のロゴとは全く無関係の話。
だいたいデザイナーが外から素材をパクったかどうかなんて(誰が考えたって当然ダメなので)アートディレクターは確認しないし、暇じゃないんだから現実的にできないだろう。
実作業してたデザイナーをNDA結んでクビにして、再発しないように仕事環境改善するしかない気がする。
なんか文句言っている人多いけど、正直ないと回らないと思う。
別に日本の特殊な制度というわけではなく、効率的なので一般的に取られる分業体制の一つ。
これも無関係。
事務所の対応が企業として不味すぎただけで、別にエンブレムとは関係ない。
これは余談だけど、国の仕事の報酬は指名される人クラスの標準的な報酬からすると大概ゴミみたいな額で、基本的には受けた側はだいたい損してやっている。
そして国から指名されるような人たちは文句言ってるやつらの社会サービスのために税金を大量に払っている側だ。
ちなみに今回の公募に関して「評価」が報酬だというかもしれないが、応募資格は世の99%のデザイナーがパスできないものなので、応募できる人はすでにめちゃくちゃ評価されている。
国民の税金を使っているから、俺たちにも文句言う権利があるみたいなやつは1円やるから黙れ。
福島「ですから、日本はスイスのような平和中立国を目指すべきなんです。」
田原「スイスは国民皆兵制で、一般家庭に自動小銃が有る国だよ。」
福島「いえ、例えばスウェーデンみたいな中立国もあるわけですし…」
田原「スウェーデンはナチに協力して中立を守った国だし、今では武器輸出大国だよ。」
福島「えーと、ベルギーのように歴史的に中立を貫いた国もあるんです。」
福島「え~?でも~、侵略するより侵略される方がイイですし~…」
田原 「有事立法というのは、どこかがもし攻めて来たらどうするのか、
社民党はこんな物いらないって言う訳?」
田原 「そうじゃない、どこかが攻めて来た時のために…」
田原 「ちょっと待って、じゃぁもしどこかが攻めて来たら殺されりゃぁ良いっていう話し? 降伏する?」
福島 「うーん…、戦争が起きないように努力する事が政治の責任じゃないですか~」
田原 「いやだから、日本が戦争する気は全く無いでしょ、今でもない!」
福島 「ただですねぇ有事法制はそんな単純な法律ではない訳ですよ。
米軍の活動を円滑にしたり、国民保護法制という名でいろんな人の権利を制限する…」
敵が攻めて来た時にね、国民の人権自由とかでどこ動いて行っても良いですよ。
社民党は国民をどうやって守るのかという具体的な案が無いじゃないですか? どうするんですか?」
福島 「うーん、ただ…例えば…非核構想をやるとかですね…」
田原 「ちょっと待って! つまり敵が攻めて来るなんて事は有りえない!
こんな夢みたいな事を自民党は言って、どんどん日本を軍国主義化してると、こういう事?」
福島 「ぃやそんな事は無いですよ、だって憲法9条を改憲したいと言うのが今強く出ていて」
解説者 「あの福島さんね、僕は社民党に頑張ってもらいたいと思う。でもとてもついていけない…」
福島 「警察官の拳銃使用は絶対反対。犯罪者と言えども人権はある訳ですし、
たとえ凶器を持った凶悪犯と言えども警察官は丸腰で逮捕に向かうべき」
(「ええっ~」と言う驚きの声が怒濤のように スタジオ中に響き渡る)
福島 「それに犯人がそんなに抵抗するんだったら無理して逮捕する必要は無いと思うんですよ、
逃がしても良い訳ですし~」
昂揚感、平和と繁栄、人類の良心、オリンピック憲章、そういうもろもろの理念が正しくデザインに反映されていないから嫌いです。
普通のデザイン教育を受けた人間にはあのデザインは以下のように見えます。
https://tokyo2020.jp/shared/images/olympic_emblem_large.png
①まず、中央を貫く黒いバーは、喪章、あるいはモノリス(不滅の絶対性、時間)を表す。
②対角は金銀のコーナーはモーターの界磁であり、これによりモノリスは右方向に回転モーメントを与えられる。
(通常のネジが右ネジだから)
※ちなみにベルギーの劇場のデザインは回転ドアのデザインで真ん中のラインが垂直に立っていることは、劇場が外へ向かって
開かれていることを意味する。
③右上の赤い丸、これはもちろん日本であり、太陽、陽性なるものを意味する。
金銀の界磁によって駆動されるモノリスは冷徹な正確さで日本をいままさに叩き落とそうと運動する。
金銀の界磁と一緒になったとき、モノリスは死神の鎌であり、赤い丸は狩られて血まみれの生首である。
冷徹な時間の論理によって日本が凋落していくことが避けられないという死を表す。
④金銀はメダルであり、メダルにより黒くて強大な物体が突き動かされて日の丸を叩き落とす図でもある。
日の丸の位置は、時計の1時付近であり、これは絶頂期を過ぎていてこれから沈んでいくしかないことを表す。
⑤2020はフォントで海の波、水平線を表す。五輪マークは、すでに水面下に沈んでいる。
このような、日本の凋落とメダルに駆動される凋落加速のデザインはオリンピックの理念を正しく表現しているとは理解できず、
まったく共感できない。
ちょっと変な人なんじゃないかと思い始めた。
今回のオリンピックのロゴで、劇場のロゴと同じく「盗作なんじゃないか」と言われたスペインのロゴがあったけど、
「大イベントのエンブレムに着想を与えたのならば誇らしいことだが、恐らく偶然の一致だと考えている」
なんだよね。同じデザイナーだったら、普通はこういうコメントに落ち着くもんだと思う。
正直、デザインという仕事をしていたら偶然一致してしまうことなんて多々あるし、それをすべてチェック出来ないことだって理解しているはずだ。
(まして今回の劇場のロゴは著作権登録されていないわけで、明らかにベルギー人側にも手落ちの部分がある。)
今回のロゴをデザイナーという目線で見たら着想から違うのがすぐわかるし、ロゴの根幹の考え方が違うことも感覚として理解出来ているはず。
今回のような類似の仕方で「盗作だから使用停止しろ」って言い出すとデザイナーである自分たちの首を締めることになるのに、
あのベルギー人は今回「使用停止」とかまで求めていて、デザイナーの感覚からするとすごい違和感を覚える。
大体使用を停止することで何のメリットがあるのかと考えると、
「騒ぎ立てることで売名できる」「騒ぎ立てることで示談金を釣り上げることができる」ぐらいしか思いつかないんだよね。
正直あまり大したデザイナーじゃないんだろうなとは思ってたんだけど、ワークスを見て確信した。
http://www.debie.com/logo.html
作家性やこだわりが薄く、流行りの要素などを無節操に取り入れるスタイルの人みたいだ。
確かにこのレベルのデザイナーの感覚からしたら「俺の作品の盗作だろ」と思っちゃうのかもしれない。
盗作って、ビジュアルの類似よりも考え方の類似の方がマズいと思う。
なぜなら、デザイナーだったら考え方をパクった上でビジュアル上はさもパックっていないかのように上手い具合に修正することができるから。
一見ちょっと違って見えるけど、実は考え方を丸ごとパクってますって方がはるかに悪質だと思う。
逆に言うと、パクろうと決めたデザイナーは元ネタとぱっと見の見た目が被らないようにビジュアルを修正したがるもんだと思うから、
同じような見た目のロゴが出てきた場合は、逆に偶然の一致の可能性が高いとすら言える。
そういう目線で見ると、ベルギー人デザイナーのこのロゴだって「盗作」と言われる可能性がある。
http://www.debie.com/display.php?JobCatID=1&JobID=0112
同じ文字を反転させて、重ねてハートを形作るという全く同じ考え方のロゴが昔からある。
http://ks.c.yimg.jp/res/chie-0/46/529/i3/AVOY______3.jpg
色を2色にしたりしてぱっと見の見た目は多少違って見えるけど、考え方は全く同じ。
でも、これも偶然の一致だろうけど。
はてなブックマーク - 五輪エンブレム制作者「全く似ていない」 記者会見:朝日新聞デジタル
記事を読めば分かるが、
要素は似ているがデザインの考え方が全く似ていない、という言葉の最後だけが抜き出されているんだよ。
まぁ、朝日の要約が下手なのもあるので、もっと詳しい記事を見てみよう。
「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明 (1/4) - ITmedia ニュース
ベルギーのリエージュ劇場のロゴは「TとLを主軸に作られていると思う」と佐野さんはみており、Tと円をモチーフにした五輪エンブレムとは考え方が異なる。「要素は同じものがあるが、デザインに対する考え方がまったく違うので、正直全く似ていないと思った」。
例えば、五輪エンブレムはTの縦棒と横棒が接しているが、劇場のロゴは離れていたり、エンブレムは正方形を9分割したグリッドをベースに作っているが、劇場のロゴはそうではなかったり、色や書体も違うなど、「デザインの考え方もまったく違うので、出来上がりも自ずと変わってくる」と指摘。
「似てる」って言ってるブックマーカーはここまで突っ込んで観察した上で「似てる」って言ってるのか?
違うだろ?
「ぱっと見でパクリだと思いまーす」ってだけだろ?
A.デザイナーの佐野氏は、ベルギーの劇場のロゴが表す「TとL」ではなく「Tと円」をモチーフにデザインしたと発表してます。Tの背後に巨大な円のシルエットを表すために右下に銀色の△が必要となりました。この巨大な円は1964年の東京五輪のエンブレムにあやかったものです。
A.会見で公表された「A」~「Z」のデザインは、あくまでエンブレムの拡張性を示したものであり、最初に「Tと円」のエンブレムありきのものなので何もおかしくないです。この拡張性は最初からデザインの一貫として含まれていたので、今回公表された「A」~「Z」や数字のデザインは盗作疑惑以後に後出しで作成されたものでもありません。
A.今回のエンブレムのオリジナリティは、単に見た目だけではなく、エンブレムを分解して「A」~「Z」としても使えるといったデザインの拡張性にあります。この展開の分かりやすさが評価されるところです。一方ベルギーの劇場のロゴはそれができません。