はてなキーワード: ブランクとは
女性が増えなかった研究環境や制度の改善をすべきなのに、比率だけ上げて取り繕っているような気がして気分のいいものではありません。
少し前までは海外に行く女性研究者が多かった傾向にあるような気がします。欧米では、家事・育児との両立がしやすい、復帰しやすいなどの制度が整っており、
プライベートで休んでよいという雰囲気があります。(子どもを研究室につれてきてる人とかもいました)
日本は、長時間労働や雑務の能力も重視されており、なかなか休めないような雰囲気があります。
会議も夕方に開催されたり、飲み会の場で研究予算の確保のつながりができたりと難しいのではないでしょうか。
鶏と卵みたいな問題にもなるのかもしれませんが、比率を上げる云々より、研究環境の改善を先にした方がよいと思います。
たとえば最近だと、女性研究者が育休を取ってその分の授業を男性の研究者がしないといけない、負担がのしかかっているという問題があります。
あとで職場復帰したときに男性研究者から嫌味を言われたという話も聞いたことがあります。ギリギリで人を雇っていることがまず問題です。
負担が男性にのしかかるという意味で、男性の研究者にとっても大きな影響があることなので男女参画の会議とか、もっと男性も出席して意見した方が
単に業績、長時間労働だと、産休・育休を挟んだ女性は負けてしまいます。プラス飲み会、夜の会議を評価されると生き残れません。
池江璃花子に五輪辞退を促すリプライを送るのは極めて間違った行為だと思う。彼女を初めとした五輪選手もこのコロナ禍における政府や自治体の失策の明確な被害者だ。
その認識は多くの人が抱えている事だと思う。
ではその一方でこのゴールデンウィークに春フェスを主催した会社や出演したアーティスト、恐らく大半のルールを守った参加者がテレビ番組のコメンテーターやTwitter上で自称医療従事者に叩かれていたのは正しいのか?
フェス主催者もこの1年以上大きな収入を絶たれた、明確な被害者だ。そんな中でも次に繋げるために今回1年のブランクを経て、過剰な程の感染対策を敷いた上で開催に踏み切った。そしてその主催者の力になりたいと出演を決めたアーティストや参加を決めたオーディエンスを叩くのは池江璃花子を叩くのと同様にお門違いでは無いか。
五輪を止めるために池江に辞退を促すことも、フェスの開催を批判するのも、元を正せば政府の失策、無策が原因ではないか。どちらも正しいコロナ対応の上で、五輪の立て直しやフェス開催再開までの金銭的補償があれば彼らが五輪、フェスの開催に固執する事もなかったのでは無いか。
勿論、スポーツ選手が最高のパフォーマンスを魅せれる時間は有限だ。しかしそれは同じようにバンドやミュージシャンにも同じ事が言える。極めて近い境遇の2者なのに、どうしてこうも世間の声に差があるのか。
皆、池江のここまでのストーリーに同情して、彼女へのリプライを『間違っている』と言っていやしないか?それこそ『間違ってる』のではないか。彼女が白血病を患わずに五輪の代表選手になっていたとしても、彼女に辞退を促すリプライを送ることはお門違いも甚だしい。そして、1年間の自粛を経てやっとフェス開催に漕ぎ着けた主催者を批判することもまた、お門違いだ。
日本のインターネットで語られる弱者男性とかフェミニズムとか女性比率が〜等の話題、ほとんど表面的な問題しか触っていない
日本企業が企業に対するメンバーシップ雇用を採用しており、上層も下層も出世するか否かが会社への貢献に依存しており、専門的な学歴・職歴を評価しないから、ということが大きい
米国であれば、
そのため、
他にも弱者男性の問題は、ここ30年で増加した非正規雇用が正規雇用に対して給料が低い問題が大きいと思われるが、
これも「一度正社員レールから外れると給料が上がりづらい」メンバーシップ雇用の問題点と言える
上層も下層も職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)に基づいて給料が決まる米国では非正規雇用と正規雇用のギャップは小さい
じゃあ米国式雇用制度を導入すればいいのか?といえば、それもデメリットがあって、
分かりやすいところだと「専門的な学歴」が事実上の中世ギルドとして機能するので、大学院に行ける人間と行けない人間で大きな給料の差が発生する
米国だと上位1%と99%の差、日本だと上位10%と90%の差と言われる所以で、単純な比較は難しい
こういった前提を議論せず、「〇〇会社は女性役員が1人もいない!オッサン思考だ!」みたいに言っても仕方ないわけ
そもそも女性ミドル管理職がいないのは日本の雇用制度に問題があるのだから、その会社だけを叩いても意味がないのでは…とマトモな人間なら思う
でも感情で動いているから、目に見えるものだけを批判して気持ちよくなって満足している
別に相手を非難するわけでもなんでもなくただ吐き出したかったので書いてます。
私の最推しはマイナージャンルだ。ソシャゲのように毎月新しいイラストやストーリーがバンバン投下されるわけでもなく、数行ほどのコメントが追加される程度のコンテンツ。公式のツイートですら、3桁いくといい方だ。
当然付いているオタクは少なく、相互でなくともこのジャンルにいる人達は大体顔見知りか、フォロワーのフォロワー、みたいなレベルの規模のジャンル。そんな界隈で私はコスプレイヤーとして活動している。
公式の更新が少なくても、いやむしろ少ないおかげで自分達が想像できる余地は多く、二次創作の自由度が高いジャンルだとすら思っていたし、界隈では更新のたびにワイワイ盛り上がってるので、これはこれで居心地が良くて、私はそんな自ジャンルが今でも大好きだ。
そんなジャンルに、私は友人と共にどっぷりハマっていた。彼女とは最推しのカップリングこそ別々だったが、お互いの推しキャラへの理解はあったし、こんなマイナージャンルともなるともはや全員愛しくて箱推し状態だったので、当時は毎週のように一緒にコスプレをしていた。同じくらいの情熱を注いで存分に萌え語りをしたし、毎日狂ったように作品に愛を注いでいた。業者製の衣装なんてもちろんないので全部自作していた。推しに限らずジャンル内のマイナーキャラまで色んなコスプレをした。周りから見ても明らかにニコイチだっただろう。もはや私達は他の人との予定はほぼ入れてなかった。時には辛いなと思うことすらあるくらい予定を詰め込みまくって毎週二人でコスプレをしていた。死ぬほど充実していた。彼女は私にとってこれ以上ないほど最高のパートナーだった。でも、そうこうしている間にコロナで自粛期間が始まり、私達はやむを得ず活動を停止した。
最初の頃はリモ飲みとかもしていたが、それもすぐに飽きた。ジャンルへの想いは冷めてなかったが、会う機会はほぼなくなり、コミュニケーションを取るのはツイッター上が殆どになっていった。
そしてある日、彼女は別の友人に布教されてとある某有名ソシャゲジャンルにどハマりした。
それはもう見事なハマりっぷりで、当時自ジャンルに注いでた情熱をそのまま某有名ソシャゲに注ぎ出した。宅コスで初出ししている写メがあがり、衣装を作っているツイートも上がるようになった。彼女の推しカプは、ハマってない私でも知ってるくらい人気のカプだった。毎日そのソシャゲの二次創作絵がバンバンリツイートされるようになった。まさに水を得た魚である。
気持ちはわかる。
今までのジャンルと、供給の量とスピード、周りの賑わい、共感できる人の数、全てにおいて比べ物にならなかったんだろう。そりゃ私も同じ立場だったら楽し過ぎて毎日赤飯炊いて踊り狂ってしまうと思う。
かく言う私は、これまで2人でずっと一緒に活動していただけに寂しい気持ちもあったが、何にハマるのも彼女の自由だし、こればっかりは仕方のないこと…、そう思って草葉の陰から見守っていた。
ある時、自ジャンルの更新があって私や他の友人達がツイッターで盛り上がっていた時、ツイッター上に浮上していたにも関わらず、会話に加わることのない彼女を見て、私はとてつもない喪失感に襲われた。彼女は完全にジャンルを移ってしまったのだ。片足突っ込むとかではなく、完全に抜けてしまった。そう思った瞬間だった。でも、何度も言うようにこれは私が強制できるものでもないし、気持ちが冷めてしまったものに無理に反応することほど辛いことはないのだ。
人気ジャンルはレイヤーもたくさんいるだろうから併せの人にも困らなそうだ。繋がりたいタグでもやればすぐにフォロワーも増えるだろう。そう思うと彼女が羨ましくもあった。
幸か不幸か、緊急事態宣言のせいでコスプレをする機会がないので、今はそんなに気にならないが、今後また再開しようと思っても私は完全に一人になってしまった。こんなドマイナージャンルに今から同じテンションでコスプレに付き合ってくれる稀有な存在が現れるとは到底思えない。
作品は知らずとも撮影してくれるカメラマンさんはいるかもしれないけれど、もう彼女と併せをすることはないのだと思うと私は本当に悲しいし寂しい。
でもそんなことを彼女に言っても困らせるだけだし、言われて戻ってこられてもそれは彼女の本意ではないだろうし、メンヘラになりたいわけでもないので言わない。むしろもう作品を追いかけていない彼女に無理やりコスプレさせるのは申し訳ないし、こっちもなんだか虚しい。自発的に好きだからやりたいと思ってもらいたいんだよ。もう無理なんだが。
なんなら、これは私の被害妄想かもしれないが、私が自ジャンルの話で盛り上がっていると、彼女が投稿を控えているようにすら感じる時がある。居づらいのかな?と思うが、それに私が配慮して呟くのをやめるのもまた変な話だと思うので、これに関しては私はスタンスは変えていない。たまたまなのかもしれないし、私が気にしすぎなのかもしれないが。
他ジャンルに移ったことを恨んだりはしていないし、それはそれで彼女の人生なので、いっそ思う存分ツイッターでも萌え語りして、バンバンコスプレ写真もあげたらいいと思う。その方が変に気を遣われてなくていい。むしろそれはそれでいいと思うし、彼女と縁を切りたいと思っているわけではない。
そりゃもちろん本音を言えば、彼女に対して未練タラタラなので昔みたいにまた戻ってきて欲しい。でも、作品に対して全力で向き合うタイプの何一つ取りこぼしたくない系のオタクに、このブランクを埋めるのはもう無理だ。一度違えてしまった道はもう交わらないだろう。
私は大事な友人を失った。正確には失っていないし彼女は引き続き私の大切な友達の一人だけど、もうあの頃の関係には戻れないんだろう。でも誰も悪くない。誰かが何か間違えたわけでもない。だから余計に悲しくて切なくて、あの頃が恋しくて仕方ない。
数年前、一時期婚活をしていた。
マッチングアプリは今ほど隆盛していなかったし、オンラインの出会いはデジタルネイティヴ世代な割に黎明期寄りの自分のマインドとも合わないので活動は現場、婚活パーティーへの参加が主だった。
当時は結構な頻度で通っていたし、かなり成果もあった。しかし、親の病気や自身の結婚観の変化が重なり次第にパーティーから足が遠のき現在に至る。
先日、以前婚活で利用していた婚活サイトからお見合いパーティーの無料招待の知らせが届いた。男女比のバランスが悪い回や参加者のキャンセルが生じた時にこういう知らせが届く。
普段は気にも留めないが、その日に限ってふと「行ってみようかな」という考えが起こった。
(これは余談だけど、恐らくコロナ禍の自粛生活で人との交流に飢えていた。婚活というより見知らぬ人間と会話したかったのだと思う)
数年振りに参加した婚活パーティーはコロナの影響で規模はかなり縮小していた。会話の際は以前のような向かい合わせの形ではなく、横並びで座ったまま会話するスタイルに変わっていた。
挨拶の際に一瞬顔見せするものの、会話中は当然マスク姿なので声が聞き取りづらく不便に感じた。
それでもパーティー自体に個人的にはブランクは感じなかったし、見知らぬ他人との会話はやはり楽しかった。
(これも余談だけど、当時は全く気にしていなかったが会場で記入するプロフィールカードに女性のみ「得意料理」の項目があるのことが気になった※ちな男性は年収。
また、そこに違和感を持つ参加者がいないようにも見受けられた。婚活市場の男女観は前時代的なんだなと感じたし、人口減少・価値観の多様化する現代においてこの価値観でこの企業は大丈夫かと心配になった、大きなお世話だけど)
話が逸れた、ここからが本題なんだけど
手前味噌だが、以前は同様のパーティーに参加すればめちゃくちゃモテていたので今日も余裕とタカを括っていたらこのザマ、笑うしかない。
しかし、自分の魅力は婚活で無双していた当時より確実に上がっていると自負している。そこそこ稀有な人生経験を経て人間的にも成長した、習慣的に鍛えている今の体型が人生ベストに整っている、今の自分の容姿が一番綺麗と自負している。この日参加者との会話だって盛り上がった。
じゃあ以前の私と何が違うのか、帰りの電車で1人考えた。服装?髪型?少し喋り過ぎた?けれど考えを巡らせれば巡らせるほど当然の結果に行き着く。
『自分の年齢が以前より増えた』
それに尽きるのだ。なるほど20代と30代ではこれほど異性からの需要に差があるのかと思った。
以前は30人以上集まる会場で上位人気という経験もザラにあった、その時自分は(あくまで婚活市場という枠内だけど)人間的な魅力があるから選ばれていると思っていた、私の努力の賜物だと思っていた。しかしそうではなかった、『年齢』だったのだ。
自分がブスと自覚した日から人一倍努力した、おかげで人と比較すればそこそこ美人になった。
礼儀や所作も人より整っていると思う、今でも習慣的に本も読んでいる。確実に私は去年よりずっと魅力的になっている。ただ年齢という数字で私は以前よりずっと異性から選ばれない。
そもそも生まれ持った容姿だって年齢だって自身ではどうすることもできない、整形だって限界がある。言わば不可抗力だ。
そんなもので自分を値踏みされて自尊心を削られ続ける女としての生き方に何の価値があるのかと思った。つくづく結婚に向いていない思考の女だと思う。
とはいえ、優秀な子孫を残そうとする生物の本能という観点から捉えても男性が若く美しい女性を望むことは至極合理的で当然な選択だと思う、そこを責める気は一切ない(私は子を持つ気はないけど)
人間の価値は不可抗力以外の場所にある。それは刹那的に生きてルッキズムに囚われていた10代と20代前半の自分があったからこそ胸を張って言える。
ただ恋愛市場・婚活市場における『価値』は圧倒的に『不可抗力』な側面が大きい。それを今回理解した。この知見を肌感覚で得られたことは大きい。
これは決してネガティブな話ではなく
恋愛/婚活市場での価値を失いつつ(もう失っているのかも)ある人間がそこを自覚してふっきれた時、人生はもう一段階面白くなるのではないかと感じた。努力ではどうにもならない事象に囚われることは無意味だ、投資する必要はない。
この市場で私はもう定年に近いが、人間年齢では私はまだまだ若いのだ。何にだって投資できる、オラわくわくすっぞ状態なのだ。
男性の30代の市場価値はまだ高いので彼らがこの境地に至るのは肉体がもう少し衰えてからなのだろうと思うと、30代で前半でここに至った私(女)はラッキーなのかもしれない。
最後に経験者からのアドバイスだけど本気で結婚したい人は市場価値の高い間に婚活を頑張った方が良いよ、突然暴落するからね。
私はもう婚活市場には積極的に戻らないと思う、ただDINKS希望のパーティーがあれば一度参加したいかも。
おわり
■追記
伸びてて笑った、少しだけ返信
有益な情報もあって大変有り難く読ませてもらった。ただ、そもそも今回婚活パーティーに参加したのは冒頭で書いた通り無料招待だった上に「見知らぬ他人との交流に飢えていた」からなんですね。
散々な結果やその後の思考・気づきはその副産物、子供は望まないので特に結婚に焦ってもないんだなこれが。
20代の頃は漠然とそろそろ結婚しなきゃと思い活動していたけれど、今は結婚という形にこだわる必要すらないと考えている。
30代独身女として”わきまえろ”と言うならそんな市場もこコミュニティも願い下げですね。
(ただ、一回の復帰戦で損切りを決断するのは早い/戦う市場を間違えているというコメントは「たしかに」と思った)
②『お見合いパーティーの場で子供がいらないと言ってしまうことが原因、子供が欲しくて参加している人が多い』
百も承知、お見合いパーティー時に子なし希望は言わないよ。数分の会話で初対面の人間に語れるほど軽い覚悟じゃないもの。
ただプロフィールカードに子供に関する欄がある場合は正直に書いていたし、最低限のマナーとしてマッチングした相手には一回目のデートまでには告げることをマイルールにしていたよ。
③ 頑張った分だけ人の魅力は増えるのか
少なくとも自己評価は上がる。本来自己肯定感に理由なんて不要だけど、例えば筋トレなら引き締まっていく身体という目に見える裏付けが上乗せさると自己肯定感は爆上がりするよ。(筋トレは良いぞ)
仮に失敗したって”努力した”過去は消えない、その人間の過去は誰にも奪えないと「夜と霧」のヴィクトール・フランクルも述べていた。
つまり頑張り続ける限り人間の魅力は確実に上がるし、誰が何と言おうと私は昨日の私より魅力的なのです。
それもそうだね、元婚活無双女の婚活パーティーアドバイスとか書いたら需要あるかな?
市場において年齢という最強のアドバンテージを持つ20代女子なら戦略次第で無双は余裕よ、婚活パーティーは戦場だ。それに不特定多数の人間と会話する経験はなかなか勉強になるし、刺激的で楽しいよ、頑張ってね。
返信おわり
では、またどこかで
問題は女性医師の時短勤務率、離職率なわけであり、これは採用する病院やそれを管理している法律や自治体・経営母体が変革して、女性医師の勤務体制を納得いくものにするしかない。
男性と独身女性医師ばっかが深夜労働や緊急呼び出しに対応して、時短女性医師は昼のみ勤務。
一見、そのぶんの時間外給与手当を手厚くすればそれで解決すると思うかもしれないが、医師はそもそも基本給だけでもそこそこ十分な手当が与えられているので、深夜労働や緊急呼び出しを好んで続けたい者などいない。しかし科によっては緊急手術、救急医療などどうしても時間外での対応が避けられない。
となると基本給をさげて時間外労働依存型にすることで、時間外働かないと割に合わないようにすればいいという意見もでるかもしれないが、そうなると職業的に経済的不安定となる医師があらわれて医療本位ではなく売上・給与本位でのゆがんだ医療判断をするようになるおそれがある。また、職業として給与的な魅力がなければ、医学部偏差値はさがり日本の医療レベルは大幅にさがるだろう。
(能力の低い医師ばっかしかいない病院でお前はその体をあずけてみてもらいたいか?)
では時間外労働できない者は医師から排除すればよいのか? そんなこともない。いろいろなバックグランドをもった医師がいるのは現場でも多彩なものの見方ができるようになり、有利に働いている。
ぶっちゃけ、子供の世話さえ誰かが肩代わりしてくれるなら、女性医師も時間外働ける人ばかりなのである。
産休で1年程度ブランクとなったとしても、そんなものは学生時代に留年したり国家試験不合格で浪人するのに比べてまだましでありなんとかなる。(いったん職業をはじめているので、勉強を続けることができる。)
育休を追加して2年程度のブランクでもまあそこそこいける。
そこからである。まず2人目、3人目と産んでいけば、産休+育休ブランクは、掛ける人数分となる。たとえば3人産んだ場合、産休だけでもしすめば計3年だが、産休+育休でいけば計6年のブランクとなる。2歳でまで育休をとると、なんと最長9年ブランク。これだけでまず大きい。
そして育休あけたあとがまた問題であり、子供が大人の目なしで留守番できるようになるまで(それも複数子供がいれば一番下の子供がそうなるまで)、自分しか子供をみる人が家にいなければ、時間外・深夜労働は不可能となる。能力的にも体力的にも全く可能であっても、である。
こういう話をすると、高給もらえるならシッターでも雇って働けなんていう意見がでてくるが、病院から電話かかってきて夜中の2時に1分できてくれるシッターなんて世の中にない。呼び出しにそなえて当直・当番の日に全部シッターをやっとっていたら、住み込みお手伝いさんを雇っているよなもので、破格の出費となる。そうまでしてやるより、時間外労働を男性・独身女性に押し付けて、自分は時間内のみの勤務とすることを皆選択している。
問題は、時間外労働がしたくでもできない医師(多くは女性医師)がいることと、時間外労働がしたくない・または減らしたいのにそうできない医師(多くは男性・独身女性医師)がいることである。後者は時間外労働できるスタッフの数を増員できれば、解決可能であるが、時間外労働できる医師の総数はかなり限られており、増員できずに困っている病院はかなり多い。 そして前者は、育児と労働(女性の社会進出)を両立しろという政府の無理強いの犠牲である。
理想をいえば、24時間体制である育児を、いつでも外注できるシステムがあるとよいだろう。それはアクセス面も、利用料も含めて、外注してまでして労働するのにみあってなければならない。
昼間は保育園があるから、昼のみ働けるのある。夜には何もないから働けず、しわよせが男性・独身女性医師にいっている。
これをやるにはかなりの労力がいるが、看護師などはそれを実行している。これは医師、看護師間の状況の違いがある。
まず看護師の時間外労働には夜勤があり、医師は夜勤がなく当直なのである。夜勤であればかなりの給与がでるのだが、医師は当直という薄給(かつ労働時間にカウントされない)労働体系で働かされている。
次に医師の時間外呼び出しは、単純に労働時間に対してつくのみである。病院にもよるが、時間あたり吉野家の深夜バイト程度のところも多い。夜中の2時に呼び出されてふらつきながら車を運転し(交通事故の話もよくきく)、朝5時まで3時間働いてしょうもない給与をもらい、また朝8時くらいより働くのである。そして、そのような呼び出しを受ける日は、呼び出しがあるかも、と思って構えておかなければならない。これは日数が多くなるに従って相当のストレスである。考えても見てほしい、24時間急に呼ばれるかもしれないので、寝ていていも起きれるだけの電話大音量を横においてねて、シャワーをあびている間もシャワーで音がきこえないといけないので濡れないように近くに電話をおき、よばれたあとも簡単とは限らない、高度の集中力を要する仕事をするのである。大震災のあとの余震数万回におびえてくらす市民の話をきくと、医師の待機とはこれに近い。
こんな労働を、強いられもしないのに誰が手をあげてするか? するわけがない。こういうものはなるべく大人数でわって拘束時間を減らしながら、交代でしかたなくやるものである。または、そいういった変態的勤務がしたい人に対して、十分な対価や見返りを与えて行うべきものである。
池江さんがオリンピック代表に内定してとのことで、おめでとうございます。
大病を患い、一年以上、競技を離れながら、強う意思と不断の努力によって競技に復帰するだけでなく日本にトップに返り咲くなど、多くの人に勇気と感動を与えてくれました。
と、テンプレートの祝辞を述べた後に本音を書きたいのだけど、僕は池江さんを応援できない。池江さんを応援できる人は、池江さんに自分自身を投影している人だけだと思う。
僕は冴えない社畜なので、オリンピック代表になれなかった候補者に自分自身を投影する。
池江さんに負けた選手は何も悪いことをしていない。オリンピック代表候補になれる人は、池江さんと同じくらい努力をしているはずだ。
彼女が病気と戦っている間もオリンピック出場を目指して、素人には想像もできないような辛い練習をしてきたのだと思う。
それが、一年間ブランクのある選手に抜かれてしまった。練習量だけいけば池江さんよりも圧倒的に多いのに。練習効率だって、科学的な練習が広まり、コーチや協会で共有されている現在、それほど違いはないと思う。むしろ「池江さんがいないから出場できた」などの下らない後ろ指を指されないために今まで以上に努力をしてきたのだろう。それなのに負けた。「努力する天才」には勝てなかった。負けた理由は「天賦の才」の違いだ。
オリンピックを開催に関する議論の中で無観客でやった方がよいとう議論がある。
この論陣を張る人は「選手はオリンピックに出るために数年間頑張っており、オリンピックに出て、メダルの色でその後の人生が変わるため」と主張する。
オリンピックが金メダルを目指して頑張っている人のためのものであるというのであれば、池江さんに負けた選手はここで既に人生が暗転してしまった(3年後のパリオリンピックを目指すという選択肢もあるが、年齢的に今年が最後の人もいただろう)
負けた選手は、何か悪いことをした訳ではない。同時代に「天才」がいた。
池江さんのオリンピック出場からわかることは「努力する天才」には勝てないということ。
努力すれば報われるとか努力すれば夢が叶う。とかは周りに「努力する天才」がいれば実態を伴わない空虚な言葉に早変わりする。
オリンピックが開催されるかどうかわからないが、開催されるなら池江さんには頑張ってほしい。池江さんが頑張ることで同じ病気の人で苦しんでいる人に頑張ろうと思う気力と勇気を与えることができるから。これは池江さんにしかできない。
それなりの大学出た人が、子育てでブランクがあって/もう若くないしという理由で低賃金で人間関係だけが命綱みたいな一般事務しか就けないのはもったいないのは同意。
ただ文系でセンター試験で数学まで受けた国立大学受験者は世間の少数派でもある。
いや書いてる自分自身もその層に含まれるが、はてなは「最低でも駅弁大学ぐらいは出てるんでしょ?」という感覚の人が多い。実際は今の二十代でも四大進学率は5割程度。
もちろん最低限の数学への適性はいるけど、そもそもハロワの名ばかり正社員(昇給ボーナスなし手取り13万ぐらいサビ残有り)みたいな求人ばっかりの中で、うちの求人は過酷な肉体労働もなく好条件のはずなのに事務職じゃないからか、女性の応募者はほぼゼロ。皆もっと応募すればいいのに。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
私は50代で、若い頃は3年働いたら花嫁修業でやめるのはさほど珍しくない世の中だった。私の就職先では、会社から肩たたきされるようなことはなかったが、多くの女性は腰掛けだった。数少ない中年以降の女性も良くてヒラのすぐ上の主任止まりだった。
私もそう長くは務めないものだという意識、常識通りに数年で退職し、当時流行り始めていたフリーターを数年して、転勤族と結婚した。
専業主婦でいる間、夫のお金を使うのがストレスで、自分で稼ぎたかった。テレビや新聞では、優秀な女性がバリバリキラキラ働いているのが紹介されていた。でも自分は能力が低くて家事育児と両立するキャパはないし、転勤族妻だから諦めていた。もし自分が男だったら、今の自分と同じくらい無能でも200万くらい稼げたのではないかと妄想していた。
子育てと転勤続きで20年近くブランクがあったが、小さい店の接客パート数カ所を経て、今は割と大きな会社の事務のパートをしている。今の会社に入って驚いたのが、役付きの女性が普通にいることと、女性の年代が幅広いことだった。
昔と違って世の中には女性の上長もいると知ってはいた。だが、就職して人事に引き合わされた、配属先の責任者が30代の女性だった時、(え?この人?責任者が今不在だから応対してるわけじゃなくて?)と戸惑ってしまった。
また、若い頃の経験では、女が男に「それはおかしいと思いますよ」なんて言う流れには絶対にならなかった。だが再就職してみると、仕事上のちょっとした議論を男女の別なくそのへんでやっている。若い女性でも中年の男性と対等に。男性の方も普通に。(あとになってわかったが、半プレーヤー半管理職的な中程度の職位の人が多い部署で、その中には若手から中年が男女ともいる構造のようだ)
私のイメージでは女性に「おかしい」と言われたら、男性はとりあえず「いや〜、おかしいなんて○○ちゃんキビシーねー」なんていなすパターンがデフォルトだったのだが、普通に「それはどういった面で?」「ああ、そういう理由なら確かにね」と淡々と粛々と話が進むようだった。
そうか、私のイメージは古いんだ、知らない間に世の中は変化してるんだなあ、と思った。
トラバ先の増田のように、普通に仕事してる女性が世の中にはたくさんいる。もちろん、マミートラックに載せられて不本意な働き方しかできなかったり、いわゆる理系的な職場では数が少なかったりなど、まだまだ壁はあるんだろう。仮に私が働き続けていても、200稼げたかはわからないし、景気も悪いし、今はコロナでどこも大変だし。
それでも昔妄想したように女が男と同様、普通に働く世の中になってきてるのが嬉しい。そして女も男も働きやすくなるといい。あと、男も女同様、専業主婦の道も開かれるといい(高度成長期の特異現象だったのかもしれないが)。
家から徒歩10分くらいのところに通ったんだけど、すげーめんどくさくて全然行かず、結局期限ギリギリ5日前とかに卒業した
最初?2回目?の技能教習でいきなりバツがついた あまりに物覚えが悪かったから
タダでいろいろ飲み食いできる謎の制度があって、フードもドリンクも概ね大したことなかったんだが、教習所オリジナルのミックスジュースだけは美味しかった
ミキサーで手作りしているようで、ホントに美味かった そればっか飲んでた
俺は運転がかなりヒドい自覚があり、とうてい検定なんて受けらんねえよ!と思いながら臨んだのでかなり緊張していた
しかし、そんな俺を救ってくれたのが同じ車で検定を受けた同世代の女の子
先に検定を受けた彼女、発信・停止のたび身体がガックンガックン揺すぶられる驚異的なブレーキ・テクニックの持ち主で、「コレがアリなら俺も大丈夫やんけ!」という深い安堵を得た
検定後、発表までの待ち時間に少し話した 緊張しましたね、なんて談笑しつつ、よっぽど「あなたのおかげで緊張が解けて本当にありがたかった」なんて言おうかと思ったが、さすがに失礼すぎるのでやめた
でも、バカにしてるとかじゃなく本当に感謝してるんだよな たぶん順番が逆だったら立場も逆だったろう
第一段階を突破した安堵で俺は教習所をサボりまくり、1ヶ月?2ヶ月?くらい車に乗らないという暴挙をやった
さすがに超ブランクあるし、多少は慣らし運転させてくれるだろう、と思っていたが、教官はいきなり外に向かった 夜だった
そしてハンドルを渡された はじめての公道を長いブランクとともに、夜!恐ろしや
正直あまりの恐ろしさに我を失っていて、全然記憶がない 意外となんとかなったような覚えはあり、おそらく人間は窮地で本当の力を発揮する
唐○貴洋さんみたいな、卵顔でいかにも温和な感じの教官と一緒に公道を走っていた 若く紳士的な教官にはかなり好感がもてた
そんな中、かなり無理な割り込みをしてきた車が一台 すかさず教官が横からハンドルを取り、事なきを得た
今のはあぶなかったっすね、というと、「いるんですよああいう輩が、ホントに許せない……」と、これ俺がいなかったらもっと汚い言葉が出てるんだろうなと容易に想像がつく調子で教官は言った
その後もしばらく思い出し罵倒みたいなのをやっていて、人間感情に触れた思いだった
例によって俺はもうダメだ!と思っていたが、検定1のときと同じようなミラクルが起きた
同じ回の検定を受けていた同世代の男が、ザコだったのだ
MTっていうからすげえ遣い手なんだろうなと思っていたのだが、開始5分もしないうちに追い越し禁止のところでスクーターを追い抜かそうとしてブレーキを踏まれていた
「一度でも教官にブレーキを踏まれたらアウト」…おそらく、開始前に聞いたこの言葉を車内の全員が思い出していた 彼は青ざめ、教官の「最後まで行きましょう」という言葉への返事も虚ろだった
俺は彼を見て「こんなモンでいいなら俺もいけるやんけ!」と思い、危なげなくこなした
おい!ブレーキ踏まれてたヤツいるやんけ!ええんか!と思いつつ、まあええのだろうと思い、解放感を覚えながら教習所をあとにしたのだった