はてなキーワード: ブランクとは
それその男性医師の妻が無職だったり低収入だったら生活困るよね
中学生くらいまでは、よくお絵かきをしていましたのでブランクがとても長いと言った方があっています。
研修医2年目の女です。当直明けのぼんやりした頭で書いています
このエントリーは決して女性の社会進出を批判するわけでもなく、ミソジニーでもなく、ただ生殖機能の構造をもとに考えた場合この問題はどうにもならないと思って、私が吐き出したかった内容です。不快に思う女性がいたらごめんなさい。
私は今研修2年目で2週間から1ヶ月ペースで診療科をローテーションしています。研修中「うちに入局しない?」と声をかけていただくことがあります。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
研修中に大体そうした内容でお誘いをかけてくれるのはマイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」、内科系ならアレルギー、リウマチ、糖尿病。大体そんな感じ。
医者の仕事量が半端ではありません。わんさと来る外来患者と検査・治療で入ってきた入院患者を診なくちゃいけない。問診取って診察してCT撮って内視鏡入れて薬をオーダーして生検してオペしてetc…どの科もやらなくちゃいけないことがひっきりなしにやってくる。特に大学病院や地域基幹病院は毎日毎日忙しくて、現場は随分疲弊しています。
急変がある科なら尚更です。オンコールで呼び出されることもあれば月10日以上病院に寝泊まりする先生もいらっしゃいます。小児科や産科のような昼夜区別なく患者が来院する科や循環器や脳外など命に直結するような、しかも手術にあたって精緻な手技が要求される科はそうした傾向が強いです。
しかしそんな内情を医師が公に嘆くことは許されません。「命を扱う仕事だから当然だ」「高給取なんだから当たり前だ」と社会の風当たりは強く、まるで私たちがスーパーマンであるかのように、あるいは給料泥棒のように糾弾されるのです。働き方改革法案が可決されましたが、医師は専門職(高度プロフェッショナル職業)だから適応されることはなさそうだよと言った同僚の声の冷たさは忘れられません。多くの乗客を乗せて飛ばすパイロットは私たちと同じように「命を扱う仕事」ですが、福利厚生はパイロットの方がずっとしっかりしています。
私は誰かを治したいとか苦しんでいる誰かの痛みを和らげたいとかそうした優しい気持ちで医学の門を叩きました。
しかし年齢を重ねていくにつれて、私は気づいてしまったのです。この医療という現場は私たち手を差し伸べる側をいつか圧殺するであろうことに。
アドヒアランスが悪い患者さんがいる、患者から叱責される、運悪く死亡してしまった時訴訟問題になるケースがある、昼夜区別なく呼び出される、患者のことだけを考えなければ。
いつからか医者のライフステージも真剣に考えるようになりました。
高校卒業後現役入学してストレートで卒業できて24才です。研修医が2年ありますから、その段階で26才。研修医終えたら希望の診療科に入局です。ここでやっと自分の専門を決められるわけです。そこで何年か修行して専門医取って一人前というのが医者の大まかな流れです。あとは大学に残るも自由、基幹病院行くのも自由、開業するのも自由です。最近は皆さん医学部卒業後に研修医を2年やることは割とご存知かなと思いますが専門医って何?って人が多いかと思います。まぁ箔付けみたいなものでみんな持ってるから持たなきゃねみたいなものです。しかしこの専門医を取るのが厄介なんです。加えて専門医制度は今年大きく刷新され、中でも内科専門医の変更については議論を呼びました。
この専門医取得については各診療科ごとに決められた常勤年数があります。
今までは1年の研修で内科認定医を取得、その後4年で各サブスペシャリティ(循環器・呼吸器・消化器etc)の専門医資格を得られました。しかし、新制度では初期研修終了後3年の研修で内科専門医を取得し、さらに研修を積んでサブスペシャリティの専門医取得となります。今までは1年でよかった内科認定医を取るためのローテーション研修が2年伸びました。
これがどういうことか分かりますか?今までは26で研修医終わって27で内科認定医、これでいよいよ循環器内科で頑張るぞ!だったのが、29で循環器内科だ頑張るぞ!になったんですよ。このサブスぺシャリティという真のスタートラインが29才になったのが新専門医制度。18才で医学部に入って真のスタートが29才って。
妊孕性が年々低下していくことなんて世間でも認知されていて、国家試験でDown症は高齢出産ほど起きやすいなんて選択肢まで出すのに私たちはいつ妊娠すればいいの?29で真のスタートラインに立った、けれど子供産んでから復帰するのであと3年は待ってくださいになるのでしょうか、それとも研修医終わりました、26で子供産んで落ちついてからから内科認定医取ります、みたいな流れなんですか。
「命を扱う仕事だから当然だ」「子供産みたいなら医者になんかなるな」
世間様はそう言う声が多数派なのかな。しかし私だって結婚したいし子供が欲しいし人間的な生活を送りたい。
あぁ、私みたいなのが医者になったのが間違いだった。知らない誰かを最優先できる人、自分の、女の、幸せ全て投げうてるような人が「女医」として許される人間なんだと自責する日もあります。でももう私も26だから。辞めて今更人生やり直せないの。ごめんなさい。
「小児科の○○先生さ、終業と同時に走って帰っていくの。そうしないと保育園にいる子供のお迎えに間に合わないから。旦那さんも産婦人科だからさお迎えは○○先生なんだって。…ああはなりたくないよね」
同期はこんなことを言っていた。小児科の○○先生みたいになりたいって女性学生はいるのかな、私の周りにはほどほど働いて後は子育てしたいって人が多かったです。
じゃあ何科に進もう。
そうです、マイナー科です。言わずと知れた皮膚科、眼科、耳鼻科に加えて直接患者を持たない「病麻放」。
「うちの科は女性が多いし、女医さんに優しい環境だよ。○○先生も××先生もお子さんがいても働いているし医局としても女医さんを応援しているからね。」
こうした声をかけてくれるマイナー科に行こうと思いました。マイナー科は大体5年で専門医取れるし、急変も少ない。患者も少ない。もしくはない。
最高の仕事場だと思いました。ここに骨をうずめようと。
しかし女医の復帰を支えるマイナー科同期男性医師の気持ちになって考えるとこれまた嫌な話なのです。女医が産休に入った分、自分の業務は増え所詮人の子のために尻ぬぐいをしなくてはなりませんから。子供を産もうとする女医は結局どこまで行っても腫物なのです。最近は女医の復職支援も行っていますといった講演や広告も見ますが、「命を扱う仕事なのに途中で離職したり産後フルタイムで働けないならそもそも中途の女医じゃなくて最初から男医採っとけばいいじゃん」という反論にはぐうの音も出ません。
昨年度の私の卒業した大学の入試面接では「最近女医が増えてきていますがそのことについてあなたはどう思いますか?」という質問があったそうです。
…なんて答えればいいのか私には分かりません。
ここまでつらつら書いてきて結局何が言いたいのかというと「医者という仕事が壊滅的に女性のライフステージに合っていない。」これに尽きます
H24年度の調査で医師全体に占める女医の比率が19.7%、医学部入学者に占める女性の割合は33%を超えていて今後も増加が見込まれています。相対的に医学部の男子学生減り、将来的に男性医師も減っていくでしょう。しかし女性医師の多くは妊娠出産で途中で離職します。加えて女性医師は出産・育児を考えた場合、以上のようなマイナー科を積極的に専門に選んでいくでしょう。内科・外科・産婦小児・救急に長く従事する医師は結果として少なくなり、マイナー科はマイナー科でブランクがある女医を少ないベテラン男性医師が支えていく構図が目に浮かびます。
同じ女性の私が、もう医師になってしまった私が、こうしたことを言ってもブーメランにしかならないことくらい分かっています。
しかしただでさえ肉体的にも精神的にもキツイこの仕事を、肉体的に男性に勝っているとは言えない女性が、子供を産める性である女性が、この職業に就くことは誰にとっても不幸なのではないか。そんなやりきれない思いを吐き出したく利用しました。
「医療崩壊」、それは一体何を指すのか。
医療崩壊(いりょうほうかい)とは、「医療安全に対する過度な社会的要求や医療費抑制政策などを背景とした、医師の士気の低下、病院経営の悪化などにより、安定的・継続的な医療提供体制が成り立たなくなる」という論法で展開される俗語(wikipedia)…だそうです。
高齢化が進みますます高齢者は病院にやってくる、医学部は増員したのに「何故か」増えない医師、疲弊する数少ない医者。
医療崩壊はすぐそこまで来ているのだと思います。この危機を救えるのは、働き方改革より何より「医学部の男子学生増員」だと思っています。
私も男に生まれたら、人を治したいという気持ちで突っ走れたのかな。
研修医が終わったら、私は今お付き合いしている人と結婚してマイナー科に入局します。きっと私は後ろ指を指される要領のいい女医になるのでしょう。
「労働者の為」ってのは、言語化されるかどうかで言うと難しいと思うんだが、そうだと思うんだよね。
この高プロの話は、今ある設定条件だけ顧みると「規制を緩くして、その分だけ高給にする」ってことであって、言わば「二等労働条件」であるわけだ。キツいけど、その分高給。
これは昔バブル期に存在したような佐川ワークやその他もろもろバブル期並みに仕事がある状態を想定したもの。
働けば働くほどお金が儲かる。これを望む人っていうのは、要するに「良い労働条件を獲得することはできないが、自在に働くことができる人」。
具体的なモデルで言うと高卒あるいは職歴にブランクがありまくりの人など、労働市場において二流とされている人々。
この人たちが労働市場において一流とされる人々に金銭面で追いつくためには、こういうパワーで解決できるルールがあれば一応夢は見られる。
勿論死ぬ確率はそこそこあるだろう。だからそれを防ぐためになんかした方が良いのはそうだろう。
だが「死ぬ可能性があるから」でこれを封じてしまっては、それこそ二流の人が生きる道を逸してしまうことになる。なにより格差が広がる一方となる。
何はともあれ、これで俺たち兄弟が熱中したパズルゲームは終わりだ。
ということで、今回の話もこれで終わり
俺と弟はそれで良くても、ムカイさんの十数年かけたパズルゲームはまだ終わっていないのだから。
「最初は経過を観察することにした。そしてオマエを知る者、近しい者たちから情報を得ようと」
ムカイさんにそんなつもりはないのかもしれないが、何だかストーカーみたいだな。
「分かったのは、オマエも現在は戦っていないということだった」
「オマエと戦ったワレには分かる。お前は一時的ではあっても、戦いに生きる存在となっていた。『理由がない』というのは、戦いをやめる条件としては不十分だ」
「……生憎、その条件が何なのかは、あなた自身じゃなきゃ導き出せない。“協力”ならしてもいいけど」
嫌な予感がしてきたぞ。
「ワレに答えを委ねることが、どういうことになるか分かっているのか?」
「場所を移しましょうか。結局は“慣れた方法”が、答えにたどり着くには近道だもの」
ああ、やっぱり、そういう展開が来るのか。
ムカイさんにとって、わずかに残された“戦う理由”は、俺の母との決着だ。
母とムカイさんの、十数年越しの決着をつける戦いが、いま始まった。
ムカイさんは戦闘用のプログラムとAIが切り離されていたため動きが鈍い。
母は長年のブランクと、体が昔と違って戦闘用ではないため、ムカイさんに決定打を与えることができない。
そして……俺は真面目に解説するのが馬鹿らしくなってきていた。
勝負の内容はフワフワしていて、どっちが有利か不利か、漠然とした説明で進んでいく。
雰囲気で話は進んでいると感じたが、それを悪いことだとは思わない。
将棋にそこまで詳しくない人間はついていけないし、詳しい人間ならもっと実用的な指南書を求めるはずだ。
つまり、俺が言いたいのは、そういうことだ。
この戦いを、詳細に捉える意義はない。
「随分と弱くなったな。昔のオマエ相手なら、既にワレは戦闘不能になっていただろう」
「今の私は、日々の生活を家族と過ごせることが何より大事なの。あなたと戦うための武装は必要ない。それだと、子供たちを抱き締められないもの」
母とムカイさんのセリフの応酬が、傍から見ているとむず痒くて、マトモに聞いていられない。
弟はガキだから現実離れしたバトル展開に興奮しており、父はまあ一応は当事者の一人ってことになっているので真剣に見守っている。
「あなたも当時より随分と弱くなったじゃない。戦闘用じゃないパーツがいくつかあるようだけど」
「……色々な場所で、色々なことをした。当然、あの頃のパーツもガタがくる。現地の自称メカニックどもに、その度にパーツを変えられた。いつ使うのか、よく分からない機能もつけやがる」
「でも、あなたは今もそれを捨てていない。なぜだと思う?」
「AIを改造されたのかもな……そんなことができるほど、腕のいい奴はいなかったと記憶しているが」
「あなたのAIが元から優秀なら、特別な技術はいらないの。“心”ってのは、そういうもの。あなたがこうやって律儀に周りを巻き込まないよう戦っていることも、これまで旅をして培ってきたことも、そして今こうして私と話をしていることも、ね」
「“心”……? 機械のワレがか?」
話は見えてこないが、なんだかまとめに入っているってのは分かる。
ムカイさんのAIが、求めていた答えを導きだしたようだ。
「……もういい、降参だ。ワレには“戦わない理由”がある」
どうやら、戦いはムカイさんの負けで終わったようだ。
だが、そこに敗北感も、不完全燃焼感も漂っていなかった。
戦うために生まれたムカイさんにとって、「戦う理由がない」という条件は、戦いをやめる理由としては不十分だった。
だからムカイさんに必要だったのは“戦う理由”ではなく、“戦わない理由”だった。
それが具体的に何なのかは俺にはうかがい知れない。
だが、いずれにしろムカイさんにとって、戦うことよりも大事な理由だったのだろう。
今でもムカイさんは向かいに住んでいて、まあそれなりに仲良くやっている。
俺と弟はというと、母のよもやま話を以前より少しだけ真面目に聞くようになった。
今でも俺は、家族だからといって全てを知りたいとも、知るべきだとも思っていない。
それでも、理解しようとする程度の信頼はあった方がいいとは思ったんだ。。
クロスオーバーとかフュージョンブームの頃10〜20代だった人達ね。
でも今は長いブランクのせいか体の衰えのせいか、リズムキープすら覚束ない。
それでいて昔覚えた難しいフレーズを弾こう(叩こう)とするから破綻する。
登山なら体がキツくなったりヒヤリハット事例が増えたりして衰えを体感できる。
将棋なら勝ち負けという形で実力を目の当たりにするので同様に衰えを体感できる。
でも音楽のような勝ち負けもなく、体力をすごく使うわけでもない趣味だと
仮に己を自覚できたとしても他の趣味のように曲のレベルを下げることもない。
ひどい時は自分でやりたいといった曲の採譜をさせようとする。
話して楽しいならまだしも、よく分からない自慢話を延々とされたりする。
昔◯◯(有名アーティスト)と一緒にやったとか
接待カラオケの相手を延々させられているようで全然楽しくない。
自分の楽しい趣味の時間がそんなおっさん達との不毛なやりとりに消えるのが辛い。
せめておっさん達、自分の演奏を録音して聴き返してみてほしい。
セッションでそういうおっさんと鉢合わせになったら諦めてさっさと帰る。
メンバー募集、応募に50代とあったら、音源を聴かせてもらう。
もちろん50代皆が皆ひどいわけじゃないよ。
若い頃からコンスタントに続けている人は上手いし謙虚だし練習熱心だし。
でもそうでない人が多すぎる。
数年のブランクを経て、先月、金策とリハビリを兼ねてコンビニアルバイトを始めた。夕勤四時間を週に2、3回だ。
何せ久々の労働だし、以前の仕事先では使えないとかお前みたいな役立たず死ねばいいのにとか毎日面と向かって罵倒されていたので、今度は上手くやれるだろうか?というのんきな不安よりも、今度もまた死にたくなるほど詰られたり、なんのかんの言いくるめられて契約時間がどんどん引き伸ばされ連勤の嵐にのまれてブラック労働から抜け出られないようにされるんじゃないかっていう恐怖があった。
だが心配は杞憂だったようで、今のところこれまで働いたどの職場よりも快適な環境でルンルンの気分で働いている。
コンビニバイトはよく、覚えなければいけない仕事が多くてキツいと言われている。要領と物覚えの悪い私に勤まるのだろうか?と不安だったが、実際仕事について得たのは、私意外と要領も物覚えも悪くないんだ!?という発見だ。
思うに、毎日充分な食事と睡眠を取れて体のコンディションがよく、上司に些細な事で罵倒されず心穏やかに働けるのがいいのだろう。勤務日数も時間も少ないから疲れが溜まりにくいし。
小さなミスを何度も何度も重ねて客に胸ぐらを掴まれ泣きながら仕事をしていた若い頃の日々はなんだったんだろう?
なんだー、私だって落ち着いてやれば出来るんじゃん。一つ一つの仕事を速く正確にこなしていけるという、それだけの事が嬉しい。
私以外のアルバイトやパートの人達も、それぞれ無理ない時間で希望の収入が得られるだけ働いている様だ。
そういう環境を整備してくれている正社員の人達、特に店長や副店長はかなり過酷な労働をしていて、毎日の様に12時間以上勤務し、出勤時間も不規則の様だ。私など非正規は昼勤なら昼勤、夕勤なら夕勤だけと勤務時間帯が固定されているが、正社員は主に夕方~早朝の勤務、それに加えて非正規の休暇の穴埋めをしている。
今週は、高校生のバイトの子達が中間テストの勉強の為に休んでいるので、正社員さん達は特に忙しそうにしている。(私も1日出勤を増やしたけれど、私以外のバイトで高校生達の代わりに入ってくれる人は見つからなかった模様。)
殊に店長はゾンビ状態で、たまに遠くを見たまま立ち止まっているし、呼んでも反応がないこともしばしばある。
人手不足のお陰でいつの間にかアルバイトやパートが優位になりつつあるようだが、正社員さん達の様子を見ると、この状況は長くはもたないだろうなあと思う。
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
とにかく罪悪感がすごい。
その頃は自分がずっと家にいる意義も感じられたが
母親が家にずっといるより、いない時間があった方が子供にとっても気が楽だろうと思ったりするし
仕事をしている姿を見せてロールモデルになれないことも後ろめたい。
家にいて家のことや子供の対応を完璧にこなせているかといえばそんなこともないし
近いうちに「この人みたいにはなりたくない」と子供たちに思われそうで怖い。
夫は家にいてほしいと言っているけれど
姑も家にいろと言うが、一緒に住んでいるわけでもなし
家族に口止めして黙って働けば問題ないので言い訳にもならない。
十数年も外に働きに出てない、家の中のことも満足にできているとは言えない自分が今更何ができるのだと
どうしても足がすくんでしまう。
怖いからって家にいられるんだからやっぱり優雅じゃんと思われそうだけど
毎日苦しい。
なんとか一歩ずつでも足を前に進めなければと思ってるけど
気ばかり焦る。
母親がこんなこと考えていると知ったら
子供たち嫌だろうな
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-655223.html
特に18歳未満は映像の影響を受けやすいので、日本にはおとなに対して性的な映像を子どもに見せてはいけないルールがあります。しかし、残念なことに守られていません。
非常に暴力的な映像を、インターネットを使って子どもでも簡単に見ることができます。これは社会全体の責任で、子どもたちは巻き込まれている被害者です。
良識派お母さんを自負するような人々はこういう「規制しやすいメディアが先で、規制しにくい現実に繋がっている」という論法に飛び付くけど、現実は逆だよな。非常に暴力的な映像が、暴力に巻き込まれている子どもたちの受け皿になっている。平和に暮らしている青少年がいくら影響されたって射殺動画で抜いたりできないし。「普通の市民」系の人は自己こそ普通であって何の特別の苦しみも受けていないという自認があるからこそ、暴力に深入りする青少年がいる現実への当事者性をきちんと持てないし、持てていないことにも自覚ができない。ともすれば人間の人間性を自己否定する一種の特殊な暴力に浸り、ブランクスレート仮説を信奉し始めたりする。
子供を外部から定義してしまい、彼らの当事者性を否定し、寄り添いを否定し、安易な結果叩きに走る横暴が子供をねじ曲げていくことについてよく考えてほしい。
昔は色々やって今こうして働いているが、振り返るとやはり学歴が助けてくれているな。
ということが結構ある。
その間はずっとフリーターだ。
バンドを辞めて元の業界でまた働こうかなと思ったのは32歳ごろ。
ここで、新卒2年弱で辞めて、バンドやってた32歳を採用する企業があるのか?
というところだ。ブランク期間およそ8年。しかもその時は売り手市場でもなく、
ここで、学歴が役にたったと思っている。
学歴のおかげでブランクのある私でもそれなりに面接まで行くことができた。
それなりの国立大学理系を卒業していたということが、面接へのきっかけに
なっていたと当時のエージェントも言っていた。
それなりに人生の元のレールに戻ってこれるのだ。
Googleに入れるのはIQが高くて、地頭のいいサラブレッドだ。
有名私立、もしくは国立大学に頑張ってはいることをお勧めする。
うちの職場は、企画部門は正社員で(一人当たりの分量は多いと思う)、事務センターのようなところは正社員2,3名の下に嘱託、派遣、アルバイト等の様々な雇用の人が数十人います。
ある日、嘱託(50代女性)が顧客リストのエクセルを見ながら、「印刷できない!」と別の席にいる私(正社員)に聞こえる程度の声で言っていました。
近づいてみると、数千人が掲載されているリストを印刷しようとしたところ、印刷設定が自分で出来ないために、細い線になったリストしか印刷できないとのことでした。
私「印刷設定で縦横の縦の枚数を空欄(ブランクと言っても理解してもらえない)にするか、印刷したい枚数に縦を設定すればできますよ」
嘱「どうやってやるんですか!?」
私「印刷画面で選んでいけばいいんですよ」
と、その女性は終始、リストを作った私に不満を言っていました。
なお、その女性の両隣の嘱託社員は、その不満を聞いて唖然。(ほかの人も50代、60代)
ちなみに、その人は教えてもメモを取りません。
嘱「私さんだからできる」
と言い放ちます。
私は入社以来、新しい部署に行くごとに最初の1年はメモを取っており、それを見せながら、
私「私は何度も同じことを聞くことは失礼だと目上の人に習いました。メモを取り、そのメモを見てもどうしてもわからないときだけ聞いています。
もし聞くことになったとしても、メモを読むことで不明な点も明確に出来るので、相手の時間を奪う時間も少なくて済みます」
嘱「そのメモを配布してほしい」
と言ってきたのです。
(なお、私は業務自体のマニュアルは、着任前には無かったので、すぐに着手して嘱託社員全員に配布し、業務時間中に勉強会まで行っています。)
うまく伝わらないかもしれませんが、消費者目線というか、自分がしたいように出来ない時に、すぐに外部(他者)へ不満や要求にしてしまうのに、年齢は関係ないのだなと思いました。
物事を考えたり、実行する前にロジックやフローチャート、パターン化などを考える力や、よく言われる問題解決能力、想像力(仮説力?)は、世代とか年齢ではなく、その人が勉強や仕事だけでなく、どんな人生(生活)を送ってきたのかが影響するのかもなと思った瞬間でした。
クリニックの話です。大きいとこは知りません。
これが一番確率が高い。選考にかかわるのが現場の事務員でなく医者だったり開業コンサルだったりするので、必要なスキルをよくわかっていない。
そして資格が役に立つ唯一の例外がここです。なぜなら面接官たる彼らは資格が役に立たないことを実感としては知らないからです。普通に勉強熱心な人、最低限の知識はある人として扱ってくれます。
求人が多くて応募が手軽なと○ばーゆとかアイ○ムには応募が殺到します。これを未経験者が勝ち抜くのは至難の業。
ハローワーク経由だと、応募数が一桁少なくなるので面接までこぎつける可能性がぐんとあがる。
ストーンから氷の微笑シャロン・ストーンの連想で色気ムンムンの悪女という表現になったのだろうか。
試合をちゃんと見ていれば気がつくが、この日のイギリススキップ、ミュアヘッドのショットはミスも
多かった。前半のエンド、後攻で複数点が取れない状況で、ブランクエンドにするつもりのショットを
ミスして1点を取ってしまう。終盤第9エンドでは日本にスチールを許す。
BBC解説者が第10エンドのラストストーンをミュアヘッドなら99%決められる、と評したというが、第9
エンドのラストストーンはそれ以上のイージーなショットだったはずだ。
もちろん日本の藤澤も、スプリットで2点取りにいくも決まらず1点だったりと、完璧だったわけではない。
それでも後半になるにつれて日本はチーム全体が調子が上がっていき、9・10エンドは先行ながらストーン
をハウスに集めて後攻のイギリスに十分なプレッシャーをかけ難しいショットを強いることができた。
第10エンドで藤澤のラストストーンがチップして目標に僅かに届かなかった時、ナンバーワンストーン
はイギリス。センターへのドローショットのコースは塞がれているがハウスの中央付近を動かさなけ
れば1点確実に取ってエキストラエンドへ行くこともできた。しかしそれでは有利な後攻は日本に渡る。
ミュアヘッドがあの時に2点以上を狙ったのは、同点エキストラエンドで不利な先攻を嫌ったのと
先攻は、人事を尽くして天命を待つしかできないが、後攻は自分の技術・実力で試合を決定づける
ことができる。難しいショットを決められる力と自信が世界トップのスキップ、ミュアヘッドにはある。
男子、両角のインタビュー記事に、攻めすぎると言われる意味が僕には判らない、とあった。リスクの
ある難しいショットを避けていけば強豪相手に勝ち筋が見えるのか。相手が難しいショットを決めてく
るのだからこちらも当然難しいショットを決められるようにならなければ、という正論だ。
第10エンドのハウスは難しい局面だった、しかしチャンスも十分にある、この局面を避けて先に伸ば
してもイージーな展開が巡ってくるわけではない。
個人客でもほら、その時期でないとどうしてもダメっていう場合は仲間に振ったりとかできるし、そこでひとつふたつ失注してもそんなに大きな機会損失にはならないから。
ていうか大きな仕事は取らなかったけど、ずっと地味に小さい仕事受けて作業してた。
他の友人は小さな制作会社をやってる人もいるけど、社員がその間会社を守ってくれてたみたいよ。
自分の会社で出勤の融通が効くから、やっぱり出産前後ずっとリモートで家でやってたみたい。
そこは会社員と違って、まとまった休暇は取れないのはつらいところだねー。
タイムを競う競争競技、技術や表現を評価する採点競技がほとんどの冬季競技の中で、チーム
同士が対戦し明確な点数により勝敗が決まるのは元増田の言うように他にアイスホッケーくらい。
観客視聴者にできるのは結局のところ応援するだけというのはかわらないが、カーリングは
試合中に解説を聞いてるだけで居酒屋野球談義くらいの話はできるようになる。
見慣れていないとスロー再生でも4回転かどうか、ダブルコークかどうかよくわからない、
解説や審判の言うままに見ている。着地成功したかコケたか以外は素人目に判別しがたい。
アイスホッケーもパックが非常に小さく素早い。おかげでスピード感と迫力が出るのだが
カーリングは目に優しい。
方向速度回転見極めながら声かけあってデリバリーする過程を10秒以上かけてじっくり見て
いられる。
試合展開が早くすすんだりコンシードによって短く終わることはあるが、ポイント制の競技で
ラリーがひたすら続いたりデュースの応酬で時間がかかったり野球のように延長回で双方0点
の息詰まる攻防が続いたりしない。
延長になればシンキングタイムも追加されるが、どちらかが点を取れば終わる。ブランクゲーム
が続いて延長し放題とはならない。
盤面見れば状況がわかる。何なら途中でトイレタイムで抜けても問題ない。
民放だとエンド交代にCM挟んでリードの何投かを抜かされてしまうのがやや残念。
男子はストーンが貯まったハウスを一気にクリアできる爽快感、予測しきれない盤の変化の妙味。
女子はそれができないからこその混雑した局面で正確なショットが求められる緊張感。
採点競技は審判が絶対、アイスホッケーも格闘をブレイクさせる審判は重要。
カーリングでは双方の選手たちが主体となって点数も決定し、どうしても微妙な時だけ
メジャーの出番が出て来る。
まだ、自分の気持ちが定かではないのだけれど、もしかすると今一緒に仕事をしている先輩(女)を好きになってしまったかもしれない。
その彼女とは、仕事の進め方や考え方はあまり合わない。むしろ真逆といっていい。だが、だからこそ、仕事のパートナーとしては理想的だなと感じることも多い。
そんな彼女のことが最近、異性として気になっている自分に気づいた。
きっかけは忘れてしまったが、彼女が落ち込んでいるときに側にいて、夜中まで話を聞いたときからだろうか。そこから2ヶ月以上経つが、ほぼ毎日連絡を取り合っている。話の内容は仕事2割、まったく関係のない話が8割くらいだろうか。
もともと、毎日連絡を誰かととることが苦手な自分は度々連絡を自ら切ることや、この話はもうこれで終わりだな、と思うときは新しい話題を振ることはなかった。
どちからというと、彼女から連絡をする機会が多くなったように感じる。そしてこれまで行かなかったが、2人で食事にいくことも増えた。
そんなこんなで、、、気になってしまっている。
(ただ、情が移ってしまっているというだけかもしれない。ただの依存の可能性もあると思っている。)
彼女ももしかして自分のことを気になっているのではないだろうか、という考えは甘いだろうか?
恋愛に対して少しブランクのある自分には、今の状況が、なんというか少しもどかしい。
意見をいただけると幸いです。