はてなキーワード: ブラッシュとは
* Q1. デフレもインフレもどちらもよくないのではないか?
* A1. インフレ率は2%くらいがちょうどいいというのが世界の常識です。
あまり低すぎるとすぐにデフレにはまってしまう危険性があり、一度はまってしまうと
デフレから脱却するのは難しいからです。ちなみに統計的にインフレ率が低くなると
失業率が高くなるというのが経験的にわかっています(フィリップスカーブ)。
日本には失業者がたくさんいるので、インフレ率をもっと上げたいところです。
* Q2. 日銀はいくらでも紙幣を印刷できるのだから、インフレにできるのでは?
* A2. 中央銀行がマネタリーベースを増やしても銀行の貸し出しが増えず、市中に流通するマネーストックは増えません。
安心してお金を市中の流通量を増やすためには、最適なインフレを必ず実現すると宣言して、目標に達するまで
緩和政策を続け、市場に絶えずメッセージを発信する必要があります。総裁の発言をたどればわかるように、
日銀はデフレ脱却にあまり熱心ではないとみられているので、いつまでたってもデフレにはまったままなのです。
でも簡単な話、いくらおカネを発行してもインフレにならないなら、政府は予算を無限大に使えることになってしまう。
実際にはそんなはずはないので、いつかは必ずインフレになります(バーナンキの背理法)。
* Q3. 日銀はすでに0-2%インフレ目標を設定しているのにインフレになってない、インフレにするのは無理なのでは?
* A3. 目標にすることと実現できることは別。日銀は無責任にうだうだやっているだけなので、
本当にインフレにする気があると思われていません。東大に入ると宣言しても一生懸命勉強しなけりゃ
実現できないのと同じです。政府が日銀をきちんと監視して、目標を達成を約束をとりつける必要があります。
* Q3. 日銀が「4%のインフレを15年間続ける」と宣言すればインフレが起こるのでは?
* A4. クルーグマンも今年に入ってからのインタビューで、日本に4%インフレを薦めています。
撤回したというのは英語の読めない池田の妄想です。もちろん宣言しただけではダメで、
それを裏付けるような積極的な手段をとらないとダメです。
* Q5. あらゆる資産を日銀が無限に買えば、インフレが起こるのでは?
* A5. 確実にインフレが起こります。日銀も非伝統的な政策に踏み込んで株を買ったりといろいろ試してはいるようですが、
言い訳程度にやっているだけなので結局デフレ脱却は果たされていません。「2-4%のインフレを達成するまであらゆる
手段を尽くす」と明確に宣言させる必要があります。ちなみにトヨタ自動車に300万台以上の余剰生産力があります。
日本は供給力がありあまっているので、ジンバブエのようなハイパーインフレは起こり得ません。
* Q6. インフレが起こっても、中央銀行はコントロールできないのでは?
* A6. 総裁や政策委員が無能でなければコントロールできます。インフレターゲットを設定している諸国では、
長期に渡って目標値を逸脱することは許されず、おおむね達成できています。ハイパーインフレなどと
極端なことを言いだす人ような人に政策を任せなければ大丈夫です。
* Q7. 欧米の中央銀行が通貨供給を大幅に増やしたのはプルーデンス政策、日銀は欧米並みに供給を増やす必要ないのでは
* A7. 欧米で通貨供給が増えたのに日本が通貨供給を増やさないと、需給関係で円高が進みます。
円高のせいで日本の輸出産業は壊滅状態です。ますますデフレの進む要因になってしまっているので、
* Q8. かつて量的緩和とドル買い介入によって日本経済が不況を脱出したのでは?
* A8. 日銀も一時、「時間軸政策」などによってリフレ的な政策をとり、ある程度効果がありました。
が、デフレ脱却を実現する前にやめてしまいました。ほんとやる気がないんですね日銀は。
* Q9. 政府紙幣を発行すれば、財政赤字を増やさないでインフレが起こせるのでは?
* A9. それは国債の日銀引き受けで確実に効果があります。インフレターゲットと連動させて行うのが肝要です。
* Q10. なんらかの方法で「マイナス金利」を実現することはできないか?
* A10. 深尾光洋氏のいうように、現金に課税するなどの方法をとれば不可能ではありませんが、
わざわざそこまでしなくても、市中の国債をすべて買い切ることからはじめればOKです。
* Q11. 今の日本は需要不足だから、供給を増やす構造改革よりGDPギャップを埋めるリフレのほうが重要では?
* Q11.その通りです。構造改革とリフレ政策は矛盾しません。いくらトヨタ自動車が世界最高品質の自動車を
作っても(供給の強化)、買ってくれる人がいなければ意味がありません。デフレが進むだけです。
構造改革をすすめるためにもリフレ政策(需要の回復)は重要です。
今の日本はブラック企業でバカみたいに働かされている人が多い半面、働きたいのに
職がない奴がたくさんいる状態です。労働市場がまともに機能していません。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51308946.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51308946.html
ご報告をくださいました方、ありがとうございました。
十分なスペックでVistaを使っている人にとって、7の恩恵はそれほどないかもしれません。
個人のVistaユーザで7に乗り換える意味があるのは、微妙なスペックで走らせてる人でしょうか。
例えば、Core2の6000番台以前、メモリが2GB以下でオンボードグラとかの、ああ、ノートPCユーザですね。
カスタマエクスペリエンスで平均6超えしてる人は、Vistaのままでも良いかも。
細かい点のブラッシュアップによる「使っていて気持ちがいい感じ」は
これまで出たWindowsの中で最も高いかもと感じました。
その辺に評価基準を重く持つ人には勧められます。
近ごろ突然Ubuntuに目覚めて「Vistaとか糞。情弱のOS」と言い出した人にもお勧めできます。
フォントレンダリングはVistaから、あまり変わってないようです。
メイリオの視認率は高いですが、相変わらずWindowsは明朝体に弱いです。
でもアンチエイリアスの設定が少しだけ細かくできるようになった気がします。
(Vistaでもできたのかもしれませんが、自分ではそういう設定をした覚えがない)
使用頻度の比率が
だったのが
くらいになりました。
感心すると同時にブラウザシェアの今後がちょっと不安になりました。
Microsoftの製品はSP1が出てからが製品版というのは、やはり変わらず。
ただ今回は、諸々の対応が整うのを待つ。という意味合いが強いです。
良いOSになるだろうという予感はありますが、今Vistaからの移行をするかというと
「気になるなら乗せても損はしない(けど何かが動かなくなる可能性はある)」くらいなので
焦る必要はまったくないだろうと。
最後にもひとつ。
しばらくは設定をいじらず使ったほうが面白いみたいです(特にXPから一足飛びで移行した方は)
「Windows=調教しないと使い物にならない糞インターフェース」のイメージが自分にもあったのですが、
今回のは「わりと良くできてます」
Macっぽく「体のほうをOSになじませる」使い方をしてもそれほどイライラしません。むしろ楽しいです。
「Microsoftの社員が一所懸命に他のOSを参考にしてがんばった感」を存分に楽しんでみるのが、とても一興です。
という感じで、逆バイアス?をかけつつ素直な気持ちで7を評価してみました。
この論を読むにあたっての前提
・「バカ」とは単に学力に限らず、知的活動全般(コミュニケーション,芸術なども含む)における能力が劣っている人物を指す
・「美人/ブス」をx軸、「賢い/バカ」をy軸とし論を進める。(「学力/EQ(学力以外を暫定的にこう括る)」というz軸は議論を煩雑にするので省略する)
・「不幸」の定義が非常に曖昧ですが、「幸せが少ない」よりも「苦しみが多い」寄りのニュアンスで捉えてください
自意識を植え付けられた現代人に共通すると思われる欲望の一つとして、「自己承認欲求」というものがある。これは己が他者から承認されたいと思う欲望である。これが満たされない場合、人間はフラストレーションを募らせ、不安定な状態に陥りやすい。
しかし、当然ながらこの自己承認欲求は万人に対して保障されているわけではない。ここの自己承認欲求の不均衡が起きる。そして、危険なことに、この自己承認欲求を満たすために女性には安易な「性」という交換価値が与えられている。
しかし、「性」を交換して得られる自己承認欲求は概して薄っぺらく浅いものであることが多い。「性」と交換に承認を得た女性たちは、結果的により深い、より切迫した欠乏感に苛まれる。
典型例としては、「ヤンキー娘が男をとっかえひっかえした挙句に妊娠して高校中退」のようなものである。この場合、彼女は「勉強ができない」という劣等感や、不幸な家庭環境による愛情への飢餓を、「性」というエサに群がる男性から求められることによって補おうとしたものと考えられる(ヤンキー娘の家庭環境が不幸とは限らないという反論に対しては、前提条件で挙げた「バカ」が知的活動全般を含むという点に注意を喚起しておきたい)
しかし、概して、このような過程を経た出産、それによって形成される家庭というのは同じ末路を辿りやすい。これが文化の再生産・階級の固定である。彼女の、「性」をエサにして自己承認欲求を満たすというプライドのファストフード店は、妊娠・出産というクライマックスを経て閉店に追い込まれる。生まれる子供が女子であれば、その子供も「バカ」で「美人」である可能性が高い。
では、「バカでブス」の場合を例にとってみよう。彼女たちも「自己承認欲求」が満たされず、苦しい時代を余儀なくされるという点ではバカな美人と同じである。しかし、この場合、彼女たちには交換価値となる「性」がそれほど高い価値を持たない(まあそもそも若いってだけでブスであろうとデブであろうと性的価値はあるんだろうなとも思ったけど、飽くまで二者間の比較において)
よって、どうなるか。彼女たちは男性たちから得られる浅薄な愛情すら受けられず、非常に厳しい環境で生育することになる。最初は男性から求められるバカな美人を見て羨望に身を焦がすこともあるだろう。しかし、やがて気付くのである。あんなことをしても何にもならない。
器質的に同等の知力を持つと仮定した場合、大人と子供では大人のほうが賢い。なぜならば、それはそれまでに培われた経験、そしてそこから得られた「情報」が存在するからである。よって、「子供でバカでブス」よりは「大人でバカでブス」の方が賢い。そしてこの場合の「経験」は必ずしも自分自身によってなされる必要はないのである。バカなブスはバカな美人の失敗を見て学ぶ。
ここで、「でば、バカな美人であっても、経験によって己をブラッシュアップすることは可能なのではないか」という質問が成り立つ。それは正当な反論であり、その場合は「美人」というカードが役に立ち始めることもあるだろう。しかし、彼女たちの場合、それ以前に妊娠や結婚において、人生の再チャレンジにおける不利なカードを引かされている可能性も高いのである。
バカなブスは少しだけ賢くなって漕ぎだしていく。
バカな美人は錨を下してしまったため港から離れられない。
そのような意味において、「バカで美人」よりも、「バカでブス」のほうが、不幸に「なりづらい」という結論が成立する。
以下は余談
平たく言えば「同じバカならモテるよりモテないほうがむしろ幸せなのでは…
幸せが言い過ぎなのだとしたら受ける傷は少なくて済むのでは…」ということを加護さんについて考えて思ったのでした(彼女はそれで生活の糧を得てるから上の論には必ずしも当てはまらないけど)。しかし、「モテ」を分水嶺にすると知的能力云々のあたりがややこしくなるので(「モテる時点でバカではないんじゃん」等)今回は容貌を用いました。
とりあえずイメージとしては、
「高卒派遣OLひとりでバラエティ番組を眺めながら食べるオリジン弁当の夕食」
と
「ヤンキー上がりシングルマザー母子家庭でワーキングプア水商売はじめました」
の対比としてイメージしてもらえるといいと思います。
それでも「ひとりじゃないだけ後者のガマシ」という人に関しては私とは価値観が違うとしか言えない。
「賢くて美人」と「賢くてブス」とを考えた場合は、個人的にそこに(不幸になりやすいかどうかという点において)あまり差はないんじゃないかと思います。幸せになるために踏まねばならない手数の多さという意味では「賢くてブス」のほうが上だろうけど、それをきちんと踏襲するというニュアンスも「賢い」にはこめてあります。
そもそも、(前提で述べたような極端なケースを除けば)「美人」と「ブス」という分け方が極めて恣意的なものなので、この場合の「美人」というのは単に「多くの人がその人を美人と思う」という事実に過ぎず、また「ブス」も然りです。そして、重要なのは、「需要の多寡は必ずしもそのものの優劣と比例するわけではない」という点です。
よって、例えば「ブス」だったとしても、自分を需要する層というのを的確に判断する能力があれば、それは決して弱いカードではなく、単に使いどころの難しいカードであるに過ぎないのです。むしろ、場合によって強いカードにもなりうる可能性を秘めているのです(RPGで、人魚のキャラが陸上戦ではHP少なくて弱いけど、水中戦では無敵みたいな感じ)
以上をまとめて「不幸になりづらいランキング」を作るのであれば、
という図式が成立するのではないかと思います。
選挙を突き動かしているのが幼稚な感情でしかないこと、何よりそれが大問題だと思うのだけど。
そしてそれと同じくらい、そういう曖昧なものに国政が振り回される仕組みをまず改めないといけない。
『テレビだって散々問題だって言ってたじゃん!』
というのが今回の無党派層の挙動の結果、というのはいくつかの報告に上がっていますが……。
みんな今起こっている政治の混乱も覚悟の上で投票したんですよね?
自民党がネガティブキャンペーンしか出来なかったのは、まあ地盤が脆弱なおっさんしか居なかった
せいもあるんですが、負けを前提として有権者に覚悟を問うことしか出来なかったからですよ。
選挙は民意だからそれに従うのが当然、というけど、多分間違ってる。
そもそも『民意』なんてものは自然と一つにまとまるはずがない。選挙結果が民意を一つに見せてるのは、
単純に『多数決』という数の暴力で対抗意見を持つ存在をふるい落としているだけにすぎない。
本来ならば、ほどよい混沌さの中で、様々な意見を『討論』で戦わせながらブラッシュアップしていくべきなのだ。
でも、なんだか日本にはそういうことをする余裕もなくなってしまった。
『スピード感』が大事、とかなんとか言ってな。
そんなの議論が下手なだけじゃないか。リーダーの意志決定方法が下手なだけじゃないか。
討論や意思統一を前提とした話し合いに、リーダー以外の人間が慣れてないだけじゃないか。
本当に平等だからこそ、衝突しないといけない局面はどんどん増えてくるのに、
自意識過剰な人が陥りがちなことに、「日本社会は出る杭を叩く。俺がやろうとしていることを出資者やクライアントや会社や上層部や先輩や同僚は理解してくれない」と周囲に責任を押し付けることがある。
いや、それはお前が出る杭ではなく、出す提案に説得力がないからだって。
突飛なアイデアであっても、トライすることに価値がありそうなら資金は不況でも集まるし、最低でもプレゼンする機会は与えられると思うよ。そういうチャンスが回ってこなくて、周囲の無理解を批判するのは、環境に恵まれていないからじゃなくて、聞いてもらうための環境設定に問題があるからなんだ。
で、出た提案に説得力がなかったとしても、何度か出資者候補やクライアントと調整することによって、ブラッシュアップされたり、コンセプトがきちんと定まったり、コストの見直しで最終収益がもう少し確保されそうだったり、より良い計画になることだってある。そうなってから、再チャレンジする気力や時間が備わっているなら、何度でもトライすればいいと思う。椅子を蹴らずにきちんと繋いでいれば、一度や二度のプレゼン不発があってもお付き合いは続くわけだからさ。
何でそういうことをいまさら備忘録のように私が書いているかというと… やっぱり不況だから資金が枯渇していて、どこも新規のことに積極的に噛もうとはしないので、二年前ぐらいだったら簡単に通っていたような企画や計画が通りづらくなっているからなんだよね。これは、あんまり業界を問わないと思う。
でも、金が金を生むといっても、金を作るには良いアイデアに基づいた事業が投資先として必要なので、むしろ不況のときほどイノベーションが進む分野だってあるんじゃないかと思うんだ。だから、どういう内容であれ面白そうであればこっちだって話は聞く。良いと思えばお金だって出すよ。むしろ、不況だからこそ良い案件が来る可能性が高いと考えて、面白ければ無理してでも乗るんだ。
ただし、景気が悪いと「金になりそうなこと」に人や企業が殺到しており、どうしても陳腐なアイデアに偏りがちになる。これは、コンテンツだろうが技術だろうが流通だろうがあまり変わらないと思う。IT業界だったらiPhoneやandroid、海外投資でクラウド方面に出てアメリカに安価なDCを探したいとか、そういうブームのようなものはある。だから、そういう似たようなことを考えている人がわんさかいる状況で、他人より一歩先に出るような提案をされることはあんまりないのも事実なんだよね。
iPhoneバブルで言うなら、一昔前のセカンドライフブームと同じく、これ本当に長く続いてくれるんだろうかという疑念はやっぱり持つ。前回との違いは、いきなり潰れたり経営陣が逮捕されるような面白企業の参入が少なそうだ、というところまでだろうか。
同じく、技術投資で言うと、webでサービスが完結するようなビジネスプランはもうほとんど通らない。タダ同然ですでに稼動している不採算サービスはたくさんもう売りに出ているから。CNETが代表的だけど。下手をすると数億あれば上場企業で微妙なところは経営権すら取れてしまう。
こういう、相対的にリスクマネーが乏しくなっている状況ほど、出る杭になるためには何を磨かなければならないかが問われるというはっきりしてくると思うんだ。で、出る杭が思いつかなければ、それはそれでしょうがないじゃないか。歯食い縛って齧りついたって、無理なもんは無理だよ。どうしようもないさ。
もっと気軽に逝こうぜえ。毎日せっせと頑張っていれば、そのうちいいことだってあると信じて一歩一歩歩いていけばいいんだ。
なんでも、"大勢の人が情報を持ち寄り、意見や議論を交わすことにより、ブラッシュアップされて新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれること。"らしい。
しかし、そのような体験は、今までしたことがない。意見や議論によって間違いを指摘されたり、指摘したりすることはあるが、その結果として新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれるということは、無い。
情報や言説は、個人の営為の中からしか生まれてこない。プログラムのコードは、概念設計やデザインを幾らしゃべっても、実際にコードを書く人間がいなければ、出来上がらない。車輪の再発明を避けられるというメリットならばあるが、それとても、情報の囲い込みや検索単語の不一致等により、結局再発明を行ってしまっている例の方が多い。
これらは、情報と媒体が不可分であった時代の法制度や常識や商売が、人々の行動を縛っている為とも言える。
携帯サイトやSNSや有料サイトといったクローズドな空間では、あたかも旧東側の百科事典においてエジソンもノーベルもソ連邦の人であるとされたように、あらゆるオリジナルが捏造可能となってしまう。
お金を払っていることから、ユーザーは、自分がお金を払って見ている情報がオリジナルで、それ以外の場所にあるのはパクリであると思い込むようになる。只で見れるモノに金を払っているという愚かさを認めたくない客の心理につけ込む商売となっているのである。
集合知を実現するには、情報や言説を生み出す個人の営為に対して、明確なインセンティブを与える必要があるし、それらの情報を、囲い込まずに、不特定多数に常に公開するという環境を維持する必要がある。情報を囲い込んで閲覧料を取る木戸商売のやり方では、情報を囲い込み、木戸で代価を徴収する側だけが儲かる。地面師や手配師や興行者や縄張りを仕切ってミカジメを取る連中だけが利益を上げるようになるのである。
私は、webにおける情報とお金のありうべき姿として、個別のコンテンツではなく、クリエーターの実在そのものに対して評価を下す責任ある批評主体を、企業の株主に任せる手段を提案している。クリエイターにとっては中間搾取なしで売り上げが立つと同時に、ダイレクトなスポンサーの意思が見えるようになるし、株主は、自らの価値観を表明でき、また、株主と企業の両方にとって、電子投票システムへの習熟やアカウント管理の手段として利用できる。企業にとっては、政治家や政党のwebページをミラーして対価を支払う事で、政治献金を、株主の承認を得た合法的な宣伝行為として行えるようになるというメリットもある。
さて、このアイディアは、集合知によって生まれたものであろうか?
アノニマスダを始めて数ヶ月。
独特の空気というか連帯感というか、色々な発見があったものだが、人気エントリの傾向として「誰もが思いうる事だがうまく言葉に表せないもの」が上手に表現されてるエントリが、一部の人にしかウケないウェブ系ピープルのエントリよりもハテブラッシュになっているのだなと思う。
そのコメントには賛同するのもあれば否定するのも、「人それぞれ」論で片付けるものまで千差万別なわけであるが、良質で誰しもが賛成しそうなエントリに、敢えて反駁し、自己主張をしてるんじゃないのかなと思うようなものが、ハテブにもamazonレビューにもよくあるよくある。
で、ほぼ9割以上が絶賛したような、その無理でも反論したい人までもが認めちゃうような素晴らしいエントリーって過去にあったのかな。
あったら教えて。
(http://love6.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1217949926/l50)
というスレで前に書いたのだがdat落ちして読めなくなったので、
少しブラッシュアップした形で再度アップしてみる。
現時点では新刊情報だけならここで必要充分かと。
ライトノベルの「情報」を求めるには向いていないというか、はっきり言って不向き。
有名所なのでとりあえずチェックしておくのが儀礼?
発売が近い新刊情報以外の情報を求める場合はチェックする必要性は薄い。
雑誌の早売り系の情報は余り扱わず、公式サイトなどの発表待ちが多いが、
メディアミックス系のチェック範囲も手広く、サイン会やイベント情報などの捕捉も早い。
更新頻度は高めで、ライトノベルの情報系として特化しているサイトでは、
ただし公式サイト更新チェックのログは残していないようなので、
過去ログを参照などしたい場合は不向きで、リンクはしづらいか。
しかし「ラノベカレンダー」(http://lightnovel.jpn.org/material/calendar/calendar.cgi)は
興味のある方はには便利に使えるかも。
このカレンダーがケータイ(モバイル)で閲覧できれば利便性が高いかと思うのだが…。
ライトノベルの情報だけに興味のある方には余りお薦めはしづらいかな。
しかし更新頻度は高い方かもしれませんが、移転が多くログが分散している欠点も。
http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/
雑記や半端な感想が多いところが、情報だけを求める人にはやや不向きか?
ただし、はてな周辺のライトノベルを扱っているサイトからの情報を集めたり、
話題を整理・提供したりしているので、そういう点では幅が広いかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/
メディアミックス情報の一報を伝えること多く、早売り系の情報に強い。
アニメやゲームなどの多方面の情報を扱っていて、その中の1つとしてライトノベルの情報も。
個人的に気になるところは、本サイトである「MOON PHASE」で使っているパターンを変えられないのか、
RSSリーダー経由で読む際はタイトル文に埋め込んでいるリンクが
はてなのRSSの仕様で無効になっていて、 情報力が半減している点は読む側としては面倒。
http://rainycarnaval.blog15.fc2.com/
アニメ・ゲーム系のニュースほどライトノベルに関するニュースはそう多くないが、
更新頻度が高く、ニュースの捕捉が早いので、チェックしておいて損はないかと。
http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/
他のニュースサイトをたくさんチェックして紹介しているので、
最終的にはここで拾える情報が多いかと。
オリコンの文庫売上げランキングからライトノベルを抽出して記録しているところ。
気になるところとしては、オリコンはランキングの掲載を原則的に禁止を掲げているので
(http://www.oricon.co.jp/rank/index2.html)
「2ちゃんねる」経由などのワンクッション挟むなどをしていないと、
それを理由にログの削除や閉鎖などの可能性もありそうな気も…。
http://netbokka.s2.zmx.jp/
表示方法が少し癖があって、レーベルごとへの個別リンクが難しく、
実コンテンツの更新もAmazonまかせの自動運転で放置気味?
「モノグラフ」(http://monogragh.fc2web.com/)が更新を停止してから、しばらくしてから出来、
「モノグラフの自由帳」(http://d.hatena.ne.jp/monogragh/)からの紹介リンクのフォローもあり、
開設当初は注目度は高かったようだが…。
2009年2月にリニューアルしたが、その後数回の更新で放置されているので、
http://d.hatena.ne.jp/r3light/
公式系の情報をチェックしているが、ルーチンワーク的な更新をチェックしている感じで、
目新しい情報を得ることは少ないような印象が……。
…の上記3つをチェックしていれば、
新刊情報・公式&イベント情報・メディアミックス情報などのほとんどの情報と得られ、
かなりのところは相互補間ができるかと思われる。
あとは「カトゆー家断絶」(http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/)で今のメディアの
流れをチェックできていれば、ライトノベル関連するニュースをほぼ把握できるのではないだろうか?
あとは「ネタ」として話題になっているのをチェックしたければ、
はてなブックマークの「ライトノベル」のタグをチェックしていれば、
ある程度はフォローできるかと思われる。
結局のところ結論としては、安定した更新頻度を保っているところが強いという印象がある。
更新頻度が高くて安定しているところは、更新意欲も高いので、情報の新鮮さ、
そして情報のチェック範囲も広いので、情報量も内容も、必然的に質の高いものになっている。
問題なのは閉鎖、または更新停止率が高まっているところにあるのかもしれない。
そしての割には、新規サイト(新人)の参入がほとんどないのが痛い。
これは個人ニュースサイト全体に言えることかもしれないが、SBMの普及・影響なども影響してか、
ニュースサイトを運営する人が以前よりも低下しているような気がします。
そしてTwitterの普及もそれを加速化しているのかもしれませんね。
どういう順番でなにをするかを間違えなければ、個々の作業が遅くても、ミスしても誤差でしかない。
取り返しのつかない事態を遠ざけ安定して仕事をするには、段取りさえ間違えなければいい。
段取りを策定するときは、楽をするにはどうすればいいかを徹底的に考える。
普段からも折に触れて楽をするにはどうすればいいかを考え、段取りをブラッシュアップしていく。
楽ができるようになり余裕が生まれると、自然と頭が働き出す。
楽するためのさらに効率的な段取りを思いつき、好循環に入る。
ここ数週間で、人生ではじめて仕事をつつがなくこなせるようになった。
なんでいままで嫌だったり苦しかったりすることを放置していたんだろう。
楽をするにはどうすればいいかを真剣に考えはじめることができて、ほんとうによかった。
会社に入って1年と少しで辞めた。
まったく仕事ができないし、先輩の説明も頭に入らなかったからだ。
仕事ができずに所在のない苦しみから解放されるには自殺しかない。
でも自殺できなかった。
自殺するときの苦しみを恐れる自分をなんとか説得しようとしたけどだめだった。
楽になりたくて自殺したいのに自殺できない苦しみ。この苦しみから逃れたい。
自殺せずに楽になるしかない。そう思った。
突破口は、確実にできることが少しずつ増えてきたときに見えた。
確実にできることをしている最中、その作業を余裕を持ってメタ視点で眺めることができる。
作業のあとで考えるよりも、作業している最中のほうが臨場感があるので意欲を持って分析できる。
聞きなれたCDを前のめりで聞くなんてしないけど、ライブに行けば前のめりになる。
そんな感じで前のめりで楽にできることがないかチェックしたら、もっと楽ができる段取りが見えてきた。
これが好循環の始まりだった。
正直、レベルの低い話をしているんだと思う。
こんなことを書いておきながら、頭がまわらなくなって段取りを見失うことも少なからずある。
苦しいことが減ったとはいえ、なくなったわけではない。
自殺への想いが跡形もなく失せたわけでもない。
でも、仕事ができずに職場で居場所がない苦しみが激減したことだけはたしかだ。
楽への欲求があるかどうかがこれほどまでに大事だとは知らなかった。
一人とか少人数チームの中でコツコツやって革新することはできるから地道に技術を磨く「人間国宝」みたいな技術者は出てくる。個人や個々の部門単位で実施するQC活動や"カイゼン"みたいな方法で技術のブラッシュアップ、底上げ、雑巾絞りはできる。
裏を返せば、俯瞰して全体を指示できる人や大規模前提に管理体制を組める人が少ない。プロジェクトマネジメントの技術がまだまだ劣っている。
だから、既存技術のブラッシュアップは得意だけど新しいものを生み出すのは下手な日本といわれる。
SIでもPM一人で回せる範囲(数十人規模)だったら割とうまくいくけど数百人体制で一人のPMが管理できる規模を超えると途端に失敗PJ率が上がるね。
http://anond.hatelabo.jp/20080528020715
このネタをしつこく引っ張ってすみません。。。元記事書いたものです。
はてブ、トラックバック、いろいろと反応をいただき、ありがとうございます。
うまく前置きで書けてなかったから伝わらなかったかな、と思ったのが、
元記事を書いた理由でした。
川田亜子さんが亡くなられ、その報道を受けての反応はだいたい以下2つが大きかったと思います。
『なぜ彼女が出したSOSを受信して救えなかったのか。』
『彼女のSOSの出し方は適切じゃなかったのでは。』
彼女が亡くなられて、きっと周りの方が衝撃を受けているだろう、と思いました。
お母様はそれこそ胸を痛めて張り裂けんばかりだろうし、鳥越俊太郎さんも悔しく悲しく思っているという報道を見ました。
川田亜子さんも、周りの人も不幸になってしまった。
じゃぁ、どうしたら今後、そんな悲しい思いをする人を減らすことができるだろうか、と思いました。
よりよいSOSの発信の仕方を考えてみればいいのでは。
よりよいSOSの受信の仕方を考えてみればいいのでは。
川田亜子さんと似た振る舞いをして心当たりがある私は、自分の経験と思ったことを書いてみよう、と思いました。
それには、自分のブログよりもよほどアクセス数が多い、はてなの匿名ダイアリーのほうがいいだろう、と思いました。
はてなの住人の人たちはたくさん考えてくれる人が多いし、反応を返してくれる人が多いから、
きっと書いたことはブラッシュアップされるだろう。
それが少しでも誰かの目に心にとまり参考になれば、今後、悲しむ人が少しでも減るきっかけになるのではないだろうか、と切実に願ってました。
今日一日は落ち着かない一日でした。
記事をあげたあとは、仕事が手につかず、ブクマを気にし、トラックバックを気にし、
いただいた反応を受けて、考えて考えて……そんな日でした。
心が弱った人間に寄り添うのは本当にしんどいことだと思います。
たぶん、できないです。私は本当に大切な人でなければ、やはり寄り添いきれないです。
「そんなのできないよ。」「できなかったよ。」は、当然の反応だよな、と思ってました。
できなかった方はご自分を責めないでくださいね。すごく、それも難しいことだと思いますが……
「病院につきそう」ことについてブラッシュアップさせてくれたのも、ありがたかったです。
心療内科や精神科という場所が、自分が患者として足を初めて踏み入れるとき、
どれだけ敷居が高い場所だったかを忘れてました。
私は初めてのときはひとりで行きましたが、怖かったです。
偏見が消しきれずあったので……ヤバい患者にからまれたらどうしよう、とか、
っていうか、そんなヤバい人の仲間入りをするんだ、私は……とか思ってました。
通いだすとそんな怖いところでもないんですけどね。
病院を訪れて頼るのも、ひとつの大きなハードルだと補足できてよかったです。
ブログにしかSOSを出せないのは、やはり問題がありますよね……
もっと確実な周囲を頼るべき。
「周囲の人がいる前提」で記事を書いたのは、
『川田亜子さんの周囲の人は何をやってたんだ』という論調を受けてでしたが、
そういう周囲に恵まれてない人はどうするんだ、という問題もありますよね。
これも確かに考えてみれば、私も経験があったことでした。
追い詰められた心境の人は『自分はひとりだ、助けてくれる人は誰もいない』と思ってますよね。
私もそういう心境で「死」を思ったことが何度もあります。
枕を涙で濡らして、「死にたい」「でも生きたい」と葛藤した夜は数知れずあります。
こんな思いは誰も持たないだろう、だから理解できないだろう、私は変だ、と思ってました。
でもそんなことはないんですよね。
実はけっこう、気にされてないようで、気にされているのですよ。
大丈夫かな?と心配してくれている人はいます。
もし本当にいない、と思ったら、作ればいい。
今すぐ、そばにいる人誰でもいいから、赤の他人でもいいからすがりついて、泣いて助けを求めればいい。
恥をかくだろう。迷惑をかけるだろう。でも死ぬよりましなはず。
(なるべく助けてくれそうな人を選ぶのがいいです。
おススメは交番、おまわりさん。
できれば、病院。)
「いのちの電話」もあるし、自殺の名所には自殺を考え直すよう、連絡先を示す看板も立っている。
誰のどんなSOSも、いつでも受信するよ、と言ってくれている人たちは、よくよく見るといるんですよね。
追い詰められると目に入らなくなるけど。忘れちゃうけど。確かにいる。
「頼る人は誰もいない。周りには誰もいない。」というのは、自分がそう仕向けているだけのことが多かったです。私の場合。
自分の思い込みがそうさせてたり、プライドが変に高すぎるか、低すぎるかだったりするんじゃないかと思います。
だらだら書き続けてすみません。。。
最後に。
私の心の心配をしてくださった方々、ありがとうございます。
id:hrkt0115311さんには重ね重ね、お礼を申し上げたいです。
救える。毒を出してない人などいない。半分にするのでなく中和する方法を探れ。人によって毒の成分は異なる。読んでる限り境界例でも鬱でもない。それらの文章と全然違う。薬で気持ちは消えない。誰かと話すしかない
中和は、私にとって新しい視点です。。。もうちょっと自分の中で考えを練ってみます。
私はそもそも病気ではない……も、そうかもしれません。
病気ではなく、生きづらさを多少、人より多く感じやすくて、身体的にも症状がよく出るだけ、とか……
とりあえず、「誰かと話す」が有効なのは確かだ、と頷きました。
届かなくても諦めずに一生懸命話す根性をつけようと思います。
疲れたら、どっかのチラシの裏にでもぐちります。
少しでも多く、大切に1日1日を生きる。
それを忘れずにいこうと思います。
いろいろとありがとうございました。
文才という言葉が俺は嫌いだ。
正しく言えば、文才という言葉の使われ方が嫌いだ。
「俺には文才がない」?
ふざけんな。
いい文章ってのは、伝えたい内容を考えて、文章構成を考えて、表現のトーンを考えて、実際に書いてみて、納得いかなければこねくりまわして、第三者の目を通してブラッシュアップして、そうしてできあがるモンだろうがよ。
何の気なしに名文を書く才能があるヤツもいるかもしれないが、才能がなければ書けないってもんじゃない。
努力しないで何が「文才がない」だ。ふざけんな。
「伝えたい内容がない」?
ただ考えてねーだけだろ。あるいは自分の考えを過小評価しすぎだろ。何十億人人間がいると思ってんだ。何千年の歴史があると思ってんだ。お前だけの思考なんてそうそう見つかるわけもない。違いがあるとすれば言葉にされているかいないか、知られているかいないかだけだろ。
簡単に価値がないとか言うな。
価値がないって思うなら、その苦悩をつきつめて考えろドアホウ。
自分の価値が見えてくるまで。
追記:
なんかヘンなのに目つけられちまったな。
踊る方も踊らされる方もほどほどにしとけよ。
誰が反応しようがしまいが俺の意見は変わらねーし、元増田が少しでも考えるきっかけになればそれでいいさ。
追記2:
一人でやってたのか。
随分とお暇なことをなさるもんだ。
ピンクってなぜか嬉しい気分になる色だし
効果的にピンクが使われていればこそ
かわいー♪って飛びついたりもするんだけど
「女性=ピンク使ってれば喜ぶ」という安直な考えはしないほうがいいですよ。
ピンクという色は好きでも、ピンク色したもの全てを好きになるわけではないのに
少し昔は多分そこらへんよく分かってない男の人が
ダサいデザインなのに女性に買ってもらおうとして作ったんだろうか、
電化製品(ケータイとか)なんかには
ピンク色がかえって痛い商品が多かった。
最近は洗練されてきたような気がします。
でも男も女も勘違いしてる人はほんとに多くて
ピンクさえ使っておけば大丈夫と信じ込んで、本質をブラッシュアップする作業を怠った結果
ダサいものを量産するもとになっていると思うので
私はフェミではない女性ですが
ピンクさえ着てれば女性らしさをアピールできると信じ込んでるのか
それ以上の進歩のない格好の同性にはがっかりします。
あまりに好まれる色ゆえか、ピンクさえ使っていればと安直に思考を停止してしまう人が多いので
もどかしい思いをすることが多々。
アッパーブロゴスフィア | はてな+ロウアーブロゴスフィア | 2ちゃんねる界隈 | mixiとかそこらへん | |
---|---|---|---|---|
頭のよさ | 賢い | 水準的 | バカ | 厨房 |
学歴 | 高学歴 | 平凡 | 低学歴 | 厨房 |
自らに課すハードル | 高い | 普通 | 無し | 低い |
他者追従性 | 猿 | ネズミ | イナゴ | ひつじ |
ネット以外に好きな媒体 | ネット | 書籍 | テレビ | 雑誌 |
異性関係 | 不要→2次元等 | 非モテ→2次元等 | 一般的 | 活発 |
連帯感 | 低い | 普通 | いびつ | 高い |
力の方向性 | 未来 | 希望 | 負の方向 | 夢 |
対コミュニティ | 先導的 | 盲目的 | 怠惰的 | 奴隷的 |
得られる情報 | 先進的 | 玉石混淆 | 肥溜め | 中二的 |
先進性 | 高い | 普通 | 低い | 低い |
創造性 | 高い | 普通 | 低い | 低い |
革新性 | アーリーアダプター | アーリーマジョリティ | ラガード | レイトマジョリティ |
面倒くさくなってきた。preタグ入れとくから、誰かもうちょっとブラッシュアップしてくれ。
|* |*アッパーブロゴスフィア|*はてな+ロウアーブロゴスフィア|*2ちゃんねる界隈|*mixiとかそこらへん| |頭のよさ|賢い|水準的|バカ|厨房| |学歴|高学歴|平凡|低学歴|厨房| |自らに課すハードル|高い|普通|無し|低い| |他者追従性|猿|ネズミ|イナゴ|ひつじ| |ネット以外に好きな媒体|ネット|書籍|テレビ|雑誌| |異性関係|不要→2次元等|非モテ→2次元等|一般的|活発| |連帯感|低い|普通|いびつ|高い| |力の方向性|未来|希望|負の方向|夢| |対コミュニティ|先導的|盲目的|怠惰的|奴隷的| |得られる情報|先進的|玉石混淆|肥溜め|中二的| |先進性|高い|普通|低い|低い| |創造性|高い|普通|低い|低い| |革新性|アーリーアダプター|アーリーマジョリティ|ラガード|レイトマジョリティ|
「No」ではなく、「No. Because ・・・, So ・・・」と言うべきです。プランの無いNoでは何も変わりません。日本人全員がNoと言えばインド人と中国人とベトナム人がYesと言うだけです。
SEとして働いていた4年間、ずっと同じような事を考えていました。
上司だって、役員だって、こんな仕事のやり方をいつまでも続けたい訳じゃないですし、プロセスやエンジニアリングをいくらカイゼンしようがどこまで行っても追いつかれる宿命にあることだって(余程おめでたくなければ)気づいています。どこかでビジネスの舵を大きく切らなきゃいけない。でも、社員に給料を支払える様な体制は維持しなければなりません。
だから、本当は誰かが思い切って舵を切ってくれるのを待っています。
あなたにビジネスに関心の強いメンターや同僚に恵まれているのなら、今の会社の事業ドメインを活用した新しい事業立ち上げのための勉強会を有志でやるのがいいでしょう。あなた自身に発言力が無くても、ある程度人数が集まって練られたプランであれば、上の人間も目を通そうかという気になります。
あなたに自分が気軽に話せて社内での発言権の高い上司がいるなら、会話の中で問題意識とプランについて、曖昧でもいいから頻繁に相談すべきでしょう。話を重ねる毎にプランをブラッシュアップして提示してゆけば、上司も動きやすくなります。
会社は社則や組織体系が動かしてるのではありません。人が動かしているのです。いくら大きかろうが、人を説得できるだけのプランと機会があれば、部分的にでも変えることはできます。(時間はかかりますけどね)
・・・え?ビジネスに興味のあるメンターも同僚も発言権があって相談できる上司もいないけど、どうしたらいいって?
会社を辞めましたよ、僕は・・・。
>>追記
こういう蛇足はあまり好まないのですが、はてブコメントが連続して文章中のどうでもいい所で釣れているようなので。なんでだ?
どうも「日本人全員がNoと言えばインド人と中国人とベトナム人がYesと言うだけです。」のくだりのせいで「国際競争のせいで無理しないと全部人件費の安い海外に仕事もっていかれちゃうよ?」と言っている様に勘違いされてしまっているようですね。別に海外に限らず、開発のマネジメントやエンジニアリングを改善し、より少ない工数で仕事しようとしている方々が既にいるじゃないですか。アジャイルとかPMBOKとかなんとか。そういう人たちのやり方が他の企業に真似できないとでも?彼らの努力が結実して他社より安い価格で開発を請け負えば、当然ながらそれに追従する企業は出てきます。そういう競争がただ延々と続き、同時に請けられる価格も開発にかかる時間相応になる、そういうことが元増田の閉塞感なんじゃないですか、そもそも。
それに、それだけじゃない。バズワードを並べてまたそれだけを拾い読みされるのは嫌だけど、Ruby on RailsもSOA/SaaSもEODもグリッドコンピューティングも。君たちが味方だと思っているものは君たちの価値を殺すものでもあるんだ。そういう事に一体どれだけの人が気づいてるんでしょうか?システムを作ることが、凝ったエクセルやパワポを書くのと同じレベルになる日はどんどん近づいています。理想的な情報サービスが提供される世界に、SIerの居場所なんてどこにも無いんじゃないでしょうか?
僕はそんな風に考えて、開発の力を売るのではなく、開発の力を使ってビジネスをしなきゃいけないことを誰かに伝えようとして、結局ほんの僅かの賛同者しか得られずに会社を去りました。当時の僕はずっと一人でオンサイトの仕事を続けていたせいで社内に知り合いが数えるほどしかおらず、またビジネス面での未熟さゆえにプランを具体化するだけの力もありませんでした。多分僕が今と同じ程度に政治的に振舞い協力してくれる仲間を集めることが出来ていれば、きっと会社を去らなくても粘り強く続けられたはずだとは思っていますが、結局まぁ若さってのは短気でもあるってことです。退職届叩き付けた後で役員と大喧嘩する羽目になるとはね。ハハハハハ・・・。
まぁそんな訳で、結局僕が元増田に伝えたかったのは、そんなに絶望的な状況じゃないけど、抜け出すにはちょっとしんどいぜ?ってことなんです。ええ。今もまだ結構しんどいですよ?
http://anond.hatelabo.jp/20070321175721 を書いた増田ですが。http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20070322/1174538914
ただ、物語というのは「敢えて」関わる方を選んで熱くなってしまったほうが断然楽しいと思うんですよ。その様子を見て関わっていない人は「けっ!」って思う人もいるのだと思うけど、ここで強制的に参加させるのはおかしいと思う。すべての人用の万能薬なんてないのだから、ちょいとこの方は他者や作品に期待しすぎじゃないか? さらに言えばそこまでの影響力のある作品の方が怖い。合う人もいれば、合わない人もいる。それを選ぶのは自分っだけなんじゃなかろうか。
「全ての人用の万能薬なんてない」のは知ってるけどそれでも「全ての人用の万能薬」を目指す、というアイロニカルな心の姿勢をクリエイターさんには持っていてほしいなあ、と僕は思うんですが、吉田さんはそうじゃないんですねえ。別に僕にがっかりされても吉田アミさんには関係ないだろうけど、がっかりするなあ、こういう言葉が出てきてしまうのを見ると。
ともあれ、その部分と
そもそも「まなび」自体が他者排除がテーマではなく、他者容認の話しだしなあ。
ではじまるパラグラフを読んで、僕のもやもやの原因はよくわかったので吉田さんにはその点で感謝します。
他者を容認します、でも「他者を容認しない」他者は私たちの目の届かないとこにできるだけいてね、ってことなんだなあ、と。「他者容認」といいながら度量が小さい。
しかし「傷付いた」パフォーマンスうざいなぁ。いや、多分キャラクター的に「傷付いた」と書くからにはパフォーマンスじゃなしに本気で傷付いておられるのだと思うけど、それをいちいち書かれても。「クリエイターも人間だ」というのは正論ですが、別にクリエイターがクリエイターとして扱われる場所で同時に人間扱いされる必要なんてない。クリエイターさんも自分の家族や愛する友人たちの前では存分に「人間」的に振る舞えばいいと思うけど、クリエイターとして発言しているときに「私も人間だから傷付くんですよ」とかいちいち言わんでください。
って、具体例をあげるとなんなんでしょうか。
ロックの歴史なんて、批評その他によって作られた根拠のない虚像の一人歩きとの格闘しかないですよ。ほとんど(ああ、典型的「優越感ゲーム!」と批判されそうなフレーズ。他の書き方を思いつかんから書くけど嫌だなあ。我ながら)。
むしろ、根拠のはっきりした提言が文化を前進させた例を僕は寡聞にして知らんのですが。クリエイターが創作過程で技法をブラッシュアップする作業には、根拠も対案も必要でしょうけど、それは批評だ感想だというのとは違うし。
まあそのへんは枝葉末節だよ。こんなにだらだら反論をオン書きしてるトサカにきたのはこれだよ。
こんなことは多かれ少なかれ社会人なら経験することじゃないか。
だからさー、文化に関する発言を社会人の企画説得スキルと並べんなよ。「創造はどこにでもある」って社会人が自分の仕事に誇りを持つために言うのはありだけど、文化に関わる人間がそんな悲しいこと言うなよー。現実がどうだろうと、そこでこそ嘘をついて欲しいわ。一般的な社会人の基準と芸術の基準は別に動いてます、って言って欲しいわー。途中の話を蒸し返すけど、クリエイターに人間であって欲しくなんてないわー。優しくなんてしたくないわー。
うむ、まあ吉田アミさんと『まなび』がなぜこんなに僕の神経を逆なでするのか、その理由に気がつくことができたという意味ではありがたいお返事でした。重ね重ね吉田アミさんには感謝します。ホントに。皮肉ではなく心の底から。