「ブラッシュ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ブラッシュとは

2015-09-13

D〇Mのニューアプリ案 「いきなり!セックス

エロIT会社、D〇Mの亀ちゃんは、新規事業を欲しがっているそうだから

世の中の出会い系サイトって、なんか「前戯」がメンドクサイ。

男も女も、本音は一刻も早く「ヤリたい!」だけなのに、あからさまにそういうのは「はしたない」ので、

一応は「さみしいから」とか「愛してる」のような体裁を取らなきゃならん。

いきなりセックスしたいのに、不便だ。

そんな前菜は抜きにして、ストレートに『いきなり』しましょうよ。某ステーキチェーンみたいに。

1.希望者は、運転免許証健康保険証のPDFをD〇Mに送信

  クレジットカード番号も送信

  D〇Mは「この人が男性か?女性か?」の性別と、「18歳以上かどうか?」を確認して、会員証を発行

  会員証発行費用は、男性1万円女性千円

2.セックス希望者は、

  ①待ち合わせ場所市町村)②待ち合わせ時間 を登録

  ⇒その場所時間でOKな異性がセックス申込み

  ⇒初期登録側がそれでOKな場合、具体的な待ち合わせ場所喫茶店)と、自分の目印(服装持ち物)を送信

3.『あえて』顔写真とか体形とかは、登録させない

  相手の顔写真とか体形を知ってしまって、「幻滅して、セックスしない」という事態を、回避する為

  「20歳でも45歳でも、イケメンでもブサメンでも、等しくセックスできる場を提供する」という、極めて『公平』なプラットフォームである

4.マッチング成立時には、男性が1,000円クレジットカードから差し引かれ、女性はタダ

  原則当事者間の金銭授受は禁止

  ここは売春の場じゃなく、「男性女性の性欲解消の場」なんだから

5.属性登録として、男性は「パイプカットの有無」、女性は「中出しOKか否か」「生理中か否か」「パイパンか否か」「子作り希望か否か」を登録させる。

  なので、使い方によっては「シングルマザー希望女性向けの、精子提供サービス」も兼ねている

  その他の属性学歴とか年収とか)は、一切登録させない。

目指すは「誰でもセックスできるアプリ」。どうですか亀ちゃん

(あとは増田民ブラッシュアップしてくれ)

このMJとか体つきが日本漫画とだいたい一緒で、インターネットのお陰で画風のナラシが全世界的に起きているのではないかと思ってる。

http://ame-tsu.blogspot.jp/2015/09/blog-post_57.html

そのカウンターとしてペンデルトン・ウォード(Adventure Time)のような簡易な点目とかヌードル・風船のような昔ながらのカートゥーンブラッシュアップした絵柄もムーブメントとして出てきている。日本でも意識的に70〜80年代の絵柄で描こうとしてる人がいるように。デジタルによる線の均一化も一方では起こってるけど。

ところでさらっとMJピーターパーカーの「元妻」って出てきてるけど、時間を巻き戻しただけで「元妻」じゃないのでは…。それよりSpider GwenでグウェンとMJがいっちゃいちゃする百合展開とか出てこねーのかよ。出せよ。Steven Universeでも百合展開出てきただろ。

2015-06-28

ドーモ、増田=サン。ワセイエーゴケーサツです

誤:彼らは戦争忌避するがあまり知識がブラッシュアップされていない。

正:彼らは戦争忌避するがあまり知識がアップデートされていない。

重箱の隅(ニホンゴケーサツです)

誤:戦闘方法のみはない、

正:戦闘方法のみではない、

http://anond.hatelabo.jp/20150628180340

安保法案に多くの憲法学者が反対しているのは、その内容が現行憲法解釈次第では憲法違反になるからという理由なわけだが

(あるいはそれにかこつけて法案内容が気に入らない左翼も混じっているだろうが)

法案に反対する反日マスコミや、そのマスコミ妄言を真に受けてしまった愚かな大学生たちは法案の内容が気に入らないようだ。

さら後者には太平洋戦争戦場を知っている老人まで混じっている。あえて言わせてもらうが彼らは老害である

なぜそう言わなければならないのかというと当時の戦争を頭に思い描いて現代戦争反対を叫ぶからである

現代戦争は70年前のようにジャングルに潜って歩兵がどうこうするようなものではない。戦闘方法のみはない、

戦闘行為の持つ意味、期間、経済面、どれをとっても過去の知識で語れるものではなくなっている。

彼らは戦争忌避するがあまり知識がブラッシュアップされていない。

法案内容に反対する若者の中にも同じような感覚戦争を捉えているのが多い、これは戦争=悪として戦争について考えることを

放棄したがために幼児のような思考しか戦争を捉えられていないからである平和を望み平和を考えるのであれば、

戦争を考えることは避けて通れない、法案反対デモをやっている奴らは本来意味平和がなんたるかさえ理解していないのだ。

安保法案は疑いの余地がなく日本国民及び日本を守るための法案であるが、その自分たちを守るための法案に反対し続ける奴らを

見ていて宿主を殺してしまダメバクテリア連想した。宿主が死ね自分死ぬのに殺してしまダメバクテリアである

2015-06-26

おっさんニート改憲について語るよ

ゲーム提案


こんにちは自分は41歳の鬱病ニートです。一応まだ会社に籍はありますが、風前の灯です。年収は750万ですが、来月の給料は振り込まれないかもしれません。


さて、そんな自分が、有り余る暇と、借りてきた知識と、浅はかな理解を総動員して、以下、改憲について語ってみました。

しかし、しょせん居酒屋政治談義レベルです。あちこちに穴があろうかと思います。偉そうに語りながら自ら政治的活動を取ることは絶対にない、実行する立場で考えていない現実性のなさなど、大嫌いな民主党と同じです。立場の違いによって意見が異なる方も大勢いることでしょう。薬を飲んでいて集中力が持たないので、文章精緻とは言いがたい。

そこで諸賢にゲーム提案したい。

以下の駄文あなた立場で好きにブラッシュアップして、トラバにぶら下げてみてほしい。それぞれの記事ブコメの侃々諤々も楽しみたい。それで、改憲についての理解を深めさせてほしい。


憲法とは

(念のため:「憲法」=「日本国憲法」として書きます


国民基本的人権国際平和基準に、国体国家権力範囲規定したものだと捉えています


改憲憲法解釈について・あるいは護憲としての改憲


 集団的自衛権法整備について、”憲法解釈”で侃々諤々になっています自分も、今の進め方では法案違憲だと考えていますが、そもそもの問題は、憲法を不改常典のごとく扱うことだと思っています


 一般論として、人の作った物はなんであれどこかに不備があり、経年劣化も起こし、時代とともに実情に合わなくなっていきます一神教啓典の民のみなさんが、聖典と実情の辻褄合わせにいかに苦労しているかは、日々ニュースを見ていれば自明です(聖典を人の作った物とする点、信者ではない愚かな人間の考えですので敬虔信者の方々はご容赦ください)。”憲法解釈”もまた、穏健派イスラム法学者クルアーンほかと現代の実情の辻褄合わせに「解釈」を以て臨むことに似ています

 両者に相通ずるのは、「解釈」とは、変えられない記述に対して現状を容認(その程度は議論によってはかられるものの)することを先ず目的とし、換骨奪胎を試み、不都合記述実効性をなくす点です。そのあたりを原典に対する欺瞞(あるいは冒涜)だとして攻撃するのが、イスラムで例えればいわゆる原理主義であり、憲法では護憲派と言われる人たちの一部だと認識しています


 しか憲法は、一神教聖典とは異なります憲法は、自らが国民意思によって改められることを認めています。不改の聖典ではないことを条文の中で表明しています。古びて時代に合わなくなったところは、十分な議論の下で速やかに更新し、実情に合わせて憲法合理性を常に維持する。そのことで「解釈」の余地を減らし、国権制限するという憲法機能のもの実効性を維持する。そのような合理性をもともと憲法は備えています


憲法解釈”による憲法の死文化機能喪失を防ぎ、違憲状態国権発動を防ぐためにこそ、改憲提案とその議論は常に行われるべきです。それが本当の積極的護憲」だと考えますしかし、現在のような、翼賛体制でもない限り超えられないような鉄壁ハードルがあっては、投票国民一人一人の意思の反映)を前提とした議論は起こり得ず、従って適切な更新も為されません。そして現に今、変えられないなら憲法を死文化してしまえとばかりに、相当無理のある”憲法解釈”が強行されようとしています


護憲派のみなさんへ


 あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法機能のものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。


 前者であるなら、上述の通り、改憲積極的に認めるべきです。繰り返しになりますが、改憲憲法の中で保障されている国民権利ひとつです。いかなる思想があろうとも、これを否定することは前者の意味での「護憲」と矛盾すると考えています

 後者であるのなら、その条文の是非を問う投票を通して、国民に白黒はっきりしろと突きつけるべきです。そのための議論の中で、あなたたちの考えを訴えるべきです。条文を護るために改憲手続きのもの否定し、国民投票をさせないというベクトルは、上述の通り自分の目から憲法意志に反すると映るし、主権者たる国民とその権利を軽視するものだと思っています


 さて、そこで提案です。

 “解釈”による憲法無効化を阻むためにも、いまここで、あなた方のサイドから憲法改正を訴えませんか?たとえば、現状の九条から解釈余地を削り、よりあなたがたの望みに沿う条文にするとか。そして、「改正可能にする」という一点で改憲派連携し、”解釈”と対峙しませんか?

 もちろん、改憲派から出させる対案の中には、あなたがたが受け入れることができないものもあるでしょう。しかし、選ぶのは国民です。憲法がそれを保障しています


 同じことの言い換えでしかありませんが、繰り返します。

 後生大事特定の条文だけを護っても、憲法のもの実効性が失われれば無意味です。


改憲派のみなさんへ


 護憲にもいろいろあるように、ひとくくりに「改憲派」といってもいろんな考えがあろうと思いますしかし、条文を改めてまで、なお憲法を維持しようとする一点では、護憲的とも言えます。そこについては、上述の通り、護憲派連携する余地があると思っています


 あなた改憲の後に実現すべきと考えている政策が、今の政権の”解釈”の末にあるものとたとえ一致したとしても、憲法の箍がはめられているか否かの違いは後の世に対して非常に大きなものがあります国権制限する憲法機能喪失している状態を容認してしまえば、いまの政権暴走しなかったとしても(あるいは今の政権なら暴走しても容認できる、とあなたが考えるにしても)、後のあらゆる政権にその選択を許すことになります

 数年前、日本国民民主党政権を選びました。同じように、後の世がどのような政権を選ぶかは分かりません。今のあなたにはとても支持できないような政権が生まれたとして、そこにも等しく暴走余地が残されます暴走する○○党政権(○○にお好みの政党を当ててください)。おそろしい。


 そんな事態を避けるためにも

 政策的に結果オーライではなく、その手続きが法を逸脱することについてはNOを突きつけませんか?数が必要なら、護憲派も引き入れて。


 民主主義とは、すなわち手続きでもあります国民付託を請けた行政のあらゆる意思決定手続きを通して公にされ、それを国民監視することが国民主権の根幹にあります。多少煩わしく、遠回りがあったとしても、それはいわゆる「民主主義コスト」です。この先も日本健全民主主義国家であり続け、国際社会の中で世界に誇れる国であるために必要なことだと思います

2015-06-24

増田日記の初期衝動

抑えきれない沸き起こった感情をそのまま増田日記に書き殴る。投稿。それだけでモヤッとした感情が少し晴れた気がする。これで午後の仕事にも集中できるぜ。

今日も一日おつかれさん。帰宅中にはてなを見てるとさっきの日記ホットエントリー入りしてる! おー、みんな色んなコメント寄せてくれてるし、なんだか嬉しい!でも、よくよく推敲すると誤字脱字はあるし言い回しも良くないな……。よし、ブラッシュアップして、、再投稿だ。


あれ、ブックマークの勢いが止まった?

2015-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20150609130500

XPブラッシュアップしていけばそこそこの利益を上げれたはずのMS暴走したのもAPPLEへの追い風だろう。

しかYosemiteでこけたのは結構痛いとおもうよ。

2015-02-17

副業としてウェブショップ経営して1年

職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。

ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。

たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい

ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。



カラーミーで十分すぎた。

カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。

しかし、現実ショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。

オンライン現実世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。

ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである

これを楽天などで商品検索した場合、あるいは楽天ネットサーフィン()したと考えてみる。

キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。

そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。

そんなショップ跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。

真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。

から、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。

ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。

ただイプシロン、あんたの手数料は高すぎる。

ウェブ上の卸販売は役に立たないし、流行ものや被服は扱わなくて良かった

オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww

流行個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。

均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。

まるで諸行無常激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。

ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。

最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。

から、正直に自分が欲しいと思ったものしか仕入れない。

流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。

服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。

廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。

普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。

輸入品を扱うなら通関だけはしっかりやれ、わりとマジで

すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから

ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。

輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。

消費税関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格計算するのかが異なる)。

稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。

ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局手数料であって税金ではない。

オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。

オークションの利用料と関税率消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。

利益度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。

まり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。

ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます

だって、偽りの輸入申告で脱税しているわけですから

大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。

何をどの時期に輸入しているか郵便局税関接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。

ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます

それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。

個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます

日本人の誠実さ()キャンセル言い訳について

会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。

キャンセル理由第一位は「入院病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である

多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。

きっと、このような理由休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。

それくらい、使い古されてカビ臭いいいわけなのである

本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったかキャンセルという理由根拠が分からない。

転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。

要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。

これを本音と建前という日本人文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。

「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。

いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである

そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。

それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。

あと、お客様神様だけど貧乏神もいる。

追記(2015.02.17)

1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。

学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章統一が取れていませんね。

自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります

貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。

さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます

追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています

副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語習得して、クメール語も覚えました。

これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。

それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語勉強しました。

というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらから借用語が多い言葉です。

ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。

名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!

…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉ルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています

率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。

実に恵まれていると思っています副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています

というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます

「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます

しかし、その経験が職場於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています

通関業者税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。

ですが、通関業者収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。

それがドレージ費であったり、税関検査費であったりまます

(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)

相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります

そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当費用か否かが判断の一助となります

というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろ上司から言われます。(もちろん任意)


  • 自分の方法が全てではない

というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。

ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。

ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています

ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています

現在ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります

しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。

続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)

それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。

「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。

これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。


これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。

しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います

密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。

オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています

実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。

もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。

しかし、購入者一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。

例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから

ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化形成されるのかもしれませんね。

本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。

いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。

これは例外なく私にもあてはまり私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。

深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります

そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります

その時のショップの対応は素晴らしかったですね。

そして、自分がその立場になってみて「はいはいたか」と思いながら、受注キャンセルボタンポチりしているわけです。

相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。

この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます

舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議感覚です。

忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセル!!!

いらなくなったから、受け取り拒否ってどうなの?

あれだけは本当にやっちゃならん。

マジでこちらは一方的に損失しかでない。


  • 「誠実で真面目な日本人」について

なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。

これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。

これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。

また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。

しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います

というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているかであると思うのです。

私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。

そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます

反論として提出されるであろう統計的データを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。

私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータコミュニケーションをしていないのです。

そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。

なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。

自分の脳内補正をかけて書いた典型的な悪い文章でした。

しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。

Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。

私にはそれが足りないため、宴会場にいるやさぐれた酒飲みの説教みたいなものとなってしまいました(ブコメ回収2つめ)。

ということで、仕事から帰って、今日の分の出荷も記帳も終わったので長々と追記を書いてみました。

2014-11-28

自分が今いかに死にたいかを書く

どうにも自分はつまらない仕事をしていると死にたくなるらしい。

今、猛烈に死にたい

面白い仕事もつまらない仕事を付け足してブラッシュアップしなきゃ話にならないわけだけど。

そのブラッシュアップ部分に手を付けると死にたくなる。

もう死にたい

消えてなくなりたい。

これってなんかの精神病なのかもしれんね。

2014-11-18

人の気持ちなんて全然わかってなかった

あーへこんだ。

いつも他人他人愚痴をこぼしているのを目の当たりにて

"まぁそれなりの理由があるんだよ。人の気持ちをわかってあげなよ"

って思いながら本当は見下していたんだ。

会社組織変更が予定されている、それが対象組織の人には

プライベート結構な影響が出るものだった。その説明を任された。

私自身も「大変だろう」とは思った。想像した。

でもやらなければ会社はゆるやかに下降線をたどることは

目に見えていた。

から、どうしてもやる必要があった。大変なことは理解した上で

から大変だけどわかってもらえるようにとても丁寧に

かつ明快で、角の立たない案を考えて説明を用意した。

外部の意見もとりいれたし、そのプロジェクトメンバーでも

何回もブラッシュアップした。

そして説明する日になった。

「ここまでやったらわかってくれるだろう」

結果。想像を超える反発があった。

いくら会社沈没に向かっていくかもしれないとは言っても

人にはそれぞれ生活があるのだ(もっと会社があっての生活かもしれないが)。

プライベートはだれでも大事だ。大事にしたい。私は何も言えなかった。

何も言えないどころか冷静さを失いかけてた私は

「え、だってこのままじゃダメなんだよ」という

ただの理屈だけで反発しそうになった。でも代わりに他のメンバー

気持ちを汲み取った説明でフォローしてくれた。危なかった。

果たして自分は本当に人の気持ちを理解していただろうか。

いや、してない。想像はした。想像をして大変だとは思った。

でも自分には基本的に影響はない。だから想像しただけで理解していない。

説明を聞いた人たちも現実はわかっているのだろう。

それでいて、気持ちの部分を語っているのは私の説明の仕方に

どうしても理解がなかったからこその高慢さや軽薄さが出ていた部分があったのだろう。

「おれは人の気持をわかってる」というのは思い込みだった。

どうしたら人の気持ちってわかるんだろう。

2014-09-08

高校3年も必要ある?

受験勉強とか言って1年間も潰す意味はあるのか。

人によってはさらに1年。

学校方針にもよるだろうけど、高2までに粗方の勉強は終わってるわけでしょ。

高3のときテクニック的なもの勉強するのって必要なのかな。

ブラッシュアップさせる期間長すぎでしょ。

部活もそんな長い期間やってる必要ないし。

教科書と補助教材さえ身に付ければそれ以上のものなんて要らないと思うんだ。

私は東大京大みたいなすごい大学に行ったわけではないけれど、自分高校2年終了時の学力には満足してる。

高3のときはお受験関係ないことをやっていたから、そういう意味での学力ほとんど伸びなかった。

大学でもやっていけたんじゃないかな。

飛び級があればよかったのに。

2014-07-19

2014/07/19昨日を踏まえて生きる。

昨日から増田を始めてみたが、17ブクマがついて驚いている。

2014/07/18実家での新生活について。

ただの日記だが、心理学者河合隼雄氏が言うように「抽象的な研究成果より、個別の事例報告の方が面白いし役立つ。」のかもしれない。

しかあくまでも自分のために書いているので、読みにくい点については申し訳ないです。

さて、今日10時頃起きた。

昨日よりも1時間早い。

しか今日は温めたご飯の塊が大きかったため、お茶漬けを食べるのに1時間以上かかった。

我ながら、この食の遅さにはガッカリする。

その後、外を散歩

今日は曇っていたが、さすがに正午になるので少し汗ばむ。

20分も歩くと、随分と頭がハッキリしてくる。

そしてその頭で、「今日テーマ」を探す。

20代の頃は、よく「今日テーマ」なるものを設定して生きていた。

毎日実験のようなものだった。

最近は忘れていたが、試しに復活させてみようかと思った。

そんなことを考えていると、ひとつテーマが浮かんできた。

「昨日を踏まえて生きる。」

まり、昨日の生き方さらブラッシュアップして生きてみるということだ。

なるほど、今日はそんな感じのことを思いながら生きてみようか。

そのままコンビニに寄り、アップロードしておいたWiMAXのお試し申込書を印刷する。

帰ってからそれを記入し、再度コンビニに行きポストへ投函した。

早ければ来週火曜日くらいから使えるだろうか?

そして昨日と同じくアイスコーヒーを飲みながら電子書籍を読む。

iPhoneアプリKindleは、手軽なのは良いがちょっと目がつかれる。

ちょうどKindleペーパーホワイトのお試しキャンペーンがやっているので、アマゾンさんから借りてみようか。

雑事をこなしているうちに夕方となり、天気も崩れてきた。

実家の犬を散歩へと連れ出す。

15分位で、急に土砂降りになった。

なんとか糞だけさせて、全身びしょ濡れになって帰ってくる。

日本の夏だな、と感じた。

その後、不安感が去来したのでCBDオイルを摂取した。

不安感が和らいだのは良いが、マッタリしたまま時間が過ぎてしまった。

まり日中摂取しないほうが良いのかもしれない。

夕食のあと、真っ暗になった外を歩きながら友人と電話をする。

自分の話を聞いてくれる人がいるのはありがたい、と思った。

明日は、雑事でなく仕事をもう少しやろうと思った。

そのために近所でWi-Fiが使えるところを探してみよう。

2014-05-25

他人の話に興味を持つ方法

自分はこれまで他人の話に興味を持てないことが多かったのだが、

多少なりとも興味を持って他人の話を聞く方法に気づいたのでメモ

自分がその話を他の人にするつもりで聞く」

これ。

自分が他人に話すつもりで聞いていると、

自分がどういう話をしようとしているか把握しておきたい→人物・時・場所・行動等への注意

この辺りもっと詳しく話したい→この辺りをもっと詳しく知りたいという欲求

何か1つ2つネタも挟みたい→個別の周辺エピソードへの興味

みたいな具合で、それなりに興味を持って話を聞くことができる。

気づいたばかりでまだ全然洗練されてないが、

ブラッシュアップしていけば有用技術になりそうな気がしている。

2014-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20140511142119

その最善を尽くしたか、ってのが、すごく判定難しくない?

っていうか真の意味で最善を尽くしたと言える事なんてあるの? って思っちゃう

例えば、仕事で頑張ったけどうまく行かなかった場合。それって私の努力不足が原因じゃないとは、誰にも断言できないよね。

私がもう少し話し上手だったら、或いは私がもう少し広い知識を持っていたら、私の性格がもう少し良かったら、何とかなったかもしれない。

その時点までにちゃんと自分ブラッシュアップしてなかったからいけなかったんだ、って言う事はできちゃうよね。

それを反省点と考えて、よりブラッシュアップに励めばいいのかもしれない。

でも、ブラッシュアップに上限はないから、結局永遠に私の努力不足が続くだけで、最善を尽くしたと言える日なんて来ないんじゃないの。って思っちゃうんだよ。

我ながら「そんなん知るか」って感じですね。すみません

2014-05-04

Web系の開発現場に、SI的系で開発してきた業務委託の人が来た場合どうしよう

人をdisってもいけないなぁと思い、体系的?に考える努力をしてみた。

SIの激燃案件場合(一応実体験)

独立系SIer「急遽N人月の開発と検証が欲しいだと…検証はだれでもいいから人がほしいだと…? 美味しい案件じゃねーか…」

  • 共倒れはしたくないので、無理な仕事は請けないようにがむばる。
  • 仕事をなるべく受けないようなマネージャーを配置する、お客さんとの打ち合わせでも理不尽仕事を請けない負けない強い心を持っている人。(技術はそんな出来ない、声はでかい、人を詰めるのはうまい、怒鳴ってるだけだけど、詰められすぎて気分悪くなってしゃがみ込んじゃった人がいるぐらい)
  • 初期から配置、初めは結合試験
  • がむばる。

何がいいたいかわからなくなってきた!!あ、思い出した。

  • なんか人の入れ替え多かったけどなんだかんだ長いこと続いて、気づいたら初期から要るのは僕達だけになる
  • なぜか自分もお客さんの打合せに行くことになる
  • 勝手にできるとか言うと激詰めされる(まぁ当たり前だけど)
  • 資料するら作ると勝手につくってんじゃねーと怒られる(まぁこの資料の根拠は?となった時協力会社の子が作ってますとなるとカオスだし。)

裁量がなかったっていうのもあるけど、多分SIer仕事をするとこういう感じになるのが普通なはず。とにかく自分で物事を決めてはいけない。決めさせないような働きかけをさせられる。そんな現場の偉い人は出来ない理由を説明するのがうまかったり、声が大きかったりするのでその人について仕事する人は自然とそういう人になる可能性が高い気がする。

一応その後は

  • 一応プロパーの人にその資料あげる
  • 話が全く進まないのでこの資料ブラッシュアップして使うことになる
  • 案件その1start
  • 立ち上がりはプロパーの人と一緒。その後はその人他の所も見ることになったので、徐々にお客さんの電話自分のところに来るようになる。激詰めが好きなマネジャには報告はしつつ進める。
  • 一旦この案件その1終了っ

という感じで終わったので動き方は間違っていなかったはず。その後もデータセンターLinux入れに行ったりミドルウェアエラー起こしたら直してみたり、開発側でバージョンアップがあったら対応入れたりとかで頑張って試験から逃げてた。

#同期何してんのかな〜

対してweb系(多分)

何がいいたいか全然からない!別に燃えているわけでもなくて、無理な事を言われているわけでもない現場で、炎上SIer的進め方をする必要って意味がなさすぎる気がするんです。SIerでも基本設計→実装までやってた先輩(?)とかはどうせ自分が実装する案件だったら機能設計、詳細設計とかある程度は適当に作るよ。おれは設計期間は早く帰る、あんまり良くないことかもしれないけどw やらないとわからない部分はやっぱりあるし。外部に投げるときはちゃんと作るけど。って言ってたし。

要件定義機能設計、詳細設計、実装という手順を踏みたいっぽい。オレはいらないと思っている。

ざっくりと決めてwikiなどに残す→実装→フィードバック→実装→終わり。次の案件に着手。これでいいかなーと。

問題定義ばかりして自分は手を付けない、折り合いを自分で付けられず偉い人に仰ごうとする。Web現場の偉い人ってだれ・・?

一応体制あなたの偉い人は自分になるんですけど。

仕様を決めてくれる人はいない、そういう案件なんだけど。自分で決めていいんだよ?を誰もがが望んでいるわけではなかった。

自分で決めて実装していいと上からは言われているんですけど。

自分を飛び越えて(一応)お客さんだったりおれの上の人(役員になってしまう)に、SI的やり方が出来ずに相談アラートをあげるんだったら、体制的には十分に勝手な行動をしているといえるので、もう終わりにしますか〜

あんまり指示出せなくてごめんなー、お前歯向かってくるからから好きにやらせてみるかと思ったら、あんまりいい方向に進みそうに思えなかった。

一緒に決めていこうねっ、という接し方はあなた不安にさせて、あなた調子に乗らせてしまうやり方だったことに今気づいたぜ!

SI案件に戻ってくれ。SIのやり方は求めていない。それだけでも終わりにする理由は十分なのかもしれない。

業務委託の人の接し方ってわからないなー

自分の部下ではないないという認識なんだけど。

業務委託の人をマネジメントしないといけないなんて、おれの工数がかかってしまうので要らないんだが。

2014-04-22

容姿面白さの話

かわいい子の話は面白くなくて、ブスの話は面白いという話をよく聞く。

かわいい子は面白かろうが面白くなかろうが男がチヤホヤしてくれるので話を面白くする必要が無くて、

ブスはブス友と盛り上がるうちに会話がブラッシュアップされて面白くなっていくのだろう。

かわいい子にはかわいい子の生きづらさ(男が顔しか見てくれないとか、年取ったらお終いとか)があるのだろうし、

ブスにはブスの生きづらさ(いじめとか就職差別とか)があるのだろうと思う。

ただ、なんていうの。一長一短っていうの?それぞれに生きる道があるわけじゃない。

かわいい子は男に囲まれ。ブスはブスに囲まれネタクラスタ化し。

なのに男の格差はつらいな。イケメンほど会話の機会に恵まれてこなれていく生のスパイラルに入り、

ブサメンほど会話の機会に恵まれず「知識がコア過ぎてオタク同士でしか会話できない」あるいは

「人に苦手意識ありすぎて男相手ですらキョドる」状態になっていく。

イケメンが勝ちすぎなのよ。かわいい女の子が「面白くない」「ババアになる運命」という負の要素を抱えているのに比べて、

イケメンがどうにも有利すぎるのよ。全方位的勝利。

それがなんか納得いかないっていうか…。納得いこうがいくまいが現実は何も変わらないんだけど。

モヤモヤするんだよ…。

2014-04-06

メリットデメリット分析落とし穴

日本では物事をメリットデメリットの両面から考えることを子供の頃から教わらず、教科書などには公正さを期するため物事の良い点悪い点の両方が書かれていることがあるとはいえ、そうした両面的な考え方が身についている子供が多いとは言いがたい。受験勉強にしたって勉強内容の公正さに対して疑問を持つことなく丸暗記に近い勉強ばかりしている有様である

これが社会に出ると丸覚えは機械的作業を行うだけの底辺労働者しか通用せず、高い結果を出すには学習内容の公正さを疑う視点が求められてくる。ここに至ってメリットだけでなくデメリットも考えねばならないことをようやく教わるのである。曰く、おいしい話には裏がある。「これはいける!」という新しい策を導入する時にはちゃんと悪影響の可能性も考えましょう。物事の悪い部分ばかり見て手を拱いていてはいけませんぞ、などなど。

一方、欧米では子供の頃から学校ディベートやライティングをしっかり教わり公正な思考力を鍛えられるし、家庭でも社会の暗部を見せられさまざまな視点からライフプランを考えるように促されることが多いというのは、アメリカかぶれの評論家が口を揃える有名な話であるディベートでは政策(やそれに類するもの)に対して賛成と否定の両派に分かれて激論が酌み交わされる、いや取り交わされる。本心は賛成派でも否定派のチームに入れられることやその逆のパターンも多い。こうして賛成にも否定にも回れるような柔軟で両面的な思考法が身につく。さら1980年あたりから欧米では多民族国家であることや同性愛問題の表面化などを背景にdiversity(多様性)を尊重する思潮が強まり民族や性や思想多様性学校でも明確に教わるようになった。最近Mozilla CEO性差別的法案を支援して問題になった件で「Mozilla Statement on Diversity」という声明を出したのは記憶に新しい。このように物事の両面性・多面性を重視する風潮・思考法になっている。

ttps://blog.mozilla.org/press/2014/03/mozilla-statement-on-diversity/

日本人の多くは社会に出ると「国際社会だし欧米のように多面的思考をしないといけない」と耳が痛いほど聞かされ、その一環としてメリットデメリットを考えることが大切なんだなと学び成長していくわけである。そしてメリットデメリットさえ考えてれば多面的思考法が出来ていると勘違いしてあぐらをかいている人も多い。

しかし、メリットデメリット分析には根本的な落とし穴がある。

1つには可変性である。例えば、自社の管理システムに新製品を導入する時には導入するメリットデメリットを考えてメリットが大きいと判断されれば導入するという単純な思考プロセスで問題ない場合もあるが、新しい人材を取り込む時には必ず成長性を考える必要がある。ある分野が得意だからってさらに伸びるとは限らないし、ある分野が苦手だからって苦手克服できないとも限らない。人材ならまだ分かりやすいが、管理システム場合はどうか?システム時代とともに適応していけるような柔軟性を備えているか、また経験にしたがってブラッシュアップしていけるような成長性を備えているか。そうした可変性も加味しなければならない場合が多い。

子育て学校教育においても、長所を伸ばすという聞こえのいい古い考え方が未だに蔓延しているが本当にもっと伸びるのかと言いたくなる。得意分野だと成功体験を積みやすい?いやいやそれは他人と比べるからで、比べなければ得意で伸びにくいものより苦手でも伸びやすもののほうが伸びしろがあるため成功体験を積みやすいのは明らかだろう。大切なのは成長の楽しさが得られるかどうかであって、得意なものをやるよう押し付けることではない。そのためには得意でもどれが伸びてどれが伸びないのか、苦手でも伸びるものがあるのではないか、伸びるとしてどれくらい伸びるのか、といった一段階緻密な検討を経て合理的に判断をしないといけない。なんでもかんでも得意分野を持て囃すような風潮はもう終わりにしよう。

これまで見てきたように良い所と悪い所だけ見て両面的に考えてるぞとドヤ顔する風潮は打ち破られるべき悪しき因習と言える。逆に言えばこれからの熾烈を極める国際社会競争においてきちんと可変性を加味した多面思考ができる人間けが生き残るとも言える。

メリットデメリット分析の2つ目の落とし穴もっと根本的なもので、定性分析であるである分析名前がついているから数理的な分析だと勘違いやすいがそうではない。多くの場合メリットデメリット分析定性的分析、つまり物事の良し悪しに関わる性質を列挙しているに過ぎない。だからメリットデメリットを量的に比較するのは難しく、比較できたとしてもそれはこじつけになりがちで、結局「メリットのほうが多い」「デメリットのほうが多い」といういい加減な形で分析結果を利用されてしまやすい。たまたまメリットのほうが多く思いついただけかもしれないし、数え方の問題で多いだけかもしれないし、数が多いだけで重要度の低い項目だらけかもしれないのに。

実はこれは、賛成派(メリット)と否定派(デメリット)が戦う競技ディベートにおいてもしばしば問題となる点であるディベート勝敗ディベート経験のある審判理屈をつけて決めているに過ぎない。論拠の数が多いから説得力があったとか、質問されて答えに窮したか説得力がなかったとか、おおよそ論理とは無関係価値判断で決まることが多いのだ。

ディベートだけでなく2ch信者VSアンチの論争にも言えることである。それが偏った事実の寄せ集めであるかどうかにはお構いなくとにかく論拠の数を沢山用意しておき、次々と論拠を提示しては主張を繰り返して圧倒し、反論・質問された時にも用意した論拠で即レスするようにすれば、たいていスレの風潮を支配できるという、あの荒らしまがいのやり口を思い出してほしい。この手の荒らしが手強いのは殆ど場合において定量的擁護または叩きを行うためのデータ存在しないか少ないからだ。そんな時は膨大な定性データ粘着的な調査力で収集して印象操作で圧倒するのが比較的容易である

2014-03-04

ちきりんに賛成

ある大学教員から見た理科教育の現状

ちきりん氏のお粗末な科学教育

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659

が話題になっているようです。書いてあることそのものには賛成ですが、だからといって、ちきりんのいうことに意味がないとは思えません。

最初自己紹介

私は某地方都市高校教員理科)をしている理学部院卒。

http://anond.hatelabo.jp/20140301180216

院卒で地方都市高校というと、トップクラス高校で教えてるんじゃないでしょうか?自分理系院卒です。他の院生高校教育に関わったとしても、トップクラスの塾・高校で教えている人間が多かったのですが、自分は、普通高校に通えない生徒が通う通信制高校サポート校スタッフなどをしていました。現在文系理系ともにある中堅総合大学教員をしながら、研究プロジェクト高校教育現場にも顔を出しています(ただし、教育のものは専門ではありません)。偏差値で言うと学部によって50を超えるところと下回るところがある程度です。その世代高校卒業者の平均に近いのではないかと思います

その立場から言わせてもらうと、「ちきりんの言っていることには、たしかに間違いが含まれていて、突っ込みたくなる気持ちは分かるが、全体としてはちきりんに賛成」です。

今の高校理科教育ははっきり言って機能していなません。大学理系の授業で、必須科目、「理科総合A」の内容を前提にすることはできません。中学理科もかなり微妙ですが、キーワードくらいなら覚えていることが多いです。授業なんか聞いてないか、聞いていても覚えていない。自分高校教育課程を把握しているので「この内容は、高校必須なんだけど、覚えているかな?」などと良く振るのですが、「え?なにそれ、名前すら覚えていない」という反応が多いです。彼らは、教えれば少なくともその場では理解できて、小テストに正しい答えを書く程度の理解力を持っているし、受験で使った科目や、中学理科の内容であれば、覚えていることが多いです。だけど、高校の授業について全く覚えていない。おそらく聞いていないか、かりに聞いていたとしても、小学校中学校理科の比べてずっと定着率が低いようなのです。

技術立国のために科学教育大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。

ただし、理科教育といっても、物理生物は大きく違うし、物理の中の分野でも「この分野は得意だけど、他は興味ない」という人もいるだろうから、「生物だけは特進クラスで学ぶ」みたいに細かく分野で分ければいいと思います

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225

そういう現状から言うと、ちきりんの上の意見には賛成するしかありません。たしかに、そうではない「理想理科教育」を語るの自由です。でも、文句あるなら、そうじゃないような理科教育を実現してから言えよ。現状の理科教育では、ちきりんの言うことを受け入れるしかないじゃん。っていうのが、自分意見です。

興味関心の持たせ方という問題

残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要科学知識」を教えてほしいです。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225

そこで批判されていた上の部分ですが。たしかに、批判する意見もっともで、それに対しては何一つ再反論するつもりはありません。つまり、「生活するために必要科学知識」と理論教育矛盾するものではないという反論には全面的に賛成です。何より、自分大学でやっている授業の大部分(1、2年次の基礎教育関係するもの)は、まさに、「生活するために必要科学知識」としての理論科学を教えるものであり、自分もそれを実践しているという自負があります

でも、ちきりんの上の文章にはものすごくうなずいてしまます命題としての正しさとは関係なく、「そのように多くの人が考えてしまうような現状がある」と思うからです。

自分の授業では、しゃべっていて、反応が悪いと、その場で別の資料を出してきて、良い反応が返ってくるまで、同じ内容を繰り返し説明し続けますカリキュラムを大幅に変更することも珍しくありません。それこそ、ちきりんが例に出したような日常の話、ニュース、芸能・・・話の引き出しをいろいろ引き出しとして持っていて、興味をもたせられるように話すわけです。ライブパフォーマンスとして授業をするように心がけています。だけど、自分学生とき感覚で言うと、きちんと学生の反応を見ている先生とそうじゃない先生は半々くらいかなというきがします。そして、多くの人は同意してくれると思いますが、実際問題大部分の授業は受ける側に立ってみるとつまらないです。自分だっていろいろ努力はしていますが、つまらないと思っている学生もいると思います

科学教育に関して言うと、「聞き手の興味を持たせる」ことは、「生活するために必要科学知識」を教えることとかなり一致します。しかし、これは一筋縄はいかない難しいことだし、今の日本教員には、これが得意ではない人間が多いというのは、紛うことがなき現実ではないかと思います。この現状で、

今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要科学知識」を教えてほしいです。

って言うのは当然の反応です。

自分はこれとほぼ同じことを塾の生徒、高校の生徒、大学学生・・・に何度も言われました。なので、これはちきりん特殊意見として見るのではなく、学生・生徒たちの率直な意見として受け止めてほしいというのが、科学教育に携わってきた自分からの切実なお願いします。

もちろん、だからといって、「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)」を教える必要はありません。今教えている内容を、「生活するために必要科学知識」でもあることを強調するする形に変えるべきということです。これは、科学教育に携わる人間が常に取り組んでいかないといけない課題です。そして、これは今まで自分教員としてやってきたことだし、ちきりんに対して反論していたバッタさんの意見とも一致すると思います

議論の仕方の問題

他の人も言っていましたが、自分ちきりん意見とそれに対する反論を見ていて、「これはないな」と思いました。議論が噛み合っていない。ブログに書いたことに、論理上の粗があるのは当然です。そういったことについては、作者にメールするなり、コメントするなり、あるいは別エントリーを立てるなりして、ブラッシュアップしていけば良いことです。こういうのは、普通社会人、あるいは研究者なら普段、仕事上行っていることと同じだと思います。でも、ネットだと「議論をより良いものにするために意見を言う」ということができない人が多い。

科学を愛する者、科学に生涯を捧げた者が古今東西多数いることを知らないわけでもなかろうに、科学に対する冒涜と取られかねないような表現を用いるのは、売文屋、自己啓発屋として作戦ミスだと思います。いわゆる「炎上商法」「釣り」のつもりなのかも知れませんが。

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659

アクセスを稼ぐためなのか、小さな問題でも、相手の議論の全部を否定したり、場合によっては、人格まで否定するようなことを書く人が多いです。そして、そのために、ネット上の議論の多くが、無駄ものになってしまっていることは、大変残念なことだと思います

「また、あいつか、叩いてやろう」と思ってエントリーを書いたときは、「もしかして、このエントリーネットの言論空間ダメにしているかもしれない」ということに想像力を働かせてもらえると幸いです。

2014-02-24

まつたけさんのブログについて思ったこと

 

Twitterメンヘラ神が死んだ件について思ったこと

http://matsutake.hatenablog.jp/entry/Twitter%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%A9%E7%A5%9E%E3%81%8C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BB%B6

メンヘラは救えない」とか言う奴

http://matsutake.hatenablog.jp/entry/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%A9%E3%81%AF%E6%95%91%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%8B%E8%A8%80%E3%81%86%E5%A5%B4

 

きっと本当は寂しくてしかたがなくて、誰かの好意を餌食にしてやりたいとか、傷つけてやりたいとか、泣かせてやりたいとか、そんなドス黒いことばっかり欲しているくせに、誰かを傷つけたり泣かせたりできることで自分にも価値があることを確認したいくせに、「もうそういうのはやめたんだ」みたいな面をして生きていくことに腐心している。

すげー正直ー!と好感を持った。

男相手には母性を、女相手には父性を演出し、相手を子供に戻して主役にして話を聞いて理解者を気取り、相手が私で寂しさを埋めることに依存し始めたら飽きて、興味の対象は別のカモに移る。新しいカモ相手にまた理解者を気取りつつ、飽きられて傷ついている旧カモを遠目に観察して楽しむ。これを繰り返してきたので非常に共感した。ただ「私は人を傷つける能力がある!」ということを繰り返し確認したいだけだった。給与明細を見て「私はこれだけの収入を得るだけの職能がある!」という確認をするのと同じ。最後の方は「元々メンヘラではなかった人をどれだけメンヘラ化させ、どれだけ深く傷つけることができるか?」という能力ブラッシュアップの方向に突き進んでいた。一見健常な人にも"小さなメンヘラの芽"的な部分はあったりするので、それを見つけて育てた上で放りだす。

 

メンタル不安定な人の弱さに浸けこんでセックスしたり、さんざんメンヘラの人を食い物にしておきながら後で関係がこじれて面倒になってから手のひら返したように「これだからメンヘラはこわい」とか言う男は死ねばいい。

これ、まつたけさん、やれるよね能力的には。「僕はやれるのにやらないであげているんだ!」っていう驕りがあるから腹が立つんじゃないの?

 

から別にはじめからこっちのほうでなにも期待してないし望んでないし、むしろもっと言えば多分メンヘラの人たちのほうでそういう人たちにはわざわざよけいな口出しをしてきたり大きなお世話を焼かれたくないと望んでいる人って多いと思うから、変に「どれ、このしょうがないクズ共を俺様が救ってやろう」なんてクソ迷惑しかない「善意」や「慈悲心」など起こされず、最初からおとなしく関わったりしなければもっと平和人生が(お互いに)送れると思いますよ。

期待してるし望んでるくせに…。より上手く隠蔽する方向に進んでいる限り、カモにする・される関係から一生抜け出せないと思うよ。根治は不可能だと考えるのはそう思いたいだけ。カモにする感覚、優位に立つ感覚、「僕はやれるのにやらないであげているんだ!」の気持ちよさを手放したくないだけ。

2014-02-19

上手く書く為に、文章を書くこととブラッシュアップすることを分割する、そして習慣づける。

上手く書こうと思う為の推敲時間がかかるし、

ある種、想像を文章に落とすという作業とはまた別の作業だ。

先ずは文章を形にする習慣をつける。

それが先決だ。

脳内にある文章をとにかく形にして文章化する。

上手く書くのはその次だと思う。

・わかりやすくする

・興味が引かれる書き方にする

書いた文章を眺めながら、

この2つの視点で文章をブラッシュアップすることで、

上手い書き方が身につく。

先ず書くこと

そして、ブラッシュアップする事。

ブラッシュアップを繰り返すと、

最初ステップを行う際の質が向上してくる。

上手く書くにはとにかくこの2ステップの習慣化が必要だ。

2014-01-31

日常的に嘘をつかないとフツーに世渡りもできないのがツラい

29歳男 中堅企業の営業職。社会人になってもうすぐ8年目。

お客様からも評判は悪くなく、良いお付き合いができていると思う。

成果もそれなりに上げてきたし、部内での表彰もされたこともあった。

会社上司からはそれに見合った評価をされてると思うし、同期の中でも出世は早めな方だった。

ささやかながら肩書きもつけてもらえたし、新人教育担当もやっている。

一見順風満帆に見える僕だが、日常的に大きな嘘をつき続けている。

僕は本当は同性愛者だが、異性愛者だと偽っているのだ。

ちなみに同性愛である事を隠していると、嘘をつかなければいけない場面がそこら中にある。

「付き合ってる人いるの?」→「いますよ(男だけどな)」

「どういう子がタイプ?」→「元気で家庭的な子ですかね(男だけどな)」

彼女芸能人で言うと誰似?」→「うーん、芸能人では似てる人はいないですかね(佐々木健介似だとはさすがに言えない)」

彼女のこと何て読んでるの?」→「陽子って呼んでます(本当は陽介です)」

結婚しないの?」→「うーん、まだですかね(今の日本ではしばらくできねぇだろ)」

子どもとか欲しくないの?」→「こればかりは授かりものですからね(純粋に愛し合う人との子どもは作れないし)」

「(ちょっとしたノリで)わー、あいホモかよー」→「ははは…(あいつはどう見てもノンケだろ。むしろ僕がホンモノのホモですし)」

「(会社の付き合いで)風俗行こうぜー」→「…はい(一緒に行くけど風俗嬢には「彼女がうるさくて…」と言ってマッサージをしてもらう)」

挙げたのはほんの一例に過ぎず、かなり多くの嘘をつかないと辻褄が合わない。

感覚値としては、普通に生活をしているだけで大小合わせて1日2~3回ぐらい嘘をついているだろう。

ただ、他の仲間と同じようにフツーに世渡りをしていくためだけに、

頭の中で興味のない異性の恋人像を描きながら、詳細且つ現実的キャラクター設定を行っているのだ。

そして、仕事生活における一挙手一投足に設定の世界を照らし合わせて話している。

正直、これが苦痛しょうがない。

もちろん、プライベートを完全に隠すこともできるだろうし、

一方で正直にカミングアウトすることも手段としてはあるだろう。

しかし、そのどちらかを選択した場合、他の仲間と同じような世渡りができるのだろうか。

同じように仕事を頑張ったとしても、「付き合いが悪い奴」か「ちょっと変わってる奴」としか思われないであろう。

さらにも30歳を超える頃にはまた"続編"を考えなければならないのだ。

今、僕が考えている設定はこうだ。

彼女仕事が大好き。家庭に入るなんて全く考えていない。

お互いの両親もそんなにうるさくないし、孫はお互いの兄弟に任せている。

気ままに暮らしながら、つかず離れず、お互いを尊重し合いながら生きて行く。」

みたいな設定。

おそらく僕たち同性愛者は、こういう設定作りを日々ブラッシュアップしていかなければならない。

不毛すぎる。

でも、こんな事を考えないとフツーの世渡りすらできないのだ。

から見れば常に俳優ごっこをやって、別の人生を生きているみたいで楽しく見えるかもしれないが、

人格を日々の生活から使い分けなければならず、

さらにそこでの演じ分けにおいて、決して失敗が許されないのは、かなり精神にしんどい。

こんな不毛なことを考えない日は来るのだろうか。

いや、僕らが生きている間には来ないだろうな。

そんな事を考えながら、また今日恋人を"彼女"と称しフィクションを語る。

2013-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20130814141234

たぶん増田自分を否定されるのが怖いんだと思う。特に自分が認めている相手から自分を否定されるのが嫌というタイプ

だってそうと言えばそうなのだけど、増田が望むような仲間を作りたければ、相手にもある程度素の自分を見せなければならない。

切れてもいいようなたくさんの人間関係の中で、互いにちょっとずつ自分を出して受け入れたり受け入れられたり、拒絶したり拒絶されたり

そうやってブラッシュアップしていって残った関係が仲間なのでは。

人間関係希薄なのに仲間だけほしいというのは、過程はめんどうだけど最高の結果だけほしいというわがまましかない。

2013-08-10

純粋培養高学歴社会というカルチャー

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

  溝、ねぇ。

  ある。あるよ絶対。ない訳がない。

  自分はかなり高学歴だけど、若い頃に大病して「純粋培養高学歴社会」にいられなかった。

これも自分人生やむなし、と受け止めてその後10数年いろんな場所社会人やってきたけど、最近やっぱり高学歴者のみで構成されてる世界に戻りたいなーとよく思う。

  どっちが上か下かじゃなくて、単純に常識感覚社会通念や…が違うんだよね。カルチャーが違う。

それって、かなりしんどい

  常に「自分の皮膚感覚自然な考え方が間違ってる可能性」を検証しながら、波風立たないように人間関係つくって維持するのって、ものすごく疲れる。

すっごい神経使ってやるんだけど、それでも何かの拍子に「は???」と思うようなポイントでキレられたりして、でも相手は相手のカルチャーでの常識が一枚岩の正義だと思ってるから「何か分からんが、また自分の知らない/見えてないナニカが相手(の常識)に沿わんかったらしい…」と落ち込んだ後、分析して取り込んで、次回から検証に組み込む。

そうやってまたブラッシュアップしてやるんだけど、いくらやっても疲労の程には満足や充実は得られないんだよなぁ。

  自分性格が悪いのかといっつも思ってたけど、ところが自分と同等の学歴(そして、元増田の書いてるような「そこに行かせてもらえ得る環境」)の人と触れ合うと、楽な上にものすごく充実して、その上普通に人間関係がつくれる。

自分普通に自然に考え付くだけの配慮の中で、何も問題なく普通にスムーズに流れて、その上感覚や考えを理解し合えて共有し合えるのって、心から感謝したくなるくらい楽だし楽しい。のびのび呼吸ができてる気分になれて、大げさでなく「生きてる」と思える。

「この方が良いよね」とか「こうしたいよね」も、「これはナシだよね」「これは酷いよね」「それは思ってもしない言わない約束だよね」も、「社会的価値観」てやつが大体同じ。かつ、「他人同士なんだから価値観が合うか合わないか、どこで合ってどこは合わないかをちゃんとすりあわせよう」という心構えも普通にお互い持ってる。持ってない人でも、こちらが「すりあわせよう」という意志表示を会話に混ぜれば乗ってくる。

  人間存在別にどれが上か下かとかは思わないんだけど、ただ自分に合う場所合わない場所ってあるんだな、というのがこの10数年で身に染みた。

もちろん、沢山の人と出会たから、それこそ「学歴関係なくすごい人」っていうのも何人もいたけど、場所っていうのは集団の母数だから

自分場合は、自分が「高学歴社会カルチャー」の純粋培養過ぎたんだと思う。

    こんなこと書いてるとまた高学歴批判が来そうだけど。それはまあ、お好きにどうぞ。自分文章力ないのも承知してるので。

生まれ育ったカルチャーって本当に影響強いし、あんまりそれに嘘つかない方が生きるの楽だな、と思うという話でした。

2013-06-11

iPhoneからAppleを知ったようなニワカが

「他社の真似をするのはAppleらしくない」などと言っている。

なにを勘違いしているのか。

凡百の馬鹿どもが必死に考えたアイデアの中から偶然にも生まれた宝石を、

Apple様が華麗にブラッシュアップして至高の宝物にまで高める。

それがApple誕生以来続く人類イノベーションのサイクルなんだよ。

おまえらは文句を言わずApple様の製品を購入して有難く使っていればいいんだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん