はてなキーワード: フォトショとは
専門学校卒業後フリーターになった私。ある日パソコンを手に入れた。絵を描くのが好きだったのでフォトショとイラレを手に入れずっと触っていた。広告制作のアルバイト募集が目に入ったので応募して採用された。なんとかなった。エロ画像のアップローダを作りたいなと思ってwebの勉強をした。広告の仕事にも飽きていたのでwebサイトを作ってみようと思った。サイト作れるようになったのでサイト作成の仕事もやらせてもらった。なんとかなった。そろそろ就職しなきゃと思って小さい企業のweb担当として面接を受けて採用された。サイトを作成するだけでなくプログラムも組む必要があったので勉強した。なんとかなった。プログラムが面白かったのでwebサービスの会社に転職した。広く浅くだけどデザインもクライアントもサーバーもできるので活躍できた。会社でゲームを作ることになった。unityの勉強をした。なんとかなった。会社は上場した。cmでもやるようなゲームを作るようになった。ゲームに飽きたので退職した。無職になった。次は何ができるかすごい楽しみ。
あ、ここでいうpixivの小説は二次創作、主に腐向け作品だと思って読んでほしい。
pixivの小説って評価が相応じゃない。とても面白くて「人に読ませる」文章なのに、ブクマ数が極端に少ないとかザラにある。
もちろん人気ジャンルかそうでないかに差があるのは分かってる。
ブクマ数が多いなって思う基準が50なら1桁は少ない。基準が100なら20前後は少ない。
私もミーハーな人間だから、ブクマ数が多い小説に手を伸ばしがちである。しかし、冒頭数文で(あっ、この人は書くのが下手だな)だと悟って読まなくなることや最後まで読んでも(何が何だか分からなかった)とブクマせずに終わることも多い。
二次創作だから下手な人がいて良い。むしろそれを排除しようなんて思ったら二次創作という文化が健全ではなくなってしまうと思う。
文章構成が上手くできていなくても、ネタが良ければブクマしたりする。二次創作だから!商業じゃないから!
でも、下手なのに面白くないのにブクマ数が多い、過大評価されている、と感じるものが多すぎるのだ。
こんなに上手いのに何故評価されないのか。作者の宣伝が足りないのか。タグ付けの問題か。
でも、pixivでは匿名っぽく小説を上げている人も多い。タグも腐向けタグとカプ名だけの人も多いし、タグを何もつけていない人も多い。そういった人たちだけが極端に評価されていないわけではないしその人たちの作品のブクマ数はむしろ多い傾向にある気がする。
では、何が下手で大して面白くもない小説がpixivで評価させてしまうのだろうか。
私としては仮説が3つほどある。
一つ目
R-18。単純にエロがあるとブクマ数は伸びる。たとえ(なんだこれめちゃくちゃだ)と感じるような文章の構成のものから、"原稿用紙の使い方"自体から間違っているようなもの、キャラクターの解釈を大きく違えているもの、でさえもR-18というだけでブクマ数は大きく伸びる。
これは人間の三大欲求に則しているから理由としては間違っていないだろう。
ただ、それだけで評価されてしまうのは気味が悪いと思ってしまうのは私だけだろうか。そうか、私だけか。
表紙がある。
pixivでは小説に表紙が設定できる。pixivの提供しているシンプルな数種類のものはもちろん自作のイラストやら写真やらを表紙にすることが可能だ。大半の書き手たちは主にpixivの提供しているものをそのまま使用している場合が多い。
その中で自分の撮った写真や同人誌の表紙よろしくフォトショ等で自らデザインしたものを表紙にしている人たちもいる。そういった人たちは小説自体に深いこだわりが多い人が多い。故にそのような表紙を使う人のブクマが伸びるのは大いに理解することができる。
大手の絵師のイラストを表紙に使っている人だ。身内だとか交流があるだとか、それは理解できるし表紙を描いてもらうのも理解できる。けれど、イラストが表紙のものは内容に関わらず初動のブクマ数が異様に多い。イラストをブクマするかのごとくブクマ数が伸びる。
これが怖いし、気持ち悪い。これで初動のブクマ数が多いためにランキング入りしてしまうのも気持ちが悪い。
もちろん絵師のイラストを表紙に使うな、とは言わないしそういうコネクションがあるのは素敵なことだろう。
しかし、内容に関わらずブクマをつける人たちには憤りがある。内容を読んでから評価しろ。
装丁は大事だ。しかし何よりも大事なのは中身である小説だ。それを読まずして評価するのは首を傾げざるを得ない。
三つ目
一度面白い作品を書いた人はそのあとも一定以上のブクマがつく、評価がされる。もちろんファンがついたということもあるのだろうが、一回面白くて上手い作品が書けたとしても、次があるかなんて分からない。しかし、内容も見ずにブクマをしている人間がいるように感じる。
これに少しばかり関連して、ブクマ数が多いものにしかブクマしない人間がいる。ブクマする理由はただブクマ数が多いから、そう言わんばかりに読む小説に傾向なく、ブクマ数だけで小説を読んでいる人間がいる。
まあ、それで"当たり"は掴みやすいんだろうけれど気に入らない。
取り敢えず、いま思いつく3つの理由を考えてみたけれど他にも理由はあるはずだろう。SSみたいな短い話だけが良いだとか、会話文多めの方が良いだとか、ギャグの方が良いだとか。
もちろんSSが悪いなんて言ってないし、会話文多めの小説を見下してるわけじゃない。ギャグの小説をシリアスな小説の下位互換だと思ってるわけでもない。
ただ、実力よりも評価数が多かったり少なかったりするpixivの小説が謎だと思うという話だ。
あと一つ、最後にもう少しだけ私の仮説を聞いてほしい。これはいろいろなところから怒られそうだから、読み飛ばしてくれてもいい。怒られること覚悟でこの仮説を示そう。
もちろん、文学作品を親しむ人間が多いのは分かる。私も実際文学作品をよく読む人間だ。オススメはオーソドックスっていうかこんなこと書いたら逆に「お前それしか読んだことないんだろ」と言われそうだが夏目漱石だ。一番好きな話はこれまたド定番にこころだ。現代の作家なら村上春樹で、鏡という話が一番好きだ。他には山田宗樹の書く話も好きだったりする。でも、彼らの書く話は「人に読ませる」文だし面白い。
少し話は脱線したがオタクは意外にも本は読まない。読んだとしてもライトノベルやマンガ・アニメのノベライズだ。そもそもオタクに限らず本を読む人間というのは少ない。自分が読んでいるからと言っても隣の人が本を読む人間とは限らない。学生時代はそれなりに嗜んだけど、今はさっぱりだという人も多いはずだ。必ず月一冊は読んでいるというだけの人間ですら探すのは難しい。
オタクが読んでいる本は、小説は、文学ではない。実は読んでいるようで、真に本を読んでいないのだ。「ライトノベルを見下しているのか!」と怒られそうだが、怒られることを覚悟で書いている。批判もどんとこいだ。ライトノベルでも面白いものもあるし上手い文もあるが、基本的には似たり寄ったりだし、何よりラノベ独自の文章の使い方がダメだ。あれはあれで文化として存在しているのだろうけれど、小説に求められているものって本当にソレなのだろうか。
又吉直樹の火花という本がある。芥川賞を受賞したあの本だ。あれは個人的には素人に毛が生えたレベルだと思っている。でも、話題になったし売れたし何故か芥川賞も獲れてしまった。
何故だとお考えだろうか?
それは"小説を読まない"人間が手を伸ばしたからだ。普段小説を読まない人間だからこそ、なんとなく「凄い」と思わせたら書き手は勝ちなのだ。小説を読まない人間というマジョリティに話題になってしまえば書き手は勝ちなのだ。
どんなに小さなジャンルであってもマンガは投稿されてなくても小説は存在しているなんてことがある。供給に飢えているオタクはそれを読む。小説を読まない人間の勘違いの「凄さ」「萌え」によって実力不相応のブクマは増えていく。
"小説を読まない"人間に評価は難しい。小説語に慣れていない人間に評価は難しい。知識が足りない人間に評価は難しい。
絵については散々文句が言えたりするオタクたちも小説の評価に慣れていない。
私は小説に対する知識と教養が少ないオタクたちがpixivの小説に対する評価を歪めていると思う。
もちろんこれは原因理由の一部であって全てではないと思うが、確かに理由だと思う。
この意見に批判があるのは覚悟しているし仕方がないと思うが、私はこれを事実だと考えている。
もしも、これを読んで必要以上に怒りに狂った人がいるならば、考えてほしい。
あなたは小説が読めるのか、と。評論が読めるのか、と。国語ができるのか、と。
なんなら、学生時代まで遡って現代文の成績を考えてみるといい。読解はできたのかと。
まあ、私の書いている文章が読めているあなたは、自分が文章を読める力があっても周りの人間は、想像以上に読解力が無かったことを思い出せるだろう。そういうことだ。
冷静に考えた上で、この意見に批判があるなら聞かせてほしい。私は純粋に不当な評価のpixiv小説が存在することが不思議なのだ。その理由が知りたい。私の考察に至らないことは沢山あるだろうし、あると思っているから臆して匿名でこの文章を書いている。でも、できればこの文章をキッカケに理由が解明されればいいと思っている。純粋に知りたいから。
さて、最後に私は何が言いたいかと言うと、pixivで人に読ませる素敵な文章かつ面白い作品を書いている人の小説が不当に評価されているという事実が悲しい。
pixivで下手な小説かつ面白くない文章が不当に評価されているという事実に憤りを感じている。
下手な小説も上手い小説も面白い小説も面白くない小説も存在していていい。それが二次創作の良さだ。
パソコンってきっと今後も自分にとってはかかせないものだよなって思って、自作PCに興味持ち始めて数年。未だに作るに至ってない。
どうせならハイエンドが欲しくて(3Dモデルを触りたいから)色々見たりするけど、中々重い腰を上げられない。
ハイエンドPC組んでるお金が無い、っていうのももちろん理由の一つだけど、周りに組んでる人間がいなくて困ったときに相談できないんだなっていうのが一番自分の中でネックなんだと思う。
あとPCショップの店員さん、どこに行っても私と目を合わせて喋ってくれないのなんでだ?
PC詳しい人に色々対面で教えてもらいながら自作PC作ってみたい。
■追記
枝は絶対言われると思ったww
これは個人的に感じてるだけで実際は自作したことが無い素人の意見なんだけど、ハイエンドならBTOのほうがいい気がするけど(後々カスタムしていくのに幅が広めに作られてる気がするから)ローエンドでBTOってコスパ悪すぎない?気のせい?
ハイエンドBTO→自作できる人にも向けて組まれているから後々の拡張性が高い
っていう印象だけどどうなんだろう?
本当に本当にワープワ貧乏人なのでCeleronの一番新しいやつ買ってマザボにお金かけてSSDつんでおいてi7もうちょい価格落ちたあたりでかえるとかどうなのかなーと思いつつ。
こういうことを!!!リアルタイムで!!!相談したいんだよ!!私は!!
でもブコメ読んで孤独に戦っている人いてなんか…仲間意識を感じた……
枝やブコメ読んだけど、ケース拘れ!今後のことを考えるならマザボだ!いやいやCPUだろ!!!SSDだHDDだ!!グラボだ!!!自作してる人たちでもどこにお金かけるかぜんぜん違うの面白いなーと思いながら読んだよ。
自作のメリットあんまりないよってコメントなんだけど、価格的にはBTOのほうがいいのはわかってるんだけど、ブコメにあったとおり「壊れた箇所だけ治せる」とか「ちまちまパーツ変えていけば長く使える」とか目的はそっちなんだ。
ちなみに大阪在住だけど、東京で言う秋葉みたいな電気街は電車で15分もかからないから土地的なデメリットとか特に無いかな?めちゃめちゃ急ぎじゃなければ通販もできるしね。
自作PCを考えてるのはローエンドBTOのカスタム性が悪くないか?って思ってるからなんだけど、パソコン作って中身理解しておきたい、は本音だよ。中身知っておくとか知識や経験で対応できることもあるんじゃないかなって思ってる。まぁ実際に問題がおこったら「キィーー!!」ってなるんだろうけどwww
今あるものカスタムしてみなよってコメだけど、今使ってるのがノートPCなので……素人がノートからは勇気がでないです…
あとはちょっと今は詳細わからないけど、十年ぐらい前に買った当事カックカクした動きでほとんど使わなかったデスクトップPCがあるぐらいかな……情弱だったので電気屋でソーテックのセット買ったけど色々アレすぎて後悔したトラウマがあるww
ハイエンドが欲しい!→お金がない!ショッピングローン組みたくねぇな!→作るか!中古も含めてパーツごとにわけて買えばローン組まなくてもそのうちパーツ揃うだろ!→調べる→やべぇソケットが同じじゃないとダメぐらいしかわかんねぇ→自作動画を見る→まてまてまてはやいはやいまてまてまて、ゆっくり!ゆっくりってば!!
っていうのがここ一年ぐらいの流れかなww
使ってるノートPCが異音を立て始めたのでお釈迦になるまえに新しいマシンが欲しいんだけど、ハイエンドには手が届かないっていうのはずっと悩んでる感じ。
MMD触りたい、動画編集したいっていうとグラボ必須だしでもグラボ積むと電源もお金かけなきゃいけないってなるからとりあえずMMD初心者だしここはパスして、もしガチでやりたくなったらお金かけて後からつめばいいかなって思ってる。
なので今後そこを拡張しやすいパーツでとりあえずネット閲覧とオフィス触るのにストレスのないローエンド組むべきなんだろうけど、ケースの拡張性に気をつけてマザボにお金かけておけばあとはなんとかなる感じかな??
SSDの恩恵あんまり受けられないタイプの使い方だからSSDはCPUけちった場合の補助かなぁという感じ…
こういうの考えるのすごくわくわくするんだけどパーツ選びの正解がわかんないんだよなぁ!!!!!だから!!ちょっと相談したりできる人が欲しかったんだけど!!!増田みんなコメントくれて感動した。
■追記(8/2 22:30)
「参考にパーツあげてみたら?」というお言葉に甘えてパターンをピックアップしてみた。
面の皮が厚いと言われようとも相談できる人が今までまったくいなかったのでお暇な方よければ相手をして頂けると大変助かります。
あと「敷居の低さが相談できる男の数なの?」ってコメントめちゃめちゃ笑った。私は相談できる友人が欲しい、とは言ったけど性別の限定はしてないよwww男でも女でも実際ここだと性別もわかんないけど、ここはどうとか、今後の話とかできれば性差は関係ないです。
ブコメのMMD失敗については今のノートでカックカクだけど動かしてみてるんだ。で、実際になんとか動かしてもっと滑らかに遊んでみたいな、と思ったので現在悩んでるところ。心配してくれてありがとう。
◇前提希望
デスクトップのように失敗したくない。(とにかく動きが遅くてタイピングに文字表示が追いつかない/ファンが動画視聴の邪魔するぐらい煩い)
今のノートPCよりはさくさく動いて欲しい。たぶん今が酷いからさくさく動くと思う。
とにかく現状が貧乏なので最終的に金が掛かろうとも今のスタート予算を押さえたい。
後々のちょこちょこパーツを追加していきたいので今後のことを考えて組みたい。
celeron R 550
NECのリサイクル?パソコン?なんか家にネット回線の営業来てしつこくて断りきれなくて契約したときに貰った。
フロッピーディスクいれるところがある。
celeron D 336
多分これかな…?
http://kakaku.com/item/00103019236/spec/
◇
メモリ:8G(4×2)
HDD:DT01ACA100 [1TB SATA600 7200]
電源:TR2 500W V2 -Bronze- PS-TR2-0500NPCBJP-B-V2
全部価格コムで見たけどこれでOS買い足しても5万ぐらいかな?
それぞれのパーツが問題ないのか?というのと、一番の心配は「このスペックで文字を打つことに不自由はしないのか?」ということです。
普段の使用用途はワードと画像のちょっとした処理です。(フォトショとか開いてガチガチな感じじゃないよ!)
ただ上記に関しては今のノートでなんとかまったり出来ているので……このスペックなら少なくとも今と同じぐらいは確実に…動くよね…?
まってなんか足りてないパーツあったりする?やばい不安になってきた
ノートが死ぬ前に新しいマシンが欲しいのでceleronはあくまで繋ぎのつもり。Pentium>celeronなのは知ってるけど、どうせ落ち着くまでだしそれなら安いほうでいいかな、という考えで選びました。
ゲームをしないのでMMDを触らなければi7とかGTXとかは基本オーバースペックなんだ。
これだと多分触ってるうちに不満がでてくるから、CPUかグラボの増設はするかなぁと。
SSDをつむか迷ったけど今も無いしとりあえずまだいいかな?と思って削りました。今が本当に酷いスペックなんだけど、それでもイライラするのはスパイダーソリティアがかくついた時ぐらいなので。
これぐらいのスペックをBTOで買うとスリムタワーが多いんだよね。それでスリムだから電源が弱いこと多いなっていう印象。
あといくら足してこれ買え!とか、後々足していくならここもう少し拘ったほうがいいよ、とか各パーツでオススメとかあったら教えて頂けると助かります。いやほんと付け焼刃の知識なのでものすごく頓珍漢なことしてたらすみません。
あと海外のサイトつかってパーツ組んでくれた人ありがとう。他人が考えてくれるなんてなかったからびっくりした。魅力的だなぁ思った。すごく嬉しかったです。
プログラマにはデザインも拘る人もいれば、「デザインとかみれればどうでもよくね」って人もいる。
ウチでは後者の人が多い。
企業向けシステムを受託で作ってるんだが、これを売るのかってレベルで醜い。
webシステムなんだが、ボタンやテキストボックスがマージン0でくっついて並んでたり、
テーブルは枠に収まらないのではみでて全体にスクロールバーがついてたり、
ある程度までウィンドウをリサイズすると崩れるのに最低幅を指定もしてない。
マージンは揃えないのに、同系統は同じで別系統は別になるように作っていたところを全部同じに統一しろ言ってたりもする。
見た目には影響ないが、9割のタグがdivでできているプロジェクトもあった。
公開するwebサービスだったら一瞬で叩かれるだろってレベル。
勉強仕立ての学生に無茶な納期で押し付けてできたものと言っても信じられるほど。
私自身でも使わないだろう。
動作チェックなどで使っているときに見た目でストレスを感じていた。
もちろん納品先からはもっと統一してとか幅がおかしいとかマージンがどうとか言われてる。
ただ最低限の言われた部分しか対応しないし、言われたことに「こんなの別にいいだろ」なんて言ってる。
いや、どうみてもおかしいしこれでいいとか美的センスは大丈夫なのかと言いたい。
結局、納品先からの注文も途中でどうしようもないと思ったのか最低限見れる程度、になってる。
受託といえど、使うのがその会社だけでなく一般の人という場合もある。
それでもいつもどおりの残念な見た目だった。
自分で作るところは上記のようなものだと気持ち悪いからどうにかするが、全体で読み込まれるCSSのせいでどうにもできないこともある。
そこだけ上書きで何かしようとすると、一部だけ特殊なことはしないでと言われる。
プロジェクトを管理する人兼全体の枠を作る人がデザインに対するこだわりなんて全くない人だからどうしようもない気がする。
せめてマージンくらい揃えたいと思っても全体的にひどい(もちろんできるかぎり揃えてる人もいるが)ので他人の担当箇所まで直してられない。
たまたま見つけてデザイン的なズレのせいでバグにも見える挙動があったので、直すべきでは?と提案してみてもそのスタイル使ってるところ多いから全体的に影響多いし、とそのままにするらしい。
デザイナはいないのか、と思う人もいるだろうが、少し前まではいた。
いたところで、デザインを作ってという仕事が来たら担当していただけで、webシステムの場合は基本関わってこない。
プログラム書くひとがCSSもできるということでデザイナはそもそもプロジェクトがどういうものか知ってるのか不明というくらい。
ところで、プログラマについての愚痴を書いたが私も職業はプログラマ側だ。
ただwebデザインが好きで、もとはwebデザイナになろうと思っていた(就活中に日本だとCSSのスキルじゃなくてフォトショで画像作るのばかり求められていてやりたいことと違ったのでプログラマにした)。
今でも頻繁にこういうデザイン作りたいなと思ってはHTMLとCSS書いてるし、技術文書を読んで次に使えるようになる新しい機能を調べてたり、一部ブラウザで使えるようになればすぐに試したりしている。
デザインセンスについても、昔は絵を書けば何らかの賞はもらったし、学生時代のポスターでは、数百人の中からデザイン系で最優秀となったことがあるので、平均以上にはデザインもできるとは思ってる。
なので、デザイン苦手なら任せてくれればやるつもりだった。
しかし、そういった先輩方がいうにはおまえはデザインセンスがない、らしい。
「え、あなたがそれ言うの?」ってすごく言いたかったが仮にも先輩なので、「そうですか」とだけ言っておいた。
まあ、プログラマとして入社したんだし、変なセンスの上司からあれこれ言われながら作らなくて済むから別にいい。
ただ、センスない人が管理してるばかりにエンドユーザになる人達がかわいそうだなと思う。
デザイナがいなかったり重要視されてない会社ならどこもこんなものなんだろうか。
これで思ったのは、プログラマとして優れててもデザイン的な理解がない人を上にしてはいけないということ。
社長が取ってきたプロジェクトだと社長がチェックするからこういったひどいデザインだと厳しく指摘されてる。
ただそれ以外までチェックはしていなくて、プロジェクトの管理する人はあの見た目でOKしてる。
こういう人が上だとだめだなって思った。
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
見た目は大事!女性の場合、若く見られることが良いこととされますよね。私は老け顔だったので若く見られたい気持ちがありました。だけど、あるコラーゲンの化粧品会社のインフォマーシャルを感じたのです。ある年配の女性…写真では若く見られるけど、動いたり、しゃべったりすると年相応じゃないか??って。インフォマーシャルでは「この方何歳に見えますか?」と写真を提示 ⇒「40歳くらいかな?」本当に素人なんだか、仕込んだ人かは分からない人が回答 ⇒ インタビューアー「実はこんな年齢なんです!」ジャジャ~ン♪ ⇒「え~!そんな年齢には見えない!!」ってやつ。写真じゃ、若いですよ。でも、その若いとされている人ががしゃべりだすと…おばさん、いや、おばあちゃん。
私たちは、人に会った時に顔でも判断しますが、しゃべり方や、しぐさ等で、総合的に判断しますよね。このインフォマーシャルを見てつくづく肌だけじゃダメなんだって、思いました…。
写真ってフォトショで修正していなくても、写真て撮り方で随分変わりますもんね。それに、普通に生活していて写真だけを見て、年齢よりも若いかなんて判断しないですよね…。(お見合いくらい?)
書き方が悪いのは認めるけど、頑張るのはレタッチだけじゃなくて、撮影時もだよ。撮影でいい絵が取らなきゃレタッチしようがないからね。
あと、あの単語でフォトショップを連想するのはフォトショップや写真のレタッチについてなんも知らない証拠。
というか2.5万で「フォトショッパー」とやらに定義されるぐらい修整に時間なんてかけられないよ!ましてや奥さん!?
リバーサルかじった世代が忌避反応起こしてるのか知らないけど、撮りっぱ至上主義には辟易。カメラ内部で色いじってること知らんのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20170425223255
どうも、エクセルでマクロ組めるのだけが取り柄の古参兵です。今年9年目に突入。
もういい加減老害の佳境に入り始めているのでしょうか、新卒フレッシャーズの言うことがよくわからないので増田をしたためます。
・入力と閲覧が一緒
これのどこがクソ仕様なのかわからない。というか大抵のツールは入力と閲覧一緒じゃね?ワードとかファイルメーカーとかフォトショとか。パワポぐらいだろ「見せる」のに特化した専用モードあるのがデフォのやつって。
元データを間違えて書き換えた?あるある。それが怖いから共有フォルダ内のファイルは必ずデスクトップに落とすとかして落書き可能なコピーを生成してからコピーの方をいじっとる。何にせよいい経験ですね。
オプションだか何だかで表示対象減らせるから好きに弄りたまえ。
自分に必要なツールがどれで、どれなら減らしてもダメージが無いかを見極められるならの話だがな。
・機能を充実させすぎ
言いづらいんですけどエクセルはデフォ設定だと表示されてる機能は足りないです。私の主力にして命綱の「開発」がデフォだと非表示のはず。
まあそれはともかく、これも上記と一緒で、気に入らなければ非表示化できるので好きにすればいいです。非表示化したことで使わなくなり(=使えなくなり)、いざ必要って時にマゴマゴして上司から叱られたり先輩からかわいそうな子扱いされるというリスクも含めて自己責任の範疇ではないでしょうか。
少なくともデフォルトがOFFよりは親切設計だと思います。必要なものが表示自体OFFられてると探しようがないみたいなとこある。
・変化がわからない
あ、これは正直完全同意だわ。
「何故か数値が合わないんだけど何故合わないのかわからない」みたいなときにセルを一個ずつ覗き見すんのマジめんどい。
でも結局は慣れです。慣れとセル参照表示です。私は慣れられなかったのでマクロ(というかVB)に走りました。マクロは良いぞ。検算がラク。少なくともセル一個一個見なくても良い。
要らんところで忖度してくる。
具体的に言うと数値を勝手に日付型にしてくれたりパーセンテージにしてくれたりする。
いいから。そういう気遣いはいいから。君にそういうの求めてないから。VBAみたいに指示したことを指示通りにやってくれればいいから。
週末祝日だけおこづかい稼ぎに都内某所の結婚式場でブライダル写真を撮っている。
正直まったくおいしい仕事ではない。
新しい機材の実験の場として割り切ってる
ほぼ1日拘束&データ処理で1日潰れて25,000円。
お客様はアルバムに20万近く払うけど、カメラマンにはこんなもん。どこもこんなもんらしい。
当然モチベーションはかなり低い。最低限必要とされるクオリティの写真を撮っておしまい。最低限とはいっても、しっかりしたものはちゃんと納品する。
現場で一緒になるカメラマン(ビデオ含む)に話を聞く限り、たぶんみんなこんな感じなんじゃないかな?
そんな意識低い系ブライダルカメラマンでも、がぜんヤル気を出す日もある。
それはご祝儀をいただいた時。
多い人だと1万。少ない人でも3000円ぐらい。
これが非常に効果的なんです。最低限のクオリティと言わずちゃんと撮るよ。
データ処理のときも露出とホワイトバランスだけでいいや、、なんて言わずにクラリティや焼き込み、キーストーンなどなど、フォトショも動員して綺麗にレタッチするよ。
アルバムの値段にも松竹梅あるけど、あれはあんまり関係ない(ページ数は変わるけど)。大事なのは当日撮るカメラマンのやる気。
これから結婚式あげる人は当日にカメラマンにいくらか包むと良いよ。マジでオススメ。
自分が結婚式やった時は包まなかった。プロなんだから関係ないよしっかりやってくれるよ、と思ってたから。けどお金のチカラはスゴイ。数千円で人は変わってしまうのよ。
これから結婚式やる人、結婚式以外もあらゆるサービス業に言えるかもだけど、いくらか包むという行為はすごいよ。
あ、横柄な態度のやな奴はもちろん最低限のクオリティだから。ニコニコしてても気をつけてね
追記
http://anond.hatelabo.jp/20170415172647#tb
コメントありがとうございます。あなたはアルバム制作費としての20万がどう使われどんな人々に渡っていくのかを一度考えると良いかもしれません。
追記2
http://anond.hatelabo.jp/20170415172926
どれも一緒だと思う方はまずはご自分で「綺麗だな〜」と思う景色なりなんなりを写真に撮って人にお見せすると良いと思います。
追記3
ブライダルカメラマンは大体1日2万円が相場らしいので、まだ良い方なのかもしれません。1.5万とかもあるらしいです。
機材は当然自前なのでもし壊れたらすぐに赤字です。最低5万は無いとやりたくない
http://anond.hatelabo.jp/20170426074045
両増田の意見は重々わかるのですが、やはりブライダルに関しては現場に慣れている人かちゃんと学校でブライダル業界を専攻していた人に任せるべきだと思います。
この方はご友人という立場で参列されたかと思いますが、それでは良い写真を撮るのは難しいかったのではないかと。
多くの式場はカメラマンの持ち込みを歓迎していません。持ち込み料払って中に入っても、撮れる場所、機会は式場カメラマンとは比べ物になりません。挙式中撮影禁止だったりしますし(式場カメラマン除く)
推測にはなりますが、満足に撮れるのは恐らく披露宴中だけじゃないですかね。
あとブライダル写真専門の学校があるのですか?知りませんでした。確かにそうやって特化した人の方が良いかもしれません。
カメラマン持ち込み禁止が諸悪の根源なような気がしてきました。
人に会いたくない。
心療内科にはもう何年も通ってる。
医師は何も言わないけど、
その頃から倦怠感に悩んでいたけど、
今は既卒3年目。
スキルと呼べるような代物じゃないけど、
イラレフォトショAE、InDesignとかのAdobeソフト使ったり、
Mayaいじって色々してたからその気になればCADとかもできるかもな。
そんな機会誰も与えてくれないんだけどね。
不動産業者への就職を勧められてたけど、俺の方が未来ないかもな。
だって倦怠期みたいな、何やっててもしんどい気怠い期間に入ると
全部うまくいかなくなるんだもん。
何年も同じことを回しながらやってく自信はないよね。
まず人と関わりたくないしな、めんどくさい、頭痛くなる。
小生は二十代後半の高齢童貞であった。今は童貞であるのか、ないのか定かではない。
小生は童貞であったばかりか、女性経験は全くなかった。女性との会話時間は母親を除き、人生の累計で100時間もないだろう。それほど、女性とは縁がなかったし、いわゆる女性との交際に興味は無い。ただし、性欲は有った。通勤途中にはタイトスカートに欲情し、「触ったら犯罪だ」と思いぐっとこらえる程には性欲がある。そして、AV鑑賞と自慰が好きだ。
そんな小生が風俗にて女性と接点を持とうと決意したのは、内発的なものと外発的なものがあった。内発的なものは、AV・エロアニメ・エロ漫画、あらゆるエロメディアに現れる「セックス」(とそれに付随する前戯)が、それほど素晴らしいものであろうか直接経験してみたいと思ったからだ(結果的にはこれは裏切られることになる)。外発的理由は「童貞」というスティグマに小生が耐えられなくなったからだ。友人との会話で、風俗の話を振られて答えられないのが苦痛だったし、会社で女性体験の話題になったときに童貞であると告白すこともできず辛かったからだ。加えて、女性と接することが苦手であったから、性体験が一つの苦手克服のキッカケになると思ったからである。
丁度休暇の得られたタイミングで、意を決して風俗店へ行くことにした。小生が風俗へ行こうと思った理由を考えれば、挿入を経験しておく必要がある。ならばソープ一択と決断した。しかしながら、どの娘が良いだろうかと悩むうちに時間だけが過ぎていった。フォトショ職人の仕事が見事すぎて、どの顔も同じに見えた。しかたが無いので、高級店で髪と身長だけみて小生の好みに合いそうな娘(仮にXさんとする)を選んだ。電話で予約しようとするとお休みと言われた。事前の検討に要した時間が全て無駄になり、自暴自棄になった。もう、3日ほど自慰を我慢していたこともあり、女性であれば誰でも良いという気分に小生はなっていた。そこで、近所の大衆店の中から髪と身長だけを頼りにY嬢を選んで予約した。肩まで掛かるセミロングくらいの黒髪が綺麗だろうと期待した。
お店へ行き、ひとしきりの対応があった。この辺りは、一般的な風俗体験に丁寧な解説があると思われるので割愛する。
実際にY嬢と対面すると、フォトショ職人の凄さが分かる。外見の年齢は30代中盤か後半といったところだろうか。目の前にいる女性が美人であるか、そうでないのか判断がおぼつかない程に緊張していた。とても美人だと感じなかったということは、それほどではなかったのだろう。芸能人で言えば×××に似てると言う感想も持たなかったので、特筆すべき顔つきでもなかったのだろう。髪は綺麗な黒髪のセミロングだった、顔は厚化粧だった。これから一体どうなるのかと不安だったが、何とかなるだろうと楽観的だった。小部屋に入って、小生が童貞であることを告げると、それほど珍しくもない様子だったので安心した。
人生で初めてのキスをした。AVで何百回も見ているキスであったが、実際に体験してみると気持ちが良いという感じはしなかった。感想としては生暖かいコンニャクを口の中に含んでいるというものだった。服を脱がしてもらい、Y嬢も全裸になった。ああ、これからセックスするんだと思ったが全く感情が湧いてこない。ところで、小生はクリスマスに街を歩きながら「今日、街を歩いているカップルはみんなこれからセックスするんだ」という妄想をして、帰宅後に自慰に耽るという大変想像力豊かな童貞だったはずなのだが、全裸の女性を前にして興奮は無かった。
小生はビジホのような風呂に入った。そして、小生が湯船から上がるとY嬢は小生の身体を洗った。Y嬢の胸が小生の腕や背中に当たったが、なんの感慨もなかった。小生が中学生のとき、下着のカタログに載っている些細な胸の谷間にさえ大興奮していたことを思い出したが、いま何も隠すもののない胸を見ても無反応だった。むしろ、他人に身体を洗ってもらうという行為そのものに新鮮さを覚えた。
続いて小生とY嬢は同じ湯船に入った。全裸の女性が目の前に居るのにも関わらず、そこになんの感動も無かった。風呂に浸かりながら、小さくなった股間をペロペロと舐めてくれて、生まれて初めて口内の感覚を知った。強弱を着けて吸ったりしてくれたが、それほど違いが分からなかった。もはや小生はどうやって性的に興奮して良いのか分からなくなった。
マットプレイをしてもらった。まず、うつ伏せでマットの上に寝転がり、Y嬢が上に乗っていた。なるほど、コレは気持ちよかった。その気持ちよさは性的な快感ではなく、全身をぬるぬるした温かい何かで覆われるという肌触りの快感だった。コレだけで値段分の価値は有ったと思った。その間にもゴソゴソと股間をいじってもらったが、一向に興奮しなかった。Y嬢は私の背後に居たので、小生は壁の一点を見つめていた。小生は仰向けになって、Y嬢は上に乗った。これまた、気持ちが良かった。ときどき、股間のイチモツを口に含んでくれたのだが、ここでは少し大きくなったがすぐに萎んでしまった。このとき、初めて女性の胸を触った。柔らかく張りが有った、しかし特に感動しなかった。それから、小生は乳首を含みながら股間のイチモツをシゴカれた。この授乳手コキが、その日一番精神的に高揚したプレイであった。そして、Y嬢はときどき耳に息を吹きかけてくた。これは息の熱さを感じとても気持ちよかった。
マットプレイを終えるとベッドでのプレイとなった。部屋を薄暗くすることになった。この時点で小生の股間は全く機能を果たしておらず、小さくなっていた。ここで、初めて女性の膣に指を入れた。膣の内側は温かく、ヌルヌルとしていた。ふと、中学生のとき好奇心で自身のアナルに指を入れてみたことを思い出し(今はぢが怖いのでやっていない)、人間の温かさとはこのことかと理解した。クリにも触れてみて、なるほどこのような構造をしているのかと感心した。ベッドでは、Y嬢が股間を舐め、膣に挿入してくれた。しかし、行為を行っていくうちに小生のイチモツは小さくなってしまった。なるほど、「セックスとはオナニーほど気持よくない」という友人の名言を思いだし、その意味を知った。口に含んでは萎えるというルーチンを2回ほど繰り返してしまったので、小生は手で射精するということを提案した。
結局、Y嬢は激しく手で小生の股間を刺激してくれて射精となった。射精の後、身体を洗い、拭いてもらい、服を着て退店した。
Y嬢は、作業の途中で色々と小生に世間話を振ってくれた。うまく返せず、申し訳ない気持ちが高まった。小生は、結局プレイの終始を情けない形で過ごしてしまったのだが、Y嬢の対応には何の落ち度も無く問題はすべて小生にあるということを付け加えておく。
結論から言うとセックスはオナニーとは全く別次元の行為であるということである。
AVは基本的に3人称視点で見るものなので、ソープで「自分の視界にY嬢が入っていないが、触覚で性的快感を感じるとき」という場面が多く困惑した。特に、キスやセックスは1人称視点では見えるものが少なすぎて困った。特に、セックスは3人称視点で俯瞰的に見て興奮していたので、1人称視点で見ると情報不足だった。
小生は日頃からコスプレモノあったり、ハイヒールやパンストを履いた女性の動画でオナニーしたり、制服レズキス動画や着衣パンチラ動画で性的欲求を満たして来ていた。しかしながら、ソープで提供されているのはそのような倒錯した性欲とは正反対の、全裸でプレーンな女性だった。したがって、小生が興奮することが出来なかったのは、性欲のフックとなる記号を見つけられなかったからと考えられる。正直に告白すると、小生が大学生くらいまでは全裸で興奮できたのだが、それ以後は全裸では中々興奮できぬ。今回は3日ほど、オナニーを我慢していたので小生の性欲が高まっていると判断したが、緊張には勝てなかった。ちなみに、好きなAVのシリーズは「制服美少女と性交」だ。
この点は、ネット上に散々言われているので繰り返えさない。膣の構造を考えれば刺激が単純であることは容易に想像できる。
この体験を総括してソープは楽しかったかと問われれば、あまり楽しくなかったというのが本音である。セックスは完全な形で出来なかったので、小生は童貞であるのか、無いのか定かでない半人前の童貞である。射精の瞬間以外にはほとんど興奮しなかった。店に足を踏み入れてからは、どうやって性的興奮するのか忘れてしまったようだったのがショックであったが新しい発見でもあった。これまで小生が感じてきた「女性に対する性欲」という幻想を木っ端微塵に破壊されたので、小生の性欲は果たして性欲と呼べるのかということに自信が持てなくなった。はたして、小生が街を往く女性を見て、あるいはAVを見て抱いていた欲望とは性欲と呼べるのだろうか? 女性との肉体的接触で満足が得られないとわかった今では、問に対する答えは謎のままである。
もっと綺麗で可愛い風俗嬢であれば、満足するセックスを行うことができたのだろうか? 多分、そのような問題ではないだろう。小生は有村千佳のようなAV女優が好きである。また、内田真礼のような黒髪ロング(いまは切ってしまったが)で短足の女性も大好きである。これからは内田真礼の水着を見て凄く性的に興奮していたという事実をどうやって受け入れればよいのか、小生には分からない。
昼寝もした、性交した、帰り道に腹一杯の食事をした。小生は人間の3大欲求のすべてを満たし、ソクラテスが言うところの「満足した豚」であった。これからは、この経験を活かして満足した「人間」として適度に性欲につきあいながら生活を送って行きたい。ただ、もう二度と女性とセックスすることは無いだろうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170202164127
より続きます
顔だけ大きく加工された画像が怖くて比率が異常なキメラ怖い怖いと忌み嫌っていたが、まさかある意味似た部分に注目している人がいたとは…
こちとてホントに生理的なものなので、自分と真逆にそういう人がいるのはよくわかる。現に自分も幼い、本当に幼かった頃、そういうCMや広告を見て怖くて泣いたような記憶もある。それがある日突然、逆の反応に変わった。自分でも相当戸惑ったはずだけど。嫌いすぎて反応が真逆にひっくり返ってしまった、という説もありえるんじゃないかって思ってる。
いや、小顔は小顔でこういうのもあるんですよ? これはこれで割と好きです。
普通に自分で美人さんの顔の写真を集めて、適当な身体に合成するようなものを作ればいいじゃん。動画は難しいだろうけど静止画は簡単だ。
そんなのフォトショで加工すればいくらでも自作できるじゃないかと思うかもしれないが、こういう性癖の人はあくまでもそれをどこからか見つけないとダメなんだ。
確かに自作に挑戦した時期もあった。自分で使うだけなので別にどこにアップするわけでもないが、どこかのモデル撮影会の写真で自分の好みかつ高解像度のデータをゲットして、それを加工した。まぁ使えなくもなかったが、フォトショのスキルがついただけで費用対効果がよくなかったのですぐやめた。加工にはある程度の時間がかかるので、加工前の写真を見すぎてしまったのが原因だと思う。あと、写真ならともかく、動画となると自作のハードルは一気に上がる。生きた生首フェティッシュの人が動画を投稿し続けるYouTubeアカウントがあるが、これもクオリティの低さは個人レベルなので限界があった。この人はずっとコラ画像専門の職人だったのだが、あるときから動画制作にシフトした。コラ画像のほうがそこそこクオリティが高くて好きだったので、画像の世界でもっと続けてほしかったのだが。動画のほうも2年くらい前から更新がピタッと止まってしまい、現在は廃墟状態。残念だ。
参考
https://www.youtube.com/channel/UCbFyeD5G7n4uSfMSrxfiHOA
参考
http://greg20033.deviantart.com/art/Why-her-584173334
個人レベルでそこそこの品質を維持しているのが以下のアカウント。既存の映画の場面を上手く加工するパロディ動画を一種なんだが、女性キャラが多ければ多いほど個人的な評価は高くなる。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLLHMipOGa6G2XarB3krN7BY-4I0gYuvo1
これもあるにはあるが、素人レベルでは精度に限界がある。それから素材はネットの海に腐るほどあるので、盗撮する必要はない。
ARとVRを混ぜればどうにかなりそうだなw 進め!電波少年でやってたみたいなのだね…。 同好の士が見つかることを望みつつ。
これもいい線いってるんだけど、違う。なぜかって、処理が雑だから。最初は世の中にはすごい番組があるもんだと大興奮したが、すぐに沈静化した。原因は松本明子があまり美女だと思えなかったことと、首周りの処理が雑だったこと。ブルーバックの簡易合成処理(よくニュースの天気予報で使われる、CGの天気図の前に気象予報士が立つようなやつ)を使っているんだから当たり前だ。処理が雑といえば、ダチョウ倶楽部が初期の「天才テレビくん」にグースケ、チョッキー、パータンというキャラクターで出演していたとき、やはり「電波少年」と同じ要領で被り物をしているダチョウ3人の顔面部分以外が消されていて、しばらく反応が続いていたことがあった。「いい加減卒業しよう」と決意したのは確かこの頃で、汚い顔したおっさんに欲情した自分が情けなくなったものと思われる。ただ、美女に関してはやっぱり卒業できず、思春期を過ぎて、本格的に対象が女性に向かっていくことになったわけだ。そういう意味ではごくごく健康に、まっとうに育ってはいるはずだ。この性癖が残ってしまったこと以外は。
ところで、「天才テレビくん」で画像検索したら、ストライクな画像を発見した。ある時期のオープニングが実写とアニメの合成だったらしい。
http://haryjura.blog40.fc2.com/blog-entry-605.html
これはなんとしても動画を探すしかないと息巻いていたが、いざニコニコで見つけた画質ガサガサの動画を見てみたら、顔部分は全部静止画だったんで、画像だけで十分ですね。ごちそうさまでした。というわけで、静止画、動画にかかわらず、美女の顔が浮いているのもかなりイケる。というか、今回の滝クリのような純粋な巨顔など滅多におめにかからないので、普段はもっぱらfloating headsを主食にしている。顔と一緒に手も浮いてたりするとなお良い。
http://i.imgur.com/pRdZ0N8.jpg
その7へ続く。
http://anond.hatelabo.jp/20170203152756
次がようやくラストです。
タイトルの通りだ。
これは間違いない。
体重80kg、目が半分ないような卑屈なデブスからダイエットと化粧と服装をなんとかして
会う人会う人「美人だね」って言われるようになった私が言うから間違いない。
先に言っておくが元の造形はややブス寄りだが、骨格は壊滅的でなかったので
で。
先に言っておくと高身長なので、一番痩せてた時期はモデルの真似事も出来た。
・自分自身が卑屈
・本読んでる→暗いデブ
・運動してる→転がったほうが早いんじゃねw
・洋服買う→店員に「試着は大丈夫か」としつこく聞かれ、ビッグサイズしか勧められない
・本読んでる→知的
・運動してる→やっぱり気使ってるんだね!見習お!
・洋服買う→あれこれ勧めてくれる、試着なしでも店員気にしてない
じゃあ痩せて万々歳じゃん!
てそういう訳でもない。
結局生まれつきの美人のようにのびのびと生きてるわけでもなく、
結局恋愛も駄目な方向ばっか。
尽くして尽くして都合のいい女になるからすぐポイ。
何の努力もしない卑屈なブスも憎い。
健やかに生きてる明るいちょいブスも憎い。
福士蒼汰をフォトショでいじくって、南海キャンディーズの山ちゃんにし、「大好き!」と口にするのが女という生き物である。
分かりにくい例えかもしれないが、要するに女の理想は叶う率が低いから、妥協を繰り返し、少しずつストライクゾーンを広げてゆく作業が必須になるということだ。
言ってしまえば、あらかたの女は自分を騙くらかすことでしか、彼氏を獲得出来ないのである。
好きになればなるほど難易度が上昇する。
男は、「がっつく女、余裕のない女、重い女」を忌み嫌う。
だから女は、恋愛感情を故意に薄くして、無味乾燥に近づけ、死んだ魚になるよう努力しなくてはならない。
愛情の鮮度が高いと、男は女が提供する恋の食卓にはついてくれない。
恋心を生け贄にして、天から余裕を授かり、さりげなさを全面に出して男に媚びる。
好きなあの人への想いが最高潮に達した段階で付き合えたという、美しい運命を辿れた女など、ごくごく少数だ。
男は選ぶ側のため、「一番好きな女」と付き合える。
女なんていう生物は、歩く無料お試しキャンペーンみたいなものだ。
特段のブサイクや性格破綻者を除けば、男に求められて喜ばない女はいない。
男の恋愛は始まるまでに困難がなく、実はドラマチックさの欠片もない。
だからこそ、「あえて想いを伝えずに、この駆け引きを楽しんでいます」という余裕綽々の態度を取る者がいくらでも現れるのだ。
どれだけ誠実な女であろうと、全身全霊で恋に落ちてしまうと、意中のあの人にどん引きされ、物の見事にフラれてしまうものだ。
男目線だと、「そんなことないよー。純粋な気持ちが一番嬉しいよ☆」という真心第一みたいな結論に行き着く場合もある訳だが、これほど無責任な綺麗事は他にない。
どんな女であれ、「あの人を好きな気持ちだけは誰にも負けない。」という純情一本気な思いの丈を、胸に熱く秘めていた時代があるはずだ。
しかし悲しいかな、純情さだけでは、手応えゼロで全否定されて失恋してしまう。
どうしてかと言うと、この世を生きる女の大多数は、なんの才能にも美貌にも恵まれない無力な存在であるがゆえに、猫も杓子もが「媚び」という曖昧模糊としたものを唯一の武器にして戦おうとするから、供給過剰になってしまっているためだ。
男は空求人みたいなもので、常に誠実な人を大量募集していると見せ掛けて、「残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました」とお祈りを連発する。
そうして女は幾度もフラれ、ただ突っ込んでも事態は好転しないということを悟り、好きの感情に打算を組み込むようになる。
自然体で男と接するトレーニングをしたり、好きになり過ぎないようにセーブして、計算高く立ち回ったりし始める。
その結果、彼氏が出来たとしたら、開口一番こう切り出すだろう。
「なんだ、付き合うってこんなもんか」
そらそうだ。
恋心を肥大化させずに、落ち着き払って男を落としたに過ぎないのだから。
一向に心が満たされないから、幸福論でいうところの『幸福を追求する不幸』という状態に陥り、次から次に手頃な男子を求めるようになる。
精神科医のジャック・ラカンが、『欲望は他者の欲望』という言葉を残しているように、生きている中で誰かを好きになったとしたら、自分以外の人間もその子を好きだと考える方が良い。
金は金を呼ぶみたいに、愛される人はより愛されるのが、現状の人間界なのだ。
誰もが似たような流れで欲望を浮上させるから、自分が特定のあの人を好きになった感情フローを、他の多くの人々も体験している可能性が高い。
ゆえに奪い合いになる。
しかもイケメンは、可愛らしい子達が根こそぎ奪って行くため、反応に困るような人だけが少量、余っているだけになってしまう。
その中からなんとか好きになれる人を探すわけだが、好きになった頃には、他の女もその男を好きになっていたりするため、また争いが発生する。
こうやって殴り蹴られの決闘が延々と続くから、非モテは挫折したまま、半永久的に再起出来なくなってしまうのだ。
つまり無気力を学習するということであり、こうなってしまえば、「自分は最初から男に興味なんてないんで……」とオタク趣味に走ったりする。
女のほうが女としてのアイデンティティについて不安が大きく、自分がモテる女であることを証明したがる。
こうした傾向があるからこそ、男よりも女の方が、失恋からの立ち直りが遅い。
良く男は、「いい男なんて星の数ほどいるんだから、もう忘れなよー」と口から出任せをいう訳だが、これは的外れな助言である。
女が悶え苦しんでいるのは、好きなあの人を喪失した悲しみなんていう小さなものではなく、アイデンティティに深い傷が入ったためだ。
「自分の女らしさが通用しないのではないか?」と憂いを抱いているときに、それを否定されるような断られ方をすると、失意のどん底に落ちる。
そして、「私は終わってる」「私は一生一人だ」と憂鬱な感情を強化してしまうため、自発的な言葉によって、内部から心が壊れてゆく。
学習性無力感を引き起こす手続きは、うつ状態と同じような状態を作り出すと考えられるようになった。それは、学習性無力感が、うつ病のモデルとして妥当性を持つことの証明にもなった。
残念無念にフラれる連続の中で、「私なんて女としてダメだ……」という落ち込みの反復が起きて、自分の不甲斐なさについて学び続けてしまうと、精神が歪んでゆく。
それはそれは寂しくて、どこの誰でも良いから、この弱り切った瀕死の自分を認めてくれ、と切望するようになる。
こうなると最悪なことが起きる。
それは、男が最も嫌悪する、「がっつく女、余裕のない女、重い女」になってしまうということだ。
気付いたときには既に手遅れ。
プライドを削って、グレードの低い男に突撃したとしても、厄介なギトギトした女に成り下がっているため、近付いただけで逃げられる。
勇気を出して振り絞った、最後の女らしさ――アイデンティティの全てを砕かれてしまうということだ。
暗転。目の前が真っ暗になる。
「自分は誰にも必要とされていない」という絶望、悲劇、激痛を急速に学習してしまう。
明言しておくと、女が人生において一番に彼氏が欲しいときは、こういう誰一人に相手されない悲しい時代だ。
しかしながら、男も一回きりの貴重な人生を歩んでいるため、浮上確立が低いどん底の女を相手にしている暇などない。
http://pipipipipi-www.hatenablog.com/entry/2017/01/26/194617