はてなキーワード: フェーズとは
客先常駐の話。新卒で入った会社が独立系Sierならぬ派遣会社だったため(現在は東証一部に上場しており新卒を50名以上も採ってる会社になった模様)、色んな現場に行かされたものだ。
現在は事業会社でプロパーとして働いているし、今後も客先常駐なんぞしないと心に決めているが、個人的には独立系Sierで仕事して良かったと思う。
【良かった点】
① 現場ごとに仕事の進め方も、用いられている技術も、当然ながらシステムの規模も必要なリソースも異なるので、多くの引き出しができた。何よりエンドユーザーの業務について学べたのがでかい。
② 無理難題を突きつけられても、期限内に解決する突破力を身につけられた。
③ 要件定義、設計、プログラミング、テスト、リリース、運用など、必要なプロセスを体系的に学べた(こんなウォーターフォール型開発学べるのはSierだけですよ!と言いながら、事業会社とかだと往々にしてアジャイルに失敗してウォーターフォールになりがち)。
④ 有利に仕事を進めるために、他社の社員と友好的に話しながら、自分の条件を呑ませるという処世術を身につけられた。
悪かった点は、いっぱい述べられているので省略。
ただし、注意点がある。客先常駐の案件で、契約をやすやすと切られる程度の人間はやめとけという事だ。無駄に職務経歴が増えるし、転職時に不利になる。
当方は、3つのプロジェクトをやっていたが、客先で契約は切られたことないので、開発からエンドユーザー先に行って運用したりと、かけがえの無い経験が出来た。大半は「設計•プログラミングだけ」「テストだけ」「運用だけ」と、フェーズ単位で仕事する事になるので、これは本当に良くない。当方が運が良かったと言えばそれまでだが、無能ほどIT企業や事業会社に行くべきだなと心から思った。
客先に行って、自社の人間が誰もいない味方のいない状況で、無責任に仕事を振られながら、毎回期待値以上の結果を出し続ける能力を学べるのは客先常駐でしかないと思うし、得られる経験値半端ない。
自分に自信があるなら、客先常駐してみてはいかがかしら?無能は、3ヶ月単位で現場変わる事になるし、精神衛生上良くないので、やめておこう。でも、やるんだろうなぁ。
あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分の人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。
怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。
もう届かない怒りをどうするのか?
結論は?
根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。
時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。
人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分は一方的に相手からやられ続けるだけだと思うようになる。
実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復のテーマだけで動いているわけではない。
でも感じられない。どれをとっていいかわからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。
どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束は無意味なことに感じる。
もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務を放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。
しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である。
それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づきや悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。
それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能なギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。
私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。
そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。
「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。
私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブな感情だろうと、ネガティブな経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間の待遇は知らない。他の人間は関係ない。他の人間の待遇は違う。他人は他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険や保障や恩恵や共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。
だから私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。
怒り。許せない人間、許せない思い。
憎い、悔しい、許せない、私は訴える。
その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。
怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。
ない。
私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的に放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?
【そのまま】になる。
私は随時一方的に放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったものの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。
私は割り切らなければいけない。
あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間の人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間の人生なのだろうか?あの人間の人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。
「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉の正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人は永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人は無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人と一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界を自分で選んだのだ。
クレメンーッス
本日は国際家族デー、日本においては沖縄本土復帰記念日、ヨーグルトの日、ストッキングの日、Jリーグの日となっております。
まぁそんなことを書いてしまうのはどうなんだと思われてしまうでしょうが、億劫というよりも忘却してしまって遅れてしまって焦ってしまうというフェーズに入るのが嫌なだけかもしれませんね。
借りたものを返すのは当たり前のことで、それをちゃんとしなかったらまためんどくさい話をされますからね。
まぁ基本的に物だったらそれ自体を買うとかの話で収まるとは思いますが。
皆様も返し忘れたものがないように再度手荷物のチェックをしておきましょう。
ということで本日は【返却物の確認よいか】でいきたいと思います。
セルフレジはいろいろあるけど、バッグの重量を最初に測るシステムだったり、計測しないシステムもある。(おそらく前者のほうがより厳密で万引き防止かと思われる)
今日入ったスーパーでは通常買い物バッグで計量しているので問題ないのだが、たまたま別のバッグを利用していたため、最初の重量の変化が計測されて止まってしまった。
「なるほど」と思い一度キャンセルしてやりなおそう、と思ったその瞬間、うしろからやる気に満ち溢れた店員さんが「お客様ーッ!どうされましたーッ!」とものすごい鼻息でヘルプに突進してきた。
私は「一度キャンセルするプロセスを学びたい」と思い、自力で操作したかったのだが、「全部キャンセルでよろしいですかーッ!」とその鼻息に押され、「あ、は、はい・・・」と云うよりほかなかった。これにより私の「このスーパーのセルフレジOS操作」を習熟する機会が失われてしまった。
店員さんは悪くなく、ただやる気があるだけである。唯一問題があったとすれば、客層を見ずに多くの老人向けのカスタマーサービスをしてしまったことであろう。客によっては、セルフレジに習熟してより効率的に買い物をしたい人も少なからずいるはずである。
その店員さんは、客を見ずに「介護」をしてしまったのである。「介護」の対象は、成長する必要はないのである。一方通行でいい。ここにカスタマーサービスの本質があるように思える。客を成長させるのが真のカスタマーサービスである、という学びを得たのだ。
「お客さまーッ!元気ですかーッ!」
昔サイボウズデジエを管理していた経験があり、あのイメージが強い。
今のところExmentが有力候補。
時点でPowerApp、既に使っているグループウェアのよわよわワークフロー機能か。Plesanterは候補外。
以前使ったことのあるPleasanterを導入しようとしたがUIが馴染めず断念。
まっさらのテーブルが作れない。作れなかった。テンプレとして用意されているものを弄る感じなのか?
一覧、表示、編集画面ごとに項目を変更しないといけないっぽい。一括で消せない。
帳票を出力する機能が無い。別のベンダーのを使う必要があるとかないとか。
次にExmentなるものを見つけHyper-VにRockyLinux入れて試す。
マニュアルはかなり丁寧に整備されているが、Apacheのインストール手順が抜けている気がする。ななめ読みなので見落としているかも。
かんたんインストール、という手順でuserとgroupを聞かれる。何を入れるのが正解なのかわからず、両方apache。
ウィザードでphp.iniの推奨値とcomposerの所在を確認されるが、後者がどうしても認識してくれない。「警告」と出る。
そもそもインストールの時点でcomposerを利用しているので入っているはずなのだが、どこを見ているのだろう?
テーブルの追加も難しくはない。項目数にも制限はなさそう。Excelだが帳票の出力もできた。なによりUIが分かりやすい。
欲を言えば帳票をPDF出力してほしいものだが、外部クラウドサービスと提携しているようなので難しいか。
だれか有志でPluginを作ってくれないものだろうか。
モデルがこれだけ流れてしまっていて、ローカルで動かせてしまう以上、どんだけ声を大にしたとしても個人が作ろうと思えば作れてしまうからな。
プラットフォーム側でなんとかしようとしてるけど、あれも結局は投稿者の良心に訴えかけているわけで、別に投稿者が嘘つこうと思えばつけちゃうでしょ。
AI生成作品に対して色んなツールで手を入れたらまあわからんし、バストアップのイラストとかになったらなおさらわからんわけで。。
対立もよく見られるようになってきたし、外野から見てると論点もよくわかんねーし、ガチャガチャ言い争ってるよくあるインターネットって感じだわ
子供のころ、大臣が「女性は産む機械」と言ったことで辞任を迫られたことを何故か思い出した。確かに、公職にある人が、体質的に子供を産めない方への配慮が無い発言をするのはまずかったのだろう。
歳を重ねると、どのような異性と居るときが楽しく感じるか、大体自分のパターンが分かるようになってきた。だが、そもそもプライベートの時間に異性と楽しい時間を過ごしたいのか。そもそもプライベートの時間に他人と時間を過ごしたいのか。。。
突き詰めると、結局自分が欲しているのは、自分のDNAを最も高尚に次の世代に残してくれる何かだと思うようになってきた。そして、その何かとは異性との楽しい時間とは全く無関係なのではないか。もちろん価値観やコミニュケーションのコードが近いことは、子供を育てるフェーズでは重要なのだろう。一方、育てるフェーズで関係に亀裂が入るのは大抵は当初は予期していなかったことに由来すると思われる。子供の病気、子供の人間関係、地域トラブル、介護、仕事。。。そうした想定外の出来事が発生したときに、楽しかった時間で確認したはずの諸々は意味があるのか。寧ろ、そうしたときに、挫折せずに前を向ける強い意思の源泉にあるもの、それは自分のDNAが最も良い形で残されることに対する確信なのではないか。
その確信はきっと、その何かの機械性に対するあこがれのようなものであり、もっと本能的な生物学的なところにあるのだろう。楽しい時間を過ごした二人が関係を深めてその象徴として子供が産まれて育てられるというストーリー、が現代社会では想定されているのだと思うが、その前提となるような「楽しい時間」を維持するコストが結局は化粧なりファッションなりSNSなりある種のフェイクを形成するコストに思えて、寧ろあるべき出会いのあり方を阻害している。もっとストレートで野蛮な、そんな出会いで良いのに。
有名人が政治的な発言をするときは、どこからも文句が出ないような理想主義的なことを抽象的に言うのがいい。
貧困をなくしていきたいとか、戦争にはさまざまな事情があるにしろ人と人が殺し合うのは良くないとか。
ウクライナはどうすべきだとか具体的な問題について発言したり、番組やSNSで討論して詳細を語ってはダメ。
あとは自分の出自に関わることならまだ説得力がある。沖縄出身のタレントが沖縄の問題について当事者として発言するのはまあ許容範囲。
もちろん何を言ってもいいんだけど、それは自分の人気を育てるフェーズが終わって、蓄えた人気を自分が正しいと思うことに利用するフェーズに入ったということで、人気は目減りしていくのは当たり前のこと。それを覚悟しての発言ならまあいいんじゃないのと思う。
そんなことはみんな知っていて
なぜ社会の持続性を女性の人権に優先させようとするんだ? 男性に一切負担を負わせずに
そんなことはみんなが反対するよ
> 男の給料を上げて女の給料を下げるけどそれで構いませんよね?ってフェーズだよ今は
誰もそんなこと言ってないと思うんだけど、言ってる人、一人でも名前を挙げられるか?
お世辞抜きで食いついてきたらはじめて熱く語るフェーズに入る
お世辞っぽいとか食いついてこない・反応悪かったらさっさと切り替えて相手の話を聞くフェーズに移行して自分のお口はチャック
それを勘違いしてしょっぱなからフルスロットル早口マシンガンになるのがオタクのコミュ力のダメダメさということになるんだろう
誰もお前の趣味全開の話なんかききたくねえ
それをまず自覚すべき
コミュニケーションは殺し合いなんだよ
かといって何も話すなといっているわけではない
たびたび婚活ネタで話題になる、女をキャバ嬢かなんかと思ってるみたいに無言で話題もふったりしないとかはそれはそれで論外
相手に興味を持て
お前が相手に興味を持たないのになんで相手がお前に興味を持ってくれると思うのだ
ギブアンドテイクともいうだろう
ギブが先なんだよ
なぜ先にテイクでうまみを得ようとする
そのくせテイクを得たら満足してギブしねえだろうそういうやつに限って
以前失恋したことを記事にした女々な増田だが、知り合うときに仲介した同じサークルの知人が不倫しまくりのノーモラルヒューマンな上に相手も自分と出かけていた頃からそいつとくっついていたという事実が発覚し心がかき乱されている。
手を出さなかったことが正解であったという結果と好きになろうと歩み寄ろうとしたら疎遠になった今さら本当に気になってしまったという結果が融合反応しストレスが爆発的に増加している。
知人や相手関連の言葉がブロックワードと化し発狂寸前ではあるが何とか表に出さずににこやかにやっている(つもり)。バドミントンサークルを運営しているが順調にメンバーも増え他地域との交流イベントの企画も恙なく進められている。
しかし知人の不倫塗れの事実というカードはどこかのタイミングで切ってサークルに居られないように人間関係潰してやろうとも思っている。我ながら相変わらず女々だがサークルで知らない間に被害を受けている人もいるので仕方がないということにする。
よくわからない前置きが長くなってしまったが、色恋の悩みには色恋をぶつけんだよということで休止していたマッチングアプリを再開することにした。
ここ2,3年は田舎住まいな上に職場指示でコロナ禍により繁華街エリアへの外出厳禁飲み会禁止となってしまったため全く出会いが無く過ごしてしまった。それを巻き返すために始めたマッチングアプリだったが、忙しかったり前述の相手一本で対応していたため半年以上休止状態となってしまっていた。
当方35のKKOなので高望みは難しいのは知りつつも、この年齢より年上と付き合って結婚してどうする?ということで30代前半をターゲットにいいねをくばりまくった。
年齢要素以外で気にしたのは容姿、学歴、婚姻歴、いいねの件数の4つのポイント。
結果高望みになってしまったが、1ヶ月ほどやってみて案の定マッチング率は10%程度。マッチング時の挨拶から返事をしてくれたのはさらにそのうちの半分。つまりつながったのは5%ほどという数字。連絡が来なくなった理由がマッチング後に他にいい相手が見つかったのかマッチング時のスワイプミスなのかはわからないが現実は厳しかった。
これが若かったりもっと収入があったり容姿が良かったりすればと思わずにはいられないが無いものは悔やんでも仕方がない。
とりあえずマッチングした方とのメッセージを取り交わし一度は会ってみる方向で頑張ることにした。
マッチングした方たちとのメッセージフェーズについては脱落率はほぼなく2週間~現在とそこそこ続いている。住まいがド田舎であるためそこに踏み込んだ話になると状況は一転して厳しくなるがそれまでは不可もなしという感じだろうか。
反省しているのはマッチング後にメッセージをぐずぐず続けてしまい会う時間をすぐに作る調整ができなかったこと。2,3回くらい会話のやり取りをしたら会う算段立ててしまうのがいいのかと思っている。
閑話休題、遠方の知人が都内へ一時戻って来るタイミングがあったため彼女との食事に合わせてマッチングアプリの面会予定を入れようとしたところ、2件ヒット。アポを取り、都合のいい地点で合流・面会することとした。
結論から言うと面会はうまくいかなかったが会って良かったとも思った。
時間をいただいた2名の方には申し訳ないが自分のタイプとは真反対の方たちであった。
フットサルや野球、ゲームの話など事前にアプリ上に入力されていた情報や会話内容はできるだけインプットして臨んだためか楽しい会話は演出できたと思う。
しかしいかんせんこちらのモチベが持たず3時間くらいで疲れを感じてきたので次の予定を前倒しにして面会を切り上げてしまった。先方からメッセージアプリのID交換の申し出があり交換はしたが、疲れと気乗り及び申し訳のなさからこちらからはメッセージを送ることができなかった。
しかし会ってみたこと自体はマッチングアプリの使い方のチュートリアルができた感じがしたので良かったと思う。
マッチングの少なさからいいねを送る要件を見直そうかと思ったがタイプではない相手と会っても仕方がないというのが分かった。
また、あちこちで言われている話でもあるがメッセージ長く続けて途切れてしまったケースのことも考えるとメッセージ少しやり取りして感触問題なければさっさと会うのが労力も申し訳なさも少なく済ませられるのだろう。
正直なところ未だ気持ちは重たいしずっと泣きそうになりながら仕事したりスポーツしたり飲み会で笑おうとしているが、とりあえず切り替えて頑張ろうと思う。