はてなキーワード: ビートルズとは
炎上商法としては良いと思うけど、LIGのライターとしてはセンスないよね。
『ドラゴンボール』を読んだことのない僕が、先輩に反論するために全巻読了した結果
要するに、「たかが漫画で、ドラゴンボールごときで偉そうにする先輩ムカつく」ってことだから、ストレートに文句を言えば良いのでは?
「映画好きなのに黒沢監督の映画見てないの?」「ロック好きなのにビートルズ聞いてないの?」「TRPG好きなのにクトゥルフしかやってないの?」
みたいな古参連中ムカつくみたいな話なので、ドラゴンボールの影響を受けているもっと新しい作品紹介にするとか、もっと面白くする方法はあったと思う。
先輩ムカつくという話をするためにドラゴンボールを批判するというやり口は、
これ直近でいうとキズナアイ批判するフェミと同じ論法なんだよね。
「私が嫌いな萌え絵を攻撃するために、フェミニスト論法を盾にとって、ヲタクそのものを攻撃する」
ぶっちゃけこの攻撃方法は全く効果がなく、ひたすら不毛であるというのは偉大な先代の例があるので、結果は火を見るよりも明らかでは?
その結果、今ではフェミって鬱陶しいなという空気が形成されているわけだし。
女性解放運動家が今では「面倒くさい人の始祖」みたいなムードになりつつあるのも、歴史に謝るべきだと思う。
……もし、これを見越して炎上させることが目的だとしたら、この批判はまったく想定内で手の上で踊らされているだけなのでは?
でも、あんな記事を掲載するメディア及びライターにここまで頭があるとも思えない。
●あの記事の代案
ちなみに、過去ligってどんなことをやってきたのかと言うと、実際に社長が部下をいじったり、部下が上司を弄ったりするメディアだったりします。
・部下の部屋でビーチ音楽祭を開催したら、大変なことになりました。
https://liginc.co.jp/omoshiro/try/164489
・何で管理されなきゃいけないの?出勤の打刻をして静岡に行った
https://liginc.co.jp/omoshiro/went/153633
この菊池良とかいうやべーライターもそめひこというおもしろおじさんもすでにLIGを退職している。
古き良きLIGを憂うわけではないが、彼らがいたらもっとあの記事もウィットに富んだものになっていたと思う。
というか、それを期待して読んだフシもあるのでなんかあの記事はとにかく残念だった。
■俺があの記事を昔風に書くとしたら
・「ドラハラ」に苦しむ筆者(自分)がドラゴンボールを読まなくてもいい理由(読んだ上でスライドを作ったりする)を披露する
たかがドラゴンボール読んでないの? という一言を超大げさに取り扱って、準備や内容に時間とカネを掛けて、全社を巻き込む。
それでいて、古い漫画を読んでいるという権威性を皮肉ったり、それをハラスメントという大事にしたりして、最終的には愚痴ではなくコンテンツとは? みたいなでかい話にして煙に巻く寸法。
……もし、LIGの人がこんな場末の日記を目にしたら、ぜひ真似してみてください。
もしこれができないのだとしたら、ligはもう変わっちまったんだなあという憂いでいっぱいである。
●今後期待すること
ぜひあの記事は削除せずに、LIGとしてどのような対応を取るのかだったり、
なぜ掲載を行ったのか(編集部というものが機能していて掲載に足る記事であると判断したならどういう判断基準だったのか、そもそも校閲機能が正直弱く素通りしてしまったのか)
ホワイトカラーってのは訳すと白い襟。つまりワイシャツ着てネクタイ締めて仕事する人たち。デスクワークが主。大卒が多い。
ブルーカラーってのは訳すと青い襟。作業着を着て身体を動かして仕事をする人たち。基本的には工場労働者など。
70年代あたりからブルーカラーも世の中の表に出てくるようになってきた。労働者の立場が強くなってきて、労働組合も強かったからね。イメージ的には中村雅俊とかね。ビートルズもそうだな。労働者階級のヒーローたち。
最近はITとか金融とかが強い世の中の流れで、ブルーカラーは以前ほど勢いが無い感じだなぁ。工場は海外に移転するし、ロボットは普及するし。
30年前というと88年だからバブルの真っ最中なので、オシャレなイタ飯屋は地方都市(少なくとも県庁所在地レベルあたり)でもボカスカ出来てたと思いますよ。あの頃は本当に凄かったから。
僕が大学に入った80年には既にそういうのは珍しくなかったので、スパゲティがナポリタンなどに限られていたのは、まあ、そういう店もあったし、そうでない店もあった、という程度の事なのではないかと。(高校生の行動範囲は限られているものですし)
バブル期にはそういう店が増えたということでしょうね。
もうちょっと遡って70年代の中頃(75〜76年頃)にも地方の某県庁所在地でも、中心部には既にそれなりの店があったのを覚えてます。何かの機会に入った覚えがあるので。
東京なら、それこそ60年代の終わりとか70年代の初めあたりには、いろいろあったんじゃないでしょうか。学生運動が盛んだった頃の映像をテレビで見るとそんな感じです。70年頃というと、グループサウンズも下火で、ビートルズは解散し、サイケな(?)ファッションが流行ってようなイメージでしょうか。