はてなキーワード: ビートたけしとは
根拠によらずに何かを言われたとき、その内容の強度や正当性や、得られる納得度が、何によってもたらされ、裏付けされ、保証されていると感じられるか。
最後の最後のところでは、その人の重ねてきた経歴の起源にある、原始的な帰属分野にあるんじゃないかと思える。
例えば、ビートたけしなら、なんとなく理工系の知見が通底しているように思える。
司馬遼太郎なら、旧陸軍の一兵卒として終戦を眺めた、モンゴルだかどこかの語学の学校を卒業した学生。
原始的な帰属分野のスコープが広いものであれば、著名になった以降の発言についても、そのスコープの及ぶ限りにおいて、なんとなく通用しているように錯覚することができる。
松本人志なんかは、どうなんだろうなぁ、と思うことが多い。
結局どこまで言ってもお笑い(それもごく限られた分野での笑いの作法。たまたま現在の日本において主流的な地位にある)だし。
最近だと父親げなことを言っているけれど、それもまた結局のところ、いわゆるそこいらの父親だ。
尾ひれがつくとしたらお笑いのスコープが及んでいる部分でしかないだろう。
コメンテータとかやってるのを不思議に思う(とはいえ、その発言が、世の中で重く受け止められているような気配はあまり感じられない)。
週刊誌の連載に基づいた著作があったりしているけれど、結局、お笑いの立場からのものであって、そのスコープの限りのものでしかなかった。
万人の納得を誘うものではなく、また、それを狙ったものでもなく、松本人志が何か言ってる、程度のものであったし、今もまたそうであるように思う。
で、タモリだ。最近、なんとなくその発言やら趣向やらについての記事を見かける気がする。
タモリは、坂道本の序文にあるように、その根底にあるのは、筒井康隆的な意味での西洋哲学であると、私は勝手に思っている。
(あるいは、西洋哲学に付託して物事を著述することによって、効果的に、煙に巻くことができると信じられた世代に所属している、というふうに思える)
なので、その域を外した分野における発言については、結局のところ、粋人であるところのタモリ一代のものであるので、スコープもその限りだ。
(カレーやら生姜焼きの作り方が取りざたされても、はぁそうですか、としか思えない)
京都を歩いたときに、御土居について語っていても、それは趣味として御土居を知っている人の発言であって、歴史的な文献・知見に裏付けされたものだと安堵できるに足る発言はなかった。
(もちろん、本人にしたら、そんなこと考えてなくて、単に膨大な興味のいち分野に過ぎないんだろうとも思う)
何が言いたいかというと、いちいちタモリって言われてもなぁ、というのが一つ。
それから、仕事をしているときに、根拠や裏打ちなく物事が進んでいくときの正当性が何によってもたらされているのか、それは自分の身体を預けるに足りるものなのか、というのが一つ。
大企業での生き方や独立する系のトピックにちょくちょく上がるのが、条件付きの自尊心と根拠の無い自信。
例の日立辞めた人は条件付きの自尊心、つまり基本的に自分に自信は無いけどプログラムという事にのみ自尊心を持っていて、そこが否定されたら自分が全否定されたような気持ちになる人なんだろうけど、技術職や専門職って結構こういう人が大多数を占めてると思う。
というか大企業辞めて辺境に越したりフリーランスになるような人って典型的な条件付きの自尊心の持ち主だと思う。
真に根拠の無い自信を持ってる人ってかなり少ないと思うんだよな。例えば誰がいるだろう。俺が見た範囲では、
・大前研一
・津田大介
辺りがそうかな。人を動かして変革を起こすタイプ。
・夏目漱石
・岡村隆史
一人で完結するアーティストタイプが多い。なおかつナルシスト。
ふと気付いたんだが、岡田斗司夫みたいな条件付きの自尊心の持ち主が人を動かそうとすると、自分の思考や快楽を最優先させる独裁者になりやすいのかな。
まあ、これを見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=iRhTwolRMJY
要するに、「白人の若い女の子が日本の素晴らしい風景を味わう」というCM。典型的な白人コンプレックスを惜しげもなく表現した傑作で、よく懲りもせずにこんな映像作る気になれると感心する。
普通の広告マンとかが外国人に持つ(外国人を表現する際に利用する)イメージは、こんなところか。
じゃあ、その反対の映像。
たぶんこれで観れる。昔、ビートたけしが司会をやっていた「ここが変だよ日本人」という番組で、日本にいる外国人が「日本のここの習慣が変!」という話をマジトークする番組で、今見てもなかなか興味深い。上のようなCM見ると、日本ってここ二十年で後退したんじゃないかと思う。曽野綾子先生万歳!!!
長いけど勘弁な。
なぜか生き残らされてしまった話。
当然、そんな時間帯だし走るのは二車線の直線。
見晴らしのいい街道だから制限速度ちょい超えるくらいのスピードで走ってたんだ。
まあみんなやってる程度の速度超過。
レンタルショップやスーパーで買い物等々、寄り道なんかしてね。
そんな日常を繰り返してた。
で、ある日疲れがたまってたのか寝坊した。
もちろんソッコー着替えていつもより飛ばしたよ。ただ気が急いてたから正確なスピードは分からん。後々ブレーキ痕で判明するんだけど。
しばらくして大きめの交差点、横断歩道のシマシマ模様が見えてくる。
視界を少し上に向けて信号は青。少し左に振って歩行者信号の点滅もなし。アクセルは緩めない。
と、なぜか右から左へおっさんぽい人影が動いてくる。対向車線のど真ん中。赤信号のはずなのに。
え?信号無視?
直進の信号が変わった?
正面に視界を戻した時には
「え?小走りになってね?」
「ホーン!!ブレーキ!!」
ってのが0.5秒ぐらいの間に一気に頭を駆けまわり必死に操作する。
けどもう間に合わない。
ホーンにも気づかず正面きちゃったようわぶつかるまじかよ全然気付かねーよどーなんだよドン!!
全身を強く床に打ち付けられるとしばらく動けなくなる経験ってないか?
ガキの頃少し高めの場所から飛び降りようとして失敗したとかさ。
アレの強烈版だった。
呼吸が出来ず、うー。うー。って唸りながら身動きがとれない。
けど何とか、ゆっくりだけど腕は動く。
真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなってきて真っ黒な血だまりが目に飛び込んできた。
おまけにどうやら俺の顔のどこかからまだポタポタと血がたれ落ちてる。
そーゆー時って不思議なもんでまず口元に手を当てるのな。
ドラマで何かに気付いて「ハッ!!」ってやるみたく。
俺はジェットヘルを被ってた。
で、どうやら下顎から思い切りアスファルトダイブをしたっぽい。
そっから出血してるのか?コレまた不思議なもんで無造作に口元に指先を当てた。
手触りでいつもの形と違うのが分かる。
もう滅茶苦茶な造作になってて血でヌルヌルして唇が避けてるな。
前歯もぜんぶねーっぽいぞ?それにしても出血ひどくね?
上顎が痛い。
変な感じがする。
手を突っ込んでみると折れた下の前歯が上顎に突き刺さってるのがわかった。つまみ出す。
でも身体は動かず、唸りながらも「おっさんどーなった?」と身体を何とかよじらせて見回したけど視界に入らない。
そーこーしてる間に「おい!ひでーぞこれ!大丈夫か!?」なんて声が聞こえてくる。
どうやら通りがかったドライバーが駆け寄ってきてくれたらしい。
なにか話しかけてくれてたけどその時俺は顔、滅茶苦茶になっちゃったのか?ってのと、人身かよまじかよつー二種類の恐怖を味わってた。
時折口の中に手を突っ込んで様子を探ったりしながら「ダメっぽい。そーれより相手の人はどーなってますか?」って話してるつもりなんだけど唇がめちゃくちゃになってるから上手く話せない。
気付けば救急隊員が目の前にいて質問してるけどうまく答えられない。
そのまま意識飛んだのか今度は病院のストレッチャーに載せられてる。
看護士や医者の「よいしょ!」って掛け声とともに処置用のベッドに移し替えられ、速攻で唇を縫われてる感覚はあるんだけど、だんだん周りの声が聞こえなくなってくる。
視界が狭まってやがて真っ暗になる。漆黒の闇ってやつだ。
あれ?死ぬか?
よく耳にするけどホントあの時は「恐怖感」ってのが全然なかった。
あー、このまんま消えるのか俺。ぐらいの軽い感じ。
過去を振り返るとかそんな余裕もなく意識、つーか思考が徐々に小さくなっていく。
気が戻ると入院棟の、あのフカフカベッドに横たわってた。点滴つけられて。
あ、まだ生きてんだ俺って思ったな。
後になってケータイ見て驚いたけど、その時自画撮りしてんだよね。
せっかくだからとか生還記念に、とかバカなこと無意識ながら思い付いてやってたのかもね。
パンッパンに顔を晴らした朝青龍みたいな俺が写ってた。
ここから少し端折る。あと自分に起こってることとはいえ記憶とんでるのと医者からの後聞きなので「らしい」とか「っぽい」みたいなボンヤリした書き方になるけどスマン。
聞いた話だと病院に運び込まれた時、本当に俺は死にかけだったらしく、くも膜下出血と顔面多発骨折の状態で、頭部(脳?)にあまり刺激を与えたくないから唇は最小限の処置だけされてた。
当然即入院。
でもって外科の前にまず生き死にだろってことで脳外科の病棟へ。
運良く運び込まれたのが某大学病院だったから各科との横断的な治療を受けることができた。
そんで顔面からのダイブだったってことで不幸中の幸い、頭部以外は外傷ほぼなし。
気になる顔面の壊れ具合はつーと下顎と鼻の下の骨がパックリ縦に割れてた。
下唇は顎の途中までバックリ断裂。
事故後、初めて鏡見た瞬間「ああ、もう前の顔には絶対戻らないんだな」ってガックリきたよ。
イケメンでもなんでもないけどコレまで付き合ってきた自分の顔は一生見れないんだから。
毎晩寝るとき「このまま二度と目を覚まさないんじゃないか?」って死の恐怖に襲われてた。
1週間ほどで脳内の影も消え、異常なしって診断貰って今度は顔面の修理。
ハリガネみたいので歯を縛り固められ、ユルユルだった骨折部分が多少落ち着いたら今度は手術。
臨死体験をした身としては、またあーなんのかな?とか思う間もなく深呼吸数回でサクッと落ちた。
手術は無事終了。
チンコに差し込まれたションベン管も「あ、あああ、あああああ~~~~……」ってな感じで引き抜いてもらった。
術後しばらくしてからレントゲン見せてもらったけど顔のあちこち、少なくとも10ヶ所以上はボルトが埋め込まれててサイボーグになった気分。
見舞いに来てる家族にもどうなったのか尋ねたけど「全身打撲で入院してるみたい。まずはアンタの代わりに謝罪してきた」てな返事。
助かったと聞いて胸をなで下ろす。
とにかく当事者の俺が謝罪しなくちゃなんない。けど手術もある。
向こうも落ち着くまでしばらくかかるかもしれないし、間を置いて謝罪した方がいいのかも。
あーそうか人身だよな免許取り消しだろうなー。とか思ってたな。
そーこーしてる間に移動はまだ車椅子だったけどだいぶ落ち着いてきた。
退院の日もほぼ確定。まずは第一段階終了かー。
みたいに一息ついて母と話してる時「相手の方、実は即死だったの」と言われた。
そう。俺は殺人者になってた。
母が言うには「手術前に精神的ショックを与えないように警察からアドバイスされてた」とのこと。
けど俺が生き残っておっさん死ぬってどーゆーことだよ天秤が吊り合わない。
落ち込みまくること数日。交通刑務所行こう。償おう。そう考えるに至った。
口の周りは神経が切れてるから動くけど痺れは10年単位で回復していくと言われ、無くなった前歯はブリッジと入れ歯がはめられた。
ホッとする間もなく警察から連絡があり取り調べたいという。実況見分も。
日程が決まり取調室でここに書いたような話をし、事故現場に足を運んだ。
それ以前に正面衝突の衝撃で血がこびりついたスピードメーターは65キロをさしたまま潰れてた。
おっさんも俺も40メートル近く吹っ飛んだそうだ。ホットロードどころの話じゃない。
事故現場に立てられた目撃者求む、の立て看板からは数件の目撃情報があったという。
街道の交差点だっつーことで設置されてた監視カメラにも事故の映像が残っていたらしい。
事故を担当してくれてた交通課の担当者、検察局の検事は同じことを言った。
「目撃情報もカメラの映像も、どう見ても飛び込みなんだよねー。そしてあなたはホーンも鳴らしてるしブレーキもかけている。避けられない事故ってのがあるんだよ。どうしても」
相手の方が亡くなっている以上、警察にも、もちろん俺にも飛び込んだ理由を問うても答えは出てこない。
運転ミスじゃなかったのか?
飛ばし過ぎじゃなかったのか?
1年間免許取得出来ません。つー欠格期間が付けられた。
そして保険。
個人情報の関係で詳細は知らされちゃないけど、相手の方は生活保護を受給している65歳の男性だった。
役所でその男性の担当をしている職員と警察の間で情報の交換をしたけど、どうも故郷の家族とは30年近く連絡をとっていないっつー状態。
なんとか調べて見つけた家族に事故で亡くなったことを伝えても「家を捨てた人の死には関わりたくない」てなスタンスだとか。
なんでそーなるんだよ。
もちろん前述のように個人情報の都合で俺から先方のご遺族へ謝罪する、どころか訪ねていくことさえ一切できない。
どうやってこの罪の意識を背負い込み続けていけばいいんだっつって軽く絶望した。
事故の夢を時々見てはうなされる。いっそのこと交通刑務所にぶち込んで欲しかった。
事故現場に献花して冥福を祈るくらいじゃ全然気持ちが収まらない。
ひどい話かもしれないけど、罪を償って少しでも気持ちを楽にしたかったってのが正直なところ。
半年ほど合間を見ては警察に連絡したり足を運んだり。ご遺族の状況を尋ね続けた。
保険金を受け取ってくれないかと、何とか伝えることはできないものか。
最終的には保険会社が間に入ってご遺族を説得したのか、ご遺族内でなんらかの気持ちの変化があったのか、保険会社と何度か書類のやりとりを済ませ、無事ご遺族に保険金が支払われた。
で、保険金が支払われたからといって俺の精神状態は全然落ち着かなかった。
顔面に埋め込まれたボルトを抜き取る再手術入院のとき、主治医に相談してメンタルヘルスを紹介してもらうことになった。
結果、鬱傾向にあると診断された。
正直落ち込みは激しい。っつか波がかなりある。
事故から2年ほど経つけど免許証はまだ取得する気にはなれない。
メンタルヘルスにゃいまも通院してる。
事故のことを知らない久しぶりに会う知人に「おや?」って感じで顔を凝視されるのはつらい。
ビートたけしはどうやって気持ちを持ち直したんだろうか。なんて考える。
もし仮に、あのおっさんが世をはかなんで飛び込み自殺したんだとしたら。
自殺は増え続けてるってゆーよな。
けど死にたい奴はひとりで富士の樹海にでも行ってひっそり死んでくれ。
誰に何が起こるかなんて誰にもわかりゃしないけど、死の方向に他人を引っ張り込むような真似だけはやめてくれ。
エラソーかもしんないが、この話が教訓になればいいけど。
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
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・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
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1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
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・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
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1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
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・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
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1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
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1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
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1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
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1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
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1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
たけしは「残酷な話だけど」と前置きをした後、「父ちゃんが死んだ時、家族が悲しみよりもホッとしちゃって」と、当時の本音を告白した。
たけしは過去を振り返りながら「人でなしみたいだけど」と自身を評しつつ、父が亡くなり介護が終わった安堵から「明るい葬式になっちゃった」と、葬儀の様子を明かした。
身内の介護は本当につらい。
家族交代でやっていたとしても他人の行動に合わせた生活ほど辛いことはない。
特にビートたけしの父親が無くなった頃なんてまだ介護保険法が制定されていなかった時代。
本当大変だったのだと思う。
15 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [sage] :2014/09/15(月) 20:25:41.57 ID:+mbol5y80
そうは思っても口にすべきでないことは喋らないのが良識ある大人。
ホントに介護って長期化すればするほど、早く死なないかなって思うんだよね。
夜中の下の世話や床擦れを防止させるために寝返りさせなきゃならないというのに…
ゲスっていうけど、じゃあ私ら介護やってきた人間全員ゲスなのかって。
26 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です :2014/09/15(月) 20:28:34.38 ID:ggQ3mBGJ0
>>15
そしてそんなことを思ってしまった自分に対する罪悪感と付き合いながらその後の人生を生きてる
だからこうやって有名人が1人泥をかぶってこういう発言をしてくれるだけで
ああやっぱりそういう気持ちになっちゃう人も多いんだなって
ちょっと心が軽くなるんだよ
私も救われたよ。
こういうことは不謹慎だとか、倫理的に良くないって片付けようとする何も知らない人間がどれだけ多いことか。
こういう考えを持つ有名人に発言してもらえたことがどれだけ救われたか。
――日本は高齢者が増えたが、徳田さんのようなスーパー老人は希少。介護、医療など様々な問題が噴出しているが
徳田氏:悪いことを言うようだけど、高齢者に対して真剣に付き合わなくていい。当人の死期がくれば、早く見送った方がいい。意識がなくなってからの延命は必要ない。老老介護も視野が狭くなる。もっとリラックスした方がいい。
有名人の中には延命延命って、名医にオペ頼んで元通りにならない治療を続けるような連中が多い。
過去の栄光が今も残っているのであればそういうことも必要なのかもしれないが、ほとんどの場合過去の栄光にすがった身体の自由に動かすことができない連中ばかりだ。
周りもそいつらに賞や名誉を与えたりして、なんとか生かそうとする。
いったいいつになったら生かすことが正しいという間違った倫理観を正せるのだろうか。
「統合失調症がやってきた」の松本ハウスが来るというので、行ってみた時のこと。
狭い会場に二百人以上が詰めかけて、それに加えて立ち見のギャラリーもイル。
会場に掲げられた白膜には「精神科医療における松本ハウスの歴史的意義」だって。
司会をしていた精神科医いわく、100年以上にわたる、排除の歴史から統合失調症がやっと地域社会に帰りつつある。我々は、ハウス加賀谷=松本キックが、統合失調症をめぐるタブーを打ち壊す歴史的瞬間に立ち会っている!
精神疾患をお題に名披露目した松本ハウス(とくに当事者であるハウス加賀谷)は、その象徴的存在であるそうだが。。。
ハウス加賀谷は「統合失調症がやってきた」という本を昨年の8月に出版した。私はとくに興味もなかったし、そういう「商売」にのる気もなかったので、買っても読んでもいないが、彼らが言うには初発の症状は中学2年のときだとか。
夏の暑いある日のこと、教室でふと振り返ったとき、友だちが下敷きで顔を仰いでいるのを見てしまった。友だちは自分の臭さを吹き飛ばすために下敷きでパタパタやっている、彼は一瞬でそう理解した。
それ以後、「加賀谷、クッサー」という声が聞こえるようになったという。
以後、事実でもない声が聞こえてくる彼は精神科とのつきあいをはじめる。ようは、通院がはじまったということ。
それでもビートたけしが好きで漫才師になりたかった彼は、17歳のときオーディションを受け、松本キックと出会い、「松本ハウス」としてデビューした。
――――ある時、鞄いっぱいの薬を見つかり、病気を告白。その症状を聞いた相方が、それ、漫才に使えんか? ということで、すでにこの時代に、病気をネタにしていたらしい。
幻覚、幻視。病気の症状を面白おかしくしゃべる加賀谷にキックの方が突っ込みを入れて、笑いを誘う。
それって是か非かどっちだ?
病気の症状で笑いをとることに不快感を表したある統合失調症患者の女性が、その思いを自分のブログに書いたり、松本ハウスのブログにコメントを入れたところ、ファンから袋叩きにあったというエビソードもある。
確かに話としては面白いが、当事者として症状で苦しんでいる人には笑えるものではないだろうし、侮蔑と感じる場合もあるだろう。
「昔のような切れはもうないけれど、今できることを探していこうと思っている」と相方の松本キックはいう。
「薬のせいで感情が平坦化していて、昔のように言葉のキャッチボールはできないけれど、いまは、その鈍さを笑いにしてしまえばいい。僕はそんなふうに思ってます。笑いには計り知れない力がある。病気だってできることはたくさんある。みんな、統合失調症だって、こうして働けるし、社会復帰だってできるんです」
そして、「統合失調症」の当事者として本の出版とともに復活し、その体験をネタに、現在の「地位」を築き上げたのである。ネットを見渡せばわかるが、ソーシャルサイトの囲い込みも検索エンジンのSEOも広報マーケティングには抜かりがない。病気で稼ぐ、精神疾患ネタで稼ぐ。彼らにとって「統合失調症」は一種の鉱脈なのかもしれない。彼らは鉱脈を見つけた者として、その権利を決して手放さず、「精神村」にいつづけるに違いない。
お笑い界には、約10年毎に「エース」と言われる存在が出現した。
これは業界内でも割と常識で、普段から使われている言葉でもある。
https://twitter.com/s_hakase/status/8555903607382016
この定義に照らすと、残念ながら、さまぁ~ず、雨上がり決死隊、くりいむしちゅー、ネプチューンなどは入らない。
具体的には、以下のような人たちだ。
(テレビ世代以降のタレントに限定し、落語家や噺家は含めないこととする)
比較的近い世代に固まることもあるが、おおよそ10年に一組は「エース」が出現する。
一時期は、ロンドンブーツ1号2号が最も近くにおり、特に田村淳の才能はエースたちと肩を並べるほどであったが、いかんせん芸を磨くことをしなかったために、中途半端にまとまりすぎてしまった。
そして、数年前にこのポジションに立たされようとしていたのがオリエンタルラジオだったが、実力を伴わず、本人たちも認めるように、それは作為的なトレンドであった。
今一番近いところにいるのはタカアンドトシかなと思うが、少なくとも現在のところ、ナインティナインほどの爆発的な人気とは言いがたい。
そのナインティナインもすでに40歳を過ぎ、次代のエースが待たれるところだが、ここ数年その気配を感じることはできなかったし、今後も疑わしい。
これは俗にいうテレビの衰退が原因だろうか。
believemeimaliar信者です。(kurahitoでもactivecuteでもありません)。
彼(彼女?)のコメントは不謹慎すぎて思わずコーヒーを噴き出してしまうことも多く、毎日ほっこりさせてもらっています。
ビートたけしは世間で評価されていますが、彼のギャグはとても不謹慎ですよね。
バナナマン日村の「子供の頃の貴乃花のモノマネ」は、どう見ても「よく喋るダウン症の人」にしか見えないのに、お茶の間でドッカンうけてますよね。
誰かの願いが叶う頃、誰かが泣いているんですね。
もしbelievemeimaliarのアカウントが凍結されるのならば
一生愛されずにみじめに死ね。
散歩しようと玄関を開けたところ、ちょうど面している道路の真ん中にブレザー姿の女子高生が一人立っていた。
やや赤く色づいた髪を肩まで垂らし、目鼻立ちも日本人離れした美少女だったので私は立ち止まってしまった。
「なんだ君は」私は言った。
すると相手はいきなり仁王立ちになり「コマネチ!」と叫んでビートたけしの往年のギャグを披露してみせた。
意味が分からないので佇んでいると「千円くれたらもう一回してあげるよ」と言った。
なんだ。ガキのお手軽な小遣い稼ぎか。だとしたら得心が行く。
だが私は子供の頃はひょうきん族派ではなく全員集合派だったので
「東村山音頭だと幾らぐらいする?」と尋ねたら「んー、五千円?」と答えられた。
私は他には何があるのか訊いた。
「随分渋いな」と私は言った。
「前の客に手取り足取り教えてもらった」彼女はそう言ってニヤリと笑ってみせた。「一万円でどう?」
「悪いがとっとと帰ってくれないか」