はてなキーワード: ビートたけしとは
小倉氏自身、カツラ使用に関しては以前から認めていることであり、
あいつがヅラ隠してんの俺知ってるぜ!プゲラみたいなテンションでそのことを持ちだす性根の悪い人間がいる。
そして、それを見て一緒になってゲラゲラ笑う人間も同様にいる。
代表例がとくダネ!が番組内でとんでもないミスを犯してしまい、
それを謝罪したと報じる記事のブクマにおける下記ブコメである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/342546642/comment/sakuya_little
記事内容とはズレにズレた内容かつ非情に無礼なコメントにもかかわらず、星がつきまくり。
小倉氏のカツラいじりは正義の名の元に行っていい正当ないじりだってか。
ここまでしつこくやり続けるんだから、唐澤弁護士いじって楽しい人達と同じ神経してるんだろうね。
ビートたけしがカラオケで歌っていたのを思い出した。夏休みだね。
(歌詞には、盗んだバイクで走り出す人の唄と通じるものがあるな)
https://anond.hatelabo.jp/20170724080818
直也さん下手打ったな
消された画像や動画も見たけど、女の人がいくら復讐だからって自分の裸や顔まで堂々と晒して相手にリベンジするなんて
そう簡単にできることじゃないよ
直也さんは、さすがに仕事が仕事なだけあって、拡散されたブログや動画ばんばん消していってて火消しだけは早いな
直也さんも覚悟決めた方がいいと思うけど
多分びびってストーカーってことにしたり、警察呼んだりしてるんだろうけど、そんなことされたらこの人ますます盛り上がるよ
直也さんは、全面的に謝罪して、サイトに経緯を乗せて、本当に申し訳ないと相手の女の子に土下座して、自己保身のために彼女に
ばっかだなーwwww
愛人と結婚式した議員もそうだけど、浮気相手と別れるならうまくやらなきゃ。堕胎なんかさせずに産ませて認知だけでもすりゃ済んだのに
下手にへたれると酷い目に遭う
ビートたけしや海老蔵みたいにさっさと認知して、でも結婚できない、ごめん!ってしたほうがうまくやってんじゃん
是非彼女は直也さんのナニの画像でもアップしていただきたい物だ
期待してます
割と本当にそういうことかも。
ただ、例えばレイプもので、被害者がずっと嫌がっている描写なのに、最後のコマで「でも気持ちよかったし良いか」みたいな、加害者を正当化するような終わり方をしている漫画をみかけるとすごい違和感がある。
犯罪ものを扱うにしても、それが悪であるという前提は保っていて欲しい。
例えば、ルパンなんかでも、
盗みの対象は悪い政治家だったし、ヒロインも助けたから泥棒しても良かったよね。
っていう終わり方だったら、ただの犯罪助長アニメになってまうけど、銭形の「待て〜ルパーーン!」で終わるからこそ、
「美談にみえる内容だったけど、やっぱり泥棒はやっちゃ駄目」という常識が作者と視聴者で共有して終われて、違和感は残らない。
わざわざ注意書きを書かなくても、表現の方法としてやれることは色々あると思う。
デスノートにしても、「キラかっこいい!」だけじゃ駄目で、やはり「月に共感できる部分はあるけど、やっぱり人殺しはだめだろ」、っていう雰囲気が作中にあるから問題作にならない。
漫画アニメ以外でも、ビートたけしとか爆笑の太田とかが暴言吐いてもすぐにまともなツッコミが入るから笑いとして成立するわけで、暴言部分だけ切り抜いて放送したら苦情の嵐だろうな。
性犯罪ものの件でいうと、監獄にぶち込まれるという表現に限らず、加害者が悪であるという前提が共有できていて、被害者が可哀想にみえる状態のままで終わるだけでも、違和感は大分減ると思う。
じゃあごんぎつね作者新美南吉は動物保護団体からゴンとおなじように射殺されるべきだね。動物にだって善意もあるのにどうして射殺されねばならなかったんだ、狐飼いとしては絶対になっとく行かない。ってね。
かわいそうな話を全部なくしたら創作はなりたたない。
かわいそうな話だぞとおもってかわいそうな話を読みかわいそうな子は実際にいなくてよかったけどそれにしてもかわいそうだったなあという感想を抱ける人と、
アレを実地にやってみようと思って実行してしまう犯罪者の間には、
とてつもなく大きな溝があるんだ。
もちろん「みんなのちからで殺してやりたいくらいだれかが憎い」と思うことを増田その他で表現することも、規制されるべきではないけど、
あまり病的な悪意、憎しみを「自分が八つ当たりしている」と意識せずに「たまたま外からよく見えるとこに居ただれか」にぶつけるようなことはしないでほしいね。
犯罪者の言い訳を真に受けたら犯罪者にも五分の魂を認めてしまうだけだし。(盗人にも三分の理とやらは大岡裁き以来の悪癖だと個人的にはおもう)
架空の誰か(たとえばこの作者の作品中に登場するレイパー)が憎い、という議論ならともかく、作家さんは飯食ってうんこして生きている普通の人間なんだよ。
もちろん警察と話し合っていく理性も今回あったわけだろ。
性犯罪者?? しらね。たぶんメシ食ってないしうんこもしないとおもう。
津川雅彦さん
「影響はあるけど、影響を受ける奴は救いようのないバカ」
ビートたけしさん
「じゃあ、なんでお涙頂戴の良い話だらけなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」
影響を受けてないと思い込んでいるほうがバカだな。賢いつもりのバカ。
人の脳内フィルターなんぞ大して役に立ってねえよ。無意識は無防備だからな。
たけしの言葉にあえて乗っかって推測するなら、安い綺麗事はフックがなさ過ぎて影響力が小さいんじゃないか?
もっとも世の中がよくなってないってのも思い込みの部分があるだろうし、
それ以前にアウトサイダーを表現するアウトサイダーのビートたけしは当然そういうよね、とも思う。
んで、お前さんの意見は?
津川雅彦さん
「影響はあるけど、影響を受ける奴は救いようのないバカ」
ビートたけしさん
「じゃあ、なんでお涙頂戴の良い話だらけだなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」
お好きな方をどうぞ
俺の誕生日は1995年の3月20日。地下鉄サリン事件の日だ。
実家は上九一色村に隣接する市町村にある(今は平成の大合併で同じ市町村になってしまった)。
そういう生い立ちがあるので中学生くらいの頃からオウム真理教について興味があって、オウムについてよく調べていた。
俺の世代は、上九一色村の隣だからって特別オウムに詳しい人なんて居なかった。オウムについて調べていたのなんて俺くらいだ。別に信仰に興味があるわけではない。起こした事件や活動について興味があるのだ。
こう言うと不謹慎かもしれないが、オウム真理教にロマンを感じてしまう。麻原彰晃の不気味な感じとか、バイオテロ・化学テロをそこらじゅうで起こしていたこととか、宗教団体なのにパソコン屋や飲食店を経営していたこととか、隣の村に不気味な施設を建てていたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人が心霊現象とか超常現象に惹かれるのと似たようなもので、俺はオウム真理教にロマンを感じる。
オウム真理教が経営してるパソコンショップがそこらじゅうにあっていつでも行けた時代。ビートたけしと麻原彰晃がテレビで対談していた時代。隣の村にサリン工場があった時代。テレビでアーナンダが水中クンバカをしていた時代。エリートが胡散臭い宗教を大真面目に信仰していた時代。あの歪んだ平成一桁を、俺はもう経験することが出来ない。1日でいいからあの時代の空気を経験してみたかった。
最近は減ってきたけど、犯罪予告に関して思うことがあるんだよね。
わざわざ、過剰反応しなくてもいいと思う。
テロなんかも分からなくはないけど、今程犯罪予告が厳しくなったのって秋葉原通り魔事件以来からだよ(西鉄バスジャック事件からだ、という人もいるが、ネオむぎ茶は具体的な犯罪予告をしていなかった。当日書き込まれたのはヒヒヒヒヒだけだし)。
あれに便乗して書き込んだのが摘発されたわけ。
元々2chには悪ノリするとか、不謹慎やっちまおう、みたいな風潮があってだな(昔のビートたけしみたいだ)。
http://mimizun.com/log/2ch/news/1216196513/
>>108 : 強生(アラバマ州):2008/07/16(水) 17:26:32.84 ID:2X4VRbdJ0
109 : 丘比(東京都):2008/07/16(水) 17:26:35.55 ID:XztoITWK0
110 : 佳得楽(東京都):2008/07/16(水) 17:26:37.34 ID:Tdt/wKZX0
通報を呼びかけたりするのも、スラックティビズムの変種だと思う。
>>スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。<<
通報は、労力や負担を負わず、ボタン一つで出来てしまい、社会に貢献した気になる。
だからこそ厄介だ。
誤解しないでほしいんだけど、私は「個人が特定でき、かつ嫌がらせや脅迫の意図が強い(ここで言ってるのは本人が強く感じた場合かな、とかいろいろ考えたけど、難しい)」物は対処をすべきと思う。
前に
「コミュニケーションスキルというけれども、コミュニケーションスキルだけの人間ばかりが残っても仕方ない
すっごい手先が器用だけど口下手。こういうやつもいるんだよ」
ってビートたけしが言ってたのを思い出した。
でも実際にいい就職を勝ち取るのは「コミュニケーションスキル」だ。
あなたは、教養はあるのだねー。藤原竜也が酷評されたの?彼を育てた演出家が悪いんじゃないの?
なんで、ビートたけしがハリウッド版の攻殻機動隊で採用されたのかな。人気があって観客動員が見込めるからだよね。
創作の世界やコメディの世界は、各国や地方でツボが違うと思うので、まー、そうなんでしょうね。
一つ前の具体例よりも、そうだなー。スポーツは、底辺層が見るんだろうな。だから、それは
私はは、先日、『トランプを大統領に選出してしまったことを残念に思っている』的な発言をしたアメリカ人を知っている。
また、EUから英国が、ヨーロッパの中では比較的マシな国だと思うイギリスでさえも、なんか、国民投票になると、目先のことに囚われて、つまり、一時的な感情に囚われて判断を誤ることが良くないのでは?
一昔前のテレビでは、いじめのようないじりが横行していたらしい。
まあビートたけしに言わせれば、そうやっていじられるのは本人にとっておいしいそうで、
実際その通りなんだろうが、真似して同じことをされる一般人には何のメリットもない。
今ではあからさまな低俗要素は鳴りを潜めた。一方、今のお笑いはあるあるネタを筆頭に、
「いかに人の同意や共感を得るか」や「みんなと楽しめるかどうか」が重視され、
「あれは真似してもいい」「むしろ真似した方がノリがいい」という風潮まで生まれている。
コミュニケーションの手段やお手本として扱われてしまっているのだ。
尚、とりあげられたからといって彼らが本当に幸福の科学信者かどうかが分かるものでは無いのであしからず
尚、この記事を書いている人は守護霊とか霊験がどういったものなのか全くわかってないのであしからず
やべぇ見たくなってきた(だが踏みとどまる)
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602
↑ここに書いてあるけど自分も愛ってそういうことなのかなと思う。
旦那のいびきと歯ぎしりがうるさくて眠れないので早朝4時のリビングでこれ書いてるんだけど、これまでの半生で「ああ、これが愛ってやつだな」と理解できたことが一度だけあって、まだ独身だったころにうちの店にバイトに来ていた大学生のことを思い出した。
この子が自分にとってなぜ特別だったのかというと、それまで出会った老若男女すべての人の中でもっとも話が合う人だったからだ。
あまりにも合うので、最初は「合わせてくれているんだろう、気を遣わせて申し訳ないな」と思っていたが、よくよく話を聞くうちにその子もどうやら同世代の友人からは「ちょっと変わった人」と思われているようで、なかなか話の合う人がいないとしきりにぼやいていた。精神年齢がすごく高い子だった。
最初は弟のように大切に思っていたが、自分の中でいつのまにかそれが恋愛感情に変わってしまった。
向こうにとってわたしは話の合うバイト先の社員さん以上の存在になりえないことはよく知っていたので何も行動には移さなかったが、わたしはたぶん彼に「愛」という感情の正体を教えてもらったと思う。
自分が思うのと同じように相手が自分のことを思ってくれないのは確かにしんどいのだが、そういうことは些末な悩みなのだ。
彼がこの世に生を受け、今この瞬間にも地球上に生きていること自体に尽きることのない感謝と喜びの感情があふれてくる。
書いてて何言ってんだこいつと自分で思うけどそうとしか言いようがない。
彼の存在自体が価値であり、財産であり、わたしのすべてを投げ打ってでも守るべきものなのである。
信仰に近い気もする。
彼が誰かほかの女性と幸せな結婚をしたあかつきには、わたしは内心「ちくしょおおお」ぐらいは思うと思うけど、でもなんか「よかったー」って思う気持ちのほうが勝りそうな気がする。
これがたとえば元彼とかだと正直どうでもよい。
旦那だとどうか。わたしと離婚して別の女性と再婚したとしても「ちくしょー」ぐらいはやはり思うと思うけど「よかったー」とはたぶん思わない。増田なので言えるのだが旦那のことをわたしはもう今は愛していない。異性として好きだけど、人として愛してはいない。恋と愛とは全く別物だ。愛は上記の通り信仰に近い。男とか女とかがあんまり関係なくなってくる。わたしは件の大学生に、確かに恋もしていたのだけど、でもセックスをしたいという欲求はあまりなかった。特定の男性と親しくなるとその延長線上に性的欲求が絡んでくるのはごく自然なことだと思っていたのだけど、そういう「好き」とはなんかこう、違うのだ。いっしょにしないで!って感じになる。いや普通の男の子なんだよ。天パだし、なんかおっさんが履くみたいなスニーカーだか革靴だかよくわかんない黒い靴いつも履いてくるし、ビートたけしが元気が出るテレビで着てたみたいなへんな柄のセーターをいつも着てるし、ここまで書いたらわかると思うけど決して彼はイケメン枠の人ではない。天パだし。でも違うのだ。彼はそういう対象じゃないのだ。こういうことを考えてると「おまえじゃあ旦那は一体何なんだよ」とセルフ突っ込みが入る。ひどい女だよな、と。旦那はなんだろう。パートナーだとは思っているのだけど、でも精神的な交流が本当に今ない。家建てたばっかりで、通勤時間が長くなってすごい疲れて帰ってくるから、いろいろ話しかけても生返事だし、こないだそのことで、疲れててちゃんと話ができなくてごめんと謝られたのでそれ以来こちらもあまりあれこれ話題を振らずにテレビ見ながら一緒に笑ったり軽めの雑談をちょこっとするくらいにはしてるんだけど、んでセックスレスで、毎日一緒に寝てるのにセックスレスで、求めることも、求められることもなく。これもう駄目なんじゃね?って毎日思いながらご飯作ったり洗濯したりワイシャツにアイロンかけたりしてる。なんか、ごめんね。旦那ごめんね。愛がなくなってごめん。いやそもそも最初は愛していたのかな?わたしは旦那を愛した瞬間はあったのかな?あの大学生のときのように、いっしょにごはん食べた帰り道、別に大した話はしてないのに世界中が輝いていた(比喩ではなく、本当に物理的に輝いていた)、こんなわたしでも存在を許されていてもいいのかもしれない、と思えた、あの夜のような感激を、旦那に感じたことは?ない。うん、ないな。いやなくていいんだと思う。別にそういうのがなくても、好きなんだから大丈夫なはずなのだけど。なんでこうなっちゃったんだろうな。なんでかな。あ、旦那がトイレに起きてきた。
ゴールデンタイムの視聴率でNHKが一位になったという記事がホッテントリしていて
やれ最近の民放はつまらないのどうのというブコメが上位にあがっているけれど、
そもそも、テレビは見るほうも出るほうも高齢化しているというのが正しいと思う。
その昔、NHKというのは、おっさん、おばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんが見るチャンネルだったが、
そこは変わっていなくて、
今時の若いもんは、テレビなんぞ見なくなったということではないのか。
かつてテレビの黄金期、「東村山音頭」で一斉風靡したとき、志村けんはまだ26歳だった。
「全員集合」が終わったときですら、まだ35歳だったのだ。
いかりや長介ですら54歳。いまの明石家さんまより6つも若いのだが、あの貫禄はなんだったのだ。
なお、「ひょうきん族」が始まったときのビートたけしは34歳、
今、一番テレビで大手を振っているお笑い芸人は40代以降だろう。
そんな、おっさんがはしゃいでいるバラエティなど、そりゃ若者が見たって面白くもないだろうなあ、と思う。
「ガンダム」の話なぞ、当然の「ベースの知識」として語っていたり、中森明菜の物まねをなんの説明もなくやっていたりするが、そんなもん、若者がわからなくて当然である。
エヴァンゲリオンでさえ、初回放送から20年以上たっているのだ。
うちの祖父母は、割合固い人で、「全員集合」や「ひょうきん族」を、「くだらない、つまらない」と切って捨てていたが、
あれば、僕らが今、ユーチューバーを「くだらない、つまらない」と思ってしまうのと同じことだったのだなあ、と、最近感じている。