はてなキーワード: ビートたけしとは
とか言う人はしょうがない
そもそも頭が悪いので数学で習った抽象化されたものを、具象化して現実に適用する能力が低いのだから
そういう俺も抽象化は得意だが、具象化は割りと苦手だ
有名な例で言うと、ビートたけしが因数分解を映画のシーンの構成に使えると説明した
銃を撃つシーンと撃たれて死ぬシーンを1組出せば、あとは銃を撃つシーンだけで撃たれた相手は死ぬことを表現できる
つまり
(銃を撃つシーン1+銃を撃つシーン2+…)撃たれて死ぬシーン
という風になる
これは逆でも成立する
銃で撃つシーン(撃たれた死ぬシーン1+撃たれて死ぬシーン2+…)
他の例で言うと、人と目が合うということも数学で表せる
簡単に言うと相手の視線ベクトルと自分の視線ベクトルの外積が0になることだ
人間の脳は素晴らしい
1996年以前の話。
大通りからちょっと路地に入ったら、舗装されていない砂利道がちょこちょこあって、子供達は泥団子作ったり、水たまりから手で土を掘って水路作ってちっちゃな川を作って遊んだり、晴れた日にはコマをまわしたり、ビー玉転がして遊んだりしていた。
ちょっと大きくなると、学年で数人、テレビゲームを家に持ってる奴が出てきて、そいつんちが放課後の溜まり場になっていた。木こりの与作とか、シンプルなゲーム。そのうち、ポケットゲームが出てきて、ゲームが浸透してくると、ファミコンが現れた〜。
レコードってものがあって、専用スプレーをふかけるとムースのように泡立って、それを専用のクリーナーでレコードの溝に沿って拭いた。あのスプレーの独特の匂いがなんとも言えず良かった。レコードが大きいし、聞けば聞くほど溝がすり減るから、カセットテープにダビングして聞いていた。カセットテープは聞けば聞くほどテープが伸びていくので、ヘビロテで聞いてるアルバムはオリジナルの曲よりちょっとだけスローテンポになっていた。
バスや電車で行儀悪くしてると、そこらのおっちゃんに結構派手に叱られることが多々あった。大人は本当に怖かった。それなりに本気で拳骨で叩かれたりもしていた。ただ、あやまればスカッと結構許してくれた。野球して窓ガラス割っても、ボールで車ちょっと凹ませても。
ただ悪い奴は本当に悪かったし怖かったな。内臓破裂するほど殴ってきたり、部活のシゴキで生徒が死んだり。
年功序列で先輩が本当に怖かったし、大人の言うことはきちんと聞かなきゃいけないんだって思っていた中高生の頃、ブルーハーツとかラフィンノーズとかのパンクロックが流行ったり、お笑いではビートたけし→とんねるず→ダウンタウンといった感じで、年功序列とか過去のしきたりとか関係なさそうなのが派手に出てきたり、男はみんな短髪だったのに江口洋介やキムタクがロン毛で人気を博して急に男どもがロン毛にしはじめたり。
バブルの時の、繁華街のタクシーはすごかった。二重三重にタクシーが路駐していた。派手な会社はタクシーチケット使いたい放題で、それ使うために残業してる人もいた。ってか何枚かちぎってもらって勝手に乗り回している社員も結構いた。
年々みんなの生活が派手になっていってたら、もっとも派手そうな証券会社でもっとも有名な会社の一つだった山一證券が倒産して、ああ終わったんだなぁと思ったなぁ。
昭和の懐かし映像を見たのだが、バスガイドが今基準で言うと敬語がまったくなってない
だけど雰囲気は決して悪くなくてそれだけ乗務員と客がまだ対等な関係だったんだろうと予測できる
それが、今みたくどんどんへりくだって奴隷みたいにしていったのはいつ当たりなんだろうな
同じく昭和の懐かし映像で、人気になり始めた頃の松田聖子がビートたけしと和田アキ子のトーク番組にゲスト出演してる動画あったけど、現代の基準だとほぼタメ口だった。
「~でしょ?」とか「それでね、~」とか
自分の記憶を紐解いてみても、好景気の残り香がまだ漂っていた90年代前半ぐらいまではフランクな態度もそこまで問題にはならなかったと思う
5月13日のこと。これまで乗ったことがなかったJR和歌山線に王寺駅から乗車したところ、
「古刹を巡る会(仮称)」の旗を持った老人30人ばかりが同乗することになった。
その一行が着席するや否や、すさまじくデカい声でしゃべりだし、そのやかましさといったら、
ありゃしなかった。
小学生、幼稚園の団体も及ばないレベル。難聴なのかと疑うくらい、全員声がデカい。
スマホでゲームをやっていた高校生はヘッドフォンが聞こえないと友人に言っていた。
さらに、目の前にいたクソババァ様はでかい声で外国人旅行客のマナーがなっていない、と
のたまっていたが、お前らのほうがその5万倍は迷惑だと言ってやりたかった。
高校生や外国人らに手本を示すべき連中が醜態を延々とさらしていた。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、ビートたけしが日本人を批評したけど、
まさにその通りだった。外国人カップルはそれを学んだことだろう。
旅で気分転換をするはずが、逆にストレスを感じてしまったのは残念だった。
その後、天気は下り坂。大雨が降ったため、和歌山線は運転見合わせになった。
最低な老害軍団は五条駅で下車したのだが、巻き込まれていることを祈ったのは言うまでもない。
行き場のない怒りを吐き出して、この週末は心安らかに過ごしたいと思う。
「夜の管理ぐらいしないと」ビートたけしが山口達也の騒動に持論 #ldnews http://news.livedoor.com/article/detail/14659818/
男ばかり叩かれる風潮?どこが?被害者の女子高生がどれほど叩かれたか…
山口達也への「同情」発言止まらず 今度は元子役がブログで「業界的推察」載せ炎上
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180501-00000008-jct-ent
>「タレント同士のそういうことって、暗黙の了解でお互いがお互いのそういうのを口外しないというのがあります」
この人も女性だし芸能界で色々されてきたのかもしれないけれど。
さらに頭がいたいのは「そうだそうだ女子高生もおかしい!」と賛同しまくるヤフコメ連中。
セカンドレイプもなりをひそめてきたと思った途端にこれだ。
夜の7時に休日出勤を終えて、かつやで竹を頼んで食って、ローソンでそれ全部吐いた。
パチ屋に行けば目当ての台が埋まっているし、スポーツニュースを見れば贔屓のチームは2番手ピッチャーが押し出しのフォアボールで失点している。
それで、もう駄目だと思った。
田中じゃなくて俺が。
気がついたらイオンシネマの2番スクリーンにいて、右手にはレギュラーサイズのコカコーラゼロ。
暴力だ。
残酷で非日常的な暴力だけが、萎びてしまった俺の何かを賦活してくれる。
そんな期待をしていたと思う。
目を覆いたくなるような流血が見たかったし、息が止まるほどの処刑で呼吸を取り戻したかった。
アウトレイジ最終章は、けれど、そんな慰めを俺に与えてくれなかった。
もちろん、派手な虐殺シーンもあったし、ドキドキするような残酷なシーンもあった。けれど全体を通して、「極道」という社会のバランスを乱すまいとする配慮、政治や駆け引き、パワーゲームが、登場人物たちを支配している作品だった。
そういう、大きすぎる力による抑制が、まるで冬の真っ暗な曇空のように立ち込め、個人の感情も、理不尽な狂気の発露も、押さえつけてしまっている。
暴力は、適切なタイミングで、必要に応じて振るわれ、その結果は政治的なサムシングに吸収される。
ビートたけし演じる大友は、暴力で全身パンパンになっているような男で、何よりメンツを重んじ、舐められたらタダじゃ済まさないような危険なヤクザだ。
けれどそんな彼ですら、自分の置かれた立場からは自由になれない。
世話になっている組織から厄介ごとを起こさないよう釘を刺されれば、やられたらやり返す、なんて単純には動けない。
それはつまり、しがらみだ。しがらみの中で、大友はそれでも、舐められたままでたまるかと、己のアウトレイジのままに殺しまくる。けれどその暴力が、彼に何かを与えてくれることはなく、むしろ彼から奪っていく。
そして、暴力は何も変えない。
大友の暴力が起こした波も、極道社会の中の政治が鎮めてしまう。大きな力の前で無意味にされてしまう。
西田敏行演じる頭の暗躍も、決して逸脱せず、大きな抗争を避けるように振舞われる。
警察にも同様の描写がなされている。大友を追う刑事も、警察という組織の裏の力関係、圧力に屈し、潰される。大きすぎる存在と揉めたくない、そんな組織の論理に敗けて、退場する。
みんな無力で、無力な中で何とか上手く立ち回ろうとして、死んだり、生き残ったり、利を得たりしている。登場人物の個性は、暴力や野心よりもむしろ、処世の中に表れる。映画は怒声や銃声で満ち満ちているはずなのに、そんな男たちの有り様が、ある種の寂しさ、虚無感を持ってこちらに伝わってくる。
作中、大友の最後のセリフは、会長によろしく伝えておいてください、だった(と思う)。しがらみが、彼にあの最後を与えた。その不自由さは、今日の俺には重かった。
1作目、2作目にあったドンパチや暴力シーンはかなり抑えめで、政治群像劇みたいな仕上がりになっていた。
これで2時間弱もたせるのだから、やっぱり監督北野武はたいしたものだなと思った。激しいシーンが少なめなので、前2作と比較しても客層は広がりそうだ。
ただ、ビートたけし、西田敏行、塩見三省の役者としての劣化が激しく、見ていて辛かった。
バラエティやニュース番組でも、たけしのろれつが怪しくて何言っているか分からないことが多いが、映画でも同じであった。
西田敏行は、演技の技でごまかしてはいたが、病気の影響を隠しきれず。
塩見三省は、脳出血の影響で身体に麻痺が残っているのか、だいぶ辛そうだった(けれど、耳に手をあてて「はぁ?」と聞くシーンは良かった)。
最終章見てからビヨンドを見たら、演技のハリが違いすぎて同一人物とは思えない。
映画は良かったけれど、役者ビートたけしの老いを痛烈に感じてしまい、そのことがとても悲しくなった。
ドンパチヤクザ映画の主人公としてのたけしに期待するのはもうやめよう。
クリント・イーストウッドみたいなポジションで、シニカルな映画を撮って欲しい。
以下の話は、言葉や展開はややうろ覚えだが、実際に起こったことは間違いないです。
2014年に行われたTHE MANZAIの話。2011年にM-1後継番組として復活し、賞レースとして行われていた。
ロッジで同性(男性)に好きと告白されるシチュエーションを展開し、
ホモとかそういうやつ聞くと笑っちゃうんだよね、と笑いをこらえながら言った。
続くトレンディエンジェルも、たけしのリアクションを意識したのか、
ホモネタを雑にいれてつかみの笑いを取り、自身の漫才を展開した。
最後に出てきた博多華丸・大吉は、そこには一切触れず自分たちの漫才を貫いた。
この決勝を経て最終的に優勝したのは博多華丸・大吉だった。
もちろん、漫才のスキルでベテランの彼らがズバ抜けていたことは間違いないが、
アキナ、トレンディエンジェルには、差別的な笑いに対する配慮も覚悟も足りなかった。
彼らが優勝していたら、THE MANZAIも終わりだろうと思っていたので安心したことを覚えている。
さて先日放送され、保毛尾田保毛男が登場したとんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP
これが同性愛者に対しての配慮を怠ったとかで問題になっているらしい。
自分もなんとなく家事をこなしながらテレビをつけっぱなしにして観ていたが別にそんな事には気にもとめず、むしろビートたけしの文春の話の方が気になるくらいだった。
そもそもロケ番組なので自分の覚えている限り出だしはキャラクターを強調したものの後は普通に会話しながら3人で街を歩くという展開だった(蕎麦屋で撮影許可を取ろうとする場面では完全に素に戻っていた)
だけれどもツイッターなどでは支援団体、フェミニストや実際にカミングアウトをした人たちを中心に批判的な意見が多く流れている。
さて、まぁホモがどうだという話は色々な所でやられているので別の視点から見てみようと思う。
例えばこれが保毛尾田保毛男以外でも炎上したのだろうか?
テルと泰造、轟さん、のような同じフジテレビの他のヒットキャラでもやはりこうなったのか?
ガキの使いの遠藤の同性愛ネタや昔懐かしいウリナリのホワイティでも炎上したのか?
そう結果として笑いに対する線引きが非常に難しい。
こういった批判を展開している人たちの中には「保毛尾田保毛男を見て、懐かしいとか肯定的な意見をしている人は信じられない」とまぁこちらを全否定している物すらある。
それはそれでどうなのか?と思っていた中、見つけたのが下記のブログ
ttp://futaripapa.com/2017/09/29/tegami-293/
実際にスウェーデンで同性同士の結婚をしている男性のブログである。
「息子くん、日本ではホモをバカにしたテレビがいまだにやってるんだって、まじ古いね。」
その記事の中ではゲイ同士の結婚に対しての取材を受けたエピソードが書かれ、実にほのぼのとした内容で書き綴られているがブログの中盤から保毛尾田保毛男の話になるや状況は一変する。
要約するとこの著者が子供の頃にこのキャラクターが流行っていてその時期から同性愛の感覚があったこの著者はクラスで「ホモ=きもい」というイメージが侵食していく中でとても傷ついたという。
またそういった中でナヨナヨした男子は保毛尾田と呼ばれたりした。
こういった話が展開されそのラストには
未だに保毛尾田保毛男のようなキャラを登場させて笑いが取れると思っていると笑ってしまう。
人をバカにすることでしか笑いをとれないのはそれだけ笑いのセンスとテクニックがないということ
という言葉。
(注:あくまで掻い摘んで書いているので実際に記事を読む事をお勧めします)
最後は自身の息子に対しての温かいメッセージでこの記事は締めくくられるのであるが
自分もアメリカで数年間生活した経験のある人間だがそれをどちらが上でどちらが下などと考えたことはない。
ぶっちゃければ楽しい事より辛い事の方が多かったが(飲み屋で突然FU◯K Japanese monkeyなんて言われたこともあった)結果アメリカが嫌いになる事はなかった。
勿論この著者もそんな事を思って書いた訳ではないのだろう。
しかし結果として保毛尾田保毛男の登場が悪意と感じたのであれば、彼はそれに対して悪意のある言葉で返してしまっている。
言うなれば問題定義を悪意のテフロン加工で塗り固めただけである。
この著者だけではなくインターネット上には大なり小なり解決に至らない罵詈雑言が溢れかえっている。
それで解決が出来るのだろうか?と改めて問いたい