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はてなキーワード: ビートたけしとは

2020-04-27

anond:20200427194747

ビートたけし『なんでせっかく買ったのに乗らないのか、って?ダンカンバカヤロー!乗ったら自分クルマ見れねえじゃねーか!』といって自分は並走させた車中から愛車を眺めるのを好んだ、という。チーン

2020-04-25

ビートたけしってもう結構な年齢だよね?

60才くらい?

2020-03-30

anond:20200330121705

テレビで「悪い人」キャラで売ってるのって

ビートたけしとか爆笑問題みたいなごく一部だろ。

それこそ志村だって最近好々爺キャラだったじゃん。

2020-03-26

Youは何しにTV業界に?

クソどうでも良いんだけど、芸能って、

映画演劇歌謡舞踊落語など、大衆的娯楽の総称演芸。」だとか、

学問芸術技能などについての(優れた)能力。」ってGoogleで調べても出てくるように、

基本、あくま大衆向け娯楽の総称なんだよね。

しかも、文字から語義の成り立ちを考えれば、芸術技術総称と考えるのが筋だよね。

まり元々は「自分の持つ芸術能力を売りにする」人が居て、そういう人が芸能人と言われてた訳で。

それが転じて大衆娯楽という意味に捉えられるようになったワケで。

今のTVに出てる人ってのは、あくまで「お笑い芸能」を売ってる人に過ぎないんだよね。

から言うなればYouTuberとかも一種芸能人だし、学者とか技術だって一種芸能人。

ましてや琵琶なんて昔からの娯楽であり芸術、古来日から江戸時代まで二重の意味芸能として使われてたワケで。

それを何も知らない素人さんが笑うのって、二重の意味ダメだよね。

お笑いは基本、素人弄りは御法度なんでしょ?

んで、琵琶を作る人なんて先輩の先輩……それこそ吉本なんかの興行が出来る前から昔の、大々先輩がお世話になった偉大な人物なんじゃないの?

ビートたけしとかさんまとか志村けんより更に上の先輩が世話になったかもしれないとは思わないのかな?

お笑い世界は、先達に敬意を払わない芸能人でも出世できる、そんなチョロい業界だったっけ?

そりゃ逆に、学者やら芸術家が素人バカにするのも御法度だよ?

そんな学者芸術家はdisられても仕方ない……ていうか、何様ってなるでしょ?

でも、だからと言って他の業種を軽視したりして良いワケじゃないよねぇ…………


ま、どうでも良いんだけどね。

2020-03-11

anond:20200310073258

せっかくなのでなんか書いてみる。ツラツラと

僕が昨日見た夢の話、ほどツマラナイものはない、聞かされる方は時間無駄

これを会話に持ち込まないのは社会人ルールだよね。

面白くない理由リアリティがなく属人性の強いフィクションからで。

現実に遭遇した出来事をわざわざ「夢で見たんだけど」とマクラ付けて披露するとウケ無い。

逆に夢で見た話をさも現実のように語る人もいるが、そこそこウケる

百冊のサスペンス本の感想文よりも、実生活ヤクザに追いかけられて逃げ延びた話の方が面白

ボコボコに殴られた話はもっと面白い。

ヒューマンドキュメンタリー映画を何本も見るよりも自分の足で途上国スラム街を歩きなにを感じたか自分経験自分の口で語れる人間の方がかっこいい。

なにが言いたいかって、なんとなく増田経験力不足を感じるんだわ。

真面目な人なんだろうけど。

テキスト一本読んだだけでの評価で悪いけどさ。

なにを経験すべきか、あるいは自分人生には無用だと排除してしまう線引が厳しいような。

好奇心はあってもリスク評価で行動が抑制されちゃう人。みたいな。

から出会った女に底の浅さを見透かされるのでは。

この人もっと知りたい、とか

この人は頼れそう、みたいなオーラも醸し出せない。

実際人生経験限定的あんまり頼りにならないと思う

そこいらを見直してみてはどうだろうか。

いわゆる殻を破る

ともかく、なんかわからんが、

綺麗に生きようとしてんじゃねぇよ

と言いたい

まぁでも頑張れ

女に振られたくらいでいじけるな

あと、話に困った時は「目玉焼き醤油ソース?」みたいなのでいいんだよ。難しく考えるな。

焼き鳥は塩?タレ?はダメだよ、宗教はマズい。

ともかく、普遍的に話が繋がりやす定番ネタみたいなのを自分の中で一つ持っとくと良い。

同じネタでも何十回もやってりゃ慣れてパターン化して磨かれてくる。

こっちは定番ネタでも相手には突然の振り、は武器にもなる。

繰り返せば、どのタイミングで挿入するか、どうやって話を広げるか、どういう応答する人と相性が良さそうかとか、ノウハウが見えてくる。

ビートたけしだって困った時はいまだにコマネチ、半世紀やってる。

三谷幸喜好きみたいけど、彼はバナナで30年だ。いいんだよそれで

喧嘩恋愛は場数。

コミュ術の基本だけど、念の為

エラソーで悪いけど、思ったことを書いてみたよ。とりとめなく、

でも目玉焼きは使うなよ、俺のだから。20年使ってんだ。特許料払え

ちなみに三谷幸喜バナナと言えば俺の記憶で一番古いのはやっぱり猫が好き、なんだが、念の為に調べたらバナナの話は三谷作じゃねぇのな。いや、別の話でバナナ使ってたハズ、確か耳にバナナ、少なくとも次作、子供欲しいね、でもバナナを使ってた。ハズ。たぶん。三谷は困った時はバナナに頼る。

ともかく、マウントっぽくなっちゃったけど、

やっぱり猫が好きファーストシーズン当時既に童貞ではなかった人の話だから許してくれ。

まとめると

出会った相手リスペクトして、誠実に接して、見返りや同質は求めず、そうやって生きてりゃいいこともある

しらんけど、たぶん。人生楽しめ

2020-02-20

anond:20200220001949

オカルトスピリチュアルの類は一切信じてないが、ビートたけし超常現象番組は好き。めちゃくちゃ言っている人がいると楽しいぞ。

2020-02-10

anond:20200210152722

推し武道館に言ったら死ぬというアニメをみて

主人公アイドルオタクの「えりな」に

かわりに推し応援してもらってるつもりになればいいと思う

自分はああいうの(30枚買い占めとか交通費とか)金銭的にも

(鍵開けに並ぶとか)体力的にも家庭状況でも絶対できない立場

それに若い女性でもパンひっくりかえして6万とかもらえる人は現実はいない

たいていお水でバイトしておっかけやってる

そうやって身を削ってる人と一緒になるのはいやだな

その人を支えているつもりでも

そこをとおして対して好きでもない同性アイドルを推させられてるということになるのでは?という気持ちになる

共働きで二人別々に推しがあってそれがシェアハウスの延長として結婚子育てという家庭もあるけど

子供がうまれたら子供を推さずして何を推すっていう生活になるし

あのときのウン万円があったらってなるようなら今からやめといたらいいとおもう

前澤社長ビートたけしくらいの財力があったら?

知らんがな推したいだけ推せばいいだろ

2020-02-07

anond:20200207154727

ビートたけし名義で出してた著作で、

食糧ディストピア時代が来て、

出会った男性どうしでカニバリズムする

場面があり、交互に各人の部位を喰わせ合う描写があった。

相手の男「ではまず腕をどうぞ」

喰い終わりかけたこ

相手の男「デザートバナナはいかが?」

しかしどうみてもそいつ

トンガラシだった・・・


さぶい時期に小用に立って引っ張り出すたびに思いだすフレーズ

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2019-12-21

よく知らないので雰囲気でモノを書くんだけど

ヨが付く人がなんか荒ぶってるなー。インターネット芸人だと認識していたけども、ちょくちょく燃えてるな、くらいしか知らないんだが。

そこでビートたけし言葉を思い出したんだ、ヤミ営業問題でのコメントで、お笑いってのは「俺を見て笑え」と自分自身で人を笑わせてナンボの商売なので、自分の身の上に笑えないようなことをやっちゃダメ。って。

ああ、なるほどな。と。

かに。笑えなくなっちゃったねぇ・・。

そもそもインターネットお笑い芸で生計を立てているのか、それすらも知らんけども)

2019-12-18

ビートたけし面白くない

全く面白くない

それ以前に何を言ってるのかすら不明

とっとと隠居しろ

2019-12-06

男性の凸がバナナ

戦後アメリカから

ビートたけし の初期の本には“どう見てもトンガラシでした”みたいな比喩があったけど、日本だとソッチのほうが例えとしては由緒正しいの?)

2019-12-05

ビートたけしが語る「無差別殺人」という呼び方への違和感

プロボクサー空手家は鎧を着てない非武装のやつを選んで殴ってるじゃん

甲冑きてるやつを殴れよ

無差別級選手クマと戦え

https://blogos.com/article/421415/

2019-11-24

桜を見る会騒動ビートたけしコメント芸人はい迷惑

バトロワときみたいに「この国はだめになってしまいましたと言ってほしい

2019-11-02

とんねるずと同学年ですが。

とんねるず体育会系とか脳筋な芸。バカにして見てました。

その直前くらいかセントルイスツービートの人気が出てきて、それまでの「青春」「熱気」「根性」みたいなもの否定されて、汗をかいたり、なにかに一生懸命なのが笑われるという「冷笑的な」風潮になってきます学歴大事で、田舎者スポーツやる人間はアホ、というように世の中の評価も変わってきたんです。

そういう風潮の中でとんねるずが出てきて、おれたちゃ「高卒」「体育会系」を売りにして、単純で馬鹿である、というのを売りにしたんです。自分らは「今やバカにされる存在の」体育会系脳筋ですが何か、というスタイルで出てきたんです。

なので、私もそうだけど、とんねるずファンは、あれらを「あるある!」とバカにして笑ってたんですよ。そして、それは彼ら自身も分かってたはずです。時代的に「自分らの」体育会系スタイル時代に合ってないと。だから、それを逆手にとって。ビートたけしバカにしてたような「架空の人々」の実在バージョンとしてとんねるずは出てきたんです。

2019-10-10

anond:20191009114445

カメ止めのストーリーはあれで完結していなくて、

そこから更に「しこしこミニシアターに通うサブカルオタどもとクリエイターの卵たちが社会現象を引き起こす奮闘記」が加味されてたんだよ。

当時の熱狂が生んだカタルシスあって初めて100%面白さを体験できるから、今更見ても当時絶賛された意味はもうわからないよ。

その点ある意味ブレアウィッチプロジェクトと同じなんだよなカメラを止めるな。

それからゲットアウトの話になるけどあれの脚本監督ジョーダンピールっていう、主にコント番組に出てたコメディアン。ゲットアウトが処女作

強引な言い方をすればビートたけしみたいなもので、映画オタ特有ロマネスクやこだわりがないかわりにエンターテインメントとしてのサービスさりげなく仕込むのが上手い。

そんでピールは黒人だけどスノッブ白人に囲まれて育ったような複雑な人で、アメリカ黒人問題を独特な視点で捉えてる。

結果コントとして見ることが出来てとっつきやすいが、単なる娯楽作として割り切れない深刻さもある作品ができた。

映画オタの無邪気でひたむきな活動大衆普遍的共感を覚えたカメ止めと、エンタメプロが長年のノウハウからアメリカの歪みを喜劇昇華したゲットアウトは結構対照的作品だったと僕は思う

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