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はてなキーワード: ヒット曲とは

2018-02-20

熱狂ファン

よく読んでいたブログが閉鎖されていた。

あるアーティストファンブログで、私もそのアーティストファンだった。このところ主だった活動ラジオのみ。

アーティストは曲を作ってライブしてなんぼだと思ってるので、このところの活動には不満を持ってる。

ブログの主も、同じようにに思っていたのか、「今◯◯は、なにを考えて活動しているのかわからない。」と書いていた。

私も同感だ。歌う姿が見たい。

絵本作家の姿、アーティスティック写真ヒット曲ピアノアレンジ版を見たいんじゃない。

前向きな新しい作品が聞きたい。

2018-01-25

わたし若い頃、怒髪天バンドブーム終盤にメジャーになった。

それからずっと一発屋になるほどのヒット曲もなく低空飛行で活動し、解散もしなかった。

そしていつの間にか本人たちが望んでいるかどうかは別にして「知る人ぞ知るバンド」「通が好むバンド」という定位置についた。

ここ数年、その制作会社音楽業界自称通の人たちが偉くなったらしく、CM番組BGMでよく怒髪天がかかっている。

特段世間では話題になることもない。

全くブレークする気配はない。

ちょっとばかり座りが悪いというか違和感を感じてる。

2017-12-31

anond:20171231231428

でも歌うのは微妙な曲

全盛期のヒット曲歌うのは断られたんだろうなー

しか紅白って歌番組としてはつまらんな。

年末にやってた歌番組のどれよりもつまらない。

民放番組最近流行った曲or懐かしい昔の大ヒット曲で埋めて来るけど、

紅白はそれ以外の微妙な人&曲が多すぎる。

生で歌って貰わないといけないから仕方ないんだろうけど。

でも何かお祭りっぽいから&合間に入るいかにも紅白っぽいNHKっぽいパフォーマンス見るために見てしまう。

パフォーマンス微妙なんだけど、つい。

2017-11-24

ナイス忖度!!

今年の流行語大賞候補にもなっている「忖度」という言葉

元々の意味は「(相手気持ち、望むことを)思いはかって」行動するというものなので、

決してマイナスなことだけではないはずだけれど、

大物政治家やら、大手芸能事務所やら、権力を持つもの迎合するような

「しなくていい」忖度ばっかりが目立ってしまい、

正直良い印象を感じることは少ない。

そんな中で、昨夜、思わずナイス忖度!!」と叫びたくなるような出来事があったので記しておきたい。

世間はい夫婦の日勤労感謝の日というこのタイミングに、

私は妻も放置し、仕事に追われており、

ラジオを聴きながら、仕事場で机に向かっていた。

流れていたのはNHK-FM祝日にの放送している今日は一日〇〇三昧」

一人のアーティスト特定テーマについて、

日中、そのテーマに関する音楽をかけ続けるマニアック番組

アニソン特集ときなどはネットでもかなり話題になるので、

ラジオを聞かないという人でも、なんとなく知っているという人も多いかと思う。

で、昨日のテーマは「今日は一日、小田和正三昧」

オフコースとしてデビューしてからまもなく半世紀

古希を過ぎた今もなお、あの澄んだ歌声武器

第一線で活躍している小田和正さんを

実に10時間以上にわたって特集するという。

番組MCを務めたのは、

今春までNHKの朝のニュースの顔であった阿部 渉アナウンサー

実は学生時代からガチオフコース小田和正ファンでもあるらしい。

今夏にもNHKBSで放送された番組で、

小田さんへのインタビュー担当しており、

それに続いての登板である

通常、この〇〇三昧というシリーズでは、

そのテーマアーティストにまつわるゲストスタジオに多数登場し、

賑々しく放送されるパターンが多いのだが、

今回はなんとMC阿部さんと小田和正さん本人のみ!!

小田さんは途中休憩を挟んだものの、

から夜までほぼ出ずっぱりで、

その他のゲストは一切なし!!

年に一度、TBS系で放送される「クリスマスの約束」を除いては、

滅多にテレビラジオに出演しない小田さんが、

これほど長時間にわたって、しかも生番組にでるなんて・・・

(しかも正直この年齢で)大変思いきった番組だった。

が、そんな番組にもかかわらず、

特に大きく宣伝もされていなかったせいか

事前にはあまり話題にのぼっておらず、

私もたまたま偶然ラジオをつけて知った口である

(ある意味今日仕事をしていてよかった・・)

番組はひたすら小田さんの曲をかけて、

その曲にまつわる話をしていく

合間合間にリスナーからメールツイートを紹介したり、

小田さんにゆかりのある人物から

小田さんにあてたメッセージを流していた。

大学の元同級生、植樹しにいったという被災地の人、

さらに同時代活躍した元チューリップ財津和夫さんといった音楽仲間

心地よい歌の数々に癒されながら、

仕事を続けていたら、

終盤にさしかかった夜9時前

わず手を止めてしま事件が起きた。

オフコースとして1982年まで一緒に活動した鈴木康博さんが登場したのだ。

オフコースを知らない世代にはピンとこないだろうけど、

これは結構大事だ。

例えるなら先日のabemaTVにおける元SMAP3人と森くんの"21年ぶりの邂逅とでも言おうか・・。

小田さん鈴木さんは、中学高校同級生で、

そのころから一緒に音楽をはじめ、

それを母体に作ったバンドオフコースである

当時は大学進学率も低く、

まして国立上位の大学を出ているメンバー

ある意味エリートとみられ、

音楽の道で夢を追って生きていくなんて・・とかなり咎められたそうだ。

特に鈴木さんは上場企業への就職内定していたそうで、

その軋轢は大変なものがあったという。

当時のインタビューによれば、

そうした親や周囲の反対を押し切って進んだ道だからこそ、

絶対に「成功しなければならない。」という意識を強く持っていたそうだ。

小田さんもそれは同じで、建築を学んでいたのに

なんといっても卒論タイトルが「建築との決別」である

全てを投げうって音楽の道をまい進する決意を固めた二人は、

1976年に追加メンバーを迎えるまで、

二人組として活動した。

「僕の贈り物」、「でももう花はいらない」、

「眠れぬ夜」、「愛の唄」など今もよく聞かれている名曲もたくさん生まれているし、

それなりにファンもいたのだが、

今を基準にすればまったく無名といってよく、

今日番組でも、さだまさしさんからメッセージの中で、

「(当時)よく一緒にライブに出ていたが、オフコースの方が先輩にもかかわらず、

(さだの)グレープの方が先にヒット(精霊流し)して有名になってしまい、

前座のような状態にさせてしまって恐縮していた。」というような話が出てきていた。

苦労時代が長く続いたあとで、

オフコースデビューから10年経った

1979年に「さよなら」という曲が大ヒットしたことで、

一気にブレイクを果たした。

そこからヒット曲を連発するようになり、

武道館での連続10日間にわたるコンサートなど、

当時、日本一の人気バンドとなった。

しかし、その「さよなら」をはじめとしたヒット曲は、

すべて小田さん作品であり、

世間オフコース=小田和正というイメージ認識していく

長く続いた人時代は二人の関係は対等で、作品もそれぞれ作っていた。

そもそもレコード会社がつけた二人組時代キャッチコピーは、

(男二人にかかわらず)

日本カーペンターズである

私はそれを言うなら、本来日本レノンマッカートニーだろ!!と思うのだが、


それこそ同時期に、同じ東芝レコードに在籍したチューリップレコードに、

財津和夫さんが「和製ポールマッカートニーを自認」と書かれているので仕方がなかったのかもしれない。

それはさておき・・


レノンマッカートニーのような関係だったはずが、

メンバー、バックのギタリスト扱いになってしまたことは、

鈴木さんを相当に傷つけてしまったようだ。

鈴木さんはオフコースからの脱退を申し出て、

事実1982年6月武道館コンサート最後バンドから離れ、ソロへと転向する。

小田さんはその後も残ったメンバーオフコースを続けたが、

結局1989年バンド解散し、その後、本格的にソロ活動を開始。

そして「ラブストーリーは突然に」を手始めに、

小田和正としても大ヒット曲を連発していく

のちにオフコース解散について、

ヤス(鈴木さん)が抜けた時点で、もはやオフコースではなかった」と認めており、

解散までオフコースに残ったメンバーの一人、松尾一彦さんも

「僕らではヤスさんの抜けた穴は埋められなかった」と語っている。

脱退後、二人の間では交流はなくなった。

もともとは同級生で友人だったはずだが、

オフコースとして活動していたときも、

飲みに行ったり、一緒に出掛けたりといったこともほとんどなかったという。

実際、脱退の直後には、

鈴木さんが「別に友達ではない。電話番号も知らない」的なことを言っていた時期もあった。

そこだけ切り取ってよく不仲という見方もされるが、

どちらかといえば、仲のいい友達同士というよりは互いに一目置き、

切磋琢磨して、真剣音楽に向き合ってきたライバルであり、仲間だったのだろう。

(そのへんもなんだか、最近SMAPの一件と重なって見えないこともない。)

はいえ、

元・赤い鳥山本潤子さんや、

後輩・THE ALFEE坂崎幸之介さんなど、

小田さん鈴木さんの両者と仲がよく、共演するミュージシャン仲間がいたりもして、

願わくばオフコース再結成・・・ という声はあった。

しかしそうした話題がのぼるたびに、

ことなくピリピリした空気が流れていたのも事実

実際に数年前、TBSの「風のように歌が流れていた」というテレビ特番の中で、

暗にオフコース再結成は「もう、ないよ」と否定する発言もしている。


ただ、音楽を愛し、真剣に向き合ってきた二人だし、

互いにその存在を認めていた二人であったことも事実

から不器用で意地っ張りで、口下手な二人を

誰かが再びくっつけてくれることを、

ファンとしてはどこかで期待していたのだけれど、


それがまさに昨日で、

その誰かが阿部 渉アナウンサーだったというわけだ。

事前に小田さんにはまったく知らせていなかったらしく、

本当のサプライズであったようで、

鈴木さんからの肉声のメッセージが流れてきた直後、

「すごいところをついてきた」、「消化するのに時間がかかる」と動揺を隠せず、

そのあと思わず涙がこぼれていたようだ。

(ラジオなので見えないのだが、阿部アナも同じく)


鈴木さんからメッセージは、

オフコースとして一緒に音楽をやっていた時代が今では「宝物」に思えるとし、

あの澄んだ歌声や才能が羨ましかった、たくさんのことを教えてもらったと、

当時どんな想いで小田さんとその音楽を見つめていたかを振り返りながら、

最後は(お互いにいい年となったけれども)

それぞれの音楽を頑張ろう という形でまとめたもの


「もう一度いっしょにやろう、再結成しよう」みたいな発言は一切なし

それでも・・・、雪解けというか、

35年もの間、伝えられなかった気持ちが伝わった瞬間というか、

何かが変わるような期待と空気に包まれた瞬間だった。

人の気持ちを思いはかることはとても難しい。

でも誰かが動かないと、

動かないときもあるし、動けないときもある。

昨日はそんなことを考えることができた。

仕事の方はちょっと遅れ気味になったけど・・

(ごめんなさい。)

2017-11-09

日本歌謡界に無いもの

自分だけの持ち歌にこだわり過ぎて、

つの名曲をみんなが歌う慣習が無い。

この歌はあの歌手・あのグループが歌うもの…というイメージしかいから、

結局、その歌手グループ知名度が歌の知名度と同等になってしまい、

国民ヒット曲が生まれない。

カバー曲という概念はあるけれど、

時代にみんなでカバーするということをしていない。

歌手自分利益だけにこだわった結果、

音楽業界全体として得られるべき利益が減っているように思う。

2017-11-04

ジャニーズ事務所圧力 もうあの頃のSMAPはいない

辛い。

薄々気づいてたけど、SMAP人間関係不和解散を選んだ。

週刊誌なんて信じてないけど、SMAPをよく知る芸能人に言われ、もう一度自分の目で確かめたら明白だった。

タモリ乾杯したら仲良し」

これ今仲良しじゃないってことだようね。

SMAPは元々ビジネスパートナー全然仲良い訳じゃないけど(しんつよを除く)5人集まると圧倒される力があった。

それがいつからかあまり感じなくなって「年を重ねて丸くなったのかな?より親しみやすくなったね」と呑気に考えてた。

2016年スマスマさ、ファン目線でみてもつまらなかった。

今までと同じなんてお花畑なこと思えなかった。確実に今までずっとみてたSMAPはもういなかったと感じた。

でもそれは、散々不仲と週刊誌ネットニュースで言われたから、そういうフィルターにかかったのかな?とも思った。

そう信じたかった。

でもね、スマスマ木村中心に見てみると全然違うスマスマが見れた。

木村記憶にある木村に近いのに、他のメンバーと合わない目線。いつもより離れた距離感

木村に話しかけることもなければ、笑いかけることもない。地獄かよ。

40の男がテレビの前でそんな姿見せるのかよ。

さんまファンのために歌だけは歌ってくれ。25周年やぞお前」

鶴瓶「やっぱり最後もね、解散するならちゃんとコンサートをして終わるべきだと思います

解散コンサートをやってほしかった。

解散コンサートはおろか、歌番組にも全く出なかった。

お世話になってる方たちが発破をかけても、こんな人間関係じゃコンサートなんてできないよね。

これすらも「ジャニーズ事務所圧力!」とか言ってる人がいるけど、解散コンサートなんて一番稼げる時をさせない訳ないでしょう。

なぜSMAP弱者で虐げられてたと考える思考分からん

一番弱者とは遠い存在じゃん。そういう強さが好きだったもの

「僕たちはこれから違う道を歩きますが、応援してくれれば嬉しいです。今までありがとうございました!」

この一言があれば、ファンも前を向いて歩いて行けた。それすらも言わなかった。言えなかったんじゃない、言わなかった。

辛いけど、信じたくないけど、苦しいけど、私も現実を見て感じて、前を向いて進む。

SMAPありがとう。もうSMAPの亡霊を追いかけるのはやめる。


…ということを過去に書いて加筆修正しました。

今更アップしようと考えたのは例のアベマTV

堺正章「これ以上の仲違いはやめてくれよ。この3人は仲良くしてくれよ」

と言ったのが炎上してたから。もちろん炎上過激スマヲタ内。

まりにも解散新規過激スマヲタが、ジャニーズ事務所呪詛を吐いてたり、派閥についてのねつ造過激派中心に広がってて、

メンバー仕事に響いてしまうと思ったから、訂正しておきます

先に言っておくと「派閥は双方に責任がある」という大前提です。

SMAPハブられた」とよく話題にあがるのは、J-FRIENDS問題

阪神淡路大震災へのチャリティーとして、TOKIOV6KinKi Kidsで結成されたグループです。

グループ関西出身者がいる」という理由で、期間限定活動しました。

当時木村が「入りたかったな~」と言ったり、他メンバーが「俺たちハブられたー!」などと言ってたので、

SMAPハブられたんだよ!ふざけんな!」と20年近く経って炎上してたわけです。

当時を見ていた側からすると、ハブられたというより、SMAPが既に売れているから他グループをどう売り出そうか、と考えてのユニットでした。

この時代SMAPは、青いイナズマSHAKEダイナマイトといったヒット曲を出し、ジャニーズ事務所の中でも頭一つ抜けた存在だったわけです。

SMAP単体で既に売れてたから、わざわざユニットにするメリットが薄いと言えます

KinKi Kidsも、それこそめちゃくちゃ売れてましたが、「関西出身二人組」なので、Jフレの柱となっていたように感じます

ここにSMAPが入ってたら、他のグループにも目にかけてほしいのに、SMAPのためのSMAP中心のグループになるのは目に見えてます

ハブられてた」というのも多分その場の冗談で、単純に「俺たちも入りたかった」程度だと思う…思いたい。

SMAP特に中居ブラックジョークをよく言うから…。

今思えば、SMAP入らなくて正解だったと思いますよ。

Jフレの歌割りは、歌の上手い人はパートがすごく長くて、下手な人は一言です。ハイ

人気絶頂SMAPが端の方で歌うなんて10何人もいてバランス悪いでしょ。

他の派閥と言えば、SMAP×SMAPですかね。

スマスマは当時視聴率30%を超えるほど高視聴率番組でした。

事務所人間だったら、他グループバーターにして出演させたいと思うでしょう?

ところがどっこい、2007年生田斗真が出るまでSMAPより世代が下のグループは出ることはありませんでした。ヒュ~~!

なんか名目は「ビストロSMAPゲストおもてなしするコーナーなので、後輩は出さない」との都市伝説です。

ちなみにマッチや東は出た。

一番視聴率をとってた時代バーターつけなかったんですよ。SMAP側は。SMAP側というより飯島マネは。

飯島マネより立場が上の人もいるじゃないですか。渦中のメリー副社長もそうです。副社長ですよ。

事務所人間だったら、どのグループも人気が出てほしいから、事務所アイドルがやってる番組しか高視聴率なんて、

さない手はありません。それでも2007年までSMAPより新しいアイドルは出演することなかった。

この当時は間違いなくSMAPもとい飯島マネの力の強さは明らかでした。

しか2008年頃に嵐が大ブレイクを果たしたことで力関係が多少変わってます

SMAPは「ハブられた」というより、「ジャニーズ事務所アイドルだけどジャニーズっぽくない」「後輩と絡むのは稀な孤高の存在」として

長年、それこそ90年代から売ってきた訳です。

というかスマヲタだってそう思ってきたよね。

SMAPは他のジャニーズと違うので」「後輩はSMAPのようになれない」という謎の上目線

嵐がブレイクし、嵐全員のCMを見て「安売り」「SMAP個人確立してるから」「後輩はSMAPのようになれない」と言っておきながら

ソフトバンクの全員出演のCMや5人旅では大喜びしてましたよね。

ビジネスアイドルグループであることにプライドを持って、仲良し売りを散々批判しておきながら、

わちゃスマ(わちゃわちゃするSMAP)であって欲しがってましたよね。

これ全部懺悔です。

懺悔ですが、こういう人が非常に多かったのも残念ながら事実です。

あと例の2015年SNFのこと。

SMAPの出番になったら一斉退席」なんてデマがあります

ファンが「証拠を出してください」と言ってるのに一向に出ない映像

当然です、そんなもんは映ってないんですから

なんか中居くんが「全員一斉に退席しちゃったよ」と番協で言った言わないで荒れましたけど、

SNFは入れ替わり立ち替わり出演者が移動しますし、「一斉退席」はあり得ません。

というか中居裏番組があるから出れなかったにしても、最後自分たちの出番まで全く円卓に座らず、

マッチ35周年のお祝いでSMAP以外のジャニーズが盛り上げているのにも出演せず、

自分の出番には他もいろやという方がおかしいというか。そこまでは言ってない。

未だに一斉退席を信じてる方は、もう一度確認してみてくださいね

自戒をこめて書くけど、スマヲタは恵まれすぎていたことを自覚してほしい。

雑誌も連載も多く、シングルを出すだけで表紙になっていたこと。

特番が多かったこと、毎週歌って踊るコーナーがあったこと。

グループCMがあったこと。

SNFで歌が下手なのに、毎回一人ずつコラボがあったこと。

これはSMAPが今まで積み重ねてきた信頼であるけど、当然じゃない。

グループファンに「今まで当たり前だったから」と言ったら「感謝が足りない」と怒られました。

当たり前すぎて感謝が足りないから、退所する(かも)といわれてた香取CM契約満了で終わり、それが後輩の担当になったか

「奪われた!!」と言って、企業電話ハガキSNSで凸り、他ファンからドン引きされてるんですよ。

SMAP関連の某掲示板に、後輩グループがやってるCM企業の凸先が書き込まれて、「声を届けましょう!」とかやってる人もいるんですよ。

SMAP検索するだけで、ジャニーズへのヘイト呪詛が山ほど出てくるんです。

中居木村ジャニーズにいるのに。

酷いと他グループ木村ドラマ映画関連を検索してもスマヲタ呪詛が出てくる。

もう疲れた

現実見て前に進んでるスマヲタもいるし、私がまともなファンとは言えないけど、SMAPSMAPメンバー応援するのであれば、

前向きに応援してほしいです。誰かが被害者でも加害者でも虐げられてる訳でもない。

3人は自由にのびのびとやってるから圧力もきっとないよ。

私はNEWSMAPはコンセプトが応援できないし、見たいお仕事じゃないから、支えようとは思いません。

支えたい人がまっすぐ応援してほしいです。

香取慎吾くん

あなたの顔と歌声が大好きでした。

ビジネスアイドル自称し、みんなを笑顔にすることがアイドルだと言ってましたね。

笑顔にすることが仕事なら、ボロを出さずにそうして下さい。

文句言いつつ機嫌悪そうな顔は、昔は「甘えてる~♡」と思ってましたけど、もう子供じゃないです。

私の求めるアイドル像との解釈違いに気付いたのでファンをやめます

今までありがとう笑顔にしてもらった時間は忘れません。

結局ポエミーな担降りブログになってしまった。

スマヲタは○○担と言わない)

2017-11-02

anond:20171101205507

この延長線上で、すでにヒットしたポップソングに別の歌詞を付けて歌ってしまう方が成功率は高いかも。

それもヒットしてからほとぼりが冷めた頃じゃなく、元曲がヒットチャートにあるうちにすぐかぶせる。

男性ヴォーカルの元曲への女性からアンサーソングです、みたいな。

ヒットするためのリスクをひたすら減らしたいレコード会社仁義なき世界

あと昔ちょっとあった海外ヒット曲翻訳ソング(「ダンシングヒーロー」みたいな)。

あれも色々やりようがあるような気がする。

2017-10-12

2016年のヒット曲 年間トップ300発表! - The Natsu Style

44位 : 109,042pt … Fifth Harmony 「Work from Home (feat. Ty Dolla $ign)」

78位 : *68,654pt … ジャスティン・ビーバーSorry

85位 : *62,393pt … ウィズ・カリファ 「See You Again (feat. Charlie Puth)」

86位 : *59,747pt … テイラー・スウィフトShake It Off」

88位 : *59,507pt … ジャスティン・ビーバー 「What Do You Mean?」

90位 : *58,227pt … カーリー・レイ・ジェプセンCall Me Maybe

92位 : *57,300pt … ジャスティン・ティンバーレイク 「CAN’T STOP THE FEELING! (Original Song From DreamWorks Animation’s “Trolls”)」

100位までにこんだけ入ってるなら十分じゃないの洋楽

2017-09-07

なんか悔しい

公園自作の曲をギター弾いて歌ってたら熱心に聞いてくれる人がいて喜んだら「僕も歌歌ってるんだ、よかったら聞きにきて」って言われて行ったら同じ手法でかき集められた客をサクラ代わりにミスチルヒット曲メドレーをカラオケで熱唱されて「歌手活動はじめて1ヶ月。こんなに大勢のお客さんに聞いてもらえてうれしい」とか言われた、そんな気分。

はてなブログについてです。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170831204351

33:【初音ミクAppend】  Q  【オリジナル曲

https://www.youtube.com/watch?v=kX_LmAXYB2I

マイナー電子音系ですけど落ちついたしっとりさもある曲です。心の手の届かないところを撫でられる感じ。

34:【初音ミク有理数プラネットオリジナル

https://www.youtube.com/watch?v=hg4yM6dF1XI

35:ORBITAL

https://www.youtube.com/watch?v=XGZkRbQSMms

上とは逆にこのリスト多数派キュンキュンピリピリスピード電子音系。

現在。2014/01/01~

少し離れていたので薄めですf(^_^; ボカロムーヴメント自体はだいぶ落ちついて、ある意味パターンが出切っちゃった感がありますが、一時の低迷から最近は抜け出して作者や再生が戻ってきてるみたいです。

36:【第12MMD杯本選】ミクさんが一曲披露してくれるそうです

https://www.youtube.com/watch?v=URl7NLO95BI

幻想的な動画

37:【IA】アスノヨゾラ哨戒班【オリジナル

https://www.youtube.com/watch?v=XogSflwXgpw

2014の1番のボカロヒット曲

38:【Miku&IAシークレットメタファー【オリジナル

https://www.youtube.com/watch?v=bn_1jPIJEaM

15年はあまりボカロ聞いていなかったのですが、これはリズム気持ちよくて好き

39:[MV] 脱法ロック / Neru feat. 鏡音レン

https://www.youtube.com/watch?v=u5mHVUwDf_0

16年。声にクセがありますが、それも込みでインパクト大。

今年のサマーアンセムが無い

今年の夏はコレ、と言えるような夏っぽいヒット曲が無い。

過去の例で言えば、楽園ベイベーやサマーヌードのような。

なんかあったっけ?

2017-06-06

正解教えて

職場の先輩に興味のないアーティストライブに誘われたときの上手な断りかたを教えてくれ

「○○のコンサート行くんだけど一緒に行かない?」

ありがとうございます。けど○○あまり聞かないんですよね。せっかくなんですが遠慮しときますね。誘っていただきありがとうございます。」

てな感じで断ったのね。

ここで空気を読んでくれたらよかったんだが

「聞かないの~!?めちゃめちゃいいよ~!今度アルバム貸すから聞いてみて!」

と…

あははありがとうございます、、、ところで」

みたいな感じで流したんだけど本当にCD持ってきたらどう応対しようか悩んでる。

ちなみに○○は誰もが知ってるメジャーアーティスト。何曲もヒット曲を輩出しておりもちろん自分も知っているしいい曲だと思う曲もある。

ただ、アルバム聴いて高いチケット代払って行くほどじゃないんだ…

興味ないってはっきり言った方がよかったのかなあ~~

角がたたない上手な断りかたご教授ください。

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170320095813

しろ、「何のための声優アワードなの?」という困惑だろう

声優のための閉じた賞だから価値があると思ってたのに、裏切られた感

(もちろん、勝手に信じて裏切られただけだから、騒ぐのも間抜けなわけだが)

たとえば「日本ヒット曲大賞」という名前の賞を本業歌手じゃない人が受賞しても気にならないが

これが「日本歌手大賞」という名前だと、あれ?ってなるやつ

2017-01-14

お前らの大喜利は何か役に立ってるの?

アメリカではツイッタラー大喜利大会を切っ掛けに全米ナンバー1のヒット曲が生まれた。

翻って、はてブ大喜利大会は何か生み出した?

保育園落ちた~は国会に届いたが、あれははてなユーザーが貢献した面はあっても大喜利クラスタの力ではないよね。

SNSでの流行が後押し、ミーゴズの最新シングルが全米2位に急上昇 | bmr

http://bmr.jp/news/171579

ミーゴズ「バッド・アンド・ブージー」がついに全米チャート1位獲得 | bmr

http://bmr.jp/news/172041

2016-12-25

ASKA記憶──ASKAFUKUOKA」を聴いて

 ASKA新曲FUKUOKA」を聴いた。

 予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分故郷福岡を歌ったものだ。ASKA中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するときASKAはどのような心境だったのだろうか。

俺は東へ 上るつもりだ

勝手な奴だと思うだろうが

冷たい風に深くくるまっても

だまって俺は 歩いて行くだろう

「歌いつづける」より

 CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。

 デビュー一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動アジア圏にまで広げていき、またMTVアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。

 そんな時、ASKAにとって生まれ故郷福岡はどんな場所だったのだろうか。 

 ASKA福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。

次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷ゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。

          *

FUKUOKA」は「SCENE」シリーズ代表されるASKAバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐言葉なかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。

発車のベルが鳴る 街が動いて行く

あの頃の僕は何を見ていたのか

 当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないかしかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマコマ映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。

こんにちは さようなら おはよう おやすみなさい

繰り返しながら僕はここに居る

 何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。

僕のニューシネマパラダイス

 ここで想起するのは、傑作映画ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJI提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。

ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス

 同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKA時間記憶を、私は感じる。

野球の話をする タクシードライバー

 いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆきタクシードライバーから引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。

タクシードライバー 苦労人とみえ

あたしの泣き顔 見て見ぬふり

天気予報が 今夜もはずれた話と

野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す

 不器用タクシードライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のであるASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。

           *

私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、

sweet and good memories

という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……

2016-11-25

紅白和田アキ子必要だった7つの理由

理由1) 出場者リストを見ながら「ヒット曲もなかったくせに」とか「あの人歌手だっけ?」って言うのが、なんだかんだでみんな好きだった。

理由2) ばあちゃんがお風呂に入るのにちょうどいい頃合い。

理由3) お母さんが年越しそばを作りに行くのにちょうどいい。

理由4) お父さんが灯油を入れに行くのにちょうどいい。

理由5) 兄ちゃんがミカンを取りに行くのにちょうどいい。

理由6) コタツで寝ちゃった妹を寝室に連れて行くのにちょうどいい。

理由7) 家族みんなが居間から離れるので、換気をするのにちょうどいい。

2016-11-20

コード譜(歌本)をめぐる状況

主にギター弾き語りで使われるコード譜というものがある。歌本とも呼ばれる。五線紙おたまじゃくしが泳いでいる楽譜ではなく、歌詞の上にCとかFとかF#m7とかのコード和音)が書かれているものだ。これとギターが一本あれば、絶対音感コード理論知識がなくても、弾き語りができる。フォークソング流行していた頃には、重宝されたのだろう。昔は流行っている曲のコード譜を載せた雑誌が毎月出版されていた。「月刊歌謡曲」(ゲッカヨ)をはじめ「ソングコンング」「歌BON」などがあった。今はすべて休刊している。月刊誌ではなく歌手別や年間ヒット曲を集めた書籍としての歌本は今でも残っているようだ。

これらの出版物は、電子書籍に移行することはなく、今ではウェブ無料で見れるものとなった。速報性や検索性に加えて、カポタストを使った場合の転調に対応できる点も有利なのだろう。

代表的サイトJ-Total Musicだ。2002年から続く老舗である

他に楽器.meChordWikiU-フレットなどがある。

同様のサイトコードスケッチ(ttps://chordsketch.com/)がある。U-フレットと見比べてみると、新着にまったく同じ曲が並び、コード進行も一致する。

楽譜.me(ttp://gakufu.me/)というサイトがある。「当サイトディープラーニングによる楽曲分析を行うための実験サイトです。」と書かれているが、生成方法は謎でコード進行は正しいものとは思えない。サイト名は楽器.meとの誤認を狙っているのだろう。

これら二つのサイトは、Google AdSenseIDが一致(ca-pub-9885680373061782)する。

コード譜は、耳コピにより作成される。コードを聴き分けて書き起こすのだ。そしてその解釈は一意ではない。

例えば長渕剛の「乾杯」のような元々ギターだけで弾き語られる曲であってもそうだ。

http://music.j-total.net/data/021na/001_nagabuchi_tsuyoshi/005.html

http://gakufu.gakki.me/m/data/DT08823.html

https://ja.chordwiki.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%9D%AF

http://www.ufret.jp/song.php?data=943

イントロや「君に幸せあれ!」の部分が異なる。採譜者の耳や感性によって変わるのだ。初心者が弾きやすコードが選ばれることもある。

歌詞には著作権があるが、JASRACをはじめとした管理団体委託されていて、利用するのは容易だ。そしてコード進行には著作権適用されないというのが定説だ。料理レシピと同じであるパクリOKなのだ

コードの採譜には能力と労力が必要であり、無償ではない。昔は紙の本の売上で制作費を賄っていたが、今はネット広告収入運営されるものとなった。違法でないからといって、他人の成果を横取りして利益を得ることは認められるものではない。

カラオケが広く行き渡りDTM環境が充実する現在でも、手軽で自由度が高くシンガーソングライターへの入り口でもあるギター弾き語りの愛好家は多い。この文化が廃れないことを望む。

2016-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20161013070634

讃美歌や労働歌というのは、今でいえば懐メロ名曲と言われるものを何十年もずっと歌い続けていたようなものだし、

酒場の歌や演奏も似たようなものだろう。

いや、作曲家すごーくたくさんいて、宗教曲も世俗曲もどんどん新曲作られてたよ。

1人で何百曲も書く作曲家だっていたし、有名無名合わせて一時代に何百人と作曲家はいたから、新しい音楽はいくらでも溢れていた。

から伝わる民謡だとか、伝統的なグレゴリオ聖歌ばかりを延々歌ってたわけじゃなくて、その時代作曲家がその時代に作った音楽普通に歌われていたんだよ。

現代との人口からすれば、そこまで少なくもない。

 

次々と新たなヒット曲が生まれていた状況のほうが

当時の音楽パトロンが大枚はたいて作曲家に書かせるものだったから、そりゃあ確かに"ヒット曲"なんて概念存在しなかったね。

流行歌というものはその時代にはもうすでに確かに存在したけど。

2016-10-13

昔の人は

「昔の人は日常音楽が無かった」は言い過ぎかもしれないが、

讃美歌や労働歌というのは、今でいえば懐メロ名曲と言われるものを何十年もずっと歌い続けていたようなものだし、

酒場の歌や演奏も似たようなものだろう。

すくなくとも90年代のような、毎月どころか毎週のように次々と新たなヒット曲が生まれていた状況のほうが、

人類の長い音楽史上で考えれば異常だったのだから

音楽業界があの頃の状況を維持できたとか戻れると思う方がおかしいのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20161012180809

2016-10-08

20歳年上の人に恋をした話

彼は、ビー玉のように丸く大きな瞳と、優しげに垂れた眉、主張の少ない鼻と口元が綺麗に収まったその顔をくしゃくしゃにして笑う人だった。

いつも自分名前より先に名乗る横文字があった。膝より高く足を上げ、腰より高くジャンプして踊る、アイドル。その特徴的な声は、話す時も歌う時も彼にアクセントを与えた。

どうして彼に惹かれたのか、いつ好きになったのか分からない。正確には『覚えていない』。今となってはそれはとても悔しいことなのだけれど、仕方ないと思うようにしている。

私は4歳だったから。

物心ついた時にはもう彼が私の心の中心にいた。大きくなったらお父さんと結婚する!という父親泣かせの常套句と等しいようなテンションで、私は大きくなったら彼と結婚する!と言って憚らなかった。

軽快なピアノの音から始まる曲と共に、4歳の私は彼と彼の仲間たちの虜になった。

私が5歳になる頃、25歳の彼は大晦日に行われる国民番組を仕切る役目を任されていた。

私が10歳になる頃、30歳の彼はきっとこの先も歌い継がれるであろう国民的大ヒット曲を発売した。

私が15歳になる頃、35歳の彼はオリンピックのメインキャスターとして現地に赴きその熱狂を伝えていた。

私は今日24歳になった。

20年前の彼と同じ年齢に到達してしまった。

つの間にか初恋の人に対する感情はほぼ親に対するようなものへと変化していった。仕事ぶりへの尊敬と、健康心配、どちらも尽きない。結婚したい!と言っていた人に、今は介護させてくれ…と言うようになった。

今の私に、当時の彼が成し遂げたことはきっと何もできないだろう。そんな無力感に襲われるが、彼は24歳であそこまで出来ていたんだから、私にだって何かできるはず、何かしなければ、という気持ちにもさせてくれる。

彼はもうすぐ“アイドル”の壇上から降りてしまうという。一報を聞いてから1ヶ月半が経つが、未だに理解が追い付かない。3か月先のことは正直まだ考えられない。それでも心の準備はしておかなければ、という思考回路になってしまうのは、何事も事前の準備を怠らない彼の影響なのだろう。

大事大事番組とお別れすることになった際の彼の言葉拝借して彼というアイドルとのお別れの言葉にしたいと思っている。

あなたを好きになって20年間で、「もう成人だから卒業していいんだよ」と言ってくれてるんじゃないかなと勝手解釈をして、今後も「私は中居正広ってアイドルずっと好きだったんだよ」と、胸を張って恥じないように、生きていきます。』

中居さん、本当にありがとう

2016-07-31

虚言癖の男

数年前、ある読者から猛烈アタックをされネット上で付き合うことになったのだけれど

その男が虚言癖のある男だった。

付き合い始めてすぐ、彼の身の上話を聞かされ あまりに不幸過ぎて

この人を幸せにしてあげたいという思いになった。

その男は会いに来る来ると言いながら、いざ日時を決める段になるとあり得ない理由で来れなくなるという事が度重なり

「これはおかし・・・」と思ってネットで調べた結果、虚言癖男だという結論に至った。

ネットには虚言癖の特徴が9つ書かれていて、その中の8つに見事に該当。

1位 虚言癖の男性の周りでは、元カノ、親、親友がよく亡くなっているようです

⇒20代で結婚し、元の奥さんが25歳で死んでる・また、友人が死んでる。元彼女が死んでる・・

 ってか、周りで人死に過ぎ。

2位 「不治の病を抱えている」という旨の話をする人もいるので要注意。

⇒付き合い始めていきなり心臓病!そして心臓病だから飛行機に乗れない為、会いに来れないという

 

3位 数々の高級車を持っていると自称する

⇒これはなかった

4位 何食わぬ顔で嘘の職業を教えてくる

⇒ 会社経営してる・某雑誌記事ゴーストで書いてる・有名バンドゴースト作詞している等々

  お付き合い中に会社火災にあったと言っていたので調べたらその会社自体ないし、火災もなかった。

  なんでそんなウソつくかな~?って感じ

5位 武勇伝のように「暴走族に襲われたけど倒した」「暴力団をバッドで殴りにかかったけど相手が逃げた」など平気でバレる嘘をつく

⇒ 昔、独りで暴走族ボコボコにした等言ってたっけ・・・

6位 ハーバード大学首席卒業して・・等

⇒ 旧帝国大を卒業 それも高校中退して 大学へとのこと

  でも学部の話や教授の話をしても辻褄が合わない事が多々あり・・・

  私の知人に大学関係者がいたのはナイショ

7位 著名人暴力団と仲良し

⇒ 某有名バンドボーカルや有名俳優と遊びに行った・釣り仲間・等々

  俺があいつのヒット曲を実は作ったとか、演技指導していたとか・・・

  もう、大丈夫?って感じだった。色んな意味で。

8位 家や別荘などを沢山所持している

⇒ 都内に持ち家アピール でも本当はわからない

9位 イケメンを装う

⇒ 最初に送ってきた写真20代前半の超イケメン写真だったが検索結果、出会い系で使われていた写真と判明。

  その後、マイルドに問い詰めた結果、送られた写真には40代後半のオッサン・・・検索結果、自撮)

  名前・年齢は全て詐称だった(笑)

散々振り回され疲れたので電話一方的に別れを告げたら泣きながら懇願されたがバッサリお断りした。

最後電話を切る間際に「死んでやる」と言われたので内心「はいはい」と思いながら無言で切って即着拒した。

その後、どうなったのか知らないけど、それ以降

「俺、喧嘩が強い」

「実は不治の病」「心臓病」

という男は一切受け付けなくなった。あとイキナリ不幸な生い立ちを語る男も無理。

ちなみに今の彼はとても誠実な人。リアル出会い、今年結婚する事に。もちろん、この9つの特徴は全くない人です。

ネット結婚って話もあるだろうけど、こんな男もいるから気をつけて欲しいな~って思ってます

2016-05-23

日本80年代歌謡曲の源流は今も生きているか

CDを買わない若者だけど

> たまにテレビで昔のヒット曲を振り返る番組とかやってるの見ると、80年代辺りはいい曲だなって思うのが多い。

> 何でああいう良さが現代に受け継がれてないんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20160523225722

ひとつは、生存者バイアス。長年残って今でも紹介される曲は、優れた作品だけ。

ちなみに、80年代歌謡の流れを汲むアーティストもたくさんいるし、いい曲もたくさん書かれてるけど、テレビオリコンチャートなどの表舞台に登場しない。

まり売れてない。誰もがCDを買う時代じゃなくなったので、少数派が聞く音楽が、市場価値を持たなくなっている。

アイドルとかアニメソングとか演歌とかの固定客がいる音楽のほかは、マイルドヤンキー層に好まれる、誰にでもわかる簡単な歌(EXILE西野カナみたいな)しか売れなくなってるから

逆に、今80年代ニュアンスを徹底的に研究して曲を作っている人は、ゲーム業界とかアニメ業界とかの音楽担当に多い。

あとは、K-POPとか台湾とかタイとか、アジアの各国も日本過去アイドル歌謡を徹底的に研究し尽くして、取り入れてるよね。

2016-05-05

ホテルカリフォルニアと2人のギタリストについて僕が知っていること


ホテルカリフォルニア後半のツインギターを聞いていると、何か物悲しく、切なくなる。思いを馳せるのは、2人のギタリストのこと。


2月のある日から突然、毎晩のように、頭の中を「since nineteen sixty nine 」というフレーズが流れるようになった。原因はわからないが、たぶん病気じゃない。グレンフライ氏の霊が関係しているのかもしれない。それまでイーグルスのことは何も知らなかった。



そしてここ3ヶ月、ほぼ毎日ホテルカリフォルニアを聞いている。



リードを務めるならギターでもヴォーカルでも奔放さが特徴のジョーウォルシュ。イーグルスに加わる前から別のバンドソロでも活動していた典型的ロックギタリストで、いくつかのヒット曲や、独特のパフォーマンスあいまって、そこそこ知られていたらしい。しかし、


ことホテカリに関して言えば、ドンフェルダーというもう一人のギタリストと一緒に語られることが多い。その2人による、曲後半のツインリードの掛け合いがあまりに素晴らしかたからだ。ドンフェルダーはホテカリ作曲者の一人で、ジョーウォルシュが加入したことを受けて、ツインリードの曲を考えたそうな。彼の演奏はとても緻密、ジョーウォルシュとは対照的だ。



初めてホテルカリフォルニアをちゃんと聴いたのが ’77年Washington, D.C.ライブ映像で、一瞬で2人の演奏の虜になってしまった。



ドンフェルダーは ’75年ぐらいからジョーウォルシュのソロコンサートに参加するようになり、実は、あの素晴らしいデュエットは、その頃から2人で築いてきたものであることを、その後知った。


ジョーウォルシュ作「Turn to stone」というハードロックな曲がある。レコードにも3つバージョンが収録されていて、わずか4分のものから8分のものまで、ライブを合わせると無限アレンジがある。ドンフェルダーとジョイントしてほどなく、後半はほとんどツインリードのための曲となってしまう。ホテカリ同様、歌が終わった後半、ドンフェルダーのリードギターに始まり、徐々に2人の掛け合いに流れ、最後ジョーウォルシュのリードで終わる。


2人の掛け合い、その様子はまるで、タンチョウ鶴の求愛ダンスだ。高音でハモり、その同じリフを交互に鳴らしあう。いくつかのライブでどれとして同じ演奏はない。そのときの気分次第という感じだ。



楽器や歌でハモったり掛け合いをするとき感覚は、体験した人には分かると思うけど、恋をしたのに似たような高揚感や一体感があると思う。


からテカリのあのリードギターの掛け合いは、2人にとって、きっと忘れがたい記憶のはずだ。




その2人のデュエット確認できたのは ’95年のライブ映像最後だ。映像なしだと ’00年が最後。そこでも彼らのハモりは美しかった。わけあって、ドンフェルダーは ’01年にイーグルスを脱退(解雇された)し、その後はソロ活動している。ジョーウォルシュのほうは今もイーグルスに在籍しているが、相手役はドンフェルダーに代わってバックミュージシャンであるスチュワートスミスになった。



スチュワートイーグルスメンバーではないというスタンスを頑なに守るかのように、ひたすら目立たぬように演奏している。だけど、ドンフェルダーの代わりのリードから、多くの曲でジョーウォルシュより目立つ部分を弾くわけで。ホテカリでもイントロと同時に一番最初スポットライトを浴びるのはスチュワートだ。それでもいつもメンバーとは少し距離を置いて、ギター職人に徹している。



そういうこともあってか、ジョーウォルシュもスチュワートとどう連携していいか、いつも悩ましそうに見える。そしてドンフェルダーとの演奏のような一体感を感じているようにはあまり見えない。かたや、


ドンフェルダーは、ずっとソロ活動をしている。いい感じにロマンスグレー(って死語?)になり、ステージはいつも神父のような笑みを浮かべて演奏している。イーグルスライブでは1曲も彼のヴォーカルを見たことはないし、しゃべるのも見たことがない。のに、歌ってる。歌えるじゃん。彼は、


ライブTV番組でホテカリ演奏しているが、ある番組ではアコースティックギターフォークギター)で一人演奏していた。ジョーウォルシュのパートも一人2役で。あの最後ハモりも一人で弾けちゃうんだなぁ、彼は。エレキクラシックではなくフォークギターでは難しいはずの、色んな技を次々繰り出すのを見て、観衆もそのたびにヤンヤンヤとなるのだけれど、ジョーウォルシュと2人でハモっていたはずの最後の部分、悲しい響きに感じるのは僕だけか?



’75年から’77年にかけての2人のデュエットを見たことがあれば、、、



微笑みながら、ドンフェルダーはどんな気持ちで弾いているんだろう? 昔、相方と弾いていた日々を思い出しながら? それともイーグルスを脱退するに至ってしまったことへの後悔? 僕には知るべくもないけれど、あの物悲しい旋律がなんとも彼の心情を表しているようにしか思えない。


2016-04-27

ニューウェーブってなんなんだ

音楽のはなし。

30代の自分からすると、70年代後半から80年代前半くらいのニューウェーブというジャンルの人気や影響がどんなものだったのか全くわからない。

プラスチックスP-MODELヒカシュー一風堂有頂天あたりの曲を聴くと、電子楽器バンドを組み合わせた新しい音楽模索するぜ!みたいな流れを感じる。

ニューウェーブ系のバンドはたくさんあったようだし、斬新だから当時のヒットチャートを賑わせたバンドがいくつかあってもおかしくないんだが、そんな話を全然聞かないのはなぜだろう。

YMOだけしか聴かなかったのか、それとも大ヒット曲がないから話題にするほどでもないってことなのか。

うーん、不思議だ……。

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