はてなキーワード: パラダイスとは
ここ数日、仕事やプライベートで振り回されて、少しグッタリしていた。
周りからは年齢不詳などと言われるが、実際の俺は贔屓目にみてギリアラフォー、立派な中年なのだ。
ハッキリと分かる悪い事ばかりじゃなく、もしかしたらいい事かも知れなくても、ボンヤリとしている未来に目を凝らして右に左にやられると、身体も心もちょっとヘタってくる。
大久保公園に足を運べば、疲れ気味の心に騒がしすぎないちょうどいい賑わい。
何を食おうかな。
いや実は決めている。
東京に来て長いが、札幌市民にとって、カレーと餃子は切り離せないパートナーなのだ。
東京最大の繁華街のグルメフェスでキメてやったぜ、みよしのプレイをな。
最近自担である本髙克樹くんのファンサが話題になっていますが去年私がもらったファンサがスーパーアイドルだったので自己満で書きます。同担さんにはこれから先の閲覧をお勧めできません。
それは去年のサマーパラダイス勝利公演での出来事。三曲目のシーサイドラブで事件は起きました。曲が始まってからなんとなく何回もこちらに視線を送っている感じがしました。しかし振り付けがあるダンス曲でしたし、こっちを見てるなんてあまりにも曖昧だったのでどうかなって思っていたところでやってきたサビ直前の「シーサイドラブ only you」。なんとonly youのところで指差しされたのです。いたずらな感じに、でもとても可愛らしく笑ってました。確かに何回もこちらに視線を送っているうちに最後の方は私が本髙担であることを確認するような感じになっていたので狙ってonly youで指差しされた事実がすごく幸せでした。
私は1公演しか入らなかったので他の公演でもきっと誰かにonly youのタイミングで指差ししてるんだと思っていました。しかしDVDが届いていざ見てみるとしっかり踊っていて指差しはしていませんでした。収録のカメラが入っていたからやっていなかったのかもしれませんが私は本髙くんのonly youだと信じて生きていきます(イタイ)
夏になると世のOLたちも薄着になるわけだが、オフィス街を歩けば5人に1人は巨乳にあたる。
根っからのおっぱい星人である俺にとってはパラダイスそのものだ。
ワイシャツの下には汚い肌、垂れた乳があるのは分かっている。
別にいいのだ。
別に脱がせて一発やるって話でもない。
飽くまで観賞用。着衣でたわわに実っていればそれでいいのだ。
それで興奮できるのだ。
今日のお昼、いつものようにコンビニにお弁当を買いに行った訳だが、
ふとスーツOLの顔を見たとき、眉間にシワをよせて蔑んだ目で俺の方を見ていたのである。
俺にとってはこれもご褒美なのであるが、
ひとつどうしても解せないことがある。
なぜブラにパットを何枚も入れてロケットおっぱいを作っておきながら、
そんな目でこっちを見るのだろうか。
明らかに見られたいがためにそのお乳を作っているのではないか。
解せない、どうしても解せない・・・。
数年かけていくつかの花火みて思ったんだが
でも、何か違和感があった
少ないというか、ほぼいない
べつに子供大好きとかじゃないんだが
アレは不安になる
___
追記
書いた後もう少し統計見てみたが
ってことはブコメにもあるけど、花火大会に行かない子が多いんだろうな
少子化が〜って話はまた別のようだ
女子供はすっこんでろ!ベビーカーなんて言語道断!死にたいのか! みたいな雰囲気、喩えるなら朝の通勤ラッシュみたいなヤバさがある
俺はもっと田舎の出身だけど、花火とか夜店は悪ガキのパラダイスみたいなイメージだったから、子供が多いほうが落ち着く
追記 8/20
なんでこんな伸びてんだw
今日近所でデカい花火あったから行って来たけどやっぱ子供いないわ
体感2%以外?
東京都のBL規制が本格化?一度に3冊を不健全図書指定の異例事態 - ライブドアニュース
オタク達は何の問題もなかったクジラックスや何の権力もないおばさんのツイートにご執心のようだ。
しかし、そんなのより公権力がお墨付きを与えるということの方がよっぽど問題ではないだろうか?
妹パラダイスのときもそうだが、どう見てもエロ本でしか無いものを全年齢向けに売ったから吊り上げられてるのであって、
ただのゾーニングの問題なのだから表現の自由には関係がないと考える。
しかし、男性向け作品にケチが付けば、何も拘束力のない抗議にすらギャーギャーと騒ぎ、
「男向けだけ狙い撃ちされて、女性向けは放置されている!差別だ!」などとのたまうオタクどもが
なんなんだよ、日本。
昨日見事に刑務所落ちたわ。刑務所いっぱいだから自宅謹慎してろって。
なんでこんなに刑務所に入りたい奴がたくさんいるのに、刑務所整備しないんだよ。アホか。
待機受刑者が30万人を超えてるとか異常だろ。2100年ごろから増える一方だぞ。
職もねーし、外の空気は汚染されてて早死にするから、早く刑務所に入れてくれ。食事も前時代でも栄養が整ったものが食べたいんだよ
何が生活保護だよクソ。
生活保護じゃ防護フィルターすら買えないし、汚染米しか買えねーよ。
一応ちゃんと刑務所に入れるように、ポイント稼ぎはしたつもりだ。
罪状はお決まりの内乱予備罪。詳しくは避けるが、テロを用意してる風を装って、自室に色々準備した。
裏の入所支援のサービスを使って、色々と入所に必要なポイントを貯めるためのノウハウを教えてもらった。
あいつらが言うには、似非犯罪者と見なされないよう、特定国への渡航履歴を作っておくことが大事らしい。
かといって国の中枢部分をウロウロして不審者として捕まるのも、あらかさますぎてポイントが低いらしい。
そこで俺は、携帯電話で犯行をほのめかす会話を喋りまくり、盗聴される作戦をとった。
気づかれるか不安になる作戦だったが、3か月ほど海外と通話しまくってたら、家宅捜索で逮捕してくれた。
ここまでやれば文句なしに5年は行けますよ、と奴らは太鼓判を押してくれた。確かに刑は懲役8年と文句なしだったが、肝心の刑務所には入所できなかった。
ふざけんな日本。
放火とか傷害とかすればいいじゃん、って言われるかもしれないが、人に迷惑をかけてまで生きていきたいとは思わないんだよ
ただ人として最低限の暮らしがしたいだけなのに、なんで刑務所入れないんだよ
## 追記と言う名の蛇足
星新一のボツネタ集本読んでたら、刑務所がパラダイスみたいなネタがあったから勢いで書いたけど
スタート1年弱で、モバイルに強いメディアとして認知度を上げたTABI LABO。
イケてる会社だと思って入ってみたら、ブラックとしか思えないトコだった。
1.パワハラの温床
失敗した人はみんなの前で公開処刑が基本。詳しく後で。
2.休日は月2日
もともと代々木上原にあった時はの雇用形態は、契約書もなく「残業代こみで○万円」みたいなやり方。
休日も適当。法務担当者が入り、一応会社っぽくなったものの、アクセス数がかなり下がった時「とりあえず記事を連発しろ」と〇〇ちゃんから号令がかかり、ライターの休日は「月2日」に。週2日ではなく、月2日。
3.離職率の高さ
一年以上いる人はちょっとおかしい。まあ役員抜かせば数人だけ。たいてい転職活動うまくいっていない。
優秀な人が入ってくると、体制のおかしさに半年以内でやめていく。
三ヶ月で三人辞めるのなんてふつう。だからみんな名前を覚えられない
・パワハラについて
1. 「〇〇ちゃん」
DELLのセールス出身で、自分の記録がまだ破られていないことが誇り。
口癖は「なんでできないの?」「一度言ったら分かってると思う」
セールスの成績が悪いと、ミーティングなど人のいる前で怒鳴る。なじる。責める。
部下をマネジメントするというよりは、怒って動かす系
2.社員間でも
他にもなぜか人がいる前で「体でかいのに全然セールス案件取れてない」「見かけ倒し」「あんなにできないヤツなんでいるんだよ」など、パワハラ発言は日常。やめた人のことはかなりひどく言っているね
3.Slack
社内チャットツールとして、用いられているここも、パワハラパラダイス。
例えば誰かが失敗すると、全員が見られるスレッドに
「××の○さんから連絡がありました。A(失敗した人)さんの対応が悪かったため、怒っています。明日謝罪してください」
とか
「B(失敗した人)はちゃんとやってんの?いつもこういう失敗してるじゃん」
失敗した個人にダイレクトメッセージで教える、とかではなく「みんなが読めるスレッド」に上げるところがキモ。
これはもはや企業風土。報告の意味で「Aさん、××の○さんから連絡があってちょっと質問があるから個人に投げるよ」という手法ではなく「オープンにするため」(!)と「全員が見られるスレッドで公開処刑」するのが好き
・他の驚きポイント
1.話を聞かない(聞けない)〇〇ちゃん
オールドメディア出身者が、ほぼいないTABI LABO。メディアのありかたを教える的役割として、としなおさんが定期的にミーティングへ参加している。あくまで数字を取りに行きたい〇〇ちゃんと、メディアの質を上げたいと考えるとしなおさんが衝突した時「〇〇ちゃん、うんうん言ってるだけで全然話を聞いてない」。これにも「そんなことないですよ」と流す対応しちゃう。としなおさんがいる意味って、あんの?
2.経営方針がよく変わる
例えばアクセス数が下がった時。「会社存続も危険な状態」という説明だけで「なぜアクセス数が下がったのか」という説明がなく、ライターはノルマ記事の本数を増やされ帰れない状態に。今でも「なぜ」の説明はない
名物扱いになっている、ランチ作り。チームがあって当番制、押してる仕事があってもここは強制参加。ミーティングも多くて、ランチ当番とミーティングたくさんな日ががっちゃんすると、自分の仕事なんてほとんどできない
4.やけにミーティングが多い
〇〇ちゃんが出席し、普段の生活で楽しかったこと、みんなに伝えたいことなどを当番制でプレゼンしていく「びんダイレクトミーティング」や、としなおさんを交えて月一回、二時間タビラボの今後について話すっていうやつなど、やったらミーティングだらけ。ファシリとかいるけど、時間内には大抵終わらない。このおかげで仕事が進まない
セールス部屋にはクライアントの名刺が散らばっていて、誰でも見れる状態。お客の名刺をなくすヤツも多い。それによく物がなくなる(クライアントから借りてるものさえも!)
面接で「タフな人じゃないとつとまらない」「臨機応変に対応できる人じゃないとムリ」って言われてる人が多いけど、逆に考えると、、、って話。残業多いのも、休日ほとんどないのも、給料安いのも「スタートアップだから」。9時5時のスタートアップもたくさんあるんだけどね
7.洗脳
失敗した時、なぜそれが起こったのかを教える人がほぼいない。怒鳴ってなじるので、多くの人が「自分は仕事ができない」と思ってへこんでいく。そして「自分の居場所はここしかない」って思い始めると、ここでは長く働くことができるというスタイル。自尊心が下がっているので転職活動もせず、うつ寸前になりながら歯車になっていく
スタッフ個人ではいい人たちなのに、あの組織内だと平気でパワハラしてきたり。とても不思議な企業。
問題点が多いのに、働いているのはメディアに憧れを持つ人、タビラボかっこいいって思ってる人、洗脳が完了した人たち。MAUの低下も、ブラックでスタッフの心が病んでてそれが仕事に表れてるからなんじゃないかと自分は思う
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……