はてなキーワード: バケとは
冒険者ギルドができるまで、魔物退治の仕事は冒険者と村人の間で自由に報酬が決められていた
その村では、かつて夏の長雨のあと、吸血羽虫のモンスターの大量発生に悩まされていた
ある日若い男の冒険者がふらっと現れ、アースノーマットの魔法を使ってモンスターを一夜のうちに退治した
男は「僕のいた世界では普通のことです」「報酬なんかいりませんよ」などと言い、報酬を受け取ろうとしなかった。村人はみな喜んだ
それから数年たち、村では冬の旱魃のあと、バケネズミのモンスターの大量発生に悩まされた
その時現れた冒険者は、村のモンスター退治の報酬として帽子一杯の金貨を要求した
結果その冒険者は魔法の笛の魔力を使い一夜のうちにモンスターを退治した
だが、夏の長雨の時の冒険者の無欲を思い出した村人は
「対して苦労もせずに仕事をやってのけ、多くの報酬を望むなんてひどい」
悲劇はしばらく後の冬の朝に起こった
「報酬の代わりを受け取りに来た」
冬の冒険者はそう言うと魔法の笛を使い村中の子供を連れ去り、東の地へと消えていった
村人たちは深く悲しみ、ニュースは国中に広まった
この話の教訓はこうだ
人はある仕事にかかる準備や技能の習得のコストを正しく計ることができない
無償で、あるいは廉価でやってくれた仕事の記憶が残ると、その経験がコスト計算の基準になり
この事例の結果を重く見た全国の冒険者は、仕事と報酬のバランスを正しく決めるようギルドを制定し
報酬が適正な値になるよう調整することになった
このような碑文が建てられ、今の時代にも教訓を残している
130人の子供らが誘い出され
チバケンミンの前で行ってみろ
「キモくて金のないおっさん」と「活気ある街作り」の関係性について考えてみる。
KKOにはくたびれた感がある。
となるだろう。
「家に帰ってもなにもやる気が起きない」
「容姿に優れない」「経済的に優れない」「中年男性」という3条件を満たしていても「KKOらしさ」のない人間もいる。
例えば「見た目のよくない売れない中年芸人」などがそれである。
「見た目のよくない売れない中年芸人」は「キモくて金のないおっさん」という条件を満たしながら「応援」されて成功する場合がある。
逆にKKOの条件を満たしていなくても「くたびれた感」があると忌避される。
金を持っていても「くたびれた感」があれば周囲からは嫌煙される。
(KKOは「おばさん」も含む場合がある。性別も重要ではない)
すなわちKKOを構成する3条件とは、根本的なポイントではない。
3条件を満たしていても「くたびれた感」がなければKKOらしいとは思われない。
くたびれた感の反対を考えてみると「活気」ということになる。
となるだろう。
個人レベルでKKOを脱却したいのなら「くたびれた感」を消して「活気」を出さなければならない。
よく「見た目には清潔感が大切」と言われるが、それは本質的ではない。重要なのは「活気」である。
「KKOは自業自得」という言説も「活気」を出せば解決できるという理屈に基づくのだろう。
世間にとって「活気がない」=「悪」というのはあえて言うまでもない自明の理なのである。
だから、そこはわざわざ語られない。だが、心当たりはあるだろう。
シャキッとしなさい。元気を出しなさい。背筋を伸ばしなさい。笑顔を絶やしてはいけません。
ただしKKOもなにも好き好んでくたびれているわけではないのかもしれない。
強いられている「低賃金長時間労働」が原因と考えることもできる。
KKOと低賃金長時間労働については鶏と卵の関係なのかもしれない(その辺は後述)。
本邦では「活気ある街作り」が試みられている。
いったいなぜ「活気ある街作り」を目指しているのか明確なところはわからない。
しかし大衆に「活気ある街作り」=「善」と認識されていることは確かだろう。
元気のある街。笑顔のある街。24時間営業。バーゲンセール。ケバケバしい看板。
「活気ある街作り」とは、こういう方向性だ。
「活気ある街作り」という大きな流れの中にあるもののひとつが「弱者救済」である。
「子供の声は騒音ではない」という言説が一定の支持を得るほどだ。
「ゲームばかりやってないで外で遊びなさい」という理屈も「活気ある街作り」という文脈に繋がる。
「元気に走り回る子供」の姿は活気を感じさせる。
老人はそれ単体では活気ではない。
しかし老人が出歩くことは「年齢というハンデに負けずアグレッシブに活動」という意味を持つ。
また老人が存在することで「助け合い」という「活気」を演出するイベントが発生する。
例えば「若者が老人に電車で席を譲る」という行為は「活気」のあるシーンである。
創作物の中でも「大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡るのを助ける」シーンを幾度となく目にしてきたはずだ。
「ハンデをものともせずアグレッシブに活動する」ことは「活気ある街作り」という方向性である。
また「車椅子に乗った人を手伝う」のは活気を演出する「助け合い」イベントである。
一方で精神障碍者は身体障碍者ほど受け入れられてはいないのが実情だろう。
それは「助け合い」という活気を印象付けるイベントとあまり関係がないからではあるまいか?
女性の存在は「女性が一人で出歩けるほど治安が良い」という意味合いで活気の演出となる。
また「女子高生」などは「活気」のシンボル・アイコンとして用いられがちだ。
権利を求める一部女性の「活動」は良く言えば「アグレッシブ」、悪く言えば「狂犬」だ。
だが、それでも「元気があってよろしい」ということなのだろう。
くたびれた感よりも「攻撃的で噛み付く」くらいの方が好感をもたらす。
ところで、すべての女性が弱者として救済されているかというと、そうでもない。
さて、ここまで読んできたら恐らく気づいただろうが「KKO」=「くたびれた人間」は「活気ある街作り」という方向性には合致しない。
くたびれた人間の周囲では「助け合い」イベントが発生しないのだ。
(なお「仕事に疲れてくたびれた人間」が助けられるシーンは活気とは言えない)
くたびれた人間の中には「仕事で疲れているのだから暇な老人に席を譲る必要はない」と公言するものさえいる。
もしも、くたびれた人間に金を与えたらどうなるか?
「つらい、しんどい、疲れた」と言いたがるタイプが街に出歩くことになる。
よくよく考えてみると、日本の街には「休憩する場所」があまりないように思える。
「休憩」は活気ある街づくりからは遠ざかる方向性であるためだろうか?
疲れやすいタイプの人間を出歩かせないために、どうすればいい?
金を与えてはならない。暇を与えてはならない。
くたびれたタイプには出来るだけ出歩いてもらいたくないからだ。
さて「くたびれた感」は低賃金長時間労働によってもたらされるのか?
世間は恐らく「くたびれた感」を生まれ持った気質と判断しているのだろう。
非KKOは「KKOに金と暇を与えても活気ある街作りには繋がらない」と認識しているはずだ。
現状を踏まえて待遇改善を要求するなら「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を示すのが有効だろう。
まずは応援したいと思わせなければ、助けてはもらえない。
近年では工業立国の先行き不安とともに観光立国を目指すべきであるとの声が出つつある。
「美しい国」。国全体がそういう世界観のアミューズメントパークを目指している。
ヒントはいくつかある。アニメで言うなら「クールジャパン」「聖地巡礼」もその一環だろう。
「活気ある街作り」の集積によって美しい国が実現される。
観光立国を目指した都市景観を考えると「くたびれた人間」は存在してはならない。
活気ある街作りとは矛盾が生じるから「くたびれて帰宅する人」の姿を目にしたくない。
くたびれた人間を隠したい気持ちは特に「観光」を意識する人種ほど強いだろう。
観光に携わる人間ほど「景観に害を与える」くたびれた人間を敵視しているはずだ。
さらに政治家や資産家などの決定権を持つ人間も観光を強く意識しているだろう。
そのような人間が決定を下すからKKOはいつまでも救済されない。
根本的には、そろそろ「活気ある街作り」という方向性自体を見直すべき時期であるように思う。
他国の観光立国を見ても必ずしも活気ある街作りを目指す必要はないように思える。
観光には活気どころか「ゆったり感」「のんびり感」の方が求められているのではあるまいか?
さらに少子高齢化の加速する日本において今後も「活気」という方向性で勝負するのは厳しいだろう。
「都市景観を守るためにKKOを隠す」方向性が無理となれば「KKOの存在にあわせた都市景観」を考えなければならない。
「活気ある街作り」という映像のリアリティをなくしてしまえばいい。
オリエンタルランドなら、現行ルックでハーバーリハとか、スペシャルフォトの撮影までやって、新しいハーバーショーで「新しいコスチューム(ニュールック)ですよ!」って出すのかと思ってた。
ニュールックが初めて世に出たのは、上海開園前の関係者向けグリだった。インスタグラムが初出。2016年4月のこと。
当時から「ミッキーとミニーの顔が変わった!」と話題になってたよ。ただ、あくまでもコアなファンの間だけで、一般層まで情報は広がらなかった。
2016年6月に上海ディズニーランドが開園して、ニュールックが正式なものに。この段階から、いわゆるアンチニュールックの人たちはいた。
「上海はディズニー社の悲願。ローカライズしただけでは?」っていう見方もあった。だけど、アナハイム、香港、パリ、そしてフロリダに続々とニュールックが導入されていく。
アウラニやクルーズラインでも、どんどん切り替わっていった。フロリダは現行・ニューを併存させていたけど、これはヘッドの数が全然違うからね。「もしかして、フロリダは残すの?」なんて声もあったけど、結局はグリも全面切り替えに。
そして残ったのが東京だった。
切り替え時期としては、2017年3月のシー15周年終了が一番のタイミングだったと思う。私も絶対に、ここで舞浜にニュールックが来ると思ってた。例年は3月末日までの年パスデザインが、年度途中で変わるって予告されてたし。
だけど、イベント終了日の深夜、なぜかハーバーで「ファンタズミック」のリハが行われたんだよね。リハ自体は珍しくないんだけど、実はこのとき船にはミキミニも乗せてた。
今から考えると、「イベントが終わっても、ミキミニの顔は変えないよ」っていうメッセージだったのかもしれない。ただの私の妄想かもだけど。
そりゃ、いくらマーケティングが下手くそ(だと思われている)オリエンタルランドだって、SNSであれだけニュールックが叩かれてたら、導入を迷うでしょ。
だけど、オリエンタルランドはフランチャイズ。ディズニーに言われたら、まず拒否はできないはず。
しかも、キャラクターのヘッドって、日本製じゃなくて、アメリカから買ってるって話も。もしニュールックしか売ってくれなかったら、導入するしかない。そうだとしたら、少しずつファンに導入を匂わせるやり方を取るはず。
新しいショーのプレス向け素材は現行だったけど、本番始まったらニュールックでした!なんて、フロリダみたいな事したら、大炎上だからね。
まず始まったのが、実写グッズの大量投入。そしてディズニーホテルの貸し切りグリ。オリエンタルランドとしても、実写グッズが売れるのは分かってるはずだから。
次にタイミングだったのが、2018年4月のランド35周年イベント。ドナデジのヘッドが変わったのは、ランド20周年イベントだったし、可能性はあった。35周年が始まる前に、ニュールックが舞浜に納品されてるって噂もあったし。
だけど、ここでは導入されなかった。ランドのアニバーサリーイベントは儲かるし、地方向けのプロモーションも大々的に打つ。20周年のときのドナデジみたいに、ポスターは現行、現場はニューってことにしたら混乱しちゃうって考えたのかも。
そして、35周年イベントでも、実写グッズの大量投入。ウェブからミキミニに関係する画像の削除。TDSイースターのコンセプトアートが、明らかにニュールックを思わせるデザイン。年パスのデザインが、実写からイラスト柄へ。
オリエンタルランド以外にも、ディズニージャパンもニュールック浸透に力を入れてた。
ミッキーのお誕生日企画で、京都に行ったのもニュールック。オンアイスはフランチャイズ扱いだけど、管轄はディズニージャパン。だからミキミニも早い段階で、ニュールックに切り替え。
ミニーの日企画で、ニュールックのミニーちゃんが雑誌に登場。こうやって考えてみると、かなり慎重に進めているよね。
さて、シーのハーバーショーは、ニュールックを導入することが決定。あとはグリーティングと他のショーをどうするのか。
終演とリニューアルに合わせて変えていくのが、一番現実的だと思う。もうすぐ終わるワンマンに、ニュールックを導入するとは思えないし。
一番みんなが気になってるのは、婚礼・ホテル宴会・バケパグリの3つかな?婚礼なんて、日本人がアメリカでミキミニの顔にクレーム付けて、トラブルになってるくらいだからね。ミリアルも今から戦々恐々じゃないの?
たぶん、今のパンフレットで契約してる人は、現行ルックでやると思う。だってトラブルになって、支払い拒否されたら大変だもん。舞浜にとって、一番の重課金ゲストですから。
さて、どうなることやら…。
TwitterとかFacebookの公式投稿見てると、リプ欄が荒れ放題。まあライト層にとっては、新幹線のN700SとN700Aを見極めるような感じかね。熱心に通っている人じゃないと、違いなんて分からないと思うよ。
最後に、私が敬愛する人のウェブサイトのリンクを貼っておきます。