はてなキーワード: ナースとは
どうすれば良かったんだろう、の答えは、誰かに相談する、です。
独自の判断は結局の所、自らの判断の正しさを検証し切れません。
だからこそ、あとあとになってまで自分の対応に苦しむことになります。
私見ですが、特に主婦の方は自分の判断や価値観に固執する傾向が見られます。
私はそれを、会社員としての経験の差からくるものではないかと考えています。
例えば病院内を見て回りたいという要求は、それほどやっかいなものではありません。
やっかいなら病院が断ります。そこで初めて出来ないことが出来ないと確定します。
きっと迷惑だからやめようと押しとどめることは、いたずらに結論を先延ばしにするだけです。
ナースコールにしても、やはり同じ事が言えます。
普通の状況でない以上、自分も真っ当な判断力が失われていることをもっと自覚してもいいかもしれません。
ともかく専門家に相談することです。
うちのオヤジが緊急入院した時は、とにかく自分のことで医者に相談しろと母に口を酸っぱくして言ったもんです。むしろ私は独自の判断を発揮されるのが恐怖でした。
わがままを聞いてはいけなかったろうか?
1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。
個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。
抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。
そのときから、夫のわがままがひどくなった。
まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。心配だけれど2人で生活できない歳でもない。「今は、自分たちの面倒を自分できちんとやってくれることが、一番の協力だから、2人で力を合わせて乗り切ってね」と、言い渡し、私は病院に泊まらせてもらった。
次に「どこかに連れて行け」と言うようになった。骨に転移していて手足は骨折寸前なので歩かせるわけにはいかない。私が車椅子を押して行くことになる。大きな総合病院だったが、それでも毎日散歩していれば、あっと言う間に行くところは無くなる。「他の病棟を見たい」「リハビリ室に行きたい」と、看護士さんの指示がなければ通常患者が行かないところに行きたがりだした。「他の人だって病気療養中なんだから、そんな見物気分でよその病棟に行ったりしたらダメだよ」と諭したのだが「聞いてもみないでなんでわかる? やりたいことはなんでも『やりたい』って言えばいいんだ。ダメなことは『ダメ』と言われるから、そしたら諦めればいい」と言い張る。
3交替勤務で無茶苦茶忙しそうな看護士さんをつかまえて、「よその病棟に行きたい」なんて、どう考えてもまずいだろうということを言い出すわけにはいかないと私はためらっていた。すると、夫は自分でナースセンターまで歩いていき「よその病棟はダメだけど、リハビリ室は好きに行っていいってさ」と返事をもらってきた。「ほらみろ。やりたいことはなんでも聞けばいいんだ」と胸を張った。
その次は「素人の介護はもういらない。お前はいらないから、看護士を一人つけろ」と言い出した。痛み止めが頻繁に必要な状態になっていた。ナースコールを押してもすぐに来てもらえるとは限らない。自分専用の看護士さんが欲しいと思うのはもっともだが、ここは病院だ。看護士さんを独り占めなど出来るわけがない。「看護士さんはそんなにヒマじゃないわよ」と答えると「だから、ダメかどうか聞けって言ってるだろ」と怒る。
聞かなくてもわかる。ダメに決まってる。それでまたケンカになり、夫は自分で聞いてきた。ダメだ。当たり前だ。すると、夫は戦術を変えてきた。ナースコールを押して、看護士さんがきたら出来るだけ引き止めるのだ。「どう痛いのか、うまく説明できない」「何度薬の説明を聞いても覚えられない。こんな症状のときには何がいいんだっけ?」「頭洗って欲しいな」などなど、とにかく一秒でも長く看護士さんに居てもらおうとする。そもそもナースコールというのは緊急時に押すものだと私は思っている。気分が悪いのなんのと、いちいち押していたら看護士さんの仕事の流れに差し支える。だから、ナースコールを押す前に夫に「何をして欲しいのか」を明確にさせるようにした。それでも、2時間に1回くらいは押していたから頻繁だったのだけれど、本当は30分に1回押したがるのを必死で止めていたのだ。
ナースコールを押すときには何をしてもらいたいのか決めているので、押してから言うことは「赤い痛み止めをください」「睡眠薬の2段階目のをください」と具体的になる。これが一部のナースさんの反感を買った。入院患者にどの薬を使うかは、ドクターの指示によって看護士が判断するものだ。患者の側から薬の種類を特定するのは越権行為と思われたのだろう。
具体的には私の入浴中(10分入ってる)に点滴の針を抜きに来て、大声で夫を怒鳴ったり、入院してから一度も頼んだことがないのに「体を拭きましょう」と言ってきて熱いタオルを夫に押し当てたり、呼吸器が顔に当たって痛いと言えば「みんな我慢しているんだから我慢しなさい」と言われたり(もう、24時間以内に死ぬとわかっている患者に)、モルヒネの注射を始めたらシップタイプの痛み止めを剥がされたり、モルヒネを始めた日の夜中、何か騒がしいので起きようとしたら看護士さんに「奥さんは寝ててください」と止められたり、そのあと夫が完全に死んでから「亡くなりそうです」と起こされたり。
死に目に会えなくて、私は助かった。
とにかく最後の一カ月はわがままの言いどおしで、最期の最後に何を言われるかと、私はビクビクしていたのだ。夫の要望に応えて病院に泊めてもらったのに「素人の介護はいらない」と言える人だ。もう、死ぬとなったら、何を言い出すかわからない。夜中についウトウトしてしまい、起きたら夫が死んでいてホッとした。看護士さんに起こさないでくれてありがとうと言いそうになった。死に目に会いたがるのが普通なのに、会えなくて喜ぶのも変だから言わなかったが。
と、いろいろと気持ちが混乱した。
夫が亡くなってから1年と3カ月が過ぎて、ようやくいろいろなことが落ち着き、生活も以前のように戻りつつある。
そして、ふと「モラルハラスメント」という言葉を知った。自分のプライドを傷つけた人間に、まるで相手が悪いかのように思わせるような嫌がらせをするというものだ。
いろいろな兆候が夫に当てはまった。
ああ、しまったと思った。夫が妙なわがままを連発したのは、自分が死んでしまうという自分の尊厳への傷を回復させたかったからだったんだと思った。
じゃあ、わがままにいちいち付き合うのではなく、単純に「あなたのおかげで、私幸せでした。ありがとう」とそう言えば良いだけのことだったんじゃないかと。
そしたら、夫も落ち着いて、もっと、穏やかで感謝に満ちた最期を迎えさせてやれたんじゃないだろうか。
コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。
ずっと心に閉じ込められていた何かを言葉にしてみたら、こうなりました。
一部の看護士さんの対応については不満はありません。夫はもちろん私も自分のことでいっぱいいっぱいで、自分では意識しておらず、また、よく思い出せないのですが、そういう扱いをされるほど傍若無人な態度を取り続けていたのだろうと思います。
夫がどんなわがままを言い出そうと「病気がそうさせるのだから」と、主治医の先生もほかの看護士さんも理解を示してくださっていました。私がうまく相談出来なかっただけなのだと思います。
闘病に付き合っている間、ずっと、夫が死んだら、せいせいするだろうと思っていました(こういう本音を書きたいから、増田でしか書けないのです)。
夫はここ10年ほどは、ずっと決まった日課で生活していました。朝起きる時間、夜帰宅する時間は、ほぽ毎日同じ時間でした。毎日、その時間になると扉を見つめます。夫が帰って来ないということがどうしても納得いかないのです。
今日、夫の仏壇を食卓の近くに据えました。よく見えるところに遺影を飾りました。これからは、仏壇と遺影を見つめようと思います。
女の私でも『レイプレイ』を楽しんだことがある。
なぜ女である私が男性向けの、しかも陵辱ものをプレイしたのかというと、きっかけは社会人になってから。
ゲームをする時間があまりとれずに「PC起動後、3分でやれるエロゲ」を探していたら、必然的に陵辱系のゲームしか残らなかったからだ。
まぁ、話題になったような『はらませ』『中絶』とかは敬遠していたけれど。個人的に『触手』もNG。
たぶん、今はてな界隈でみかける規制反対派の「陵辱系でないと抜けない!」って言ってる人以外は、こういう理由で陵辱系エロゲのお世話になっている人も多いんじゃないだろうか。
作り手側からしてみれば「特定のキーワード属性の(いわゆるツンデレとか、お嬢様とかメガネっことかロリとか、お姉さま系とかナースとか…)ヒロインを、何か理由をつけて沢山の性交渉の回数をこなす」もので、より需要のある作品を…と、追求していった結果の一つが『レイプレイ』なのかな。
この「てっとり早く、とにかく回数をこなす」っていう発想自体が女性の人権を侵害しているってことになるんだろうね。
どちらにせよ私は規制されようと、されまいと市場に流通している中から好みにあうものを、これからもチョイスして楽しんでいくと思う。
それに、今回の規制が行われたあとメーカーさんが需要にどう対応していくのか、ちょっと期待している。
だから、どちらかといえば規制賛成派かも。
「陵辱系のプレイじゃないと欲情しない。規制された後どうすればいいんですか?」って人には、私からは「好き嫌いなくせば?」としか言えない。資産も性の好みも分散させた方が人生はハッピー。
ガチなマッチョとメイクラブしたいんじゃ。みんながみんな線の細い王子様が好きとは限らないんだよ、バッカヤロー!
って、わけで私もニッチな欲求を持てあましている日々だよ。たぶん、これからも…。
http://anond.hatelabo.jp/20090603180702
オレなりの考えを加えてもう少し論を進めてみる。
それはあの白い服に特別な扇情効果があるというワケでは無くて、看護婦の持つ献身的なイメージが好きなのだと思う。
セーラー服もそう。
女学生の持つ処女性や清純さを感じたいからこそのセーラー服で、そこに学歴とか実際の学籍とかはあまり関係無い。
要は記号なのだ。
もっとも長く接していれば制服を用いなくても献身さや清純さを感じられる事は出来ると思うがそれは現実の世界。
小説漫画の限られた表現世界ではそういった特徴を表現するには制服その他の記号を使った方がてっとり早い。
レイプ描写もその一つ。
それが描いてるのは支配欲や征服欲。
そしてそれをおかずにするというのは支配欲や征服欲を充足させたいと言う事。
支配欲や征服欲は男なら誰しも多少は持っているもの。それを持つ事が悪でも無いし犯罪でも無い。
そしてそれを満足させるのは現実世界ではレイプだけに限らない。
ナース服を着てもらえなければ献身さを感じられないとは限らないように。
指輪を買って相手に贈る、なんてのもその一つだよね。
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ。
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」
…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
本来は罪悪感を感じる必要なんてないけど、増田は彼氏の避妊に対して軽く考えてるところが本当は嫌なのに、それを言えない自分に罪悪感を持ってたんじゃないかな。
ピルを飲むことの罪悪感ではなく。
あと医者もナースも別にピル処方するくらいで人を軽蔑したりしませんよw 気にしすぎ。
むしろ、ちゃんと考えて自腹で病院行って、最後にはきちんと拒否した増田はすごく偉いと思う。
相手が1人だけでもリスクは存在するものだ。お風呂でうつったりもするし。
ていうか、ピル飲んでるから中出ししたいって男はバカじゃないの?
新人ナースも秋を迎えるころには古株になって、浮気がばれると病棟の全職員が敵に回るので、浮気も命がけになる、という意味。
“うり”も“なすび”もやさいだが、同じつるにはならない。人生失いたくなかったら、土下座してでも認知は避けよ、という意味。
茄子の花は、一つの無駄花もなく、すべて結実すると言われている。ナースと浮気するときには、だからよくよく気をつけないとえらいことになるという意味。
そのまま
そう思っている奴が、たいていドツボにはまって抜けられなくなる。
ナースのお腹が膨らんだとき、病棟にはたいてい、それを素直に喜べない奴がいる、という意味。
一年中出回っている茄子も、年の終わり頃にはみんな知りあいになって、うわさ話が一気に広がる。冬以降のナースは、新人の頃とは別の生き物に化けるので、浮気するなら年内が勝負、という意味。
三里四方、つまり勤務場所から半径12キロメートル以内に住んでいるナースと浮気すると、長生きできないという意味。
同じ病院で二度浮気すると、もう医局からも見放されるから気をつけろ、という意味。
浮気がばれてどうしようもなくなったとき、最後の手段として古株の婦長さんに相談すると、案外何とかしてくれるものだ、という意味。
当方23歳♂。
誘われる機会があって、ちょうど休みだったので行ってきた。
異世界だった。
コスプレマシュマロみたいな店があってJKがメイドやナースのコスプレしてマシュマロ食わせてくれる。
何これ。え、ほんとにこれ、有料じゃないの?怖いお兄さん出てこない?大丈夫?風営法とか大丈夫?え?え?
なんかイベントタイムみたいなのがあってJKがハルヒのコスプレでハルヒダンスしてた。
クラスの6,7割踊れるよ!通りがかりの女の子も踊れるよ!みたいな空気。
何これ。え、最近の高校生はみんなこうなの?コスプレとか抵抗ないの?
長門コスしてる女の子と仲良くなって、連絡先とか交換してみた。
・・・。
来年も誘ってもらおう。
元増田です。
数日後自分の日記を読み返して笑ってしまった。
今ではたかが漫画じゃん、と思える。
彼女は漫画は自分で買ったりはしないのでそれ程漫画好きというわけではないと思う。
手を付けず返すなんて何事じゃ!という感じでいきり立っていたんですね。
整形外科系の入院でどちらかというと元気な部分ばかりが目立っていたから
(担当医に内緒でこっそりコンビニまで脱走するなんてよくやっているらしい)
まるっきり元気なけが人だと思っていて、見られていないにしてもやや配慮に欠ける日記ではあった。
あの後もういちど蔵書から選りすぐって持って行ってみた。
しかし『DEATH NOTE』が良くて『MONSTER』がダメな理由はわからない。
『ハチクロ』は読んでくれたけど、4巻あたりで意味がわからなくなったといって帰ってきた。
『動物のお医者さん』は犬好きなこともあって読んでくれた。
今のところこれが一番おもしろかったらしい。
でも『おたんこナース』は読んでて辛くなる部分があったと言っていたので、貸した私のミスだろう。
ぱっと見の萌え??テイストが強いかしら?と思って控えてしまった。
再来週には退院できるという連絡がはいった。
退院する前に本を回収しに行こう。
そして何でダメだったか、を聞いてみたい。
よく、デスマ自慢とかあるけどさ。
IT技術者なら、精神壊して閉鎖病棟に入院するくらいでないと激務とは言えないよ。
俺は個室だったけど、もちろん窓は開かない。カーテンも上手くロープとか引っかけられない構造になっている。
部屋は24時間webカメラで監視。トイレもカーテンで閉めるだけだから、オナニーすら出来ない。
病棟のフロア内は散歩できたけど、院内の売店行くときとかは全てナースの許可制。鍵の掛かっているナースステーションを通らないといけない。
いける時間は朝9時??夕方4時まで。院外に出るときも許可制。
薬の時間は他の患者と一緒に一列に並んで、口を開けて薬と水を流し込まれる。
何の薬かは分からない。
あんたほんとにナース?
何を勉強したわけ?
もしかしてあの学習内容で直接人の命が救えるとでも?
本当にそうしたければ医者になるべきでしょう。
いや、ナースがいるだけいいよ。
高齢の知人が公立病院に入院したんだけど、最近はどこも人手不足なのかナースさんも患者を見てる余裕がなくて、しょうがないから家族がほぼつきっきりで面倒を見ててとても大変そうだったよ。あれじゃ家族がナースのお仕事を代替しているようなもんだ。たぶん待遇も悪かったのだろう、医者や看護婦が大挙して退職するから病院が閉鎖するんじゃないかとの噂も流れていたし……。
そりゃ看護婦さんは見てるだけでいたたまれないかもしれないけど、見てもらえるだけでもとてもありがたいものなんだということは忘れないで欲しい。
あたし・・・実は・・・ナースなんだ。
ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。
でも、どうしても言えなかったの。
あたしがナースだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。
わかってる。わかってるよ。
ナースは国家試験を通った人だけがなることができる、人の命に関わる重要な任務だって。
でもね・・。
でもね、全然ちがうんだよ。
あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。
あたしは汚れている。
あたしの手は、汚れているんだよ。
ナースになったとき、すごく嬉しかった。天使になったような気でいたの。
あたし馬鹿だから、人の命を救うんだ!なんて、本気で思ってた。
でもね、全然違ったんだよ。
国から言い渡されたナースの任務は全く別のものだった。
人の命を、まるでナイチンゲールのように平等に助けるようなものじゃなかった。
あたしたちナースに課せられた任務、・・・・それは、ふるいわけ だった。
生きるべき命と、それ以外の命のふるいわけ。
そして、それを見守ること。
ねぇ知ってた?
この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。
どうなっても大丈夫な命っていうのが。
ナースはね、それを見守るの。
そこにあるだけで、まるで医療が行われているかのような錯覚を起こさせる。
あたしの仕事は、そうやって、平等に医療が行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。
人なんて、全然、救えなかったよ。
救う義務も権利も、この任務にはなかったの。
例え、その人がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、
あたしたちは医師の命令が無いかぎり、何一つの医療行為もできない。
あたしたちには薬も酸素も与えることはできないの。
ただ、ただ、走って先生を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。
夜なんかになれば、一つの病院に一人か二人とかしかいないの。
「先生、吐いている人がいます!」
「先生、胸が苦しい人がいます!」
「先生、脈が弱い人がいます!」
「先生、腹痛でもがいてる人がいます!」
懸命にナースたちが叫んでた。
でも医師は一人。
私も声を荒げて「苦しい人がいます!」って叫んだの。
でも、ここでもふるいわけが始まる。
経済状況、年齢、地位。そんなものが病状と一緒くた になって命令が言い渡される。
「とりあえず酸素を」
その日、10秒ごとにナースコールが鳴った。
「苦しい、苦しい、まだ苦しい」
「もう少しだけ待ってください、今先生、来ますから・・」
何度も先生のもとに走ったけど・・・。
あたしは先生に背中側から叫んだ。
「酸素をしても、まだ苦しいみたいなんです!」
「酸素を上げてみて!」
その患者だけじゃない。
「トイレに連れて行ってください」
「シーツが汚れたから替えてください」
「薬を飲ませてください」
「テレビがつかないんのですが」
「眠れません」
廊下を走る。
忙しさに言葉が荒くなる。
認知症の患者さんがエレベーターに乗って外に出て行こうとする。
遠くの病室で、人工呼吸器の異常アラームが聞こえる。
必死にあたしもふるい分けた。
今、一番いのちの危険がある人から、一番苦痛を感じている人から、手を差し伸べなきゃ。
「いつになったら来るんだ!」と言われても。
「遅い」と言われても。
私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、
「苦しい、苦しい、苦しい」と言う人のとこに走ったよ。
唇から色が消えていた。冷や汗をかいていた。
あたしは心臓だ!と思った。
あたしは医師の指示を待たずに心電図の検査をした。狭心症の波形だった。
急いで先生に連絡した。
「狭心症の波形です。ニトロ内服させていいですか?!」
「いや、波形を見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」
患者は胸を掻きむしるようにしていた。
「待てません!飲ませます!」
あたしは医師の指示無くニトロを内服させた。患者の苦しさはスッと納まった。
それは駄目なことだったけど、一人の患者を救ったことに、あたしは浮かれてたの。
貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々とナースステーションに戻ってきたの。
ナースステーションの・・・・
ナースステーションのモニターの一台の波形が、フラットになってた。
あたしは急いで病室に飛んだよ。
でも、亡くなってた。
喋れない患者さんだった。
ナースコールも押せない人だった。
あたしは、その日、目の前の苦しい人に夢中で、モニターなんか見てなかった。
それでもね、・・・あたし、まだ、ナースなんだよ・・。
先生は患者の家族に「いつ何があってもおかしくないご年齢でしたから・・」と告げた。
患者の家族は「ありがとうございました」と涙を浮かべて頭を下げた。
そして、あたしにも「看護婦さん、ありがとね」と言ったの。
大好きな、患者さんだった。
この人が歩ける頃から知っていて、喋れる頃から知っていて。
「自分は寂しがり屋だから、最期は家族に手を握ってもらいながら逝きたい」と言っていた。
あたしが新人の頃から知っていて、注射が下手だったのも知っていて、
「おまえは俺が育てたようなもんだ」が口癖だった。
「まぁ、・・・歳だったし、家にも帰れないって言ってたからなー」
と先生があたしの背中ごしに言った。
あたしはモニターの記録を見てたの。
その記録には、波形が狭心症から心筋梗塞となり心停止するさまがしっかりと記録されていた。
歳だから死んだんじゃない、そこには心筋梗塞で死んでく命があった。
でも、そんなこと全部まるめこんで、死んじゃって仕方ないっていう命が、そこにはあったんだ。
似たようなことはざらにあった。
何人もの人が、私の手のひらから零れていったよ。
でも、あたし・・・ナースなんだ。
誰も、辞めろって言わないの。
ナース同士は実情がわかってるから、言わない。
国はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが仕事だ」と言うかもしれないけど。
いや、言わないか。国は、何も言わない。きっと。
救えたかもしれない命を、ナースは一番わかってる。見えてしまう。
医師の指示が適してないのも、判断が遅いのも、治療がのってないのも、全部わかってる。
それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。
その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。
でも、救えなかった責任も、見過ごした責任もナースには問われない。
ナースって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。
くすり一粒すら出せないのに、
検査一つ指示できないのに、
命に関わることなんて、一つも独立してできないのに、
どんなに辛くてもナースしか呼べないなんて。
そしてあたしたちは色んなものを抱えて、あなたの前に立つ。
先生が来ること、来れないこと、
できる治療があること、ないこと、
色んなことを知りながら、なにも変える力もないままに、
さも救いの天使が舞い降りたかのような顔で。
医療が崩壊していく。
全然止められない速度で。
その砂上の城で、あたしは見てるんだ。
沈んでいく人の命を。
http://anond.hatelabo.jp/20080612210106
リアルで女と別れて、次の出会いを探す気もなく、Yahoo!パートナーhttp://partner.yahoo.co.jp/で女性捜しを始めた三十路・オタク・非モテの僕の体験記。ゴリラブーツさん、いつも紹介ありがとう。
5月29日から始めたんで、もう1ヶ月半近くになる。シリーズ第六弾の中間報告。あと2週間で会員を辞めるつもりなんで、そろそろ総決算かな。
前回カキコから1ヶ月と間が空きました。もう非モテだなんだとかコンプをなぐり捨てて、でも冷静に女性とお近づきになりたい。本気で誰かと結婚したい……とか考えるようになりました。
Yahoo!のやっている出会い系サイト。あまり援交とかそっちの匂いはせず、恋人・結婚相手探しがメインな雰囲気。主に20代半ばから30代にかけての男女がお互いを探しあう形になる。
♂と♀とのやりとりは、Yahoo!がYahoo!パートナー用に用意した有料メールを利用します。無料だとほとんど会話が成り立たないんで、月1500円程度の出費は致し方ない。
で、自分の居住都道府県やその周囲に検索エンジンをかけると、山ほど女性のプロフが出てくるんです。一応、♂も♀も有料会員なんで、サクラと呼ばれる業者は少ない(たまに他所の出会い系への勧誘メールを送ってきますが)。ただ、相手が大量にあるんで、年齢とか趣味とか体型とか血液型だとか二十数項目ある要素を検索エンジンの"条件"として絞っていくと、異性の数は数十件になる。そこからプロフを見て、気に入った♀にメールを送る……という仕組みです。♀から♂へ連絡するケースもありそうですが、極めて稀なんでしょう。
基本的には、♀優位の世界です。♂は1人で何十もメールを送るし、♂会員は♀会員の数倍はいる。だから、♀が登録すると何十、何百とメールが送られてくる。
♀は、そこから波長があった♂を4人とか10人とか選び、2週間なり1ヶ月なりメールをやりとりして、相手の絞り込みを行う(途中、無言で切り捨てていく♀多数)。
で、最後の数人を「どこかで茶店かお食事でも」と誘う形になる。2ちゃんねるhttp://pc11.2ch.net/test/read.cgi/esite/1214918027/l50では「面接」としていますが、まあ言い得て妙な感じですね。そこからうまくいけばお付き合いが始まる。
面白いのは、限られた相手の情報からいかにメールで話を膨らませていくのかですね。基本、メールでのやりとりが勝負な所がありますが、携帯メールみたいに「こんばんは」とかだけならネタも尽きてくる。意外に、増田だけでなく、はてなとかで何かを書いている人で、他者に興味を持ち続ける意志がある人なんて、ここのサイトは合っているのかも。
最終的に、僕は5/29からの最初の1ヶ月間で86人の女性にメールを送りました。
打率は2割強。三十代半ばで結婚したいという言葉をプロフを滲ませていたし、年収は悪くない。ちょっとは気にしてくれたらしい。
ただ、計18人とメールを続けるのだけど、主に♀さんの意志で次々と会話は切られていく。無言で去っていく人も多い。2ちゃんねるだと「FO フェイドアウト」としている。
で、メールでやりとりした18人のうち、今も続けているのは7人。本気なのは2、3人かな。
そこらの人との面接やメールのやりとりは次回で、今日は、メールを始めたのに途中で頓挫した人たちを紹介。
Yahoo!パートナーをやってみて初めて知ったのは、医療福祉関係の方がやたらと多いと言うこと。医者やナース、薬剤師とかじゃなくて、介護士とかリハビリ関係とか福祉関係とか、現場を底辺で支えている人たち。収入は"200万円から400万円"での登録ばかり。給与的にあまり恵まれていない。
でも、男との付き合いもあまりなさそう。キャリアを積んでなんとかという世界でもなさそうだし、将来設計が難しい。そこらはリアルの男女関係でもそうなんだろうなあ。だから出会い系にやってきている。こうした福祉関係の三十代♀って完全に盲点だし、男の恋愛対象から忘れ去られていると思う。意外に拾いものな人は多いのかも。
(日付は最後のメールの日。●通は♀から来たメール数、FOは何も告げずにメール連絡を止めること)
かくして、以上、10人の♀たちが僕の元を去っていった。理由はいろいろあるんだろうが、僕には分からない。僕も3人の♀をお断り、フェイドアウトしている。やっていても波長があわないから。それはお互い様。
というのを改めて認識させられた。
このYahoo!パートナーで、問答無用で無視されたり、放置されたり、こちらから見捨てたり、なんかメール上だけで意味なく盛り上がってみたりしたことで、リアルの恋愛感情で見られるコミュニケーションギャップを短期間で大量に体験できた。恋愛には情を通い合わせるのが大切だけど、それが途切れるときはもはや理屈じゃない。だから、ダメだったときも仕方ないと割り切らないと、次の出会いはやってこない。そんな当たり前のことを大量の♀と同時進行でメールをすることで再認識させられた。
この春に別れた彼女のことをずーっと今でも引きずっていたが、なんとか次へと歩んでいく気持ちだけはできたと思う。そんなオレの勝手な自己分析のネタに使わせてもらった♀のみなさん、本当にすまない。
ということで、オレのここでの目的はある程度達成できた。あとはただ退散するのみ。
でも、せっかくの出会い系。
話の波長のあった三十路の♀さんたちって、どんな人なんだろう。好奇心だけは残っている。実際、4人の方に会いました。本命と対抗馬の人たちについては、また次回で。
10数年前に父を亡くした。私は19歳だった。
それでも私は月々のお小遣いをもらってはいたが微々たる額で
流行りの服も買えず、同級生と一緒に遊びに出かけても
小遣いの心配ばかりで少しも楽しめなかった。
いつも家にいる父のことを邪魔だと思ったし
そんなことばも平気で口にしたこともあった。
当然母には怒られた。父は何も言わなかった。
やがて父は入院し母が泊まり込みで看病することもあった。
私はそれをいいことに彼氏を家に連れ込んだりもしていた。
それは秋のことだった。厳しい食事制限のため
肉も抜かれほとんど味のない病院食しか食べさせてもらえない父が
ふとマクドナルドのCMを見て、月見バーガーを食べたいと言った。
母は仕事でいなかった。
いれば、きっと反対しただろう。
病院からマクドナルドは遠かったが、私は車を持っていた彼氏を呼び
目当てのものの買い出しに成功した。
半分冷めてしまった月見バーガーを、父は「美味しい」と喜んで食べた。
父は言った。
「もうお父さん、永くないことを知っとるから……
隠さんでいいよ。」
それから2週間後、父は亡くなった。
出棺時に母は取り乱し、気を使った親族の判断で
母は家に置いていくことになった。
火葬場では、故人と一番近い人間が点火のスイッチを押さなければならない。
一人娘の私が押すことになった。
「しっかり押さんと、お父さんは成仏できんからな」と親族は言った。
目を瞑ってギュッと押すと、それまで出てこなかった涙が出てきた。
初七日のあと、入院していた病院へ置いたままの荷物を取りに行くため
私はあまり病室に行かなかったので看護師の顔をあまりよく知らない、
しかし看護師はみんな私のことを知っていた。
母も私もいないとき、薬をもってきたり点滴を交換する看護師に
父はいつも私の話をしていたのだと言う。
見舞いにきたときに屋上へ一緒に行ったこととか。
その話を聞いてまた皆で泣いた。
それからしばらくして。
病院に置いていた父の私物の整理をしていると
二つ折りの、くたびれた黒い皮の財布があった。
着物を着て笑っている私の写真。それより大きくなってからの写真は
私が触らせなかったから、持っていなかったのだ。
小銭入れの部分には、いくばくかの小銭と、ティッシュに包まれた
「蛇の皮」が入っていた。
「蛇の皮を財布に入れているとお金持ちになる」
そんな話をどこかで聞き込んでいた小学生の私は、通学路の途中に落ちていた
蛇の皮を持ち帰った記憶がある。
「そんな汚いものを拾わないで!」
母には怒られ、すぐに捨てるように言われたが、父はゴミ箱からそれを拾っていたのだろう。
あれから何年もたったのに、まだ残っていたなんて。
四十九日が終わってからも、亡くなったことを知らなかった父の知人が
訃報を知り家を訪ねてくることがあった。
私とは面識もないその人々もまた、私のことをよく知っていた。
○○大学に通っているんですね。足が速くて駅伝でも二区を走っていたとか。
父はあちこちで、たいして出来もよくない私のことを吹聴して歩いていたのだ。
父が亡くなった時につきあっていた彼と別れ、
その後も出会いと別れを繰り返し、結婚できないまま現在に至る。
そして、こんな私を
無条件で誰よりも愛してくれていたのが、父しかいなかったことに気付かされる。
いろんなところで見かける家族連れ。
中でも、小さな娘と歩いている父親の顔は、いつも幸せそうに蕩けている。
ちっとも気付かなかったが、私の父もあんな顔をしていたのだろう。
娘を愛さない父親なんていない。
もしもそんな父親がいるとすればそれは男ではない、違う生き物だ。
http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-320.html
だからこんな話でも涙が出てきて、止まらない。
そんなオチだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080207023624
単なる「酸っぱい葡萄コメント」ではなくホントに行けるんだったら金融(PEとかHFとか、あるいは外資のIBだよね?みずほだのMUFGのことじゃなくて)、コンサルってのも人脈作りの観点からはいいと思うけど。高値掴みっていうなら学生に根強い人気の最大手広告屋だの在京キー局だの家電ゲーム映画メーカーだの、あるいは財閥系商社なんかのほうがよっぽど高値掴みだと思うなぁ・・・
部長「やあ班長君、前のアレは客先でとても評判が良かったよ。」
班長「ありがとうございます。」
部長「ところでこれ読んだ?『優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話』」
問題は、ナースたちが優秀であればあるほど、システム上の問題点が病院の経営側に伝わって来ないこと。ナースたちにとってみれば、システムの欠陥を指摘する・他人のミスを指摘する・ミスの原因を徹底究明する・経営陣に改善を申し出る、などは彼らの仕事ではなく…
班長「なんですか?」
部長「ソーシャルブックマークで話題で目に付いたんだけど、ウチにも当てはまるんじゃないかと思ってね。」
班長「うーん、なるほど…」
筆者は「だから病院の経営陣は、ナースの日々の活動に常に近いところにいてどんな問題を彼らが解決しなければならないのか、どんなところに余計な時間を費やしているのか観察し、積極的に手を差し伸べてシステムを改善しつづけなければならない。(略)」と結論付けている。
部長「君はウチではダントツ優秀でとても助かってるんだが、どうだろう、そういう傾向もあるんじゃないかな。」
班長「そうですね、私も何気なくやり過ごしている部分を気をつけてみます。」
部長「そうなんだ。だからこれから今までの仕様書だけでなくてね、もう少し新入社員にも参考になるノウハウも含んだドキュメンテーションにするとか、問題報告をまとめて改善提案として提出するようにお願いしたいんだ。」
班長「えっ?(それも俺がするの?)」
部長「そう、君は優秀ゆえに問題を見逃してボトルネックとなっているわけだからね。」
班長「(駄目だコイツ、早く何とかしないと。)」
看護学生と話すときにいつも思うことがあります。
看護学生ができることはなにか?
看護学生にしかできないことはなにか?
就職して、スタッフナースになると、ひとりで複数の患者さんの看護をしなくてはいけません。
それは、時間との戦いであり、自分の看護のトレーニングでもあります
記録にまとめて、整理して。
看護計画を建てて。
看護。
それでも、指導者からは、不足点を指摘されて、泣いてしまったり。
それでも、患者さんのためにがんばっています。
看護学生にしかできないこと。
それは
一日のほとんどの時間をそのために使っていること。
そういう気持ちはやっぱり、患者さんやご家族に伝わるし、スタッフが得ていない情報も持ってくるときもあります。
最後はめでたしで実習を終えています
今はしんどいかも知れないけど、
それができるのは世界で君だけ。
あせらなくてもオッケー。
ただ誠実に。
それだけが指導者として望むこと。
救急を取る病院がまだまだ少なかった頃。
地域の基幹病院は県立病院。救急車で30分。救急対応も今ひとつ。
地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。
何もない開院したての病院。外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務も看護もみんな初対面。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするけれど、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水は妙にシンナー臭い。
新しい病院を立ち上げる仕事は楽しい。医師の派遣元にも十分な人手はいないので、みんな交代で出張。
新しい病院。新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、備品のありか、地元に詳しい事務の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのか分からないから、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野郎ばっかりの飲み会。
立ち上げ当初は、食事も宿泊も全て病院内。3食病院食は、2週間もすると飽きてくる。もっと身体に悪いものが食べたくなって、医局に周辺の出前リストがそろう頃には、外来にもだんだんと患者さんが増えてくる。
まず集まるのは、「主訴:腰痛」の整形外科の患者さん。理学療法室の常連を徐々に増やして、高血圧の人、咳のひどい人などを外科に紹介して、外来の人数はだんだんと増えていく。
そのうち、軽症の交通外傷の患者さんが救急車でやってくる。病院にも、若い患者さんが増える。もともとの設立の動機は「地元のための」病院。病棟はきれいで、居丈高な公立病院を反面教師に、時間外でも笑顔で診察。
開院2年目。待合室には若い人が増え、活気を帯びてくる。外科、内科とも常勤のドクターが増える。スタッフの数が充実すると、皆もっと高度なことがやりたくなる。
「24時間救急を取ろう」「研修医を育てよう」スタッフが若ければ、気合だけで施設が充実する。病院で行えることはだんだんと高度になって、救急車の数も増えていく。
「あの病院はよくやってくれる」。地域の信頼が集まると、もっと若い患者さんが通院するようになる。
病院は忙しくなる。患者さんの年齢層が変化して、皮膚科や耳鼻科といった、若い患者さんが得意な科も充実してくる。
眼科が入ると、病院の経営は一気に好転する。白内障の手術の得意な眼科医は、内科医3人分の収益を一人で稼ぎ出す。黒字科が増えることで、病院にはもっと大規模な設備が導入される。
「カテ室を作ろう」。開院8年目。常勤できてくれる循環器のドクターも決まり、循環器外来が始まる。患者さんの数はますます増え、救急外来にも救急車の音が毎日鳴り響く。
雲行きが怪しくなるのは10年目頃。10年もすると、町にも高齢者の数は増えてくる。救急外来に来る患者さんも、外傷や脳出血、急性腹症といった年齢層の若い救急患者だけでなく、転倒による大腿骨骨折、近所の老健からの誤嚥性肺炎の紹介といった人が目立つ。
病棟の業務は変わる。夜間に不隠になる患者さんが増え、重症患者のための個室は、いつのまにか不隠部屋に。重症の患者さんは大部屋。徘徊老人は個室。不隠の強い高齢者はなかなか退院しないから、若い患者さんの個室への移動希望はかなわなくなる。
「あの病院はうるさい」「いつも廊下で叫び声が聞こえる」。病院へのクレームが増える。
「四肢抑制」「不隠時セレネース静注」、今までは書かれることのなかった指示が指示簿に当たり前のように記載されるようになった頃、日中のナースルームは不隠の強い高齢者であふれ返り、医者は叫んで暴れる年寄りの相手をしながらカルテを書く。かつてラクテックがぶら下がっていた点滴台には、経管栄養のバッグが目立つ。PNツインもまだ棚に置いてあるけれど、滅菌期限寸前でほこりをかぶったまま。中心静脈栄養なんて、もう半年ぐらい処方してない。
病院が止めを刺されたのは、近所に新しい老健が出来てから。「○○病院がすぐそば」を宣伝文句にして人を集めたその施設は、嘱託の医者が帰る5時以降になると患者をどんどん連れてくる。少しでも熱が上がると、「うちでは見られません」「入院させてください」の一点張り。
もともと「24時間、患者さんを断ることはしません」との宣言を出していた施設。開院して12年、それでも気合で守ってきたそんな宣言は、病院とは縁もゆかりもない業者に美味しく利用される。外来には車椅子に拘束衣で来院する年寄りが増え、以前から通院していた若い人は外来からいなくなる。
夜中によく来る喘息のお姉さんに「今度、午前中の私の外来に来てください」とお願いしたことがある。「私は○○病院にかかっているので、ここはちょっと…」と、マスコミによく出る施設の名前を出された。
市民のための病院。市民に見放された病院。ここはいつのまにか賎民のための病院に変わっていた。
病棟はもはや、行き場のない高齢者でいっぱい。若い人の肺炎や喘息といった病気は外来で何とか診るしかない。病棟業務は連日の転院先探し。患者さんもご家族も、「一生ここにいさせてください」と願う人がほとんど。やっとの思いで転院させても、2週間もすると37度の発熱で救急車で帰ってくる。もう二度と転院に応じるものか、という決意を持って。
手術の症例も減った。病棟ナースにも離職者が相次ぐ頃、引き上げた医師にも後任が決まらなくなり、病院は慢性期疾患を細々と診るだけの施設へと変貌した。
地域の若い人たちはもっと新しい病院へ。
「あの病院に行くと死ぬ」。こんな評判が地元に立つ頃、病院は死に体になった。
間違ったことはしていないつもりだった。より高度な医療サービス。より簡単なアクセス。地域の医療需要に応えつづけた結果、病院は地域から見放された。
より広い需要に応えたい。より高度な医療をしたい。患者さんのための医療をしたい。力をつけようと努力し、進化を続けた結果、「強い」病院にはより弱い立場の患者、慢性疾患の末期の人、行き場のない高齢者が集中するようになった。
90年代に救急外来を一生懸命やっていた民間病院の大半は老人病院化し、急性期疾患を搬送する救急車は、以前は急患を断っていた市立病院や日赤病院に集まるようになった。そして現在、そうした病院すらもだんだんとベッドが回らなくなり、一昔前なら救急車が素通りしていた大学病院にも、寝たきりの高齢者が搬送されるようになっている。
恐竜絶滅寸前の時代。爬虫類全盛期、さまざまな大きさの恐竜が覇を競い合った後、気候の変化とともに体の大きな恐竜しか生き残れなくなった状況。市中病院が高機能化し、救急外来を充実させて「恐竜」化する一方、「恐竜」化した大手市中病院は、進化の果てに絶滅しそう。
その影で数を増やしているのは、小さな哺乳動物。小規模病院。老健業者。元気がなくなる恐竜達を尻目に、誕生したばかりの哺乳類はきれいな施設、専門特化した医療技術を武器にその勢力を増している。
時代は変わる。恐竜が闊歩していた時代は去ったあとは、小型ですばしこい哺乳動物の時代が来る。医療の無駄は減り、効率のいい医療、効率のいい経営が実現できるようになる。
問題なのは「恐竜」クラスの力がないとどうしようもない患者さんはいつの時代にも存在することで、哺乳動物を目指した施設は、最初からそうした人を相手にする意思は無い。
主役の交代は、すでに小児科、産科の領域では確実に進行している。産科のいない市は、もはや珍しくなくなった。
恐竜だって絶滅したくて進化したわけじゃない。医者だって絶滅する恐竜と心中したくはない。結果として哺乳類が生まれ、「食べられない」患者は見捨てられる。
誰かが悪くてこうなったというわけではないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20071023080510
ほら、積極的には生かそうとしないってことで、結果として「死産でした」みたいな感じ。うちのママンが産科のナースやってましたけど、そんな風に言ってました。