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2009-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20090702234259

 どうすれば良かったんだろう、の答えは、誰かに相談する、です。

 それも専門家病院担当者に、です。

 独自の判断は結局の所、自らの判断の正しさを検証し切れません。

 だからこそ、あとあとになってまで自分の対応に苦しむことになります。

 私見ですが、特に主婦の方は自分の判断や価値観に固執する傾向が見られます。

 私はそれを、会社員としての経験の差からくるものではないかと考えています。

 例えば病院内を見て回りたいという要求は、それほどやっかいなものではありません。

 やっかいな病院が断ります。そこで初めて出来ないことが出来ないと確定します。

 きっと迷惑だからやめようと押しとどめることは、いたずらに結論を先延ばしにするだけです。

 ナースコールにしても、やはり同じ事が言えます。

 普通の状況でない以上、自分も真っ当な判断力が失われていることをもっと自覚してもいいかもしれません。

 ともかく専門家に相談することです。

 うちのオヤジが緊急入院した時は、とにかく自分のことで医者に相談しろと母に口を酸っぱくして言ったもんです。むしろ私は独自の判断を発揮されるのが恐怖でした。

2009-07-02

どうすれば良かったんだろう

夫が亡くなったときの対応について

 わがままを聞いてはいけなかったろうか?

 1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。

 個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。

 抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。

 そのときから、夫のわがままがひどくなった。

 まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。心配だけれど2人で生活できない歳でもない。「今は、自分たちの面倒を自分できちんとやってくれることが、一番の協力だから、2人で力を合わせて乗り切ってね」と、言い渡し、私は病院に泊まらせてもらった。

 次に「どこかに連れて行け」と言うようになった。骨に転移していて手足は骨折寸前なので歩かせるわけにはいかない。私が車椅子を押して行くことになる。大きな総合病院だったが、それでも毎日散歩していれば、あっと言う間に行くところは無くなる。「他の病棟を見たい」「リハビリ室に行きたい」と、看護士さんの指示がなければ通常患者が行かないところに行きたがりだした。「他の人だって病気療養中なんだから、そんな見物気分でよその病棟に行ったりしたらダメだよ」と諭したのだが「聞いてもみないでなんでわかる? やりたいことはなんでも『やりたい』って言えばいいんだ。ダメなことは『ダメ』と言われるから、そしたら諦めればいい」と言い張る。

 3交替勤務無茶苦茶忙しそうな看護士さんをつかまえて、「よその病棟に行きたい」なんて、どう考えてもまずいだろうということを言い出すわけにはいかないと私はためらっていた。すると、夫は自分ナースセンターまで歩いていき「よその病棟ダメだけど、リハビリ室は好きに行っていいってさ」と返事をもらってきた。「ほらみろ。やりたいことはなんでも聞けばいいんだ」と胸を張った。

 その次は「素人介護はもういらない。お前はいらないから、看護士を一人つけろ」と言い出した。痛み止めが頻繁に必要な状態になっていた。ナースコールを押してもすぐに来てもらえるとは限らない。自分専用の看護士さんが欲しいと思うのはもっともだが、ここは病院だ。看護士さんを独り占めなど出来るわけがない。「看護士さんはそんなにヒマじゃないわよ」と答えると「だから、ダメかどうか聞けって言ってるだろ」と怒る。

 聞かなくてもわかる。ダメに決まってる。それでまたケンカになり、夫は自分で聞いてきた。ダメだ。当たり前だ。すると、夫は戦術を変えてきた。ナースコールを押して、看護士さんがきたら出来るだけ引き止めるのだ。「どう痛いのか、うまく説明できない」「何度薬の説明を聞いても覚えられない。こんな症状のときには何がいいんだっけ?」「頭洗って欲しいな」などなど、とにかく一秒でも長く看護士さんに居てもらおうとする。そもそもナースコールというのは緊急時に押すものだと私は思っている。気分が悪いのなんのと、いちいち押していたら看護士さんの仕事の流れに差し支える。だから、ナースコールを押す前に夫に「何をして欲しいのか」を明確にさせるようにした。それでも、2時間に1回くらいは押していたから頻繁だったのだけれど、本当は30分に1回押したがるのを必死で止めていたのだ。

 ナースコールを押すときには何をしてもらいたいのか決めているので、押してから言うことは「赤い痛み止めをください」「睡眠薬の2段階目のをください」と具体的になる。これが一部のナースさんの反感を買った。入院患者にどの薬を使うかは、ドクターの指示によって看護士が判断するものだ。患者の側から薬の種類を特定するのは越権行為と思われたのだろう。

 具体的には私の入浴中(10分入ってる)に点滴の針を抜きに来て、大声で夫を怒鳴ったり、入院してから一度も頼んだことがないのに「体を拭きましょう」と言ってきて熱いタオルを夫に押し当てたり、呼吸器が顔に当たって痛いと言えば「みんな我慢しているんだから我慢しなさい」と言われたり(もう、24時間以内に死ぬとわかっている患者に)、モルヒネ注射を始めたらシップタイプの痛み止めを剥がされたり、モルヒネを始めた日の夜中、何か騒がしいので起きようとしたら看護士さんに「奥さんは寝ててください」と止められたり、そのあと夫が完全に死んでから「亡くなりそうです」と起こされたり。

 死に目に会えなくて、私は助かった。

 とにかく最後の一カ月はわがままの言いどおしで、最期の最後に何を言われるかと、私はビクビクしていたのだ。夫の要望に応えて病院に泊めてもらったのに「素人介護はいらない」と言える人だ。もう、死ぬとなったら、何を言い出すかわからない。夜中についウトウトしてしまい、起きたら夫が死んでいてホッとした。看護士さんに起こさないでくれてありがとうと言いそうになった。死に目に会いたがるのが普通なのに、会えなくて喜ぶのも変だから言わなかったが。

 と、いろいろと気持ちが混乱した。

 夫が亡くなってから1年と3カ月が過ぎて、ようやくいろいろなことが落ち着き、生活も以前のように戻りつつある。

 そして、ふと「モラルハラスメント」という言葉を知った。自分プライドを傷つけた人間に、まるで相手が悪いかのように思わせるような嫌がらせをするというものだ。

 いろいろな兆候が夫に当てはまった。

 ああ、しまったと思った。夫が妙なわがままを連発したのは、自分が死んでしまうという自分尊厳への傷を回復させたかったからだったんだと思った。

 じゃあ、わがままにいちいち付き合うのではなく、単純に「あなたのおかげで、私幸せでした。ありがとう」とそう言えば良いだけのことだったんじゃないかと。

 そしたら、夫も落ち着いて、もっと、穏やかで感謝に満ちた最期を迎えさせてやれたんじゃないだろうか。

20090704追記

 コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。

 ずっと心に閉じ込められていた何かを言葉にしてみたら、こうなりました。

 一部の看護士さんの対応については不満はありません。夫はもちろん私も自分のことでいっぱいいっぱいで、自分では意識しておらず、また、よく思い出せないのですが、そういう扱いをされるほど傍若無人な態度を取り続けていたのだろうと思います。

 夫がどんなわがままを言い出そうと「病気がそうさせるのだから」と、主治医先生もほかの看護士さんも理解を示してくださっていました。私がうまく相談出来なかっただけなのだと思います。

 

 闘病に付き合っている間、ずっと、夫が死んだら、せいせいするだろうと思っていました(こういう本音を書きたいから、増田でしか書けないのです)。

 夫はここ10年ほどは、ずっと決まった日課で生活していました。朝起きる時間、夜帰宅する時間は、ほぽ毎日同じ時間でした。毎日、その時間になると扉を見つめます。夫が帰って来ないということがどうしても納得いかないのです。

 今日、夫の仏壇を食卓の近くに据えました。よく見えるところに遺影を飾りました。これからは、仏壇と遺影を見つめようと思います。

2009-06-19

俺の選ぶエロゲ10選

  1. さよならを教えて ~comment te dire adieu
  2. 巣作りドラゴン
  3. うえはぁす ~お姫様今日危険でした~
  4. 家族計画 ~追憶
  5. ナース肉体改造カルテ ~変態媚肉奴隷開発病棟
  6. Forest
  7. いな☆こい
  8. あそび塾
  9. 永遠となった留守番 ~パパは帰らない~
  10. 車輪の国、向日葵の少女

http://anond.hatelabo.jp/20090619225348

たぶんサイレントマジョリティである私の意見

女の私でも『レイプレイ』を楽しんだことがある。

なぜ女である私が男性向けの、しかも陵辱ものをプレイしたのかというと、きっかけは社会人になってから。

ゲームをする時間があまりとれずに「PC起動後、3分でやれるエロゲ」を探していたら、必然的に陵辱系ゲームしか残らなかったからだ。

まぁ、話題になったような『はらませ』『中絶』とかは敬遠していたけれど。個人的に『触手』もNG。

たぶん、今はてな界隈でみかける規制反対派の「陵辱系でないと抜けない!」って言ってる人以外は、こういう理由で陵辱系エロゲのお世話になっている人も多いんじゃないだろうか。

作り手側からしてみれば「特定のキーワード属性の(いわゆるツンデレとか、お嬢様とかメガネっことかロリとか、お姉さま系とかナースとか…)ヒロインを、何か理由をつけて沢山の性交渉の回数をこなす」もので、より需要のある作品を…と、追求していった結果の一つが『レイプレイ』なのかな。

この「てっとり早く、とにかく回数をこなす」っていう発想自体が女性人権侵害しているってことになるんだろうね。

どちらにせよ私は規制されようと、されまいと市場流通している中から好みにあうものを、これからもチョイスして楽しんでいくと思う。

それに、今回の規制が行われたあとメーカーさんが需要にどう対応していくのか、ちょっと期待している。

だから、どちらかといえば規制賛成派かも。

陵辱系プレイじゃないと欲情しない。規制された後どうすればいいんですか?」って人には、私からは「好き嫌いなくせば?」としか言えない。資産も性の好みも分散させた方が人生ハッピー

蛇足だけれでも、もっと頑張れ女性向けエロゲメーカー

ガチマッチョメイクラブしたいんじゃ。みんながみんな線の細い王子様が好きとは限らないんだよ、バッカヤロー!

って、わけで私もニッチな欲求を持てあましている日々だよ。たぶん、これからも…。

2009-06-05

レイプという漫符

http://anond.hatelabo.jp/20090603180702

オレなりの考えを加えてもう少し論を進めてみる。

例えば制服、そうだなナース服が好きだと言う人がいる。

それはあの白い服に特別な扇情効果があるというワケでは無くて、看護婦の持つ献身的なイメージが好きなのだと思う。

セーラー服もそう。

女学生の持つ処女性や清純さを感じたいからこそのセーラー服で、そこに学歴とか実際の学籍とかはあまり関係無い。

要は記号なのだ。

もっとも長く接していれば制服を用いなくても献身さや清純さを感じられる事は出来ると思うがそれは現実世界

小説漫画の限られた表現世界ではそういった特徴を表現するには制服その他の記号を使った方がてっとり早い。

レイプ描写もその一つ。

それが描いてるのは支配欲や征服欲。

そしてそれをおかずにするというのは支配欲や征服欲を充足させたいと言う事。

支配欲や征服欲は男なら誰しも多少は持っているもの。それを持つ事が悪でも無いし犯罪でも無い。

そしてそれを満足させるのは現実世界ではレイプだけに限らない。

ナース服を着てもらえなければ献身さを感じられないとは限らないように。

指輪を買って相手に贈る、なんてのもその一つだよね。

ただ虚構世界でてっとり早い表現としてレイプ描写がある。

レイプものを好むから本人もレイプをしたがってる、というのは間違い」の真意はここにある。


レイプものをおかずにしておきながら実際のレイプ事件で心を痛める、なんて事もあると思うよ。

2009-05-14

SaGa2リメイク決定のきっかけ

Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。

俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。

夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、

小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、

みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。

んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、

そのまま3週間入院する事になって。。。

んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど

二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。

俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで

一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。

そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど

ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。

んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は

なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。

もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。

そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。

でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから

俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。

パーティー人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女名前)」

あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。

それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。

学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…

それから時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。

看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中

彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて

オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。

それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。

連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校卒業する頃になった。

せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ。

病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。

もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。

「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。

その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。

俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦

「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」

と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。

俺はそれを受けとって家に帰った。

帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイスイッチを入れた。

もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。

最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。

パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」

「いろいろ」

「ありがと」

「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。

お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。

2009-03-01

警察自殺と断定、または事件性が無いと判断したもの

  • 証拠品の銃を奪い取って別の袋から再装填しわざわざ離して自分の胸に発射、ただちに飛び散った血をふき取って取調室を掃除、この間5秒。
  • わざわざ動脈と反対側の手や腕の甲を切って自殺しようとするも未遂、自分自分の背中に針金でおもりを結びつけて川にうつぶせになり死亡
  • 火の気のない玄関で人体発火現象を起こして、燃え尽きるまで気管に煤が入らないようじっと息を止めて待ってた審査委員長
  • 口の中に靴下を入れたまガムテープで口を塞ぎ、両手を後ろで手錠により拘束し左手には手錠の鍵を持ち玄関内で衣服の乱れもなく窒息死した記者

2009-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20090125220528

女性側の避妊のための自衛手段としてピルはすごく有効。

本来は罪悪感を感じる必要なんてないけど、増田彼氏避妊に対して軽く考えてるところが本当は嫌なのに、それを言えない自分に罪悪感を持ってたんじゃないかな。

ピルを飲むことの罪悪感ではなく。

あと医者ナースも別にピル処方するくらいで人を軽蔑したりしませんよw 気にしすぎ。

むしろ、ちゃんと考えて自腹で病院行って、最後にはきちんと拒否した増田はすごく偉いと思う。

ただ、ピル飲んだって性感染症は防げないんだよな……。

相手が1人だけでもリスク存在するものだ。お風呂でうつったりもするし。

私もピル飲んでたことあるけど、ゴムと併用するようにしてた。

ピルは私の出費、ゴムは彼の出費だった。

ていうか、ピル飲んでるから中出ししたいって男はバカじゃないの?

避妊を100%女性にまかせるって怖いぞ。

ピルなんか1回飲み忘れたり、決まった時間に飲まなかったりするだけで妊娠するかもしれんのだから。

妊娠して結婚迫りたかったら、ピル飲んでるから生で中に出して、って言うぞ、卑怯な女ならw

2008-10-21

茄子に関することわざ

茄子」は「ナース」の隠語

茄子は嫁に見つかるな

新人ナースも秋を迎えるころには古株になって、浮気がばれると病棟の全職員が敵に回るので、浮気も命がけになる、という意味

茄子のつるに瓜はならぬ

“うり”も“なすび”もやさいだが、同じつるにはならない。人生失いたくなかったら、土下座してでも認知は避けよ、という意味

親の意見茄子の花は千にいつも無駄はない

茄子の花は、一つの無駄花もなく、すべて結実すると言われている。ナース浮気するときには、だからよくよく気をつけないとえらいことになるという意味

女房茄子は若いがよい

そのまま

茄子を喰らえば嫁いらず

そう思っている奴が、たいていドツボにはまって抜けられなくなる。

茄子が膨らむと医者は青くなる

ナースのお腹が膨らんだとき、病棟にはたいてい、それを素直に喜べない奴がいる、という意味

冬至茄子に年とらせるな

一年中出回っている茄子も、年の終わり頃にはみんな知りあいになって、うわさ話が一気に広がる。冬以降のナースは、新人の頃とは別の生き物に化けるので、浮気するなら年内が勝負、という意味

三里四方の茄子は食べるな

三里四方、つまり勤務場所から半径12キロメートル以内に住んでいるナース浮気すると、長生きできないという意味

茄子を同じ土地に二年作る者は馬鹿

同じ病院で二度浮気すると、もう医局からも見放されるから気をつけろ、という意味

梅干し三毒を消す

浮気がばれてどうしようもなくなったとき、最後の手段として古株の婦長さんに相談すると、案外何とかしてくれるものだ、という意味

2008-10-03

最近女子高の学園祭にいった

当方23歳♂。

誘われる機会があって、ちょうど休みだったので行ってきた。

世界だった。

コスプレマシュマロみたいな店があってJKメイドナースコスプレしてマシュマロ食わせてくれる。

何これ。え、ほんとにこれ、有料じゃないの?怖いお兄さん出てこない?大丈夫風営法とか大丈夫?え?え?

なんかイベントタイムみたいなのがあってJKハルヒコスプレハルヒダンスしてた。

クラスの6,7割踊れるよ!通りがかりの女の子も踊れるよ!みたいな空気

何これ。え、最近高校生はみんなこうなの?コスプレとか抵抗ないの?

とりあえずアイス食べたりマシュマロ食べたりして

長門コスしてる女の子と仲良くなって、連絡先とか交換してみた。

・・・。

来年も誘ってもらおう。

2008-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20080828002835

元増田です。

数日後自分の日記を読み返して笑ってしまった。

今ではたかが漫画じゃん、と思える。

彼女漫画は自分で買ったりはしないのでそれ程漫画好きというわけではないと思う。

というより彼女からの依頼で暇つぶしを持って行ったのに、

手を付けず返すなんて何事じゃ!という感じでいきり立っていたんですね。

整形外科系の入院でどちらかというと元気な部分ばかりが目立っていたから

担当医に内緒でこっそりコンビニまで脱走するなんてよくやっているらしい)

まるっきり元気なけが人だと思っていて、見られていないにしてもやや配慮に欠ける日記ではあった。

あまりに彼女感情的で、自分が青くて笑える。

あの後もういちど蔵書から選りすぐって持って行ってみた。

しかし『DEATH NOTE』が良くて『MONSTER』がダメな理由はわからない。

有閑倶楽部』がダメで『ライフ』が良い理由がわからない。

ハチクロ』は読んでくれたけど、4巻あたりで意味がわからなくなったといって帰ってきた。

動物のお医者さん』は犬好きなこともあって読んでくれた。

今のところこれが一番おもしろかったらしい。

でも『おたんこナース』は読んでて辛くなる部分があったと言っていたので、貸した私のミスだろう。

(でも同じテイストコメディ漫画だと思うのだが…?)

一番貸したかった漫画が『よつばと!』です。

ぱっと見の萌え??テイストが強いかしら?と思って控えてしまった。

でも竹本泉は読んでいたので大丈夫なのかもしれない。

再来週には退院できるという連絡がはいった。

退院する前に本を回収しに行こう。

そして何でダメだったか、を聞いてみたい。

2008-08-26

IT業界勤めなら、一度くらい閉鎖病棟入院したことあるよね?

よく、デスマ自慢とかあるけどさ。

IT技術者なら、精神壊して閉鎖病棟入院するくらいでないと激務とは言えないよ。

というわけで、閉鎖病棟への入院経験を書いてみよう。

俺は個室だったけど、もちろん窓は開かない。カーテンも上手くロープとか引っかけられない構造になっている。

部屋は24時間webカメラで監視。トイレカーテンで閉めるだけだから、オナニーすら出来ない。

病棟フロア内は散歩できたけど、院内の売店行くときとかは全てナースの許可制。鍵の掛かっているナースステーションを通らないといけない。

いける時間は朝9時??夕方4時まで。院外に出るときも許可制。

薬の時間は他の患者と一緒に一列に並んで、口を開けて薬と水を流し込まれる。

何の薬かは分からない。

そんな生活を数週間過ごし、開放病棟、通院生活を経て社会復帰した。

閉鎖病棟入院経験もなくて、辛いとか言うなよ。

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724035950

あんたほんとにナース

医療行為が出来ないのわかっててナースになったんじゃないの?

何を勉強したわけ?

もしかしてあの学習内容で直接人の命が救えるとでも?

本当にそうしたければ医者になるべきでしょう。

つまらない自己憐憫医者にも患者にも真面目なナースにも失礼。猛省せよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080724035950

いや、ナースがいるだけいいよ。

高齢の知人が公立病院入院したんだけど、最近はどこも人手不足なのかナースさんも患者を見てる余裕がなくて、しょうがないから家族がほぼつきっきりで面倒を見ててとても大変そうだったよ。あれじゃ家族ナースのお仕事を代替しているようなもんだ。たぶん待遇も悪かったのだろう、医者看護婦が大挙して退職するから病院が閉鎖するんじゃないかとの噂も流れていたし……。

そりゃ看護婦さんは見てるだけでいたたまれないかもしれないけど、見てもらえるだけでもとてもありがたいものなんだということは忘れないで欲しい。

ナースのお仕事


あたし・・・実は・・・ナースなんだ。

ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。

でも、どうしても言えなかったの。

あたしがナースだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。

わかってる。わかってるよ。

ナース国家試験を通った人だけがなることができる、人の命に関わる重要な任務だって。

でもね・・。

でもね、全然ちがうんだよ。

あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。

あたしは汚れている。

あたしの手は、汚れているんだよ。

ナースになったとき、すごく嬉しかった。天使になったような気でいたの。

あたし馬鹿だから、人の命を救うんだ!なんて、本気で思ってた。

でもね、全然違ったんだよ。

国から言い渡されたナースの任務は全く別のものだった。

人の命を、まるでナイチンゲールのように平等に助けるようなものじゃなかった。

あたしたちナースに課せられた任務、・・・・それは、ふるいわけ だった。

生きるべき命と、それ以外の命のふるいわけ。

そして、それを見守ること。

ねぇ知ってた?

この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。

どうなっても大丈夫な命っていうのが。

ナースはね、それを見守るの。

ナース白衣の天使で、医療の慈愛の象徴だからね、

そこにあるだけで、まるで医療が行われているかのような錯覚を起こさせる。

あたしの仕事は、そうやって、平等に医療が行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。

人なんて、全然、救えなかったよ。

救う義務も権利も、この任務にはなかったの。

例え、その人がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、

あたしたちは医師の命令が無いかぎり、何一つの医療行為もできない。

苦しいとナースコールを押し続ける人がいても、

あたしたちには薬も酸素も与えることはできないの。

ただ、ただ、走って先生を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。

でもね、この国の「先生」は非常に貴重な存在

医師は稀有な存在

夜なんかになれば、一つの病院に一人か二人とかしかいないの。

たくさんのナースたちが、一人の先生に群がっていた。

先生、吐いている人がいます!」

先生、胸が苦しい人がいます!」

先生、脈が弱い人がいます!」

先生、腹痛でもがいてる人がいます!」

懸命にナースたちが叫んでた。

でも医師は一人。

私も声を荒げて「苦しい人がいます!」って叫んだの。

でも、ここでもふるいわけが始まる。

経済状況、年齢、地位。そんなものが病状と一緒くた になって命令が言い渡される。

「とりあえず酸素を」

と言ったきり、先生は朝まで患者のもとに来れなかったの。

その日、10秒ごとにナースコールが鳴った。

「苦しい、苦しい、まだ苦しい」

「もう少しだけ待ってください、今先生、来ますから・・」

何度も先生のもとに走ったけど・・・。

先生は、今にも心臓の止まりそうな患者の処置にあたっていた。

あたしは先生に背中側から叫んだ。

酸素をしても、まだ苦しいみたいなんです!」

酸素を上げてみて!」

酸素を上げた。でも駄目だった。ナースコールは止まない。

その患者だけじゃない。

トイレに連れて行ってください」

シーツが汚れたから替えてください」

「薬を飲ませてください」

テレビがつかないんのですが」

「眠れません」

廊下を走る。

忙しさに言葉が荒くなる。

認知症患者さんがエレベーターに乗って外に出て行こうとする。

遠くの病室で、人工呼吸器の異常アラームが聞こえる。

必死にあたしもふるい分けた。

今、一番いのち危険がある人から、一番苦痛を感じている人から、手を差し伸べなきゃ。

「いつになったら来るんだ!」と言われても。

「遅い」と言われても。

私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、

「苦しい、苦しい、苦しい」と言う人のとこに走ったよ。

唇から色が消えていた。冷や汗をかいていた。

あたしは心臓だ!と思った。

一刻を争う病態。先生に聞いてる時間は無かったの。

あたしは医師の指示を待たずに心電図検査をした。狭心症の波形だった。

急いで先生に連絡した。

狭心症の波形です。ニトロ内服させていいですか?!」

「いや、波形を見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」

患者は胸を掻きむしるようにしていた。

「待てません!飲ませます!」

あたしは医師の指示無くニトロを内服させた。患者の苦しさはスッと納まった。

それは駄目なことだったけど、一人の患者を救ったことに、あたしは浮かれてたの。

貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々とナースステーションに戻ってきたの。

ナースステーションの・・・・

ナースステーションモニターの一台の波形が、フラットになってた。

あたしは急いで病室に飛んだよ。

でも、亡くなってた。

喋れない患者さんだった。

ナースコールも押せない人だった。

あたしは、その日、目の前の苦しい人に夢中で、モニターなんか見てなかった。

それでもね、・・・あたし、まだ、ナースなんだよ・・。

先生患者家族に「いつ何があってもおかしくないご年齢でしたから・・」と告げた。

患者家族は「ありがとうございました」と涙を浮かべて頭を下げた。

そして、あたしにも「看護婦さん、ありがとね」と言ったの。

大好きな、患者さんだった。

この人が歩ける頃から知っていて、喋れる頃から知っていて。

「自分は寂しがり屋だから、最期は家族に手を握ってもらいながら逝きたい」と言っていた。

あたしが新人の頃から知っていて、注射が下手だったのも知っていて、

「おまえは俺が育てたようなもんだ」が口癖だった。

「まぁ、・・・歳だったし、家にも帰れないって言ってたからなー」

先生があたしの背中ごしに言った。

あたしはモニターの記録を見てたの。

その記録には、波形が狭心症から心筋梗塞となり心停止するさまがしっかりと記録されていた。

歳だから死んだんじゃない、そこには心筋梗塞で死んでく命があった。

でも、そんなこと全部まるめこんで、死んじゃって仕方ないっていう命が、そこにはあったんだ。

似たようなことはざらにあった。

何人もの人が、私の手のひらから零れていったよ。

でも、あたし・・・ナースなんだ。

誰も、辞めろって言わないの。

医者治療したのは自分だから、言わない。

患者家族は実情がわからないから、言わない。

ナース同士は実情がわかってるから、言わない。

国はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが仕事だ」と言うかもしれないけど。

いや、言わないか。国は、何も言わない。きっと。

救えたかもしれない命を、ナースは一番わかってる。見えてしまう。

医師の指示が適してないのも、判断が遅いのも、治療がのってないのも、全部わかってる。

それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。

その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。

でも、救えなかった責任も、見過ごした責任ナースには問われない。

ナース仕事は、救うことじゃないから。

ナースって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。

ナースなんて、なんの治療も許されていないのに、

くすり一粒すら出せないのに、

検査一つ指示できないのに、

命に関わることなんて、一つも独立してできないのに、

患者さんが持たされてるのはナースコールだけなんだよ。

どんなに辛くてもナースしか呼べないなんて。

そしてあたしたちは色んなものを抱えて、あなたの前に立つ。

先生が来ること、来れないこと、

できる治療があること、ないこと、

あなたの未来、残された時間

色んなことを知りながら、なにも変える力もないままに、

さも救いの天使が舞い降りたかのような顔で。

医療が崩壊していく。

全然止められない速度で。

その砂上の城で、あたしは見てるんだ。

沈んでいく人の命を。

それがね、2008年ナースのお仕事

2008-07-08

出会い系非モテ増田を見捨てていった80人の三十代女性たち(その7)

http://anond.hatelabo.jp/20080612210106

 リアルで女と別れて、次の出会いを探す気もなく、Yahoo!パートナーhttp://partner.yahoo.co.jp/女性捜しを始めた三十路オタク非モテの僕の体験記。ゴリラブーツさん、いつも紹介ありがとう

 5月29日から始めたんで、もう1ヶ月半近くになる。シリーズ第六弾の中間報告。あと2週間で会員を辞めるつもりなんで、そろそろ総決算かな。

 前回カキコから1ヶ月と間が空きました。もう非モテだなんだとかコンプをなぐり捨てて、でも冷静に女性とお近づきになりたい。本気で誰かと結婚したい……とか考えるようになりました。

Yahoo!パートナーでのお相手探し

 Yahoo!のやっている出会い系サイト。あまり援交とかそっちの匂いはせず、恋人結婚相手探しがメインな雰囲気。主に20代半ばから30代にかけての男女がお互いを探しあう形になる。

 ♂と♀とのやりとりは、Yahoo!Yahoo!パートナー用に用意した有料メールを利用します。無料だとほとんど会話が成り立たないんで、月1500円程度の出費は致し方ない。

 で、自分の居住都道府県やその周囲に検索エンジンをかけると、山ほど女性プロフが出てくるんです。一応、♂も♀も有料会員なんで、サクラと呼ばれる業者は少ない(たまに他所の出会い系への勧誘メールを送ってきますが)。ただ、相手が大量にあるんで、年齢とか趣味とか体型とか血液型だとか二十数項目ある要素を検索エンジンの"条件"として絞っていくと、異性の数は数十件になる。そこからプロフを見て、気に入った♀にメールを送る……という仕組みです。♀から♂へ連絡するケースもありそうですが、極めて稀なんでしょう。

 基本的には、♀優位の世界です。♂は1人で何十もメールを送るし、♂会員は♀会員の数倍はいる。だから、♀が登録すると何十、何百とメールが送られてくる。

 ♀は、そこから波長があった♂を4人とか10人とか選び、2週間なり1ヶ月なりメールをやりとりして、相手の絞り込みを行う(途中、無言で切り捨てていく♀多数)。

 で、最後の数人を「どこかで茶店かお食事でも」と誘う形になる。2ちゃんねるhttp://pc11.2ch.net/test/read.cgi/esite/1214918027/l50では「面接」としていますが、まあ言い得て妙な感じですね。そこからうまくいけばお付き合いが始まる。

 面白いのは、限られた相手の情報からいかにメールで話を膨らませていくのかですね。基本、メールでのやりとりが勝負な所がありますが、携帯メールみたいに「こんばんは」とかだけならネタも尽きてくる。意外に、増田だけでなく、はてなとかで何かを書いている人で、他者に興味を持ち続ける意志がある人なんて、ここのサイトは合っているのかも。

1ヶ月で86人の女性メールを送った僕の勝率

 最終的に、僕は5/29からの最初の1ヶ月間で86人の女性メールを送りました。

  • オレ35歳♂。年収はそれなり。体型は太め
  • 送付メール数 86通(主に28??37歳)
  • 有料メールで返信 18通(業者の勧誘とか除く)
  • お断りの返信 7通。なにも返事をいただけなかった方=無視(含む業者) 71通。

 打率は2割強。三十代半ばで結婚したいという言葉プロフを滲ませていたし、年収は悪くない。ちょっとは気にしてくれたらしい。

 ただ、計18人とメールを続けるのだけど、主に♀さんの意志で次々と会話は切られていく。無言で去っていく人も多い。2ちゃんねるだと「FO フェイドアウト」としている。

 で、メールやりとりした18人のうち、今も続けているのは7人。本気なのは2、3人かな。

 そこらの人との面接メールやりとりは次回で、今日は、メールを始めたのに途中で頓挫した人たちを紹介。

 Yahoo!パートナーをやってみて初めて知ったのは、医療福祉関係の方がやたらと多いと言うこと。医者ナース薬剤師とかじゃなくて、介護士とかリハビリ関係とか福祉関係とか、現場を底辺で支えている人たち。収入は"200万円から400万円"での登録ばかり。給与的にあまり恵まれていない。

 でも、男との付き合いもあまりなさそう。キャリアを積んでなんとかという世界でもなさそうだし、将来設計が難しい。そこらはリアルの男女関係でもそうなんだろうなあ。だから出会い系にやってきている。こうした福祉関係の三十代♀って完全に盲点だし、男の恋愛対象から忘れ去られていると思う。意外に拾いものな人は多いのかも。

僕の元を無言で去っていった三十代女性リスト

(日付は最後のメールの日。●通は♀から来たメール数、FOは何も告げずにメール連絡を止めること)

  • Aさん。38歳 「メールありがとう! 休みの日はどんなことをして過ごしていますか? 」と短文の返事をくれた。初めてだったんで嬉しくて一生懸命メールしたのだけど、返信は来ず。初FO。相手のブロフは中身がなかったし、年がオレより上過ぎたし、流れても良かったかな……と自分を納得させる。でも、無言で消えるのってちょっとショック。5/29。1通
  • Bさん。33歳。僕の趣味に興味を持ってくれたし、プロフも充実していたし、知的好奇心旺盛な気がした。この人となら長続きできるかもと期待したが、一日でFO。なんでなんだろう。5/30。1通
  • Cさん。36歳。返信は短文のみ。どう返事を出せばいいか分からない。プロフには見た目が若いとかばかりとか年不相応なことばかり書いているんで、なんか違和感があって、僕からFO。6/3。1通
  • Dさん。31歳。福祉関係のきまじめそうな人。いい人っぽいけど、話題がなかなか膨らまず。なんか堅苦しいメールを何度か交わした後、相手さんからFOされました。ちょっと心残りが。6/5。5通
  • Eさん。36歳。外資系をやたら強調。バリバリ仕事燃えている女を演じている。でも、年収400万円以下なんだよな。キャリアは積んでなさそう。ノリがやたらと良くて、チャットに誘われて30分ほど交信。でも、やたらとオレの住所地や職種や会社名など個人情報を聞きたがる。オレからお断りを申し上げる。6/10。5通
  • Fさん。35歳。音楽ピアノ好き。かなり本格派っぽい。でも、なんだか浮世離れしている発想と言葉。十代ならともあれ、その年齢でそれでは、ちょっと合わないなあと思ったら、相手からFO。おい、「誠実」で「思いやり」のある人じゃなかったのか。むなしい。6/17。3通
  • Gさん。37歳。結婚前提の人。1通くれた後、連絡なし。FOされたかと思うと、10日ほどして「ぜひ会いたい」と2通目が。遠回しにお断りしたんだけど、その10日後に「またお話ししたい」と3通目が。メールプロフも中身がなくて会話を引き出せない。オレからFO。6/19。3通
  • Hさん。32歳。男に依存する感じの人。話を膨らませるネタも少なそう。さて、どうやって話を続けようかと思ったら、突然のFO。むなしい。6/21。2通
  • Iさん。34歳。珍しく♀の方からメールをくれた。喜んで返事を書いたのだけど、応答はなし。6/22。1通
  • Jさん。31歳。顔写真を載せている希有な人。美人ではないが悪くはない。とりあえず、連絡してみたけど、話の幅を広げてくれず、退屈になったのでオレからFO。6/30。2通

 かくして、以上、10人の♀たちが僕の元を去っていった。理由はいろいろあるんだろうが、僕には分からない。僕も3人の♀をお断り、フェイドアウトしている。やっていても波長があわないから。それはお互い様。

 今回、いろんな女性メールやりとりして、

というのを改めて認識させられた。

 このYahoo!パートナーで、問答無用で無視されたり、放置されたり、こちらから見捨てたり、なんかメール上だけで意味なく盛り上がってみたりしたことで、リアル恋愛感情で見られるコミュニケーションギャップを短期間で大量に体験できた。恋愛には情を通い合わせるのが大切だけど、それが途切れるときはもはや理屈じゃない。だから、ダメだったときも仕方ないと割り切らないと、次の出会いはやってこない。そんな当たり前のことを大量の♀と同時進行でメールをすることで再認識させられた。

 この春に別れた彼女のことをずーっと今でも引きずっていたが、なんとか次へと歩んでいく気持ちだけはできたと思う。そんなオレの勝手自己分析ネタに使わせてもらった♀のみなさん、本当にすまない。

 ということで、オレのここでの目的はある程度達成できた。あとはただ退散するのみ。

 でも、せっかくの出会い系

 話の波長のあった三十路の♀さんたちって、どんな人なんだろう。好奇心だけは残っている。実際、4人の方に会いました。本命と対抗馬の人たちについては、また次回で。

2008-02-29

父親ウゼェとか思ってる全ての娘たちへ。

10数年前に父を亡くした。私は19歳だった。

昔から父は病気ちなことを理由にあまり働かず、かわりに

死にものぐるいで母が働き、父の医療費生活費を稼いでいた。

それでも私は月々のお小遣いをもらってはいたが微々たる額で

流行りの服も買えず、同級生と一緒に遊びに出かけても

小遣いの心配ばかりで少しも楽しめなかった。

いつも家にいる父のことを邪魔だと思ったし

そんなことばも平気で口にしたこともあった。

当然母には怒られた。父は何も言わなかった。

やがて父は入院し母が泊まり込みで看病することもあった。

私はそれをいいことに彼氏を家に連れ込んだりもしていた。

それは秋のことだった。厳しい食事制限のため

肉も抜かれほとんど味のない病院食しか食べさせてもらえない父が

ふとマクドナルドCMを見て、月見バーガーを食べたいと言った。

母は仕事でいなかった。

いれば、きっと反対しただろう。

病院からマクドナルドは遠かったが、私は車を持っていた彼氏を呼び

目当てのものの買い出しに成功した。

半分冷めてしまった月見バーガーを、父は「美味しい」と喜んで食べた。

それから父を車椅子に乗せて、病院の屋上へ向かった。

父は言った。

「もうお父さん、永くないことを知っとるから……

隠さんでいいよ。」

それから2週間後、父は亡くなった。

出棺時に母は取り乱し、気を使った親族の判断で

母は家に置いていくことになった。

火葬場では、故人と一番近い人間が点火のスイッチを押さなければならない。

一人娘の私が押すことになった。

「しっかり押さんと、お父さんは成仏できんからな」と親族は言った。

目を瞑ってギュッと押すと、それまで出てこなかった涙が出てきた。

初七日のあと、入院していた病院へ置いたままの荷物を取りに行くため

ナースセンターに立ち寄った。

私はあまり病室に行かなかったので看護師の顔をあまりよく知らない、

しかし看護師はみんな私のことを知っていた。

母も私もいないとき、薬をもってきたり点滴を交換する看護師

父はいつも私の話をしていたのだと言う。

貧乏ながらも志望の大学へ行かせることができてよかったとか、

見舞いにきたときに屋上へ一緒に行ったこととか。

その話を聞いてまた皆で泣いた。

それからしばらくして。

病院に置いていた父の私物の整理をしていると

二つ折りの、くたびれた黒い皮の財布があった。

パスケースの部分には、七五三のときの私の写真が入っていた。

着物を着て笑っている私の写真。それより大きくなってからの写真

私が触らせなかったから、持っていなかったのだ。

小銭入れの部分には、いくばくかの小銭と、ティッシュに包まれた

「蛇の皮」が入っていた。

「蛇の皮を財布に入れているとお金持ちになる」

そんな話をどこかで聞き込んでいた小学生の私は、通学路の途中に落ちていた

蛇の皮を持ち帰った記憶がある。

「そんな汚いものを拾わないで!」

母には怒られ、すぐに捨てるように言われたが、父はゴミ箱からそれを拾っていたのだろう。

あれから何年もたったのに、まだ残っていたなんて。

四十九日が終わってからも、亡くなったことを知らなかった父の知人が

訃報を知り家を訪ねてくることがあった。

私とは面識もないその人々もまた、私のことをよく知っていた。

○○大学に通っているんですね。足が速くて駅伝でも二区を走っていたとか。

父はあちこちで、たいして出来もよくない私のことを吹聴して歩いていたのだ。

父が亡くなった時につきあっていた彼と別れ、

その後も出会いと別れを繰り返し、結婚できないまま現在に至る。

そして、こんな私を

無条件で誰よりも愛してくれていたのが、父しかいなかったことに気付かされる。

いろんなところで見かける家族連れ。

中でも、小さな娘と歩いている父親の顔は、いつも幸せそうに蕩けている。

ちっとも気付かなかったが、私の父もあんな顔をしていたのだろう。

娘を愛さない父親なんていない。

もしもそんな父親がいるとすればそれは男ではない、違う生き物だ。

http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-320.html

だからこんな話でも涙が出てきて、止まらない。

そんなオチだ。

2008-02-07

国内大手企業就職するメリット

http://anond.hatelabo.jp/20080207023624

今の時代、ドメスティック大企業就職するメリットって何なの?


単なる「酸っぱい葡萄コメント」ではなくホントに行けるんだったら金融(PEとかHFとか、あるいは外資のIBだよね?みずほだのMUFGのことじゃなくて)、コンサルってのも人脈作りの観点からはいいと思うけど。高値掴みっていうなら学生に根強い人気の最大手広告屋だの在京キー局だの家電ゲーム映画メーカーだの、あるいは財閥商社なんかのほうがよっぽど高値掴みだと思うなぁ・・・

はやりの金融コンサルもなんだかね

2008-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20080119185848

基本的にナースは忙しいけどモテるので、別に告るくらいではストーカーにならないと思いますよ。慣れてると思うので。普通に申し込めばよいだけではないでしょうか。

2007-11-30

そして僕は途方に暮れる

部長「やあ班長君、前のアレは客先でとても評判が良かったよ。」

班長「ありがとうございます。」

部長「ところでこれ読んだ?『優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話』」

問題は、ナースたちが優秀であればあるほど、システム上の問題点病院経営側に伝わって来ないこと。ナースたちにとってみれば、システムの欠陥を指摘する・他人のミスを指摘する・ミスの原因を徹底究明する・経営陣に改善を申し出る、などは彼らの仕事ではなく…

http://satoshi.blogs.com/life/2007/11/post-9.html

班長「なんですか?」

部長ソーシャルブックマークで話題で目に付いたんだけど、ウチにも当てはまるんじゃないかと思ってね。」

班長「うーん、なるほど…」

筆者は「だから病院経営は、ナースの日々の活動に常に近いところにいてどんな問題を彼らが解決しなければならないのか、どんなところに余計な時間を費やしているのか観察し、積極的に手を差し伸べてシステム改善しつづけなければならない。(略)」と結論付けている。

部長「君はウチではダントツ優秀でとても助かってるんだが、どうだろう、そういう傾向もあるんじゃないかな。」

班長「そうですね、私も何気なくやり過ごしている部分を気をつけてみます。」

部長「そうなんだ。だからこれから今までの仕様書だけでなくてね、もう少し新入社員にも参考になるノウハウも含んだドキュメンテーションにするとか、問題報告をまとめて改善提案として提出するようにお願いしたいんだ。」

班長「えっ?(それも俺がするの?)」

部長「そう、君は優秀ゆえに問題を見逃してボトルネックとなっているわけだからね。」

班長「(駄目だコイツ、早く何とかしないと。)」

2007-11-17

看護師にできないこと、看護学生にできること

看護学生と話すときにいつも思うことがあります。

看護学生ができることはなにか?

看護学生にしかできないことはなにか?

就職して、スタッフナースになると、ひとりで複数の患者さんの看護をしなくてはいけません。

それは、時間との戦いであり、自分の看護トレーニングでもあります

看護学生は一人の患者さんを看護します。

患者さんやそのご家族にたいして、膨大な情報を集めて。

記録にまとめて、整理して。

看護計画を建てて。

看護

それでも、指導者からは、不足点を指摘されて、泣いてしまったり

それでも、患者さんのためにがんばっています。

看護学生にしかできないこと。

それは

一人の患者さんとその家族に対して、全力で向かうこと。

一日のほとんどの時間をそのために使っていること。

そういう気持ちはやっぱり、患者さんやご家族に伝わるし、スタッフが得ていない情報も持ってくるときもあります。

家族からはほとんどの看護学生感謝されて。

最後はめでたしで実習を終えています

今はしんどいかも知れないけど、

それができるのは世界で君だけ。

あせらなくてもオッケー。

ただ誠実に。

それだけが指導者として望むこと。

2007-11-15

或る病院の一生

救急を取る病院がまだまだ少なかった頃。

地域の基幹病院は県立病院救急車で30分。救急対応も今ひとつ。

地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。

何もない開院したての病院外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務も看護もみんな初対面。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするけれど、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水は妙にシンナー臭い。

新しい病院を立ち上げる仕事楽しい医師派遣元にも十分な人手はいないので、みんな交代で出張

新しい病院。新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、備品のありか、地元に詳しい事務の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのか分からないから、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野郎ばっかりの飲み会

立ち上げ当初は、食事も宿泊も全て病院内。3食病院食は、2週間もすると飽きてくる。もっと身体に悪いものが食べたくなって、医局に周辺の出前リストがそろう頃には、外来にもだんだんと患者さんが増えてくる。

まず集まるのは、「主訴:腰痛」の整形外科の患者さん。理学療法室の常連を徐々に増やして、高血圧の人、咳のひどい人などを外科に紹介して、外来の人数はだんだんと増えていく。

そのうち、軽症の交通外傷の患者さんが救急車でやってくる。病院にも、若い患者さんが増える。もともとの設立の動機は「地元のための」病院病棟はきれいで、居丈高な公立病院反面教師に、時間外でも笑顔で診察。

開院2年目。待合室には若い人が増え、活気を帯びてくる。外科、内科とも常勤のドクターが増える。スタッフの数が充実すると、皆もっと高度なことがやりたくなる。

「24時間救急を取ろう」「研修医を育てよう」スタッフが若ければ、気合だけで施設が充実する。病院で行えることはだんだんと高度になって、救急車の数も増えていく。

「あの病院はよくやってくれる」。地域の信頼が集まると、もっと若い患者さんが通院するようになる。

病院は忙しくなる。患者さんの年齢層が変化して、皮膚科や耳鼻科といった、若い患者さんが得意な科も充実してくる。

眼科が入ると、病院経営は一気に好転する。白内障の手術の得意な眼科医は、内科医3人分の収益を一人で稼ぎ出す。黒字科が増えることで、病院にはもっと大規模な設備が導入される。

「カテ室を作ろう」。開院8年目。常勤できてくれる循環器のドクターも決まり、循環器外来が始まる。患者さんの数はますます増え、救急外来にも救急車の音が毎日鳴り響く。

病院は、名実共に地域の基幹病院になっていく。

雲行きが怪しくなるのは10年目頃。10年もすると、町にも高齢者の数は増えてくる。救急外来に来る患者さんも、外傷や脳出血、急性腹症といった年齢層の若い救急患者だけでなく、転倒による大腿骨骨折、近所の老健からの誤嚥性肺炎の紹介といった人が目立つ。

病棟の業務は変わる。夜間に不隠になる患者さんが増え、重症患者のための個室は、いつのまにか不隠部屋に。重症患者さんは大部屋。徘徊老人は個室。不隠の強い高齢者はなかなか退院しないから、若い患者さんの個室への移動希望はかなわなくなる。

「あの病院はうるさい」「いつも廊下で叫び声が聞こえる」。病院へのクレームが増える。

「四肢抑制」「不隠時セレネース静注」、今までは書かれることのなかった指示が指示簿に当たり前のように記載されるようになった頃、日中のナースルームは不隠の強い高齢者であふれ返り、医者は叫んで暴れる年寄りの相手をしながらカルテを書く。かつてラクテックがぶら下がっていた点滴台には、経管栄養のバッグが目立つ。PNツインもまだ棚に置いてあるけれど、滅菌期限寸前でほこりをかぶったまま。中心静脈栄養なんて、もう半年ぐらい処方してない。

病院が止めを刺されたのは、近所に新しい老健が出来てから。「○○病院がすぐそば」を宣伝文句にして人を集めたその施設は、嘱託医者が帰る5時以降になると患者をどんどん連れてくる。少しでも熱が上がると、「うちでは見られません」「入院させてください」の一点張り

もともと「24時間、患者さんを断ることはしません」との宣言を出していた施設。開院して12年、それでも気合で守ってきたそんな宣言は、病院とは縁もゆかりもない業者に美味しく利用される。外来には車椅子に拘束衣で来院する年寄りが増え、以前から通院していた若い人は外来からいなくなる。

地元の評判は、「あの汚い病院」にいつのまにか変わっていた。

夜中によく来る喘息お姉さんに「今度、午前中の私の外来に来てください」とお願いしたことがある。「私は○○病院にかかっているので、ここはちょっと…」と、マスコミによく出る施設の名前を出された。

市民のための病院市民に見放された病院。ここはいつのまにか賎民のための病院に変わっていた。

病棟はもはや、行き場のない高齢者でいっぱい。若い人の肺炎喘息といった病気外来で何とか診るしかない。病棟業務は連日の転院先探し。患者さんもご家族も、「一生ここにいさせてください」と願う人がほとんど。やっとの思いで転院させても、2週間もすると37度の発熱で救急車で帰ってくる。もう二度と転院に応じるものか、という決意を持って。

手術の症例も減った。病棟ナースにも離職者が相次ぐ頃、引き上げた医師にも後任が決まらなくなり、病院は慢性期疾患を細々と診るだけの施設へと変貌した。

地域の若い人たちはもっと新しい病院へ。

「あの病院に行くと死ぬ」。こんな評判が地元に立つ頃、病院は死に体になった。

間違ったことはしていないつもりだった。より高度な医療サービス。より簡単なアクセス。地域の医療需要に応えつづけた結果、病院は地域から見放された。

病院組織は、自己進化の果てに崩壊する。

より広い需要に応えたい。より高度な医療をしたい。患者さんのための医療をしたい。力をつけようと努力し、進化を続けた結果、「強い」病院にはより弱い立場の患者、慢性疾患の末期の人、行き場のない高齢者が集中するようになった。

90年代に救急外来一生懸命やっていた民間病院の大半は老人病院化し、急性期疾患を搬送する救急車は、以前は急患を断っていた市立病院日赤病院に集まるようになった。そして現在、そうした病院すらもだんだんとベッドが回らなくなり、一昔前なら救急車が素通りしていた大学病院にも、寝たきりの高齢者が搬送されるようになっている。

恐竜絶滅寸前の時代。爬虫類全盛期、さまざまな大きさの恐竜が覇を競い合った後、気候の変化とともに体の大きな恐竜しか生き残れなくなった状況。市中病院が高機能化し、救急外来を充実させて「恐竜」化する一方、「恐竜」化した大手市中病院は、進化の果てに絶滅しそう。

その影で数を増やしているのは、小さな哺乳動物。小規模病院老健業者。元気がなくなる恐竜達を尻目に、誕生したばかりの哺乳類きれいな施設、専門特化した医療技術武器にその勢力を増している。

時代は変わる。恐竜が闊歩していた時代は去ったあとは、小型ですばしこい哺乳動物の時代が来る。医療無駄は減り、効率のいい医療、効率のいい経営が実現できるようになる。

問題なのは「恐竜クラスの力がないとどうしようもない患者さんはいつの時代にも存在することで、哺乳動物を目指した施設は、最初からそうした人を相手にする意思は無い。

主役の交代は、すでに小児科、産科の領域では確実に進行している。産科のいない市は、もはや珍しくなくなった。

恐竜だって絶滅したくて進化したわけじゃない。医者だって絶滅する恐竜心中したくはない。結果として哺乳類が生まれ、「食べられない」患者は見捨てられる。

病院患者マスコミ。みんな死にたくないから頑張ってる。

誰かが悪くてこうなったというわけではないと思う。

2007-10-29

ニコニコ動画

まあ、なんでもいいけどさ、

2ちゃんねる文化におんぶにだっこ

マジカルナース小麦ちゃん作った人間の発言なんて

説得力0ですよねー。

2007-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20071025231953

どうすればいいか。

ナースセンターに陳情して、その人を金輪際担当から外してもらう。

ですな。

2007-10-23

堅いこと言ったらそうなるけど

http://anond.hatelabo.jp/20071023080510

ほら、積極的には生かそうとしないってことで、結果として「死産でした」みたいな感じ。うちのママンが産科のナースやってましたけど、そんな風に言ってました。

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