はてなキーワード: ナチュラルとは
平成後期の美人基準もとい流行の顔に該当する橋本環奈が主人公である。
ギャルは古いと1話2話で主人公が言ったが、舞台の2004年はどうだっただろうか。
あのころギャルは古い扱いはされてないと思う。ただコギャルとかはもう消えてたかな。鈴木えみ絶頂期か。木村カエラとか。実際減ってはいたが、古いと言われる時代ではないと思う。
あえていうとルーズソックスが古い。2004年にはほぼ死滅してたと思う。大紺ハイソ時代だ。
ちなみにみんなで集まってプリ撮るのは別にギャルじゃなくてもやってるので脚本の人はおそらくあのころのギャルでも、あのころの子供でもないのだろう。教師の雰囲気も含めて平成感が若干違和感ある。
最近は涙袋がブームだ。涙袋というものは、笑ったときに膨らむところの下に薄い影を描いたり、物理的に注射器で注入をしてふくらませ、ぷっくりと見せるのが令和の掟であるが、平成のあの当初、涙袋には白いラメやペンでハイライトをいれるのが基本であり「ぷっくり見せる」とかではなかった。民族感と生命力に溢れるメイクだった。
朝ドラに出演しているギャルたちはみんな揃って涙袋がナチュラルにある。それは自分で創作したものか、はたまた橋本環奈のようにナチュラルにあるタイプなのかもしれないが、一気に令和感を漂わせている。
さらに一番の違和感は眉毛だ。あの頃ギャルだったやつはな。もう眉毛無いんだよ。抜け。眉毛を抜け。細く、鋭利に、アホみたいに厳つく、相手を威嚇するナイフのように細くなければいけない。それか薄く。
ギャルじゃなくても眉毛は本当に薄かった。宮里藍の高校卒業写真を見てほしいものだ。
あとチークほぼしない時代なら頬骨やノーズのハイライトをしっかり入れていいのではないだろうか。リップはもっと存在を消してほしい。唇能面でいい。
髪の毛ももっとスカスカがいい。梳いて梳いてスッカスカでいい。
まつげはもっとひじきにして欲しい。非ギャルですらひじきまつ毛だったので。
2006年にギャルサーというドラマがあった。あれも小奇麗に描かれたギャルだが、役者たちが隠れギャルなので朝ドラほど浄化はされていない。露出も多いしちょっと肉ついててもあんまり気にしていないあのころは良かったと思う。あのころは良かった。そう言い出したらもう年寄りなのだろうか。いや、でも最近の痩せ過ぎは良くないよ。
エイベックスが監修に入っているというのは浜崎あゆみとかそのへんだろうかと思うんだが、あゆのピークはこの時代の2年前とかなのでそういう記憶で辿っていくと色々なものが思い起こされる。
子持ちの友人と会うときにお互いに子連れでも良いよと思える人とうーんめんどくさ…!ってなる人がいて何の違いかな、そもそもの仲の良さか?とか思ってたけど、
たぶん子どもとの自他境界が曖昧だったり、自己肯定感的なものを子育てのみに依存してる人だったりすると無理なのかなって思った。
同じ子持ちでもキツイわ。
「育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識で生きてる系の子、たぶん自分に自信がないのかな、と。
子育てしてるとわたしも自分が守らないと死ぬ生き物がいることで万能感?有能感?でアドレナリンをギュンギュンに感じるときはあるな〜と思うし、それ以外に自尊心のよりどころがない人はそうなるのかなあと。
そういう子と会って話すとなにかにつけて子どもや旦那や周囲の人に結びつけられるし、結びつけないと話ができない。
すべての会話が「それうちの子供(または旦那)が好きで〜」みたいな感じで収束される。
私の友人はあなたの旦那でも子どもでもなく、あなたであって、私はあなたとあなたの話をしたくて時間をつくって会っているんですが…。
生活の中心が家庭になっても私は自分の話いくらでもできてしまうけど…。
自他境界が曖昧ですぐ子どもの写真見せたり鍵垢といえどSNSに載せたりLINEのアイコンにしたりも怖い。
自分がヨダレたらして寝てる写真をおもしろおかしく使われたいか?自己主張できない子どもならそういうことしても良いと思ってるのか?と感じてしまう。
遊びに行く話してるときに「子ども連れていっても良い?」って言う子に一度独身の友人がやんわりと「じゃあ私もその日ショートステイからおばあちゃん帰って来るし連れて行こうかな」って本気か冗談かわからん感じで言ったことがあって、そのときにわたしの中にも「育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識があることに気付かされた。
なんか周囲に申し訳ない気持ちで育児してますみたいなことを言いながら、当たり前に優先されて当然でみたいな感覚はどこかにあるし、育児以外で家族のサポートをしてる人をナチュラルに透明化したり下に見てたなと。
何て言ったら良いかわからなくて子持ち側が困ってまごついてる間に独身の子には「冗談だよ」って言われたけどあれは彼女なりに自分を客観視できてないよっていう忠告だったなと思った。
私は気づかせてもらえる機会があったけど、そういう機会がないと客観視できないまま「孤独な真っ暗闇で戦う自分」に酔い続けてしまうんだろうなあ。
というかナチュラルな傲慢さ、苛烈さ、他人(主に男性や社会)のせいにする性格に社会的地位が加わって家でも外でもモンスターじみた人間になっててなんだかなあ…と思った
ナチュラルに傲慢で差別撒き散らすし、苛烈だし他人に日常的に罵詈雑言浴びせてるし、他責思考なんだよね
でもこれって俺の感想であって彼女たちの理想の生き方や彼女たち自身の人物像から乖離しないようにドラマの制作班が作れてるんじゃないかな?
明日で終わるね
女子部に境遇の全く異なる人達が集まって同じ目標に向けて頑張ったり、ヒロインのお父さんたちが無実の罪で裁判になった時とか面白かった
ヒロインは真っ直ぐすぎたり、本人の恵まれぶりに無自覚だったりはしたけど、人生で色んな経験をしながらもっと深みのある人に変わっていくのかなと楽しみにしてた
そう思って毎日欠かさず見てきたけど、残念ながらヒロインが人間的に成長した印象はなかった
というかナチュラルな傲慢さ、苛烈さ、他人(主に男性や社会)のせいにする性格に社会的地位が加わって家でも外でもモンスターじみた人間になっててなんだかなあ…と思った
ヒロイン(役者じゃないよ、念の為)の人間性にかなり落胆させられたけど、それ以上に落胆したのはSNSの公式アカウントが極上のリーガルエンターテイメントを自称してた割に肝心の法律部分の描写は雑だったところ
ヒロインが弁護士や判事の仕事をする上で苦悩したり、苦労が報われたり…というのが見たかった
その割に周りの人達からの評価は上がるのでなんか釈然としなかった
ドラマの後半に出てきた大きな事件は史実がベースにあるから、結末(判決)よりも過程の部分をどう描くかが大事だと思ってたけど、大抵ナレーションで年月の経過が知らされて判決の場面になってしまった
判決のシーン自体はよかったけど、重厚な判決文が元から存在するんだからそりゃ良いシーンになるよね…
あと外国人差別とか性的少数者とか夫婦別姓を取り上げるのが悪いこととは言わないけど、どう差別されてきたかも問題への向き合い方も仕事の描写と同じでフンワリしてた
夫婦別姓のための事実婚のくだりなんてきちんと作成した遺言書とは思えない宣誓文みたいなのを読み上げてたので、これがキャリアを積んだ法律家2人がやることなの?と本当にガッカリした
まあなんか全体的に(モデルの方の生涯に改変を加えてでも)色々詰め込んだわりに話の膨らませ方も締めくくり方もいい加減だったので、大きな風呂敷を何枚も散らかされてるようだった
作品初期に本題だと思わされてたものを楽しみにしてたら作者が本当に描きたいものは他にあった上に主人公サイドがちょっと…な感じは昔ちょっとだけ好きになって結局脱落した「つくたべ」に似てたかもしれない
中高生のころ逆張ってファッションに無頓着でいた反動なのか、今すごく服に惹かれている。……特に、若年層ターゲットのジャンルに。
サブカル系。かわいい。地雷系もいいし、水色界隈とかも好き。サブカルジャージが特に好き。シルエットの大きいものを着て四角くなった胴体からスッと足が伸びてゴツいスニーカーに繋がるのが本当に可愛い。Y2K。かわいいし、子供の頃を思い出す。ちょっと令和な感じに味付けされた感じがまたかわいくて、懐かしいだけじゃない良さがある。フレンチガーリーも好き。これは若年層に限らないかもしれないが、ロリィタも大好きだ。
でも、私は着るべきではない。
自分はいいやと思ってるうちに、気づいたらアラサーになってしまった。「アラサー 服装」で検索すると、自分の琴線にはかすりもしない服ばかりが出てくる。
きれいめと評される、私はもう弁えてますからとでも言いたげでシンプル・コンパクトな服装。そこにリボンやフリルはなく、あっても申し訳程度だ。色合いもくすんだものばかりで、そういう路線が好きな人には悪いが私にはつまらない。十分の一もときめかない。しかし世間的には、そういう形になることを期待される世代だ。そういう世代になってしまった。
それでも好きに年齢は関係ない、好きに着たらいい。そうだね。そうかもしれない。
でも、あなたはくしゃくしゃの頭にノーメイクでボロボロの肌の女にも同じことが言えるか?
世代に限らず、身だしなみに気を使うひと達はちゃんと日頃からセルフケアをしている。愛する服に相応しいものであろうとしている。輝く自分でいることを諦めない。
私にはそんなことできない。なんとか生きていようとするだけで疲れて、これ以上日々のタスクを増やすなんて考えられない。それでも就活中は多少気を遣おうと寝癖も直してナチュラルなメイクを勉強したりしていたが、どうすれば人間らしい見た目になれるかあれこれ悩むほど疲弊してちっとも楽しくなかった。あれを出かける度にやるなんて耐えられない。
結局のところ、無頓着でいるのは楽なのだ。やはり身なりを整えてる人の多いところにいたりすると肩身の狭さは感じずにいられないのだが、それでもとりあえず梳かしてまとめただけの頭・保湿も追いついてないすっぴん・適当な服の三種の神器が揃うことで、自動で「そういう人」のラベル付けが人々の脳内で行われる。
これが服だけ整っているとそうはいかない。しばしば起こるノーメイクアクシーズ貶しがその例で、ガチャガチャした人体に整った服を纏っている人間は身の程知らずと罵られるかもっと素敵になれるという名目で己にかけるコストを増やそうと提案されるかだ。
結局うつくしい服というのは、それでも自分は着たいと主張できる強くたくましい心の持ち主と自分を労ることを怠らずにいられる豊かな心の持ち主だけに許されている。自分のような半端者は一生無地で白黒のTシャツとパンツに身を押しこめて生きるのだ。
だからこの話はおしまい。この気持ちは一生外に出すことも無く、いつかトップページから流れて埋もれるこの文章とともに、ネットの海に閉じ込めておこう。
最後に、これが今踏み出すことを戸惑っている人達への呪いになっていたら本当に申し訳ない。私以外はみんな美しい。どうかあなたたちはこんな風にならず、どんなあなたでも存在を許して生きていて欲しい。
書いてすぐ付いた反応にちょっと返して、そのまま放置している間になんだかすごく見られていたようで驚いた。
優しい意見も厳しい意見も色々ある。ありがとうございます。時間はかかると思うけど、ゆっくり目を通していきたい。流石に返信までは量が多すぎて出来ないと思うけど……
それからシンプルな服装が好きな人、本当にすみません。ああいうのが本当に好きで着ている人がいるのもわかっているし、結局のところ自分がそういう嫌な気持ちを抱いているのって「そのようになれという圧力」であって着ている人たちにはなんの罪もないのだが、やっぱり書き方に変な悪意があったと思う。こちらの推敲不足です。
万一知り合いにバレたら嫌なので自分の容姿にはあんまり言及してなかったけど、正直顔にもコンプレックスはある。詳しく書くと本当にバレそうなくらい、色々。少なくとも二重ではない。それに男みたいな骨格してるのも嫌だし、こうして書き出すとそもそもけっこう自分自身のことが好きじゃないっぽい。
小学校の頃くらいまで遡るとけっこう自分の服も好きな物好きなように着ていたな。紫が好きなので上下とも紫にしちゃって笑われたりしてた。
多分中学生くらいから地味なの着るようになったと思うんだけど、その辺ってみんなが他人から見た自分について意識しだしてた記憶がある。ダイエットとか、体毛とか、こういうの似合う似合わない、うちの制服がダサい……その流れで増田ちゃんは○○だよねって勝手に物差しを向けられるのも今思うとすごく嫌だった。こんなに前から自分って他人の目を感じてたんだ。今から見ると中学生なんて何着ててもかわいいのにね。
まあ変な話は置いておいて、拙い文章に目を通してくれた人も最初だけ読んだ人もありがとうございました。これが何かあなたの足しになったなら幸いです。不快にさせてしまっていたらごめんなさい。美味しいものでも食べて、こんな増田のことは忘れて過ごして
日本人って東南アジア系の人々をほんのり見下してるじゃん。今でもさ。
それってまあ植民地だったからだよ。今の大人でもさ、じーちゃんばーちゃん世代はそういうデカい日本で暮らしてたわけだから、ナチュラルな差別意識残ってたわけでしょ。
日本に来る東南アジア系の人がいくら頑張ってても、いくら頭良くても、いくら金持ってても、心の奥底で「でもこいつら植民地だったところの国出身だからな」っていうのがある。
技能実習生とかそんな感じじゃない?
「二等国民にしてはよくやってるじゃないか。我々一等国民も見習わなきゃな。二等国民に負けてはいられないぜ。二等国民より弱い一等国民どうした?www」というふうな表現がしっくり来る感情があるのではないか。
日本人がアメリカ人に抱いてる感情もそれと同じ感じだよ。あと一応これってアメリカ人限定で、イギリス人だとちょっと和らぐしカナダ人やオーストラリア人ならだいぶ和らぐでしょ。
フランス人とかイタリア人なら、あぁん?フランスかよとかイタリアかよみたいな。
でもアメリカ人だとなんというかちょっと「ひえっ」ってならん?まあ、ならんなら別にいいけど。
一方で中国人は日本人に日清戦争と日中戦争で連敗してボコボコにされて満州とられたから、なんかいちおう中国は戦勝国でGDP抜かされてるけど日本とは対等みたいなとこあるでしょ。
「中国?強いよね」みたいな。
団塊世代って言い換えれば敗戦第一世代で、その団塊ジュニア世代が氷河期世代(いうならば敗戦第二世代)でしょ。まあそりゃ力出ないわな。
表参道って、神社の前の参道という意味なわけなんだけど、そこに西洋が溢れているっていうのがもうなんか象徴だよね。
昔ワシントンハイツっていうのがあったんだけど、それって明治神宮の隣に作ってたわけよ。
戦後あのへんは米兵とかが闊歩してたわけね。そんでその周辺が最先端!イケてる!すごい!ってなってた。
その間、「怖いから九州で貿易とかはやってね」って避けて江戸がいいとこ取りだけしようとしてたから、九州勢ブチギレ。
地図見ればわかるけど、九州らへんの海をすいーーっと外国船が通ってたんだよ。自分たちの国で嫌だって言ってんのに外国船が堂々と通ってるのウザいじゃん。
しかも江戸から離れてるから外国船やりたい放題やってるわけ。「まあいうて土人でしょ。江戸には多少気使うけどね」みたいな。
脅威度がレベチだったし江戸幕府頼りないからいろいろあって薩英戦争(鹿児島)とか馬関戦争(山口)になったりしてた。
江戸も弱いから、海外から九州ウザいからなんとかしろって言われても「知らんし」って言ってたわけ。
海外もそれで「なんやこいつら」って感じ。「はーーーー。めんど。しゃーなし九州ボコるか。江戸の部下ってことは弱いやん?雑魚狩るかー!雑魚!」っていうノリなわけ。
そして実際戦争してみたら「えっ?強くね?」ってなったから西洋も「実際に戦ってくるコイツらがJapanのボスだな」って判断して江戸幕府をないがしろにした。
まあいろいろあって、それで明治政府ができたわけだな。長州閥とかいろいろあるけど、全部江戸が日和ってたせいだよ。田中久重とかも佐賀だぞ。
そんで西洋に追いつけ追い越せの気持ちで一挙に頑張ってたわけよ。
外国人にへーこらしてソーリーソーリー言ってるわりに、同じ日本人に向かっては偉そうな口叩くのって、幕末の江戸幕府的だよね。
江戸にもいたけどよ、そういうやつ。
別に日本人に文句言うのはいいけど、日本人カスって言うからには海外にもカスって同時に言ってないと話が合わない。
日本人カスって言いながらアメリカ人や中国人にはペコペコしてるとか江戸だぞ。こいつら自己保身のために魂も何もかも売り渡して、アメリカや中国の二等国民になろうとしてるだけだからな。
概念として、全体的に江戸幕府的だよね。明治も別に何もかも優れた黄金時代じゃなかったけど、少なくとも勢いはあったよね。
お前らも早く武士になった方がいいぞ。お前も勢いを作ってくれ。
別に俺はいらないんだよ、ちょっとしたプリンとかそんなんだろうから。
でもね、すげームカついた。ものすげームカついたんだよね。なにもないのに差別されてるなーって。
女性は食べる量が少ないから割引されるのが是とされるのに、こっちは量増えてるし。
こういうナチュラルに少し偏らせるみたいなのが積り積もって、今の日本の「男は馬鹿にしていい」みたいな風潮につながってるんだなーって思った。毎日少しずつ暮らしづらい、それが男性。
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
某有名リベフェミがブルーカラーの男性をめちゃくちゃナチュラルに差別して燃えているのを見てつくづくそう思った。コイツラのおかげで本当に是正されるべき差別や解決すべき課題が蔑ろにされる。
黙ってて欲しい。
普段全く夢属性を持っていないが、久々に夢に浸ってしまったので深く反省しここに埋葬する。
尚、本編を一気読みしただけなので担当声優どころかこのキャラの髪の色さえ知らない。
・異性を畜生としか見ていないナチュラルボーン畜生である一方、格上最強の同性には純粋な憧れを抱き子供の頃から切磋琢磨してて良かった
・フルボッコでやられてる時のこいつの台詞ツッコミがどれも小気味良かった
・上記複数加点の結果、特に自分好みのパーツじゃなくても分かりやすい面(ツラ)の良さにおまけボーナスが入って好感度プラスしてしまった
・キャラの血統の良さも頓着しないが、このキャラを好きになってしまったので名門次期当主っていいなと思ってしまった(作中で即反故にされたが)
・結局最大の理由は、主人公側にざまあ分からせされる悪役キャラとして魅力的だったから。そして夢へと至る
夢といっても溺愛される(…)とかそいつを圧倒したり価値観を覆す(…)のではなく(普段は夢願望が無いから自分で書いておいて虫酸が走る)──