はてなキーワード: ナチズムとは
当方、ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。
同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語がミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しかも8月が近いこの時期なので)。
ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。
戦中の原爆開発まで、戦後の赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。
また、最初のマンハッタン計画までを除けば、基本的に法廷劇である。
当方は英語のリスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。
さらに3時間と長い。劇場は結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。
映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。
これによってオッペンハイマーはプロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。
オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後の水爆開発に反対し、それが戦後の公職追放の憂き目を見る仇となる。
日本人として気になる広島・長崎の描写は、直接行うことは避けられている。
しかし、罪の意識に苛まれる主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーはユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真を想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。
などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。
僕は被爆地出身ではないし、広島に高校の修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。
これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象と個人との対比に心が動いたという話と言えようか。
あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンはAVのJOIみたいな効果がある。
個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。
アメリカ合衆国の原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。
まず、ロスアラモス研究所を作った砂漠は原住民の土地であり、オッペンハイマー自身が戦後にインディアンに返せと言う台詞がある。
原住民から取り上げて作った研究員の居住空間は、まるで西部劇の舞台である。
ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物。
妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。
事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国が西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である。
この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。
オッペンハイマーはナチズムへの反発から、アメリカ軍の原爆開発をリードする役目を引き受けた。
科学と政治の関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用、学術アカデミーの問題、そして2011年の原発事故など、日本でも問題になってきた。
この映画のテーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である。現代的なテーマである。
しかし今一度思い返してみると、科学、共産主義、資本主義の関係にも踏み込まれているのではないかと思う。
科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連は科学を推し進め、オッペンハイマーもマルクス主義(科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者も共産主義で楽園が訪れるのではないかと期待した。
しかし共産党による独裁となったソ連は崩壊し、その混乱を収めたプーチンがウクライナに核の脅しをかけている。
では資本主義の勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国は共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さらに戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である。
この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである。
原爆の映画ではあるのだが、共産主義と科学に関する映画と考えることもできよう。
3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーランと製作チームの意欲は素晴らしい。
しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパや中国の動向も薄い。
そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業的成功は見込めるのかは分からない。
増田でもコメントでもまだあんまり上がってないやつだとこんなのも良かった
元・薬学生、現・現役薬剤師のゲーム実況が主だが、見どころはゲーム実況そっちのけで始まるおくすり解説。
ニコニコではよくランク入りしているのでニコ厨は知ってるかもしれない。
病気の症状から、薬の作用機序、薬の法的な規制・流通などなどについて詳しく解説してくれる。
とにかくめちゃくちゃ説明がうまい。うまい人の説明聞くのが好き! という人はお薬に興味がなくてもおすすめ。身近にある薬について「そういう意味/理由/仕組だったのか……」と腹落ちできるのも気持ちいい。
ほぼほぼ毎日動画投稿されるのもすごい。いったいどうやってるんだ。
日本一「高い」薬ってどんな薬なの?【VOICEROID解説】 ゾルゲンスマ 脊髄性筋萎縮症:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41741182
は本当に面白かった。一発の薬価が1億円以上のおくすり「ゾルゲンスマ」の解説
一言でいうとメーデー!系。航空機事故などについて実際の報告書や当時の無線通信などをもとに解説するチャンネル。
航空事故だけではなく、航空インシデント(事故にならなかったがほとんど事故直前やん!といういわゆるヒヤリハット的事例)も扱う
メーデー!でまだ取り上げていない事故・インシデントも出てくるのでああいうの好きな人は見て損なし
【解説】PA-46マリブ N264DB 墜落https://www.youtube.com/watch?v=zTIlOnEurf0
現役サッカー選手エミリアーノ・サラが移籍先への移動中チャーター機の墜落で死亡した事故の解説。サッカーファンなら覚えている人も多そう。続報と根本原因を知らなかったので動画見てめちゃビビった。
主にナチス・ドイツで活躍した(してしまった)人物の生涯について解説する。たまにそれ以外のドイツ~東欧史もやる。
Twitterの逆張りキッズがやるようなナチ党や関係者の持ち上げはあまりなく、個人史~ナチ党に入ってろくでもないことをしでかすまでを細かく解説しており、しでかした悪行に対してびっくりするほどしょうもないパーソナリティであることなども伝わってきて面白い。
近年の史料にもあたっているようで、最近評価が(悪い方向に)覆ったことなども取り扱うことがある。
最近は動画投稿がすこし滞っているが既投稿ぶんでも相当暇つぶしになると思う。続編まってます。
【ゆっくり解説】ハンス・アスペルガーhttps://www.youtube.com/watch?v=x3gpKQ1G6AU
アスペルガー症候群を発見し、障碍者は「生きるに値しない生命」として安楽死(T4作戦)を進めたドイツにあって障碍者の保護に努めた人物であるアスペルガー……というのが通説だった。
だが近年、普通にT4作戦にかかわってました~ということが判明し、評価が覆っちゃった話をしてくれる。
超おすすめ。最近独ソ戦について研究発表か!?ぐらいのレベルの動画を投稿し始めた。デイヴィッド・グランツ「巨人たちの激突するとき」をはじめとする大ッ量の史料を使って解説する。
独ソ戦とその前後の戦争を背景にナチ・ドイツのヤバさ(悪い意味で)とソ連のヤバさ(いい意味でも悪い意味でも)を知ることができる。
難しい原著もCevioで訳文読みながらかみ砕いて解説してくれるので安心
ドイツ君がなぜソ連相手に戦争をおっぱじめたかの思想的背景までも説明してくれた回はアツかった。
【独ソ戦】同志六花と学ぶ大祖国戦争 #3: 第三帝国の躍進【CeVIO解説】https://www.youtube.com/watch?v=2ihTqEh3_1Q
「なぜ独ソ戦が『史上最大の戦争』であるのみならず、『史上最悪の"絶滅"戦争』になったのか」を資料の抄読軸で解説する回。
ヒトラーは「この世界は人種間の果てなき生き残りデスゲームで構成されており、だから融和とか多人種主義とかはそれ自体がユダヤ的やねん」ということを思っていたらしい。えっ何それは…。
ナチズムは通常の人種差別からは1翻2翻違う別格のやべー思想であることを伝えてくれる。
「イギリスからみたアメリカ独立戦争」「ロシアから見た日露戦争」など日本人の歴史観からは「逆」の視点からみる歴史的事件を史料等に基づき解説する。
「逆」から見るとそっち側からの合理性・合目的性というものがあるんだなあという学びになる。
かつては野党第一党、何度か与党にもなりながら今や両院合わせても2しか議席がない社会党(現:社民党)の誕生からの歴史解説。
立憲民主党内のここ数年のあれこれが「全部社会党のリフレインじゃん!」となる
見返すと半分くらいはニコニコ経由で知ったやつだな。
ド偏見の塊みたいな意見をありがとう。「次のナチズムは反ナチズムの顔をしてやってくるだろう」を完全に体現していて感動してしまったよ。
問いかけ自体は自由だけど言ってることは「価値観をアップデート」だから、要するに社会から無くしていこうって言ってんじゃん。
好き嫌いを言うのは自由っていうレベルから外れて攻撃してるから叩かれるんだよ自覚ある?
ついでにそうやって叩くオタクの中には普通にそういうコンテンツが好きだったり作ってたりする女性もいるけどそういうのもセットで公共の場から出ていけって言ってる?
どっちかっていうと
それを見続けたオタクらしき男性の女性への攻撃性なんて、増田みていれば明らか
温泉むすめなんかのイラストも「公共の場にふさわしくないのでは?」
まじで異常なコンテンツだよね
初めて「消えたい」と願ったのは5歳
明確に「死にたい」と望んだのは7歳
死んで憐れまれたいと思ったのは8歳
本格的に自死を考え始めたのが9歳で
それより前のことはあまり覚えていない
3歳ぐらいの時に幼稚園のクラスメイトが涎まみれで汚ねえなと思ったことぐらい
あの人たちは私が13歳ぐらいから狂い始めたと思っているだろうけれど、私はそれより更に10年近く前から何かおかしい人生歩んできたんだよ
20そこそこに今なったけど、自分でブッ裂いた腿の自傷痕はまだ消えないし、何なら手首に新しい傷も増えました
気持ちわりぃ〜〜〜自傷なんかする奴に真っ当な神経の人間いねえよ全員畜生だよ俺もお前も全員
まあ何で新しく手首切ってるんですかね〜?というのは実は私自身もよく分かってないんだよな
何か、もうすぐ嫁いで実家を出る姉から、アドバイスなのか捨て台詞なのかよく分からないけど非常にありがたくて非常に不愉快な言葉を賜ったような気がするが正直もう覚えてない
それで多分切ったんだと思うけど、もう昔みたいに切りながら「悲しい!傷ついた!可哀想な私!」みたいな自己憐憫すらもあまり湧いてこなくて、つまるところ全然覚えてないし実感もないし、何これ?????
最近こんなことばかり増えている気がする
世間的にはかなり良い(と思われる)大学を尻切れ蜻蛉にして夜間学校、昼間は肥溜めみたいな製造業に従事
けど、大学も夜学も仕事も、本当にしたかったことなのかと言われるともうよく分からない
政治家の「記憶にございません」も強ち間違いじゃないかもしれねえ〜〜そういう話ではない
姉に言われた
「お前はやることなすこと中途半端で声ばっかりデケエから信用に値しない、何か1個狂ってみやがれ」
死んじまえよ
お前は流行りもしないカビ臭い歌声を夜でも構わず撒き散らして、外で拾ってきた恨みつらみを散々私たち家族に投げつけて、そうして自分の周りのあらゆる存在を踏み台にしてまでちゃちぃ生活してんのに、股下舐められて善がる雌犬みたいな顔で何言ってんだか
知ってると思うけど私はあなたと何もかも違う
あなたみたいにひとつの価値観のために他人を犠牲にするようなナチズムめいた人間性してない
ただ私には愛したいものが多すぎるだけ
愛するに値すると感じるものがこの世界に溢れまくっていて、だけど愛情は何が相手でも脆弱だというだけ
多分そうだと思う
本当は私にも、気を狂わせて骨も肉も投げ捨てるぐらいの何かがあったはず
でもそれを捨てさせられてしまった気がする
もう忘れた
先に何書いてたかもよく思い出せない
いよいよ大庭葉蔵みたいなことになってきた
姉には姉の「みんなが望む努力家の王道人生!これが人間の道!これ以外は怠惰!」的な味噌蔵みたいな生き方しかビジョンないと思うし、逆に私にはそれがなくて「虚無拗らせても俺のこと無視して世界回ってるよね的な人生」しか分からないし、姉のありがたいお言葉は心の中に大切にしまいながら自分のできる範囲で生きていこうと思いました
後悔は「自分に出来たはずのことをしなかった」時に湧いてくるから、そもそも最初からノーチャンなことには何も感情が湧かないというものだ
本当に荒んでる我々みたいな人間は、自分の選択が諦めのうちに入るか否かも分からない
精神が知らない間にボロボロになり尽くしていたらしく、もうそういうところまで気が回らない考えられない何の実感も湧かない
寝よ
以上、増田なんか覗いちゃってる有象無象が書いたり見たりしてそうな文章書いてみました!
冬は焼きマシュマロが美味い
初めて「消えたい」と願ったのは5歳
明確に「死にたい」と望んだのは7歳
死んで憐れまれたいと思ったのは8歳
本格的に自死を考え始めたのが9歳で
それより前のことはあまり覚えていない
3歳ぐらいの時に幼稚園のクラスメイトが涎まみれで汚ねえなと思ったことぐらい
あの人たちは私が13歳ぐらいから狂い始めたと思っているだろうけれど、私はそれより更に10年近く前から何かおかしい人生歩んできたんだよ
20そこそこに今なったけど、自分でブッ裂いた腿の自傷痕はまだ消えないし、何なら手首に新しい傷も増えました
気持ちわりぃ〜〜〜自傷なんかする奴に真っ当な神経の人間いねえよ全員畜生だよ俺もお前も全員
まあ何で新しく手首切ってるんですかね〜?というのは実は私自身もよく分かってないんだよな
何か、もうすぐ嫁いで実家を出る姉から、アドバイスなのか捨て台詞なのかよく分からないけど非常にありがたくて非常に不愉快な言葉を賜ったような気がするが正直もう覚えてない
それで多分切ったんだと思うけど、もう昔みたいに切りながら「悲しい!傷ついた!可哀想な私!」みたいな自己憐憫すらもあまり湧いてこなくて、つまるところ全然覚えてないし実感もないし、何これ?????
最近こんなことばかり増えている気がする
世間的にはかなり良い(と思われる)大学を尻切れ蜻蛉にして夜間学校、昼間は肥溜めみたいな製造業に従事
けど、大学も夜学も仕事も、本当にしたかったことなのかと言われるともうよく分からない
政治家の「記憶にございません」も強ち間違いじゃないかもしれねえ〜〜そういう話ではない
姉に言われた
「お前はやることなすこと中途半端で声ばっかりデケエから信用に値しない、何か1個狂ってみやがれ」
死んじまえよ
お前は流行りもしないカビ臭い歌声を夜でも構わず撒き散らして、外で拾ってきた恨みつらみを散々私たち家族に投げつけて、そうして自分の周りのあらゆる存在を踏み台にしてまでちゃちぃ生活してんのに、股下舐められて善がる雌犬みたいな顔で何言ってんだか
知ってると思うけど私はあなたと何もかも違う
あなたみたいにひとつの価値観のために他人を犠牲にするようなナチズムめいた人間性してない
ただ私には愛したいものが多すぎるだけ
愛するに値すると感じるものがこの世界に溢れまくっていて、だけど愛情は何が相手でも脆弱だというだけ
多分そうだと思う
本当は私にも、気を狂わせて骨も肉も投げ捨てるぐらいの何かがあったはず
でもそれを捨てさせられてしまった気がする
もう忘れた
先に何書いてたかもよく思い出せない
いよいよ大庭葉蔵みたいなことになってきた
姉には姉の「みんなが望む努力家の王道人生!これが人間の道!これ以外は怠惰!」的な味噌蔵みたいな生き方しかビジョンないと思うし、逆に私にはそれがなくて「虚無拗らせても俺のこと無視して世界回ってるよね的な人生」しか分からないし、姉のありがたいお言葉は心の中に大切にしまいながら自分のできる範囲で生きていこうと思いました
後悔は「自分に出来たはずのことをしなかった」時に湧いてくるから、そもそも最初からノーチャンなことには何も感情が湧かないというものだ
本当に荒んでる我々みたいな人間は、自分の選択が諦めのうちに入るか否かも分からない
精神が知らない間にボロボロになり尽くしていたらしく、もうそういうところまで気が回らない考えられない何の実感も湧かない
寝よ
以上、増田なんか覗いちゃってる有象無象が書いたり見たりしてそうな文章書いてみました!
冬は焼きマシュマロが美味い
でも、それだと被害を受ける人がいるから、ヘイトスピーチ解消法とか侮辱罪厳罰化など別の切り口で規制するんだ。表現の自由の範囲を狭めるわけではない。
表現自体を止めさせる権限は恣意的に運用されやすくものすごく危険な権力で、めちゃくちゃ慎重に運用して適用範囲も最小限にすべきなんだ。
たとえば、ヒトラーのナチズム満載の「我が闘争」の出版を禁止すべきか、というと現代では注釈をつけて攻撃的で偏った思想だということを明確にして出版すべきというスタンスの国が多い。加虐性を無害化して記録としては残す。「我が闘争」が悪書だとしても悪書の出版を禁止した前例を作ると、お前のこの本も悪書だから禁止という恣意的な判断を防げない。
母親が「いのちの選択」をすることはナチズム的な優生思想とは全く親和してないよ。
他人の命よりも自分の命が大事。知らないオッサンよりも自分の子供のほうが大事。まだ生まれていない子供の命より母体の命が大事。
外から見て心情的に納得できない部分があったとしても、優劣をつけること自体が責められるべきことではない。
個人にとって当然あるはずの命の優劣を国家が一方的に決めることこそが、許されざる優生思想で、ナチズムだよ。
母体の命に関わることなのに、一律に中絶を認めないとか。あるいは逆に、遺伝子異常が見つかったときのみ中絶して良いとか。
もちろん胎児がどの段階から人権を持つのかは議論されるべき問題だと思うよ。
ただもうこれは哲学倫理の範疇だから、合意のうえで何処かに線をひくことしかできない。
https://anond.hatelabo.jp/20220503215621
言及する必要が無い。人権に敷衍してこの問題を考えれば、プロライフ派になりやすく、胎児の人権、人間規定の恣意性と言う重要な問題を孕むこの問題を、女権拡大の意味合いからそれらの問題をまるっきり無視しているのがプロチョイス派である。
宗教的な頑迷が問題になるのは、宗教的な教義や信条が、近代法の根底にある人権思想、人権原理を毀損する場合であって、そうではない場合からのクレームは、単に個々人の思想信条に過ぎない。善意からであろうが悪意からであろうが法理的に矛盾があるのであればそれは矛盾があるのであって、個々人の内面の思いにフォーカスするのは、それこそ宗教的な悪魔化である。内心のことは証明可能性が皆無であり、相手を悪魔視してリンチしてやろうと言う下種な自身の心情をまずは問うべきではないか。
プロライフ派とプロチョイス派の争いは人権派と女権派の争いである。近代法に適合している人権派が、自らの内心の潔白を証明するべき理由は何もない。
無視していない。女性の身体自由権と胎児の生存権を比較して胎児の生存権により重篤な公益を見出しているだけである。
すでに体制にビルトインしているので女性は意識しない傾向にあるが、男性に対する法的優遇措置は皆無であるが女性に対する法的行政的優遇措置は多数ある。女性専用車両についても、その経済的負担は身体労働からの転換物であるので、より寿命の短い男性たちに「女性の権益のために奴隷労働を課している」と言う面が多々あるが、それらは公益のためには正当化され得る受忍限度内の責務とされているのである。
中絶の件は、一方に乗せられているのが生存権と言う極めて最重要な権利であるため、通常一方的に保護される立場の女性が、公共の福祉において市民的な負荷を課せられるべきであるというだけのことである。
昨今、問題になっているトランスジェンダーの扱いの件、ハーグ条約関連の問題、重要人権案件のほぼすべてが女権と人権の対立周りにおいて生じている。これは女権が人権に根差しているのかどうか、女性が市民社会の構成員としての責務を果たす覚悟があるのかどうかが問われているのである。人権に根差さない女権は人権を毀損するのでナチズムそのものである。
遥かに寿命の短い男性に課せられている負荷は受忍限度内とみなされるのであれば中絶案件も受忍限度内である。子を産んだからと言ってマクロでは女性の寿命は1年も縮まない。そもそも子を産むかどうか、それに至る行為をするかどうかの選択肢を与えらていての話である。
私は女子大学の存在は性差別そのものでありとても問題があるとは考えているが、男性である私が支払った税金を女子大学に注がない選択肢はない。
徴兵制がアプリオリに人権侵害と見なされていないこと自体が問題なのである。徴兵制の根幹は、不可避性である。逃げられないと言うことだ。
徴兵で生じる給与はその不可避性を正当化しない。また、「ならば妊婦にも給与をくれ」と言う言い草がナンセンスなのはことことからも自明であるが、母体保護法やそれ以外の立法措置、行政支援において、既に給与相当分は得ているとも見なせる。逃げられないのは無関係の第三者だ。
もしこのアナロジーで男女対立を煽るのであれば、それは中絶の問題ではなく「産む性」としての保護優遇を女性が得ていること自体が問題視されるべきであろう。そして「負担をイーヴン」にするのであれば、産まなかった女性たちは、徴兵忌避者や脱走兵がそうされるように収監されたり銃殺されることを甘受すべきであろう。
それらの反論がまったく成り立っていないのは、そもそも不可避性を満たしていないからだ。
食べて働いて眠って、だけであれば絶対に妊娠しないのである。妊娠することをしない限りは絶対に妊娠しないのだ。
それでいうならば徴兵制は中絶禁止よりも「ひどい」と言うことになる。そして徴兵制のアナロジー自体は今も公式非公式に残っている。「男は女を守れ」と言う強制である。
『男性にも罰を与えよ』
与えればいいじゃないか、としか思わない。ただそれは妊娠した女性vs妊娠させた男の間で発生するものであって、どうぞ好きに民事裁判でも何でも起こしてください。現行法でも可能だ。
中絶のコンフリクトは妊婦と胎児との間で発生するので男は、胎児にとっては無関係、というだけのことである。
※元記事は間違いなく私が書いたものであるが、私は5/3には記事は書いていない。つまり現在ブクマされている元記事は赤の他人が私が書いた複数の記事をまとめて、再アップロードしたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20220503215621
・日本では中絶が合法とされたことは過去に一度もない。刑法には堕胎罪規定がある。母体保護法(旧優生保護法)において、「やむを得ず堕胎が許認される例外的場合」の規定があるだけである。基本的には心身的な理由で母体を保護する場合以外は駄目だが、後に著しく経済的不都合のために養育が困難な場合が付け加えられた。現在はそれが拡大解釈されている状態。立法意図から敷衍した場合は、低所得者層への養育のサポートが充実した現在は中絶の99.9%違法性がある状況。
・出生の定義は全身が母体から出た瞬間。それ以前の胎児は、人間ではないが厳密に物でもない。物であればそもそも堕胎罪規定などはない。中絶胎児を生ゴミとして出したら違法になるのは産廃法違反だからではなく、死体遺棄罪に相当するからである。つまり胎児は部分的は人間であり、準人間的な扱われ方をしている。
・アメリカには中絶関連の連邦法はない。州法レベルでかつて中絶を違法化する法律があったが、それら州法が違憲であるとの判断を1972年に連邦最高裁が下した。法源はこの判決であり、従って最高裁の判断が変わる可能性はある。であるから、裁判になるのを承知で、各州議会で中絶違法化を進める立法がなされている。憲法に中絶権規定がなく、それどころか連邦法で立法化もされていないので、ほぼ永遠に連邦最高裁で判断が繰り返されることになる。今回、連邦最高裁への上告を却下せず、最高裁判断が示されることになったと言うのは、従来の判例を棄却すると言う意味であるから、最高裁が中絶違法化(と言うか中絶違法の州法の合法化)に転じることはあらかじめ予想されることであった。なぜ連邦法で立法化されないかと言えば、議会多数派が民主党、共和党でころころ変わり、変わるたびに中絶合法化、違法化の法律が出来、大統領が議会多数派と反対党の場合は拒否権を発動してカオス化するのが目に見えているからである。現状は、「実質的には中絶が容認されている」と言う点で民主党を満足させ、「中絶の合法化まではされていない」と言う点で共和党を満足させると言う落ち着きどころになっているが、連邦最高裁が中絶違法化判断に踏み切れば、逆に民主党は立法化に動くかも知れない。
・ヨーロッパ諸国でも中絶の許認は結構国によって差がある。フェミニスト的な女権のニュアンスが一番強い「ヴェイユ法」を持っているのはフランスで、基本的には中絶に関しては女性のみが全権を持っている。1975年に成立したヴェイユ法は女性政治家シモーヌ・ヴェイユ(著名な哲学者とは別人)の働きかけで成立した。カトリックの強いフランスでは「人間の選別はナチズムである」との批判も強かったが、ユダヤ人であったヴェイユはアウシュヴィッツ収容所からの生還者であった。2017年の逝去では国葬されている。ドイツでは、例えばダウン症と分かってからの中絶は違法である。これは人間の選別に対する恐怖によるものであり、日本でも安易に行われているダウン症児堕胎については議論があるべきだろう。