はてなキーワード: ドタキャンとは
スマートとは
もし自分がされたら「2/3はドタキャンしてるの?お店に迷惑だよね?」って落ち着かないんだけど、気にならないのかな。 pic.twitter.com/gP5Ub9hd3Q— りっつ (@r_itt_su) 2018年12月25日
教育熱心で説教が長くて自分の面子が大事で度々手を上げるおとんとどこまでも優しい良いお母さんけど最終的にはおとんの味方しかしないおかん
俺の大学の学費、前期後期それぞれ25万ずつなんだけど、おかんおとん、出してくれてありがとう。
仕送りもしてくれて、まあ俺も自分でバイトしなきゃ食えない額ではあるけど感謝するしかない総額を俺に注ぎ込んでくれたんだな。
ありがとう。感謝ついでに言うけどそんなにお金お金言うくらいなら生まないでほしかったな。
学校サボってメンクリ通ってたら母親にバレて実家に数日引き戻された。
俺が限界になってるの見てひょっとして今度こそ俺の話を聞いてくれるんじゃないかと期待したが、全然そんなことなかった。
元気付けたいんだと思うけど父親に数時間に渡って俺を育てる苦労話された。
お金かかったんだね。俺を育てるの大変だったんだね。そんなに苦労して製造した息子が大学も卒業できない失敗作になっちゃってごめんねって感じだった。
父親は「自分の親に『計画的に生んでエリートにすべく育てた』って言われるのが嫌だった」って教えてくれたけど、「お前は出来ちゃった婚の産物」ってバラされるのもなかなか辛いものがあったよ。
なんだよ、俺お前らの無責任中出しで誰にも望まれてないまま出来ちゃった上に金かかっただけのお荷物じゃん。
本当はちょっと休学の相談をさせてほしくて実家に帰ったんだけど、休学のきの字も言わせてもらえなかったし、「今年卒業する以外は一切認めない」とか言われちゃった。
俺だって別に是が非でも親の金で留年したい!なんて思ってなくて、「経済的に無理なので自分でどうにかしてくれ」と言われるならそれでよかった。ただちょっとでも休学したいくらいつらいと言わせてほしかったし、せめてどうしたいのかだけでも聞いてほしかった。聞いた上でそれは無理だと言ってほしかった。
自腹切って休学するのも許されなくなっちゃった。
俺の心は値段にして25万の価値もないっぽい。仮に休学させてもらえたとして最低限ドブに捨てたことになる前期の学費25万円。これが5月くらいの話。
実家帰った間ずっと何かしらの説教されててつらかったなって思って、東京に帰るために母親が駅まで車で送ってくれてる間わんわん泣いちゃった。母親に甘えたかったのかもしれない。
その母親と先日久々に会って、尋問されたので今でもうまく学校に行けてないことを正直に言った。おかんは俺のことをいたく心配して、「今から一緒に実家に帰ろう」とか言い出した。決定的だった。俺はこの優しくて浅はかなお母さんに勝手に絶望した。俺あなたの目の前で泣いたじゃん。帰らなければよかったって言ったの聞いててくれてたじゃん。「あなたにとって家に帰るのはあまり良いことではなかったんだね」とまで声かけてくれたじゃん。何それ。
母親に心開くのをやめた。この人に何かを期待しても僕がしんどいだけだと結論づけたので、家族カテゴリから他人のフォルダへ存在を移行させた。目先の優しいポーズをするのだけが好きな人なのか、単に頭が悪いのか。多分後者なのだと思う。頭の悪さで人を傷つけるだけで、他は絵に描いたような良いお母さんだった。
母親が家族ではなくなったので、俺の対人関係のフォルダにおいて、全てが他人に統合された。考えてみれば当然だと思う。家族だからとか友達恋人だからとかで甘えた態度を取って訪れるのは不快感に耐えかねた破滅だけだもん。親しき仲にも礼儀あり。ただでさえ価値のない俺の本音とやらは人に迷惑をかけるだけなのでこの先誰にも言わないようにして生きていきたい。否、死にたい。
今日そのおかんから電話がきた。クリスマスだから何か送ってあげようか?だって。本当にありがとう。でもごめんなさい。他人からは現金以外受け取りたくない。だって貰ったら大事にしなくちゃいけないじゃん。自分を大事にするのもめんどくさいのに。大事にするってなんだ?わからん。
一時期は「毒親」って言葉にも興味を持ったけど、最近は俺が恨むのはお門違いだと感じている。おかんもおとんも悪いことはほとんどしてないと思う。そりゃ人間だからたまに失敗するだろうけど、そんな些細な失敗で巨額投資先が丸ごとつぶれてんの本当に可哀想で申し訳ない。強いて言うなら出来ちゃった俺なんかは生まないで堕ろすのが正解だった。
社会に出られない。学校に行けない。バイトも受からなくなった。必死になって就活エージェントとやらにメールして面談約束しては当日怖くて泣いてしまって外に出られずドタキャンするのを繰り返している。12月。文章も上手く書けなくなった。好きだった音楽がうるさくて聞けなくなった。映画も本もごちゃごちゃして見られなくなってきた。
どうやって死のうかな。俺を売ってできた25万円で、俺が生まれてきたせいで負担がかかった他人のみんな、せめて焼肉とか食べて幸せになってくれないかな。あ、25万しないんだっけ。
題名の通りだが、胸中を整理しないと仕事が手につかないので、初めてこうやって投稿してみることにした。何も考えずだかだかと打っていく。
敬語は省略させてもらう、何故ならひと様を気遣うリソースが今己には無い。
そして「どっちもどっちだろ」や「こういう所が悪い」や「文章から性格の悪さ感じられるわ(笑)」や「自業自得だな」や「クソどうでもいい」など、芽生えたその素直な感想は申し訳ないが嚥下していただけると幸甚である。
手負いのアラフォーを傷つけて良い事は何もない。ただそういった言葉を飲み込むと善行を積んだことにはなりますし、優しいぬるま湯みたいな励ましやお言葉をくださると天国に行けます。
【別れた理由】
些細なすれ違い。もうこれに尽きる。
①問われた事に対して都合が悪い(確認事項含む)とLINEを返してこない、放置
(こちらから数日待った上で再度聞くしんどさ、お分かり頂けるだろうか)
(特殊な仕事なので常に了承、文句を言ったことは無い。労いの言葉もかける)
③何をするにもまず自分の要望優先(こちらの都合を聞かない、考えない事が多い)
④計画性が無い
(任せた旅行先で、ノープラン。気持ちはわかるが飛び込みで宿に泊まりたくない)
などなど。
ちなみにデート時のお店や旅行先のプラン・予約などは、交代で行っていた。
ちなみに「こうしてほしい」という要望は都度伝えていた。
あまり言いすぎると、「俺だって忙しいのに」「もう責めるのやめてよ」と拗ねて怒るのでやんわりと言葉に気を付けていた。
【別れの際について】
残念ながら喧嘩別れのような形にはなったが、自分からはもう二度と連絡はしない。
【好きだったところ】
見た目。なかなか無いぐらいにストライクだった。イケメンだと私は思う。
業界が似通っており、彼が仕事が出来る人なのも分かっていた為、尊敬していた。
高収入。持っているものがセンスがあり素敵だった。お金に余裕があるので心に余裕もあった。
家庭環境もお互い似ていて、気を遣う所が無く有難かった。
【今の気分】
仕事の合間につい考えてしまう。ついと言うか、考える合間に仕事をしている。
何を考えてしまうかと言うと、「あそこでこう言えば良かった」や「やっぱり私が悪いのでは…」や「あ~~~もうあんな人現れないのに…」など。
この後悔、および反省がぐるぐると脳内を回っては、不安感や焦燥感を煽る。色を付けるなら濃いグレー。
しかもどろっとした粘度があるので、掻き分けても掻き分けても終わりが見えない。
しんどい。
辛い。LINEばっかり気にしてしまう。通知切りたい。でも切ったらまたアプリを開いたり閉じたり開いたりしてしまう。
ありがち。本当にありがちすぎるが、自分が経験するとなると、また別だ。
すごいな、世の中の失恋した方々はこんな思いを抱えて生きて、克服して次を見つけているのか…?としみじみしてしまう。
ただ、私はこの年齢だ。それも更に心に重苦しく厚い暗雲を乗せる一要素になっている事は、間違いない。この年齢でこのスペックの男性と別れて次があると思うか?いや無い、といった対話が常になされており、己のこれからの人生を考えて更に心が重くなる。
色恋沙汰において「年齢は関係ない!」という力強い言葉はあるが、それは場合による。
どんな場合かと言うと、年下のイケメンが年上の女性に対して口説く際に使用する場合のみだ。覚えておいてくれて損はない。
話が逸れた。
だけどこうして何も考えずただただ文字にしてアウトプットをしていると、整理出来て有難い。
つまり、今の気分は
①反省と後悔が凄くてしんどくて辛くて嫌だ
②この年齢でこのスペックの男性と別れたらもう次は無い怖さが嫌だ
という二点につきる。
②については、もう真正面から受け止めて「諦める」という選択肢を受け入れるしかないのでは???
どちらもなかなかきつい気がする。
できるものなのか…でもするしかない。この、LINEを気にする苦しさが永遠と続かない事を祈るし、他に気が逸れることも祈りたい。
まだ好きなのかと問われれば、好きなんだろうけれど、もうあの付き合っている間のしんどさを続ける気は無い。
お願いしても真っ向から言っても自分を変えようとしてもどうにもならなかった。致し方ない。
二年か~~。長いのかな?
旅行の時の楽しさや、プレゼントを選んでサプライズで渡してくれた時の事や、仕事がつらかった時にずっと隣で慰めてくれた時の有難さが、ふっと蘇っては苦しくなる。
でもその度に、言われて傷ついた事や、嫌いになったきっかけを上書きするようにして思い出す。
甘くてふわふわのショートケーキに自分でコールタールをぶっかけて台無しにして、それを眺めながら「仕方ない、これが今の自分には正しかった」と己を懸命に説得している気分だ。
例えが長いな。
とりあえず昨日の今日だし、今日は早く帰って美味しいものを食べよう…
残念ながら食欲はある。
・5年くらい前に派遣のアルバイトをしようという話になり、鶴見で登録できるからそこで良いかと聞いたら
生まれも育ちも横浜だと言っていたのに面倒臭いからと「鶴見?どこそれ?」とシラを切った
忘れた頃に鶴見を知ってるか聞いたら「よく通るし」と普通に知っていた
・4年くらい前に友人Aと友人B(友人Aと仲が良い、私とはAがいる時のみ会う)、
Aの好きな子C(私とは会社の先輩後輩の関係)とその友人Dと5人で花見の予定を組んでいたが
前日にCDがドタキャン、友人ABと3人で花見は無理だがご飯だけでも食べに行こうと言われ
それだけならBともそんなに仲が良いわけでもないし、気まずいのでキャンセルさせてくれと言ったら
勝手すぎるとブチ切れられる
CDのドタキャンは「しょうがないよねー」と軽く許していたのにこの違い
・1か月ほど前に知り合った子と友人とでご飯を食べに行こうという話になり、
Aが行きたいと言っていたお店だったのでAを誘い前日に待ち合わせ場所を伝えたら
日にちもお店の情報も多分相手の子が仕事だから時間も遅めスタートだという事も2週間前に伝えていたのに
・つい先日「仕事終わった?もしタイミング合うなら2駅歩かない?」と連絡があり
やることはまだあったが気がそれたのですぐにOK!待ち合わせは何分後にしよう?と返信し、
片手間に仕事をしていたが既読もつかず、仕事のやる気ももうないので
「メッセ送信後すぐに仕事を頼まれてしまって返信を確認する暇が無かったごめん」
☆はじめに
・滅茶長いです。数えたら4000字ありました。3000字のレポートの課題は一向に進まなかったのに、皮肉なものですね。
・フツーに、私達のことを知ってる人が見たらああアイツ等のことか、と分かるんじゃないかと思います。気づいても、出来れば、自分の心に留めておいてくれれば幸いです。とはいえ、あの人はきっとこれを見ても怒ったりしないだろうけれど。
__________
あの人は違ったけれど、私にとっては初めての恋人だった。1年2ヶ月の記念日に喧嘩して、1年2ヶ月と2日目に直接顔を合わせて、話し合って、2人で決めたことだった。心残りはなかった。
…はずなのに、気付いたら、私はゆうちょ銀行でありったけのお金をおろしていた。そしてその足で駅へと走り切符を買って新幹線へと飛び乗った。行き先は実家の最寄駅。正直何も考えてなかった。ただただ本能の赴くままに、私は帰省してしまっていたのだ。
新幹線の中で父に「急にごめん、今から帰ってもいい?」とラインしたら、すぐ既読が付いて、それから10分後くらいに「分かりました。駅まで迎えに行きます」と返事が来た。母親にも同じようなラインをすると、「おにぎりと味噌汁ならあるよ」と返ってきた。
新幹線に乗っている間、私はずっと車内の電光掲示板を眺めていた。色んなニュースが流れていたけれど、ひとつも内容が思い出せない。ただひたすらに、駅名がひとつずつ西にずれていって、目当ての駅がくるのを待った。
2時間半くらい過ぎた頃、新幹線はやっと駅についた。父から駅前の牛丼屋の横に居るとの連絡が来て走ってそこまで行ったのに父がいない。ついたよと送るともうすぐ着くと返事が来た。"居る"の意味知らないのかな、父。
3分くらい待っていたら父の車が見えた。父は何も聞いてこなかった。ただ嬉しそうに、明日は上司と競馬に行く予定だったけど無くなりそうだということを教えてくれた。私からは最近車校で路上教習に突入したこととか、最近急に寒くなったこととかを話した。
駅からは45分くらいで実家についた。チャイムを鳴らすと母がドアを開けてくれた。お風呂沸いてるよと言われ半ば強制的に風呂場に連行された。ひとり暮らしの家は狭いユニットバスで、いつもシャワーで済ませていたから足を伸ばして浴槽に浸かるのは久々だった。足先から体が温まっていくのを感じた。
30分くらいで風呂から上がり、居間に行くとおにぎりと味噌汁とからあげと餃子とゆで卵が用意されていた。昆布のおにぎりを半分と味噌汁を少し飲んだらお腹がいっぱいになってしまったから、残りは朝食べることにした。父は知多をロックで呑んでいて、「知多?珍しいね」と言うと「中身は違うけどね」と言われた。本当の中身は過去にツイッターで不味すぎると炎上した伝説を持つトップ●リュのウイスキーだった。
そんなこんなしていると夜中の1時を回ったから、父におやすみを告げて2階の寝室に上がった。キングサイズのベッドに横になった。5分くらいすると、母が部屋に入ってきた。ベッドに座って私に一言、「頑張ったね」と言った。
その瞬間、私の両目から噴水のように涙が溢れた。元旦のデパート開店直後みたいに、ものすごい勢いで色んな感情がとめどなく流れて来た。辛い。寂しい。苦しい。悔しい。なんでこうなっちゃったの。もう前みたいに遊べないの。もう好きだよって抱き締めてもらえないの。もうどの街に住もうか?なんて戯言を言い合えないの。もう、2人で添い遂げ合う人生は遅れないの。
母は、ひたすら「頑張ったね、もう充分やれることはやったもんね、辛かったね」と私の背中を撫でてくれた。そのあとに、「でも、色んな楽しいこととか初めての経験とか素敵なモノも沢山貰えたんだから、嫌な思い出にしちゃ駄目だよ。」と言った。
19歳の秋だった。
私とあの人は、同じサークルでひと夏を過ごした。かなり厳しいメニューをこなす日々で、春には名前も顔も知らなかった私達が夏が終わる頃には家族よりよく会う存在になっていた。
夏が終わるとサークルの活動も一段落し、私達は顔を合わせることが減っていった。そんな時、あの人からディナーに誘われた。
他の同期も来る筈だったのに、何かと来れなくなり、2人になってしまった(これがあの人の策略だったのか、本当に偶々だったのかは結局分からずじまいだった)。2人でやっすい店に入って、色んなことを話した。好きな音楽、好きな作家、高校生の頃の話、過去の恋愛話。私が中高ヒエラルキー最下位大学デビュー女のため恋愛経験0の喪女であり、その当時自分にアプローチしてくる人がいたのだがどう交わせばいいか分からないと相談したら、フフッと笑って「ぶっ飛ばしたいなあ、そいつ」と言われた。一瞬ん?と思ったけれど、「ホントそうだよね~」などと軽く流した。
正直、全く意識していなかったのだ、恋愛対象として。ひと夏を共に過ごしたかけがえのない大切な同期、という認識だった。だったのに、やっすい店から出たあと、そんな私達の思い出の練習場で、告白された。午前2時くらいのことだった。
その時も、急に涙が溢れて止まらなかった。信じられなくて、嬉しくて、少し申し訳なくて、何より私が本当は心の奥でずっと惹かれていたことに気付かされてしまって。
あの人はそんな私の手をずっと握っていてくれた。「でも私、多分中学生みたいな恋愛しかできないよ?」と震えながら言うと、「ロミジュリのジュリエットだって中学生なんだよ。」と笑って更に強く握りしめてくれた。その温もりがとても気持ち良くて、私達は手を繋いだまま眠った。
朝の6時頃に目が覚めると、夢じゃないんだと隣から聞こえる寝息に心臓がバクバクした。そうしているうちにあの人が起きて、不意に抱き寄せられて、キスをした。それが私にとっての、ファーストキスだった。
その日から私達は、所謂"恋人同士"になった。数え切れないほどデートをして、旅行も行って、一緒に大学の授業を受けて、お互いの家にも行き来した。
デートは、本当に色んなところに行って色んなことをした。映画を見たり公園でピクニックしたり気になる飲食店を片っ端から当たったりショッピングモールで服やコスメを吟味したり美術館で考える人の真似をしたりディズニーに行ったり(私にとっての初ディズニーだった)、割と付き合いたての頃古本屋に行ったらエロ本だらけで少し気まずくなったこともあった。
ラブホにだって、行った。勿論私にとっては初めてだったけれど、何気ない会話の中であの人は初めてじゃなかったことが判明してしまってそれはもう死ぬ程泣いたな。
デート以上に、私達は沢山沢山体を重ねた。週に1、2回くらい私の家に来てくれて、近くのコンビニまで手を繋いでお酒を買いに行った。気取ったジャズなんかをかけながらお酒飲んで、ほろ酔いでセックスするのが本当に大好きで幸せだった。
いつも一緒だったな、と思う。毎日のように好きとか愛してるとか言い合って、自撮りを送って褒め合ったり、記念日には詩を送り合ったりして、サイコーに幸せな日々だった。
…だったけど、会うごとに、知るごとに、着実に違和感が大きくなっていったのも事実だ。
最初は、私が話しているのにスマホを見ているとか、そんな程度だった。
けれど、それは次第に、私の話になった途端全くつまらなさそうになる(電話だったら寝られる)、私の誕生日を忘れる、逆に誕生日を祝ったら明日忙しいからと電話を切られる、ご飯を食べる約束をしていたのにやっぱり家で食べるとドタキャンされる、自分が忙しくなるとライン一つくれず放置される、そして私が貴方のこういう言動が嫌だからどうにかならない?と話しても自分はこうしたいからと全く歩み寄ろうとしない、というふうにどんどん根本的なところに及ぶようになっていった。決定的に考え方や価値観が違うことに気付くのにはそれ程時間はかからなかった。
けれど、気付いたときにはもう遅かった。私は、完全にあの人に依存してしまっていた。傷ついても、傷つけても、別れることが出来なかった。本当に毎日が辛くて、耐えられなくて、覚悟を決めて別れようと言っても、本当に別れたいの?と子犬のような目をして聞くあの人から離れることはどうしても出来なかった。
だから、最後の数カ月間はお互い深い話を避けるようになってしまっていた。悩みごとや将来の話はお互い他の友人に話すようになり、2人で話すのはこのツイートがどうとかおっぱいがどうとか、本当に俗っぽい上辺だけの話題だけだった。
1年2ヶ月の記念日にした喧嘩は、それ自体はそんなに重要なトピックではなかった。ただ、限界だったのだ、もう。お互いに、これまで少しずつ感じて来ていた"違和感"ゲージが、この喧嘩で満杯になってしまったのだ。
1年2ヶ月と1日の日、多分これは別れるな、と思った。頭では理解していたのだ。けれど、心が、それを受容しなかった。初めて付き合った人と結婚したい、要は一生一緒にいたいという典型的な少女漫画脳と、あの人とならそれが出来る!という付き合いたての頃の自分の幻想、そして何よりもまだ体験したことのない、失恋がもたらす精神的苦痛というものへの恐怖が決断の邪魔をした。
だから、1年2ヶ月と2日目に、決めきれずゴニョゴニョしていた私にあの人が「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、スッと楽になる感覚がしたのだ。それからは驚くほどスムーズに、そしてお互い納得できる形で、私達は別れ話を終えた。最後の挨拶は「じゃあ、またね」だった。
何も後悔は無かった。あれほど恐れていた失恋の苦痛も感じなかった。むしろ、あの人と今までより素敵な関係性になれるのではないかという希望すら見えていた。
のに、私は、気付いたら、実家を目指して駅へと走っていたのだ。
多分、母は全部分かっていたのだと思う。父だって察していたのかもしれない。私が、初恋の人と結婚したかったことも、本気で恋人に一生を添い遂げようとしていたこと、そのために沢山沢山頑張ったこと、でもそれは結局報われなかったこと、依存や執着もあったけれど、私があの人を本気で好きだったこと。私が、本当は沢山沢山泣きたがっていること。
そう。好きだった。本気で好きなつもりだったんだよ、ずっと。ずっと一緒にいれると思ってた。だから、頑張った。初めてで、何も分からなかったけど、頑張れば一緒にいれると思ってたのに。あの人も、あの人と作り上げてきた時間も思い出も失わずに済むと思ったのに。
私はただひたすらに、思いっきり泣きまくった。そしてそのまま眠りに落ちた。母はずっと、私の横にいてくれた。
次の日、目が覚めたら昼の12時を回っていた。居間に下りると父が録画した吉本新喜劇を見ていた。母はお茶を沸かしていた。私は昨日残したおにぎりと新しいおにぎりと味噌汁とからあげとゆで卵を食べた。餃子は冷蔵庫から出し忘れていた。
その後、母と近所を散歩した。いつもより空気が冷たくて空が澄んでいた。公園について、木製の古いベンチに腰掛けた。「辛い経験や悲しい経験は全て未来の自分が幸せになるための布石だ」という言葉を思い出した。空を眺めがら、あのユニットバスの、小さなアパートに帰ろう、と思った。
便乗してひとつ。
彼氏は関係ないけど、うすらハゲ。20代だったのにかわいそうに。
「急に予定が入ったから」と言われて断られた。
別に構わなかったんだけど、LINEで「アイドルの握手会に行ってきて楽しかった」という無神経なことを言ってきた。
怒るのも何だかおかしいか、と思い「写真見せてよ」って言ったところ
私に見えるのは、デートドタキャンして見に行ったアイドルの笑顔のみ。私がこんなの見たいと思ってんの?馬鹿なの?
「増田ちゃんもモー○。みたいな格好してくれれば良いのに」と言い始めた。
こいつないわ……とドン引きして、別れを決意。
別日、逆に別れを切り出された。
「お前が俺を好きなのは分かるけど、別れよ」
おととい初めての彼氏と別れた。すごく歯切れの悪い別れ方だった。
期間は3ヶ月弱。もともと相手は真面目に付き合う気がなかったんだと思う。
私はいい歳して今まで付き合った経験がないことに焦っていて、正直好きと言う気持ちがないまま告白され付き合い始めた。相手のペースにのまれ、好きだとか可愛いだとか調子のいい言葉に安心してまんまと旅行に行き、まんまと処女も手放した。
その後会う予定をことごとくドタキャンされ、蔑ろにするのもいい加減にしてと連絡したらそのまま連絡が途絶えた。悲しみより怒りが勝った。涙も出なかった。
好きになりたかったけど、好きになれなくて良かった。
いい勉強になりました。おかげで人間不信に拍車がかかりました。どうかバチが当たりますように。
追記:反応もらえるとは思わず…見ず知らずの人間に慰めや優しいお言葉ありがとうございます。割とピンピンしてるので強く行きていこうと思います笑
次こそはいい恋するぞーーー
今回は俺も一応モチベーションがあったのに、ここにきてそれが減少していくのを感じる。
これは、アレだ。
どうする。
今から弟を迎えに行けば間に合うか。
いや、いま向かっている途中ですれ違ったらどうする。
もう今回の小旅行を断ったほうがいいだろうか。
ああ、くそ。
寝起きの頭じゃあ考えがまとまらない。
「ごめん、にい……兄貴。遅くなった」
頭がグズりだしてきたとき、弟がやっと来てくれた。
それで失ったモチベーションが元通りになるほど俺は調子のいい人間ではないが、ひとまず安心といったところか。
「弟よお、荷物もないのに何をそんな時間をかけることがあるんだ」
「い……いやあ、寝癖が大暴れしてさあ」
「寝癖って。お前そういうの気にするタイプじゃないだろう」
「そ、そうかな……」
しかし、このときの俺は寝起きで判断力が鈍っていて、そのことを深く考えていなかったんだ。
「じゃあ集まったところで、別次元での行動についておさらいするよ」
ガイドが注意事項を説明し始めるが、内容はほとんど当然のことばかりだ。
別次元に悪影響を与えないために目立つようなことはしないだとか、その次元の住人に迷惑をかけないようにだとか。
ところどころ小難しい横文字を並べている以外は、修学旅行の学生しおりレベルのことしか言っていない。
「……というわけで、キミたちが注意すべきなのはそんなところかな。ちゃんと心がけてね」
「は~い」
だからといって、本当に修学旅行中の生徒みたいな気のない返事をしてしまう弟も大概だが。
言ってからそのことに気づいたようで、気まずそうにモジモジしている。
こいつ、まだ寝ぼけているようだな。
「……ほら、キミも返事!」
なんだかこのあたりのやり取り、本当に修学旅行みたいなノリだな。
「じゃあ、今から“穴”を開けるよ。そこを通って別の次元を移動するんだ」
いわゆるワームホール的なやつか。
気取った横文字並べられるのも癪だが、“穴”っていう表現は風情がねえなあ。
「開いたらすぐに入るように。長く開けておくと次元警察が煩いから、すぐに閉めないといけない」
放り投げられたオブジェは空中で静止し、1秒と経たない内に“穴”を作り出した。
穴の先に見える景色は淀んでいて見えにくいが、自分たちが今いる世界とは明らかに違うと感じさせる。
「さあ、ボクについてきて! 早く入って!」
未だモジモジしている弟の手を引いて、俺はその空間に勢いよく入った。
会社辞めるんで後任の派遣のおばちゃん(WEBデザイナー)に一部業務を引き継いでる。
そしたらおばちゃん驚くほど使えない。
仕事でPC触ってたら嫌でもエクセルの使うと思うけど仕組みから理解していない。
ショートカットのCtrl + C、Vすら使わない。
WEBデザイナーやっててショートカット使わないなんてことはありえないからちょっと今までどういう仕事してたか想像がつかない。
そんなだから当然引き継ぎは遅々として進まず当初の業務量の半分、それを更に半分、更に半分…まで減少したところで緊急会議が開かれた。
課長と俺が責めるわけでもなくやんわり淡々と「どこまでならできますか?できない分は余所に回すので大丈夫ですよ」と話しを進めたところ泣き出した。50代の、成人女性が。
あ、これ社会に出る域に達してない人や、と思った所で課長と目が合う。
すかさず「すみません俺の教え方が悪かったすね」と言い、課長が「そうだな、お前が悪い」と追撃。
これほど課長と通じ合った瞬間はなかったが、それが辞める2週間前とは皮肉だ。
無事これ後任いらなくね?というおばちゃんの引き継ぎ量となっているが、それと反比例してマイカップと紅茶の品ぞろえは着々と増えている。
それはそうと今更「なんで行かなきゃならないんですか?無駄だと思います」って駄々こねて今日の歓迎会ドタキャンしようとすんのやめろや。
なんでお前まだ残ってんの?何のために俺巻き取ったの?
年下の友人も行ってたけど
行けなかったら、行ってくれる?みたいなの簡単にできないし
本人確認とか、そっちは気が重い。
もうコンサートやステージ直に見る時代じゃなくなってきてるかな。
忙しくても、前日、当日まで予定判んないなんてこと
社会人になったらあるんだよ。
私上司が独立して、(いきなり)他にできる人いなくて3か月不休で出社して
引継ぎもして貰ってなかった仕事、入稿までやったことあるけど(もちろんできたけど)
そのとき、公開してた映画の前売りも、買ったまま行けなかった。
ぐうぜんみたオペレッタ(天覧)だったけど、それは同行者のお姉さまの多分元カレ?の
ドタキャンで回ってきたチケットだった。もし本人確認要るんだったらその席はあいたままになるの?
たいがいは大目にチケットとって、(倍くらい)良いほうの席をGET、のこったのは定額で開演前に誰かに買って貰ったり
あるいはあげたりでしたが。そうするとまぁそこそこ良い席はとれるよね。
チケとりにくくなったらもうどこにも行けないわ。デジタルよりこればかりはアナログのほうがいい。
そんなに先の予定、確実なんてことばはないもん。忙しいといきなりいけない、行けるようになったあるもん。
客が少ないからって土壇場でキャンセルっていうのは、やはりプロとしての意識が薄いと感じる。
足腰が弱っている人もいれば、すでに他界している人もいる。
今までどおり同じ数のファンが集まれると考えていることもおかしいと沢田研二は気づかないと行けない。
唄う本人は元気でも、周りが必ずついていけると思っている事がおかしい。
今回が最後の参加だった人がいたら、そりゃその人は気の毒って話だけの問題じゃないよ。
9000人入るのが7000人でも7000人ついてきてくれたんだよって思わないんだよな。
満員の客席相手に熱いスポットライトを浴びている時代はすでに終わっているんだよ。
これに対して「AKBはパフォーマンスのレベルが低いからダメだ!」とか言ってる人の言う「パフォーマンスのレベル」って一体どのようなものなの?
平昌オリンピック閉会式のEXOも口パクでグダグダのダンスだったんだけど?
https://nomunomu-korea.info/archives/5614
世界を席巻してるBTSも普通に口パクだしシャカリキダンスをすごい!とか言ってるなら欅坂の平手友梨奈を有り難がってるのと大差なくない?
perfumeみたいに振りが細かければいいの?
「AKBはジェンダー的な観点から批判されてるわけではないだろ」とか言ってる人もいるけど、BTSが秋元康との仕事ドタキャンしたとき、秋元康は女性蔑視的な価値観を広めてるからだ!とBTS無罪を叫びまくってる人山程いたよ?
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/09/23/145609
乃木坂がサッカーの試合の前にパフォーマンスしたら「売春婦」ってヤジられたり、48Gメンバーが紅白でセーラームーンの格好をしたら「AKBがセーラームーンを汚すな!」と自称フェミニストに叩かれたし、秋元康関連だったらどんなビジネス上あり得ないやり方で約束を反故にしても、理不尽に汚い言葉で叩いても許されると思ってる人たち大勢いて、その人らの投げる石って結局表に立ってるAKBの女の子らが一番ぶつけられてんだよね