はてなキーワード: テンプレートとは
きっかけはLightiningに上げようと色々調べてみたこと。
立ち上げる度にLightingの画面に切り替わって催促されるしw。
その中でこれはキツいな、受け入れられないな、と感じたのが下の2つ。
その1 差し込み印刷が出来ない。
Salesforceに限らず古いバージョンで出来てたことが出来なくなるのは
仕方ないのでテストも兼ねて弊社のプログラマーに頼んで作らせてみた。
DBの中身拾ってきてhtmlで整形する、という手法でやってみた。まあ出来るようにはなった。
なんだけどこの程度のことでわざわざプログラマーの手を煩わして
コーディングってのもちと違うよね。簡単に出来ることに手間かけるってのは本末転倒の極み。
おまけにAPI使うには追加費用が必要云々言ってきた。まあそういう価格体系なんだろうけどそもそも使ってた機能が
使えなくなったことが要因なのでこれには不満が残った。
お客様のライセンスでは開発のサポートは出来ません、みたいな連絡も頂いた。
これも正しいんだろうけど、たかが差し込み印刷を開発というのもどうなのかと?
簡単なことをわざわざ「開発」しないと出来ないことがむしろ問題なので。
日本人って帳票沢山使う民族なのでこれ出来なくて困ってる人沢山いるんじゃないかな。
プラグイン作ってるとこは儲かるかもしれないが。
が、なんと現行のナレッジベースとLightingの互換性がないらしい。
サポートに聞いてみると自分でローダー使って移してくださいと。出来ない場合は手で入力してくださいと。
何百件あるのを手で入力って言うのは簡単だけど現実的ではないよね。
が、そもそも同じソフト/サービスで新バージョンに移行するにあたって
あとそもそもローカルでそういう面倒なことやんなくていいのがクラウドのメリットだったはず。
データ自分で移行しなきゃいけないなら他のシステムにいくのと変わらないと、判断し
この時点で決心した。
それと今のライセンス(Professional)ではLightingに上げるとそもそもナレッジベース使えないらしい。
つまり新しいほういくとライセンスを上のグレードに上げる必要がある。
つまり、実質的な値上げなんだけど、どこにも値上げと唄ってない。
こういうやり方、手法を取ったとしたらそれはベンダー側の判断。こっちが決めることじゃないので。
が、いかにも後味悪い。遺恨を残す。なんだかなあと。
何故か怒りは全く湧いてこず一番良い手法を
早く見つけようという気になった。SFのサポートや営業を責めても仕方ないしね。
彼らは彼らの仕事を真面目にやってるだけなんで。実際一生懸命やってくれたし。
で、ZOHOのデモ版登録して色々試してみた。他のも色々見てみたけど
移行が簡単そうだったので。
途中引っかかる点もあったがサポートの力を借りながら全部のデータ無事に移行終了。
こちらで運用開始、そして今に至ってる。弊社はあんまり難しいことやってないからね。
カスタムオブジェクトがいくつかあるぐらい。あとはサブスクリプションの管理の項目がなかったので
予め作っておいた。
UIはそう言われても仕方ないと思う)、だったので中身よく似てる。
直ぐに使えるようになった。ぶっちゃけUIはこっちのほうが良いんじゃないかな。
あとコストの点も大きい。
SFはずっと1人会社の頃から使ってて、会社が大きくなって人数増えてもユーザーは小生一人だけだった。
が、この先新規事業でユーザー増えてくのでその前に移っておいてホント良かったかなと。
10年以上使ってたシステムを移行するの躊躇した時もあったがやってみると
思いの外簡単だった。色々弄ってると今は使ってないテンプレートとか
出てきてああ、こんなことやってたなあと、感慨深かった。
色々あったがSaleforceにはここで改めて礼を言っておこう。
普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。
没個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。
しかし。
先天的な発達障害(ASD、ADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ「普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初の約束と違ったことを言われたり、イレギュラーな要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。
その発達障害を20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。
確かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事を純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たちの価値観の型にはめていく教育方針だったことからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園や小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。
いわゆる「普通の子」との疎外感から、わたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。
死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康な子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。
そして小学校高学年からだんだんと学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科でカウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年は仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院を開拓するにも腰が重い))
高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値も部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄に論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生の保護者たちからはあまり好まれる子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通を否定された経験は後にも先にもないように思う。
その後その高校に入学し、不登校を経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しかし高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリでクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。
大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分の人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学に編入し、単位もまったりまったりと取りながらズルズルとマイペースで学生という身分を続けてしまっている。
20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手の感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人の価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間が無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))
この普通に適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去の記憶がフラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ。
だからこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分が友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneのアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間も無駄だなと思う。
結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。
エアポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。
ブーム起こしただけあって面白かった。でも「当時から読めばよかった!」という後悔はない。一気にこんな面白いもの読めて良かったなー、て感じ
モブらしいモブがなくて、というかモブと思ってた人間が結構凄かったりしてすごい。生きてる人間って感じする
キャラクターとしてはハンジが好き。知的欲求が強くてちょっとだけ暴走する事はあるけど、ちゃんとした理性があって集団内の立ち回りも考えられるのが良い。「クレイジー研究者キャラ」なよくあるテンプレートから味付けされてる
物語と方向性が二転三転してるのにちゃんと面白いすごい。モンスターパニックものアクションから推理から政治劇やら戦争ものやら何やらで全部まるっと魅力的だ
池江さんがオリンピック代表に内定してとのことで、おめでとうございます。
大病を患い、一年以上、競技を離れながら、強う意思と不断の努力によって競技に復帰するだけでなく日本にトップに返り咲くなど、多くの人に勇気と感動を与えてくれました。
と、テンプレートの祝辞を述べた後に本音を書きたいのだけど、僕は池江さんを応援できない。池江さんを応援できる人は、池江さんに自分自身を投影している人だけだと思う。
僕は冴えない社畜なので、オリンピック代表になれなかった候補者に自分自身を投影する。
池江さんに負けた選手は何も悪いことをしていない。オリンピック代表候補になれる人は、池江さんと同じくらい努力をしているはずだ。
彼女が病気と戦っている間もオリンピック出場を目指して、素人には想像もできないような辛い練習をしてきたのだと思う。
それが、一年間ブランクのある選手に抜かれてしまった。練習量だけいけば池江さんよりも圧倒的に多いのに。練習効率だって、科学的な練習が広まり、コーチや協会で共有されている現在、それほど違いはないと思う。むしろ「池江さんがいないから出場できた」などの下らない後ろ指を指されないために今まで以上に努力をしてきたのだろう。それなのに負けた。「努力する天才」には勝てなかった。負けた理由は「天賦の才」の違いだ。
オリンピックを開催に関する議論の中で無観客でやった方がよいとう議論がある。
この論陣を張る人は「選手はオリンピックに出るために数年間頑張っており、オリンピックに出て、メダルの色でその後の人生が変わるため」と主張する。
オリンピックが金メダルを目指して頑張っている人のためのものであるというのであれば、池江さんに負けた選手はここで既に人生が暗転してしまった(3年後のパリオリンピックを目指すという選択肢もあるが、年齢的に今年が最後の人もいただろう)
負けた選手は、何か悪いことをした訳ではない。同時代に「天才」がいた。
池江さんのオリンピック出場からわかることは「努力する天才」には勝てないということ。
努力すれば報われるとか努力すれば夢が叶う。とかは周りに「努力する天才」がいれば実態を伴わない空虚な言葉に早変わりする。
オリンピックが開催されるかどうかわからないが、開催されるなら池江さんには頑張ってほしい。池江さんが頑張ることで同じ病気の人で苦しんでいる人に頑張ろうと思う気力と勇気を与えることができるから。これは池江さんにしかできない。
結局やまもといちろうとか青識亜論が相手の場合もそうだけど自分の意見と食い違った場合って言論には言論使って戦うより
「あー…なるほど…わかったわかった。なんだ、君もそっち側だったんだね…」ってな感じでわかった風な顔しながら適当な言葉で相手をカテゴライズして差別主義者やら悪魔やらに仕立て上げた方が頭使わなくていいし楽だもんね。
アメリカなんかの場合はエリートリベラル様に異を唱えた時点で悪魔にされてガチで社会から干されるからみーんな多少「ん?」って思っても誰もが(というか主に公人、著名人)逆らえなくなって今の世相ができあがったんだろうな。
BLMの暴動や略奪への批判、 実際に各国で起こってる移民政策に関連した社会問題、防犯とブルカの関連。何人が議論を投げかけたその時点で差別主義者とされたか。
んで結局そんな極一部の上級がドヤ顔で作ってる歪な構造に皆が納得できるわけがないから歪みとしてトランプみたいなのが生まれるわけか。
現代のインターネットって俯瞰する高さを競い合うレスバトルになってる気がするわ。
ルールは簡単。できるだけ高いところから相手を俯瞰して、過去の類似の論破済み(と思ってる)クソコテを見つけ出して「○○の二番煎じ」と認定したり相手の言動や思想に名前をつけることができれば勝利。
はてなの左翼共はそういうテンプレート化した手法で相手を攻撃するのは慣れてるけど防御力は皆無だから
白饅頭みたいに「お前らリベラルはペラ1枚だけに書かれたペラッペラの差別してはいけない流行属性リストだけ見ながらドヤ顔してるだけでそれ以外の大多数の弱者は平気で差別も搾取もするし都合の悪いことはあーあー聞こえないで逃げるただの差別主義者のクソ野郎共。お前らが批判してる人種と同類。」って同じ手法ではっきりと直接的な言葉で批判を向けてくる奴にはめっぽう弱い。
なーんて相手の言ってる内容には突っ込まずふわっとした言葉で発狂するしかできなくなる。
マスクつけて目しか見えないのに可愛いと思って声かけちゃいましたテンプレートを心ここにあらず丸出しで喋るのはやめろ!
人様を勝手にやれるかやれないかでジャッジして声をかけるというクソ気持ち悪い行為してるという自覚がないだけならまだしももっとリスペクトの気持ちを持て。
お前のようなナンパ師にとってウォーミングアップ要員として重宝されがちだがマスクつけてる女に可愛いから声かけましたナンパをしてるやつが初対面の女性の心を開けるとは到底思えんぞ。
女性のことを性的な視点でしか見られない、もはやモノとしか思っていないお前はある意味で洗脳された社会の被害者だから(ホモソーシャルとかミソジニーとかうんぬん)今回は許すけどやるならもっと気合を入れてやれ。
ナンパについていく残念な女もこの洗脳社会の被害者(女性差別とかヘテロ至上主義とかうんぬんかんぬん)として存在してるにはしてるんだから、本当にやりたいなら頭使おうぜ、頭。
お前が頭弱いやれそうチョロそうと思って声をかける女にも脳みそついてるということを肝に銘じて欲しい。
ていうかナンパ自体本気で迷惑で気持ち悪いし、知らない男性に声をかけられるだけで恐怖を感じるのが女性ということを理解して即刻やめてほしい。
実際に私が友達(だと思っている女の子)から届いたメッセージは
「式から3年以内に離婚したらクーリングオフしてね!笑」だった。
何を言っているのか分からないまま、スマホを眺めていたら「送信取り消しされました」という通知が来た。
今でこそ至極世間一般に馴染んだような顔をして、朝起きてご飯を食べて化粧をして仕事に行く、というルーティンをこなしているけれど、たった三年前まで私は風俗嬢だった。
男を見る目が無かったと思う。
自分を大切にしてなかったと思う。
それでも、私は風俗嬢だったことを恥じてはないし後悔もしていない。
そんな風に生きていたから、友達に「またどうせろくな男じゃないんでしょ」と思われたり言われたり
「どうせすぐ別れるんでしょ」と思われたり言われたりするのは、もう多分どうしようもない。
過去は変えられないし変わらない。
それでも私は風俗嬢の自分を捨てて、ホス狂いだった自分も捨てて
そういう現在進行形の私の努力はガン無視で「どうせろくな男選んでないんだからすぐ離婚するよw」と鼻で笑われるのは、少し悲しい。
ろくでなしだった私を拾ってくれたのは顔も心も美しい二つ年上の旦那でした。
私が癇癪を起こしても、理不尽に怒っても泣いても辛抱強く支えてくれる人です。
私はいくらディスられても馬鹿にされてもいいから、旦那のことはきちんと見てほしいなって思うのはワガママですかね。
それとも私みたいなろくでなしが選んだ人だから、という理由で旦那まで馬鹿にされてしまうのは仕方が無いのでしょうか。
あーああ、悲しいなあ。悲しい。
悲しい通り越して虚無。
性同一性障害で起こるのは自(分と)他(世間)ともに認める面倒くさい症状です。
しかし、先人たちの努力と団結で特例法やらLGBTへの理解やらで大変生きやすい環境になってきています。
まずはそこに感謝を。
これを読んでいるあなたが理解のある方なのか、ご理解頂けない方なのか、はたまた同じ当事者なのかは存じ上げませんが、
当事者それぞれの世間の見え方には差異があるのだ、ということを伝えたいと思います。
上から目線だ、って意見がいくつかあったので言わせて頂きますが、私が真に上から目線であるならば、
「私は埋没して生活してるから埋没できてない当事者の問題なんてどうでもいいわw」になりますけど……
この増田を書いたのは、トランスジェンダー全体に対する問題提起のためであって、発信は私個人のものですが、
考えて欲しいのはみんなのことです。
意見しただけでボコボコに反論されるなら、私はもう黙ります。諦めます。
それでは、さようなら。
・年齢 20代半ば
・地方都市の外れ在住
・自身の性別への違和感は3歳頃から。ただし中性寄りなのか身体への嫌悪感はそこまでではなかった
・(というか幼稚園児になるまで幼なじみ(女の子ばっかり)以外の友達がいなかったために自分が変なんだという認識が薄かったと思われる)
・どれほどパスできているかは知らないけど少なくとも男性扱いはされない感じ
-プロフィールここまで-
雑な箇条書きでのお目汚し失礼しました。
さて、本題に入ろうと思いますが、
冒頭にも書きましたが、今は昔に比べて性同一性障害(以下GID)の当事者が生きやすい世の中になりつつあります。
それと共に、芸能人などの有名人が当事者であった、というようなGIDに関する情報も手に入りやすくなりました。
しかしその反面、ネットで軽々しく「自分はGIDかも知れない」と発言する人が増えてきているように思います。
その発言についての根拠として書かれる内容も大体がテンプレート的なものばかりで、ネットで調べれば書ける程度の悩みしか挙げてないというか、
自己体験に基づいた具体的な事例については何も書かれていない事が多いです。
例として挙げるなら、
という項目がとても多いので目につきます。
それを見て、
アホなんですか?
と私は思います。
お前脚出るんだぞ?しかもめっちゃ冷えるぞ??そんなん恥ずかしくて履けるかー!というタイプなので(全く履かない訳ではないですが)、
スカートを履きたい、という理由を根拠にされるのはなんか違う気がして。
制服ぐらい衣装だと割り切って着れないのかなぁ、というのが本音です。6年間だけだし。
逆にそこまでスカートにこだわるなら校則破ってでも自分が思う方で学校側とぶつかればよい、とさえ思えます。
次に、そもそも先程書いた「軽々しく」名乗る方々が爆増していることについてです。
主に2種類の方がいて、
A.「ネットで〇〇さん/くんが性同一性障害だって言ってて自分もそうだと思うんですけど」パターンと、
B.「男/女だと思って生きてきたけどやっぱり違うような気がするんですけど」パターンです。
前者は10代(特に女子)に多く、後者は40〜50代ぐらいの方がほとんどかと思われます。
何故かと言いますと、GIDの治療ってかなりのハイリスクローリターンだからです。
魔法のお薬飲めば自分の頭に合った身体にチェンジ!ではないんですよね現実。そんなに都合がいいわけがない。
まずホルモン治療。始めるにも承認が要りますし、始めたところで身体には小さくない負担がかかります。お金も当然かかります。
個人輸入だとか闇医者まがいのクリニックだとかもあるにはありますが、
血液検査もせずにそんなことするのはダイナミック自殺行為に他なりません。
悲しいことにホルモン製剤、効きには個人差があるので(当たり前)、見た目変わってなくても身体がボロボロになってしまっている可能性もあるわけです。最悪死ぬかも知れない。
だから治療に要るのは踏み切る勇気じゃなくて人生に責任を持つ意思なんです。
身体の性が嫌だから、反対の性になりたいからってだけで性別移行に踏み切ると、きっとどこかで後悔することになります。
シスジェンダーの方々のGIDに対する知識も万全ではありませんので、変なところで勘違いされて「当事者はああなんだ」と思われたまま実際の当事者へその間違った知識をぶつけられた日には貰い事故もいいところです。
今更ながらすごい読みにくいですね上の文章。
なので要約しますと、
A.パターンの人たちへ
-この先めっちゃお金かかるし身体は壊すし子どもも作れなくなるし成功する保証もなしでデメリットの方が多いくらい、最悪人生終わるかも〜☆だけどそれでも良いの?
多分良くないよね。だよね。あなたのは恐らく思春期特有の心の揺らぎです。大人になるまでの辛抱です。他にも辛いこともあるかもだけど頑張るしかないっす。がんばれ。
B.パターンの人たちへ
-大方私より遥かに年上の先生なのだから辛辣に言わせてもらいますね。
今から当事者? 甘えないでほしい。特例法が施行されてから何年経ってんの??
環境が〜時代が〜って言い訳ばっかりするのもやめてほしい。基本的に死ぬ気で頑張れば打破できない環境なんてない。しかも今や令和。何で今になって言い始めるの?
この際あなた方が本物かどうかとかは置いといて、中途半端に性別移行するのやめて貰えます? そんな歳で始めても十中八九悲惨な結果にしかならないし、ほんと迷惑です。
その歳になるまで耐えられた程度の違和感なら服装ぐらいに留めて、治療はしない方が良いです。お身体にも障りますし、大人しく生きた方がいいと思います。
何でこんなにキツく言うと思います? 私は環境に流されるまま生きてるくせに既得権益だけを主張するタイプの人間が大っ嫌いだからです。呪うなら己の長年の怠け癖を呪ってください。悪しからず。
ということです。
数々のデメリットを抱えてでも自分らしく生きたいという願いのもと、
「私はそうだ、お前は違う」というような区別するための文章を書くと、差別だなんだと言われるかも知れませんが、それでも構いません。じゃないと実害出ますから。
勘違いしないでほしいところですが、私は甘えからGID=性同一性障害を名乗る偽者に対して怒ってるだけであって、
GID以外のトランスジェンダーの方々については全く何とも思いません。むしろ意思を貫き通してる感じがして好感が持てるぐらいです。
というか、そもそも当事者に対するミーム汚染の原因の根底にはシスジェンダー側の差別意識もあるんですけれどね。
みんなそれぞれの都合で生きてますから、やっぱりどこかでぶつかっちゃうんでしょうね。GID当事者も迷惑かけまくってますし。ほんとごめんなさいでありがとうです。
私は性別適合手術をしていなければ公衆浴場に希望の性で入るのはおかしいと思うし、
じゃないと余計に偽当事者メイドイン勘違いさんが増えてしまいます。
というか戸籍の性別変更って「身体的違和感を軽減するために手術→手術後の見た目との齟齬をなくすために戸籍の性別も変更」って流れですからね。
日本の特例法は戸籍の性別を変えるためには手術しろって言ってる訳じゃありません。
確かにこのエントリーには私個人の主観的な意見が多分に含まれていると思います。
性別が男女だけの二元論でスパッと分類できるものだとも思っていません。
書きたかったのは、
変身願望のある人に「性同一性障害」を都合良く言い訳に使って欲しくないんです、というのが本質です。
困るのは、その本人は本気で思ってるのかも知れない、というところで、
そこで、です。
実は最近、客観的に性自認を評価する方法が試されつつあります。
詳しいことは話せませんが、簡単なテストを行う事で無意識上の性別の認識を確認することができるようです。
(あくまで目安ですが)
男なんだけどさ、結婚式挙げようとしていくつかの式場やイベント行ってるんだけど
うちのカップルはどちらかというと俺のほうが結婚式に憧れがあって、
花嫁たるパートナーの方はお金がかかるといってあまり乗り気じゃない。
だけど相談会でいろんな式場のブース回ってもほぼ全てのプランナーさんは
基本女性の方にアッピールする。(目線が基本新婦の方を向いてる)
あとは、式場が契約しているドレスメーカーはバリエーション豊富なのに、
結婚(式)は2人で挙げるものなのに、そこに新郎は不在なのです。
なんだろな、gender equality考えるなら結婚式=ハナヨメという
テンプレートを外してほしいんだよね。
これ男女逆だったらそれなりに問題になりうるよね。
とはいえ世の殆どのカップルは女性側が結婚式の主導権を握るんだろうから
商業的には正しいのだろうけど。
もっといえば、ヒアリングシートとかも書かされるんだけど新郎・新婦前提なんだよね。
これも同性愛カップルの事考えたらあんまりよろしくないよなあと思いながら
なんだよ、さんざん金かかるから挙げたくないんだよねとか言いつつ、ノリノリじゃん。
ポリコレポリコレっていうけど、結局同和と同じで過激に批判するやつがいるから触れないでおこうってなっていくんかね。
不可触民の概念はもはや消滅に等しく、書籍からも抹消されたがために一般人では説明も難しいだろう。
あとは乱立しているモニュメントが破壊されれば…だとおもうが、あれで飯をくってるやつが最後の障害なわけだ。
ただ、ポリコレはどうなるのかな?
作られた身分制度は一定の知能に寄生して広まったものだけども、男女というのは自然発生的であるし、同性から性的に迫られる嫌悪というのも根源的感情だろうし、これを「普通のあるべき」にとらえろというのは高い知能と規範が求められるはずだ。
カジュアル面談で就活生から晒しあげられた会社があった。そこまで偉くないにせよ、同じようにweb系でカジュアル面談に対応してる身としては一番恐れていることで、自分じゃ無くて良かったというのが正直な感想だ。
私自身はカジュアル面談で就活生の皆さんが不快な思いをしないように常に当たり障りのないことしか言わないようにしている。相手を否定せず、本音で評価を伝えるようなことはしない。会社の内情もオブラートに包んで伝えるし、同業他社の話も友人がいて詳しくても絶対に話さない。
たまに困るのがフィードバックが欲しいという就活生。あらかじめ用意している「自分が学生の頃よりもすごい」というテンプレートをアレンジして伝えているが、これが正解かよく分からない。
人事からどう思われるかは知らないが、縁のない人から恨みを買ったり、トラブルに巻き込まれるのは嫌だ。カジュアル面談ではいい気分になってもらうのをゴールにしている。だから、とても疲れる。これは仕事だ、給料をもらってるんだと強く意識してニコニコすることにしている。
就活生の皆さんは、こういう実態を知ってカジュアル面談をするのを断ってほしい。カジュアル面談なんて採用には関係ないんで、普通に応募すれば大丈夫。お互いの時間の無駄はやめよう。
増田ランキングありがとうございます。楽しくよみました。
個人的に2020年で振り返って、あの増田良かったな、と思うものが幾つかあったので書き残します。
余談ですが、個人的なランキング内のイチオシは「防犯カメラの死角を必死で探したことがある」、「 新調したエアコンのIoT機能で、家庭に(勝手に)不穏な空気が ※追記」です。入ってて嬉しい。
早速本題に入ります。こちらはブクマ数が多めなので、ランキングに入れてほしい。
定期的(?)に投稿されるテンポの良い自炊エントリの一つ。一方的にピザの美味しさ、効率の良さ、世間体の良さを迷いのない誇張表現と併せてガツガツ押し付けてくる。出鱈目のようで、一般的な家庭料理との差別化がしっかりされてることや、なにより増田自身が、住む場所までピザに狂わされているのが妙な説得力に繋がっている。本当に読んでて楽しい。
「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」に行った女の手記
新型コロナの集団感染が舞台で発生した時期に出てきた増田。イベントに行った幸福感と後悔、その心境が細かく書かれていて読み応えがある。どうしてコロナ感染のリスクと推しイベント参加を天秤にかけられるのか?という疑問がこれを読むとちょっと理解しやすくなる。特に日記最後の
で上手く言えないんだけど納得した。
フットワークだけは軽い親に辟易する増田の状態が、文章でそれなりに伝わってくる。という内容もあるが、それに加えて「親が後先考えずに出かけて案の定やらかして帰ってくる」テンプレートとして上手くできすぎてて面白かった。改変した増田の アフガニスタンに丸腰で行った母が許せない も併せて読んでほしい。
3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会..
3年前の増田が書いた増田に対する返信増田。遺書の内容を考えていた3年前から、2020年のクリスマスまでなんとか生き抜いたことを褒めたたえている。特別感はなくとも、あの時よりは進んでいる、何かが積み重なっているんだという内容をクリスマスの夜に書きしたためるのが素敵。忘れがちだけど増田は日記であるので、こういう過去の自分を祝福する内容こそ王道ではないかと思っている。
ランキングの基準がブクマ数なので、これらはランキング圏外だと思いますが、増田文学といったら推したいのがいくつかあるので列挙します。
どこからか腐った肉の臭いがする。 臭い。と帰宅した妻に言われてキッチン..
なんだか危険な雰囲気で始まる増田。異臭の原因は読み手が思うよりはるかにあっけないが、この異臭のように気付かないうちに何かが腐り始めてはいないかという示唆に、なんとも言えない読後感。緊急事態宣言下の鬱屈とした時期に投下されたのも含めて、「緊急感はないが焦りはある」雰囲気が滲み出ているような増田。
足立区が時事ニュースで注目された時期に投下された増田。こちらはちょっとSFチック。不条理に決められたルール下のもとで、営まれる学生生活の一片がなぜ「滅びた日」なのか、考えるとちょっと楽しい。(百合には詳しくないので詳しい人の感想が読みたい)
増田には時事ネタとSFを絡ませた創作を行う人が一定数いるようで、度々こういうものに巡り合える。一昨年では 消費税2045 が良かった。
増田では漏らし報告が伝統芸のように扱われているが、この増田はまさに2020年のそれといって過言ではないと思う。先に言うとこの増田は結局漏らしていないが、その焦燥感たるや物凄く、文章を読んでいるだけでそれが伝染する。高速道路上で起きた車のトラブルが全ての発端であるが、それよりもじわじわと着実に距離を詰めてくる便意との戦いこそが真のトラブルであると、なぜか錯覚してしまう。そんな緊迫感MAXな増田。なお間に合ったあとのスピードダウン、ハッピーエンド感も捨てがたい。
この程度でも600万は稼げるという夢を持つか、こんなのでもちょっと何かが違うだけで600万稼げるか否かが分かれてしまう業界に闇を感じるか、600万程度で何ドヤってるの?と思うかはご自由にどうぞ(外資系ってもっと稼げるの?)。
歳は30台前半。学部卒。BtoB向けのパッケージ製品の開発プロジェクトで、設計、コーディング、テストあたりを担当している。仕様について発注元との折衝もやっている。
業務で使う技術のうち、自分自身がそれなりに習得しているものだけを書く。プライベートでしか習得・使用していない技術は別。
以上。
PythonもgitもDockerもkubernetesもAnsibleもCIツールもAWSもGCPもRuby on Railsも知らなくてもなんとかなってしまっている。業務でこれらのスキルを要求されることは(今のところは)ないから。
楽でいいと思う一方、このままだと将来ヤバいとも思っている。いざ転職となったときに詰みそう。
でもいざとなったらググっていくらでも独学できるだろうとたかをくくっているので焦ってはいない。
というか「その他」のところに書いた能力が高ければ世の中大体はなんとかなるんじゃないの。知らんけど。
ちなみに自分は構築できないというだけで、プロジェクトではJenkinsとかgradleとかbabelだかwebpackだかでビルド環境は整えられている。
あとプライベートで、単純な仕様の独自言語のコンパイラフロントエンドをC++とLLVMで作っている(これで金が稼げるとは微塵も思っておらず、完全にただの趣味)。
大変に使いづらいソフトであるが,年に1度しか使わないので,なんとなく使い続けている。
対応OS拡張モジュールもwin7アプデ時→win10アプデ時と2回購入した。
筆王ZEROは実体は独立したソフトではなく,その年の筆王の最新バージョンにアップデートされる。
なので年に1度の使用のたびにアップデーターが動くことになるわけだが,今年はアップデート後にエラーでドはまりしたので,記録を残しておく。
いざ年賀状を作ろうと筆王ZEROを起動したら,アップデートが始まった。
アプデ後起動すると,テンプレートが開けないとか,そのようなエラーで新たなデザインが作れない。
これでは用をなさない。
こういうときはクリーンインストールである。
https://www.sourcenext.com/support/fudeoh/zero_latest.html
ここからダウンロードできるが,筆王ver.19相当なので,即座にアップデートが必要である。
しかし,今年追加されたテンプレートファイルらしきものがWindowsDefenderからトロイの木馬認定されてしまう。
悪さをする要素がなさそうなので,リアルタイム検索を切っておくことが必要である。
その後,ここからアップデーターをダウンロードして,最新(筆王ver.25相当)にアップデート
昨日のM-1で、マヂカルラブリーはアホみたいな床滑りで優勝した。
これで世間は脳筋の野田クリスタルが考えたギャグマンガ日和漫才、動きだけが面白いしゃべらない漫才が評価されたと思うだろうし、これからもそのイメージが付き纏うのだと思う。
しかし、彼らの真骨頂は、実は高学歴芸人の村上と、学歴の代わりに芸歴を積むことにした野田クリスタルが織りなす、知的なしゃべくり漫才的な会話にある。
大宮の劇場では漫才の合間に、彼らのトークライブが開かれているし、ラジオでの彼らの会話は漫才に遥に勝る。
彼らの会話は普段からしゃべくりであり、トークライブやラジオでなんと1, 2時間単位の漫才をやっている(かのように聞こえる)。
最近野田クリスタルがテレビ前で喋るようになったので、記者会見やひな壇で村上が沈黙していることが多いが、マヂカルラブリーの会話の面白さはこの村上が握っている。
野田クリスタルの天才的なイメージ先行の発想を、ロジカルシンカーの村上が文脈を補いながら野田に説明させ、笑いに誘導する。
ツッコミは視聴者の代弁者である。村上の正確で鋭く賢いツッコミは一般人を代弁するだけでなく、聴いている者の知的レベルを引き上げ、どうしようもなく気持ちよくさせるのである。
しかも誘導されたかと思えば、なぜか唐突に野田クリスタルに振り回され、ちゃぶ台を返され、最終的には彼らの漫才を見ているように「馬鹿馬鹿しくて最高に面白い」に帰着する。
この人たちはM-1で世間に知られて、もう一度別の形でも売れるのだと思う。
自分は関西人で、中川家のような正統派漫才が好きだし、M-1では芸術作品かと思えるような新しいしゃべくり漫才のテンプレートが生まれることを望むんでいるので、マヂカルラブリーの優勝は予想だにしていなかった。
売れるとすればラジオ芸人や劇場や営業で評価される芸人として売れるのだろう、彼らの会話を体現したこの難しい形の漫才は大衆には理解されないだろう、と思っていた。
事実、漫才ではない面白くないと石を投げられ、まだまだ世間からの怒られが発生している。
まあこれでいいのだと思う。定義とか堅苦しいことをを考える前に、ストレスフルな今は「漫才かどうかはわからんが、死ぬほど笑った」が必要で、彼らはこれに答えた。