はてなキーワード: テンプレートとは
キャラクターの人格って言葉は、主観的な領域が含まれるのは確かなんだけど、簡単な例としてはそこら辺のWebサイトの「お問い合わせ」ボタンのアイコンに、長髪(かつポニーテールだったりする)20代女性っぽいイラストが使われていたりするだろ?これはその女性イラストに物語性はなくて、「電話オペレーターっていうと若い女かな」みたいな、テンプレートイメージとしての姿形だけがあるわけ。別にこれ自体が悪ということではないけど。
こんな感じで、さらに露悪的に考えていくと、若ぇ女は笑顔で愛想振りまいて乳揺らしときゃいいんだ、キャラクター性も物語性も特にない、アイコニックな存在としての女性キャラ置いとけ、みたいなクリエイティブもあり得る。人の目や耳を引くことはできるだろう。
苦痛過ぎて読めなかったが、これは世界おじさんブログ遺産に認定し、後世まで残すべき文書。
自分は今38歳だが、今後こんな文書を絶対に書かないように気を付けたい。
と思ったが、Twitterで「躁鬱の躁の状態で、冷静さを欠いているのでは?」と指摘があった。確かにそうかもしれない。
それにしても読むのが辛い。
http://hants.livedoor.biz/archives/52184019.html
本当は何も言わないつもりだったんです。
なんかカッコ悪いじゃないですかー
「この件は、これこれしかじかでーー」とか、なんか言い訳してるみたいで。
なので僕もいろいろ変だな?と思うところはあるけど、じっと黙ってようかと思ってたんですね。梅澤さんがそう思うならそれでいい、的な。
相手が男だったらまた違っただろうけど、女性なんで、男はじっとするものだと。
でも、同じ質問をいくつかのテレビやネットニュース屋さんからされるのもあって、面倒になってきちゃった。
どこかにテンプレートみたいなものを置いて、聞かれたら、「ここを参照してね!」みたいな場所があったほうが楽かな、と。。
で、その場所をですね、いろいろ考えてたんですね。
じっと黙って黙って、最後の最後でどこかの週刊誌に載せたら、けっこうギャラも貰えるんじゃないかという気持ちもありました(ていうかとても大きかったwww)
が、朝のテレビ朝日「グッドモーニング」を見て(実際にはリアルで見れなかったので、ネットで見つけた)、自分が話した内容と、実際にまとめられた文章が、やっぱりなんか違う。そこじゃないんだよなー、みたいな。。
その時、気づいたのが、結局、週刊誌に載せるにしても、編集者さんのバイアスがかかり、僕は単に不思議だな?という話を言いたいだけなのに、
たぶん週刊誌は売上UPのために「フードジャーナリスト徹底反論!!」とかなんとか、ぜんぜんそんな事を思ってないのに、あおる見出しをつけちゃったりなんかしちゃったりするので、やっぱ、信用できない 笑
となると、お金とかを考えずに、純粋に自分のブログに載せておけばいいかな、と。
でも、書こうと思った本当の理由は、数名のとても親しい友人に同じことを言われたんです。
「ラーメン評論家が怒られてるけど、今、はんつ遠藤がきちんと何か言わないと、他のラーメン評論家に迷惑がかかるだろ!!」
あーー、その視点は全くありませんでした。
これ、余談ですが、僕、ラーメン評論家じゃなくてフードジャーナリストなんです。。
Mi11 liteがつい最近のアップデートでゲーム処理もちゃんとできるようになったのに、この報道。
中国製の携帯電話に検閲機能、リトアニア政府が不買・処分を勧告
https://jp.reuters.com/article/lithuania-china-xiaomi-idJPKBN2GI0FG
で、度々ネトウヨから「売国奴」と罵られた時に「日本を愛しているからこそ苦言を呈している」と主張してきた我らが愛国者のはてなー諸氏諸君は、もちろん日本製で諸々を揃えているよな?
ワイはちゃんと揃えているぞ!! 以下その一覧。
- Wikipedia→コトバンク・ニコ百・pixiv大百科・@wiki
- クラウド→TeraCLOUD
- 机→オカムラ
- 服→UNITED TOKYO、NARU
- 布団→エアウィーヴ
こうやって書き出してみると、意外と日本製で揃えようと思えばできてしまう。たぶん、アメリカや中国を除いた他の国ではここまで揃えることは難しいと思う。韓国とかで揃えられる!っていう人はぜひ書き並べてほしい。
もちろん、愛国心を除いたコスパは確かに低いんだが、余剰コストはせいぜい100~200万程度。数百万で愛国心の証明が買えると思えば安くないか?
なに、そんなにオカルティックな話じゃない。
暇つぶしに聞いていってくれ。
まずは呪いをかける前の心構えだ。
これを誤ったり揺らいだりすると自分の呪いに飲まれることになる。
呪いをかける相手に個人的な感情を抱いてはいけない。友情や愛情などは以ての外だが恨みや嫌悪等の負の感情を抱くこともだめだ。
これが一番難しい。
まあ、だからこそ呪いの代行が職業として成り立ってきた歴史がある。呪術師とクライアントの関係は無責任極まりない関係だ。そこに私怨は発生しない。
では本題。
呪いのかけ方だが、その前にもう一つ、呪いの本質について話そう。
呪いは、広義的な意味では人と人の関係のこと。人間感の関係性や言葉などによる契約、もしくは態度や空気感によって相手の精神を思い通りに変化させる技だ。
「冷蔵庫にあるプリンは明日まで食べないでおいてね」とあなたがあなたの家族に伝えたとする。この時点であなたは家族に対して呪いをかけたことになる。
ただ、自覚的でない呪いは多くの場合強力な呪いとしては成立し得ないだろう。更に言うならばこの約束においてあなたは個人的な感情を抱いてしまっている。
約束を違えてプリンを家族に食べられてしまった場合、あなたは悲しみ?怒り?どちらにしろ負の感情を発露させることとなる。
あなたはあなたがかけた呪いによってあなた自身の感情を左右されてしまうことになる。これは呪いをかけるにあたって最も避けなければならない失敗を犯し、呪いにのまれてしまったということだ。
なぜ呪いをかけるにあたって個人的な感情を抱いてはいけないのかも理解できたと思う。
何度もいうが、強力な呪いをかけるには人間的な感情を一時的に捨て去る必要がある。
それを避けたいならば無関係の他人、それこそスペシャリストである呪術師に頼むのがいいだろう。
呪いのかけ方は千差万別だ。しかしやりやすい方法というのも、ある。
重要なのは、もっともらしい理由を相手に想像させること、自発的な行動を促すこと、反復してそれを定着させることだ。
極端である必要はない。必ず目を見て話す、逆に絶対に目を合わせないで話す、毎日相手に肩を触るなどのスキンシップを取るなど。
呪いの扱いに慣れてきたら規模を大きくしてみる。SNSの捨てアカウントでリプライを送りつづける、など。いかにも呪いっぽいもので言うならば(犯罪だが)虫の死骸をポストに毎日入れるとか。
相手の思考がどのような方向に向くか、相手のことを根気よく観察しながら常に影響を考えてアクションを起こし続ける。
まあ、これはわかりやすく言っただけのものだ。プロはここまで露骨なやり方を取らない。
テンプレートであなたが想像する呪術師であるならば、得体のしれない宗教というツールを使ってクライアントを媒体としてターゲットに呪いをかけるというパターンが多いだろう。
呪術師なんていう胡散臭いものに頼るのはそれを頼るくらいに胡散臭いものを信じている人だ。儀式という手続きを経ることでクライアントは呪いがかかったものと認識する。
もちろん疑う気持ちも持っているだろうが無意識下でそれを信じることによる影響は出ている。これによってクライアントからターゲットへの態度の微妙な変化など様々な要因が組み合わさることによりターゲットに向けて呪いが帰着することになる。
ここまで読んでもらってわかる通り、強力で身近な対象に向けた呪いは素人にはハードルが高い。なんとか呪いをかけるところまでこぎ着けても呪い返しにあったり予測できない不正確な効果を制御できない可能性もある。
無責任な立場で、何かが起きても対処できる範囲でのみ試してほしい。
何度も繰り返して扱いがうまくなれば実生活にも応用できるだろう。
家計見直し中なので、一番際限なく使ってしまう同人サークル参加をどこまで切り詰められるか検討する。
・サークル参加費
・旅費
・無配ペーパー等の印刷費
やりたい装丁や印刷所の特性(自分はオンデマだが極力テカるのを避けたい)などがあるから、安い印刷所に固執しなくてもいい。逆に言えばこだわりがなければ値段重視で。
部数と単価の関係も難しい。単に出費を抑えるなら10部~20部刷ればいいが、頒布価格が跳ね上がる。(頒布価格は印刷費のカンパだから原価を割る必要はないと思う、個人的には)
かと言って部数を増やしても一時の出費が増える。会場で売れない今これが大問題だ。
印刷費はクレジットカード払いだが書店委託の売上が入るのは2ヵ月後、1ヵ月は赤字になるので他の大型出費が重なると借金する羽目になる。
会場だったら即日現金で手に入るわけだから、印刷費の支払いが来る前に口座に入れておける。
これを考えると通販しないのが最善だろう。通販は部数も読めないし、月を跨ぐと入金がさらに1ヵ月遅れる。
同人誌の感想はまず来ないものだが会場なら買いに来た人の表情が見れる。通販はそれがないので精神的なハイにもなれない。
会場分だけ刷れば印刷費は抑えられるだろう。
単価が厳しくなりそうな部数のときはページ数を増やすことだ。厚ければちょっと高くても気にならない。
もうこれはどうしようもない。固定費だ。
しいていえば1SPに収めることか。誰かと合同で割り勘というのもアリかも。
遠方を想定する。
切り詰めようとすれば安い夜行バスでいいが、もうそうも言っていられない歳になった。
それに帰りを夜行バスにするとどうしても夜まで暇だ。アフターなどの会食を断る口実としても新幹線指定席がいい。
これを当日朝にコンビニでやってしまうのが無駄遣いだ。家にプリンターがあるのだから宅配に入れるか自力搬入するのがよい。
ノベルティなんかも見込みの余剰金範囲内でやっているが、これだと常に火の車になってしまう。しかし毎度前回の余剰金からノベルティ作ると年末の確定申告で詰む可能性もあり。(冬コミ出てる人はこの辺すごいよなぁ)毎年再録作ろうかな。
無配やおまけ類はどうしても当日までにあれしたい!これも!となりがちなので、初めに予算立てるのがいいな。そういえば予算立てたことなかった。
一度荷物を減らすために布まで会場で捨てて帰ったことがあったので、そのあとまた準備しなければならず大変だった…。
今のところ必要なものは揃っているから問題ない。年末に金が余ってたら「新刊」とか「500円」とかのアクリルスタンド作ってもいいな。
Canonの同人誌支援サイトに値札やPOPのテンプレートがあって便利。大体直前にバタバタやってるけどいつも使うやつは暇だから作っとくか。
https://cweb.canon.jp/pixus/special/room/doujin/sample01.html
印刷所B:15840円(@528円)※早割最大
サークル参加費:6500円
ペーパー:インク代+紙代 5000円
遠征費含めて5万かー。
1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき
第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由に行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。
もちろん、ショックサーキット自体は第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団がロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。
だが第九話から続くトップジョイの物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから第十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである。
トップジョイが――シルバーキャッスルに好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測の比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。
第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。
これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイの本心だ。彼は本心でラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンとオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋に交流を楽しんでいる一方で。
同時に、九話ではトップジョイの過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガーである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイの根底にある。
彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットだけが理由ではない。もっと根底の、自分の存在そのものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである。
これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間に役割を与えられ、それに相応しいように設計・プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。
作中で、ロボットの意思や思考、心が人間にプログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボットが人間の赤ん坊と同じようにまっさらな状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間の意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である。
「トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボットの機能・性能は、つまりは製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格にプログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。
(製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)
だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格はチームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身の純粋さから、本来のスパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。
そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか。
人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか。
人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。
そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。
S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思や感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。
S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーのフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。
第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品」であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思や感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。
しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的なシルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。
S-XXXにも、心は存在した。
なぜS-XXXの製造者が「兵器」であるロボットに「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである。
もしかしたら「心」というものは、それは製造者の意図的なものではなく、自分で学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。
いずれにしても、例え人間にほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。
にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。
ロボットは、人間によって役割を定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである。
この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボットを役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。
一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。
僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットがスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。
しかし、である。一通り憎悪と煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。
ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。
僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。
頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。
月並みな言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間の幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。
そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚。人間とロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界。
第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。
それはつまり、人間もまたロボットと同じであることを意味する。
この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義を無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である。
しかし、完全に自由な人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師、学生、老人、若者、友人……そういった役割や立場を与えられ、家庭環境、ジェンダー、経済力、文化、時代、価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請で意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種のプログラミングである)。
真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己の存在意義を証明し続けることを要求される。
(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)
その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。
もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。
しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間の隠喩、象徴であると述べたそうだ。そして訳者の浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間の隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。
こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思や感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思や感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体的特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である。
と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボットを人間の象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。
これについては、象徴や隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)
「ディックにおいて、人間とアンドロイドの生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上の区別には関心がない。(中略)ディックの世界では、そもそも人間と機械、自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部』12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディックの社会思想」)
『アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間が自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味である。いかに彼らのルーツに薄ら寒い人間の欲望が渦巻き、彼らの意志が人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志で決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。
彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである。
前回
https://anond.hatelabo.jp/20210617075441
https://anond.hatelabo.jp/20210617192030
イベントが始まった。アプリのリリースから1周年記念ということで、例によってチケットの販売とイベントが始まっている。
チケットとは周回1回毎のアイテムドロップ率を上昇させる課金アイテムであり、ガチャとは違ってキャラクターの入手保証は存在せず使用タイミングは個人の自由に委ねられている。この事実によってゲーム中のキャラクターをいくら弱体化しようが「いや、キャラクターの弱体化とチケットは関係ありませんけど??」という立ち位置で返金を避けられる超画期的システムだ。
とはいえ因果関係が断絶されていてもユーザーの好感とは別の話で、毎度毎度不具合やナーフの度に申し訳程度の詫びチケが配られている。
バランスについては仕方ない。強すぎたら弱体化するのは当然。けれど今回やらかしたのは最速実装1日ナーフ告知。瑞麗というキャラが弱体化された。
前回の記事で「イベントが終わってから悠々自適にナーフすんなよハゲ」と言った立場ではあるのだが、さすがにイベント開始直前に実装して1日でナーフ宣言するようなキャラを実装するなよと言いたくなる。が、今回の主題はそこでは無い。そもそもこの運営はキャラクターの強弱を理解しているのか?
瑞麗は他の追随を許さない性能を持っていたから弱体化する……などと書かれているのだが、とてもそうとは思えない。
確かに瑞麗の持つ固有スキル『祈り』はこのゲームにおける必須スキルと言っても過言ではない。継戦能力を向上させる優秀なスキルであり、ネタパーティでもない限りはこのスキルを持ったキャラクターを採用する。そういう意味では他の追随を許さないのは間違いない。
しかしその場合他の追随を許さないのは『祈り』であって瑞麗ではない。他の祈り持ちである『アナ』の立ち位置が弱体化前の瑞麗によって危ぶまれたかというと絶対にそんな事はなかったはずだし、そうならないと言うことは他の追随を許さない瑞麗より強いアナの方が問題だ。もちろんアナを弱体化しろという話ではない。
強いから弱体化と言うのは構わないがあまりにも言い訳がゲームと乖離し過ぎている。とりあえずこれ言っとけばいいだろう、というようなバランス調整テンプレを他から持ってきたようにしか見えない。
以前からずっと思ってきた事だが、このゲームの運営はインディーズとメジャーの悪いとこ取りを目指してるのかとしか思えない程の悪手を繰り返す。他のインディーズゲームとのコラボ!と鳴り物入りで登場したスキルがあらゆる条件下で1ダメージになるというテストプレイ以前の動作確認すら行われていない疑惑どころか確証に近いレベルの根拠を生み出してしまった事もおかしいし、それが単なるかませにしか見えない程のバグが多発し、体調が悪かったですなどというあまりにもテンプレートな言い訳構文ですべての言論を封殺。公式アカウントと連結した個人アカウントで顧客のレビューに対する愚痴を連呼。
確かに世間でヒットしてるゲームの戦略は参考になるのだろうけど、参考にする所を間違えてません????あるいはインディーズだから叩かれにくいという世界のシステムを悪用しているのか?