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はてなキーワード: ツアーとは

2024-08-15

雪かき大変だからスポーツジム筋トレツアー営業したい

筋トレできるよ筋トレ

雪を数時間かけてどけると

翌朝倍以上に積もります

歓喜でしょう

2024-08-06

まだ幽霊見えるとかいうやついるの?令和だよ?

あなたの知らない世界とか廃墟ツアーとか霊能者スペシャルとかの番組が見なくなって久しい

そういうのが多かった時は「見える」だの「いる」だのおかしなやつ結構いた

アニメ見るんですはNG幽霊見えるんですはOK時代が30年くらい前には確かにあった

でもだんだん幽霊なんていないんだよwって常識が広まってきた今になって

当時幽霊見えてたやつらって今どうしてんだろうなって思う

部屋の隅指差して「いる!」とか騒いだ過去を思い出して顔真っ赤にしてるんだろうか

2024-08-04

東浩紀伝3

東は2018年12月18日ツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田代表就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうであるゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。

上田洋子の人生ゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアー通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表女性ということでフェミ批判をかわせる部分もあるようである2023年日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。

2020年新型コロナウイルス(COVID-19)が世界蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀コロナはしょぼいウイルス世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようであるアガンベンも生権力批判観点からコロナ対応批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。

2020年7月黒瀬陽平セクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ芸術校などもやっていた。

2020年10月19日シラスオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家不祥事新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベント相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。

2021年4月4日、オープンレター女性差別的な文化を脱するために 研究教育言論メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである東北学院大学准教授小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党衆議院議員本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラル連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生日没』と2020年代の「大衆検閲」」がある。

2021年9月29日、呉座は日文研提訴したが、これに加えて、2022年2月27日オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟提訴している。2021年12月に、草津町町長女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象であるツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。

この呉座が、シラスチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャー犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここから問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東である反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木チャンネル契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイ番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木ユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。

悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣安倍晋三統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党統一教会応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党統一教会関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言ネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。

2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。

「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それから安全運転を心がけているようであるしかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪汚職株式会社KADOKAWA会長角川歴彦逮捕起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役代表執行役社長CEO就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。

辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手構成担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分チャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信東京都知事選後日談中間重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである

現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代ネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャから考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネット政治的もので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代ネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代ネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。

時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田藤田こちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれから権力であり、内面に介入する規律訓練型権力過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である外山恒一キャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。

展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がん発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。

これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-30

anond:20240728195432

遊び方を忘れるほど頑張ったってことだな

まずは連休を利用して小旅行なんかおすすめ

鉄道でもいいしバスでもいい

どこ行くのか迷うんだったら地元バス会社でツアーを探してみるのも吉

増田も書いているけど運動もいいよ

若いうちは運動必要性を感じないだろうけど

40過ぎると運動習慣がない人は確実に検診に引っかかる

そこから運動習慣を作ろうと思ってもなかなか続かない

あとは命を扱うことになるから手放しでは勧められないがペット

今はペット家族として扱うのが普通から病気や万が一のときダメージ半端ないのでリスクは大

一人暮らしだと犬猫よりは鳥とか亀とかのほうがいいような気がする

お菓子作りもいいよ

実益を兼ねる

一人暮らしおっさん増田だがやることが多すぎて土日はおちおち寝てられない

友達は遠いので合うことはほぼないが忙しすぎて寂しいとかの感覚がない

でもそのお陰で毎日に張り合いがあるから悪くないと思う

まぁおっさんの言うことなんで3割ほどで受け取ってくれたら嬉しいわ

学がある旅行の対としてエモい旅行提案したい

学がない旅行は悲しいという趣旨のXの投稿を見た。旅先で見たものに思いを馳せずにただキレイだと思うしかできないからという理由らしい。

しかに言っていることは尤もに見える。

たとえば学がある人にとって姫路城は見た目の美しさのみならず、城が辿ってきた歴史の面でも格別である。他の城にも物語があり、それぞれが持つ物語が城を特別代替不可能ものに変える。一方で学がない人にとっては城なんて全部一緒に見える。木造か鉄筋コンクリかなんて知らないし、関ヶ原以前に建てられた城も昭和に建てられた城もいわれなきゃ気づかないし、わざわざ調べない。学がない姫路旅行は2つの観点から悲しい。姫路城が数百年の間に経験した災難を乗り越えていま自分の目の前に建っている。この感動を抜きにして姫路城をただのランドマークとして消費してしまうのは悲しいことこのうえない。それに、都内に住んでいる人がわざわざ、1時間に1本しかない東京駅姫路駅停車の「のぞみ号」を調べたり、日帰りで行くのは勿体ないから...とホテル複数サイト比較して安くて良いホテルを探したり、といったことをしても得られる喜びは東海道本線での日帰り旅行で行く熱海城と同程度だとしたら時間お金無駄である

まず第一観点は今回無視する。絵具をチューブから直接キャンバスの上に出したような現代抽象画について、どんなに説明を聞いても良いと思わない人がいるのと同じで、学と旅行を結びつけることに根本的に喜びを感じない人もいるかである。そのような人の存在を疑うなら修学旅行を思い出してみてほしい。団体行動の時間にはたいていの場合歴史の授業で最近習った場所に連れていかれる。それに、ツアーガイドさんの補足説明もある。しかし、帰りの新幹線の中で学がある旅行の感動について語り合っている人はいなかっただろう。

第二の観点についてもう少し拡大して考えたい。すなわち、同じに見えるのにわざわざ遠くの有名な観光地に行くことは時間お金無駄だ、という着眼点で「よく分からないけどキレイ観光地」にわざわざお金時間を余分にかけて行く人がそれなりにいるのはなぜか、ということを考察する。

まず、グループ旅行一人旅旅行タイプを分類する。

グループ旅行について考えるほうが簡単なので先にグループ旅行から考える。家族や友人と行く旅行は仲を深めたいだとか、近場での遊びよりも長く一緒に過ごしたいだとか、いろいろな理由があるが、そこの違いは無視する。身も蓋もない言い方で結論をまとめると、みんなでわざわざ遠くまで行くのは共通の思い出作りだ、ということになる。しかし、これでは「なぜ熱海城ではなくて姫路城でなければダメか」の答えになっていないので旅行でよく起こるイベントを丁寧に見ながら先の論題への回答とする。

旅行に関する出来事時系列でたどると初めには誰かが「旅行に行かないか」と言い出すことから始まる。旅行先は旅行幹事勝手に決めることもあれば、みんなが納得するように話し合いで決めることもある。「もしダーツ旅行先を選んだら、旅行先は決めたのではなくて勝手に決まったのではないか?」」という奇異な意見もあるかもしれないが、そのケースでも「ダーツ旅行先を決める」ということを決めている。そして、それぞれの決断にはなんらかの共通認識が必ずある。「みんな社会人になったかスケジュールコンパクトにしよう。で、その分ちょっと予算多めにしよう」だとか、「卒業旅行からせっかくだし海外に行こう」だとか、なんでもいいが何かしらの理由がある。そして、行きの新幹線(もちろん飛行機でもなんでも良い)に乗るタイミングでは必ずドラマが発生する。誰かが乗り遅れたらそれはずっと話のネタになる。誰も乗り遅れなかった場合、もし全員が旅慣れしてれば「みんなの深い知識経験のおかげで誰も遅れることがなかった。」と言えるし、旅慣れていない人がいれば「旅に慣れてないのに複雑な東京駅迷子にならなかったのは奇跡だ。旅行が楽しみだからみんな早めに家を出たのかもね。」とかなんらかの会話が生まれる。そして、目的地に着いたとき旅行に関する過去出来事がある特定景色ランドマークと結びつく。「新幹線に乗り遅れて一時はどうなるかと思ったけど、全員で一緒にこれが見れて良かったね。」とか、「幹事やっぱセンス良いわ~」とかといった具合だ。この瞬間に、「他の城との違いはわからないけど有名らしい姫路城」は「みんなで行った姫路城」になる。冒頭で言及したXの投稿では学がないと何を見ても同じようにキレイしか思えないとされていたが、自分エモいという言葉表現することを提言したい。エモいという言葉キレイという言葉よりも、汎用的でなんにでも使える。その言葉の広さがもつ暴力から攻撃の的とされている言葉だが、この広範さが旅行では逆に良い。旅行に行っていない人に「エモかった」と言っても旅先で見聞きした素晴らしいものは1mmも伝わらないが、むしろそのほうが旅行当事者だけにしかからない秘密合言葉のような効力をもつ。誰かといった旅行で、ここぞというタイミングで「エモいね」と言ってみてほしい。言われたほうは初めは意味がわからなくて首を傾げるかもしれないが、意図がわかれば「そうだね、エモいね。」と返してくれるだろう。もちろんどれだけ待っても意図理解されない可能性もあるのでタイミングと使う相手には注意していただきたい。「学がある旅行」は旅行の中にぽつりぽつりと学と実物が交差する点があって、そこに感動を覚えるといったニュアンスである自分解釈したが、タイトルで先に出していた「エモい旅行」のエモい、は形容詞であるため、旅行の全体にかかる。

学がある旅行以外での一人旅行も実はほぼ同じである。何かしらの理由があって旅行先を決めるし、旅行先に行くまでに何かしらのドラマがある。ひとつだけ違うと感じるのは、一人旅では共通の思い出を作る相手がいない代わり、その時の感情の一部をスナップショットのように観光地に釘付けして保存しておける点だ。たとえば、自分大学受験の直前にモチベーションを完全に失って、いつも通学に使っている電車の先の海が近い駅に行った。あの海を見ると受験プレッシャーから一周回って解放されて、燃え尽きるまで頑張った自分を全肯定した清々しさを今でも思い出す。あの頃にはエモいという単語すらなかったが、思い返すとあれもやはりエモい旅行だった。

蛇足だが、上記議論をもとにユースケースごとの個人的おすすめ旅行先の決め方をまとめる。

2024-07-27

小山田圭吾QJイジメ記事は当時からオカシイものだったよ

このオカシイというのは倫理的ものじゃなくて、コンテキスト的なおかしさのこと。端的に言うと「だせぇ陰キャ流行りの鬼畜系の真似をしてみたイキリ」だ。

https://anond.hatelabo.jp/20240724141703

最近で判り易い例で喩えると、石原伸晃報道ステーションに出て「ナマポゲット~」とか医療費削減の為に安楽死がいいとか言ってたヤツ。あれだ。

若しくは駅員の注意に弱そうな撮り鉄が細い声で暴言吐いてるのとか、江ノ電ニキに「金か?金なんだろ」と細い声を張り上げてるあれの同類

 

伸晃の場合ネットに触れるようになって良い年したオヤジネトウヨサイトに感化されてるのが明白で、当時としても「バカじゃねーのこいつ」と思った人は多かろう。特にネットをよく使う人なら文脈をよく知っているからおさらだ

から小山田QJ記事についても「バカじゃねーのこのダサ坊」という扱いであった。少なくとも神保町書泉ブックマート地下一階でQJ立ち読みした増田はそう思った。その理由を記す。

 

暴力コンテンツと不良文化

90年代少年マガジンは不良と暴力に全振りしていて、暴走族の抗争とか集団リンチして半殺し、不良同士の抗争で殺人、それへの復讐というようなマンガで埋め尽くされていた。

そうなると実際の不良文化にも影響は出てきて、どこそこの生意気な女を輪姦してやったぜとか友達の友達喧嘩相手の頭を執拗に殴って耳血が出て意識不明とか、そういう自慢が横行していたワケ。

自分暴力的だ、と云う以外に暴走族池袋チーマーなど暴力傷害殺人を犯した人間と繋がっている、というのが自慢になり得たワケだ。

 

鬼畜

同時に鬼畜系というコンテンツ流行ってたのだが、これは背後に外連味があるものだった。「夜想」とか「WAVE」とか「〇〇評論」とか、文化評論系のA5版雑誌流行していて、それらは外連味が溢れるサブカルものだったのだが、その雑誌群の編集者が興したのが鬼畜系だったのだ。

その代表人物自称中卒工員の精神障碍者村崎百郎は『夜想』などの編集者で、外連サブカルの中心に居る人物でもあった。後に自身精神異常者だとの嘘を恨まれた読者に殺される事になったが、相応しい最期と言えるかもしれない。

『危ない1号』の青山正明なども模試成績一位になった事がある元優等生であった。因みに青山ロリコンブーム仕掛人でもある。

 

鬼畜系はゴミ漁りによる個人情報漁り、麻薬精神世界(綺麗じゃない糞尿垂れ流しの方)、奇形趣味身体欠損、時代遅れになっていた新左翼セクト変態セックス特に獣姦など)を扱っていた。

だが、wikipediaの「鬼畜系」の項には過去変態春画や無残絵、宮武骸骨などが載っているように、「高尚な文脈」で関連付けがされうるもんである。それは単に良識人が目を逸らす悪趣味の羅列じゃなくて外連サブカル編集者達が興したブームであり計算されたものであったこと、それまでの文脈を踏まえていた事、それによって高尚な文脈の中で論じることが知的であるという文脈惹起されるからに他ならない。

 

単純暴力系と鬼畜系の中間路線

マガジンみたいな馬鹿向け暴力賛美と、知的に思われたいがそれは隠したい、自身個性的と思いたい馬鹿向け鬼畜系、二つの路線が同時に存在するとその中間路線活性化する事になる。

それで鬼畜系の中からドラッグタトゥーなどだけを特集したより実践的な雑誌群が刊行されるようになった。実践的というのは、実際にタトゥーを入れたり骸骨アクセサリをジャラジャラさせたり、アムステルダムで実際に飛びツアーをしたりという実際のファッションライフスタイルと結びついていたから。

こっちはワルだけどチーマー暴走族みたいなバカはやりたくない、或いはファッションワル向けだね。

 

小山田背伸び

さてそうすると今でいう陰キャとかオタクっていうのはこういうのに絡んでこないって事になる。鬼畜系とは親和性が高そうだが、なに分にもぶっ飛びすぎていて真似するのは難しい。

そんな中でクイックジャパン刊行されたのだ。

創刊号はよくあるサブカル雑誌という感じ。だが3号くらいから迷走をはじめるのである

芸能人インタビューを入れたり、オウム事件を扱ったり。芸能人記事を入れるのはメジャー路線化だ。多分1-2号が売れなかったのだろう。一方でオタク路線にも足を踏み込んでいた。その甲斐あって10号でエバンゲリオン特集が組まれてそれで話題になるのであった。

 

で、こういう迷走と試行錯誤の始まりに収録されたのが件の問題小山田インタビューだったワケだ。

そもそも小山田コーネリアス渋谷系に分類されるが、アンテナショップ役割タワーレコード渋谷店でもWAVE渋谷でも「渋谷系」の棚なんて無かった。商業主義HMVには渋谷系のコーナーがあったが、渋谷に来る若者には「渋谷系」なんて恥ずかしいものだったわけだなw(カヒミカリイやピチカートなどは除く)。

 

そんな渋谷系の彼がQJに登場して自慢したのが件の障碍者虐めであったワケ。

これはかなり見てられない。そもそもそんな良くない事をすでにメジャーデビューしてる小山田がわざわざいうのは自慢であって、鬼畜系や暴力標榜アピールだったのである

でもその内容は「学校での」「虐め」体験であった。

そもそもタトゥ入れまくりだの、悪趣味鬼畜系だのというのは、自分社会規範から外れている、反逆しているとのアピールが含まれている。そこで「学校での」「虐め」体験を語るというのは、学校というレールから外れずに来た子供のままで「デビュー」していないという事であって、かなり痛々しい、背伸びした陰キャ行為だ。いかにも悪ぶった陰キャの自慢という痛さに満ちている。

政治家のガキとして不自由なく育って齢50過ぎになってネットに触れて悪ぶってナマポゲット~」とか言ってた伸晃の痛さと相同である

 

共感羞恥

そういう訳でして、小山田発言は当時の悪趣味、反良識文脈を踏まえたものだったというのは確かにそう。

でもそこで学校での虐めを誇るというのは当時としても痛々しいし、背伸びしてそれかよというモンであって単に陰キャのイキリでしかない。実に恥ずかしい。

そしてそれが原因で後年に大舞台公職を解かれるに至っては自業自得の上にバカ屋上屋を架すと言った代物であり、撮り鉄江ノ電ニキ罵倒大会に伸晃(50代)が混じって「金だろ?ナマポゲット~」と一緒に叫んでるような恥ずかしさとバカ煮凝りの如しだと思うのである

2024-07-26

2024年7月25日 中畑大樹 50祭 syrup16g/tacica/peridots@spotify O-EST

忘れない内に書いた自分用健忘録なのでめちゃくちゃ読みにくいです。あとMCとか間違えてる可能性高いので読まれる時はあくまニュアンスとして読み流して下さい。

O-EST、初めて行ったけど整理番号で並ばずに只只デッキに人を集めて呼び出してくシステムすごいなと思った笑 並ぶ場所いから仕方ないんだろうけど、まあまあキャパ大きめでそのやり方出来るんだなぁ…と。

安定のマキさん側で待機。整理番号の割に前の方で見れたかも。最初tacicaからかと思ったけどperidotsからだった。転換の都合かな?

最初中畑さんが出てきて挨拶サポート以上、恋人未満でもあったやつ。ニコニコ笑顔可愛い〜!!「今日会場に来たけど中畑大樹ってこの人なんだ〜」って思った人の挙手制質問があった。答えにくい質問なので皆さん目を瞑ってねとの事でしたので私はきちんと瞑りました!笑 あと「同じぴったり50歳の方?」って質問もありました。私、50歳になってスタンディングのライブ耐えられるかな…無理かも…。答えを見た中畑さんの感想が「今手を挙げた方、私は忘れません!」ってので笑った。一旦中畑さんが捌けてからperidotsスタート

本当に久しぶりにperidotsライブで観た。高橋さん眼鏡かけてる以外は何一つ変わってなくてびっくりする。若過ぎんか…??あと見た目だけじゃなくて歌声も全く変わりなくて驚愕…。声質、声量、何一つ昔と変わらず素晴らしい歌声で感動…。歌が上手過ぎる…。あと周りが全員上手いので演奏自体も聴いていて楽しい。上手い演奏最高。大好きなリアカーライフワークが聴けて歓喜!!!ライフワーク、本当に良かった…。目を瞑って聴き入っててパッっと目を開けた時に後ろの大きな幕に描かれたへる氏が目に飛び込んでくるのシュール過ぎたけど笑 4×4と100%はこれぞバンド!って感じの演奏高橋さんの歌が掛け合ってめちゃくちゃカッコ良かった〜!個人的バンド演奏に鍵盤が入ってるの好きなので河野さんの音をめっちゃ耳で追ってしまった。真っ只中とエチュードも最高でした。

以外、ちょっとした感想MC覚書き。

·高橋さんがお誕生日おめでとう!って言ったらドラムセットから離れてきちんとステージ前まで来る中畑さん。高橋さん「初めて大樹ちゃんと会った時はぎんぎんのサングラスしてて…絶対仲良くなれないと思った笑」中畑さん「笑。俺が一方的に(高橋さんを)好きだった笑」

·高橋さんまさかまたシロップ対バン出来る時が来るとは思ってもなかったし、tacicaとはコロナから対バンしたいねって話してた」対バンってVOLAシロップのやつの話??でもあれって対バンって言うのか…?と色々考えたけど一番最近(でもないけど)でダイマスの日記スペシャルかな?どのライブの事だろ…?私が初めて高橋さんの歌を聴いたのはVOLAシロップ対バンの時だった。

·4×4の時だったかな?中畑さんのドラムソロ河野さんが中畑さんの肩を掴んでめっちゃ密着してたの可愛かった笑

·高橋さんが水を飲もうとして蓋?開けたらストロー刺さってて「こんなの初めて!」ってちょっとテンション上がってたら中畑さんが良かったねぇってぽやぽやボイスで返してて和む。

·久しぶりに観たperidots、本当に最高でした。めちゃくちゃ楽しかったし聴きたかった曲も聴けたので満足なんだけど強いて言うなら労働が聴けたら完璧だったなぁ…と思う。単純に聴きたかったので…笑 この感じの対バンならやると思ったんだけどなぁ。

最後セットリスト

1.時間旅行

2.真っ只中

3.エチュード

4.リアカー

5.4×4

6.100%

7.ライフワーク

tacicaぶっちゃけ詳しくないのであれだけど、歌も演奏も上手い。小西さんのベースめちゃくちゃ私が好きな感じのベースで聴いてて気持ち良かった。猪狩さんもギターも歌も上手くて(頭にえっちゃん旦那さんだぁって過るのは世代として仕方ないよね…!?)3ピースでこの演奏を聴いてしまってシロップの時、私大丈夫か…?と少し不安になる…笑 曲ほとんど知らなくて(人鳥哀歌は分かった)ファンの人に申し訳ないな…と思ってたら最後最後に私が大好きなアースコードが…!!音が鳴った瞬間めちゃくちゃはわ〜!!って喜びを表してしまった…笑 アースコード大好き過ぎる〜!!アウトロの部分で場違いに頭を振り乱すなど…。すみません…。

以下、ちょっとしたした感想MC覚書き。

·猪狩さん「初めて中畑さんにサポートしてもらったのは丁度10周年の時で…めちゃくちゃ曲を覚えてもらったんですけど笑 すごく緊張する〜って言ってたけどめちゃくちゃ楽しんでくれて…そこから10年経ちました。これからよろしくお願いします。また60祭の時呼んで下さい」

·猪狩さんにお誕生日おめでとうございますっていわれて今回もきちんとステージ前まで出てきて異様に猪狩さんに近付いて握手してた笑 小西さんとはハグしてて可愛かったな〜。

·猪狩さん「tacica史上、一番カッコイ中畑大樹をお見せしたいと思います

·猪狩さんが50祭Tシャツ小西さんがHELL-SEE Tシャツ着てくれてて嬉しい。愛だね。

·世代音楽だけあってめっちゃ耳馴染みが良かった。と言うか演奏が上手い…!!3ピースってこうあって欲しいって思う理想的演奏で一人一人がちゃん自分役割を担っててがっちりサウンドが出来上がってるのすごい…。割とさくっと終わってしまった感じがしたけど、調べたら結構曲数やってた。

セットリスト(Xで調べて参考にさせてもらってます)

1.鼈甲の手

2.アリゲーター

3.アロン

4.新曲

5.ハイライト

6.人鳥哀歌

7.アースコード

4月振りのシロップ五十嵐さん元気かな〜と考えている内にフロアが暗くなって割とすぐに五十嵐さんが出てきてビビる笑 髪の毛が伸びていた。個人的に思うに昨今のすごいサラサラの時って縮毛か髪質改善してると思うんだけど…??昔あんなにサラサラじゃなかったよね?むしろ何かバサバサした感じだったような…髪型もあるしあまり記憶ないけど少なくともあんサラサラの毛質じゃなかった気がする。マキさんはますます痩せたのでは…?とちょっと心配になる…。健康ならそれで良いんだけど…

·1曲目は新曲。この曲初めて聴いた気がする(私は記憶力が壊滅的なので違うかもだけど…)横断歩道を〜みたいな歌詞があって最後らへんファルセットで歌う部分があった。五十嵐さん昔から高い声に憧れがあるって言ってたけど今でもあるのかな?

·2曲目始まった瞬間「!?」ってなってしまった。私はソドシラソがめちゃくちゃ好きなので…。あと2曲目からとばしてくるの珍しいな〜と感じた。最後五十嵐さんのギターだけで歌うソドシラソ〜の所がアレンジしてあってカッコ良かったし歌に気合い入ってて胸が熱くなる。ライブだとピッチがめちゃくちゃ速いのも好きだしこの曲の中畑さんのドラムすごい好きなので聴けて嬉しい。ソロ結構しかったけどギリギリ持ちこたえた感じがした…。元々が難しいしね…。

·3曲目は天才天才定番セットリスト中でも上位に入るぐらい聴いてる気がする笑 あとはリアル(最近やらなくなったね)と落堕が上位。天才の入りでミスして(天才だったよね…?)「あー!!」みたいな声上げてた。天才中畑さんのドラムが激カッコ良いしマキさんのベースが本当…大好き…!!中畑さんが立って叩いてたのこの曲だっけ?違うっけ?もう記憶がない…。

·4曲目は(I can't) Change the world今日五十嵐さん声出てるな〜ってこの曲で思った。ギターソロも良かった…様な気がする…。この曲マキさんばっかり見ててマキさんの記憶しかない…笑

·5曲目は正常。最初少し演奏した所でミス?みたいな感じになってその流れで(演奏は完全には止まらなかったはず)もう一度最初からやり直すみたいな感じだったんだけど、これ五十嵐さんがミスしたのかな?マキさんにちょっとトラブル?と言うか何かあった感じもしたけど…。マキさん、ライブ始めの方から耳?をすごい気にしてて調子悪いのかな?と思ってたんだけどそれの影響…?実際はどうなのかは分からないが…。正常も五十嵐さんの歌がめちゃくちゃ良かった。あとこの曲のハイライト中畑さんのハモリ。そしてアウトロのマキさんのベースは何度聴いても興奮する。ヤバい(語彙力なし)

·6曲目は希望希望珍しいなって感じたけどそうでもないかも。何度も書くけど私は記憶力が壊滅的で全てを忘れていくので…。希望、美しい曲で大好きなんだけど音源だと結構音重ねてる感じだから完璧再現は難しいのかも…。何やかんや言ってるけど聴けて嬉しかった!!

·7曲目は落堕。中畑さんのドラムソロをマキさんが見守ってて途中ニコニコしてたの…良き…。ベースのヘッドで中畑さんを指して盛り上がるようにフロアを煽ってフロアテンションが上がってきて、五十嵐さんのギター入って更にうおー!!ってテンション上がってたらマキさんが手をクイクイ(もっと来いよ的なやつ)ってやってこれはもうテンションMAXに成らざる終えない!!ってフロアバキバキ盛り上がった後のマキさんの最高のスマイルしかと受け取りました…。その後のベースの入り方ね!!もうめっっっちゃカッコ良くてバカかい声で「カッコ良い!!!!」って言っちゃいました…。本当、口に出すつもりなかったのに勝手に口から出てきた…。そこからはもう頭ブンブンしまくって最高にテンション上がる!!「寝不足だって言ってんの!!」の所で何か違う事叫んでたけど何言ってたか私は全く聞き取れませんでした笑 本当に五十嵐さんの言ってる事全然聞き取れないんだよな…私。この曲でテンション上がらないのは無理な気がする。

·アンコール前に前の方に居た人が抜けてこの辺りから3列目ぐらいで観れた。近い。アンコール河野さんが入ってEverything is wonderful中畑さん「こんな時じゃないとこんなワガママ言えないから」五十嵐さん「緊張するぅ↑↑」リアルは実は河野さんが作りました!って言ってたけど、編曲担当してもらったんだっけ?この流れでリアルをやるかとおもいきややりませんとの事笑 この曲、めちゃくちゃ良かった!!!五十嵐さん歌に気合い入ってて声すごく出てたし河野さんが入った事で曲の完成度がぐんと上がってた。

·最後にこの曲をやって終わります云々言った後にガッツポーズみたいなの作って何か言ってたけど何言ってるのか一言も聞き取れなくて「??」って思ってたらフロアの反応も同じで、フロアから何の反応もない事に五十嵐さんが「あ、あれ?」って焦っていた…笑 皆が大好きな「り」で始まるやつですよって五十嵐さんが言うからリアルかと思ったらRebornでした笑 皆そんな好きな感じ…?いや、私も嫌いじゃないしライブでやるのも特に始動から特別感あって良いけど…この曲私の中では武道館で聴いて以来、その時の記憶から塗り替えられてないんだよね…。生還で聴いた時も感動したけど…やっぱあの武道館での光景の方が色々な意味で脳に植えついてると言う…。でもこの日聴いた時はすごく希望と美しさを感じてぐっときたし中畑さんが笑顔で叩いてたのにじーんとした。演奏終わってさっさと帰ろうとする五十嵐さんを見て河野さんもう一度紹介しなくて良いのか…?と思ってたら中畑さんがちゃんと紹介してて流石だなと思いました…笑

演奏終了後に中畑さんが挨拶で出てきて、河野さんがHAPPY Birthday to youを弾いて皆で歌う、そしてケーキが出てくる。この時の中畑さんの反応めちゃくちゃ可愛かったな〜。ぶっちゃけシロップファンになった時はこんな暖かい空気シロップが見れるなんて想像もしてなかった…!!こんな瞬間が来るんだなって胸熱でした…。出演者全員出てきて見てた(この時tacicaの2人が隅っこにいて年功序列を感じた笑)んだけど、ステージから出てこない五十嵐さんをマキさんがこっちおいでって感じで背中を(物理的に)押してくれて、五十嵐さんがステージに出てきたと思ったらめちゃくちゃ渋い顔してて本当に嫌なんだろうなぁ…と思って見てたらマキさんがそっと五十嵐さんの肩を抱いて前に来なってやってて…男前過ぎる…!!と言うかもう保護者の域に入っているのでは…?笑 多分五十嵐さんは歌ってる時以外で大勢の人の前に出るのが本当に嫌と言うか苦手なんだろうな…。色々な意味でこれぞ五十嵐隆って感じするけど。中畑さんの挨拶が終わって全員で写真撮りまーすってなって五十嵐さんもちゃんと入ってたけど撮り終わったら五十嵐さんがいの一番にその場から去っていきそれを見た中畑さんが笑ってて、こんなシロップが見れてる現実に泣きそうになった。

以下、ちょっとした感想MC覚書き。

·五十嵐さんの第一声「お待たせ!!」なの良かった。

曲を始めようとした所に中畑さんが「ちょっと待って!」っていそいそと準備してて和む。

·五十嵐さん「どぉですか…中畑君…こんなにもいっぱい…あなたの為だけに集まって…」

中畑さん「ここまで演奏してきて、割と皆こっち見てくれてるな〜て思ってたけど」

五十嵐さん「うん」

中畑さん「今、皆貴方しか見てません」

五十嵐さん「…人って不思議なもんで挙動不審ものを見ると見てしまうんですよ…普段見ないから…」

中畑さん「珍しいから笑」

中畑さん「我々出会って30年ぐらい経つけど」

五十嵐さん「うん」

中畑さん「ずっとあなた(五十嵐さん)のファンです」

フロア五十嵐さん(多分照れ隠し)「フゥ~↑↑↑」急に褒められて動揺してる五十嵐さん笑

五十嵐さん「ら、ラブ…。そう言えば誕生日にきたLINE木下君と中畑君(だけ)」「今年こんな風だと次、落差激しいから気を付けないと…(去年は五十嵐さんが沢山の人に祝ってもらったけど、今年はLINE2通で落差がすごかった的な話)」

·五十嵐さんがお水飲んだ時に喉に引っかかってゴホッって思いっきり咳き込んだ声がマイクに拾われてて何となく気まずい…。あと息切れも相変わらず拾われてた…。

·50祭はダイマスさんから提案で、キタダさんとがっちゃんに聞いたら出る出るって言ってくれて、他の二組も出るって言ってくれてき決まった。本当はボラだったり杉本恭一さん、北出菜奈ちゃんチリヌルヲワカ皆集まってやりたかったけど…色々調整もあって…今回は無理だったんですけどって話もしてた。

·最後挨拶の時、コウキperidots、光太郎さん、FIREさん、河野さん、tacicaの猪狩君、小西君、がっちゃんキタダさんって全員の名前呼んでる時、五十嵐さんを自然がっちゃんって呼んでるの個人的ほっこりした。

·少し弾き出してからチューニングが気になりやり直す五十嵐さん。「ちょっとチューニングを…ピッキングが強すぎるんだってヤバイよね。一生上手くならないやつ!」中畑さん「はははっ!」五十嵐さん「死ぬまで上手くならない…笑」ピッキングが強すぎる話してる時フロアがああ〜って納得してるの笑った。私もああ〜って思ったけど笑

·落堕の時に何か五十嵐さんが言ってた様な気がしたけど本気で何言ってるのか全然分かんなかった笑 中畑大樹◯△✕※〜!!!ってのは聞こえた笑

·もし嘘だったらごめんね、帰り何か、何かがあると思うから見てみてって言う中畑さんの言葉絶対新譜ツアーや!!と思ってたらフロアから出る所で「遅死!!」って言うめちゃくちゃ喜びと驚きに溢れた女の子の声が聞こえてそれがすごく可愛くて笑ってしまった。でも新譜じゃないんかい!!とは思ったよね…。いつ新曲音源で聴けるの…??

近年、ライブを見る度にシロップファンで本当に良かったなって感じてる。嫌な事と言うかはぁ?みたいな感情になった事も一度や二度じゃないし、時が経つにつれ、どんどんバンドとして体を成してない状態になっていくのを只只見てる事しか出来なくて結局そのまま解散して悲しい思いもムカつきもしたし笑 五十嵐さん生きてんのか〜!?って時期も長くあったけど、変わらずに好きでいられたからこんな光景が今見られて…ファンとしてすごい幸せなんだよなぁ。ずっと好きじゃなきゃきっと見れなかったし思ってもなかったような暖かい空気流れるシロップ現実に目の前にあるって言う事に感謝しかない。

こんな素晴らしい時間を作ってくれた遠藤さん始めスタッフの皆様、演者の皆様、そして中畑さんありがとうごさいました。1ファンとしてあの場にいれた事、本当に幸せでした。

最後セットリスト

1.新曲

2.ソドシラソ

3.天才

4.(I can't not)Change the world

5.正常

6.希望

7.落堕

E.N

1.Everything is wonderful(with河野さん)

2.Reborn(with河野さん)

anond:20240714140738

東日本大震災より前は、花笠・竿灯・ねぶた七夕で「東北四大祭り」って旅行会社ツアー組んでたりしたもんよ。

もしくは花笠を抜いて「三大祭り」か。

2024-07-25

アサシンクリードシャドウズ これが着地点でしょ

タイトルを変更「アザジン・グリード・ジャドウズ」に

これなら最小工程修正できるっしょ。

そして、冒頭に「これはトンチキジパンであって、歴史考証とは本っ当~~に、無縁です!」と言い切る。トンチキジパンから、そのディスカバリーツアーも許す。歴史修正?おかわりもいいぞ!どんどん盛れ!

UBIソフト礼儀に則って誠意を見せる

日本サムライを学んできたんですよねぇ?さて、サムライ責任の取り方って何でしたっけ?それを発揮すればきっと至誠はあまねく日本人に伝わりますよ。

Aller Aller UBI!

2024-07-23

弥助関連の騒動の始まりについて

事前知識として

・第1作「アサシンクリード」は2007年ごろに発売され、「シャドウズ」を含めるとメインシリーズとしては14作も出ており、海外では割と人気なシリーズで、日本でもゲーマーであればタイトルくらいは聞いたことがある人も多いかもしれない。

海外忍者人気の高さからか、忍者といえば日本アサシンということで日本舞台を望む声はシリーズ初期から一定存在した。

第3作「アサシンクリード3」のオープニング映像にてホルスの目(古代エジプトシンボル)、Ω(オメガギリシャ文字)、鳥居(日本における神域のシンボル)の3つが描かれているシーンがあり、

以前から一部ファンの間ではその3カ国を舞台にしたシリーズが出るだろうという予想が出ていたが、古代エジプト舞台10作目「オリジンズ(2017年発売)」、古代ギリシャ舞台11作目「オデッセイ(2018年発売)」の発売後

SEKIRO(2019年発売)やGhost of Tsushima(2020年発売)など日本舞台にしたヒット作がゲーム業界で続いたことなどから日本舞台シリーズ作品の期待が高まっていた。

(実際はオデッセイ~シャドウズまでの間に2作品出たため、日本舞台シリーズはもう出ないのではという声も上がっていたが)

(おそらく)事の発端

日本舞台シリーズ最新作「シャドウズ」の情報解禁。トレーラーや発表された内容からファンの間に不満が広がり始める。

主な原因としては以下の2つと思われるが、正直ここまではシリーズファンゲームファンたちなどを中心にしたツッコミや、炎上とまでいかずとも規模の小さい小火程度だったのではないかと思う。

一言でまとめるなら「過去作に比べて雑な部分やスタンスの違いが目立った」というところだろうか。

実在人物主人公起用

今作はダブル主人公であり、実在人物黒人男性「弥助」と架空人物日本人女性「奈緒江」」である

これまでのシリーズでは主人公架空の現地人という法則があり、近年におけるUBIはいわゆる「ポリコレ推し」が強かったため、日本男性差し置いての弥助の主人公起用を疑問視する声が出た。

だが個人的にはこれは明言化された法則ではない(はず)なので、UBIに対する不満のきっかけ程度ではないかと思っている。

舞台に対する考証について

シリーズ作品ユニティ」で作成したノートルダム大聖堂3Dマップデータが、2019年火事で焼失した部分の復旧に使用できるのではないかといわれたり、

UBI自身も直近の作品であるオリジンズ」、「オデッセイ」、「ヴァルハラ」において「ディスカバリーツアー」と称して歴史ガイド配置したり、フィールド自由に歩き回れるようにした学習教材用バージョン提供するなど

舞台となった土地文化建築物歴史考証を売りにしていた。

しかし、公開された動画の畳の形状や、田植え風景を見て「豊作で人手がいるのだろう」という発言、植生の季節感から、事前調査や考証が不足していると捉えられる部分が多数発見されたことで不満が一気に広がった。

海外製のゲームなのに指摘が細かすぎ」とか、「フィクションなんだから現実と違うところもあるだろう」という意見が叩かれる原因はここにあるだろう。

直近のシリーズでUBI自身が考証力の高さを売りにしていたということを知らない≒話題にいっちょ噛みしにきただけと受け取られてしまうからだ。まぁ話は既にそんな次元じゃないというのもあるが。

(おそらく)延焼した要因

このあたりから急激に炎上の規模が大きくなり自分は追いきれなくなったし追っていないのでパッとおもいつくものを箇条書き程度に。

・UBIへのインタビューでの弥助起用の理由が「私達の目になれる人物が欲しかった」などの発言拡散される。

日本向け動画中国語字幕を設定するなどポカミスを連発する。

・コンセプトアート関ヶ原鉄砲隊ののぼりなど、多数の盗用が見つかった。

ロックリー氏の関係の部分は正直良くわかってない。弥助は一次資料が少ないのに伝説サムライが云々みたいな表現ロックリー氏の著書とUBIに共通していて、そこから発展して追求されてるみたいな感じだろうか。

anond:20240723181811

ワイは

ボウイライヴバージョン

YouTube聴くやで。

自身ライブなどでは全く歌わなかったが、1995年アウトサイドツアーから曲目に加えた。

マーキュリーパートベーシストゲイル・アン・ドロシーが担当している。

旅に出たくない と 旅に出たい の間で

旅が好きだ。知らない土地普段見ない景色、美味しいもの不思議なこと、色々な生き物。普段過ごしている場所から離れて、光の当たり方が違う土地で、カメラを使う。

旅に出たい。常にそう思う。機会があれば船に乗り、夜通し歩き、飛行機列車も調べ尽くして旅程を組む。

「そんな場所には行きたくない」常にそう思う。天候が崩れると分かりきっている場所と日時の組み合わせ。何度も通って想像できる場所、あるいは近くへ訪れたばかりの場所。混雑することが明らかな場所オペレーション崩壊している施設

それに、集団行動も嫌いだ。波長の合う人たちを過ごすことは好きだけれど、ツアーに参加したり、通勤の移動ですら、歩くペースが違う人といると躓きそうになる。歩調を合わせようとすると心拍がズレるような息苦しさでストレスだ。立ち止まったりコース取りが予想外だったり、そうして右往左往する人に紛れるのも避けたい。

計画して旅に出るのが苦手だ。計画するというのは、効率と確実性の追求だ。その割にアンコントローラブルなパラメータが多過ぎる。

明日晴れている場所に行く」「晴れたらここに行く」そうして、突発的に旅に出るのが楽だ。アンコントローラブルな天候の確実性が高いのだから、あとは混雑と自分次第ということになる。混雑は、早く行動しさえすれば大方解決できるわけで。

旅は平日にしたい。旅を終えたらゆっくりしたい。旅に日常を持ち込みたくない。

結局のところ、突発的に、ここではないどこか晴れた場所を探して、一人黙々と移動し続けるのが合っている。

目的地に到達したいのではなく、「ここ」を離れたい、離れた結果「よかった」と肯定したい、そういう逃げの旅なのかもしれない。まして、普段着でどこにでもいく、準備をせずに崖でも沢でも雪でも入る。無理だったら、無理とわかったそこでおしまい、帰ることもなく、それまででした、という、逃げの旅なのだと思う。

好奇心で旅をしていたのはいつまでだったろうか。

2024-07-18

関西に残るか東京に行くか

推し所属するアイドルグループ東京活動している。年に一度ほどのツアー関西に来てくれるものの、ファンクラブ限定ライブ推しの生誕などは東京で行われる。

もっと推しに会いたい。その思いか東京(でなくても関東圏)に移り住むことを夢見るようになった。

推し以外にも東京にはたくさんの魅力がある。好きなアニメ声優さんイベント特撮ショー、行きたいイベントは山のように存在する。

でも関西を去ることにためらいがある。

まずアイドル現場経済的なことを考えると全部の現場に顔を出すことはないと思う。それに推し卒業したら関東にいる意義の半分はなくなる。

次に交友関係関西圏の友人と遊ぶことができなくなるのは寂しい。友人の一人は自営業をしており応援気持ちを込めて毎月数回通っていたのだが、それができなくなるのがつらい。

推し活動している間だけ関東に住んで卒業したら関西に帰ることも考えた。そうすると年齢という問題がつきまとう。というのもうっすら結婚願望があるからだ。現在アラサーの私がこの時期に住む場所ポンポンと変えたら推し卒業して関西に帰る頃には結婚適齢期を過ぎているだろう。

まとめると趣味を取るか人間関係を取るかという話なわけだが、ここでもうひとつ悩みの種がある。

好きな人がいる。関東に。

けど関西の友人たちと天秤にかけて勝るほどではない。それは私の一方的感情で実るとは限らないからだ。

あと彼は仕事人間なので趣味人間の私とはうまくいかないんじゃないかなと感じている。

私に与えられた選択肢はこの三つだ。

関西に残る

今まで通り関東イベントを諦める。片思いも忘れて関西で次の恋を探す。

関東に行き推し卒業したら戻る

結婚を諦める。もしかしたら諦めずに済むかもしれないけど可能性は低い。

関東に住む

友人との交流を手放す。

さて、どうしたもんかな。

2024-07-14

ライブ】某ライブ

・すげえ!歌手の人が目の前に来た!!

1メートル前に!仕切りとか無しおる!!

しかハンドタッチは2回空振りして諦めた!

ラッキー!でもそこまで熱烈なファンって訳でも無いゆえに「えっえっ嘘嘘、あの憧れのアーティストが目の前に!?」という表情作るの頑張った

生で見るとスタイルええなあ〜

結構華奢な骨格しとるんやなあ

なんかお顔が宮野真守に似てるなあ〜

・「日時の都合が合いかつ2曲はSpotifyお気に入り曲あり ただバラード系は普通」くらいかツアー名的に「落ち着いた曲オンリーかな…?」と思ってたけどタイアップ後の激しい曲ラッシュで好きな曲も4フレーズ?位歌ってくれてありがてぇ〜にわかファンでもこんなに惹き込むプロ歌手ってすげえ〜

ってなった ほんま高いのびのびした歌声すご

提供曲は2年間歌ったらアカンのか…

・ほんまツアー名的に「舞台上にソファとかあって弾き語り半分トーク半分くらいの感じか…?」と思ったけど想像の50倍アクティブだったしソファはなかった 

・隣の席のハンドメイドマダム

話を聞けば聞くほどオハイソだぞ!

しかしインスタのフォロワー獲得には貪欲だぞ!

うっかりLINE交換しちゃったけど会話の切り上げ時が判らず若干引かれてLINEスタンプ会話終了されたけどすまんな!悪気はないんや!

・クソ無知にわかファンなのでマダムからアーティストの来歴を教えてもらい曲紹介部分で赤ペン先生状態になった

・「会場のみんな家族」とかそんな感じの言葉が頻出し、清く正しいjrockアーティスト枠を絶対的に外れない安定感…!と思ったら最後最後に「思想」出てきて少しビビった

ファンの傾向がこんなに無いライブ、初めててビビった

みんないい意味で「いい人そうな普通の人」達って感じで逆に全員が「市政の普通の人々のフリをしたアサシンか何か?」と疑いたくなるレベル普通の人々だった

女性ファンが6割?男性ファンが4割?位

年齢も20〜60代と広いし舞台上のアーティストに声掛けするのは男性ファンだけだし謎

ギターの交換回数が…回数が多い…!

・ここまでギター弾けて歌もうまかったら目茶苦茶楽しいだろうな

ネタバレどこまで配慮してる?

コンテンツによって許される範囲が違いすぎて分からなくなってきた。

特にポストで呟く時。

今日Xで「関ヶ原の戦いに関して人に話したらネタバレをするなと怒られた」というポストを見かけて笑ってしまった。どうすればいいんだ。

からなすぎて、ネタバレを嫌う民はもうそコンテンツに触れるまで自衛してほしいと思うようになった。

漫画

時に更新されたらみなす感想を呟いて展開がトレンドに載ったりする。〇〇死亡とか

じゃあ漫画はそんなに厳しくないんだろう。

ゲーム

1番わからない。

発売日から1〜2週間経った頃に感想を呟いたらフォロワーからネタバレだとリプライされたことがある

でも全然X上では話題になっていた事柄だった。

上とは別ゲーだが、ポケモンDLCなんかは解禁から翌日には新ポケモンや新要素、キャラ名などがトレンドになっていた。

なんなら俺も先にトレンドで知った口だが、これがきっかけでネタバレってあんまり考えないでいいのでは…と思うようになった。

映画

ゲーム漫画と違って上映時間という縛りがあるし、触れられるタイミングにも差異があるから上映直後は話さないかふせったー使用する必要があるのはわかる。でも公式側がツイートでよく「皆さんが配慮しすぎて全然感想ツイートが見つけられない」というのも見かける。もしかしたらコナン映画犯人以外は呟いてもいいのかもしれない。

ライブ

ツアー場合セトリ演出ネタバレになるという意見を見かけてから迂闊に呟けなくなった。

これに関してはそれ以来ふせったーを使っている。

・人に作品を薦める時

薦めるということはあらすじをある程度説明する必要があるが、それはネタバレ紙一重だ。

詳しく説明できないけど衝撃的な展開がある!と説明したとそれは「衝撃的な展開がある」ということ自体ネタバレになってしまう。

例えばまどマギで3話で衝撃的な展開がある!と説明されたらその人は身構えてしまうだろう。

しかし真に衝撃の体験を受けるならば、何も警戒しない状態で3話を見る必要がある。

これはリアタイしていた人なら分かるはずだ。

まどマギ3話に関してはもう10年以上経ってるからいいだろうということにする。

かといってその辺りも説明しないで薦めようとすると、キャラがなんとなく魅力があるとか、とにかく面白いから見てなどふんわりした感じになってしまう。

果たしてそれでコンテンツに触れてみたいと人は思うのだろうか。

加減が難しい。

ちなみに俺はネットで見かけてしまった分はもう自業自得だと思うようにしてる。

リーク以外は。リークは滅ぶべし。

対面の時は流石に結末系を言う時は「ネタバレ大丈夫?」と聞くようにしている。

でもうっかりネタバレになると思わなかったことを話してしまい、驚かれたことがあったのは申し訳なかった。

1番は不安に思ったらふせったーを使うことなんだろうとは思う。でも単純に面倒なんだよな…

2024-07-10

anond:20240710173554

コミケもだけどちょっと電車乗っただけでツアーフェスに行けるのはスゲーんだよ

ただの週末にこういう体験ができるのは紛れもなく文化的活動だと思うんだわ

田舎に住んでたらこれって旅行中にライブいったって思い出になる気がするしこの差はでかい

2024-07-09

なんの思い入れもない、アイドルバンド10年くらい前のツアーTシャツを買って雑に着たい。メルカリで探すしかないのかな。

2024-07-08

アサシンクリードシャドウズの炎上に思う所

アサクリシリーズと言えば舞台となる場所時代考証が売りと言っても過言ではないかなと

 【GDC 2019】入念な時代考証で「Assassin's Creed」に往時のアクロポリスが復活

 https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1176117.html

この記事でもわかる様に、たかゲーム舞台にこれだけの事をしているのがアサクリシリーズ。凄いよ。

からこそ、ノートルダム大聖堂の修復にゲームデータが使えるのではないかという話も出てくる。

それでも全てをノンフィクション再現という訳にはいかなく、穴を埋めるためのフィクションも混じるわけだけど、しっかりとした考証されたもので補完されているか違和感がなく溶け込んでいるのがアサクリの舞台なわけで……

その確固たる自信が、教育用教材としても使用できる「ディスカバリーツアー」に垣間見えるのにさ(ミラージュにはディスカバリーツアーはなく、代わりに「History of Baghdad」という教育ツール)。

それが、日本舞台ってなったら、PV見ただけでわかっちゃうような、クソ世界観ドヤ顔でやっちゃったからそこからいろいろな方向に飛び火しちゃったんじゃないのと。

弥助を使いたいなら戦国時代末期より、一応消息不明とされる本能寺の変以降を舞台にすればいくらでも弥助を創作で来たんじゃないのと?

後、日本人女性が大体中国系の顔になるのは何故なのか?

2024-07-02

anond:20240702110119

リベラリズムから考えるんだったら当然職業選択の自由はあって、何人たりとも職業によって人を差別してはならないってことになると思うんだけど、その職業に就いたら差別されてもしょうがないっていうのはどういう理屈なんだろうか…って思う。

そういう職業によって健康を害するっていうことな労働環境を良くするように働きかけるとかは当然あって然るべきだと思うし、バーチャルにできるとかならそれもいいと思う。

でも「一度でもその職業に就いたらそういう扱いを受ける」っていう話はそういうこととは別の話だよね…?同じこと?

別にからって男性はそういう人とも好き嫌いわず結婚しろとかそういう話をしてるんじゃあなくて、まあそういうのがいやな人は当然いるだろうし好きにしたらいいと思うけど、それをなんかスティグマみたいな感じに表現されると、はて…?ってなるなー?

あと日本通貨いま弱々じゃん。

下手したらこからやがて日本はかつての東南アジアみたいに買春ツアー客とかくる国になったらどうしようってドキドキしてるとこ。

そういう職業があることはいろんな事情があると思うので別に咎め必要はなくて、つまり国の状況がそういう職業を作っちゃうってことじゃん…?

あいった過酷職業存在する国が本当に先進国の姿なのか?って他の人も言ってるけど確かにその通りで、その職業があることが悪なのではなくて、そういう状況に追い込まれる人が出る社会に病巣があるんだと思うなー。

日本政府とか日銀の人とかお願いします、国民の私はたくさん働くので…って思ってる。

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