はてなキーワード: チャーリー・パーカーとは
ジャズはだいたい100年ぐらいの歴史があり、次のような特徴がある。かなりの端折りが入っていることには留意してくれ。
世界最古のジャズのレコードとされているのは1917年。このころのごくごく初期のジャズで、形式や編成には幅があるが、ディズニーランドで演奏されてそうなゴキゲンで楽しげな感じといえばイメージできるかもしれない。
トランペット(またはコルネット)・クラリネット・トロンボーンの3つの管楽器がアドリブを交えながら同時に演奏するのが特徴的なスタイル。
当時の録音ではドラムセットやアンプなどは発展途上の段階で、ドラムはスネアやウッドブロック中心のマーチングっぽい感じ、ギターのかわりにバンジョー、ベースはチューバなどが使われることが多い。
具体的にはこういう感じ。これはヨドバシカメラのCMの原曲である。https://www.youtube.com/watch?v=dsp-cA89Wio これぞとされる名盤は特に思い当たらない。
当時の録音技術はぜんぜん良くないので、古い録音をリマスタリングした音源を聞いても聞きづらいしノイズもひどい。1950年ごろまではおしなべてこうで、それ以降に録音された音源のほうが聞きやすいと思う。
個人的にはSean MoysesのTiger Rag!というアルバムが好きではあるが、ディキシーランド・ジャズといよりもジャズバンジョソローアルバムという色が強い。
オーケストラっぽい大編成によるジャズである。クラシックのオーケストラとは違い、弦楽器セクションがいることはまずない。ドラム・ベース・ピアノ・ギターのリズムセクションと、トロンボーン・トランペット・サックス+クラリネットという編成が典型。
リズムのキメやソリやトゥッティのかっちりとしたアレンジ、分厚いバッキングを背負いながらのソロ回し、大人数による静と動のコントラストなどが特徴である。
バンドリーダーとしてはベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの四者が特に有名。どこかしらで耳にしたことがある曲も多数あると思う。https://www.youtube.com/watch?v=aME0qvhZ37o
個人的にはFletcher Henderson - Swing The Thingsというアルバムが好きではあるが、これもまたとにかく録音が悪い。
バディ・リッチや、BBC Big Bandによる後年の録音や、より現代的なビッグバンドであるGordon Goodwin's Big Phat Bandなどのほうが聞きやすいと思う。
スーツを着たジャズメンが4〜5人程度でバーやナイトクラブで演奏してしそうなジャズをイメージしてほしい。だいたいそれがモダンジャズである。モダンと銘打ってはいるが、70年ぐらい昔の音楽のスタイルである。
ビバップ、ハードバップ、モード・ジャズなど演奏理論の違いによって通常さらに細かく分けられるが、全体的な構造や編成として大きな差はあまりない。
イントロ→テーマ→アドリブソロ回し→(バース)→テーマ→アウトロ という構成で進むのは変わらないまま、どのように斬新なソロをとるか?という音楽理論が30年かけて煮詰まっていった思っておけばよい。
チャーリー・パーカーはビバップの代表的奏者であるが、当時の録音も良くはなくソロも音感が強くないとぜんぶ同じに聞こえてしまうと思う。1950年代後半あたりに聞きやすいアルバムが多くある。
具体的にはMiles Davis - Bag's Groove,Sonny Rollins - Saxophone Colossus, Sonny Clark - Cool Struttin'、Art Blaky - Moanin'など。この4つは一般的にも名盤とされているし個人的にも大好きである。
1965年前後あたりのマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのアルバムはだいぶ煮詰まっていてよりエクストリームになっていて、これはこれでまた独特の趣がある。
独特の趣でいうと、ジプシージャズ、マヌーシュスウィングというスタイルもある。
これはジャンゴ・ラインハルトの一強で、ギターとバイオリンの存在や独特のメロディセンスが特徴である。https://www.youtube.com/watch?v=gcE1avXFJb4
また、フリージャズという既存の音楽理論的制約を無視した……平たく言えばめちゃくちゃやってるだけじゃねーのか?という演奏スタイルも勃発した。
ノイズに近い激しいロックなどが好きな人はこれを好みがちという印象がある。
モダンジャズでジャズという音楽は完成してしまい、以降は主流のスタイルとして盛り上がっている新しい形のジャズは特に思い当たらない。
1970年以降はおもに別ジャンルの音楽(ロック、ファンク、電子音楽、民族音楽、ヒップホップなど)の要素をどのように混ぜ込むか?という発展の仕方をするようになった。もちろん伝統回帰する派閥もある。
ジャズという大木の成長は1970年で打ち止めになり、いろんな枝が沢山伸びていて全方位のジャズを把握している人間は極めてまれというイメージである。
ジャズ・ファンクの名盤にはHerbie Hancock - Head Huntersがあり、個人的にも好きである。
フュージョンでは、伝説的な天才ベーシストであるジャコ・パストリアスが在籍していたことで有名なウェザー・リポートというグループが有名である。
日本でもフュージョンブームがあり、1979年デビューのカシオペアは今も現役で活動する大御所フュージョンバンドである。
民族音楽・変拍子を取り入れたジャズにはAvishai Cohen -Continuo などがある。アヴィシャイ・コーエンは同姓同名のベーシストとトランペッターがいるが、これはベーシストのアルバムである。
ある意味電子音楽を取り入れたといえ演奏にはこのようなものがある。https://www.youtube.com/watch?v=KbvCgqTkj64
これは電子音楽の大家エイフェックス・ツインの曲のカバーであり、ブレイクビートという電子機器を使用してドラムの録音を分解して貼り直して作られた複雑怪奇なリズムを人力で演奏しているのが聞き所である。
ただしジャズといわれた場合はアドリブソロが組み込まれることが通常のため、これはジャズかと言われると微妙ではある。
the Bad Plusの他にも現代的なピアノトリオにはGoGo Penguinなどがいる。電子音楽の複雑怪奇なリズムを人力で再現する高い技量を持ったドラマーは他にはJojo Mayer,Louis coleなどがいる。
著名なトランペット奏者である日野皓正氏が、演奏の最中に共演していた中学生をビンタしたことが波紋を呼んでいる。
ジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんが往復ビンタ 中学生との演奏会で 世田谷区教委「行き過ぎた指導。だがイベントは続けたい」 殴打された生徒は…(1/3ページ) - 産経ニュー
http://www.sankei.com/affairs/news/170831/afr1708310010-n1.html
ジャズミュージシャンが教え子に体罰に近い暴力を振るったということで、
音大でジャズドラマーを志望する学生を主人公にした映画「セッション」を連想したという声も多い。
青年がスパルタ教師のしごきによって疲弊していく様を描いたサイコスリラーだとか、
教師の手厳しい指導に食らいつき成長していくスポ根的ドラマというふうに捉えている人が意外にも多い。
僕が思うにそれはこの映画の評価して的を外したものではないかと思う。
「セッション」という映画は音楽に対して不遜な人間たちが共依存関係に陥っていく過程を描いた映画だ。
まず映画を通してみて主人公の演奏技術が向上したという描写はない。
フレッチャーの下心ありげな言葉を除けば誰もその演奏を際立てて褒めるわけでもなく、
観客がわかるような明白な上達の描写もない。
それは至極当然で主人公が「いい演奏をしたい」と思っていないからだ。
「上級クラスに入りたい。」「いい成績を収めたい。」「教授に可愛がられたい。」「ミュージシャンとして羨望を集めたい。」
主人公の欲求はいつも自己顕示的なことばかりでその視線はいつも自分に向いている。
音楽の道を志す動機もどうも浮ついていて、インテリジェントエリートとして将来を期待される従兄弟を持つが故の劣等感によるところが本音だろう。
印象的なのがチャーリー・パーカーのエピソードである。
チャーリー・パーカーがアドリブに熱を入れすぎてドラマーからシンバルを投げられたというエピソードが劇中の会話に登場するが、
主人公はそれを冷水を浴びせられた屈辱をバネに精進したと解釈するのだ。
本来ならば出鼻を挫かれたことで冷静に自分を見つめられるようになったという教訓を得るべき小話をナルシシズムによって曲解しているのである。
自分の対外的評価しか見えていないために独りよがりで思考が歪んだ主人公は家族にも恋人にも音楽院からも見放され最終的に孤立していく。
そしてそこに魔の手を差し伸べるのが悪名高いフレッチャーなのであった。
フレッチャー教授もまた音楽のことなどその実どうでもいいと思っている不遜者である。
彼の指導は支離滅裂で学生を恐怖心で抑え込みコントロールする以外の効果はない。
彼もまた音楽家として、指導者として羨望を集めることしか眼中になく、自分が携わる音楽のクオリティなど二の次なのである。
映画終盤で主人公を逆恨みしたフレッチャーは、実際とは異なる演目を主人公に伝えて舞台上で彼の音楽生命を絶たせることを画策する。
いい演奏がしたいという気持ちが微塵でも存在するならドラマーを罠にはめて演奏会を混乱させる真似など出来るだろうか。
フレッチャーもまた自己中心的な振る舞いが祟り音楽院から追放されたわけだが、
フレッチャーは孤立すればなお自分を崇拝する人間を渇望するわけである。
フレッチャーが主人公を罠にはめたのは恨みをぶつけるためでもあるだろうが、自分の手中に収められる無力な下僕を作り出すためもある。
何にせよなんの後ろ盾もない大学中退者で大ポカかました主人公に明るい未来は多分ないのだ。
誰からも評価されず未来もない孤独な青年だからこそ、因縁があるフレッチャーなんぞにわらをも掴む思いですがって行った。
そして名誉を得ることにしか価値を置いていないからこそ、主人公はフレッチャーという有名人と関わりを持つことに喜ぶのである。
どう転んでも演目にない曲を演奏して暴走することは失態である。あれはフレッチャーが自分を見捨てないであろうことに安堵しての笑いだ。
フレッチャーもまた青年がいいドラムを披露したから笑みを浮かべたのではない。
彼が完璧に無力な存在に成り下がり自分の支配下に置くことができるようになったことを喜んでいるだけだ。
話は日野氏の話題に戻るが、件の中学生もこの映画を見ておりスポ根ドラマだと誤解していたのかもしれない。
多分そうでなくて単にソロパート演奏中に気持ちが高まりすぎたという可能性が高いが、
何にせよあれは失敗というほかなく、演奏者として道徳として師である日野氏が叱責すべき行いだっただろう。
舞台上という表立った場所で感情的な振る舞いをしてしまったことは非難されても致し方ないのかもしれない。
しかし氏の叱責そのものを否定するのは当該生徒含めイベントに参加していた生徒にもあまりよろしくないのではないかと思う。
当該生徒やイベント主催した世田谷区が氏に一定の理解を示しているのは幸いだ。
前に映画評論家の町山さんとジャズミュージシャンの菊池さんが評価を巡って論争してたって言う「セッション」見ました。
菊池さんの批判はあんまりにもクソ長かったので当時は読んでなかったと思いますけど、とにかくネットフリックスでやってたので見てみました。
なんだよ?これ?スンゲー映画じゃねーか!
ジャズの歴史だとか実際はどうだとかなんて知りません。単に映画として素晴らしい。
ともかく一個の映画としての出来はアカデミー賞クラスであることは間違いありません。
どーしてもチャーリー・パーカーみたいなジャズの巨人を生み出したいがために、あり得ないほどに厳しく指導するフレッチャー教授と、とにかくジャズドラマーとして出世したい19歳のニーマンのバトル映画です。
和田誠と村上春樹のジャズ名鑑『ポートレート・イン・ジャズ』で取り上げられているアルバムをApple Musicで探してみたところ、ほとんどのアルバムが見つかった。見つからなかったものは、アーティストページにリンクしてある。アルバム単位では見つからないものでも、アーティストページに移動すればわかる通りかなりの音源が聴ける。ジャズに限って言えばApple Music最強ではないだろうか。
元増田です。
他方で、ジャズがジャズという枠組みで演奏する以上、ジャズという「呪縛」からは逃れられないんですよね。もっとも、これはあらゆるジャンルにも言えることで、例えばJ-POPがJ-POPの枠踏みで演奏される以上、J-POPという「呪縛」からは逃れられない訳で。どれほど新しく見えても、結局のところ中身の文法自体は変化していません。だからこそ現代音楽が生まれた訳ですが、これも結局のところ文脈依存であることは否めないところですし、大衆からも受け入れられません。
そういう意味では、私はジャズに古いも新しいもないと思っています。新しいジャズ、ひいては新しい音楽、なんていうフレーズは非常に胡散臭いものと考えています。
ただ、あえて言うとしたら、チャーリー・パーカー以前と以後は存在しうるのではないかと考えていますし、また、チャーリー・パーカー以上に革新的なことを行った人物はいないとも考えています。
マイルスって男はやってる事や服装はメチャクチャなんだが、アレはアレで発言が控えめな男だと思う。
何より育ちが良い。当時の黒人にしては稀な大学に通っていたボンボン。しかも田舎者だった。
ここで出会ったのが運の尽きと言うのだろう。
1から10までストリートの作法をマイルスに叩き込んだその人こそ
チャーリー・パーカー。愛称「バード」。
それにしても「鳥」とはデカく出たもんだ。
しかしワタシはこの「バード」が自称なのか、誰かがとって付けた物なのか...。
知らないで居るし、別にそんな事に興味は無い。
全部マイルスが自叙伝で語っている通りだったと何の疑いも無く信じている。
鳥は幾多の夜、何処までも天空を舞い上がった。
そしてある夜に、精魂尽き果てて地の底に落ちたのだと。
〜T.H.