はてなキーワード: ソーシャルネットワークとは
佐村河内守の話。あの人が難聴じゃなかったらあそこまで売れなかったのは公然の事実であろう。また、普通の音楽家が偽造を行っていても、ここまでのニュースにはならなかった。音楽そのものの価値よりも「難聴」で「被爆2世」というブランドの方が強いのではないだろうか。そう感じた。
この手法はマーケティングの世界でも使われている。ストーリーテリングやストーリーマーケティングという言葉を聞いたことがある方も多いと思う。実際の商品が出来た経緯や、会社の理念を伝え、それにより商品を売る戦術だ。代表的な例がfacebookである。当初、日本ではそれほど人気がなかったfacebookだが、映画ソーシャルネットワークにより一段と利用者が増えた。
良いストーリーは我々の心を揺さぶり、感動させてくれる。だが一方で、本来の価値を見えなくさせてしまうのではないだろうか。ストーリーが産業として売り出される時代、我々はより慎重に物事の価値を見極める必要がありそうだ。
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。
実は現在の日本国において、盗撮する行為そのものを規制する国の法律は軽犯罪法しかない。
しかも軽犯罪法は罰則自体が軽い上、『人が通常衣服をつけないでいるような場所を』だから、街中でスカートの中を盗撮とかは取り締まれない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
盗撮するとどんな罪になるかというと、結構多いのが住居侵入罪だ。
だがもちろん、これは『盗撮するために不当に侵入したこと』を罪に問うているのであって、盗撮行為そのものを罰しているわけではない。
(何か『どこに入ると罪になるか』については若干の議論があるらしいが、ここでは触れない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E4%BE%B5%E5%85%A5%E7%BD%AA
だが一方で、街の雑踏を撮影し、それをコンテストに出したり自分の作品として発表するのがカメラマンの既得権になっている部分もある。
ではブログにアップするのは、そのブログにアフィリエイトがあったら……ということについてははっきりいって、法律の整備が追いついていない。みんながカメラ付き携帯電話を持つようになってまだ十年ほどだ。
(個人的疑問だが、「放送事故映像集」のような本がよく出版されているが、ああいう本こそ肖像権を取って出版しているのだろうか? 不思議だ)
http://www.geocities.jp/masakari5910/houritsu_j4.html
第五条
何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゆう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
第八条
次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前項第二号(第五条第一項に係る部分に限る。)の罪を犯した者が、人の通常衣服で隠されている下着又は身体を撮影した者であるときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
この項目に引っかかり、1年以内の懲役または100万円以内の罰金になる。逆に言うと、『入ってはならないような場所以外で』『通常衣服を着けない場所以外を撮影したのでなければ』条例しか取り締まる法律がないので、飛行機の中で盗撮があった場合はただちにそれが何県の上空で行われたのか特定しないと罪にできない。
(参考リンク) http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734331.html
さらに言うならば、一部の県の迷惑防止条例には、重大な欠陥がある。たとえば岡山県。
第二条
2 何人も、婦女に対し、公共の場所又は公共の乗物において、婦女を著しく羞しゆう恥させ、又は婦女に不安を覚えさせるような卑猥わいな言動をしてはならない。
婦女に対し、である。男に対して羞恥させても軽犯罪法にしかならない。
千葉県などはこの手の条文の後に「男子に対して行った場合も同様とする」ような文言があるが、一部の県ではそれすら存在せず、男性を羞恥させても軽犯罪法にしか触れない県が岡山県以外にも複数存在する。
この「著しく羞恥」も基準が曖昧だ。スカートの中などが犯罪なのはともかく、寝顔を撮影して捕まった事例があるがそれは本当に「著しく羞恥」なのか。逆に女性が「キモイのがいた」のように男性をブログなどで晒し上げるのは迷惑防止条例に触れないのかという疑問はある。
岩手県が「ソーシャルネットワークサービス(SNS)などによる嫌がらせも規制対象とする。」と書いているのもそういうことだろう。恥ずかしいシーンを撮影したのでなくても、晒し上げるのを罪にしたいという意図は分かる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131117-OYT1T00640.htm
> 盗撮行為を厳しく取り締まるため、カメラを下着などに向けて差し出す行為自体を禁止。現行の条例では対応できないソーシャルネットワークサービス(SNS)などによる嫌がらせも規制対象とする。来年3月の県議会定例会での可決を目指す。
> 同条例は1999年の施行で、ピンクビラの配布を禁止するために2006年に一部改正された。ただ、IT技術の発達などで悪質・巧妙化する最近の犯罪には対処が難しくなっていたため、2度目の改正に踏み切ることになった。
> 見直されるのは、〈1〉盗撮行為の取締対象を拡大〈2〉電子メールの連続送信など、多様化する嫌がらせ行為を禁止〈3〉罰則の強化――の3点。
>>>>>
特にFacebookなんかは、表面上ポジティブと善意の固まりみたいな空気なので
誕生日を祝わないやつは人にあらず(とまではいかないけど)に近い雰囲気を感じるんです。
祝って嬉しい、祝われて嬉しいなら別にいいんだけど、
僕の場合はソーシャル上で義理の「おめでとー!」にいちいち義理の「ありがとー!」を返すのが面倒くさいし
逆もまたしかり。
別に、お祝いしたい人がお祝いされたい人に個別にやればいいじゃない。
周りまで巻き込んで「こんなことしようぜ」とか、もう勝手にやって。
「いついつまでにメッセージ送ってね!こっちで編集するから」・・・とか。
というわけで、自分はソーシャル上で誕生日を非公開にしてます。
効果てき面。
あとは「友人の誕生日通知を受け取らない」っていう設定も欲しいなあ。
サブカルのほうで持ち上げられてるクラウズをなんとなく見始めた。
ソーシャルネットワークで繋がったみんなが協力することで
それがクラウズという、人の意思からなんか作るらしい。
で、最近やっと、そんなメンツがやっとだいたい揃って初戦闘したんだけどなんか凄かった。
何が凄いかって、実写ガッチャマンが「おれが見えるか悪党どもー!」と叫んでる横で、
見えないのはカッツェ。悪党本人が一番見えない。
カッツェも悪のガッチャマンらしいので、ある意味、そういう伝統を逆利用してるのか。
見えるのは攻撃の触手だけ。
それにのって宮野真守のネット用語満載のフリーダムな奇声をあげ、
ガッチャマンの主人公兼ヒロインキャラみたいなやつが駆け付ける。
達観したKYキャラなんだけど、この状況でやったのは、戦闘ではなくカッツェとの邂逅。
その邂逅が、独特のテンポの間が抜けた会話。絶望的な状況だったそれの空気が変わる。
といっても、空気は壊れてはいない。くだらなさでコーティングされただけで物語の根だとはっきり分かるから。
で、その根の話より、会話が面白い。久しぶりに面白いとアニメで思った。
キチガイ愉快犯のアラシに対して、スルー力の高い大人がネットで対応してる時の会話そっくり。
この感じを凄く良く表現できてる。
でさらに気付く。
中2秒に与えたクラウズという意思を可視化する力
見えないところからボコボコにする様は、炎上被害者の視点から見た炎上なんだと。
これは互いにどうリンクするなんて語る奴が出てくるんだろう。
まあ、こんだけ期待高いと大変だなクラウズ作ってる人。と思った。
まあ根本は馬鹿なのが問題なんだけどちょっと同情する部分もあるというか。
35歳の私は大学時代にWindows95が発売されてその後パソコンが一気に普及して自宅でも大学でもパソコンは結構使っていて、
インターネットも利用していたんだけど基本的にはサイト閲覧だけだった。
もちろん一部の個人が開設していたテキストサイトとかはあったけど、ドシロウトが「ホームページ」を作れるなんて知らなかった。
掲示板てものに書き込んで見ず知らずの人とやり取りをしたのもこの頃かな。
その後ウェブログという言葉を知って徐々に普及し始めたんだけど人との繋がりとかほとんど無かったというか、
それこそただの日記の公開みたいな感じだったと思う。
ただ、人との繋がりが無かったからこそ世界中に開かれた場であることを認識していた気がする。
ソーシャルネットワークなんて言葉はそれからだいぶたってから知った気がする。
ミクシィが始まった頃かな。
で、
こうして振り返ると私より上の世代は個人が情報発信するまでにいくつかの段階を経験してきた。
閲覧のみ → 掲示板書き込み → テキストサイト作成 or ブログ作成(誰も見てないけど地球の裏側の人も見れる) → SNS(ブログ+仲間との繋がり)
情報発信する前段階として観察する期間があって他人の成功や失敗を見てきた。
次に匿名で掲示板やサイトやブログ作成して情報発信をして、ミクシィで人と繋がったりコミュニティを利用したりした。
で、
最近の馬鹿たちの話に戻ると、彼らは気がついたらそこにいきなりSNSがあった世代なのかなあと。
観察して何かを感じて何かを学ぶ過程を知らずに、仲間と繋がるツールを与えられた。
仲間や繋がりのことは意識するけど、その画面の向こう側に広がるインターネットを意識するのは難しいよなあと思ったり。
もちろん馬鹿な彼らと同世代の中でもちゃんと学んでわかっている子もいるだろうしそういう子のほうが多いのかもしれないので、
結局馬鹿が馬鹿なだけってのもわかるんだけど、それもなんだかなあと。
で、
タイトルなんだけど、
例えば某巨大掲示板なんかだと匿名で好き勝手にレスしててちょっとおかしい内容だったりすると、
「半年ROMれ」とか言われちゃってカッとなってレス返すとフルボッコで涙目になるとかあったりして、
その時の「半年ROMれ」って「半年ROMって勉強しろ」というよりは「うぜえから消えろ」の意味だと思うんだけど、
実はやっぱり「半年ROMって勉強しろ」の意味もあるんじゃないかと思ったり。
実際、ROMって雰囲気を掴むとか傾向と対策を学ぶとか、情報発信の前にやること色々あるよってことで大事なんだなあと。
で、
内容は、田舎の企業がソーシャルネットワークを駆使して利益を上げるものだった。
私自身、どのようにして田舎企業がソーシャルネットワークを駆使すると利益が出るのか気になったので
聞きに行くことにした。
結果、TwitterやFacebookなどを駆使して情報を発信、ネット上の顧客とつながりを持とうというものであったが、
私自身非常に驚いたのが「ハッシュタグってなんですか」「Twitterってなんですか」などの質問が出たことだ。
それもそのはず。講演会受講者は田舎の企業の中年層なのだから、講演の大半はTwitterやFacebookの説明で終わってしまったのだ。
しかし、いくら田舎であると言ってもTwitterやFacebookの使い方すら知らないのか。
私が工学系の世界で生きているからかもしれないが、あまりのデジタル無知に驚いてしまった。
ただでさえ物理的な発展が遅れてしまう田舎であるのに、唯一同じ世界で生きることのできるインターネットですら遅れているのだ。
今更Twitterの使い方を勉強し、商品の宣伝をした所でそれは大量の宣伝情報の波に飲まれて消えてしまうであろう。
ではどうすればいいのか。
その田舎のチラシを見ると、◯◯レンジャーという名前のご当地ヒーローが載っていた。
普通の赤、青、黃、緑、ピンクの特に何も装飾の無いスーツであるのに、名前すら◯◯レンジャーなのだ。
そんな地味なご当地ヒーローを作った所で今更使い古されたネタであるし、そんな中途半端に村おこしされたら
最近作ったゆるキャラも、どっかの丸い円盤に足が生えたようなキャラみたいに気持ち悪いわけでもなく、特出して可愛いわけでもない。
遅い、遅すぎる。
おまけに意外性が足りない。他と差別化がはかれないと注目されない上に面白くない。
そんな田舎企業が今更ソーシャルに踏み込んだところでたいした利益は測れないと思う。
もし田舎企業がソーシャルで注目を浴びたいなら、私ならアルファツイッタラーを金で雇って企業の公式アカウントとしてつぶやかせるだろう。
彼らにはツイッターでのコンテンツ力がある。それを利用して公式アカウントに意外性を組み込むのだ。
他と同じ事をしていては遅い。それこそこのソーシャルという広い海の中では一粒の水にすぎない。
海の中から一粒の水を見つけるには
水に他の水との差別化をはかっておくのだ。
低スペ高校一年です
おいらがネットを始めたのは2002年くらい(幼稚園)くらいからだった
当時は鉄道が好きで色々な模型、プラレールの個人サイトを漁っていた
どれもクオリティが高いものばかりだった とってもインターネットが面白かった
しかし、ソーシャルネットワーク全盛期の今のネットはどんな事にもお金を取ろうと企業が一生懸命になって、個人サイトの大部分は消滅、2chまとめブログみたいなコピーサイトばっかりだ
ネットがつまらない 一日中ネットを見ないとイライラするネット中毒だけどなにか幼稚園の時はワクワクしていた
特にツイッターは気軽さと字数制限のせいでどうしてもこういった「鋭くて、雑な」否定が多くなる傾向がある。もちろんブログとかでも言葉足らずとか、読み手の気持ちを考えないせいでそうなってしまうものもある。
そういったものは基本的に無視をするのが一般的であると思うが、日本人は特に「鋭い」ものには敏感だ。皆が認識すべきいわゆる「常識」とあまりにかけ離れた意見などには、必ずその常識を盾に刃向かいたくなる人が出てくる。出た杭を打つ精神だ。
冷静になって考えてみると、大抵の場合は「言い方」が問題なだけだったりするのだが、もっと根本的だったり本質的な部分の議論を始めようとしてしまう。「常識を知らないこいつに教えてやらないと!」と上から目線になる。相手が常識を持っているとは考えない。尊敬のかけらもない。同じ人間なのに。
さらにそこに輪をかけているのはソーシャルネットワークだ。数人しか前を通らない道端で、非常識な事を叫んでるヤツはみんな無視が出来る。それがネットだと、「こいつをここで無視すると間違った考えが広がってしまう!ここは私が食い止める!先に行け!」状態になる。ヒーロー症候群に似ているかもしれない。もしかすると常識人であるという承認欲求もあるのかもしれない。
こういった事象は全く悪いものではない。悪くないのだが。熱くなりすぎるとイタくなる。
通例、議論に置いて、先制攻撃(この場合は攻撃する意図すらないのだが)というのは、後続のものよりも論理性に欠けていてもよい。逆に言えば、後続側で攻撃しかえすには、史実性や理論がしっかりしている必要がある。準備が必要だ。熱くなってはダメだ。ここで失敗する人を良く見る。残念だ。
いいだろうヒーロー、ここは任せた、俺は全力で逃げるから死守してくれ。命をここで捧げて俺を守ってくれ。
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出来るのならそれはどんな形だろうか。
パソコン通信、NiftyServe、ニーパッパ−、テレホマン。これらのいわゆるインターネット黎明期を辿って今でもネットでコミュニケーションを活発にとっている人間はそれを「卒業」するべきかそうでないか。「俺mixiのID5桁だぜ!」を「大したことねーな」と思う人間達はネットから退いて、そういったソーシャルネイティブに譲るべきなのか。紛れもなくソーシャルネットワークを自分よりも使いこなしているのは彼らである。
前田敦子になるか、篠田麻里子になるか。指原のように左遷される前に覚悟を決めるべきネット古参たちは今日もインターネットに居る。
最初冗談で「詐欺www」といっていたのですが、どうやら本チャンレベルかもしれません。
以下、詳しく論じていきます。
キャッシュを見ればわかるのですが、study giftのページは書き換えられています。
主要な点をピックアップすると、
とかかれています。これを読めば「まだ中退していないのだな、応援してあげよう」と誤解しますよね。
学費が支払えず退学になるという状態
早稲田大学社会科学部(学費が払えず退学)
と変わっています。
言うまでもなく、中退になりそうな状態と退学している状態は異なりますよね。
なぜ、こんな誤解を招くような書き方がされているのか。
それは、退学していると、実はそもそもの「学費支援」という大義名分が成り立たなくなってしまうからなんです。
と記載されています。学費未納による退学者の復学は、大学が審議の上、承認した場合に限り、復学が認められます。つまり、認められない可能性があるのですね。
という事実があるため、成業の見込みが薄く、復学が認可されない可能性があります。
「学費の支援のためのお金」の目的でお金を要求しているのに、それが学費に使えないかもしれないのですね。
もし、復学が認められなかったら、寄付をした人は、いったい何のために寄付をしたことになるのでしょうか。
一般的な期待は、
という期待があった。でも、それが出来ない可能性がある。出来なかったら、Study giftはどうStudyをgiftしたの?ということになります。ただ学費支援の名目に惑わされて、若い女のフリーターの方にお金をあげただけになる。
さて、重大な事実を隠したまま「復学のための学費を支援する」大義名分でお金を集めることは、何にあたるのでしょうか。
本件はいわゆる詐欺罪に該当する懸念があります。詐欺罪になる条件とは、超ざっくりいえば、「相手を錯誤(誤解)させて、財産をゲットしちゃだめだよ」とういうことです。(詐欺の構成要件について、詳しく観たい方はこちら)
本件は「退学しているので、復学できない可能性がある」という重大な事実をつげず、「中退になるかもしれないから学費支援をして」と寄付者を錯誤させてお金を使わせているので、詐欺の構成要件にあたる懸念があります。
ソーシャルネットワークで、いままで奨学金制度で救われなかった学生を支援するというのは良いです。でも、寄付をするかどうかにかかわる重大な事実を明らかにしないで、「学費支援」の名目で寄付をつのってはいけませんよね。それは詐欺的です。
あなたはそれでもstudy giftに「いいね」をおしますか?
学費未納による退学は早稲田大学学則47条の2は該当しないというご指摘をうけ、記事の一部を修正しました。(47条の2について論じている箇所を、再入学規定についての説明に変更)早稲田大学の再入学規定を見ると、いずれにせよ学費未納による退学者の復学には「選考による許可」が必要であるため、議論の本筋は変わりません。ご指摘ありがとうございました。
学費未納による抹籍は退学にあたらないのではないか?という点について。早稲田大学の退学規定によれば、学費未納は自動的に抹籍になり措置退学とみなされます。つまり、退学扱です。再入学には大学の選考による許可が必要となります。
「退学状態にあったことや、再入学についての説明が不十分であったことは否定できないと思います。特に再入学できない可能性が明らかになった後もその点を明確に説明せず支援を集め続けた点は、かなり問題があると思います」(太田真也弁護士)
批判覚悟で言いたいことを先に言うと、
「貸す方と借りるほうが納得してるのに、部外者がグダグダ言うのは気持ち悪い」ってことだな。
それを言ったら消費者金融の問題もヤミ金の問題とかも全部問題なしになっちまうけどさ。
貸す側の責任とか、借りる側の責任とか、そういうのはそれぞれが負えばいい。
もともと、銀行業っていうのは、借りたい人間と貸したい人間を結びつける仕事、金を貸す相手の返済能力を査定する仕事だと思ってる。
銀行が企業の返済能力を査定することに関してどれだけ秀でてるかなんてのは、怪しい。
財務表の読み方くらいなら、そりゃ金融業が誕生したバビロンの時代ならとにかく、識字率が2割だった中世ならとにかく、そんなに特殊技能とは言えないし。
そもそも、そういうことに秀でていたら、不良債権を抱えたりしねぇ。
給料は銀行に貸して利息をもらって、銀行は企業に貸して、利息をもらって、っていうのはもう前時代的で、個人が好きなところ、信用してる会社、個人と好きに取引すればいい。
話が脱線したので戻るが、日本育英会がどれだけ学生の優秀さを判断できるかなんてものも怪しい。
そもそも、学生を値踏みする力があるなら、踏み倒されたりしねぇ。
A銀行の融資を切られたから、B銀行の融資を受けた、それとなにが違う?
育英会から資金を調達しようが、マネーの虎で資金を調達しようが、study giftとやらで調達しようが、なんで部外者が騒ぐのかね?
自分が金を出したわけでもないのに。
ソーシャルネットワークとかいうものが気持ち悪いと思ってる人間だから、google+で人気者ってのを俺は評価しないけど、
ソーシャルネットワークでもてはやされるのが気持ち悪いっていうことで言うなら、facebook上場と、公募価格で必死に買い支えるモルガン・スタンレーとゴールドマンサックスのほうがずっと気持ち悪い。
また話がズレた。
もう一回ふりだしに戻す。
あの騒ぎはただの嫉妬。
奨学金なんてのはオワコンで代替えのサービスが出てくるのは自明。
ってことだ。
とはいえ、炎上させた、加害者は嫉妬に狂ったバカだけど、炎上必至のシステムを作って、一人の人生を狂わせたのはちょっとひでぇなと思う。
僕がこの世から消し去りたいものは3つあります。ひとつは、核戦争、ふたつめは、魔族と人間のハーフである魔剣士グロチウスが主人公(必殺技は真・蛇殺円月刃↓\→↓\→AB)の冒険譚を書き綴った僕の黒歴史ノート、みっつめが、ソーシャル物乞いをする女子大生です。
Google+で日本一のフォロワーを持つ女子大生、坂口さんが炎上しています。ネットのやりすぎと、海外留学で早稲田大学の単位を落として、留年をするための費用を、ソーシャルネットワークstudy giftを使った寄付で賄おうとしたのが原因です。
さらに、なぜ僕らは「ソーシャル物乞い」を赦すことが出来ないのか。
日本人の国民性との相性の悪さ、そして、サービス自体のインセンティブ設計の悪さによって、学費寄付プラットフォーム「study gift」がうまくいかない理由を解説してきます。
意外と思うかもしれませんが、日本人は世界有数の「自己責任国家」です。自分のケツを自分でフケと思っています。本当?と思う人は、ファクトを見てみましょう。
What the World Thinks in 2007の調査結果によれば、日本では「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と考えている人が世界で最も多いのです。日本人で「必要はない」と答えたのは、38%。弱肉強食の自己責任国家アメリカでも28%で2位なのを考えれば、いかにこの数字が凄いかわかりますよね。
このように、日本人はマッチョイズムの国アメリカよりも、「てめぇのケツはてめぇでふけ」と考えています。
なぜかというと、日本の共同体というのは、ムラ、地縁、血縁・・・こういうものが完全に瓦解しつつある超個人主義社会だからです。個人社会なのだから、自分のケツは自分で拭けよという言説が強くなります。生活保護に、なぜあれだけの人が発狂するのかを考えれば、日本人がいかに自己責任教のマッチョ民族かわかりますよね。
自己責任教の世界一の教徒である私たちは、この女子大生の乞食っぷりを赦すことができないわけです。
でも、可愛い女子大生が困っているのだから・・・、という意見もあるでしょう。
それでも、なお賛同を得られないと断言します。
なぜなら、
「手を尽くしていないから」
彼女は手を尽くしていない。やるべきことをやらずに、助けを求めている。だから批判されるのですね。
彼女は、google+で57000人のフォロワーがいる、家入さんのような大物とのつながりもある。実際に現在、IT系のイベントのマスコットガールとして引き合いがある。
はっきりいって、下手な社会人よりも「お金を稼ぎやすい立場にある」といえます。早稲田大学の留年費用くらい払える、稼げるでしょと。
自己責任教の私達にとって、他人の手を借りるのは、できることをやってから、という心情が根強い。
似たような事例では、NHKの職員が難病の娘の手術代金の寄付を願いでて、火祭りのように炎上した話があります。なぜなら、彼らはNHK職員で役員でかつ高給で、家も売っていないからです。しかも、彼らは金をほとんど出していない。
娘を治したいのはわかる、けど、てめぇでやれることをやってからだ。という理屈で炎上しました。
彼女の場合も同じで「自分でなんとかできるのに」「なんとかしない奴」が同情を得られる国ではない、という話ですよね。
「女なんだから、家入さんにおっぱいもませれば、ひともみ100万円くらいくれるんじゃないの」というような、僕は絶対にそんなことは考えたことがないし、考えたことのある奴は黒く腐って死ぬべきだと思うけど、そういうことを考える人もいる。
もちろん、前提として「ネットやってたら、単位落としちゃった。援助して。テヘペロ」に共感できねぇってのもありますよね。塩谷瞬さんが可愛く見えるレベル。
じゃあ、坂口さんはどうすれば炎上しなかったか。これはシンプルで「寄付ではなく、取引にすればよかった」。たとえば、
・日本で一番SNSを使いこなしている女子大生の無料ネットコンサル
みたいなことをやればよかった。まぁ、もっとスマートなやり方もあるかもしれないけど、彼女側からの納得できる価値提供が必要だった。なぜなら、価値提供があれば、それは乞食ではなく、ネットを使ったマーケティングだからです。それを批判するのは、資本主義に喧嘩を売ることになるので、なかなかに難しいですよね。
メルマガっていう価値提供はするみたいだけど、うん、メルマガは高名なジャーナリストのおかげでアレな感じになってるしね。
持っているのにその力を行使していない人が誰かからの共感を得ることってできないのではないかしら。
寄付ではなく取引にしろ、というと、それは寄付プラットフォームではないよねという話になるかもしれません。でも、「学生への寄付」というコンセプトをとり続ける時点で、study giftはあまりうまくいかないと結論を出せます。
なぜか。簡単に言うと「寄付をするためのインセンティブを提供できない」からです。
これは僕らが寄付をする動機を考えればわかります。寄付をする理由は3つあって、
まぁ、こんなもんだよね。で、学生に寄付をしても2.3は期待できない。とすると、1の「精神的な満足を得たい」だけになる。NPOに寄付をするなら、1は大いに期待できる。
でも、女子大生が「あなたのおかげで大学を卒業できました!サイバーエージェントに就職して、これからはコンプガチャに変わる新しい価値ある課金ソリューションを生み出します」となっても、それで精神的に満足する人は少ない。
なぜなら、ネットにはまって単位を落とした女子大生に5000円を使うなら、人は、アフリカの子供たちを数百人救える5000円の使い方をしたいから。たとえば、5000円出せば、予防接種のワクチン350回分が用意できる。そういう精神的満足に、ネットを頑張った女子大生を助ける満足は、かなわない。
もっと同情できる学生がこれから出てくるかもしれない。けど、やっぱさ、合理的な考え方をすると、寄付だってコスパを考える。学費っていう寄付は、この世の中の寄付でも恐ろしく「精神的満足」のコスパが悪いのですよ。
さらに言うなら、「study gift は集金力が恐ろしいほど低い」からうまくいかない。40万以上集まったスゴイと思う人もいるかもしれない。
けどさ、
という、
「隠してたんだけど、俺は核戦争を生き延びた魔族の末裔かつ、体がゴムのように伸びて、かつ幼なじみは美人、かつ吸血鬼でなんというか凄くスゴイ、あと、魔法とかも使える。加えていうと、ちんちんが鬼のように黒くてでかい、その名を魔剣士グロチウス」みたいな、ウルトラご都合主義なみに、好条件がそろって、40万円ぽっち。(僕が書いてる時点で)
集金力の低さは、上の「学費という寄付はコスパが悪い」ことと「学費ぐらいなんとかしろというマッチョイズム」に起因してるんでしょう。
いやぁ、無理でしょ。仮に今回がうまくいったとしても、他の学生にも適用できるようなプラットフォームにはなりえないんじゃないかしら。個人情報と、ネットのおもちゃになるリスクをとって得られるリターン、たぶん、恐ろしくつりあわなくなるよと。プラットフォームとしては機能しない。じゃあ、家入てめぇが寄付すりゃええやんかと。
つーわけで、最後はRHYMESTERの『耳ヲ貸スベキ』からの引用でしめたいとおもいます。
で全部終わる話しですよね。てめぇで稼げるんやから、てめぇが稼げやハゲと。まぁ、お金貢ぐひとは勝手にやったらいいんじゃないですか。それで、アフリカ人もっと救えるけどね。
いや、うん、こういう正論じみたものが聞きたいわけじゃないよね。そう、違う。
あのさ、あのさ、留年した理由は、インターネットにはまってSNSに写真をはりつけるのに時間を使ったり、旅行を楽しむのに時間を使ったり、さらには雀荘にいくのに時間を使ったからだよね。いい、言うよ、あの日桜の木の下で交わした約束、もう忘れてる?だから、言うね、今言わないと一生後悔するから、言うね。
ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかじゃねぇの。
糞して寝ろ。
ソーシャルネットワーク全盛期2012年。当時女子大生だったアヤはまさにソーシャルネットで遊びほうけてしまい本業である勉強が疎かになり、ついに奨学金を打ち切られる。困ったアヤの目の前に現れた、自分を「天使である」と名乗る大人。アヤに「君はもっと天使に近づける」と知恵を授ける。そこでアヤはその天使に従い、様々な不思議な指令を実行していくが…?
「わたしと雲の上の天使たち」は、わたし(アヤ)が自分の若かりし頃を振り返り、懐古していく近未来視点からの現代ミステリーです。「天使」というSF要素をスパイスに、彼女の半生がドラスティックかつ繊細に描かれた注目の作品になっています。
■目次
第一章「転落」
第三章「私の味方は天使たち」
第五章「天使たちの本当の願い」
第六章「こんなはずじゃなかった」
第九章「天使たちの牙」
第十章「わたしも天使になれる」
PEGGSという専門学校生に安価でイラスト作成を依頼できるサービスが炎上しています。
Twitter、はてブやら、facebookやらで「単価が低すぎる。クリエイターをなめるな」と騒がれているのです。
このPEGGS問題を起点に、定期的に話題になる「絵描きの単価が安すぎる問題」を検証してみましょう。
依頼するクライアントは安価で目的のイラストが手に入る。専門学校生だって、仕事の経験とお小遣いが手に入る。牛丼屋でバイトをしてお金を稼ぐよりも、絵を書いてお金を得る方が専門学校生にとっても楽しいはずです。独立して仕事がないときは、このサイトでダンピングをして凌ぐこともできる。要するに、ウィン×ウィンですよね。
当事者でもないのに「許せない」って騒ぐ人以外は、みんなが得をしています。
で、この問題について、BUTA、豚共がわやわや騒いでいます。彼らの主張を要約すると、こうです。
『単価として、一枚絵8000円は安すぎる。これはやりがいの搾取で買い叩きだ。許せない」
この主張って、どうしようもなくバカだと思います。なぜなら、専門学校生の立場で『不当に安い』と感じたら、仕事を受けなければいいだけだからです。
その値段で仕事を受ける学生は、その値段に納得して仕事を受託するのですね。だから、外野がブヒブヒ言っても、彼らが満足している限り問題にならない。
仮に「不当に安い」が本当ならサイト自体の存続が不可能になります。それはそれでオーライですよね。
もし、サイトが続くとしたら、その価格が妥当でイラストレーターも納得しているということになります。
「業者がイラストレーターに払う金が少なすぎる問題」って、わりと定期的に炎上する問題ですよね。でも、もっと待遇の悪い仕事はあまり話題にならない。
では、なぜイラスト単価問題だけが、これほど炎上するのかというと
こういう前提があるからです。『高い対価が払われるべきイラストレーターを安く使い倒す業者は許せんよ』という論理ですね。
でも、この前提ってほんとうに正しいのでしょうか。クリエイティブな行為はしかるべき対価が払われるべきなのでしょうか。
正直、クリエイティブさとか、つくるための労力って、価格には関係ないのですよ。値段というのは、需要と供給で決まります。
どれだけ絵を描くことがクリエイティブな作業だろうと、「そこそこの絵を描ける人がたくさんいる」現状では、値段が安くなるのって、当たり前すぎます。「それの持っている本質的価値」では、値段は決まりません。ゴッホの絵が牛丼より安く買われたのですから。
日本のイラストレーターのレベルは抜群に高いです。プロでない人でも、お金になる絵を描ける人が増えていますね。
なぜイラストレーターの平均レベルが上がったのか?それは、インターネットによって、学習の高速道路がひかれたからです。
インターネットなら、レベルの高い絵を見れるし、先駆者のノウハウものっている。良いノウハウはソーシャルネットワークで共有されてすぐに伝わってくる。その潮流をPixivがさらに推し進めています。
Pixivのコミュニティはどんどん広まっているので、これからますます絵描きは増える。すると、供給が増えて、価格に下方圧力がかかります。既存の市場にいるプレーヤーが「安くてやってられん」という値段で喜んでやる腕のたつ素人がガンガン生産される仕組みが出来上がっているんですね。結果、買い叩きが慢性的になっていきます。
このように、神の手に任せていると、絵描きの地位というのは、どんどん下がっていきます。絵で飯を喰う難易度が高くなる。参入障壁の低い仕事というのは、みんなそうですよね。
外野で「この値段は安すぎる』と批判をしても無駄です。なぜなら、安い値段でも仕事を受ける人達はいつも存在するからです。騒いでも、自分の仕事がなくなるだけで、損をします。
バラバラのままで交渉をしていると、神の手にさからえません。したがって、このままいけば、イラストレーターは最低賃金以下の待遇がデフォルトになります。
また、絵描きの仕事は時給ベース換算がしづらい。イラストレーターは自営業者だから最低賃金法も適用しにくい。取引形態もバラバラだから法規制は著しく困難です。ゆえに、神の手が幅を利かせる。
だから、もし絵描きの地位を向上させようというなら、労働組合的なものをつくるべきです。『適性価格』ってのを設定して、業界内ルールを作りあげる必要があります。絵描きを統一する組織なんて無いから、無理かもしれないけど、労組をつくるのが効果的な方法です。
けれど、Twitterで騒いだところで、何も改善されないのですね。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
僕が小学生だった頃は、友達とファミコンの話ばかりして、友達の家でファミコンをするのが楽しかった。
ちょっと風変わりなテクニックから、裏技バグ技まで、ほとんどは口伝えだった。
攻略本というのはたいていは高価だったし、旬から一歩遅れて発売されてた。
ソーシャル機能なんかなくたって、友達とつながる快感があった。
そこには確かに、ソーシャルネットワークがあった。
攻略本が、僕のソーシャルネットワークを殺した。
あるいは僕のように、ゲームに没頭すれば、誰かに繋がれるような錯覚を信じて、コントローラを握るパブロフの犬が残った。
条件反射が解けちゃったんだな。
ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く
「 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671 」
えーと、ハックルベリーさんこと「もしドラ」の筆者である、岩崎夏海さんが色々とはてなの利用者に対して質問してきていたので、質問内容が色々とこじらせていて正直めんどくせーなと内心思いつつ、なんか興味を持ったので答えてみるかみたいな気持ちになったので、岩崎さんの質問にざっくりと答えてみます。
(なお私自身これ書くまではてなダイアリー使ったことなく、一部見にくい所もあるかと思いますが。その点はご容赦を)
このブログ内容を見る限り、あなたのことをあまり知らない人でも普通の人は承認欲求の強い人間にしか見えないんじゃないかなぁと思いますけれどね。それがいい事なのか悪いことなのかは不明
申し訳ないですが、あなたのブログを日頃閲覧していませんので何とも言えません。はい
まぁそれは置いておいてあなたは自分自身の良い所、悪い所を探ろうとしてこんな質問をしてるのですよね(そうじゃないような気もしますが、そういうことにしておきましょう)、それって他の人があまりやろうとしない、なかなかできない立派な行為だと思いますよ。はい
それと多くの場合、短所は長所の裏返しでもあるってこと忘れちゃいけないよって言ってみる。
そうですね、例えば私だって進んで今食べている肉料理の食材がどんな感じで作られているか見たくも想像もしたくないですもの。こういう風に考えてしまうのは精神衛生上人間仕方のない部分もありますよね。またいちいち、真実を追求していくとキリがないというのもありますけれど。そういう意味で視点にバイアスが出てしまうのはどうしようもない所もあるんじゃないかなぁ。
世の中そんなものですよ、あんまり気にしないほうがいいですよ、はい (偉そうに言ってみる)
アップル製品を使ったことがなくてスティーブ・ジョブズさんの事、あまり知らないので何とも言えません。すみません
…えーと、ごめん、頭悪くて、英語の意味わからないです。こんな時はとりあえずそんな難しいこと言ってないで、飯食って歯を磨いてとっと寝ろって返せばいいのかな?
だってそうしたほうが、世間一般に説明しやすいし、しょうがないことじゃないことじゃないかなぁ。
そりゃ肩書のある人は多くの人にとっては偉い人だって思っちゃうわけで、それこそ肩書があるだけで、ほかの人より特に優れている人に見えない人でも、組織の中で重要人物として見られることも多々あるわけで、例えば政治の世界ですと元総理で民主党の羽田さんなんてそうですよね。これがいいことなのか悪いことなのかは正直言って時と場合によってでしょうね。
えーと…終わっているように見えて続いているものって結構あるものですよ(こう返せばいいのかな?)。正直どう返していいかわかりません、明確な答えは私自身持ってません残念ながら、はい
…はてなに関しては、ここ1~2年しか見てきてないのでなんとも言えません。
どういうふうに言われ続けてきたか詳細が分からないのでなんとも言えないし、
そうですね、こうしたベストセラー本を出せたことはやっぱり凄いことだと思いますし、あと(こんなこと言ったら褒めるレベルが低いって言われるかしれないけど)小学生の頃読書感想文で苦労した身とすればあれだけ長い文章を書くってすごい事だとは思いますね。あとブログが続かない私としてはブログがこうして続いていくその点もすごいなと思いますよ。はい
質問の意味がわかりません、いやなんとなく言いたいことはわかるけれど、なんか答えたくない。
私は本を読んでませんが、本について批評もしてないのでなんともいえませんね。
えーとどう返せばいいのかわからないけれど、少なくてもあなたは、こうやって矢面に立って批判を受けていることもあるわけですから。卑怯者ではないですよ。ただあなた自身が批判してきた人に対して、卑怯者だって罵るのは避けたほうがいいとは思います。
ベストセラー作家だけど質問があるよ? - ハックルベリーに会いに行く
ああハックル!ハックル!ありがとうハックル!あんた最高だよ!だから答えるよ全力で!
「ベストセラー作家だけど皆さんに質問があるよ?」ってエントリを立てちゃうくらいだからね!
『このエントリーが1000ブクマ行ったらぼくの知る「市場から撤退すべき企業」を発表します』を書いたキチガイが昔はてなにいたんだよね!
■なぜぼくの悪いところだけを取りあげて良いところを見ようとしないの?
良いところが全部悪いところで埋め尽くされてしまっているからだよ!エントリ最後は自著アフィリエイトにまとめて台無し、とかね!
■カエサルは「人間は自分が見たいと思う現実しか見ない」と言ったけどそれについてどう思うの?
本当に、心からそう思うよ!「K氏の悪辣な所業」とかは本当に「カエサルすげえな!」って思うポイントだよね!
■なぜぼくのことを偉そうと批判する人ほど偉そうなの?
2つ後3つ後に答えがわかるけど、それはハックルの被害妄想だよ!
ボク、ハックルが「ブーメラン」って言葉を知っていることに驚いたよ!
■なぜぼくのことを『ソーシャルネットワーク』に出ていたマーク・ザッカーバーグみたいだと思うの?
例えが偉そうすぎて2つ前の質問がかすんで見えるね!ハックルほど偉そうにできる人ってそうそういないよ!ザッカーバーグでさえ!もうちょっと控え目な例えの方が良かったと思うな。グーニーズのチャンクとか。
■ なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?
例えが偉そうすぎて3つ前の質問がかすんで見えるね!その言葉はマーク・ザッカーバーグですら言わないと思うよ!グーニーズのチャンクですら「スティーブ・ジョブズと握手したことあるんだぜ!」くらいの法螺話にすると思うよ!
■ぼくのような人間こそ「Stay hungry, Stay foolish」の体現者だと思わないの?
hungryでfoolishであることはこのエントリでもはや疑うべくもないよね!きっと明日からは「キチガイで承認欲求に飢えたハックル」って新しい枕詞がつくと思うよ!
■なぜぼくのことを語る時に「ベストセラー作家」とか「もしドラ」とかの枕詞をつけるの?
「ベストセラー作家だけど質問があるよ」っていうエントリ他、自分で枕詞つけまくっておいてそりゃないよ!
■ぼくは本を出す前も出した後も変わってないのになぜ「ベストセラー作家になると偉くなって」というふうにイメージをねじ曲げようとするの?
元々偉そうなのはハックルウォッチャーなら自明だから、捻じ曲げて解釈する人は一人もいないよ、安心してね!
■なぜ「終わってる」という言葉で全てを説明できている気になれるの?
本当だね。不思議だね。「終わりがすでに終わっていたAmazonとYahoo!(のコメント欄)」というエントリ他を書いた人の言葉とは思えないや!
■ぼくはもう三年も前からここで「終わっている」と言われ続けていることについてはどう思うの?
終わっているっていうのは間違いだよね!キチガイ第2章が華麗にスタートしたな!ってハックルウォッチャーは歓喜しているよ!
■あるいは子供の時から「お前は絶対成功しない」と言われ続けていることについてはどう思うの?
よっぽど子供のころから嫌われ者だったんだね…。自分をマネジメントできていなかったんだね。そんなハックル君には「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」がオススメだよ!
■「終わり」って三年も(あるいは四十三年も)「続く」ものなの?
「Twitterの終わりの始まり後略」「終わりがすでに終わっていた後略」の通り、終わりにもたくさんステップがあるよね!っていうかハックルって「終わり」って言葉好きだね!
■ぼくのことをすごいとは思わないの?
思うよ!すごいよ!すごいキチガイだよ!
■ぼくを本物だとは思わないの?
思うよ!本物だよ!本物のキチガイだよ!
■ぼくの本を読みもしないで批判するのは卑怯だと思わないの?
ボクは一応「もしドラ」を読んだけど(そのあとブックオフにバキとまとめて売ったけど)、ハックル本を読んでしまうとベストセラー作家顔で質問しているのがかわいそうになってしまうので読まないで批判している人達の方がハックル君にはいいと思うよ!
■卑怯者だと罵倒されて悔しくないの?
こんな面白いエントリを世界に発表してくれてありがとう!そのためならハックルから「卑怯者!」と呼ばれることなんて…ごめんむしろご褒美かと思っちゃうよ!
というわけで、raf00でした。(数人にバレたので。そうだよ俺だよ!)
続いては、いわゆる即席のインターネット上の出会いではない、ソーシャルネットワーク的なコミュニティーを利用した話である。
mixiであり、Twitterであり、ニコニコ生放送であり、オンラインゲームである。
いわゆる「コミュニケーションを前提としたコミュニティー」である。
はっきり言わせてもらうが、これが一番出会える可能性が高い。
現に4人の女性と出会い、うち1人とはお付き合いする関係にもなった。
もちろんその後振られてしまったのだが。だからこの記事を書いている。
出会いやすい背景として、やはり相手のバックグラウンドが多少なりと見えることだ。
mixiやTwitterといったソーシャルネットワークは、そこのベースにしてネット上での基板を作ることになる。
つまりその人が何に興味を持っていて、どんな趣味で、どういう人間なのか、文字情報だけであるが把握することができる。
前者2つとは違い、互いに意識することなく、理解していけるのだ。
その事による安心感と、共感覚が出会いにつながると言えるのだろう。
ネット上でコミュニケーションを取る。そして運が良ければオフ会に発展し、運が良ければ付き合うことになるのである。
その点前者2つは「女性自身が出会いを求めている」ので非常に手っ取り早いわけだ。
この記事を書いている理由は、より効率よく出会うためにの方法であり、その点比較すると非常にコストがかかるわけだ。
半年かけて出会える関係を作れたところで、いざ会ってみた所でタイプではなかったり、波長が合わない可能性もある。
そして私が振られた理由は、性格が合わないということだ。
結びとして示させてもらうなら
あるいは「SNSを使うと高収入になれる」というデマが流れるまで。
世の中は事実と異なる煽り記事があふれている。実際には嘘であることをそれとなくまかりとおすことは風説の流布になる。フィクションであるなら構わないが、それならば断っておく必要があるだろう。そのような煽り記事に対する傾向として、最近の記事を事例として「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか 」を例に情報の歪みをまとめておきたい。
ソーシャルネットワークで職場の人とつながっている? | DODA ホンネの転職白書
を見てほしい。これから言えるのは
最初の歪みはサンプルの質である。DODAであればそもそも「転職を考えている人間」であろうことが明示されていない。転職を考えているのなら少なくとも、性質上、縁故採用を期待するのは当たり前である。ならば転職者のSNSの利用が高くてもおかしくない。
一部引用すると、
順位 職種別 SNSの利用率
2 IT/通信 64.7%
3 金融 56.9%
順位 職種別 SNSの利用率
1 企画/マーケティング 82.1%
2 クリエイティブ 80.5%
とあるが、これも転職者が前提であれば、あるいは、DODAの顧客が前提であれば、SNSの利用率以前に流動性の高い職種が上位にくることは自
明である。したがって、転職者ほどSNS利用率が高いということではないだろうか。
一部引用すると、
SNS上で仕事関係者と交流するビジネスパーソンは、身近な同僚と会社内のコミュニケーションだけに留まらず、プライベートでも積極的にコミュニケーションをとっていることがうかがえます。一方で上司や部下、取引先については、SNS上では多少距離を置きたいと考えているようです。
このことは転職検討者ならば当然(上司や部下に内緒にしたいため)のことであり、サンプルの質により曲解ではないか。これらはサンプルの質を述べないために起きることである。
1 900万円台 68.4%
2 800万円台 66.7%
3 1000万円以上 60.0%
4 700万円台 57.4%
5 400万円台 56.5%
だそうだが、そもそも900万円台が何人いるのかどうかが述べられていない。相対的には少ないはずというのは予想できるが、傾向その1のとおり、上記職種の年収が比較的高いがゆえに利用率が高いだけではないだろうか。900万円台の人数と職種の比率を述べずして
と結論づけるのは、ないものをあるように見せているだけのようである。それならば、なぜ1000万円以上がなぜ下がっているのか?同じく500~600万円台で下がるのか?その理由も述べられていない。そうではなく「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアのSNS利用率は比較的高い」というのなら理解できる。実際、この情報からはそれだけしか読み取ることができない。年収が高いビジネスパーソン=SNSを積極利用というのは論理の飛躍ではないか。裏を返せば1000万以上職種は企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアではないということをまず述べるべきであり、DODAの顧客=転職者としては母数が多くない職種ではないと推測できる。おそらく流動性の低い職種であろう。つまり高収入の公務員や医者と考えられる。これらはサンプルの量(と、それに対する比率)を述べないために起きることである。
一部引用すると、
DODAに登録いただいた転職者約5000名の、TOEIC®テストの点数別に平均年収を見てみると、TOEIC®テストの平均点に近い550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高いことがわかっています(DODA調べ)。これらの調査結果をあわせみると、Facebookなど海外ユーザーとコミュニケーションをとる機会が多いSNSの普及と、語学力が高いユーザーの参加が増えたことが、年収別の利用率に関係していると考えられます。
実際には別の調査であり、まったく関係がない。にもかかわらず、同じ記事で関係されている。なぜなら「550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高い」ことは年収900万円が利用率の高い説明にはならないからである。TOEIC900点台が528万円であることならば、500万円台は54.3%でしかない。さらに「SNS利用率の高いユーザが英語できること」の調査結果はどこにもない。
※蛇足だが「TOEICの点数と年収の相関」の調査はあるようだ。
http://www.english-resume.net/indiv/ent-41-10.php
しかしDODAのこれらの調査記事は「転職検討者に限ったデータです」あるいは「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアに限り」などのバイアスに対する前置きさえあれば、特にいかがわしいものではない。間違った推論は余計だとしても、それが転職検討者のデータであるならば、理解できる部分が増える。そして、もっとも問題になのは事実を捻じ曲げたタイトルをつけてしまった次の記事である。
このタイトルはつまるところ「年収高くしたければSNSを利用せよ」という錯覚を引き起こす煽りである。実際にはその相関も因果も何も説明
されていない情報の二次コピーでしかない。少し譲って「「年収900万円台」の利用率は68.4%!」は、DODAの調査からそうであったとしよう。しかし上記で説明したとおり、「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」というタイトルは嘘である。実に巧妙に、この記事にはタイトルに嘘が50%含まれている。たぶんこのような誘導に慣れているのだろう。文章中に「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」という説明はどこにもない。diamondの記事ならば、せっかくなのでば600万円台、500万円台の利用率がなぜ400万円台より低いのかを分析したらどうだろうか。忙しい500万円~600万円の人はSNSの利用率が低い。とでも書いたらどうか。
これらを真に受けないように対策も述べておく。
http://www.j-cast.com/2009/05/29042167.html
主な利用目的がSNSであるのが36%と世界5か国中最も低い結果ということであり、直接上記の問題と関係はない。だが、どうやら思ったより熱
狂的ではないことは感じ取れる。震災後にSNSの利用ユーザー増えたという時期的なデータもある。
と
http://nensyu-labo.com/2nd_syokugyou.htm
を比べればわかるが、DODAのデータはやはり局所的であり、上記で推測したとおりの前提付きであろう。「流動性の高い職種ではSNS利用率が高い」あるいは「ITに関係する職種ほどSNS利用率が高い」という当たり前のタイトルがふさわしいのではないだろうか。それ以上ではない。
上記のとおり、年収とSNS利用率の相関も因果も確認されていると言いがたい。これを別角度から説明した良記事がある。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/08/24105238.html
このような疑問や批判精神から記事が作られることは、メディアの失われつつある機能であり、稀にしか書かれることはないが、もし存在するのならばそちらの記事を合わせて読むことが重要である。
ということであり、傾向その2は証明されたようだ。これでは確率的なブレの域を出ない。つまり次の調査では異なった結果が出る可能性が高い。
900万円台の人が占める割合は、わずか1.4%。1000万円以上も1.7%に過ぎない。30.8%を占める300万円台の20分の1。高収入者はもともと、SNSの利用率で一喜一憂する必要もないほど少数派だ。「自分はSNSをこんなに使っているのに、なぜ収入が低いのか」と自信を喪失しないようにしたい。
まったくそのとおりである。自信を喪失する必要などまったくない。少数をあたかも全体のように説明してはいけない。
なぜかマスメディアはなぜかSNSの利用を煽る傾向がある。自らの利用率が高いものは良いと当然、適用しようと思うのかもしれないが、私はSNSに熱狂したり血道を上げている人間に立派な人を見かけたことがない。正しいかどうかはわからないが(と、あらかじめことわった上で)現状のSNSの利用率に関する私の感覚を言うのならば、
・SNSの利用率が高い人ほど消費性向が高い
・SNSの利用率が高い人ほど飽きっぽい
ソーシャルネットワークと言う言葉が浸透し始めて以来、TwitterやFacebookなど、様々なソーシャルネットワークを利用するユーザー数が急増中です。
最初に浮かび上がる話題は、「★★★でビジネス展開」この言葉にどれだけの方々が踊らされ続けて来た事か・・・。
ビジネス展開の部分を煙に巻く様な内容のセミナーが横行し、その気にさせられた方々が無駄な動きを取ってしまう。
そんな話を聞いた事ってありませんか?
しかし、その展開して行く方向性を明確に理解していないとただの時間のロスにしか過ぎないのではないでしょうか?
では、いかに効率的に自分自身のスタイルを崩す事なくソーシャルネットワークでのビジネス展開を進めて行けば良いのかと言う事を簡単にでは御座いますが、掻い摘んでお話したいと思います。
インターネットが普及され、近所付き合い等の人間関係が希薄なモノになろうとしている現在。人々は誰とも会話を交わさずに生きて行ってるでしょうか?
答えはNOです。
これだけ簡単に色んな情報を手に入れる事が出来、これだけ手軽に世界中の人と繋がる事が出来る状況。それでも時が経てば経つほど、人は情報よりも人と人の関わりを求め始める。
金八先生曰く「人という字は人と人が支え合って出来ている」
そのとおりですね。人は人と関わり合って生きない限り満足を得る事は無いのです。
そして、その流れも不思議なモノで
当初は、世界中の人と簡単にやり取りが出来ると言う斬新さが刺激的な部分でもありましたが
よりリアルな距離感でのやり取りをスピード感を持って交わす事が出来るツールと言う使い方に変わろうとしてます。
その流れが顕著に現れてるのがTwitterやFacebookですね。
デベロッパー的な方(既に戦略的な利用をしてる方)は様々な地方の方との交流を図る場所として利用してる事が多いのですが、利用者の大半を占めている一般的な方々の利用方法は、身近な人とのコロニー的な交流を図る場所として利用する事が多い様です。
その昔、人々は道端で言葉を交わしながらその人がどういう考えを持っているのかと言う事を把握しながら交流を重ねて来ました。
知り合いでは無い間柄でも、他の人から得た情報や時々目にする相手の姿を見る事により相手のヒューマンデータの確立が出来ていたと言う事なんです。
ここは簡単に箇条書きで
1、相手の事を直接対話する前からある程度把握出来ている。
2、職業や業務内容も把握出来ている
3、大体どの辺りを拠点にしているのか把握出来ている。
ここまではリアルの世界もネットの世界も同じだと思います。では、わざわざネット上のソーシャルネットワークを使って人との交流を図る理由は?そんな疑問を持たれる方も多いのでは?
ソーシャルネットワークを利用する事によって更に大きな利点を得られるからこそ人々は利用するんだと考えています。
では、プラスの内容を追記。
+1、相手の趣味や思考を把握できる。
+2、相手との接点を持ち易い
これこそが、ソーシャルネットワークの利点です。
以上の内容で考えると、ビジネス展開と言う点での光が見えて来た方もいらっしゃるかと思います。
情報を得る事も重要ではありますが、ソーシャルネットワークとは、如何にして自分自身のパーソナルデータを発信し続けるかと言う事がポイントになるので、あなた自身の日常や趣味などを可能な限り公開し続ける事。
仕事に置き換えるとすれば、お客様や取引先の方に、表面上でしか把握されていなかったあなた自身のパーソナルデータを把握して貰う事が出来、より親近感を持って頂く事も可能であると言う事なんです。
そして、それらの流れは今までの世界観とは全く違った営業活動にもなる訳です。
インターネットは24時間フルオープン状態!!あなたが公開した情報は、今までの仕事時間では展開する事が出来なかった時間帯での活動をも可能にしてくれていると言う事なんです!!
では、あなたの事を検索された時の事を考えてみるとどうでしょう?
検索結果に1~2つの内容が出るだけの場合と、検索結果ページ内にズラッとあなたの事が並んだ場合。
必然的に、検索結果に色んな情報が出る方は再度検索される場合が多いと言う調査結果も出ており、ただ日常をネット上で表現(公開)するだけであなた自身の大きなブランディングが出来てしまう。
これこそがソーシャルネットワークでのビジネス展開になると思いませんか?
1、わざわざ日常とは違う何かを始める訳でも無い。
2、使っているうちにスキルアップも可能。
ここまで書けばご理解頂けると思います。
ネットは苦手なんだよなあ・・なんて言ってる場合では無いのです!!
こんなにも簡単に無料で使える最強ツールを使わない手は無いのです!!
まずは、始めてみる事です!!
あなた自身に合った最高のソーシャルネットワークの利用方法を確立してみて下さい♪
(CV: 小山力也)
よう、全国2000万の非コミュども。今日も今日とて、カスみたいな増田で傷の舐めあいと罵り合いか。
タイトルの通り、最近自分の周りの非コミュたちを見ていて、なんとなく共通して当てはまるものが見えてきた。
信頼を失うような立ち振る舞いが多い。メールの返事返さないとか、電話にでない、とか。
基本的にこちらの事情や行動を平気で踏み潰すヤツが多いことに気づいた。
信用は金で買えるが、信頼は金で買えない。
コミュニケーションというのは信頼が前提にあるものだから、これを失うと、どんどん人間が離れていく。
最初から信頼を獲得するスキルを持ちあわせていなければ、最初から人間は近づいてこない。
つまり、信頼とは本来時間と手間をかけて積み上げていくもので、
それが最初から足りてないから、非コミュは非コミュのままなのだ。
本来は付け焼刃で人間関係スキルだけを磨こうとしても信頼は勝ち取れないのだが、
右も左も分からない非コミュたちには最初のワンステップは必要だろう。
10の具体的なテクニックとしてまとめておいた。
これらは基本的に、小さな信頼を獲得し、コミュニケーションを維持するためのテクニックだ。
これをすれば相手との会話やメールを維持することにつながる。そしてそれがコミュ力だ。
どれも社会人として基本的なことだが、これをすべてやり続けると、
遅刻をするってことは、待ってくれている人の時間を盗むこと。
時間は金で買えないし、返すこともできない。
相手のその日の貴重な1分1秒を奪ってしまったと考えろ。
誰も泥棒を信頼しないし、君も信頼しないだろ?
忙しかったり、小さなことだったら忘れることもあるだろう。
ところが、相手からしたら小さなことではなく、とても重要なことだったりする。
そういうことで相手や周囲から信頼は簡単に失う。
忘れそうだったらメモるとか、タスク管理するとか忘れない方法を考えろ。
仕事だと必然的に納期というものがあるが、プライベートでもいつまでにそれをしたらいいのか確認する
「いつでもいいよ」と言われても「こっちの都合で決めていい? 1週間後でどう?」と決めておく。
「いつでもいい」と言っても半年や1年待ってくれるヤツは、ほとんど居ない。
「あれ、いつやってくれるの?」「いつでもいいんじゃなかったの?」「そうだけどさっ!(怒」
このやりとりをしてしまうと、最悪のパターンだ。
「いつでもいい」は「やってもやらなくてもいい」ではないことも肝に銘じろ。
秒速で返せ、っていうわけじゃない。でも24時間以内には返せ。仕事だったら翌営業日まで。
24時間以内で答えが出せない返事は、返事するのに待って欲しい、という返事を書く。
いつまでには返事できる、というのも書き添える。
いつまでに返事できるかわからなかったとしたら、それも正直に書く。
真っ当な教育を受けて来た人間なら、今までの人生の必ずどこかで教わっているはずだ。
そして、真っ当な人間なら「ありがとう」と言ってもらえると嬉しい。
部下の仕事ぶりにもこれは使う。仕事だから当たり前、自分の部下だから当たり前、と思っていると
最低限の仕事はこなしてくれても上司としての信頼は勝ち取れないし、チームとしての能率も下がる。
例えば起業することになり、友達でデザイン事務所やっているヤツが名刺を作ってくれたとする
「おまえとは友達だし、そこまで手間かかるものでもないから、今回はタダでいいよ」
と言ってくれても、その言葉は額面通りに捉えるな。
その友達はそのスキルで商売をしていて、その商売の時間を短時間とはいえ割いてでも作ってくれたのだ。
金はいらないというのなら、せめて飲み会開いて一晩の飲み代ぐらいは奢れ。
恋人や伴侶、家族、大切な友人には必須イベントだが、友人、ちょっとした知人にもあげたほうがいい。
ただし、友人レベルには大した額でないプレゼントを考えろ。あまり額が大きいと相手は引く。
普段あまり顔をあわせない相手にはおめでとうメールを送れ。疎遠だった人と関係を復活させるチャンスにもなる。
その人の趣味や仕事に直結するような情報を仕入れたらすぐに教える。
例えばビール好きの人が知り合いにいて、自分の地元でビール祭りが開かれる、なんて話があったらすぐにメール。
自分の趣味趣向を知った上でプラスになる情報を教えてくれた、ということが喜ばれるのだ。
若いヤツには効果的だ。年長者からは「若いのにしっかりしてる」という印象を持ってもらえる。
きちんと躾された人間には当然のことだが、最近これが出来ない人、すごく多い。
祝い事やお見舞いにはしかるべき熨斗(のし)をつける。わからなかったらググれ。店の人に聞くのもいい。
別段の要件のない、ただ遊びに行ったり訪問するだけの場合でも手土産は忘れるな。特に初訪問には必須。
相手の時間をこちらの都合で割くのだから、それに見合う返礼は持って行け。
とりあえずの10項目だ。
1〜5までは社会人として信頼を維持するための必須条件だ。これを外すと信頼は減点される。
6〜10は相手に+αの信頼と心象の良さをアピールするものだ。
つまり、信頼の加点要素。ただし1〜5までがしっかり出来ているという前提だ。
どれも、マメさや多少の金銭、手間暇が求められる。
でも、そういうことに金や時間といった人生のリソースを費やすことが
社会の中で良好な人間関係を築くってことだ。
社会でちゃんと生きてるヤツは、こういうことがちゃんと出来てるってことだよ。
騙されたと思って1年間これやり続けてみな
とはいえ、こんなに釣れるとは思ってなかった。
読み返せばちょっと分かりにくいところもあったので、てにおはを付け加えたり、言葉を前後したりしてるが、
基本的に意味は改変してないので、後から読む人は安心してほしい。
「恋人が出来ない。いつも一人」とか「一緒に遊んでくれる友達いないんでぼっちなんすよ」
とか言っているヤツは、挙げた1〜10は概ね出来ていない。
こういう状態を非コミュだと考えている人は、オレ以外にもいるだろう。
そこから脱したいのであれば、上記10個を実践すればいいし、
非コミュのままでいいというヤツは、それでいいと思う。
ただ読めばわかるが、人間関係≠0のヤツが前提だ。
本当に0のヤツは… そんなヤツいるのか? だとしたら現代の仙人だな。
何にせよ「これは非コミュじゃない!!!!」と思うのなら、そう思っててくれ。
非コミュの定義を社会学のお偉いセンセにでも定義してもらうまで、この論争はお預けだ。
特に後半を人をたぶらかすテクニックだとか、見返りを要求しているように感じる人たち。
そう思う思考回路は卑屈そのものだから、早めに改めたほうがいい。
卑屈でいることは、何の得にもならない。むしろ鬱になる傾向があるといっていい。
卑屈が過ぎて、鬱になり職を追われた人間を何人も知っている。
公私ともに必要なテクニックだ。特に贈答が関わるものは、女性のほうが敏感だぞ。
よく母親や嫁さんが「お返ししなきゃ」とか言ってるだろ?
こちらと相手の格を考えて、額や品を考えなきゃいけないんだよ、本来は。
ただまあ、そこは高度な人間関係のテクニックだから、そういうのは母親や嫁さんに任せとけ。
モノ知らないヤツが横から首突っ込んでああだこうだ言うような次元じゃないんだよ。
id:REV こういう行為は、おそらく、たぶん、コストパフォーマンスが良い。で、こういうのを安く考えるから非コミュになっているというw
仰るとおりだ。若い人こそ先が長いんだから、こういうこと大事にしておかないと、後の人生で面倒や恥をかくことになるな。
id:kussun 人間関係 お世話になった人からの答えにくいメールを無視という最悪の形で返してしまった愚か者がここに。 4)が心に刺さる。
年賀状やお中元の類は年長者にはメリットあるが、むしろ若年層はメールのほうが敏感なもんだ。
メールであれなんであれ、便りの返事が遅いと、出したほうはやきもきするものだ。
事情は知らないが、早めにお詫びと、答えられないんなら答えられない理由正直に書いて送ったほうがいいと思うぞ。
id:rag_en 増田 4以外の前半はまぁいいとしても。後半は、結婚式とか葬式とかあの手のイベントに通じる気持ち悪さ満載だなー、と思った。コミュ・非コミュっていうか、昭和の残滓って言ったほうがしっくりくる。
昭和の残滓とは素晴らしい表現だとは思うが、時候や儀礼は大切にしたほうがいい。
例えば年賀状なんて明治から始まった作られた文化だと言うヤツがいるが、
お世話になった人たちに年始の挨拶を訪ねてまわるってのは、もっと昔からあったんだよ。
今の年賀メールといっしょで「なんだ、挨拶にも来ず紙キレ一枚で挨拶したつもりか、無礼な」
って当時の老人たちは思ったかもしれないな。
大切なのは、その媒体の形にこだわらず、その背景を大切に、ってことだと思うぞ。
id:triggerhappysundaymorning こうゆうウザい諸々から逃れるために非コミュを目指してるんじゃないの?
id:Blue-Period 非コミュ 人数分×2個のお土産を持参して渡す勇気が出ずに最後まで残業してこっそり持ち帰ってる俺の気苦労をなんだと思ってるの? バカなの?
素敵な写真を撮れる人は、そういう立ち振る舞いもソツなくこなせると思っていたのはオレの思い込みだったな。
それは仕事上のことなのか? だとしたら最悪じゃないか? バカなのは君だ。
自分の上司からは「あいつちゃんと手土産持って行ってる」と思われ
相手先からは「(あの人、手ぶらで来たの? エー? ヒソヒソ)」って言われてるかもしれない。
まあ、手ぶらで来たことに根を持つような会社や人間はロクなもんじゃないが、
会社同士の付き合いの上で、それはちょっとヤバいんじゃないか?
id:aozora21 はてな匿名ダイアリー 1から5までは当たり前、ただし仕事上で。手土産もプレゼントも策略なら面倒くさいのでやめてほしいです。
君のようなのが卑屈人間の典型だ。
相手が本当に君が喜んでくれるなら、という思いだけでプレゼントくれたのだとしたらどう思う?
それは相手に対して失礼だとは思わないのか?
id:jassmaz 六以降はTwitterなどソーシャルネットワーク以後の社会においてはさして重要ではないような。昔は誕生メールなんか来たけど、今じゃ、twitterやmixiを介して祝うからなあ。
仰るとおりだ。
オレも無根拠にこだわれ、と言ってるわけじゃない。twitterやmixiでメッセージ伝えられるのなら十分だ。
最近はAmazonのギフトカードをネット経由で送ることも良くしてる。
もちろんその人がAmazonでよく買い物をしてる、という情報をリサーチした上でだ。
id:houyhnhm 遅刻の神みたいな人がいるけど、それは非コミュからかけ離れてるしねえ。/仕事上の信頼はなんか無責任に仕事投げられるサインっぽいので、いい加減になろうと思う今日この頃です。
オレは遅刻の紙なんか真っ先に付き合い切りたいと思うがな。
無責任っていうのは、まず本当に無責任なのかどうか確かめる必要がある。
君の伸びしろを期待して仕事をふってるのかもしれない。
早期の転職をおすすめする。
id:uwananiwosuru 全然できてない人にも友達はいるわけで それはどういうことなのか非コミュには全くわかんにゃい
それは本当の友達なのか確認するべきだな。
金やなんらかのメリットに群がってるだけなのかもしれないし、
単なる腐れ縁だけなのかもしれない。
朱に交わればなんとやら、と言うしな。
id:Nihonjin これらのことを「思い入れなしに」実行できることがポイントだろう。マリオでクリボーを踏み潰す感じで。あんまり考えすぎるとできなくなる。相手のこころを読み込みすぎるから。
仰るとおりだが、それは最終的な理想型だ。
これをやってこなかったヤツは、どうしても最初は意識しないとできない。
ただ、これをやりだすと、相手から「ありがとう」と言ってもらえることも増えるし
メールはちゃんと返ってくるし、あまつさえ誕生日プレゼントがもらえちゃったりするのだ。
それぐらいになると、意識せずにも自然に出来るようになってると思うぞ。
id:mamezou36 生活 素直にとても参考になる。18歳ぐらいの時に読んでいれば人生も変わっていただろう。
こういうことは年齢の問題じゃないぞ。
今やらなければ、これからも変わらないままだ。
1)でも言ったように、過ぎた時間は取り戻せないんだぞ。
今そんなことを考える暇があったら、この10をどう自分の生活に取り込むか考えたほうがメリットあるんじゃないのか?
id:ToQoz えっと... 期限守らないとかはうざいけど. 半分くらいはよく分からないな. なんか持ってこないと価値を見いだせないような訪問は受けるなよとかゴニョゴニョ
なんで迎えるほうの話してるんだ? 訪問するときの話だぞ?
手土産なんか気にせず来て欲しい時は「手ぶらで気楽においでよ♪」と軽く言っておくもんだ。
これを増田に書いて何がしたい? 2011/07/14
知り合いに増田を使ってプロモーション打てないかっていうヤツがいるんだけど、
オレはまったくそんなことには使えないと思っていて、でも、増田の情報波及力って
どういう感じなのかな? と思って釣ってみた。
トラバのつきかた、はてブの伸び方、それと連動するTwitter上での動き。
どれも興味深かったぜ。
あとまあ、人を釣る以上、真っ当な記事は書いておきたい、という思いもある。
今も常識だと思うがね?
自分の親にこれ見せてみろ。なんて言う?
君と同じ意見なら、さもしい生まれなんだな。
自分の境遇を不運だと思ったほうが良いぞ。
好きに生きろよ。まあ他人をうまく利用するためには安い費用だと思うし、有効な投資方法だと思うよ。他人をうまく利用するためには、他人の信用を得ないといけない。
非コミュで生きたいのなら、そうしたらいい。
ただ、ここに書いてあるのは信頼の得方だ。信用の話じゃない。信用は金で買える。
ここでも金を使う方法を書いてはいるが、金の額で動く話じゃない。
基本的な対人スキルが、信頼を底支えするのだ。
あと、利用するという考えは卑屈だからやめたほうがいい。
id:toma-stk これらの事を出来ない人が非コミュなら、不自然にやってる人はキョロ充で、自然にやってる人がリア充のような気がする。
キョロ充って何だ? チョコボールが満足食えてる状態のことか?
最初はみんな不自然だ。
でも、失敗を恐れず場数を踏んだやつだけが自然にやってのけるんだよ。
俺相手の場合は7〜10はやらなくていいよ。
今後は、そういう意思表示って重要になってくるとオレも思っている。
オレの場合、男女合わせてたぶん10人ぐらいは毎年誕生日プレゼントのやりとりしてるんだが、
その半分ぐらいは男だ。4〜5人、ってところか。
軽い感じならさっきもいったようにAmazonギフトカードとかiTunesカードとかで済ますが、
長い付き合いのやつとか、いつも仕事手伝ってくれてる人には腕時計とかちょっとしたバッグとか
id:ktasaka 営業の人がやるといいんじゃないかと思う10項目。
何度も言っているが、これは公私関係なくのテクニックだぞ。
別にプライベートの知人友人に送ってはいけない類のものでもない。
前半5項目はプライベートでも必修科目だ。
遊びに行くのでも、無意味に遅刻してくるヤツは評価下げられるぞ。
id:godfrey 増田, 生活, ネタ これら全て、ラブプラスにおいては実践している。そんな自分に隙は無かった。
オレは全く逆だった。
この違いは一体なんなんだろうな!
id:atawi 人類が残念, 同調圧力 よく読まなかったせいで、最初リストが「こんなに上辺を取り繕うから非コミュなんだよ」って指摘なのかと思った。息苦しい、俺ダンゴムシでいいわ。
残念なのは君の脳ミソだ。人間どうあがいても、ダンゴムシにダウングレードは出来ない。
現代の仙人になることをおすすめする。
ドコモの電波がギリギリ入るところでマイクロ水力発電と狩猟採集生活をしてみてはどうだろうか?
21世紀仙人のあり方として、素敵だと思うぞ。
id:matogawa183 書いている事は正しいと思う。マナーだよね。/でも、「非コミュ」の定義がずれてる気がする/アスペルガー的な非コミュに対してどう考えているのか知りたい。「非コミュ」が悩んでいるのはそっちだと思う。
非コミュの定義は既に述べたとおり、お偉い先生にしてもらおう。
それらしい人物がいた記憶がないので、なんとも言えないな。
すまない。
id:sktnkmwy これらを常識として行い、それに対してウザがられるのが真の非コミュです。例→「プレゼント?うっざー」「ちまちまメール送ってくんじゃねーよ」
それは演出が下手なだけだ。
オレがあげた10を無計画になぞっても意味ないだけだぞ。
相手や機会の背景に合わせて、贈答品の額やメールにタイミングも見極めが必要だ。
そういうことも、折を見て触れていこうとは思っている
もちろんだ。
逆に金がなくても手間暇をかければ誠意を見せられる工夫はいくらでもある。
それすら怠ると、誠意を見せるきっかけがゼロになる、ということだな。
id:komurasakihokori 非コミュのほうが楽です・・・ / とても気持ち悪い。特にブコメへの返信。
増田ではよくあることだ。気にするな
id:washi-mizok 盛り上がってんな
想像以上の釣果で驚いている!
id:gohan_gohan それは非コミュとかそういう問題じゃなくね?一般常識だろ
オレの周囲では、一般常識欠けているヤツに限って、非コミュを自称し、自虐している。
id:dekillcaner 「ちょっとした知人」とか「特にお世話になった相手」が分からないのが非コミュ。非コミュが実践しようとすると、その程度の関係の人にそこまでしなくていいよ!とか、その人にはもっとちゃんとしないと!ってなる
然るべき教育、躾の経験が無かった人はそうかもしれないな。
周囲にそういうことに長けている人に色々聞くのがいいだろう。
特に女性はそういうの敏感だから、ある程度社会経験積んだ女性の知り合い作っておくと心強いぞ。
大学生でこのあたりが出来ているとはすごいな!
がんばってくれ!
id:asitanoyamasita カーチャンは裕福めな縁戚から高価な土産や祭日の贈り物を受け取るたび、隠れて「ハァ、またこんな高価な…またお返し考えなくちゃ。もうイヤんなる」とよく嘆いてたなぁ。物品贈答関連だけはマジで別問題。
仰るとおりだ。
だが、君の指摘する問題は非コミュから相当上位次元の問題であるから、ここでは問題にしない。
ご母堂はお気の毒だったと思う。元増田が心を痛めていたと伝えてくれ!
id:guldeen lifehack, anond, literacy, society, communication 仰るとおり。この程度のことを面倒臭がると(特に賀状・暑中見舞い。1回50円で済むのだから)、それこそ親類縁者からも見放される。
id:anigoka 1億総非コミュ時代, 無能が偉そうに一言→ 個人・世代間のコモンセンスが崩壊した断絶社会でこんなベタなメソッドが社会スキルとして成立すると思ってる増田の暢気さが羨ましい そーゆー311以前のセカイはゴミお節と一緒に円環に導かれたと何度言えば(ry
君の所属するコミュニティが断絶しているだけではないのか?
少なくとも311が関係しているとは思えないな。関東以北ではそうなのか?
まあ、たゆんたゆんしているおっぱいに好んで寄ってくる人間も少ないだろうがな
id:Solven 人間関係を築く相手がいない段階を非コミュと呼ぶんだと思ってたし、私は今それを目指しているから、私は現代の仙人志願者だったのだ
id:saurel 増田 お中元とお歳暮は誰も得しない自己満の押し付けだかんな。俺はあんなの寄越す人は逆に信頼しねーぞ。
心配しなくていい。そういう君も、周囲からは多分信頼されていないと思うぞ。よかったな!
id:morimori_68 ふむ コミュニケーション技能よりもコミュニケーションしようとする意志に着目するほうがうまくいくと思う。
最初はそこから書こうかとも思ったんだが、自己啓発臭くなるのでやめておいた。
今でも十分自己啓発だがな!
id:SHA-320 コミュニケーション, 仕事, 生活 常識やマナーという前提で、使わなくてもいいような間柄になれるのがコミュ強者なんじゃないの。
親しき中にも礼儀有り、という言葉を親から教えてもらわなかったのか?
さもしい生まれだな。
そういう常識やマナーがなくても成立してる間柄は、単なる腐れ縁だ。
夜中のファミレスで夜通しマンガ読んだりくだらない話してるだけの人間がいるだろう?
あいいうのだ。コミュ出来ているように見えて、ああいうのに信頼関係は無いと思うぞ。
id:iroika 社会, 生活 一度誰かに無条件に世話し