はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは
自分は都内のアラサーのゲイ。去年発達障害(adhd)と診断名がついた。セクシャルかつ障害面でも診断され、いわゆるダブルマイノリティ。この世にLGBTの仲間が7パーセントいるとデータがあるけど、自分は何パーセントになるんだろう?
でも、仕事面では周りにサポートも得ているし、そんなにハンディーにはなってない。
何より辛い、苦しいのは今までストレートで過ごしてきた時の学生時代の友達が年齢につれて結婚して子供を持ち、幸せな家庭を築いていること。人間としてそれが繰り返されてきた歴史だけど、自分にはできない。
先週、中学時代に片想いしていた男の子から出張で東京に来るから良かったらご飯でも食べようと連絡をもらった。
自分は転校してきたばかりの中、彼はアイドルのようにキラキラしていて周りからも好かれていて自分にとっても仲良くなりたいと思える人だった。思春期だった頃、友達になりたい気持ちが決して叶わぬ片想いだったのは今でも覚えてる。
数年前、彼から久しぶりに連絡があった。結婚式の招待状を送りたいから住所を教えてくれとのことだった。喜んで自分は彼の結婚式に参加したし、披露宴の間は喜ばしい気持ちと彼の奥さんになる人が羨ましいなという羨望の気持ちで揺れていた。
あんた達は知り合って数年で結婚したんだろうけど、こっちの付き合ってる、知り合ってる時間は10年以上なんだから負けてねぇよ、と心のどこかで思ってた。
ゲイのようなセクシャルマイノリティーがノンケ、いわゆるストレートの人に恋心を抱くのはNGだとこちらの業界では呼ばれてる。相手に迷惑をかけることは勿論、決して叶わぬ恋だし一番傷つくのは自分自身だから。
気付かぬうちにその彼には一歳になる娘さんがいるそうだ。少し前に会った時は15年経っても変わらずキラキラ人懐っこい彼と話したことを思い出し、人柄は変わらなくても人生のステップは歩んでるんだなと心のどこかで感じた。
Facebookで結婚報告や子供が生まれたタイムラインが今でも周りで続いてるけど、いつの時からかその投稿を非表示にするようになった。機械的なFacebookのアンケートはなぜその投稿を嫌うのですか?と私に問う。
選択肢にあった見てて不快だったから、と選んだけど本当は自分の気持ちが惨めになるから、というのが理由。また、羨ましいからなんて選択肢はSNSには無いもんね。
彼だけでなく、今まで恋心を寄せていたストレートの人が結婚、つまり巣立って行くたびに寂しさで苛まれてたけど、それももう今は慣れてきた。
ゲイの恋愛は浅く寂しい。体目的で一晩体の関係を持って連絡が絶えることもザラだし、アプリでイケる人がいては一喜一憂の毎日。カマ口調で話して週末の夜をバーで盛り上げてるのは、ある意味慰め合いにも聞こえる。
でも、生まれつきのものだし病気でも無いのだから、本当の自分をいい加減受け入れて、素直に生きなきゃダメだというのはわかってる。
でも心の底では愛し合った人と結ばれていっしょに暮らし、その結晶である子供が生まれて家族になるという事が本当に羨ましい。できる事なら自分も普通に生まれたかった。
カミングアウトすらしてないのに、親から結婚は期待してないと言われたのはいつだったろう?ごめんね、親不孝で。でも、元気なうちは両親ともずっとそばに居たい。
自分が人とは違う、と気付いた時点で強くならなきゃダメだと悟った。どんな幸せな投稿、やり取りがあって勝手に一喜一憂して傷ついても明日は来る。
どう思って何を考えて居ても明日は来る。
自分にとっての幸せは何だろう?といつもふとした時に考えてしまう。
とにかく誇れるものを作ろう。
他の人には負けない何かを。
“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミでエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリングに見立てたペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。
こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイそのものに拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!
断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ち悪さなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトルに指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。
10話放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。
本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。
結局、本音ではホモを匂わせて腐女子を釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがしたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html
本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイ」であることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは
そもそも恋愛や性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトルは自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない
5話で
【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族や地元に対する微妙な気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情に名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】
彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイかゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?
【この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】
これについて
【と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】
一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモ、ゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、
同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい
いやパーペキに童貞じゃなくても恋愛経験が僅少な人間、あるいは恋愛能力の低い人間全般を、だ。
現状の「政治的正しさ」において、「童貞」「非モテ」「恋愛弱者」と言った存在は守られることはない。
上記の存在に対しては何を言っても馬鹿にしても差別には当たらない、という合意が形成されているので、生きづらい。
「たかが恋愛できないことを馬鹿にしただけで差別とかアホかw」「人として当たり前の成熟を問うているだけだ」…と言った具合に、だ。
(こう言うとお前の被害妄想だろ、と言われることも含めて、だ。)
結局「反差別」「政治的に正しい」というポジションに居るような人間ですら、童貞を馬鹿にすることは何ら咎められることではないようなので、たまらない。
これを防ぐために、童貞をセクシャルマイノリティとしてカテゴライズして、「差別してはならない」存在にするべきだと思う。
ネタと思うかも知らんが本気で言ってるよ。
今まではノーマルだと思っていたけど、どうしても異性の好みについて同性と話が合わないことに悩んでいた。
ところが昨日のクリスマスパーティーでのこと。
たまた席が隣になったビアンの人と妙に話が盛り上がって、話し込んでいるうちに妙に納得できる言葉を言われた。
異性に媚びるような姿をみるとそれだけで腹立たしかったし、むしろ憎らしくも思っていた。
それに対して、今までお付き合いした女性は大体年上であるし、憧れてきた人は全て自分を引っ張ってくれるような人だった。
周囲からは化粧っ気がないなんて言われることが多いような女性ばかりで、実際に化粧の濃い女性よりもすっぴんに近い女性ばかりに憧れていた。
セックスの最中は義務のように責める言葉を口にしてはいたが、本当は相手から優しい言葉をかけてもらいたいといつも思っていた。
腕枕するよりも、背中から抱きしめられることのほうが何倍も嬉しいのだが、それも口に出来ずに悩んでいた。
今まではそれをマザコンが原因だと思っていた。なのに、母親に抱きしめてもらいたいとも思わないし自分でも矛盾しているとは思っていた。
思い当たるフシがないわけではない。
思春期の頃、同性からも異性からも性的暴力を振るわれたことがあった。詳細を書くことは憚られるがいわゆる痴漢行為だ。
それも一度ではなく、内容も電車内での軽いものもあれば、見知らぬ相手に逃げ場のない場所で触られたり触ることを強要されたこともあった。
同性からも異性からも、見知らぬ相手から性的なアピールを受けることは恐怖でしかなかった。
いわゆる一般的なイケメンとは程遠い風貌であるし、何かにずば抜けた才能を持ち合わせているわけでもないのだが、何となくふとした仕草や言葉の一つ一つにトキメキのようなものを感じてしまったのだ。
それはまだ思春期を迎える前で、なんとなくそのことがおかしいことだとは思っていたが、その相手に会うことが楽しみで仕方なかった。
ただ、そんな気持ちも性的暴力に遭ってからと言うもの、芽生えると同時に嫌悪感で黙殺されるようになってしまった。
女性とはじめておつきあいしたのは二十歳を過ぎてからで、はじめはお付き合いをするつもりもなかったのだけど相手の一方的な押しに負けてしまった。
セックスに好奇心があったことは否定しないが、相手に気を使わせまいと教科書通りの言葉を並べてみながらも、終わってみても自慰行為との違いがよくわからなかった。
それからもセックスの楽しさがわからないまま数人の女性とおつきあいをしたが、凛とした姿に憧れて付き合い始めた女性が、ベッドで猫のように唸る姿を見るたびに幻滅を繰り返した。
でも、昨日の夜は違った。
話の流れからお互いの好奇心が一致したことで、ビアンの女性とセックスすることになったのだ。
その人はいわゆるタチで、こちらの気持ちが高まるのを待ってくれているかのようにやさしく、それでいて頼もしくリードを続けてくれた。
挿入を嫌がるわけでもなく、最後はこちらが果てるのに合わせるように絶頂を迎えていた。
事後のケアも男性の仕事だと思いこんでいたのに、その女性はそんなわたしの行動を制止すると急にわたしのことを優しく抱え込んできたのだ。
今までは性欲を処理するための義務的な行為だっと思い込んでいたセックスが、これほどまでに愛情を交わし合う事のできる崇高な儀式であるということに気付いたのだ。
「わたしもいい経験ができたよ」と、その女性は去っていってしまった。
もともとが同性愛者なのだから、わたしの一方的な想いだけで拘束してしまうのは悪いような気もした。
だけど、今までずっとずっと心につかえてきたわだかまりは、すっかりと溶けて消えていってしまったように思えた。
もう色々なことで重く辛く悩む必要がなくなったのだ。
今まで付き合ってくれた女性には申し訳ないと思う気持ちで一杯だが、きっとわかってくれるだろう。
自分がマイノリティであることを受け入れることは恐怖かも知れないが、自分を騙して生き続けることの苦しさに比べればきっと小さなことに違いない。
本当のわたしを好んでくれる人は男性と女性のわたしのどちらを気に入ってくれるのだろうか。
フェミニンな格好に興味がなかったわけではないが、それによって男性から性的な視線を送られることを考えると恐怖が勝ってしまっていた。
これからの格好はそんなことをもう少し悩んでから決めたいと思う。むしろ相手に合わせて変えられる自由があると考えると、わくわくした気持ちでいっぱいになった。
トラウマがもとで性的マイノリティのコミュニティを嫌悪するように避けていた自分にとって、本当の自分を発見することはとても困難なことでした。
だからもし同じような状況で悩み苦しむ人がいるのなら、ヒントになってくれれば何よりと思って文字にしてみました。
自分を見つけられずに悩んでいる人にとって、素敵なクリスマスプレゼントになりますように。
昨日、とある女児アニメの界隈で話題になった記事。わかる人だけ「ああ、あの話ね」と思ってくれればいい。
くだんの記事は削除済みだし、本人もこれ以上この件に触れるつもりはないらしいので、読んでいて収まりがつかなかった部分を吐き出させてほしい。(本人に直接、何らかの連絡手段を用いて意見する気がなかった以上、特にマウントを取る意図がないことだけは最初に述べておきたい。)
細部に多少首を傾げるところはあれど、そこは本人に飛んだリプライで触れられていることだし、今更どうこう言うつもりもない。
あの記事で述べられた大意に関しては、おおむね賛同できる。セクシャルマイノリティへの、無意識のうちの忌避感を嘆く彼の気持ちはよくわかるし、もっとフラットな社会が形成されれば、それが最善のかたちだとも思う。
けれど、この界隈で常々「逆差別的」言動に生き辛さを感じていた人間がいたことも、わかってほしかった。
くだんの記事でも挙げられたジャンルでの二次創作では、百合が大勢を占めていることもあって、本当に見過ごされてしまいがちではあるんだけど、ヘテロCPに対する批判的言説も存在しているということもまた事実なんだ。
この界隈で生きてきて、「そのキャラクターがアイドルだから、男女恋愛はもってのほか」だとかいうもっともらしい理由で、公式で描かれた関係すら否定するような言葉を、少なくとも両手、両足の指を使っても数えられないくらい聞いた。
そのあとに続く言葉は、決まって「だから、百合は大丈夫」だった。
くだんの記事を書いた彼にも、(たぶん皮肉の意図で用いていたのだろうけれど)同性愛を肯定するあまりのそういった言動は目立ったし、それで傷付いていた人間がいたことも知ってほしかったし、それについては完全に見過ごされていたと、そう感じた。
誤解のないように言っておくと、自分はくだんのジャンルでは、異性間のカップリングと、同性間のカップリングのどちらも好んで読んでいる。だからこそ、「フラットな社会」を願う彼の思想が、同時に逆差別的な言動を生み出していたこともすごく残念に思う。
少なくとも創作の世界では、「ひとがひとを好きになること」ってもっと単純なことでいいと思うし、そこに境界を設けていがみあってるのを見るのにも、そんな言葉を浴びるのにも疲れた。
愚痴っぽくなってしまったけれど、平和に生きたい。平和に楽しく公式からの供給を得て、二次創作を読んで暮らすことができればそれでいい。
元々題材にされている競技が好きだったんです。
ソチオリンピックからなのでにわかなのですが、ソチをみてからずっとシーズンの度に中継を観戦し、多くの選手を応援してきました。
そんな競技が大々的にピックアップされたアニメが放送されるということですごく楽しみにしていました。
最初のPVの曲も雰囲気もよく、これは期待できる!と思っていました。
ここであることに気づけていたら、Twitterも二次創作もやめることはなかったかもしれません。
1話は某テレビ局のオンデマンドでみることができたため、放送直後に視聴しました。
1話は少しイメージと違うなというシーンはあるものの、競技シーンはすごく作り込まれていてこれからの展開に期待が持てました。
主人公よりもそのライバルキャラが気になるのはいつものことなので、この子はこのあとどうなるのかと翌週の放送が楽しみでした。
1話は何度も再生したのですが、2話以降はこれは自分が思い描いている競技のアニメとは何か違うと感じ、オンデマンド視聴のため課金をしましたが、1度しか視聴していません。
見た上での感想なのですが、私の知っている競技と全くかけ離れているように感じました。
「本格」の看板をひっさげて現実の大会と同時進行で盛り上げているはずなのに、競技に対するリスペクトがまるで感じられない。
もともと主人公のカップリングを好きになる傾向にはないのですが、サブキャラにもライバルキャラにも惹かれるキャラがいません。
「本格」の看板がなく、男同士の恋愛をメインに描いた作品だったならば笑い飛ばせた気がします。(全く萌えませんが)
しかし、「本格」を謳い、競技の関係者が多く関わっている作品であるはずなのに、その競技に対する扱いが雑に感じるのは私だけでしょうか。
また元々セクシャルマイノリティを題材にしたアニメではないですよね。
どこかで主人公やその周りの人がカミングアウトしていましたか?
主人公はいたってノーマル的嗜好だったように思いますし(幼なじみに対する恋愛感情など)、他のキャラクターもそういったことは口にしていないと思います。
それなのにLGBTへの賛辞だ!って言えるんでしょうか?本当にセクシャルマイノリティに優しい世界なんですか?
主人公にそのつもりはなく、また作り手側も全くそのようなことは考えていないと思います。
原案の方が何やらよくわからないことをおしゃっていたようですが、最初からそういったテーマなら理解できますが、これって某競技のアニメですよね?
ジャンプや演技構成、会場での緊張感、選手達の意気込み(家族への感謝やファンへの思い)など、実際にテレビで観戦している方がよっぽど感動できます。
とても楽しみにしていたアニメだけにとても残念です。
競技に対する間違った知識、とある選手に関する見当違いな意見、競技そっちのけで主人公が暴走。
書きたいことはまだまだあるのですが、何を言ってもこのアニメを持ち上げている人々には届かないのだと思います。
いつか気づいてくれることを願っています。
ポリコレという概念は人権保護やら道徳やらとだいたい同じでありまして、本来ポリコレは異性愛者男性キモオタのことも守ってくれるのだ、というのは全く正しい。
オタクだって人間だもの。貧しい人や学のない人も人間だもの。人権やポリコレはあまねく守ってくださる。本当なら。
しかし現状を見ると、ペドフィリアをセクシャルマイノリティに含めてくれという論の旗色の悪さとか、メンズリブやマスキュリズムの低調さが象徴するように、今のところオタクはポリコレを積極的に利用しづらい。
ポリコレはいわばオタクも装備できる武器であり防具なはずなのだが、どこで失敗したのか、オタクの手には馴染まないようにチューニングされてしまっている。
全く使えないとは言わない。ポリコレによる恩恵を一切受けていないとは思わない。たとえば「ポリコレってオタクジャンルに対して妙に厳しすぎるだろ」という反論は、オタク側が「不当な差別はよくない」というポリコレを使っている例だ。
しかしどうも効果はいまひとつで、このポリコレってのを自分たちのために利用しきれてないんだよなという感じが漂う。
理想的解決策としては、オタクもポリコレ肯定を前提とした議論に参加し、ポリコレの用いられ方を自分たちも使いやすいように改善していけばよいのだろう。
だが、建設的議論というのは多くの人にとって負担でとても面倒なものであり、まして既にアウェー状態なリングに上がるほどの意欲を持てというのは困難な話だ。
「話し合いましょう、根気強く丁寧に、色々調べて、難しいことを悩んで、広く長い視野を持って、傷つくこともあるだろうけど我慢して、感情的不快感などは冷静さのフィルターを通して、ひとつずつ物事を善くするため考えていきましょう」
そんな誘い、よっぽど能力や気力や体力や適性や時間や意欲のある人間しか応じない。
そこまでして、ポリコレという手に馴染まない装備を自分も使えるようチューニングしたがるオタクはあんまりいない。
それはまあ、ポリコレを使いこなせるようになればとても便利で強力であろう。
だから長期的な視点で見れば、苦労しつつもポリコレ議論に向き合い、オタクの立場を守るポリコレの運用方法を確立させるのが良手だ。
でもやらねえ! めんどいから! 長期的な視点より今の快楽を貪ることで精いっぱいだよ! おれっちバカだから!
自分は使いこなせないのに他グループが活用する装備なんだったら、ポリコレなんてまるきり否定してやるぜ!
もしも将来ポリコレが本当になくなったらオタクも困るんだろうな。
でも知らねえ! おれっちバカだから! 将来のことを考えるなんてダルいぜ!
生きるってのはだいたいの人間にとってストレスまみれでいっぱいいっぱいだから、その上に正しさを気にしろ、将来にも目を向けろなんてのは要求しすぎだ。それでも正しさに殉じられる人たちがいるのは不思議なことだが、誰もがそれをするのはムリ。
求めているのは正しさなんかじゃない、今の苦痛を一瞬でも誤魔化す気持ちよさ。
なのに正しさで説得しようとされても耳を傾ける気にはならない。気持ちよくしてくれなきゃ。
刹那快楽主義の未来は暗いとは思うけど他に憂き世に効く麻酔がないからしゃーない。
ポリコレは原理的には異性愛者男性オタクも守るものだけど、実際は異性愛者男性オタクが援用しづらい状態になっている。
しかしポリコレ用法を改善していく面倒な議論に参加するモチベーションは抱きづらいので、ポリコレ自体を攻撃する動きが大きくなるのも仕方がない。
ちなみに
異性愛者男性オタク、キモオタ、オタク、などの言葉が混在してるけど、明確な使い分けをしているわけではない。
女オタや同性愛者オタクでもポリコレの加護の薄さに悩んでいる人もいるだろうなと思う反面、「オタク」と呼ぶとポリコレの加護を実感している人も含んでしまいそうだと考えたので、複数の呼び方をしてお茶を濁しただけ。なんならオタクである必要もないので、ポリコレの恩恵が薄いと感じている人は自分を当てはめてください。
恋愛話をしているとき、「男はみんな浮気性」とか「誠実な男なんて (ほとんど) 居ない」という主語が大きな言葉が飛び交うことは珍しくない。
一方で、こういう会話を耳にすると、「俺の周りでは、浮気をする奴なんて珍しいけどなぁ……」と思う男性も少なくないだろう。
こういう不整合はどこから生じるのだろう。政治的に正しくない思考に汚染されて、認知が歪んでしまっているのか。恋愛で壊れた大脳を癒やすため、運動と瞑想と350グラムの野菜が必要なのだろうか。
実は、このような状況は「ヤリチン分裂現象」として合理的に説明できる。以下に、ヤリチン分裂現象の簡単な解説を述べる。
全ての男性が次の3種類に分類されるような、仮想的な世界を考えよう。
さて、このような仮想世界では、ヤリチン男性は人口の1割に過ぎない。一方、誠実な男性は人口の過半数存在する。
ここで問題となるのは、属性別で見ると、交際人数に偏りがあることである。
上記の状況を女性の立場で考えると、交際する男性のうち、各属性の比率は
ヤリチン男性:誠実な男性:恋愛外男性 = 0.1×100:0.5×4:0.4×0 = 5:1:0
となる。驚くべきことに、女性から見ると、交際相手のうち約83%がヤリチンとなる計算だ!
(人口比では、ヤリチンは男性の1割しか存在しなかったのに!)
ここまでの計算を見た読者には、この原因は明らかであろう。一人のヤリチンが多数の女性と関係を持つ結果、交際相手として何度も重複カウントされ、統計上は「ヤリチンが分裂」しているのだ。
これと同様の分裂現象は、恋愛だけに限らず、世間の至る所で見受けられる。
主語の大きな文章を見かけたとき、そこにはヤリチン分裂現象が潜んでいるかもしれない。たとえ自身の実感が伴わなくても、多数の被害者の存在を頭ごなしに否定しないのが、冷静で合理的な態度だ。
主語の大きな文章を読んで傷ついて、頭に血がのぼったとき。書き手の不見識を取り上げて、袋叩きにしたいと思ったとき。ふと立ち止まって、書き手の境遇に想像を巡らせてほしい。
数多のはてなーの手に握られた斧が、無垢な一般人に向けて次々と振り下ろされる光景を、ただただ悲しく思う。
11/1 追記:
ミスを修正しました。恋愛外男性について、0.5×0=0としていましたが、正しくは0.4×0=0です。ブコメでのご指摘ありがとうございます。
これを……
はっきり言って、シスジェンダーの異性愛者が強者でセクシャルマイノリティが弱者であるという単純な構図は
こうじゃ!
はっきり言って、シスジェンダーの異性愛者が強者でセクシャルマイノリティが弱者であるという単純な構図は
それから……こうじゃ!
はっきり言って、AのA'が強者でBが弱者であるという単純な構図は
これを使って、例文を作りなさい(配点:なんでも当てはまる)
正直、女の言う自称同性愛者やアセクシャルは全く信用していない。
そんな事言ってても男に迫られたらさっさと結婚し子供を産むんだろうと思ってる。
逆に、彼氏欲しい欲しい結婚したいしたいと言ってる女の方がいつまでも一人身の可能性は高いくらいに思う。
だってほんと、男要らないとか女の方が好きとか言ってる女に限ってとっとと結婚していくからな…マジで。
もしかしたら
自称同性愛者やアセクシャルの女=男なんてみんな同じだと思っているから拘りがなく、割とどんな男とでもセックスできる
自称異性愛者の女=男に対して拘りがあるので好みの相手としかセックスしたくないと思っているのでいつまでも結婚できない
……って事なのかもしれない。
だとしたらやっぱり、イケメン好きとか一途とかそういう、「異性愛者だけど拘りがある」女性も十分セクシャルマイノリティだよなーと思う。
何というか…「男性と複数回交際して初めて自分はレズビアンだと気づいた」
「異性同性かかわらず複数回交際して初めて自分は無性愛者だと気づいた」
…と言った具合に、セクシャルマイノリティを名乗れるまでに「恋愛経験というアリバイ」を求められる傾向にあると思うのは気のせいであろうか…?
たとえば童貞や処女、と行かなくでも恋愛経験が僅少な限りなく非モテ者に対しては
「いやいや恋愛経験少ない(無い)のにセクマイ名乗るとかwちゃんと恋愛してから名乗れやw」
「セクシャルマイノリティを恋愛できないヘタレの言い訳に使うなやw」
…と言った具合にセクマイ自認を無下にされてしまう傾向があると思うのだ。
これは果たして良い態度なのか?恋愛経験がなくばセクマイを名乗ってはいかんのだろうか?
異性愛同性愛カンケイなく「恋愛」によるマウンティングは「政治的に正しい」のか?
…いやんなこたねーよ、そりゃお前のカンチガイだ、で済むのならそれで良いのだが…
ガチガチなセクマイ知識のある人よりちょっとセクマイ知識かじった人がそういうこと言うのかな?
よく分からんが。
大島薫が淫夢営業をたくらんだところ、非難を浴びて炎上しました。
それに対して自己正当化をはかる大島薫の詭弁がみるに堪えないので、2点突っ込めることを以下に書き出します。
なぜ野獣先輩が架空の存在ではないことを知らしめることに、野獣先輩の流布を止める効果があるのかについては、過去ニコニコ動画で野獣先輩と同じくゲイポルノ男優として広く拡散していたビリー・ヘリントンという人物の例があります。同じくニコニコ動画で無断転載されていたビリー・ヘリントン氏が、イベントのゲストに登場することになり急速にその動画や画像が出回らなくなりました。「動画の中だけの人」が「現実に存在する人」になることで人々の倫理観が元に戻ったのではと考えております
淫夢界隈では、とうの昔に実在の確認されている出演者たちがネタにされつづけています。
有名なTDNと呼ばれる野球選手を筆頭に、DB、HTN、KYN、POPO、KBTITらの実在が明らかになったところで人権侵害は止まりませんでした。
さらにいえば、ビリー・ヘリントンを中心とするレスリングシリーズが衰退したのは、ニコニコ動画の運営公認となって飽きられたからです。
もともと、レスリングシリーズ動画はニコニコ動画運営への嫌がらせ目的、またはサブカル的に消費して面白がっていたのが流行のきっかけでした。
そんなレスリングシリーズ愛好者たちは天邪鬼といえたわけですが、ビリー・ヘリントンがニコニコ動画運営によってイベントへ招待され、あまつさえ彼がグッズ化されることで熱が冷めていったのです。
彼らは自分たちの「オモチャ」がメジャー化して愛想をつかしたのであり、決して「倫理観が元に戻った」のではありません。
ゲイやセクシャルマイノリティーについて詳しいと自称しているのであれば野獣先輩という人物がネットで面白おかしく流行している現状を快く思っていなかったはずです。それをいままで放置してきたのに、いまさらアウティングだなんだのと騒ぎ立てるなんて偽善者過ぎはしませんか?
アップされる動画を見て見ぬフリをしてきた一般人たちもまた同様です。アウティングというなら、ゲイビデオに出演している画像をネットに流してるほうがよっぽどアウティングだと思うのですが。むしろ、いまになって非難されている方々は自分が「ネットに無断で画像をアップするのはいいけど、捜索するのはダメだよな」というような倫理観であると、自ら認めてしまっていることにお気付きなのでしょうか?
大島のたくらみは、本人の居所を暴き出し、人権侵害の状況を直接知らせに行って、本人の了承が取れたらそれを公表することです。
もし、野獣先輩本人が人権侵害状況を知っていて不快に思っていたなら、大島の行為は二次被害にあたるでしょう。
そうした大島の所業と比べると、野獣先輩の人権侵害コンテンツに対してなす術もなく黙認していることは悪質性の程度が全く異なります
そもそもゲイポルノを素材にした人権侵害コンテンツのアップロードに対して、権利を持たない第三者には何ができるのでしょうか。
もし取り得る方法があるのならば、大島薫が率先して行うべきでしょう。
本気で野獣先輩の救済を考えていたのならの話ですが。
http://anond.hatelabo.jp/20160806123148
少し前に書いたらえらいたくさんの反響をもらった。
一応自分の中に取り込んだ後にあれこれ考えてみたけれど
根本的な考えは変わってない。
http://highsoneet.hatenablog.com/entry/2016/08/08/224009
まったく同意。
こういうことが起こり得るからこそ、
ひとりが抱いた「気持ち悪い」「怖い」といった想いは
カムアウトされても「へぇー」って言える世の中を実現すべきとか
理想ばっかり掲げる人に聞きたい。
それまでに何人の自殺者を出せばいいのかね?
理想の社会を実現するまで多くのゲイにカムアウトするように仕向け
その何割かが失敗して世を儚んで自殺すればいずれ良くなるってか?
放っておいて欲しいことが傲慢?
社会に生きてるんだから、自分達は受け入れる腹づもりもあるんだから
さっさとセクシャリティを吐き出せよ、マイノリティですって言えよ。
半ばレイプ的に引き出させる世の中ではないでしょ。
「私は理解あるつもりよ、さぁ!胸の内を語ってちょうだい」と言われて
残念ながら亡くなってしまったけど
本人がその気にさえなれば男性版の蒼井そらにもなれたはずだけど
彼はそうしなかった。その理由の一端はYouTubeでも語られている。
https://youtu.be/ilOa3E4U5FY?t=3m36s
人間が突然テレビに出てきてゲイですって言っても分かり辛いと思うんですよ」
そう言いつつ彼のしゃべりはほんのりとオネェなんだけど、
まぁそこは置いといて話を進める。
連れション感覚でパレードに参加してるゲイ達よりも遥かに多く存在する
1日24時間生きていて、ゲイでなければ生きられない瞬間なんて
少なくとも今の自分には1秒もない。
ほんとそれぐらいしかないんだよ。
特に不自由を感じてもないのに、「公にできないのはさぞ苦しいでしょ?
不自由でしょ?さぁカムアウトしなさい、受け止めてあげるから」って言われても
そりゃあ余計なお世話だろって話になるじゃん。
「マイノリティを受け入れる覚悟はあります」って表明する人達は
放っておいて欲しい自分達のような存在の気持ちは理解しようとしない。
いい加減、そこに気付いてくんないかな。
自分からすれば、今の「皆で認めてあげなくちゃ」みたいな風潮は
ホモなんてのはマイノリティの中ではまだメジャーなほうであって
じゃSMやスカトロやロリコンの人達が「私達も受け入れて」って来たらどうすんの?
「俺、男が好きなんだ」も「俺、ウンコ食べたいんだ」も
セクシャルマイノリティってことに関しては同じ。
「チンコ好き」と「ウンコ好き」を等しく受け入れられる人ってどれぐらいいるかね?
「まだゲイならいいけど、スカトロは・・・」って思う程度の見識なら
二度とこの手の話にクチバシを突っ込まないで欲しい。
私はセクシャルマイノリティを自認する高校生である。今日は、ただただ途方もなく疲れてしまったので増田に愚痴をこぼさせてほしい。たいしたことではないので、余計に申し訳ないのだが。
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そもそもの愚痴を吐くきっかけであり、そして、最大の悩みの種である。本当に、スルーが出来ない。
自身がセクシャリティを強く意識しているのもあってか、ネット上の些細なネタにもやもやとしてしまう。淫夢と呼ばれる同性愛を扱ったアダルトビデオへのいじり、腐女子に限らないネットユーザーのズレた発言、増田におけるホモオチ……。
考えだしたらキリがない。
こんなの差別じゃないかといいたくなるものは無数にあり、一方その度に感情を乱されても仕方ないともわかっている。そう。わかっている、が、必ずどこかもやっとしてしまうのだ。
それらが当たり前に受け入れられ、笑いとして溶けていく瞬間。周りに一切首を傾げる者がいないなか、一人異を唱えようとする己の気持ち。そのような無駄としかいえない流れを何度も繰り返す自分こそが嫌になってくるのである。
最近でも、Togetterで「島風くんとホモセした人の体験レポートがヤバ笑える」や「ビガロパイセン処女喪失レポ」 http://togetter.com/li/978098 などが話題に上がっていたが笑えなかったしいい話だとも思えなかった。
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話は変わるが、私はTwitterを利用している。
主にセクシャリティ関連を発言するユーザーをフォローし、自分もぼちぼち呟いている。といっても、フォロワーが雀の涙ほどもない弱小ユーザー。何をいってもなあと呟き頻度は低めだ。
私は、そのTwitter上でもやもやを正義感に置き換えている。
わざわざ差別用語で検索して叩くなどはしていないが、たまにタイムラインで目に入ったりすれば正義感まるだしに意見などをするのだ。
しかし今書いている愚痴もそれの成れの果てであり、またなんの為かさえもわかっていない。
名前は「RTしてホモにしようbot」https://twitter.com/rt_homo_bot
固定ツイートの「チノちゃん! 上の人はホモだから気をつけてね!」に始まり、「RTして上下左右の人をホモにしよう!」「RTして上の人をゴリホーモにしよう」など様々なツイートをしている。また、ホモ以外の言葉でツイートしているものもあるが、ホモよりリツイート数は少ない。
スルースキルのない私は、これを見てもう我慢が出来なかった。なにより、フォロワーが2000人も超えていることが理解できなかった。明らかに差別意識丸出しだと憤慨した私は、botの管理者宛にDMを送った。
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こちらのbotは、画像を加工し、キャラクターのふきだしなどに「この人ホモです」などのセリフをいわせていますが、これは明らかに差別的な意図があってそうされているのですか?
管理者「あなたの考えを一般的に"飛躍"と言います。差別を目的とする場合、差別が目的であることが明確である内容が当然発生すると思いますが、画像と定型文以外全くないはずです。差別に敏感なのであればより同性愛の方に差別的な発言をされている方を対象にすべきです。
差別はあなたのような無駄に敏感な方が発信源となるケースが多いのでよく理解しておいてください」
私「お返事ありがとうございます。
私の考えが飛躍とされていますが、その画像と定型文こそにホモフォビアが紛れていると私は判断したのです。
ホモは差別用語としての歴史があり、現在も侮蔑的な意味で使用されることが多い言葉です。もし管理者様がホモという言葉に差別意図がないとするなら、では何故わざわざ使用されたのでしょうか?
ホモでなくとも、これがハゲでもデブでもあっても、キャラクターが上を指差している様子は揶揄しているように見えます。
そして、ホモにしようという文面がツイッター上で同性愛者の目に入った時、差別だと感じる可能性がないと断言出来ますでしょうか。
そもそも、同性愛者となることは他者によってさせられるものではありません。このbotをリツイートする方は異性愛者だろうと考えられますが、それは異性愛者が同性愛者をネタにし、無意識に差別していることとほぼ変わりません。
その上で、管理者様が「ホモにしよう」という言葉を選択したその理由をお教え頂きたいです。
ご忠告ありがとうございます。また、DMのお返事に貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」
メッセージの内容について言及するつもりはない。尚、最後のメッセージは今日送ったものだ。
「そこまで強くこだわりをお持ちになられるのであればこの小規模なbot程度へのアピールではなくもっと大きなものへのアピールをされてはいかがですか?
あなたのその考えは誰にも届きません
拡大解釈をされる方のようなのでこちらも同様にさせていただきますと、今の世の中どんな言葉をとっても差別やハラスメントになります。ならあなたも同様に誰かの目に入ってそういった印象を持たれてはいけないでしょうから文字を発信すべきではないですね
そもそも差別というのは差別になるであろう対象の人ではなくあなたのような無関係なのに敏感になって勝手に大暴れする人が規模を広め無関係な人がバカにするキッカケを作るケースが多いと思われます。
もう1つあなたの考えをそのまま使わせていただくと、↑を使って異性愛者にしようといった内容にすれば異性愛者をネタにして笑いものにしよう差別しようという風に捉えられますでしょうか
差別をそこまで気にしない側の意見を率直に申し上げさせていただきますと、あなたのような人が一番差別対象となる方にダメージを与えています。
理由は上記に加え、頭のおかしい人がいるとあなたのような人にスポットライトが当たるからです。普通に過ごしていればいいんじゃないですか?
ホモという言葉がネタとして使われるようになったキッカケとして代表的なのは「真夏の夜の淫夢」でしょう。しかし同じような「ガチムチパンツレスリング」シリーズの出演者は日本人が作品をネタにしていることに感謝さえしています。
その2つを並べた時にどのような印象をお持ちになられますかね。
わざわざ自分でホモをターゲットにして差別しようと思うならこんなふざけた手段とると思いますか?ホモ以外のパターンを含めると思いますか?
あなたは視野が狭すぎます。その堅すぎる頭を1度ミキサーで粉末にしてゼラチンと混ぜてもう1度固形にしたらどうですか。
そもそもですが、異性愛者が同性愛者、自分は興味など全くないのにそういった対象で見てるかもしれない人と一緒にいるのは簡単なことではないでしょう。あなたも嫌いな人から好き好きって言われたら気持ち悪いでしょう。
住み分けをすることが重要なのであって受け入れろという押しつけは返って居場所を奪うだけです。
あなたのような人は水と油がきれいに分離してる中乳化剤を混ぜようとするそんな人です。
頭のお花畑に水やりするの忘れずに。
花が咲いてもいらないので持ってこないでくださいね。」
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色々と疲れた。
一時はDMの内容をTwitterで公開しようと考えた。しかし私のフォロワーは関心を示さないだろうし、セクシャリティで言論の立場に立っておられる方々もこんな小さなことには興味はないはずだとして止めた。
インターネットにはそれこそ無数にホモネタがあるが、私のように無駄に正義感を発揮してもおそらくなんの意味もない。自分のやっていることの無意味さにただ虚しくなっただけ。もう放置して、勉強に集中しようかと思う。
ホモネタって面白いかな。後輩が淫夢は楽しいっていうんだ、全然差別じゃないって。
私が間違っているのかな。
追記
増田を書いたことで、気づかないようにしていた自分の未熟さを強く感じさせられました。
小さなことを一つ一つ意識し、そのうえ力も知識も不足している今では意味がありませんよね。固執するのではなく、物事を広く見れるよう勉強に今は集中することにします。いい諦めになりました、ご指摘くださった皆様ありがとうございました。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。
増田はゲイで過去にもいくつか(セクシャルマイノリティサークルの現実とか腐女子のみなさんへの2つの提案とか)書いてきたのだけど、今日は分断統治されそうになったというお話をします。そう、あのイギリスがやったアレ。今回イギリスポジションに誰がいるかというと馳浩文部科学大臣を擁する現内閣です。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年1月29日):文部科学省
大臣会見なのだが、めちゃくちゃまともなことを言ってて、あれ自民党なのこのひと??ってレベルでびっくりして評価している事例です。実際、「性同一性障害や同性愛などの性的マイノリティー(LGBT)に関する超党派の議員連盟」(LGBT巡る超党派議連、立法検討チーム設置 :日本経済新聞より)の会長をやっている。
谷合氏は、教育現場における自殺対策の現状を確認。その上で、自殺のハイリスク者とされる性的少数者(LGBT)の児童への差別解消や理解促進に取り組むべきと求めた。
大臣会見ではとりあえず議論を進めようなのだが、公明党の議員による質問をまとめた記事を見ると、若年のLGBTが自殺ハイリスク層であるという最もLGBTの問題としてクリティカルなところを、的確に問題として捉え、しっかり具体的な対策をしようとしているのが分かる。超まとも。これは余談だけど渋谷区のアレを中心としたLGBTブームはここを解決しようとする意思が見えないからなんか嫌だなって思ってる。特に渋谷区のやつは婚姻届よりも費用かかってて謎い。
馳浩文部科学大臣記者会見録(平成28年3月29日):文部科学省
さて、そんなわけで、自民党もまともになってきたかな、自民党はともかく馳浩はまともなのかなと思ったら、これである。文科省から各自治体に対して朝鮮学校の高等部に対する補助を、北朝鮮の仕業を踏まえて考えろ、実質やめろって言ってる通知が出たのだが、記者会見でのこの歯切れの悪さ。言質取られたら負けって分かってて察せよというメッセージを組み込んだ、完全に自分が悪いことをしているとわかってる悪人の仕事である。シンプルに在日差別である。これに関しては、朝日の社説がよくまとまっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
さて、このニュース、最初に聞いた時は完全にスルーしていた。自分は在日でも北朝鮮人でも韓国人でもないからだ。この言い回しをして気づいた。これってまさに"彼らが最初共産主義者を攻撃したとき"(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia)ってやつじゃんって。本当にびっくりした。まさにいま自分がその状況に置かれようとしているとはって。
日本が最後に戦争に負けて70年。全体主義がこういう形で復活してきたんだなって感慨深い。感慨深めてちゃ日本人としてダメなので、どうにかして朝鮮学校に関して支援できないかって思ってるのだけど、具体的にはどうしたらいいものかが分からない。方策を知っている方は教えてほしい。日本でまた全体主義が復活するのはかんべんなのだ。
最近、チンピラが「ガンをつけられて頭にきた」とかいう理由で同居している3才児を暴行・殺害したというキチガイじみた事件があったが、今日その続報を読んでいたら、こんな記事をみつけた。
http://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300035-n1.html
大田区大森南のマンションでの夕食中、永富容疑者は礼人ちゃんが「自分をにらみつけてきた」と激高した。
さらに「テレビのほうを見た」「またにらんだ」などと次々と因縁をつけ、暴行はエスカレートしていった。
母親は「永富容疑者が息子をつかみ、ボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばした。正座させて平手打ちしたり、かかとを頭に振り下ろしたりもした」と説明。永富容疑者はさらに、ベランダを指さし「行け。死んでしまえ」などと話し、床に包丁を突き立てたという。部屋はマンション4階だった。
身長1メートルに満たない礼人ちゃん。けいれんを起こして過呼吸を起こしたところで、凶行は終わった。約1時間半後のことだった。
母親は翌26日、礼人ちゃんに水や食事を与えたが、嘔吐(おうと)を繰り返し、失禁もしていた。左耳からは血が流れ出ており、「ママ、苦しい」と漏らしたという。
暴行から丸1日以上が過ぎた27日未明になって母親が「子供に熱があって、反応がない」と119番通報。すでに心肺停止の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。
とても痛ましい事件で、このチンピラ(永富容疑者)は死刑にしても気がすまないという人が多いと思う。
ところで、上のニュースを読んでいて気になったのは、法政大学の越智啓太とかいう犯罪心理学者のコメントだ。
法政大学の越智啓太教授(犯罪心理学)は、今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」と指摘。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
継父や継母の場合に、虐待等の発生率が、実親の場合に比べて多いというデータはけっこう存在するかもしれない。しかし今回の事件の報道を読めば、家庭環境がどうこうみたいな次元を遥かに超越した「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしいから虐待したのであって、血のつながりがない子どもを育てることの「ストレス」から犯行に及んだなどという説明をするのはどうみても見当違いである。
俺自身、離婚歴のある妻の連れ子を育てて4年半になる。実子がもともといなかったこともあって、「血のつながりがある場合」と「無い場合」の比較は俺自身にはできないのだが、べつに血のつながりがないからといってストレスなんか感じていないし、ふつうに「かわいい俺の息子」として育てている。
正直、実際にこういう境遇に身を置いてみるまでは、血のつながりの無い親子というのは微妙なもんだろうと想像していたのだが、実際に経験してみると、子どもの年齢が低かった(4歳〜)こともあってか、全く違和感はなかった。一緒に風呂入ったりゲームしたり、公文やその他の習い事に連れて行ったりと、たぶん平均的な実親と同程度かそれ以上にかわいがっているほうだと思う。子どもが難しい計算ができるようになったりすれば俺も喜ぶし、学校に送り出すときは「今日も事故とかなければいいのだが」と毎日心配で仕方がない。
「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」(越智啓太教授)なんていう実感は全くない。
俺自身だけではなく、周りには「血のつながりのない親子」がけっこういるのだが、みんなそれなりに上手くやっている。幼なじみのお父さんが実は実親ではなかったということを、大人になってから知ったこともある。
やや複雑な家庭環境であることは確かだから、揉め事が起きやすいのは事実かもしれないのだが、少なくとも、今回の永富容疑者のようなキチガイじみた暴行が発生する可能性を感じたことなど一度もない。
べつに、「虐待の発生率は、実父の場合より継父の場合のほうが多い」と、調査データに基づいて主張されることには、腹は立たないよ。ぶっちゃけ、統計的にはたぶんそうなんだろうと思うし。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jicen/gyakutai/index.files/hakusho2.pdf
こんな資料があって、
虐待者の内訳は、実母が63.3%、実父が21.6%と、実父・母が虐待者であることが多くなっています。前回調査と、全体の傾向に変化はありません。
と書かれている。
実父以外の父に育てられた人の割合が、全体としては8%もいないだろうから、やはり家族関係が通常と異なる場合に、虐待が発生しやすいというのは事実なのかもしれない。
しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。
今回の永富容疑者ほど酷い事例ではなかったとしても、虐待に至るような親というのはそもそもおかしい人が多いわけで、その「そもそもおかしい」という点に注意を払わずに、「血のつながりがない」という家庭環境だけを取り上げて犯罪の原因を説明しようとするのは危険というか、俺のように血のつながりのない子をふつうに育てている人間に対する侮辱であると言っていい。
たとえばだが、仮に「継父の場合、虐待発生率が高い」というデータがあったとしても、そのデータだけでは、「継父だから虐待した」のか、「もともとおかしい奴だったから、家庭環境も複雑になったし、子どもも虐待した」のか区別を付けることはできない(いわゆる「見せかけの相関」の問題)。
つまり、仮に、
「頭おかしい」→「離婚再婚をくりかえしやすく、血のつながりのない子と同居しているケースが比較的多い」
という2つの別々の因果関係が作用しているだけであったとしても、統計データ上は、「血のつながりのない子と同居している」と「虐待する」の間に相関が生まれてしまって、あたかも「血のつながりがないから虐待が起きる」かのような錯覚を引き起こしてしまうのだ。
なお、さっき紹介した資料のなかでは、実親による虐待の場合はきょうだい揃って虐待されるケースが多いのに対して、継父・継母による虐待の場合はきょうだいは虐待されていないケースが多いとされている。
実父や実母が虐待を行った場合、他のきょうだいに対しても虐待を行うことが多くなっています。特に実母にその傾向が強く、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 22.1%に対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が 36.4%となっています。
一方で、養・継父及び養・継母はその子ども一人だけを虐待することが多くなっています。養・継父では、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 61.2%であるのに対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が20.0%となっています。
これを読んで、一瞬、「継父・継母による虐待は、血のつながりがないことが大きな原因なので、その特定の児童だけが虐待されている。一方、実親による虐待の場合は、それ以外の理由で虐待が起きているので、兄弟そろって虐待される場合が多い」という主張なのかと思ったのだが、よく読むと、「本児以外に他の子」というのが、虐待者の実子であるかどうかは示されていないので、そのような主張はできない。
繰り返すが、越智啓太教授は今回の永富容疑者による礼人ちゃん殺害事件について、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
と指摘している。取材ではほかにも色々な説明をしたのかもしれないが、少なくとも記事上では、この教授は「子どもをボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばし、正座させて平手打ちし、かかとを頭に振り下ろしたりして殺害したのは、継父だったからである」としか説明していないのである。
べつに俺自身は、誰に何と言われようとふつうに子どもをかわいがって育てているので構わないのだが、新聞記事で学者が一般論としてこんな安易な説明をするのは、差別以外の何ものでもなく、看過してはならないと思う。
それで、何なんだこのいい加減な犯罪心理学者とやらは・・・と思っていたら、以下のような記事があった。
法大教授が同性愛を揶揄する投稿 批判が殺到、「性嗜好と性指向を混同」と謝罪
http://www.j-cast.com/2013/01/07160376.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
神奈川でセクシャルマイノリティー用相談ホットラインができたというニュースに対して、越智啓太教授は、Twitterで「神奈川県、同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」などとツイートして炎上したらしい。
炎上後に色々弁解したらしいが、差別意識がなければこんな発言を口にすることは不可能だろう。
おそらくこの教授は、血のつながりのない子を育てている俺のような人間や、血のつながりのない親に育てられた俺の幼なじみのような人間に対しても、心のどこかで(あるいはあからさまに)差別しているのだろう。そうでなければ、明らかに「血のつながりの有無」以外に説明されるべき要因が大量にあると思われる今回のような事件に対して、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
などというコメントを寄せることができるわけはない。
■■■■■追記■■■■■
それはともかく、ブコメに変なのがあったので少し触れておく。
データによると虐待事件は、実父6000件に対して、実父以外が2000件と大雑把に考えたら、実父以外の家庭の割合が25%でないと等しいといえないと。明らかに倍以上の虐待率。継父は高リスクなのは完全に事実だな
無視しているどころか俺自身が本文でデータを紹介してるのだが(笑)、それはともかく、これらのコメントは(そもそも何を言ってるのか若干分からないところもあるが)俺が書いた本文の基本的な理屈を理解してない恐れがあるので、一応説明しておこう。
「継父である場合に虐待者になる確率が、実父である場合に虐待者になる確率よりも、有意に高い」というのが仮に事実だったとして、本文ですでに言及した「見せかけの相関」の問題を無視することにしたとしても、ある人物が虐待者になるかどうかを予測する上で「継父である」という情報が重要な意味を持つとは限らない。
たとえば、性犯罪者は女性よりも男性のほうが圧倒的に多いと思うが、だからといって、ある特定の人が将来性犯罪者になるかどうかの予測に、「その人は男性である」という情報が大して役に立つわけではない(役に立つの定義にもよるが)。「男性であることによって、女性であるよりも、性犯罪者になるリスクが◯倍高い」みたいなことは確かに言えるのだが、そもそも男性であろうが女性であろうが性犯罪者になるということ自体がレアだとすると、個別のケースで何か判断をする上では、あまり意味のない情報なのだ。
またこれは、どこかで性犯罪事件が起きて、なぜそんな事件が起きたのかという原因を考えるときに、「やっぱ男だからですよ。性犯罪者は男が多いんです」なんていう分析をしても意味がないということでもある。
これと同じで、仮に継父である場合に虐待を犯すリスクが、実父である場合のリスクに比べて何倍も高かったとしても(そもそも本当に高いのかは、色々な論文等を読むまで判断できないが)、その差は、ある人が虐待を犯すかどうかの予測の役には立たないかもしれないし、既に起きた虐待事件を振り返って「原因はやっぱり、この人が継父だったからでしょう」なんていう分析をしても意味がないかもしれないのだ。
だから俺は、べつに継父であることによる虐待リスクの増大については否定していないというか、むしろそれらしきデータを俺自身がわざわざ紹介した上で、「しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。」と言ったわけ。
今回の越智啓太教授のコメントは、たとえていうなら、性犯罪事件のニュースに接して「男だから仕方ないっすよ」とか言ってるのと同じレベルであるように思える。そのぐらい、ナンセンスなコメントなのだ。
傾向の話をしているのに「うちはそうじゃない」なんて反論にならない
というブコメもあったが、その「傾向の話」は、今回起きた特定の事件を解釈する上ではあまり役に立たんだろうというのが俺の本文の論旨だ。傾向の話をしても別に良いというか、俺自身がそういうデータを紹介しているのだが、今回の事件についてのコメントでそれに言及するのはナンセンス。