はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは
がある
そもそも芸能界自体が前時代的と言ってしまえばそれまでだが、我々はあの事務所といえばトップの絶対的な強権、そして言いたいことも言えないタレントの姿というものを、嫌というほど目にしてきている
タレントがナヨナヨしていようが、そうかと思えば第一次産業を盛り上げてアピールしようが関係なく、結局それらは全て男社会ホモソーシャルの所産に他ならない
そしてもうひとつ、単に男らしさの基準が違うだけじゃないのか、ということだ
どっかの地域で股間にケースを装着するのは、どうやら彼らにとっては勇敢さを表すらしいが、彼らの文化を知らない人間にはあまり理解できず、奇妙な風習とばかり映ってしまう
別の地域では太った女性が美人であるとされるが、痩せた女性、またそれに限らず自分にとっての美人を求めないからといって、彼らが美人を求めること自体をやめたことには全くならない
そしておそらくどこかのセクシャルマイノリティでは……まあ、つまりそういうことなのだ
極端なことを言えば、クジャクにとってはあの羽根こそが男らしさなわけである
要するに、男らしさの基準がただこれまでのそれと異なるというだけで、結局男らしさを求めているのは変わらないのではないだろうか
男湯、女湯、セクシャルマイノリティの湯があれば十分じゃない?
嫌フェミとか嫌韓・嫌中の空気はところによっては感じることも少なくないけど
嫌LGBTの空気をネットで感じることってほとんどないのに、「ネットはLGBT差別の温床」というレッテルだけが一人歩きしてない?
しかも当のネットの住民すらそれを内面化して、「いやどう考えてもあんたはセクシャルマイノリティー側だろ」って人が「LGBT嫌い!」とか言い出してる
でも結局いくつか突っ込んだ質問をしてみると「俺が嫌いなのはLGBT活動家であって当事者たちじゃない」とすぐに鞍替えするんだよね
リベラルチ○コにとっては今回の話題は美味しいところがいっぱいで嬉しいだろうな。
表面上「トランス差別反対」を掲げていれば「セクシャルマイノリティ差別に反対するリベラル」アピールできるし、ついでにその文脈からラディフェミを叩けるから、リベフェミからの支持も獲得できるってわけだ。
ラディフェミを叩くための大義名分として、自身の正当性の建前として「トランス差別」に反対してるわけだし、尚かつそれ訴えてれば憎っくきフェミの一部からも支持が得られるわけだし。
んで、リベフェミさん達はこんな状況にあってる自分たちを惨めに思わないのか?
トランス側の人たちが性暴力サバイバーの訴えを切り取って口を塞いでるのも、リベチン共に大義名分にされてるのもそう。
リベフェミさん達いい加減気付こうや。
レインボーカラーという普遍的で昔からあったものをある意見の団体が「自分達のもの」みたいにしちゃうの凄い迷惑なんだけど。
そこはオリジナルな”差別化”出来るシンボルとか意匠を自分達で作ってよ。
レインボーカラリングって好きだったのに今ではどうしてもそのニュアンスを読み取られちゃうから使えなくなった。
これは私がゲイの人達をどう思ってるかとは関係ないことなので念の為。
意図せず選びとるバッグやカラーを「ゲイのもの」みたいに縄張りにされるのは困る。
当該「ゲイのもの」がゲイ達が言ってるんじゃない偏見ならもちろんゲイ達に責任はないけど
レインボーカラーとか特定のバックは明らかに自分達で言い出してるよね?
一線を越えてしまった。
一緒に泊まって、気付いたらそういうことになっていた。
その時は私の頭もおかしくて、普通に気持ちいいなと思ってたし、色々されたりもしたりもした。
それからしばらく経って、考えたのは自分のセクシャルマイノリティーについてだ。レズビアンではない。だったらバイセクシャルなのだろうか。
もちろん、友達のことは大好きだ。
例えば、私がちゃんと彼女のことを好きで、付き合ったとしよう。親はどう思うんだろうか。
もし付き合ったとして、彼女と喧嘩別れでもしたらそれこそ最悪だ。大切な友人をなくすのは本当に嫌だ。
多分、もう、ほとんどバイであるだろうと思っている。思ってはいるが、認めたくない。
だってあなたのそのおっさんずラブに感動する視線に当事者性はないですよね?
自分自身がそこに当事者として入る余地がないのを分かってて、自分の欲求を代わりに満たしてくれる男同士のカップリングを具現化して良かった良かったと感動してるということは、悲しい映画で泣ける泣けるとよろこんでる図式そのもので、それを消費と言うんです。
ペニスの生えたぬいぐるみでしたっけ、そういう表現がありましたが、いわゆる腐女子がBLで性的消費すること自体がペニスの生えたぬいぐるみを使ってお人形さんごっこしてることと同じなのではないでしょうか?
そこにあるのは生身の男性ではない。適当なセリフを狂言回しのようにあなた達腐女子が代わりに言いながら、ぬいぐるみのペニスを出したり入れたり操作して喜んでるのと同じことです。
そこには現実のゲイの男性やアセクシャルの人間の生の声はありません。
腐女子にとって適度に泣ける、感じれる都合の良い物語があるだけなのです。
今回のおっさんずラブも全く同じことが言えるのではないでしょうか?
そこを批判しているのに、一部学者までが今回のドラマやBLがセクシャルマイノリティの理解に貢献したなどといった寝言をいっているのは悪い冗談でしかありません。
おっさんずラブもBLも腐女子のペニス付きぬいぐるみのお人形さんごっこのように都合よく作られた妄想でしかなく、むしろセクシャルマイノリティはシスジェンダー女子の妄想の消費のために利用されているのです。
現に今秋から突然BLアニメの深夜枠が増えたり、ブロマンス寄り、ゲイの恋愛ドラマが増えました。これはおそらくゲイの側からの需要というよりは、それを外から眺めて消費したい腐女子側の需要と供給だと思います。
どうして腐女子の皆さんは自分の好きを健全なもののように考えたいのでしょう?
あなた方がおっさんずラブを愛で、BLを愛でるのは自分の性的欲求を消費するためだと、多少なりとも恥ずかしい趣味だと認めればいいだけではないでしょうか?
そこに変な正義や善を構築しようとするからこれは真のゲイライフとは程遠いと批判もされるのであって、「妄想で何が悪い?」と開き直れば良いだけのように思います。
直球すぎて自分でも笑っちゃう。そう、これは自分語りだ。自分でも受け入れられない、けれど認めざるをえない私について、誰かに話したくて、けど理解されなくて、不可解な目で見られることが怖い私の、自己満足。
私はノンセクだ。ノンセクシャル。平たく言えば「恋愛感情はあるけれど性欲はない」セクシャルマイノリティのこと。認知度は低く、カミングアウトしても大体の人からは首を傾げられる。私はこの、ノンセクシャルである自分のことが本当に嫌いだ。受け入れられない。大嫌いだ。何で私はこんな出来損ないに生まれてしまったんだろう。どうして他人と同じように、当たり前に好きな人に告白して、結婚したりとか、夢見ることができないんだろう。どうして、どうしてはいつも頭にこびりついていて、それを思い出すたび私は、ヘテロではない自分を殺したくなる。
何かがおかしいと思ったのは、高校生の時、初めてキスした時だった。それまでずっと、ぼんやりとした思いで、いつかはキスしたりとかしたくなるんだろうな。セックスとかもするんだろうと、思ってた。けど、付き合って一年以上経っても私はそれを全然したいと思わなくて。キスがしたい、と当時の彼氏に言われてキスをして初めて、それに対して「何とも思っていない」自分に気づいた。
好きならもっと、キスがしたいだとか、したら幸せだと思うとか、あるんじゃないの? そう思うと、私は彼のことが好きじゃないのかもしれない、好きじゃないのに、こんなにまっすぐな愛情を受け取り続けるのか、と思ってしまった。そう思うと辛くなって、高校三年生の夏に、別れてしまった。問題はその後だった。
好きじゃなくて別れたはずなのに、彼のことを考えてしまう。他の人に取られるのは嫌だ、私以外の女の人と幸せになるくらいならいっそ私が死ぬか、彼が死ぬかしてしまえばいいのに。恋人らしいことをしたいと思えなくて、でも彼のことは他の誰にも取られたくないほど大好きで。わけがわからなかった。彼のことを受け入れられないのに好き? いいやこの好きは、情が移っただけの勘違いだ、もっと別に好きになれるような人がいるはずだ。でもこんなに好きなのに、恋愛じゃないのはおかしいんじゃないの? ぐるぐる頭の中で回って気持ち悪かった。
そんな気持ちにケリがついて、同時に自分を憎んで殺したくなったのは、大学二年生の時。ノンセクシャルという概念を知った時だった。納得して、同時に絶望した。私はもうこれから先二度と、普通の人が当たり前に手にできる幸せを手にできないのだ。
大学一年生の時に一度よりを戻した彼氏の、「別れていた間、ずっと忘れられなかったほど好きだよ」という言葉を思い出す。こんなにも彼は私を好いていてくれているのに、私と彼は絶対に一緒になれない。だって私がノンセクだから。好きでも、セックスしたいと思わない。彼は好きだからセックスしたいと思う。この差がどれだけ残酷か、誰もわかってくれない。
どんなに好きでも私は、肉体的に相手を受け入れることができない。性行為に嫌悪があるわけではないからできるのだろうけど、何も感じないし高ぶらない、言ってしまえばマグロになる。相手から向けられた感情の熱量に、同じだけの大きさで応えることができない。私が我慢して演技して受け入れることを、優しい彼はきっと望まない。けど、そんな優しい彼に我慢をさせることは私が望まない。一緒になっても誰も幸せになれない。好き合ってるのに、こんなに大好きなのに、好きだと言ってもらえたのに。
私に性欲があればよかったのに。あればこんなに苦しい思いもせずに、彼の隣で笑っていられるのに。彼に「好きだよ」と伝えて、手をつないで、キスをして、そんな幸せな未来だって描けるのに。私に性欲がないから。私が全部悪いから、幸せな未来だって望むこともできないんだ。どうしてこんな出来損ないに生まれてきたんだろう。私はどこで間違えて、こんな頭に、体に、心になってしまったんだろう。頭と心と体がチグハグで、それぞれが違う方向へ行くから、自分が引きちぎれそう。彼のことが好きな私と、性行為に何も感じない頭と体。わけがわからない。気持ち悪い。私は本当に、自分が憎くてしょうがない。
こんな話を他人にすると「それなら次は、受け入れてくれる人を探そう」と言われる。違う、違う。私が好きなのは彼なのに。そうじゃないのに、彼と一緒に居たくて、彼と幸せになりたくて、彼と同じように彼を愛したいのに。だからこんなに苦しくて辛くて痛いのに、受け入れてくれる人を探そうだなんて。私に性欲があったなら、絶対もっと別なアドバイスをするくせに。次じゃない、現在進行形で好きなのに。
仮に次があったとしても、私は告白もできない。向こうから好かれていたって、受け入れることはできない。だって私はノンセクだから。もし相手がヘテロだったら? ヘテロじゃなくても、性欲をちゃんと持ってる人だったら? はいだめ、もう私は一緒になれない。そんなこと考えないでしょ? 相手がどんなに私のことを好いていても、私がどんなに相手を好いていても、絶対に付き合ったりなんてできない。普通の人が悩むようなことよりも、もっと手前のことで私は諦めなきゃいけない。そんな苦しさ、誰もわかっちゃいない。
「本当は恋じゃないんじゃないの?」なんて言葉は失礼にもほどがある。じゃあなんで私は、こんなにも大きな感情に苦しんでるの。好きで好きで大好きで、誰にも取られたくなくて取られるくらいなら死んでほしいくらいに大きいのに。これは友情? 絶対ノーって答えるでしょう? じゃあ何になるの? そうだよ、浅ましい嫉妬と独占欲も詰まった、立派な恋愛感情だよ。なのに、私は、一般的な恋愛感情と一緒にあるはずのものがない。かけてる欠陥品なんだ。
たった一つ、他人にあるものがないだけで、こんなに生きづらい。苦しい。どうしようもならないから、引きずって生きるしかない。私は、性欲を持てない私が大嫌いだ。
正確な言葉は覚えてないけど「彼氏ができるのは普通のことだから、なんでおめでとうって返されるのかわからない」というニュアンスのことを言われてしまった。
そういう返しが来るとは思わなかったので、「おめでたいと思ったからそう言っただけだよ」などと咄嗟に返すこともできず、会話はあやふやに終わってしてしまった。
それが学生の時。
2、3年後、社会人になってからその友達から披露宴の招待状が届いた。結婚相手が上記の時の彼氏かどうかはわからない。
その時「彼氏ができることはおめでとうと言われることに値しないのに、結婚はお祝いするに値するんだな……」と思ってしまった。彼氏ができるのと結婚するのは別物だから当たり前と言われれば仰る通りなんだけど。おめでたい席なので出席した。ドレスを着た彼女はとても綺麗で可愛かった。
この前、上記の彼女とはなんの繋がりもない別の友人たちと飲んでる時、
友人A「そういえば彼氏できた」
友人B「わーおめでとう!」
友人A「ありがと!」
というやりとりを目の前で見て、「そうだよな、彼氏できた→おめでとう→ありがとうはそこまで外してないやりとりだよなぁ……」と改めて思った。
彼女のことは大好きだし、今でもたまに遊ぶけど、時々そのことを思い出してしまってどんよりとした気持ちになってしまう。
私はその時彼氏ができたことは一度もなかったし、はっきり話したかどうかも定かではないけどおそらく彼女もそのことを知っていたと思うので、「普通に彼氏ができないあなたは普通から外れている」と言われた気がしてなんか凹んでしまった。
ちなみに私は「彼氏欲しい」などとは彼女の前でも誰の前でも一度も言ったことがないし、特別欲しいわけでもないので彼氏ができるような努力もしていない。
というか、私は男性や女性に恋愛感情や性的な欲求を持たないアセクシャルと呼ばれるセクシャルマイノリティーなので、彼氏をつくるのも彼女をつくるのも無理だ。一度告白してくれた男性と付き合ってみたが、恋愛感情を向けられるのがどうしても駄目でやはり別れてしまった
彼女は他の友達に「おめでとう」と言われた時も同じように返していたのか?
もはや被害妄想の域だけど、あんな返しをしたのは私にだけなのでは?と思ってしまう。
もしかしたら私が気づかない内に上から目線でおめでとうと言ってしまったのか?でも上から目線で何か言える立場じゃないのにそんなことするか?何か彼女のカンに触ってしまったのか?とついつい考える。
彼女と海外へ旅行する予定だったけど、彼女が妊娠したので見送ることになった。
旅行の予定が入っているとわかっているのになぜ子作りしているのか?と思わないでもなかったけど、他者には入り込めない夫婦のデリケートな領域のことだし、単純におめでたいと思ったので「おめでとう!」と言った。彼女は「ありがとう!」ととても素敵な声で返してくれた。
もはやこうなってしまっては、妊婦さんになった彼女に学生時代を掘り返して「あれはどういうことだったの?」なんて聞けない。
一生答えにたどり着けないんだからもう忘れてしまえばいいのに、何年経ってもぐずぐずと考えてしまう。
まぁ誰でもそういう返しをしたくなる気分の時もあるよな〜と流せないのが嫌だ。心の狭い女だ。
立憲フェス(立憲民主党の党大会)に行ってきたんですが、発表された2年目の活動方針(下記リンク、PDF)で、政策面で全然まったく労働を大きく扱ってなくて、その割には俺たちはやったんだ的に浮かれていて、本当に心の底からがっかりしました。経済界の代弁者である与党に対抗する野党第一党、それも労組が支持基盤の党が、ほぼ労働について政策において触れないというのは、ありえないことだと思います。
https://cdp-japan.jp/files/download/4pgV/vHZ0/QBri/yycr/4pgVvHZ0QBriyycrboOtW2EG.pdf
どうして労働について向き合わないのか。フェスのフィナーレで幹事長が言ってたんですが、民主党が労組臭が強すぎたことへの反省で、労組のお偉いさんを壇上に持ってこないとかの流れがあったようです。なので、あえて外してるっぽいと増田は思いました。
しかしそれをした結果、原発政策やセクシャルマイノリティ、女性政策が目立ち、イデオロギーとアイデンティティ政治にしか見えず、今現在長時間労働を筆頭に、様々な形で労働に苦しめられている大勢の労働者に対する視線が全く感じられず、現役世代に対してこれはあまりにも酷いだろうと増田は感じたフェスでした。
イデオロギーやアイデンティティの政治をするのは悪いとは言わないです。増田自身セクシャルマイノリティですし。でもさ、労働環境を改善をしてみせるって言ってみせてよ……次は長期政権を取る?意気込みは良いけど、そこはちゃんと今の政権と違って労働を良くしててみせるって言ってからでしょう。
枝野幸男の演説のうまさ、カリスマ性で最後に高揚感得られちゃうんですよ。ちょうど1年前、ゼロからの出発というストーリーもあるんですよ。でももう1年経ったんだし浮かれるのはやめてちゃんと労働と向き合ってよ。労働問題に関して詳しい議員さんたくさんいるじゃん。子供向けの政策、「子どもの権利条約」の理念を現実化するコンセプトでめっちゃいいじゃん。それを労働でもやってよ。
はてな的に熱いのは参議院比例の候補者だと思いますし、当初はそっちをしっかり見てこようと思ってたんですが、そんなことよりも労働の改善に力を入れない野党のほうが断然良くないので、ここに書いた次第です。
彼女が候補者に入ったのは、フェスで言及されてた政治参加のジェンダー平等に関する政策の影響ありそうですが。
俺はパンセクシャル寄りのバイで、おまけに社会不安障害を抱えていてあまり人と仲良くなれない。なので女性と満足にセックスできたためしがない。風俗店に行ったこともあるがいたずらに時間が過ぎるだけだった。
しかしそれでいて「生産性」発言で非難轟々の某議員をあけすけに叩くことがどうしてもできない。
セクシャルマイノリティの内訳ではLGBTはマジョリティであると俺は思う。小児性愛やケモナーよりは確実にポピュラーな存在だろう、LGBTは。多様化のスローガンを掲げてホモフォビア的態度を封殺しようとすれば、LGBT以外のセクシャルマイノリティにも寛容にならなければいけない。人間のイマジネーションは奥が深い。俺らが思いもよらないものや行為に恋愛感情や性的関心を寄せる人は幾重にも存在する。
小児性愛者やケモナー、はたまた四肢切断に関心を抱く人等、これから出会うかもしれないセクシャルマイノリティの全てを受け入れろというのは個人のキャパシティを超えている。人にはどうしても認められない価値観があって、当人の持つテーゼからあまりにかけ離れているがために今はその存在すら想像だにしていないのだ。
こうやって判断の難しいレアケースにどうやって対処するのかと言うことを唱えると「小児への性的接触や獣姦は判断能力が低く意思表示が難しい者を弄ぶ暴力行為であり、そういった行為に走る可能性がある人間を容認することはできない」というような反論が聞こえてくるだろう。しかしそれは僕からすると間違いで、性的欲求を暴走させ周囲を傷つける判断能力の欠落とセクシャルマイノリティであるかどうかは何の因果もないと思う。同世代を対象としたヘテロセクシャルやLGBTにもレイパーは存在するわけで、猥褻な事件の要因をセクシャリティに絡めてはいけない。
リベラリストの立場でLGBTの権利拡大に賛同する人のどれだけが、明示化されるかもしれないレアケースに向き合う覚悟があるんだろうと、どうしても俺は冷ややかな態度になってしまう。突き詰めていけばみんな結局自分の信心に従った勝手のいい「倫理」を持ち出して、自分が嫌悪するものを「例外」として門前払いしようとし始めるのではないのかと考えてしまう。結局僕らは女性蔑視の酷いイスラム原理主義者や中絶を認めないカトリック信者のように、自分の持つテーゼを一方的に盲信しているだけかもしれない。
「生産性のない者に施しはいらない」という言葉をもってして考慮すると騒動はセクシャリティに限った話ではない。
カルト教団や統合失調症患者、アルコールや麻薬依存症、医療大麻支持者、ニート、生活保護受給者、パチンコ店経営者、ブラックワンマン社長、ゴシップ誌記者、うなぎ養殖業者、原子力発電業者…世間から存在意義を問われ時には社会を卑しめる悪とすら呼ばれる人たちは枚挙にいとまがない。彼ら全てを肯定しようといえば、どこからともなくそれは違うという人が現れて、彼らの短所を挙げ尤もらしく彼らの排除を訴える。世界は単純ではなく、何にだ短所はあるというのに。
俺は別に認められないものがあってもいいと思うんだよ。神じゃないんだから個人的にNGってものは絶対あるし、逆にこれは守りたいってものもあっていい。でもそれを「社会の多様化」だとか大義名分掲げて、さも公益のため人の尊厳のために滅茶苦茶正しいことやってるですよって正当化していくの、なんか卑怯だなって思っちゃう時があるんだよ。結局根っこは私信だと思うのね。「ゲイがオープンリーになったらなんか良さげじゃん」みたいな気持ちに色々肉付けして説得力あげようとしてるだけなんじゃないのかなってたまに思ってしまう。
みんなが「ゲイが虐められてるの見ると気分悪いからホモフォビア嫌いです」ぐらいの意思表示にとどめたほうが、かえって問題がわかりやすくなるんじゃないかなとか考えちゃう。
それから今回の炎上でやるべきなのは議員や自民党を叩いて潰そうとすることじゃなくて、カウンターになりうるLGBTに理解ある議員の応援だと思った。気に入らないものを潰せというのではなくて、自分の意見を反映してくれる人を送り込むというアプローチのほうが社会の多様性という点では好ましいんじゃないかな。
まとまりがなく幼稚な内容かもしれないけど、あの議員に迷いなく憤りをぶつけることがどうしてもできなくて、その理由を探るために書き記しておきます。
「普通に考えたらGが先に来るはずだけどLが先に来るのがおかしいからGを最初にするよう『正しく』直すべき」
なんて主張したらそれこそ袋叩きだろ
(この言い方もそれ以外のセクシャルマイノリティが含まれてないってのが指摘されてるので、また新たな言い方が生まれるかもしれないが)
サラ爺の半生を興味本位で掘ってるけど、あれをリビドーと呼ぶのは違うな。あれは理想の自己の投影だ。お人形遊びの延長であり、家族そのものをSNS上に実在するかのように脚色するパターンで、ネカマとしてはありがちな古典的なケース。自分を盛るどころか、全て偽ってる。
そしてリビドーではないと言う俺の説の根拠がこれなんだが、サラ爺のブログやツイッターの記述は女性性の要素がごっそり抜け落ちてる。恐ろしいほど空虚。もっと言えば成りすまし工作がこの上なく雑。独居老人の簡素で寂しい一人前のメシ画像を嬉々としてアップして良妻賢母ぶったり(設定上、奴は大家族の肝っ玉お母さんだ)、化粧品に疎いのに無理してDHCの製品を持ち上げたり(DHCはネトウヨの大好きなメーカーだ)。セクシャルマイノリティーとして自己表現してるネカマと比較して、あまりにも女性性について興味がなさすぎる。奴の無残な家族崩壊に至る過程を読むとその理由は推測できるが、少なくともセクシャルマイノリティーではない。そしてネカマが先行しているので、ネトウヨ陰謀論の布教の為に主婦に成りすましたわけでもない。
彼氏いた事が無い歴=年齢
どうしても男性と恋人同士になると言うのが気持ち悪い感じがして
男性といい感じになっても逃げてしまって誰とも付き合ったことが無かった
5年くらいある一人の男性が好きだったけど遠くから見ているだけで何も出来なかった
だから自分がセクシャルマイノリティかもしれないとも考えたことが無かった
年齢も年齢なので親に発破を掛けられて婚活をしてみるもののどうしてもしっくりこない
性欲が人より薄いとかそんな可能性もある
そもそも冷静に考えると本能的には結婚をしたいと思ったことがない
街で仲良さそうに歩いているカップルを見ると素敵だなと見つめてしまうけど
・アセクシュアル(無性愛)…性別に関係なく、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かないこと
・ノンセクシュアル(非性愛)…他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒久的に他人への性的欲求を持たないこと
と言う言葉に辿り着いた
もしかしたらそうなのかも、と思うくらいには心当たりがあった
趣味などが合うわけでは無いので連絡先も知らないしあまり話したことは無い
ただ昔から何故かずっと気になっていた
少しボーイッシュで、美人なのにカッコイイその子のことがずっと気になっていた
初めて会ったときも、それから数年置きに度々会うときも、久々に会ったときも
なんだか凄くドキドキした
顔の可愛いジャニーズの男の子にドキドキするような感覚なだけかもしれないけれど
こんなにカッコイイのに、服を脱いだら女性の体をしているのかと思ったら
凄く興奮した
元々セクシャルマイノリティの人たちに何の抵抗も無かった
世間がなんでゲイやオネエやビアンの人たちにあーだこーだ言うのかが理解ができなかった
ただ、自分が当事者かもしれない可能性すら考えたことがなかった
突然じっと見つめられて輪郭をそっと触らられて
そのときは単純にビックリして全然違う話題を探して遮ってしまったけれど
別に不快な感じはしなかったし、そのまま卒業するまで仲が良い友達だった
結婚がしたいわけでもないし
セックスをするなら入れられる方が気持ち良さそうと思ったことはある
好きな人にときめいて好きな人に愛されるような瞬間を感じてみたい
アラサーでレズビアンに目覚める(気付く)なんてことがあるのだろうか?
レズビアンでないにしてもバイセクシュアルである可能性はあるのだろうか?
あまりに気になりすぎて、