はてなキーワード: スローガンとは
ブレない党さん、さすがにやばすぎる
翌1962年、原水協8回大会の最中にソ連は再度の核実験を行い、再び昨年と同じ衝突が起きた。この大会で「いかなる国の核実験にも反対」という文言を巡り、共産党系代議員は「われわれは『いかなる国の核実験にも反対』という考えには賛成しかねる。なぜならソ連の核実験はアメリカと違って戦争を防止するためのものだからである。ソ連による死の灰は甘んじて受けます」と述べた。この発言に対し、一被爆者は「私たちの願いは、いかなる国のものであっても、核実験には反対です」と反論したが、共産党の代表から「被爆者面をするな!」と怒鳴りつけられた[18]。結局大会は混乱したままに終わった。日本共産党系代表は「核戦争の根源であるアメリカ帝国主義を日本やアジアから追い出せ」と、ソ連の核実験に対する批判をしないばかりか、むしろそれを擁護したまま、反米を中心に置いた反安保・基地闘争も視野に入れた主張をした。この大会で被爆者代表として挨拶を述べた高橋昭博(のち広島平和記念資料館館長)は共産党の圧力で「いかなる国の核実験にも反対」を宣言から削るよう要求されたことについて、「私たちの願いとはまったく別の政治の論理の暴力でした」と述懐した[18]。
1963年に、日本社会党・総評系グループが「いかなる国の核実験にも反対」[注 3]のスローガンを旗印にして部分的核実験禁止条約の支持を要求した。当時、ソ連は中華人民共和国との関係が悪化しており、核開発で先行していたソ連は中華人民共和国の核保有を妨げたいとの思惑から、同条約の締結を推進した。中国共産党はこれを三国だけが核兵器を独占し、中国の核開発を阻止しようとするものと見て強く反発した。中国の核兵器保有妨害を理由とした条約への反発を受けた日本共産党系は反対理由を「地下核実験を条約によって認めることになる」としていたにもかかわらず、同時に「社会主義国の核兵器は侵略防止のためのもので容認すべき」という主張をした。当時日本共産党は中国共産党との関係を深めていたため、中華人民共和国に配慮して、中国の核保有を事実上禁止することになる同条約に反対した[5][注 4]。
特に、石破さんが7条解散やろうとしてることや、裏金への甘い態度への厳しい態度はとても頷ける。
ただ、「就任前の日程表明が違憲だ」「能登の支援は補正予算でやるべきだ」はよくない。
「就任前の日程表明が違憲」と言うなら総裁選の頃から主張してた各候補に違憲だと主張すべきだった。能登支援は補正予算より予備費のほうが速いはず。
それでも、野田さんも玉木さんも党首という立場があってなのはわかる。石破さんと同じように組織の人間だからね。
野田さんが良かったのは、野党で恒例になってる◯◯内閣みたいな罵倒スローガンネーミングをしなかったこと。
玉木さんが心配だなー対立より解決の人のはずだったのが、政策面の路線の違いから必要以上に石破さんへのあたりが強くて批判のための批判までしてしまっているように見える。野党の悪い慣例にとらわれない人だったから、罵倒スローガンネーミングはしないで欲しかったなー。
結婚して4年。
妻が開けた調味料の蓋や、ペットボトルの蓋、ありとあらゆる蓋が開けっ放しになっている。
最初はうっかりさんだなくらいの感じで思っていたのが、肘をぶつけて盛大にこぼしてしまったり、蓋を開けたままのそれらを冷蔵庫に戻し忘れていることもよくあるので衛生面の不安もある。
しつこくならない程度の頻度の上で口頭で閉め忘れてるよ、と指摘するも、習慣化してしまってるのか改善もみられない。
自分が気づいたら閉めるようにはしているが、1日に何度もそういうことがあると年々しんどい気持ちが蓄積していってるのが自分でもわかる。
全ての蓋のついてる入れ物に注意書きを貼り付けてやろうか、とか、書道で「蓋を閉めよう!」とスローガンを書いてリビングに掲げてやろうかとまで考えた。
結婚して4年。
妻が開けた調味料の蓋や、ペットボトルの蓋、ありとあらゆる蓋が開けっ放しになっている。
最初はうっかりさんだなくらいの感じで思っていたのが、肘をぶつけて盛大にこぼしてしまったり、蓋を開けたままのそれらを冷蔵庫に戻し忘れていることもよくあるので衛生面の不安もある。
しつこくならない程度の頻度の上で口頭で閉め忘れてるよ、と指摘するも、習慣化してしまってるのか改善もみられない。
自分が気づいたら閉めるようにはしているが、1日に何度もそういうことがあると年々しんどい気持ちが蓄積していってるのが自分でもわかる。
全ての蓋のついてる入れ物に注意書きを貼り付けてやろうか、とか、書道で「蓋を閉めよう!」とスローガンを書いてリビングに掲げてやろうかとまで考えた。
俺「あのA技術凄いですよね」
馬鹿「でもあれとかあれの問題あるよねやっぱB技術のほうが良いよ」
実際そうだけど、成熟してもう進化しないものより、進化改善の余地があるものを推測できないのか?10年後を想像できないのだろうかと
iPhone登場時、こういうやつらがいっぱいいた
今だとAIの指が6本とかみてAIは糞とか笑う連中とか、EVの航続距離を笑ってるやつらとか
おそらくこういう人は100年前に自動車をみて、馬のほうが良いとか言ってたと思う
50年前に電卓見てそろばんのほうが良いとか言ってたに違いない
30年前は地球温暖化を否定してたんじゃないかな?ようやく最近実感できるようになったけど
これは身バレになるのでいえないのだが分かりやすく政治でいうと
みたいな感じだ
ネットでもやたら選びたがる連中が多い
変動しない分野で優秀扱いされてたタイプ
3年前にあすけんの女に食ってるもの伝えたら「毎日1000キロカロリー多く食ってますね。点数は10点です」と言われて「は?なんやコイツ?」と思ってたんだが、言われるままに食う量減らしても別に問題なかったからまあその通りだったっちゅーこっちゃな。
俺の中に漠然と「男は毎食ハンバーグ定食で丁度いいぐらいだし、運動してる人はそこからおやつにラーメン大盛り加えると丁度いい」みたいな感覚があって、それが「食いすぎ」を測る物差しになってた。
少なくとも学生時代はそれで問題なかったんだけど、30ぐらいからブクブク身体がデカくなっていって、健康診断でも呼びつけられるようになったんよね。
それで医者に「お前、食いすぎ。痩せろ」って言われてさ、じゃあフットサルやジム後のラーメンはプロテインバーにでもしとくかぐらいに考えてたの。
だってメシってはお腹を一杯にするためのものなんだって育て方されてたし、適切な摂取カロリーは俺の体が一番良く知ってるとオヤジや友人も言ってたから。
痩せやすい人、太りやすい人、ギャル曽根みたいな異次元の生き物、そういう個体差を考えたら自分の満腹中枢が一番信用できると。
俺は生物学とかよくしらんけど、生存競争的な奴の中で「中年以降の連中は生殖活動をするための身体から、産まれてきた子供を守るために肉盾になるための身体に変化した方が種として生き残りやすい」みたいなのがあったんだと思う。
遺伝子から「コイツもうジジイだから少ない食料でも生きていけるような身体にしようぜ。だってもう精子も腐ってるじゃん?新陳代謝下げてけ」と命じられるままに俺の体は食っても太らないスポーツ青年からデブの天才へと組み替えられていった。
それは俺だけの話じゃなくて、皆そうなんだよな。
体重あたりの基礎代謝係数みたいなのをググったら、成長期と中年で倍ぐらい違うんだわ。
子供が小さい体にバクバク詰め込んでどんどん筋肉つける横で、ジジイは筋肉作るのもサボってひたすら脂肪を溜め込んでいくように人類は最初から作られている。
それを科学はとっくに明らかにしてくれてたけど、俺は仕様通りにバグっていく自分の腹具合を信じ続けてみるみるうちに太鼓腹のデブオヤジだ。
1000キロカロリー減らすっていうのはハンバーグ定食1個分減らすってことだよ。
途方もなく聞こえる。
ご飯にして2合だ。
無理だろと思った。
でも調べていくと、なんか俺食いすぎてるなって漠然と分かってきた。
たとえば朝ご飯にしょっぱいパンと甘いパンを両方食ってたのを片方だけにするとか、半分は残しておいて明日食べるとか、そういうのを積み重ねていくと、確かに1000キロ減らせたんだよ。
なんでそんなに減らせたのかっていうと、最初からそんなに食う必要がなかったからとしか言えんね。
「大盛り無料なら大盛りにしないと損」
「特盛でも料金変わらないなら絶対特盛」
「箸を置くのは限界が来た時」
相撲部屋の台所にでも貼ってありそうなデブによるデブのためのデブの誓いを俺はずっと守っていた。
子供の頃に親から食いっぷりを褒められたときにでも産まれた「とにかく食わなければいけない」という謎の強迫観念、それに男社会の馬鹿な生き様を煽るスローガン、呪われていたと言ってもいい。
でも同時に「これだけしか食わなくてもいいんだ」という福音でもある。
「腹一杯まで食わなきゃいけない」っていう謎の焦りが俺の食生活にずっとつきまとっていた。
満腹になる前に食うことをやめたり、カロリーを気にして選択肢を変えたりするのは、ストレスで自分の体を破壊する自傷行為とさえ感じていた。
でも、逆だったんだわ。
俺は男社会で生きるうちにいつからか「腹いっぱい食うことは絶対に正しい」っていうハライッパイ教に入信させられていた。
俺の中にある無数のクソデブスローガンも、カルト教団ハライッパイ教によって刷り込まれたものだったんだろう。
俺は洗脳されていたんだよ。
でも、目の前に具体的な数字として「貴方の摂取カロリーはオーバーしてます。毎日1000キロオーバーしてます」と毎日見せられることで、正気に戻れた。
デブは食いすぎてるだけ、俺はこれをカルト教団デブハシネ教が唱える教義であり、奴らはKKKの如き凶暴さでデブを社会から排除したくてしょうがない異常者なんだと思っていた。
違うんだよ。
俺達デブが、狂っていただけなんだ。
世の中のデブが全員そうなのかは分からないけど、「食いすぎてるから少しは減らしたら?」と言われてキョトンとしたり怒り出すようなデブはさ、狂ってるんだよ。
俺は狂っていたんだ。
大抵のデブは、食いすぎてるだけだ。
食いすぎてるからデブなんだし、食いすぎるってのは別にそんなに幸せなことじゃなくて、ハライッパイにならなきゃ駄目だっていう強迫観念に突き動かされた不幸な生き方なんだ。
イカレた中年の満腹中枢を満たす目的で飯を食うなんてのは、スタミナを消化するために退屈しながらスマホゲームを遊ぶように無意味なんだ。
腹にスペースがあったら埋めなきゃいけないなんて考える必要はない。
必要なカロリーは科学的に把握していればいいことであって、ぶっ壊れた身体感覚なんぞを信じても地獄に落ちるだけだ。
デブという無限地獄、食えば食うほどに胃が膨らみ、消化機能を破壊しながら必死に満腹を求めていく自傷行為。
そんなのは辞めろ。
水を飲むんだよ。
誰だったか忘れたけど、フェミニズム関係の人がフェミニズム活動家に苦言を呈していたことがあって
・そうなれば、今まで女性側がカジュアルにしてきた男性側への蔑視や嘲笑もできなくなる
・今の日本のフェミニスト側にそれを受け入れる覚悟があるとは到底思えない
・そもそも日本のフェミニズムの本当の目的は「男性を女性より下に突き落とす」ことであり、掲げているスローガンと矛盾している
・当然男性側も矛盾を知悉してるし、男女平等の実現で男性側が失う部分が存外に少ないこと、女性側の方が忍耐や意識改革の負担が大きいことも理解している
・もし男性側が女性側との全面戦争を覚悟したら、結果的に女性側の方が苦しむ人数は多くなるだろう
・多くの女性もそれを予感しているからフェミニズムから一歩引いてるが、肝心のフェミニストがそれを最も理解していない
というようなことを言っていた
https://twitter.com/shiraku666/status/1822233433948459115
嫌なのがここぞとばかり彼女のこれまでの非礼を取り上げてフワちゃん叩きを発信するタレントやコメンテーター連中。普段から言えよ。卑怯者。まさに水に落ちた犬を叩く。それと批判はいいが、彼女に対してネットで罵詈雑言をいう人々。フワちゃんがやす子に言った言葉とどう違うのか?ちなみに落語は、人間は弱いもの、間違える生き物だと教えてくれる。それを良いと言っているのではない。人間とはそんなもんだと認めてあげる。それが落語。
ネットやメディアが絡まない場面では「ぐうの音も出ないような正論」ではある。
私もぜひこれが正論として成り立つ世の中であってほしい。
しかしSNSが出来てしまい、これがPV至上主義と合体してしまってる以上、もはやこれは正論ではない。
ただのスローガンでしかない。しかも志らくさんのようなエスタブリッシュメントにとって都合の良い、ね。
今の世の中、SNSで影響力に格差がありすぎるから、落ち目でない間はたとえ間違っている人でもケチを付けたらケチをつけた側が殺されるし、言えたとしても黙殺されて終わりだ。
一度水に落ちてくれない限りまともに文句が言えないし言っても意味がない。(森川ジョージ先生みたいに合わせてくれる人もいるが、基本的には無視するかファンネルに叩き潰させるかだ。)
その声が大きくなって無視できなくなって初めて視界に入ってきただけ。
で、無視できなくなった途端に、メディアが手のひら返して騒ぎだしただけ。
そこまでして初めてようやくあなたの視界に入っただけ。
そこまでやらない限り、あなたがたはすべての批判を無視してなかったことにしてるだけ。
今ってそういう構造ですよね。
だから金を払ってでもPVやフォロワーを稼いで、インフルエンサーになりたがる人が多いんじゃないですか。
そういう構造なわけ。
こんなん男女格差とかよりはるかにわかりやすく、誰の目にもわかりやすく数字として示されてる。
しかもこれって今年とか去年に始まった話じゃない。
そういう構造になってしまっているからこそ、暇空さんや石丸さん、トランプさんみたいな人が求められるようになってしまったんじゃん。
こういう人たちが求められる世の中ほんとにやだけど、そういう構造を作ってるの貴方がたじゃないですかヤダー!
上手くいってる間は、PVを稼いで売上に貢献してる間はちやほやしろってこの構造の恩恵をフルに受け取っておきながら何いってんだか。
時代錯誤も甚だしい。
そんなにこの構造が嫌なら、お前が10年前からメディアを批判しろや。Twitterアカウントを一時的に止めて抗議しろや。
お前らの無為のせいで今この状況になってるのに、ほんまなにいってんのこのおっさんとしか思わんわ。
いじめを放置しておいて、いざその学校の生徒が自殺したり不祥事を起こしてから「加害者に対してバッシングは良くない。普段からいじめはよくないと言え」って言ってるようなもん。
普段から言っとるわ。その声を握りつぶしてるのはだれだよお前だろ。
もっと人殺しの顔をしてほしい。 何善人ぶってるんだ。信じられない。
こういう「一見受けが良いことを言って人気を得ようとする軽薄さ」はさすが落語家って感じがする。哲学とかそういうものを一切感じない。
今のリンチはメディアがGOサインを出してることが一番大きな問題なので、一番最初に批判スべきはメディアなのに、そっちはお金もらってるから何も言わない。
一人だけ恥というものを知らないから格好つけて的はずれなことを吠えている。
見ているだけで恥ずかしい。共感性羞恥がすごい。
数ヶ月前にケンミンSHOWで東北のウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。
東北のウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。
東北のウィーンに生まれ、小学生〜中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏はほとんどなかったと思う。
合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽の先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。
授業中に歌のテストがしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。
合唱の大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分の学校と明らかな差があるのに、その違いを先生は説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。
ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。
小学校を卒業し、中学は合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。
合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間が音楽教師だけでなくクラスの女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北のウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。
高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コースの私立高校に進学。美術と音楽と書道は選択制だったため、迷わず美術を選択し音楽からようやく逃げられた。
卒業後は関西の大学に進学。ふとしたことで音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線、ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれが東北のウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。
社会人になった今でも歌うことがトラウマでカラオケのお誘いは断っている。音楽そのものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismやミスチルを聴くようになり歌詞の凄さや演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギターの音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。
野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱が好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴な自分にはあの街は脅威だった。
音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラットな教育を子供達に提供してほしいと願わずにはいられない。
丸2年が経過したので雑感
私事ですが、つまるところはディズニーへ行かなくなって丸2年が経過しました!!年50回は行ってたコロナ前の私からすると考えられない天変地異みたいなもんですね。
ということで双方似ている点も異なる点もあるので思ったこと適当に書いておきます。ディズニー側の情報に関しては完全に人伝なので古い可能性が高いのですが悪しからず。
・年パスもう要らないよ
圧倒的にコレ。寂しいですけどね、ひと頃のDオタとしてはね。
意外と年パスユーザーだった往年のオタクたちの中には「もう年パスは不要かな…」という層が多かったりします。復活して欲しいという声が根強いのは案外「年パス取扱時期に"買いたかったけど買えなかった"人たち」のような気が。
「もう慣れたから」
という辺りの雰囲気が強そうですね。
そう、結局コロナの前後に関係なくちゃんとディズニーが好きで、あそこを「替えの効かない場所」だと思っている人たちはどのみちパス代にしろパーク内諸費にしろ払うべきものは払ってきたし、今後もそうしていくわけです。オ社側もそういうオタクのことはちゃんと「お客様」として歓迎したい筈です。
結局のところ年パスの何が良かったかと言えば「最初に5〜10万円払えば1年間パーク入り放題だった」という点なのですが、裏返せば年パスにはこれ以外の機能が一切存在しません。なので年パスが無くなったからと言って変化することというのは思ったより少なくて、蓋を開けてみれば「一括払いにしていたパス代が都度分割になった」くらいの感覚差程度に落ち着きつつあるのでしょう。
実際、共通年パスは概算で月に1回程度インパすれば元を取れる試算での価格設定がなされていましたが、考え方を変えれば「月1回程度であればパス代を都度払いしても年パスを持っていた頃と額面はさほど変わらない」というわけです。ネットでの購入手続きが多少挟まる程度ですから面倒も思うほど多くありませんし。
個人的に思うのですが、今現在年パスが無くても困ることなくインパしているDオタたちがコロナ前どう過ごしていたかというと「月1以下の頻度で事足りていた人々」「遠方勢でそもそも回数を積めなかった人々」もさることながら、「パスがダブるのを承知でバケパの世話になることが多かった人々」というのも居たんですよね。首都圏在住で日帰り出来るけどバケパ課金してパス代も宿代もその他の費用も幾度となく出してきた、そういう人々が。
こういったDオタたちにとって年パスの存在はそんなにウェイトの大きいものではなかったんだと思います。そもそも年パスを持ってないか、持っていてもパス代を追加で出すくらいですからね。
それで結局、こうしてそれなりにまとまった金額をコンスタントに支出する真っ当な「お客様」たちは、年パス所持の有無に関係なくさほどダメージを受けることなく現在も元気にDオタとして活動されているようかもしれません。雑な言い方で恐縮ですが、「懐に余裕のあるゲスト」であればコロナ前とあまり変わらずオタクとして振る舞えるし、オ社もそういう人を招き入れたいわけで利害関係が一致しているのですよ。
一部の年パスユーザーの中には「自分たちの存在がパーク運営を大きく支えている」と豪語する人々も少なからず見受けられた過去がありましたが、本当のところを言えば年パスとその単純な所持者たちにはポジティブな影響力など殆どなかった可能性すらあるわけです。
Dオタアクティブ勢の事情としてはそんなところでしょう。まあ私が「年パス要らないよ」という理由は「もう用事がないから」なんですけれども。私自身ももう昔みたいに年10回20回それ以上のインパを必要とする身では無くなりましたので、「行きたくなったら年1程度でも良いかもな…」と思うなら年パスはもう御役御免です。
・年パスが無いと困るようなオタクは条件の良い界隈への移動が大凡済みつつある
「1年間入り放題」というだけのシンプルな設計ながら、当時の年パスの用途は案外と多岐に渡りました。「晩ご飯のために夕方からインパする」というのは割と有名ですが、「パーク内外でウォーキングをするため」「終日空いているレストランの隅で涼みながら勉強や作業に没頭する」「昼休憩と前後の空きコマを活用し大学を抜け出して昼ご飯やショーパレを楽しみたい」なんていう使い方もできました。
しかしこれらは副次的なもので、年パスを購入したDオタたちの大半が年パスに見出していた価値といえば、推しキャラに会えなかったり塩対応だったり、天候その他の事由によりショーパレがキャンセルになってしまったりという「体験価値の低下に対する『年パスあるし明日明後日また来れば良いか』という保険」の側面が一番強かったのではないでしょうか。
なので年パスが無くなったことに関するDオタ的な最大のデメリットは「保険が無いので軽率にリテイクが取れなくなった」というところになると思うのですが、しかしよく考えてみれば、これがDオタをやっていく上で致命傷になってしまう層というのは実はかなり少数派なのかもしれません。
例えばミキオタやミニオタ。彼らはインパすればショーパレに固定のグリ施設、場合によっては路上整列グリに至るまで推しに会えるチャンスというのは様々存在します。どんなに運が悪かったとしても「ミキミニを一度も見かけることなくパークを出る」方が厳しいのはご想像の通りでしょう。エントリーを全て外したならパレルで粘るかグリ施設を鬼ループすれば最低限の満足は得られる筈です。規模感に差はあるものの、ドナオタやデジオタも同様でしょう。
しかしこれがチデオタの話になったらどうでしょうか。今でこそジワジワと彼らの活躍の場も戻って来ていますが、コロナ休園明けのチデオタはなかなかに辛酸を嘗めたものでした。
①ドリミから丸ごと干されそのまま終了
②海で唯一の固定出演だったハロニュが復活せず終了
④グリ施設がない(ウエスタングリは人が集まり過ぎて一瞬で爆散した)
如何でしょう。マウビが始まって多少用事は出来たものの、それまでチデオタは両パークに対してマジで何も用がなかったわけです。結局マウビや海ジャンボリがあったとしてもどちらもエントリー制なので外れたら用無しですし、フリグリは必ず捕まえられる保証がありません(コロナ禍なら尚更)。
前者ならば「保険=年パス」が無かったとしても幾らか即日でリカバリーが出来ますが、後者の場合そこに確実性がないため、結構な確率で「チデに終日会えないまま金だけ払って歩き回って終わる」という負けゲーを強いられる状況が発生し得るわけです。ここにミキオタと同じ金額は出そうとは思えなかった心情を、どうにかご理解いただきたいものです……(チデオタより)。
チデと同様に「コロナで姿を消したキャラクター」は少なからずいたと思いますが、チデほど露骨に消えたキャラは他に居なかったのではないでしょうか。ショーパレに確定で出ず、フリグリ出現も怪しいキャラクターというのは元々多く存在します。何ならBIG8以外は全員そうでしょう。しかし元々そうであれば「BIG8のオタク」と「その他のオタク」では根本的な立ち回りと心構えが違ったように思います。「行けば会えるから会いに行こう」と「会えたらラッキーだから目的にし過ぎず楽しんで行こう」の違いですよ。コロナ前のチデは前者だったのが、コロナを機に一時期後者になってしまったわけです。
良し悪しの話ではありません。BIG8のオタクは、言ってしまえばアイドルオタクと性質的にはさほど変わりません。「行けば会える推し」が、パークに関わるすべての行動の目的そのものになっているのです。チデオタはその意味で、ある時突然に「目的」を奪われてしまった、ということなんですね。当てもなく彷徨い金を使い倒せるほど、誰も彼も持ち物を余らせているわけではないですよね…?
それでも中には、数年にわたる辛い時期をグッと耐え忍んで、今でもチデオタとして頑張っている方々も少なくないでしょう。それは彼らにとってチデが「他に替えの効かない存在だから」に尽きると思います。尊敬します……本当によく頑張ってこられたと思います。反対に私は「頑張らなかった側」なので…。私にとって10年間の最推しだった筈のチデちゃんは、哀しくも「代替可能な存在」だったわけですから……。
こればっかりはもう、個々人のオタクとしての在り方次第になってしまうと思います。現場回数を稼ぐために年パスを信頼していた私のような「ローコストで体力気力の限り現場をブン回したいオタク」と、オ社が求める「たまにの1回に"全力"を出してくれる"お客様"」とでは相性があまりにも悪い。私のようなオタクは最早、ディズニーリゾートに於いては「招かれざる客」になってしまった、そういうわけなんですね。
しかし、そういう経緯でディズニーからはみ出し者になってしまったこの私にも、そのままで転向できる新天地が存在したわけです。それがプロ野球マスコットの世界。結果的に私は冒頭の通り(オタクだったのに)丸2年もディズニーへ行かなくなり、代わりに野球場へ赴くようになったわけですが、私と同じように「年パスが無いとやっていけないオタク」たちは皆もう何処か異なるコンテンツへ良い加減に移住が完了している頃合いではないでしょうか。もし年パスが無いことに未だに困っているDオタが居るとしたら、厳しいですが恐らく巣立ちの時だと思いますので、他に楽しいことを見つけてみるのも一手かもしれません。
体感ですが、とにかく現場をブン回したい私のようなタイプのオタクであれば、回す現場や対象物は実はそんなに重要じゃなかったりするわけです。「割安で楽しく対象物と触れ合いたい」という風に簡略化すればコレ、別にディズニーじゃなくても野球場や他のテーマパーク、振り切れば地下アイドルだって全然良いわけです。
10年前のディズニーすら余裕で凌駕してくる(但し球団による)。
凄いですよ、根腐れしそうなキャラオタ皆マスコットオタに鞍替えすれば良いのにとさえ思う。非常におすすめです。
私自身は野球マスコット専門なので他のことはあまり詳しくないのですが、恐らくサッカーやバスケのプロチームにもマスコットは沢山います。川崎のロウルくんとかめっちゃ可愛いよ。なので地元チームのマスコットを応援するところから始めてみるのもアリじゃないでしょうか。
②5〜6時間で退散できる
④ちゃんとグッズもある
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
①③⑥はDオタならかなり嬉しいポイントではないでしょうかね。少なくとも私はそう思う。
細かな金額に関しては球団次第でピンキリですが、最安値で抑えるならいずれにしてもコロナ前のディズニーより入場料は遥かに安いです。外野席とか天井席なら1000〜2000円台だからね。
或いは千葉ロッテマリーンズのZOZOマリンスタジアムや阪神タイガースの甲子園球場なんかは試合前のマスコットショーを場外で行ってますので、何とやろうと思えば完全無料でオタ活が出来ちゃいます。良いんですか??
そうでなくてもマスコットと触れ合う機会は(本来キッズやファミリー等を想定しているであろうだけあって)チケットの種別に関係なく同等に与えられていますので、「兎に角中に入れれば良い!」と割り切るならコスパ最強です。
勿論もっとチケットに金額を出して座席に拘れば、試合中に動き回るマスコットを直近で拝むことも可能です。
②5〜6時間で退散できる
野球場は大体試合開始の2時間前に開場し、マスコットショーやふれあいイベントを経て試合開始、途中何度かマスコットの登場シーンがあったり、或いは場外でふれあいイベントを行ったりして3〜4時間以内には概ね試合が終わります。そう考えると余程長丁場でない限り、1回の現場は最長5〜6時間程度で終了することになります。勿論マスコットや自分の都合、天候などに合わせて遅く来たり早く帰ったりも可能ですし、先述の「無料でオタ活できる野球場」であれば最短5〜15分で退散移動が実現します。
仕事帰りや学校終わり、休みの日の午後用事前にちょこっと……ができるのも嬉しいポイント。
先述の通り、野球場で行われることやタイムスケジュールには大体決まった形が存在しているので、ディズニーのようにスケジュールのバラつきが生まれることはまずありません。「このタイミングに何処で誰が何をしている」というのが慣れればすぐ分かりますので、色々と余裕を持って行動することが可能。これは各球団のふれあいイベント(所謂フリグリ)に関しても概ね同様ですが……ルールはディズニーと同じです、具体的な時間と場所は是非ご自身でお確かめくださいね。譲り合いもお忘れなく。
④ちゃんとグッズもある
各球団マスコットの個性的で可愛いグッズも沢山あります!ブラインド仕様のランダムグッズからぬいぐるみ、プラッシュ、バッグ、その他諸々。野球場らしい文字入りフェイスタオルやKPOPにありがちなスローガンタオルがラインナップされているマスコットも中には存在します。グッズ欲を満たしたいオタクにもおすすめ。因みにぬいぐるみ系に関しては大体ディズニーの半額程度で買えたりします。安い!
各球団は1年を通して頻繁に限定ユニフォームをリリースするので、それに合わせてデザインチェンジを施した限定グッズも続々登場します。そして在庫さえあればシーズン後半やオフシーズン、次シーズンに入ってからもオンラインで購入できるのも有り難いところ。後から「あれ欲しかったな…」ってなることあるもんね。
野球マスコットのオタクをする上で外せない醍醐味といえばコレ。先述のロッテの「マーくん」と東京ヤクルトスワローズの「つばみ」の恋模様(?)はあまりにも有名。埼玉西武ライオンズの「レオ」は妹の「ライナ」に対し異様なほどのシスコンぶりを発揮したり、福岡ソフトバンクホークスの「ハリーホーク」や北海道日本ハムファイターズの「B・B」と何やら名状し難い関係性を披露したり、ヤクルトの「つば九郎」と中日ドラゴンズの「ドアラ」で毎年のようにディナーショーを敢行しチケットが即完売になるなど、どのマスコットも非常に個性が強く、遠征交流やオールスターゲーム等で顔を合わせる度に関係性がジワジワと変化していくリアル感はディズニーで絶対に味わえない野球マスコットならではのポイントです。グミニとかそういうのにうっかり惹かれちゃう人、どうでしょうか。
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
これは本当に場合によりけりですが、何度か会いに行くうちにこちらのことを覚えていてくれる有り難すぎるマスコットも結構います。勿論そこに最初から期待するのはおすすめ出来ませんが、フリグリ中に近況を聞いてきてくれたり、向こうから積極的に来てくれたりすると球団に金を落とすモチベーションが爆増します。(それでもディズニーより安く済むのが尚のこと有り難い)
タイミングが良ければワンショットでポーズ指定が出来たり、ショートムービー撮影で任意の動きを(常識の範囲内で)お願いできる場合もあり、フリグリの自由度がディズニーより遥かに高いのも嬉しいですね。フリグリ完全依存の元チデオタとしては尚更ね。
但し「つば九郎」や「ドアラ」のように選手顔負けでファンの多いマスコットたちに関しては個別ファンサがどうしても難しいですし、すべてのマスコットが同じくらい手厚くやってくれる保証は全く無いですから、基本的にはマスコットたちの成すがままに合わせるくらいが丁度良いでしょう。
こんな感じで、コロナ禍を辛く暮らした元チデオタの私ですが、今は自分に合った最高のコンテンツと出会い、ディズニーを離れて楽しくオタクを続けています!こんな生活も早2年!
野球場に年パスのシステムは(基本的には)ないので都度払いでも気にならないですし単価が安いですし、他にも良いこと尽くしで最高!オフシーズンで冬場に音沙汰が無くなるのだけが寂しいですが、野球がなくてもバスケとかはあるので二毛作も大いにアリでしょう(私自身に今のところその予定はありませんが)。
オタクとして若い10年の日々をディズニーに注ぎ込んだことは今では良い思い出です。もう真性のDオタでは無くなりましたがチデのことは今でも人並みに好きなので、その気になったらまたいつか会いに行きたいな〜、と思っています。
Dオタのみんな〜!いつもお疲れ様〜!
値上げとかホスピタリティとか色々大変だろうけど無理せず自分最優先してね〜!!
お互い楽しくオタ活続けてこうな!!
アメリカ海軍の代表的指揮官ウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督は「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ」をスローガンとしており、艦隊宛の通信文は「やつらを死なせ続けろ」と結ばれていた。
チェスター・ニミッツ提督宛の私信でも「もっと猿の肉を確保する」ための潜水艦の活動を提案した。
ハルゼーは新聞記者達に対して、日本を占領した暁には日本人女性全員に不妊手術を施すべきだと冗談まじりに語り、また昭和天皇の処刑もほのめかした。
第二次世界大戦中、ハルゼーはワシントンで報道陣から「皇居も軍事目標か」と問われこれを否定した際、
不用意に「ヒロヒトの白馬は死なせたくない、そいつに俺が乗ってやりたいからな(I'd hate to have them kill Hirohito's white horse, because I want to ride it)」と発言した。
この発言は大々的にPRに使われ、1945年6月4日の『ライフ』には
「提督に馬を贈ろう!(LET'S GET THE ADMIRAL HIS HORSE!)」というタイトルで昭和天皇を乗せた御料馬白雪の写真が掲載された戦時国債の購入を呼びかける広告が掲載された。