はてなキーワード: スターラスターとは
人が獣人になる。横アクションとしてはかなり面白い部類。意外とやり始めるとはまって続けてしまう。
アーケードではまり、メガドライブで発売されて速攻購入した。当時はこの系統のアクションは面白いものが多かった。主人公たちはなぜか薄着の戦士たちである。鎧着ろ。
ダンジョンが凄まじく見にくい。だが、個性的な敵とアニメーションは1989年としては斬新だった。ストーリーの舞台もまた心躍る環境だった。
PCでも遊んでいたが、メガドライブ版もプレイした。パッケージがとにかく渋く、米田仁士のイラストは大人向けという感じだった。
横アクションゲームだったはずなのに最終面はスターラスターみたいなシューティングになる。
今でもこれは名作3DダンジョンRPGだと思っている。結構アニメーションが凝っていて、ダンジョン内でもアニメーションがある。またキャラデザインも個性的でディズニーなんかにありそうなデザイン。
セガのおなじみソニック。ここから始まった。オープンワールドのソニックも楽しみである。内容はオーソドックスなアクションゲーム。
結婚システムが面白かった。茨の道の婚姻を選ぶか、テクニックが十分使える婚姻を選ぶかによって面倒臭さが変わる。歩行スピードに難がありテンポが悪い。ストーリーは面白い。
いろいろなコンシューマーに移植された作品。シビアさでいえば、MD版ラングリッサーが一番辛い。シミュレーションゲームとしては、かなり面白い。
レースに勝てるようになるまで時間がかかるゲーム。忍耐がないと辛い。勝てない人にはとことんクソゲー扱いされる。
内容は昭和のノリ。唯ちゃんが可愛いがロボットの顔面を殴って潰すというバイオレンスガール。なかなか面白いゲーム。
とピックアップしてみた。
年をとった。それほど時間が流れた今でも寝る前に目を瞑ると「スターラスター」を思い描く。あの日以来、疲れて眠る前にはスターラスターを思い描く。僕の中のスターラスターはファミコン版を元にした、オリジナルグラフィックだ。笑ってしまうが時代とともにきれいになってるようだ。
コクピット前に広がる宇宙を思い描く。点々と星が見える。音はなく、そして、僕一人だ。ガイアが一人乗りだからだ。前に進む。星が流れる。宇宙は黒い。動かない。星の位置が変わることで前進していると判る。上に、下に、右に、左に向きを変える。たぶん、このあたりはナムコアンソロジー版、68版の影響だろう。「スターイクシオン」かもしれない。
そして眠るんだ。
なに言ってんだあたりめーじゃねーか
詳しくは押切蓮介先生の「ピコピコ少年」シリーズもしくは「ハイスコアガール」をご覧ください。
たいしてファミコン詳しくもなく熱中した形跡もない、普通に「友達と一緒にやってた」程度のヤツが、当時の小学生でも知ってた様な知識を分かってないまま極めてヌルいブログなんか書かれたら、もう歯痒すぎておれはファミコンロッキーの名にかけて必殺五十連打で摘発せざるを得ないのだ。
言っとくけどな、当時は「クソゲー」なんて概念は存在しなかった。おれら子供たちがソフト1本手に入れるためには、誕生日やクリスマスなどの
「好きなものを買ってもらえるイベント」という子供にとって命よりも貴重なチケットを費やし手に入れるしかなく、そんなふうにゲットした大切な大切なソフトは、面白いかそうでないかにかかわらずそこから数ヶ月のあいだ向き合わなくてはならない課題であり、問答無用で消化しなくてはならない「カルマ」のようなものだった。
たとえオバQが呆れるほど思い通りに動かず左手の親指の関節あたりが真っ赤に腫れ上がろうとも、スーパーモンキーと三蔵法師ご一行が耐えられないほどの歩きの遅さであろうとも、「明日こそきっともっと先のステージへ進めるはず」と、ヒリヒリする親指をフーフーしながら眠りにつくしかなかったのだ。
あの頃、あれをクソゲーなどと呼ぶ者はいなかった。あくまでそれは「難しいゲーム」なのだ。我々にはそれをクソゲーと呼ぶという発想自体がなかった。
その理由は、あの時代のファミコンに命を燃やしていた子供たち全員が、「新作ソフトの中からおもしろいソフトを選びだすことの難しさ」を知っていたからだ。
過去に出た、誰かが既に持っているソフトはそいつの家でやらせてもらえばいい。それは反対に「誰も持っていないソフト」を自分が持つことで友達にもやらせてあげることができることも意味する。
「誰も持っていないソフトを買い、みんなで楽しむこと」
コミュニティーの一員としてのそういう責務を当時の子供たちは皆が理解し、皆が抱えていたのだ。
少しファミコン雑誌を読んだ程度では到底そのゲームの実態なんか把握できない、そんな状況で「誰も持っていないソフト」を選ぶというのは、
それはつまり、先行きの分からぬ投資をするということに他ならずある種の冒険、チャレンジであった。その投資に成功して皆が面白いと感じるソフト持つこと、皆にそのゲームをやらせてあげることによっておもしろいゲームを掘り当てた「成功者」として称えられるだけでなく、そのおもしろいゲームを皆にやらせてあげることによる皆からの感謝とプロップスの上昇を勝ち得る、おもしろいソフトを持つことそれはすなわち「資産を持つこと」と同義だったのである。
新作ソフトをゲットしたはずの友人が翌日教室で左手の親指を真っ赤に腫らしながら「昨日買ってもらったソフトがすごく難しいやつだった」と言ったらそれはつまり、「クソゲーを掴んでしまった」という意味だ。
しかし我々は、彼がそのソフトを選ぶまでにどれだけ吟味し熟考を重ねたか知っている。だからこそ「難しすぎるゲーム」を掴んでしまった時の彼の気持ちを思うといたたまれない気持ちになると同時に、明日は我が身であることを噛み締めるのだ。 そんな状況で誰が彼を貶せようか。彼はれっきとした戦士なのであり我々はお疲れ様という労いの意味を込めて彼に静かに「でもおもしろそうだね、今度やらせてね」と言葉をかけるので精一杯なのだ。
我々は皆そういう悲しい過去を乗り越え、そしていまファミコン警察として生きている。たまに厳しいことも言うかもしれない。しかしそれはより深くファミコンを愛して欲しいという一心からの言葉だ。
2コンのマイクを使うのは有名どころではバンゲリングベイ、スターラスター、たけしの挑戦状、ゼルダの伝説などがあり他にもまだたくさんある。どうか覚えておいて欲しい。